Mikiko Talks on Malaysia
 マレーシア国民大学外国学部講師 伴 美喜子
●2000.09.09
 
【読者の声】マレーシアの親日家たち

 先日の日曜日、京都の円光寺にあるオマールさんのお墓を訪れました。『オマールさんを訪ねる旅』の早川幸夫先生にお手紙を出したところ、御親切に案内してくださ ったのです。 お墓は大変静かな所にあり、同寺には徳川家康のお墓もあります。徳川の某氏かが (名前を聞いたけど忘れました)病気療養でジョホールに滞在していた時、オマールさんと親交があったそうですね。彼のお墓が家康ゆかりのお寺にあるのも何かの縁か もしれないと早川先生はおっしゃっていました。 (T、元在マ)
  
 ハムダンさんとウンク・アジズ氏の記事を見させていただきました。

 ここへ来て思うことは、このように親日家が意外に多いということです。私たちは教科書では日本軍は悪いことをしたと習いました。でもここペナンでも、この貴方の記事のように勤労に対する貴賎を廃する勤勉の哲学を植え付けたところは、日本軍の短期養成学校の大きな価値を発見します。

 また今の日本の経済活動の支柱を形成しているのもこの価値観にあると思います。例えばここでは、ハイテク産業でもエンジニアに人気があり、泥臭い現場の生産活動(卑下する傾向がある)の改善は弱いものがあります。いくらハイテクといってもその技術形成の根源には「半導体露光装置ステッパーにも例を見るように日本の職人的手作業による平行線の罫書き精度の転写」に原点があり、日本の高度応用技術はそこから始まっていると思います。

 今私の場合でも、生産現場でこの国の技術者達に、工業製品の品質は最終的には設備と共に人間の創意工夫の改善活動がもたらすものであると教えています。非常に細かな改善も積み重ねていくと、その結果を客観的に外部から見たとき、とても真似の出来ないすばらしい立派な製造工場に見えてしまうのです(トヨタの看板方式などその最たるもの)。

 今の日本は江戸時代までに蓄えた繊細な感受性(限られた資源の中で最大限工夫をして突き詰めてゆく)とその具体的表現方法(実用工芸細工、勤勉性、芸術等)の蓄えを近代の工業文明の生産活動に転用しているだけかもしれません。江戸時代までに蓄えられたそうしたエネルギーの高いポテンシャルを今消費して、そのお陰で我々日本人が世界をリードしている一つの国になっているのかも知れません。

 今、そういう教育の継承がなおざりにされ始めているとの警鐘が日本で起きてきています。我々の年代が空気のように自然の形で吸収できた教育環境が、確かに日本の中から急激に抜けて無くなってきているのかも知れません。

 ローマの盛衰を見るにしても、一つの国が全盛を極めるのは100年、長くて300年と言うのが西洋東洋を問わず歴史の摂理ですものね。


<私の知る小さなMalaysiaの親日家>

 1.名も無きインド人(シーク教徒)のリタイアーした先生
 彼は13歳の時、ペナンで日本軍によって創設された日本語速成教育学校に入学した。規律正しい体操(Exercize)、日本語の美しい歌唱、キビキビした動作、団体行動が印象に残った。その後中学校.高校の英語教師として過ごし、今はイポーで自適生活。時々ペナンに来て見る。日本人の教育の仕方はすばらしいが彼の言。50年かなたの出来事ではあるが、彼にとっては未だ他人に語りたい吐露したい気持ちが強い。

 2.Eさん(Datukを持つ、前ペナン首相の弟)
 彼はここペナンでは名門の出身、彼も夫人も日本軍創設の日本語教育を受けている。勿論華人故、マンダリンは自分自身の言語、そして英語は又母国語並。若いときはバトミントンのマレーシアチャンピオンと聞く。今はよくクラブに顔見せるし、若い好奇心旺盛な精神は若者に負けない。私がたまに日本人の連れを連れて行くとパブへ誘う。でも婦人がUKへ長く滞在したりして、いっしょに行動してくれなくて少し寂しそう。訪ねると「奥さんはChapelです」という。彼も日本人の教育は優れていると言う、そしてあるところで相容れないが日本が好き(何回か行った)。

 3.A Bさん(彼もDatukを持つ)
 彼はインド混血マレー人。若いときは台湾に留学して学ぶ。一時は日本人(スチュワーデス、今でも名前を覚えている)と結婚しようとしたが、親に反対され親の勧めるマレー(今の夫人)と結婚。今では二人でいつもいっしょに行動。元BumiBankerだが今は退職して自適。娘さんが歌手志望して歌っている。秘密だが、ビール一杯はInternational Muslimを自称して飲む。
 彼はクラブへ入会するとき、見知らずの私が日本人ということだけで保証人の欄にサインしてくれた。

<小耳にはさんだ裏話>

 1.リン大臣について
 彼はブーミに近い華人であり、マラッカの発祥のころ(明の公主の御付で渡来)のババ、ニョンニャに近い人である。清崩壊、.太平天国の乱、.共産中国からの新移民とは少し違うとの認識をこの新しい華人経済層は云う。

 2.西山軍曹
 彼は2次大戦の際、初代ラーマン首相を助けた命の恩人である。日本軍は1941年ここを占領したときUK側構成の支配層を処刑した。そのときラーマンは王族支配者の次男、当然処刑される運命。この軍律に対して西山さんは、自分を賭して子供には責任はないと主張して彼をかばい助けた。戦後彼がマラヤ連邦初代首相として来日時、羽田で涙と感激の対面をした。彼こそ”日本人の男”との考えを持っている人がここには未だいる。日本人びいきもこのあたりに一つの理由がある。

 3.マハティール
 彼はおじいさんがインド人。計数.合理的考え方はその血を受け継いでいる。

 4.ペナンの日本軍
 General伊東は英語が流暢で毅然とした紳士であった。佐伯尉官はいつも「早く、早く!」と我々をせきたてて指示をしていた。日本人から受けた”3ヶ月日本語速成教育”は今でも覚えている。歌も「弥生の空」「富士は日本一の山」等。日本軍は街のマフィア.犯罪者(刺青をしているものは全て)をトラックで運び去り一掃してくれた。
 我々が戦後教科書で習ったこととは違う、真実に近い世論を聞いた気がします。(F、在ペナン)


 前回のコラム「マレーシアの親日家たち(3)-アブドゥル・ラザク先生
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