樽井藤吉−号は丹芳−は1850年奈良県の材木商の家に生まれた。彼は明治維新の激動を目の当たりにして商人をやめ家出、ある人の紹介で西郷隆盛の食客になる予定だったが、征韓論で西郷が下野しうやむやになった。その後平田派の井上頼圀に国学を学んだ。
 明治11年(1878年)から14年(1881年)にかけて朝鮮近海の無人島を探し、その間に朝鮮にも立ち寄った。彼は征韓論を継承し、朝鮮近海の無人島を征韓の根拠地にするつもりだったが、その様な島は見付からず探検は徒労に終った。
 この探検の失敗の後、明治15年(1882年)彼は日本で始めて社会党の名を冠した「東洋社会党」を結成、しかし結成後一ヵ月で解散命令を受けた。彼は党の再建を図り活動したが、そのため一ヵ年の禁固刑に処せられた。
 出獄後、彼は玄洋社の平岡浩太郎(内田良平の叔父)らと交わり、また日本に亡命中の朝鮮開化派リーダーの金玉均に出会い、彼を助けて朝鮮政府打倒を目論み、朝鮮に玄洋社の浪人連中を送る計画を頭山満と立てたが、彼と頭山の計画はその約10年後、「天佑侠」として実現されたわけである。
 その最中の明治18年(1885年)大井憲太郎の大阪事件がおこり、樽井も一味と疑われ投獄された。釈放後も反政府活動を続け何度か投獄されている。明治25年(1992年)衆議院議員に選出されその在任中の翌26年に『大東合邦論』を刊行した。議員を辞した後は鉱山経営を試みたが振るわず、貧困のうちに大正11年(1923年)死去。晩年は不遇だった。享年73歳。(『東亜先覚志士記伝 下巻』)
Yorozubampo
 
大東合邦論
樽井藤吉

 白人の侵略に対抗しアジア連合をつくる第一着手として、日韓の合邦を呼びかげた先駆的著作。はじめ日本文で書いたが官憲に没収され、一八九三年にあらためて漢文で書いた。ここには国際情勢を説いた中間の部分を省き、元の漢文を読みくだし文に書き改めた。(竹内好『アジア主義』より転載)

 序言

 東方は太陽の出ずるところ、発育和親を主(つかさど)る。その神は青龍、その徳は慈仁。四仲に分かたば朝、四時に配すれば春たり。五行ここに始まり、七宿ここに位す。地球を東西二面に分かたば、西半球は南北アメリカニ大洲、東半球はアジア・アフリカ・ヨーロッパの三大洲にして、アジアは欧・阿の東にあり、日本・朝鮮はその最も東にあり。ゆえにその人、木徳仁愛の性を受け、清明新鮮の煦(めぐ)まれ、その性情習俗、西北粛殺の風に染むものと同じからざるは、けだし自然の理なり。

 日本は和を貴んで経国の標となす。朝鮮は仁を重んじて施治の則となす。和は物と相合うの謂(いい)、仁は物と相同ずるの謂なり。ゆえに両国親密の情は、もとより天然に出で、遏(とど)むべからざるなり。しかれどもその情いまだ甚だしく密ならざるは何ぞや。西人いわく「国家は無形の人なり」と。人のいまだ長ぜざるや、男女相愛の情いまだ動かず。国のいまだ開けざるや、彼此(ひし)相親の念いまだ興らず。たとい相愛の情内に動くとも、いまだ相疑の念を去るあたわず。これそのいまだ密ならざる所以なり。方今、世界は日に新たに、千里の行一日にして達し、万国の信は瞬間にして通ず。古は絶域(ぜついき)をもって目せるもの、今は比隣(ひりん)たリ。

 古は殊俗(しゅぞく)をもって待ちしもの、今は和親たり。わが日韓両国は、その土は唇歯、その勢は両輪、情は兄弟と同じく、義は朋友に均(ごと)し。しかして両国の形勢日に開明に赴く。また何すれぞ相疑わんや。東方文明の曙光、すでに両国に映射す。しかして迷夢いまだ覚めず。依然古に泥(なず)むは、時務を知るものというべからず。よろしく一家同族の情を表わし、相提携扶持してもって当世の務めに従事すべきなり。そもそも一指もって持すべからず、隻脚もって行くべからず。智識を発達せしめ、もって開明の城に進まんと欲せば、両国締盟して一合邦となるに如かず。和は天下の達道なり。天地間、あに和して成らざるものあらんや。

 合邦の制はギリシャ国に始まる。しかして現時の欧米諸国、制をここに取るもの多し。しかれどもわが東方諸国は古よりいまだかつてこの制有らざるなり。ゆえにあるいは妄誕(もうたん)無稽をもってこれをあなどる嘲るもの有らん。それ魁春(かいしゅん)の花は残霜に傷つけられ、先機の言は庸耳(ようじ)に沮(はば)まるるは、余もとよりこれを知れり。しかれども強弁巳(や)まざるは、おのずから巳むべからざるの理の有って存すればなり。新奇の説は境遇と気連の相会するに由って発すること、なお草木の花、風土と気候の相合するを待って開くがごとし。いわゆる天、人をして言わしむるものこれなり。もしそれ渇者は水を夢み、飢者は食を夢みるがごときは、その境遇の人意を衝動するの証なり。斉国、功を重んじて管仲(かんちゅう)出で、魯国、仁を貴んで孔子生まる。

 インド以西の俗、鬼道を信じて、釈迦、耶蘇、マホメット等興れり。これ、境遇のその人を鎔造するの証なり。コロンブスの西半球を発見し、ワットの蒸気力を発見せるもまた、当時の気運と当時の境遇との、その思想を衝動してついにその功を奏せしめたるものなり。その他俚謡俗曲の瑣屑(させつ)なるもまた、時運と境遇とにしたがって音調を成さざるはなし。いわんや国体の大かつ重なるにおいてをや。今日、余の合那説を首唱するもまた、気運余をしてこれを言わしむるのみ。余、あに徒(いたずら)に弁を好むものならんや。議するものあるいはいわん「合邦の事は言うべくして行なうべからず」と。これ庸人の言のみ。それ鷄鳴いてのち天曙(あ)け、説出でてのち事成る。

 古よりいまだ説の事と時を同じゆうして成れるものは有らざるなり。初め迂遠にして事情に闊(うと)かりしも、他日急務となれるもの有り。初め異端邪説にして、他日清議となれるもの有り。初め府誣妄虚誕にして、後世確説となれるもの有り。説なるものは原因のごとく、事なるものは結果のごとし。およそ説の行なわるるは、早晩の異有りといえども、これを要するに境遇と気運とに由ってしかるのみ。ゆえに初め至難の事に属するも、機に投ずれば容易に行なうを得。不急の務のごときも、勢に乗ずれば必須の要となる。ゆえに古来、先憂の士は名誉を当世に求めずして、知己を千歳のもとに待つなり。日韓合邦のこと今日に成らずとするも、他日あに合同の機無からんや。宇内(うだい)の大勢についてこれを察するに、二国おのおの独立するは千歳の長計にあらざるなり。いわんや彼此(ひし)対峙して相容れざるをや。あるいはいわく「合邦の説はしか実に是なり、しれどもその体、ドイツに倣って友国連邦となすや、イギリスに擬(なら)って同治合邦となすや、北米合衆国の制に取って主権会盟となすや、そもそもまた会盟邦国の制に従うや、いまだその適従するところを知らず」と。これ当然の疑問なり。

 余もとより定見の存する有り。しかれどもこれを今日において述ぶるを欲せず。何の故ぞや。時機すでに熟し、両国の與論出ずれば、具眼の士あってこれが処理をなさん。ゆえに、余はただ宇内の大勢、世態の変遷、列国の情況、両国古来の交渉、政治の本原および合邦の利害、清国との関係等を叙して、読者をして択ぶところ有らしめんと欲するのみ。その事宜(じぎ)に至っては、のちの識者に俟(ま)つと言う。

