「萬晩報」主宰者 伴 武澄のプロフィール
 思春期をアパルトヘイトの南アフリカで過ごしたことが、人生の転機となった。それまではラジオ少年で、電気関係のエンジニアになると漠然と考えていたが、白人社会の有色人種への差別を身をもって体験し、抜きがたい白人不信に陥る。早熟な日本への目覚めが始まった。ジャーナリストになる決意もそのころ生まれた。

  高校時代、父の任地だったパキスタンに滞在し、仏教文化の源流を訪ねた。帰途アフガニスタンからサマルカントなどソ連領トルキスタンを旅行し、チムール帝国の足跡などを踏査した経験を旺文社の「高一時代」に執筆した。日本中で吹き荒れた学生運動には嫌悪感を感じ続け、もっぱら「西域」を中心とした東西交流史に没頭した。

  探検隊を組織してタクラマカン砂漠を踏査するのが夢となった。戦前に西域での仏跡の発掘に貢献した西本願寺の大谷光瑞はあこがれの的だった。探検隊の夢は破れたが、1979年、中国が新疆ウイグル自治区のウルムチ、トルファンを訪ねた。8mmカメラで撮影したウイグル自治区の実状は瀬戸内海放送で放映された。NHKが「西域」シリーズを放映する1年前である。

   外信部志望がいつのまにか、経済部記者に。1988年からのアジア経済取材と89年からの日米構造協議 取材で、日本の深刻な構造問題に対する危機感が強まる。

【略歴】 ばん・たけずみ

      1951年 高知市生まれ。
      1953年 外交官の父の赴任でサンフランシスコへ。
      1958年 LagunaHonda小学校入学。
      1958年 帰国。武蔵野第一小学校転入。
      1964年 武蔵野第一中学校入学。
      1965年 父の転勤で南アフリカ共和国プレトリアへ、St.Alban's College転入。
      1967年 帰国。都立高校の編入試験に落ち、武蔵野第一中学校3年に編入。
      1968年 都立国立高校入学。 
      1972年 東京外国語大学中国学科入学。
      1977年 卒業後、4月共同通信社入社。5月大津支局赴任
      1979年 4月高松支局転勤。
      1982年 大阪支社経済部転勤。証券、エネルギー、電機など担当
      1985年 本社経済部転勤。大蔵省、外務省、通産省、農水省、労働省、鉄鋼、化学、
           流通・食品、電機・自動車を担当。この間、中国、東南アジアなど移動特派員。
      1996年 経済部次長。
      1997年 4月、大阪支社経済部次長。
      1998年 1月インターネットコラム日刊「萬晩報」を発刊。
      1999年 5月、本社報道部次長。
      2000年 4月、本社経済部次長。

【著書】

      「追跡NIES経済」(1989年9月、教育社)
      「21世紀のキーワード」(1990年12月、共著、TBSブリタニカ社)
      「コメビジネス戦争」(1995年10月、共著、PHP)
      「日本がアジアで敗れる日」(1996年10月、文芸春秋社)
      「萬晩報縮刷版1」(1999年3月、かぼちゃ)
      「萬晩報縮刷版2」(2000年2月、かぼちゃ)

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