Mikiko Talks on Malaysia 
 マレーシア国民大学外国学部講師 伴 美喜子
2000.07.05
 
複雑な称号や尊称が生きている社会
 夕方帰りが遅くなったり、ひどく疲れている時、私は家の近くの屋台やレストランで夕食をとることがある。どんなに暑い日でも、夜の帳が下りると、南国の自然はやさしい。それは日中の厳しさと対比されるから、一層強く実感されるのかもしれない。熱帯の生い茂る緑、町や村のモスク、仏教寺院、ヒンズー寺院などをくぐり抜けて吹いてくる夜風は、すべての人間、富める者にも貧しき者にも平等に解放感と安らぎを運んでくれる。

 そんな心地よい夜の風(アンギン)に誘われて、昨晩はアウト・ドアのパブ・レストランに足が向いた。ちょっとビールを一杯ひっかけたい気分でもある。周りにまだ空き地がたくさん残っている野っぱらに位置するその店は、プラスチックの白い簡易テーブルと椅子が並べてあり、雨よけのパラソルが彩りを添えているぐらいで、どうということはないのに、なぜか大変人気があり、いつも老若男女で賑わっている。

 この店の魅力というのは店内に流れる軽妙な欧米の音楽と国際性豊かなお客、そして揃いのTシャツ姿で愛想を振りまきながらテキパキと働く多民族・多国籍のボーイたちにあるのかもしれない。

 車を空き地に止めて店に向かうと、こざっぱりした中国系のボーイが入り口で待ち受けていて、「Datin! しばらくですね。日本に帰っていらしたのですか」と親しげに話かけながら席を探して案内してくれた。すると、今度はオカマっぽい、ぽっちゃりしたインドネシア人のボーイが近寄ってきて「あらっ、Datin! ロング・タイム・ノー・シーね(Long time no see ね)。どうして来て下さらなかったのよ」と甘えるような口調で語りかけてきた。

 席に着くや、注文を取りにきたのはアンワル前副首相にとてもよく似たハンサムなマレー系のボーイだった。人懐っこい目がいたずらっぽく笑っている。年甲斐もなくちょっと浮かれた私は、ビールをグイッ、という気分になっていたのだが、「Datin, ビールになさいますか」とかしこまって聞かれると、なぜかためらってしまい、健康的なスターフルーツ・ジュースとホッケン・ミー(福建麺)を注文してしまった。

 ボーイたちはいつまでもこのオバサンに油を売っているわけにはいかないので、間もなく忙しそうに散って行ったが、私は一人になると、先程から「Datin!」「Datin!」と呼ばれたことを思い出し、苦笑するのだった。

 「Datin」とは「Datuk」または「Dato‘」という称号を持つ男性の夫人の称号である。社会的地位のあるご婦人というイメージなのだが、店の若い男の子たちは多分私が年配者であることとTシャツに短パンではなく、いつもマレーの民族衣装を着ているというだけで、半ばからかって使っているのである。

 そう言えば、元の職場の掃除婦のヨガムさんも私のことを「Datin」と呼んでいた。彼女の場合は冷やかしではなく、私が日本語センターの主幹として偉そうにしていたので「地位の高いご婦人」と言う意味で、心底尊敬していてくれたのかもしれない。今思うと面映ゆいばかりである。

 マレーシアではマラッカ王朝時代に成立したサルタンを頂点とする階級社会の伝統が称号や尊称に残っている。マレーシアで仕事をすると、すぐそのことが重要な意味を持ってくる。

パーティーなどで相手を呼びかける場合、儀式での挨拶、手紙文など、民族によって異なる名前の記し方のみならず、この称号と尊称の知識が不可欠である。外国人には少しややこしいが、マレーシアでは常識なので、以前マラヤ大学でマレー語講座を受講した折にとったメモをもとに、以下にまとめてみたい。

1.称号
 
(1)政府からの称号(世襲されない、毎年国王誕生日などに授与される)
Tun(夫人 Toh Puan)--------国王授与
Tan Sri(夫人 Puan Sri)----国王授与
Datuk Seri(夫人 Datin Sri)   
Datuk Paduka(夫人 Datin Paduka)
Datuk(夫人 Datin)--------国王、ペナン、マラッカ、サバ、サラワク州授与
Dato*(夫人 Datin)--------9つの州のサルタン授与
 
(2)王族の称号(世襲される)
Tengku、Tunku、Raja、Ungku(ジョホール州のみ)、Engku
 
(3)イスラームの称号
Haji (メッカ巡礼をした男性)
Hajah (メッカ巡礼をした女性)
 
2.尊称
 
国王・サルタン     Duli Yang Maha Mulia(D.Y.M.M)
サルタンの王位継承者  Duli Yang Teramat Mulia(D.Y.T.M)
ペナン等の州長・大使  Tuan Yang Terutama(T.Y.T)
王族          Yang Mulia(Y. Mulia)
首相・副首相・州知事  Yang Amat Berhormat(Y.A.B)
国会議員        Yang Berhormat(Y.B)
裁判官         Yang Arif(Y.Arif)
Tun           Yang Amat Berbahagia(Y.A.Bhg)
Tan Sri         Yang Berbahagia(Y.Bhg)
Datuk/Dato*       Yang Berbahagia(Y.Bhg)
Haji          Tuan Haji
 
3.その他         
博士(Dr.)、Profesor(教授)、先生(Cikgu)、
Ustaz(イスラーム教師)、Imam(イスラーム指導者)
Encik(Mr)、Puan(Mrs)、Cik(Miss)、
Tuan Tuan dan Puan Puan(Ladies and Gentlemen)
 
4.用例
Yang Amat Berhormat Datuk Seri Dr. Mahathir Mohamad
  (尊称)     (称号) (資格) (名前)  (父親の名前)
Yang Mulia Professor Diraja Ungku A. Aziz
Yang Berbahagia Tan Sri Dato' Dr. Awang-Had bin Salleh
Yang Berbahagia Profesor Datuk Dr. Anwar Ali
 アラーの神の前では人間すべて平等なのだが、この地上では一つの秩序として、称号や尊称が生きていることは興味深く、日本の、時に行き過ぎた平等主義と比較して考えさせられることもある。このような言葉が生きているということは、人を「尊び」「敬う」という感情が民衆の中に残っているということでもある。  
参考
*1999年11月22日 私の名は「花子・太郎」
*マレーシアの称号・尊称についてより詳しく知りたい方は以下をご参照。
Malaysian Customs & Etiquette-A Practical Handbook(Datin Noor Aini Syed Amir, Times Books International 1991)
 前回のコラム「読者の広場(1)
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