 国号釈義

 語にいわく「名正しからざれば言順(したが)わず」と。またいわく「名は実の賓(ひん)」と。名と実と相待つは、影の形におけるがごとし。しかれども、天下の物は、名まず表われてのち、実これに従うもの有り。実まず現われてのち、名これに従うものあり。けだし、有形の物は形まず存して名従って生ず。無形の理は、名まず定まって実従って挙ぐ。物の質あるものは、無名なるもおのずから存す。事の質無きものは、名無くんばもってこれを表わすなし。本論は無形の想像に出ず。ゆえにまずその名を正して、しかるのち実をもってこれに従わしめんとするなり。

 本論の主旨は、日韓両国をして一合邦たらしむるに在り。ゆえに題して日韓合邦論というも不可なきなり。しかれども、二国合同の実を挙げんと欲すれば、これを徹に慎まざるべからず。けだし名称の前後、位地の階級に因って彼此の感情を損(そこな)い、もって争端を啓(ひら)くは古今その例なしとせず。たとえば、昔アドリア人、ローマ人と同盟してマケドニアを征す。時に一詩人ありて凱旋を賀するに、その詩句アドリア人をもってローマ人の上に置く。二国ついに隙を生じ相戦う。もって見るべきなり。いわんや新建国の称においてをや。けだし彼此同等は交際の通義なり。ゆえに万国公法を説くものは、土地の大小、人民の多寡をもって階級を立てず。いま両国の旧号に拠(よ)らずして、もっぱら大東の一語をもって両国に冠するは、この嫌いを避けんと欲するのみ。欧洲の連合諸邦も、旧名を各州に存し、総称をその上に冠す。いま両国の合邦もまた、おのおの旧号を用い、これを総(す)ぶるに大東の号をもってすれば、事体穏当にして、その間に隙を生ずること無きなり。

 そもそも合邦の称を大東となすは、また説有り。およそ国の称号は、地形をもって名づくるもの有り、土産(どさん)をもって名づくるもの有り、祥瑞をもって名づくるもの有り、外人の仮称をもって名づくるもの有り、君長の出身の地名および創業者、発見人等の姓名をもって名づくるもの有り。その類枚拳すべからざれども、要するにその由来を繹(たず)ねて適当の文字を択(えら)ぶのみ。いま合邦を称して大東となすは、両国将来の隆盛日の升(のぼ)るがごときを祝うなり。かつ、東宇の両国における由来また尚(ひさ)し。

 けだし日本の号は、東方の義に基き、韓人、都怒我阿羅斯および新羅王渡沙寐錦に始まる。渡沙寐錦は、けだし婆娑尼尼師今なり(尼師今は王の義にして、一説にいわく、日本人は新羅を称するに斯羅妓という、斯羅妓は日本語の白衣なり、韓人常に白衣を服す、ゆえに白衣国と称するなり、その王、尼師今は、日本語の錦なり、その国王を尊んで錦衣せるものとなすなり、ゆえに新羅および尼師今の語は、日本人の仮称を取ってもってこれに名づけたるなり)。神功四十九年、任那国を立て、日本府を置く。しかれども当時はいまだ日本をもって号となさず。孝徳天皇の時に至って始めて日本と号すと言う。けだし韓人の語を取ってこれに命じたるなり。爾来国人は東宇をもって別号となす。これを書名に用うるもの多し。朝鮮また東字をもって別号となす。その朝鮮を称せるは、上古檀君に始まる。太陽東に出で、朝気鮮明の義を取るなり。また東方の義に従うは知るべきなり。しかしてその国史中に『東国通鑑』『東国史略』あるもまた証とすべし。ああ、両国、東字を用うること符節を合するがごとし。

 あに天の夙(つと)に合邦の基を定め、千歳の上、冥々の中において両国の人士を啓導する所以にあらざらんや。これ余の大東の二字をもって両国合邦の称となさんと欲する所以なり。

 国政本原

 およそ事の必須に成るは万象の定則なり。国家は吾人の生息する処、何の必須に由ってこれを成すや。政治は吾人の安危の係わるところ、また何の必須有ってこれを設くるや。その原理を究めずんば、与(とも)に国事を論ずべからず。請う二政治学に拠ってもって国家の定義を説かん。

 古より国と称し国家と称し天下と称するものは、その指すところ各異なり、近年西学東漸し、すなわち社会の語有り。社会は、人々集合して協力分労あるものを謂う。その指すところ専ら事をもって主となすなり。国と称するは、境域をもって主となし、もっぱら人民を指さざるなり。しかして国家と称するは、土地人民を併せてこれを称す。即ち人々一定の地に生息し、協力分労あるものなり。天下と称するは、昔は一国を指して言えり。近世に至って世界万国の称となる。しかれども、文勢詞調より、社会と称し国と称し天下と称して国家の義となすもの有り。みな旧慣に因りて通用するも、正しき義にあらざるなり。

 そもそも国家の完全なるものは、土地に境界有り、居住に定所有り、庶民に制度有り、主権に自主有るを謂う。四のうち一を欠くも独立完全の国家と称すベからず。海島の蛮民のごときは、その土に境界有り、居住に定所有るも、制度なく主権またなくんば、これを国と称すべきもいまだ国家とは称すべからざるなり。水草逐(お)うの民、制度および主権有るも、その居に定所無く土に境界無きは、これを社会と称するは可なるも、国家とは称すべからざるなり。群盗一方に割拠するもまた国家と称すべからず。しかれどもその居住法度すでに定まり、邦国の体を備うるに至れば、これを国家と認めて可なり。それ主権なるものは、国家がみずから自外の事を処理し、命を他邦に聴かざるを謂う。自主なるものは、その主権を全有するを謂う。ゆえに上国に進貢するといえども、その主権を全うするものは自主の国なり。進貢せずといえども、他国に依ってもってその権を行なうものは、これを半主国と謂う。これ万国の通義なり。

 本論の第三章(人生大勢)に、人おのおの己れを愛するの心有って後人を愛し、ついに国家を成すの状(さま)を説けり。しかれども成国の要に至っては、なおいまだ説き及ばざりき。それ国家の本原に、自立、由来の別有り。土人みずから国を成すものは、これを自立本原と謂う。東亜のごときこれなり。移民の新たに国を成すものは、これを由来本原と謂う。アメリカ洲諸国のごときこれなり。二者は建国の状を異にすといえども、そのこれを致す所以は、要は同気相求め同類相依り、もって痛苦を除き安楽を保つにあり。同気相求め何類相依るにあらずんば、これを得るあたわず。ゆえに、人の国を成す所以は生存の必須に出ず。生存の必須は四要有り。いわく生命、いわく自由、いわく名誉、いわく財産。しかれども人に智愚有り、事に善悪有り。ゆえに四つのものの安全を保たんと欲せば、愚者は教えざるべからず、悪者は懲(こら)さざるべからず。ここにおいて智有る者を推してもって万事を平章(公平に治める)す。これすなわち国政なり。ゆえに政治は四者を保全するの必須に因って起こる。

 およそ政治に二訣有り。いわく勧善、いわく懲悪。勧善はすなわち教化、人をしてみずから正さしむるなり。夏后(かこう)の賞して罰せざるはこれに類す。懲悪は刑罰なり。殷人の罰して賞せざるはこれに類す。周は一代に鑑み、郁々乎として文なるかな、賞罰並び行なわる。孔子いわく「政は正なり」と。みずから正してのち、人を正すを謂うなり。後人政治の本を知らずして、ただ人を罰するをもって政治となす。朱熹いわく「政は不正を正す所以なり」と。英儒スペンサーいわく「政治は悪事の子孫なり、世に悪事有って政治生ず、いやしくも悪事無くんば政治の須要無し」と。また不正を正すをもって政となすなり。二儒の説、東西同義なり。

 しかれどもいまだ至当となすべからず。何となればそのもっぱら懲悪をもって政本となすは、教化をもって度外に付すればなり。それ教化は善を求むるの情に発す。刑罰は悪を除くの意に起こる。均(ひと)しく人世の必須に出ずといえども、その思念の発するところ、おのずから同じからず。堯舜の聖たる所以は、教化をもりて治を致せばなり。後世の堯舜の治に及ばざる所以は、教化と学芸をして並び進ましむるあたわざればなリ。英儒ミルいわく「道学はギリシャ古代に始まる、今にいたるまで一歩も進まず」と。わが東亜のごときもまたこの歎無きにあらず。それ悪を懲すは、人をして悪に格(いた)らざらしむるに如かず。いやしくも悪無からんと欲すれば、いずくんぞ教化をもってこれを導かずして可ならんや。教化を度外に置いて悪事を罰するは、なお食を禁じて飢者の起たざるを撻(むちう)つがごとし。孔子いわく「教えずして殺すはこれを虐と謂う」と。

 英国の仁人オーエンいわく「人の刑罰を犯す所以は、教育のその道を得ざると境遇の変とのこれをしからしむるのみ。しかして教育と境遇とは、他人と時勢とのなすところなり。犯す者において何の責めかあらん」と。これまたもって見るべし。その本を省みずしてその末を治むるは可ならんや。ヨーロッパの諸国みな国教有り、教化を主(つかさど)る。東亜の諸国は国教無し。いずくんぞ教化を政治の外に置くを得んや。しかれどもヨーロッパの現況は、年々数十億万全を軍事に費す。これ懲悪をもって政本となすの余弊なり。もしこの巨億万金を教化に用うれば、数年を出でずして罪悪おのずから消滅せん。しかしてその政また至善に進まん。しかれども時運いまだここに至らざるは誠に歎くべし。教化は徳なり。親和に属す。懲罰は権なり。競争に属す。

 『司馬穣苴』(しばじょうしょ)にいわく「正は意を獲(え)ざればすなわち権、権は戦いに出ず」と。それ悪は人を殺すより甚だしきは無し。人を殺すは戦争より大なるは無し。ゆえに権なるものは、人世最悪の処より生ず。戦いすでに権を生して、権、ついに政を執る。これ教化の日に衰えて、罪悪の日に長ずる所以なり。その弊ついに土地人民を挙げて君主一己(いっき)の私有たらしむるに至る。正道の湮滅、慨(なげ)くに勝(た)えんや。昔、古公亶父(ここうたんふ)は耆老(きろう)に属していわく「君子は人を養う所以をもって人を害せず」と。呂尚は西伯に謂いていわく「天下は一人の天下にあらずして、天下の天下なり」と。古の聖賢は、土地人民をもって君主の私有となさざりしことかくのごとし。夏人天下を庸愚の子孫に伝え、成湯兵を起こして天下を取りてよりのち、漸次この弊を致す。因襲の久しき、伯夷もなおこれを悟るあたわず。地と粟とをもって周王の私有となせり。いわんや後世の庸人をや。

 孔子いわく「習は性と成る」と。西人いわく「習慣は第二の天性なり」と。かの陋習の俗と成れる社会のごときは、智者といえどもその非を悟るあたわず。これ古今万国の免れざるところなり。古は殉死をもって忠義となす。近世支那およびインド婦人は、なお殉夫をもって貞となす。米国の土藩の一部族は、その親老衰して猟に堪えざるに至れば、これを殺してもって孝となす。台湾の蛮民は、人肉を食し、その髑髏(どくろ)を飾って功勲の徽章となす。これみな習俗に馴れてその非を悟らざるなり。あるいは重税を謀して小恵を施すをもって仁となし、あるいは国を窃(ぬす)むものを輔(たす)くるをもって忠となす。みな習俗のしからしむるなり。それ習俗の人民を愚にするは、泰の始皇の暴よりも甚し。政理に達するものは、よろしく務めて弊習を排すべきなり。その非を悟るものは、またよろしく自省すべきなり。真正の仁恵は、人民の福利を増進するにあり。真正の忠義は、その君をして神聖たらしむるにあり。人民小恵に馴るれば、卑屈に流る。君主小忠を喜べば、驕傲(きょうごう)に長ず。後世、不徳の君といえども、これを称して聖智英明となし、君その民を視ること犬馬土芥(どかい)のごとし。これ専制政治の積弊なり。人民のますます侫媚(ねいび)に、君主のますます驕傲となれる結果なり。察せざるべけんや。

 余、幼きとき、荘周の書を読みて、「鉤(こう)を窃む者は誅せられ、国を窃む者は侯となる、侯の門に仁義存す」に至って、ひそかに怪しむ。これ諧謔のみ、これ異端のみならんと。のちに柳宗元の文を読みて、「土に吏たる者はもって民を役するにあらず、民はその什一(十分の一の税)を出だして吏を傭い、平を我に司らしむ」とあるも、なおいまだ悟らざりき。泰西の諸書を閲するに及んで、翻然として憬悟(けいご)するところ有り。古より、君無くして民有るの国有るも、いまだ民無くして君有るの国有らず。今や世界は大いに開け、古の聖賢の公道は世に明らかなり。長上となり、官吏となり、人民となるものは、よろしく吾人の成国の大理に憑(よ)って、もって痛苦を除き安楽を保つの道を講ずべきなり。上位に在って民の痛苦を省みざるは、堯舜の道にあらざるなり。国人となって国家の安寧を図らざるは、聖代の民にあらざるなり。誠に上下(しょうか)一心、彼此親睦して吾人相関の幸福を進むべきなり。

 あるいはいわく「唐虞の禅譲は、これ共和政治の始めにして、周公の周官を制せるは、これ立憲政治の本なり」と。ああ。堯舜周公の道は、今日欧米に行なわれて東亜に行なわれず。欧洲昔日の野蛮は、化して今日の富国開明となり、東亜の諸国は萎靡(いび)振わす。古今東西、盛衰地を易(か)うるは、あにその国政の本を悟らずして、専制の弊を守るをもってにあらずや。西人いわく「王冠の重きは、人民の頭痛し」と。君主専制の厭べきを謂うなり。それ国政の本は、実に生存の必須を保護するに在り。いわゆる生命、自由、名誉、財産これのみ。生命を保つあたわざれば、何をもってその身を全うするを得ん。自由を保つあたわざれば、何をもってその志を遂ぐるを得ん。名誉を保つあたわざれば、何をもってその機能を顕すを得ん。財産を保つあたわざれば、何をもってその家を斉うを得ん。人民この四者を全うするあたわずして、国家よく独り振うもの古よりいまだ有らざるなり。国力の振わざるは、国政の不良に因る。国政の不良は、国本の固からざるに因る。国本の固からざるは、国民の蒙昧に因る。書にいわく「民はこれ邦の本、本固ければ邦寧し」と。

 今わが日本、万国歴代に監(かんが)み、もって君民同治の主憲政体を立つ。いわゆる周官を修整し、その文最も郁々乎たるものなり。しかれども国人なおいまだ痛苦屈辱無きあたわず。何となれば、民度進まず国力強からざればなり。およそ人の痛苦は、窮貧より甚しきは無し。国の屈辱は徴弱より大なるは無し。朝鮮のごとき、その政治なお君主専制にして、国力徴弱、その国民痛苦を感ずるは、また応に我と同じかるべし。いやしくも感を同じゅうせば、なんぞ同気相求め、同病相憐まざる。

 古言に謂う、「呉越の人、互に敵視するも、同舟して颶風(ぐふう)に遇わば協力してこれを防ぐ」と。今、わが二国は、なお宇内の一大風潮に遇いて、東洋に漂蕩(ひょうとう)する舟のごとし。その舟中の人を顧視すれば、同種の兄弟なり。呉越のかつて相敵視したるごときにあらざるなり。なんぞ協心戮カ(りくりょく)、もって颶風怒濤を防がざる。

 試みに見よ。現時富強を称するものは、必ず英国を推す。英国はもと三国の合邦なり。善政を説くものは、必ず米国を推す。米国もまた四十四州の連合なり。かつそれ圧制を悪(にく)み自由を好むは、人情の当然なり。

 西人言あり「自由はドイツの山林より生ず」と。それドイツもまた立憲の連邦なり。今日わが立憲政治、すでに美を尽せり。今一歩を進めて合邦とならば、これ善を尽すなり。朝鮮の政治は蠧秕(とひ)甚だ多し。わが立憲政治と相合すれば、積弊おのずから除かれ、その国の安寧、その民の幸福多弁を要せざるなり。合邦は両国の共和よりして成る。ゆえに立憲国の合邦は、名誉と懿徳(いとく)とをもって元気となす。およそ諸政体中、立憲合邦の制最も善美たり。これドイツ文化の欧米洲に冠たるゆえんなり。

 西人いわく「立憲共和の国は、億兆皆国を愛す、しかして君主専制国は、唯一人の国を愛する有るのみ」と。それ国力の強弱は、愛国者の多寡および愛国心の厚薄に関わる。しかして人民の気象は、国力の強弱に開わること大いに逕庭(けいてい)有り。いま欧米の人民、気象活撥にして宇内に雄飛するは、その国富強にして内に痛苦無ければなり。亜洲の人民、蟄伏(ちっぷく)して伸びざるは、その国貧弱にして内に痛苦有ればなり。ゆえに国光を外に発せんと欲すれば、よろしくまず国力を大にしてもって安全を図るべきなり。

 余ひそかに恐る。本草を読むもの、本章の意をもって君主の尊厳を害するものとなす有らんかと。請う、試みにこれを弁ぜん。およそ君主なるものは、国力の強大、人民の開明に因(より)て尊栄たり得るものなり。国力徴弱、人民浅劣(せんれつ)にして、国君独り尊きものはいまだあらざるなり。それ禽獣の王は禽獣たるを免れず、奴隷の長は奴隷たるを免れず。人口稠密(ちょうみつ)、土地広大なりといえども、その民卑屈浅劣ならば、君主あによく独り尊からんや。西人言う有りいわく「盲人の国王は隻眼の人なり」と。ゆえに国力を強め民度を進むるは、君主を尊ぶの道なり。いやしくも道理を解するもの、いずくんぞその生息の地をもって安楽の境となさざるを得んや。

 合同利害

 大地は円形なり。東面昼ならば西面は夜なり。しかして時運の回転もまた昼夜に似たるもの有り。昔、開明の太陽は、アジアの中天に輝けり。爾来西漸して欧米の半空に灑(そそ)ぐ。古、四表に光被せるもの、今、暗黒の夜半のごとし。古、蒙昧に彷徨せるもの、今、開明の日中に似たり。しかれども天運の循環は、往きて復(かえ)らざるは無し。亜洲の太陽は必ず再び東方より出でん。東方の時運を熟察するに、鶏すでに鳴き、天まさに曙(あ)けんとするの辰(とき)なり。わが日本は亜洲の東極に位す。よろしく先覚者となり、もって友国の迷夢を破り、これを富強開明の城に導くべし。これ東極に在って東号を冠するものの義務なり。

 いわんや親和合同は東人の天賦の性なるにおいてをや。

 大東の時運、それかくのごとし。わが大東人士、何の策をもって富国開明を致すか。ソロモンいわく「生殺与奪、集散離合は皆時有り」と。司馬徴もまたいわく「時務を知るは俊傑に在り」と。誠によろしくその時に察し、その務に従うべきなり。余、望み有り。すなわち人世の大勢を論じてもって国運の進行の状を明らかにし、世態の変遷を論じてもって将来の変動の予期すべきものを詳かにし、万国の状況を論じてもって国情の異動を弁じ、露・清の情況を論じてもってその懼(おそ)るべく慎むべきを示し、日韓の情況および二国古今の交渉を論じてもって合同せざるべからざるの理を析(あき)らかにし、国政の本原を論してもって吾人生存の必須を説けり。いやしくもこれを通読し、熟覧せば、俊傑その人を待たずして時務の緩急の存するところを知らん。

 およそ国家の事は興亡の二途有るのみ。興らざれば亡び、亡びざれば興る。列国競争の間に立ちて、亡びず興らずして百世安寧なるものは、いまだこれ有らざるなり。陋習に拘泥(こうでい)して、一時の安きを偸むは自滅の道なり。いやしくも自滅を欲せずんば、その国を興さざるべからず。その国を興すの策は、合邦の制に無くはなし。西人夙(つと)にこの制をもって、その国を興しその民を保つ。わが東人、またよろしくこの制を取って、もってわが国を興すべきなり。今、郵便、電信、鉄道、汽船その他百般の事物、すでにこれを欧米に取る。しかしていまだ興国安民の大計を取らざるは、あにその軽きを先にして、その重きを後にするにあらずや。

 欧米の諸国は、一個人制度たり。一個人制度は、一身をもって国本となすの謂(いい)なり。ゆえに、その人親愛の情おのずから薄し。東亜の諸国は、家族制度たり。家族制度は、一家をもって国本となすの請なり。ゆえに上下相保つの心最も切なり。ゆえに合邦は、もとより東方諸国に適するものなり。しかしていまだこれを取らざるは、時連いまだ到らずして、吾人みなこれを悟らざればなり。しかれども、今その必須の期すでに迫れり。いずくんぞこの制を取ってもってその国を興さざらんや。顧みるに、人おのおの見るところを異にす。ゆえにあるいは合邦をもって両国の不利となすもの有らん。いやしくも不利ならば、この説を用うべからず。両国中、はたして不利なるものありや。請う、あえてその利不利を論ぜん。

 わが日本国、合同をもって不利となすものあり。その一にいわく、朝鮮は貧弱の国なり、今あえてこれと合するは、これ富人の貧者と財産を共にするの理なり。その二にいわく、朝鮮は文化は洽(あまね)からず、百工興らず、智見また進まず、今これと合するは、交りを愚人に求むるの道なり。その三にいわく、朝鮮は、清・露に接土す、今これと合すれば、他日守禦(しゅぎょ)の費を負荷せざるべからざるなり。その四にいわく、今これと合すれば、わが国力を竭(つく)してもって朝鮮の開明を導かざるべからず、これ我を損し彼を益す、我の不利や知るべし。その五にいわく、朝鮮は気候不順にして水旱凶歉(凶作のこと)患、歳として有らざる無し、今これと合すれば、これを救護せざるべからざるなり。その六にいわく、朝鮮は政綱壊敗し、禍乱起こらんとす、今これと合すればその禍を受く。その七にいわく、朝鮮人は自主の気象に乏し、今これと合すれば、惰弱分子を伝えん、と。

 議者の言、一理無きにあらず。しかれども唯(ただ)その不利を知って、いまだその利を如らざるなり。朝鮮は貧弱なりといえども、その面積はわが国に半ばす。その貧は制度の不善に因る。もし合同してもってその弊を革(あらた)むれば、富もまた期すべきなり。古より、貧人の変じて富人となリ、弱国の化して強国となるもの、枚挙に暇あらず。現状を目してもって将来を侮るべからざるなり。文化開けず、百工興らず、智見進まざるは時運の致すところ。昔わが国は韓土に学びて今日の盛有り。

 今我の彼を導くは、徳に報ずるなり。いわんや教うるは半面は学ぶことなるにおいてをや。辺境の守禦を負荷するは、ただに朝鮮の守禦のみならず、また我の守禦なり。朝鮮にして他邦に侵犯せられば、合同せずといえども傍観すべからず。ゆえにいわく、朝鮮の守禦はすなわち我の守禦なりと。国カを竭(つく)して朝鮮の開明を導くは、その我を損するはもとより大なり。しかれどもこれを導くは、共にその利を享(う)けんと欲すればなり。朝鮮の利はすなわち日本の利、日本の利はすなわち朝鮮の利なり。いやしくも合すればあに彼我の別有らんや。

 水旱凶歉の多きは、これ人事の修まらざるに由る。これを修むればすなわち防虞(ぼうぐ)の方無きにあらざるなり。たとい合同せざるもまた、餓(草カンムリに孚=ひょう)野に横たわる有らば、よろしく交々(こもごも)これを救うはこれ友国の情誼なり。いま両国を合してもって氷旱を講ぜば、救恤(きゅうじゅつ)の費を節し、共に富強の域に進むを得るなり。また善からずや。朝鮮に禍乱の兆有るは、実にしかり。しかれども禍乱なるものは、人為なり。天造にあらざるなり。合邦の制成りてその弊革(あらた)まらば、また自然に消滅せん。自主の気象乏しきは、小弱の常なり。我と相合すれば強大を致す。強大を致さば自主の気象また発暢(はっちょう)するは自然の勢なり。かつそれ、これと相合すれば清・露と通商の便を得。これ我が第一の利なり。

 韓人は体躯大にして膂力(りょりょく)強し。ゆえにわが兵制を習い、わが兵器を用うれば、露寇を防ぐに足る。これわが第二の利なり。たといこの利無くも、両国の地勢は輔車唇歯(親密な関係)相依る。いずくんぞ相離るべけんや。国人かつて征韓論を唱うるもの有りき。それ戦ってこれを取らば、必ず国力を疲靡(ひび)し、もってその怨を買わん。論者これを知ってなおこれを取らんと欲するは、外人のこの地に拠るを恐るればなり。いま協議してもってこれを合するは、その大幸たる、はたして如何ぞ。けだし大公を持してもってこれを合すれば、我は兵を用いずして朝鮮を取るなり。朝鮮もまた兵を用いずして日本を取るなり。一将の功成らずして、万人の骨は枯るる無し。兵争に費すの資をもって、朝鮮の開明を誘(みちび)かば、これ怨を買わずして徳を樹(た)つるなり。合邦はあに日本の不利ならんや。

 朝鮮人にして合邦の利不利を論ずるものは、余いまだこれを聞かず。しかれどもこれをその国情に察するに、必ずこれを非斥せん。朝鮮人、かつて諸道に檄していわく「洋英侵犯せば、戦わざれば和、和を主んずるは国を売るなり」と。合同を議すといえども、ついにその耳底に達せざるは知るべきなり。しかれども、いわゆる和を重んずれば国を売るとは、戦うべきの国と戦わずして、和すべからざるの国と和するの謂なり。日韓両国は戦うべきの国にあらずして、相和すべきの国なり。相和すべきものと和するは、あに国を売るものならんや。しかれど、朝鮮人この説を聞かばまさに言わん、これ日本人の詭弁を弄してもって我を瞞(あざむ)くなりと。ああ。余を目するに詭弁の徒をもってするか。詭たり妄たり。余、その評するところに任せんのみ。あえて問う、余の論ずるところはこれを学理に徴して誤謬有りや、これを事蹟に証して虚誕(いつわり)有りや、これを道理に照らして乖戻(かいれい)有りや、これを時運に察して誣妄(ふぼう)有りや、これが利害を較べて損失有りや。

 余、朝鮮に代ってこれを観るに、唯その利を見てその不利を見ざるなり。それ日本人の称するところの七不利は、みな朝鮮の利なり。その他天の気候、地の膏腴(こうゆ)、風景の優美、国土の地位のごとき、彼此相較ぶれば、日本は朝鮮に勝ること遠し。これまた朝鮮の利なり国政の良否に至っては、その懸隔また弁を待たず。ゆえに、合同すればその国民の幸福は枚挙すべからず。しかして朝鮮王、永世の尊栄を保たんと欲せば、また日本と合同するに如かず。日本の皇統はもとより万世一系たり、国民忠誠の実想うべきなり。今これと兄弟(けいてい)の誼(よしみ)を結び、彼此並立すれば、その王統は日本国民の擁護するところとなり、もってこれを万世に伝うること、なお麻の中の蓬(よもぎ)のごとし。何となれば、合邦の制はその民たがいに各邦の君を尊奉すればなり。朝鮮王のためにこれを言うに、いずくんぞ賀せざるを得んや。ゆえにいわく、合邦の利は朝鮮をもって多しとなすと。

 両国通有の利を挙ぐれば、さらに言うべきもの有り。一にいわく、両国合同すれば一敵国を減ず。二にいわく、合回して大を致さば他邦より畏敬せらる。三にいわく、政治の最も公平なるは合邦たり、公を秉(た)らざれば合同成らざるなり。四にいわく、両国ますます親密を致す。五にいわく、対馬海峡の鎖鑰(さやく=戸締り)は、おのずから鞏固(きょうこ)たり。六にいわく、公使領事の費を節す。七にいわく、貿易、旅行、通達等の便を開く。八にいわく、最も清・露二国敬畏を受く、と。

 合邦の利不利は、また言を待たずして明らかなり。しかれども固陋性と成れるものは、かくのごとくなるを欲せず。事理を弁ずるの明無きをもってなり。小勇を恃むものは、かくのごとくなるを欲せず。その勇の用うるところ無きをもってなり。疑惑深きものは、かくのごとくなるを欲せず。畏懼(いく)の念甚だしければなり。仁心無きものは、かくのごとくなるを欲せず。庶民の幸福を願わざればなり。叛心を抱くものは、かくのごとくなるを欲せず。国本鞏固にならば、その非望達せざればなり。ゆえに本論を読みてもって同感の情を発するものは、憂世愛国の仁人なり、卓識明達の士君子なり。いまひそかに顧(おも)うに、両国の政府いまだこの説を唱うるもの有らず、なんぞ少しくこれを省みざる。これ経国の大計に非ずや。

 請う、眼光を放って天下の大勢を見よ。濠州は英の属地なり。その洲七国に分つ。ヘンリー・パークス有りて『邦論』を著わし、憲法を草し、その洲を独立の連合邦たらしめんと欲す。ヴィクトリアおよびニュー・サウス・ウュールズの二国は、すでにその議を決すと言う。意(おも)うに数年を出でずして七国連合を見ん。その合同を図る所以のものを聞くに、本国イギリスの、露国と釁(きん=戦争)を開き、露国の東洋艦隊、遽(にわ)かに濠州の虚を襲うを恐るればなりと。それ濠州は東洋の中に僻在す、しかも北陲(ほくすい)の露国を畏(おそ)る。いわんや露国に接壌するもの、いずくんぞその力を合してもってこれを防ぐの策無きを得んや。しかりといえども、合邦は両国の一大事業なり。軽挙妄施すべきにあらず。もし依然対峙してもってよくその隆盛を保つの良策有らば、すなわち旧に依って変わらざるも可なり。いずくんぞ合同を要せんや。

 二国の群賢はたしてこの良策有りや。けだしいまだ有らず。これ本論のやむを得ざる所以なり。朝鮮のためにこれを言うに、さらに反省すべきものあり。余、かつて『東国通鑑』に「高勾麗秘記」を載せたるを読む。いわく「九百年に及ばずして当に八十大将有ってこれを滅ぼすべし」と。「秘記」はもとより信ずるに足らず。しかれども、高氏漢代より国有っておよそ九百年。唐の将、李勣(しゃく)、年八十にしてついにこれを滅ぼす。「秘記」はたして験あり。朝鮮にまた讖言(予言)有りていわく、「李氏は五百年」と。今すでに五百年を過ぎたり。讖言中(あた)らざればもとより賀すべし。しかれども政綱紊乱(びんらん)し治化敗頽することなお朽牆(きゅうしょう)のごとし。

 一朝風雨有らばいずくんぞ破壊無きを得んや。よろしく深思熟計もって興国安民の大計を講ずべきなり。もしその計を失わば、まさに言うに忍びざるもの有るべし。試みにこれをわが日本に徹するに、開港以来二十余年、幕府ついにこれがために亡ぶ。しかして明治維新以後、民権(人民の有すべきの権利を謂う)自由の説勃然として起り、ややもすれば政府に抗す。しかれども過激に至らざるは、わが皇室国民の宗家たればなり。朝鮮の政治はわが幕府よりも酷なり、しかしてその王室は国民の宗家にあらず。ゆえに民権自由の説、一たび国人の脳中に入らば、仏国革命の惨状無きを保すべからざるなり。このごろ聞く、東学党、信教自由の説を唱うるは、けだしその兆なり。その君祖宗五百年の祀を絶つを欲せず、その民王家五百年の恩を忘るるに忍びざらば、よろしく未雨綢繆(みうちょうびゅう=禍を未然に防ぐ)の策を講ずべし。

 今、朝鮮にここに慮(うれ)い及ぶ志士無くして、余が徒をしてこれを憂えしむ。忠愛の志何ぞ他邦人に如かざらんや。この時に当り、振興の大計を画かんと欲せば、我と相合してもってそのカを籍(か)り、その短を捕うの一事有るのみ。朝鮮の人士、なんぞこれを日本に求めざるや。日本のこれを朝鮮に求めざる所以は、合邦の利は朝鮮をもって多とすればなり。しかれどもこれを深思して熟計するに、我もまた利有り。しかして天の大勢はその必須を促す。必ずまさに数年を待たずしてこれを唱うるもの有るべし。時運はよく人をしてこれを言わしむるものなり。ああ。両国の志士仁人、今日をもって何らの時となすか。合同の機会いまだ至らずといえども、その時連はすでに至れり。時運に従うものは興り、従わざるものは亡ぶ。わが国のさきに朝鮮の開港を促せしも、文明の曙光その門に映じたればなり。よろしく蹶起してもって旭日を迎うべし。西諺にいわく「右手左手を洗う、両手その面を洗う」と。わがアジア諸国の睡眠もまたすでに久し。しかして日韓はなお両手のごとし。なんぞこれを合してもって両目を一洗せざる。

 連合方法

 なすべきの事業を言うものは、よろしくなすべきの方法を説くべきなり。合邦の制は、これを古今連合諸国に徴するに、いまだ一定の法有らず。おのおのその国情に随って、その宜を利するのみ。しかれども、相依り相輔けてもって内治を保ち、外侮を禦ぐの目的に至っては、すなわち一なり。そもそも合邦なるものは、協議して約を立て、もって各邦を合し、各邦人民をしてその合成せる一統国の大政に参ずるを得しむるものなり。しかしてその要は、各邦の自主自治の政をして、均平に帰せしむるに在り。もし甲邦独りその権を全うして、乙邦これを全うするあたわざらば、すなわちその乙邦は亡滅に異ならず。両邦その権を行なわずして、合成国もっぱらその権を行なうも、両邦人民をして均しくその大政に参聴するを得しめば、彼此(ひし)平等なり。現今、各国その外に行なうの権は、すなわち合成国これを秉(と)り、その内に行なうの権は、すなわち各邦みずからこれを秉るもの多し。今、これら諸例を挙げて、もって読者の参観に供せん。

 およそ邦国連合は、事をもって相合するもの有り、君をもって相合するもの有り、邦をもって相合するもの有り、主権をもって相合するもの有り。邦をもって相合するといえども、他邦の立つるところのものあり。イオニア諸島の合一のごとし。英・墺・普・露の四国、仏都に会して章定を定め、これをして命を英国に聴かしむ。これいまだ全備の合邦と称すべからず。何となれば、他邦の保護を仰いでもって国を成すは、また他邦の保護に頼り、もってその主権を行なえばなり。数種の民種同じく一君に服して、一国の体を成すもの有り。漢土の満人における、黄・黒・赤各種人の白人におけるがごときこれなり。これその各民種、自治自立の権無し。ゆえにいまだ合邦と称すべからざるなり。

 藩属の邦、自主自治の権有り。しかれどもその人民、その宗国の大政に参ずるを得ず、またいまだ合邦と称すべからざるなり。封建の制、州各主有り。しかして各州その法律を異にす。ほとんど連合邦に似たり。しかれども封建は大国の分権なり。まず大君有って各州を統轄す。合邦は小邦の集権なり。合同まず成って後、各州を統轄するもの有り。ゆえに封建は、合邦とその本源を異にす。

 事をもって相合するものは、事尽きて盟おのずから滅ぶ。会盟の国これなり。およそ会盟の制は、各国の主権各国に存すること固より妨(さまたげ)無し。その公議もまた、ただちに法度となってその人民を制するあたわず。必ず各国のこれを許すを待って、しかるのち法度となり、これを自国に行なう。周代の五覇の会盟、六国の合縦がごときもまたこれに類す。しかれども五覇の会盟は盟主有り、六国の合縦は盟主無し。蘇秦六国の相印を帯ぶといえども、盟主にはあらざるなり。昔、ギリシャの数邦、各その政体を異にし、もってギリシャ一国を保ちしもまた、事をもって相合するものなり。その他会盟の例ははなはだ多きも今これを略す。

 昔、英国、オランダ王を奉じて君となす。英国王もまたかつてハノーバーを兼ね治む。ポーランド国はかつて露帝を奉し、露帝はポーランド王の号を兼ぬ。唐の太宗もまたかつて天可洋の号を兼ぬ。現今、ノールウェー国はスウェーデン王を奉ず。ハンガリー国はオーストリア帝を奉ず。これらはみな、君身をもって相合するものなり。しかれどもその国の庶政を合するに非ず。ゆえに、いまだ合邦と称すべからざるなり。ただその外に行なうの権のやや合邦に類するのみ。ハンガリー、ボヘミア、ベネチアはかつて相合してもってオーストリア帝を奉じ、みずから擅(ほしいまま)に分離するを得ざりき。しかれども各固有の国憲治法有り。これ君身をもって相合するの連邦なり。

 ドイツ連邦は、邦をもって相合するものたり。しかしてその相合するや、各邦の自主自治の権を損する無く、一に均平に帰す。しかして衆邦これを允(ゆる)さば、新邦またその中に列して連邦となるを得るなり。スイスもまた邦を以て相合するものなり。そのヌーシャテルは、実にプロシア王を奉してもって君となしてスイス共和の連邦に列す。連邦の主権は国会に在り。国会は、連邦議会・スイス議会の二院より成り、その国会議員はその国の公民これを選挙す。その各州の自治権は、ドイツに較ぶれば更に大なり。ゆえにその制もまた、ドイツと別有り。メキシコもまた連邦共和国なり。各州その自治に任じ、中央政府は立法・行政・司法の三権を統ぶ。これスイスと別なるものなり。

 主権をもって相合するものは、ブリテンのごときこれなり。その国はスコットランド・アイルランド・イングランド三邦をもって相合し、その主権の内に行なわるるものと、外に行なわるるものと、君位制法と、みな合成統一の用に帰す。ゆえにその制は、ドイツ・スイスと別なり。北米合衆国もまた合成の国、主権を亡秉り、もって同盟各邦を制す。英国と相似たり。しかれどもその国は君主有ってこれを統ぶるにあらず。その盟約は、各州の庶民合議の帰するところたり。しかして各州自治の権もまた、英国と同じからず。南米のベネズェラは合衆国に倣って国制を立つ。しかれどもその各州は自治の権有ること、厳然たる独立国のごとし。しかしてその合同するところは、外侮を防ぐに在り。その内に行なわるるの権は、合衆国と同じからず。

 邦国連合の制、その一定せざることかくのごとし。新たに合同を図るものは、よろしく新機軸を出だしてもって彼此の便を開くべきなり。もし両国約を立て、これを行なうこと数年にして情形なおいまだ便ならざるもの有らば、すなわち更に制を解きてもって旧に復すもまた可なり。もしそれ他日の禍を虞(おそ)るるときは、よろしくこれを盟約章程に記すベきなり。自主自立の国、相依り相輔けてもって安寧福利を図り、他人の鼾陲(かんすい)を容れざるは、これ万国公法の通義たり。

 今、朝鮮国王、実に清廷に臣事す。しかれどもその国の自主、すでに万国の認むるところとなる。いずくんぞその民をして他邦の奴隷たらしむべけんや。国と君とはおのずから別なり。ゆえに日本と連合するは、もとより害するところ無きなり。合邦はもと、公明無私をもってこれを行なう。正大の情、天人に貫く、屑々(せつせつ)疑擢の心を懐いてこれを軽議すべらざるなり。

 合邦の事、余さらに一言せんと欲するもの有り。方今、天下の大勢は漸次大団結を至せリ。後世宇内一統の国有るも、また必ず合邦の制に従って興らん。ゆえに今この制を施さば、これ宇内一統国の模範と成るものなり。大東合邦を画するものは、よろしく良制を定めてもって偉績を万世に伝うべきなり。

 清国はよろしく東国と合縦すべし

 競争世界の大勢を観るに、よろしくアジア同種の友国を合して、異種人と相競争すべきなり。合同を要するもの、何ぞ日韓に止まらんや。余これを朝鮮に望み、清国に望まざるは、故無きに非ず。清国の情、いまだ許さざるところ有ればなり。そもそも合邦の制は、その集合するところの各邦、みなその自主を全うし、その人民をして一統国の大政に参聴するを得しむ。日韓合邦は、もとよりかくのごとくならざるべからず。もし清国と合するもまたかくのごとくならざるべからず。しかれども清の大国を到せるはもと協議してもってこれを合せるにあらず。

 今わが東方と合し、わが東方をしてその大政に参ぜしむるときは、すなわちまた漢土、韃靼、蒙古、西蔵の諸邦をしてその自主を復し、その大政に参ぜしめざるべからず。清廷これを許さば可なり。もしこれを許さざれば彼此平衡の権利を得ず。それ平衡を得ざれば、必ず不満を抱いてもって分離の念を発せん。つらつら清国今日の情を察するに、そのいまだこれを許さざるや明らかなり。すなわちいまだ事に合邦を講るべからざるなり。ゆえにわが日韓、よろしく先に合して清国と合縦し、もって異種人の侮を禦(ふせ)ぐべし。合縦は合邦とおのずからその制を異にす。いま清と合縦するは、彼我妨ぐるところ無し。前章に支郡の情況を論じ、その富強開明を望みしは、あに他有らんや。相提携して大いになすあらんと欲すればなり。

 わが国清国の富強開明を望み、清国これをわが東方に望んでもって相親しまざれば、共に永遠不測の禍を受けん。西人、東方に海陸二強国有りと称す。すなわち日本・支那これなり。東亜に幸いにしてこの二強国有って、わが黄人種の威厳を保つ。もし黄人中この二国無くんば、かの白種人まさにわがアジア全洲を蹂躙(じゅうりん)し、わが兄弟黄人を奴隷にすること、アフリカの黒人と何ぞ択ばん。二国の任、重かつ大なりと謂うべし。昔、秦は斉と善くして楚を伐つ。田膠、斉王に謂いていわく、「秦は虎狼なり、天下の強国六、秦已にその西を取る、存するところ斉と楚のみ。今、秦あに誠に斉を愛して楚を悪(にく)むならんや。斉と楚ともし合すれば、なおもって秦に敵するに足る。地をもってこれを言わば、楚は近くして斉は遠し。遠交して近攻するは泰の宿計なり。ゆえにまさに楚を伐たんとしてまず斉と善くし、もってその援を絶つ。楚亡べば斉それよくひとり存せんや、よろしく楚を援けてもって秦に抗すべきなり」と。斉王聴かず。泰はたして楚を滅ぼし、遂に斉を伐ってこれを滅ぼす。今、わが二国の東亜に在るは、これ世界の斉楚なり。相合すればなおもって白人に敵するに足る。しかも終に白人の二国を離間するを悟らずして可ならんや。

 かつて聞く、清廷わが国連日に進むを嫉視し、陰にわが国を擯(しりぞけ)け、朝鮮をして英人の保護を受けしめんと欲すと。その説は、上海の「申報」に載せたり。ああ、清廷、鴉片の乱以来、英人の侮辱を蒙ることいかばかりぞや。今、英領濠洲およびカナダは入港頭税を清人に課す。しかして清廷は問わざるなり。知らず、何の恩有って異種の英国に厚きや、何の怨み有って同種の日本に薄きや。そのわが国を擯(しりぞけ)くるの言にいわく、「日本は恃むでもって露を防ぐに足らず」と。英国と相結んでもってこれを防ぐに如かず」と。けだし英人は籠絡甘言して清人を誘惑し、わが二国を離間するなり。今、清人はたしてわが日本の強盛を忌んで、恃んでもって露を防ぐに足らずとなすか。もし清人をしてわが歓心を失せしめ、わが国をして露国と結ばしめば、英国の東洋艦隊もまたあに恃むに足らんや。いずくんぞ同種の友国と協和してもって異種人の侮(あなどり)を禦がざる。

 昔は一国をもって天下となし、今日は世界をもって天下となす。今日の同種国は、なお昔の一国のごとし。また何ぞ斉楚の別有らんや。よろしく時運に察してもってその規模を大にすべきなり。たとい斉楚の別有るも、その輔車唇歯の友国たるは論無きなり。君子はその友の富栄を費し、小人はこれに反す。ゆえに交友の善悪はすなわち自己の善悪たり。君相は国家を代表するものなり。よろしく君子をもってこれに処るべく、小人となってその国名を汚すべからざるなり。大東合邦の事、清人よりこれを観れば、友国の富強隆盛の基を開きたるもの、義としてよろしくこれを賛助すべきなり。今、日韓相合するも、土地の広狭、人口の多寡ははるかに清国に及ばず。何すれぞ顧忌するところこれ有らんや。しかれども君子は常に少なくして、小人は常に多きは古今万国の通患なり。清廷これを賛助せんと欲すといえども、また必ず異論有ってこれを防止せん。請う、異論者の非計なるを言わしめよ。

 日韓両国は自主の国なり。自主の国、協議締盟してもって和合を図るは、もとより公通の条理、正明の大典に拠るなり。清国あに喙(くちばし)を容るるべきならんや。今みだりに喙を容るるは、これ万国公法の条理に乖(そむ)く。もし朝鮮王の清廷に臣事するのゆえをもって、あえてこれを防止せんか、朝鮮は日本と合するといえども、国王の清廷に臣を称するは害するところ無きなり。スイスのヌーシャテル、プロシア王を奉じてスイス連邦に列するも、プロシア王、これがためにその威厳を損ぜず、スイス国またこれがために国権を害せざるをもって証とすべし。各国の例に拠るも、往々にして国と君とはおのずから別有り。いずくんぞ君主一身のゆえをもってその合邦を害するを得んや。

 清人あるいは言わん、「万国公法は空理なり。その法を執ってこれを行なうは誰ぞ。そのよくこれを行なうものは勇武のみ。いやしくも自国の利害に関す。いずくんぞ異議あらざらんや」と。ああ、清国は古の聖人の邦土に拠り、その子孫たり。しかして公通の道理に遵(したが)わず。余深く清人のためにこれを悲しむ。かつ利害についてこれを察するもまた害するところ無し。いずくんぞ少しく省せざる。そもそも清の太祖は不世出の明主なり。その深慮遠謀は、後人の企及すべきにあらず。太祖、ふたたび朝鮮を襲ってこれを陥れて、その国を滅ぼさざるは何ぞや。朝鮮の兵強くして、よくこれに克(か)たざるのゆえにあらず。また博愛慈仁の心をもって、これを襲うにもあらず。太祖の志、西南に在って東方に在らざればなり。

 当時朝鮮は明氏に臣事す。ここをもって背後の患を断たんと欲してこれを滅ぼさざるは、朝鮮の惰弱柔軟これを取るも益無きを知ればなり。朝鮮に明に報ずるの議有りといえども、清軍の背を衝(つ)くあたわず。果たして太祖の期するところのごとくんば、いま清廷に臣事し清廷これに恃むも、何ぞ明これに恃むの益無きに異ならんや。およそ事の益無きものは、必ず後害有り。今、朝鮮、清に敵するの心無く、惰弱頑鈍もってその俗をなすといえども、一朝にして白人の拠るところとならんか、清国の利害はたして如何ぞや。清国の長計は、その恃むに足らざるものをして、恃むに足るものたらしむるにあり。朝鮮の恃むに足らざる所以は、その国の貧弱に因る。彼、いま日本と合してもってそのカを養わば、その気宇おのずから活達となり、恃むに足らざるものを変じて、恃むに足るものとなさん。

 大東合邦の事、清国に益有って害無きや、かくのごとし。何の疑擢(ぎだく)するところ有って、その間に容喙せんとするや。けだしこの挙にして成らんか、それ不利を感ずるものは清国にあらずして、必ず泰西の白人なり。何となれば、彼、清国を寄窺する(うかがう)やすでに久し。もし日韓をして盛大を致さしめば、これ清国の強援たるなり。いわんや東国と清国と合縦して、彼の豕蛇(しだ)の念いよいよ伸びざるにおいておや。清廷よろしくここに察すべし。清国今日の憂は、実に西南および北方に在り。もし策を東方に失すれば、四面みな敵となる。他日内乱有らば、何の恃むところ有ってその四疆を保たん。今、清国その惰弱不断の朝鮮をして、貪婪無厭(どんらんむえん)の狡奴(こうど)に委せしめんと欲するは、これ虎をして羊を育てしむるなり。彼、清国有事の時を窺って、もって自己の餌食に供すや必せり。ゆえに朝鮮をして恃むに足るの友国たらしむるは、清国今日の急務なり。

 わが日本人、つとに白人の非望を察す。ゆえにかつて興亜会(興亜会は、わが友曾根俊虎と、清人王トウ(革へんに滔のつくり)らと謀ってこれを創設す。事は三十余年前に在り。現今、東亜同文会と称す)を設けて、もって異日アジア合縦の基を立てんと尠(すく)なから欲するもの有り。清・韓の会に入るものまた尠なからざりき。必ず、日人の志の同種人の連合を保つに在るを知るもの有らん。余、大東合邦の事を論ずるもまた衆邦入会の門を開くに在り。あに他意有らんや。よろしく狐疑の念を去ってもってこの挙を賛助すべきなり。これと合縦を約して患難相救わば、その東方の勢、自然に堅牢となり、一意西人の陸梁を制するを得ん。ゆえに日韓合邦の挙を害せんと欲するは、これ自国の長計を知らざるなり。

 余、さらに清国のために一言せんと欲するもの有り。それ清国は、満人の兵力をもって諸大国を併せて成るところのものなり。その各邦の民族は、漢人をもって最多となす。漢族は、外形はこれに服すといえども、いまだ必ずしも心服せるにあらずして、恢復の念を抱くものまた寡(すく)なからず。しかして、今日満漢の強弱は昔日と相反するもの有り。顧(おも)うに、今日戦争の勝敗は、身体の健軟、膂力の強弱に因らずして、もっぱら器械の精粗に因る。その精鋭の利器は、これを海外諸国より購(あがな)うもの多し。

 今、清国は漢族の居る所皆海に浜し、満人の根拠は海浜より遠し。かつ清国今日の富は、南方の漢族に在り。ゆえに恢復を謀るものは、必ず南方より起らん。この時に当って、清廷、英・仏の兵を仮りてもってこれを鎮めんとするも、英・仏はたして常に恃むべきなりや。彼の根拠はすでに東亜に在り。その報酬もまた昔日に同じからず。しからば何をもってこれを待たんや。およそ反を謀りて兵を挙ぐるものは、あらかじめ勝敗の数を算えて起つ。ゆえに算少なければ叛かざるなり。今、清国わが東方と合縦して根本鞏国とならば、叛心有りといえども起つあたわず。これ兵を労せずして漢族の心を制するなり。清国の平安を慮(はか)るものよろしく思いを致すべし。

 欧州の白人、東方を覬覦(きゆ)するものは、英・仏・露三国最も熾烈(しれつ)たり。しかして日本の尤(もっとも)も畏るるものは露国たり。露人かつて樺太島に潜入し、遂にこれを略す。清廷の畏るるところもまた露国たり。しばしば北辺を侵し、ますます豕蛇の慾を逞しゅうす。今、清国、露境と相接するの地最も多く、まさに先にその毒牙を受けんとす。

 この時に当って、日・韓一国となり、清国と合縦すれば、露国の東洋艦隊も対馬海峡を過ぎで支那梅に入るを得ず。百隻の鉄艦何ぞ轍鮒(わだちの水たまりの鮒)と異ならんや。しかして清兵、イリ、パミールの疆に出で、露兵を東西交通の路に断ち、日・韓の海陸兵、露の東海岸を襲撃せば、清国はただに黒龍江州の地を復するのみならず、また極北氷海に境土を拓くを得て、満洲根拠の地は金城湯池のごとくならん。また何ぞ英に頼んで露を防がんや。清人なんぞこの長計を慮らざる。

 清国に北顧の虞無くんば、よろしく図南の大計を立つべきなり。余請う、さらに清国のためにこれを言わん。それその祖宗の征服するところの人民をして、永遠に屈蟄(くっちつ)伸びざらしむるは、けだし祖宗建国の志に非ず。祖宗の軍その勇を恃み、もってこれを圧伏せるは、小をもって大を制せしもの、已(や)むを得ざるの勢なりき。すでに服従すれば、これを愛撫するの情理、もとよりしかるべきのみ。

 今、漢族の内に謀叛するの心をして、大いに外に伸ばさしむるは、すなわちこれ禍を転じて福となすなり。漢族の志、外に伸ぶるを得れば、みずから慰むるところ有らん。いずくんぞその心をして外に転ぜしめざる。これなし得るの事にして、能わざるの業にあらず。かつ安南のごとき、もとよりその藩属国にあらずや。よろしくこれを援けてもって自主独立の権を復せしめ、さらにシャム・ビルマを連合し、マライ半島をして白人の羈絆(きはん)を脱せしめ、大いに鉄道を興し、本国およびインドとの間の交通を開き、その土人を懐柔してもって英人の驕慢を挫き、大義を唱え、もって同種国民の倒懸を解かば、四方の諸国招かずして来たらん。これ反面の敵を変じて側面の援となすものなり。

 清廷はたしてこの志有らば、わが東国またまさに清と道を分ってもって南洋諸島の拓植均霑を謀り、その蕃民をして文明の雨露に均霑せしめん。しからばすなわち数十年を出でずして、アジア黄人国の一大連邦を致すべきなり。わが黄人、天然肥沃の大洲に生まれ、白人に数倍するの口数有り、しからば競争世界に処してまた畏るるに足るもの無し。

 今、わが日人、南洋諸島をして白人の束縛を脱せしめんと欲す。しかれども朝鮮と合してもって露国に備え、清国と約してもってその労を分かたずんば、独力の及ぶところに非ざるなり。わが日人、もとより親和をもって人生当務の要となす。あにその道を拡充し、もって各種人に及ぼすの念無からんや。かの白人、わが黄人を殲滅せんと欲するの跡歴々として徴すべきもの有り。わが黄人にして勝たずんば白人の餌食とならん。しかしてこれに勝つの道は、同種人の一致団結の勢力を養うに在るのみ。世界今日の大勢を察すれば、能仁氏といえどもまた慈眼もて白人を視るあたわざるなり。必ず歳月を待たずして、各種人の同盟軍を興すの日を見る有らんのみ。これ大勢の向うところ、時運の致すところなるは、第六章の所論のごとし。余、本論を草して、同種人の内に親和して異種人と外に競争せんことを欲するも、また世運の自然なり。読者これを察せよ。(竹内好訳)


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