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国債発行の無意味なルールとルール違反(1)

1999年11月23日(火)
萬晩報主宰 伴 武澄



 前回、「経済新生対策」の危うさについて書いた。2回に分けて、以下の5項目について国債発行のルールを解説したい。難易な表現をさけるようにしたいが、少々難しくなる。

 (1)借金を収入と考える日本政府の一般会計予算
 (2)禁じ手を合法化するため毎年制定される特例国債法
 (3)境界線が見えない赤字国債と建設国債
 (4)無尽蔵であり得ない国債発行
 (5)大蔵省が繰り返す国債償還のルール違反
 (6)国債依存度の無意味なパーセント

 第1の論点は「建設国債と赤字国債」であり、第2は「国債依存度」についてである。第1の論点は新聞紙上でもときどき解説されるが、萬晩報が問題視しているのは「建設国債と赤字国債の境界線が不鮮明」になっていることと、緊急避難的にのみ許される赤字国債の発行がここ20数年間、恒常化しているという点である。臨時・暫定国家の面目躍如たるところがあるのだ。

 ●借金を収入と考える日本政府の一般会計予算
 日本の一般会計予算で特異なことは歳入と歳出が同じであることである。アメリカの2000年度予算が成立したばかりであるが、アメリカでは歳入と歳出の金額は違うのが普通である。ここ数年前までの恒常的赤字財政に悩まされていた時代のアメリカの連邦予算では歳入の不足分を「財政赤字」とはっきり明記していて分かりやすかった。

 その赤字を埋めるのが「国債発行」であるから、国債=借金が当たり前の認識となる。ところが日本では違う。「歳入の部」に「税収」などと並んで、なんと「国債」というの一項目がある。企業会計では「収入」と「支出」があり、その差し引きが「利益」となり、マイナスの場合を「赤字」という。

 民間企業が「収入の部」に「借金」の金額を盛り込んだとしたら間違いなく社会的失笑を買うだろう。家計とて同じことだ。ところが大蔵省の論理ではこの「赤字」が「収入の部」に計上されているということなのである。

 そして不思議なことは、そんな予算書がなんの批判もなく20数年間もまかり通ってきたことなのだ。これについては、東大を頂点とした財政学の碩学たちの知的怠慢と批判したい。また大蔵省の発表のままに報道してきたマスコミにも責任の一端がある。

 ●禁じ手を合法化するため毎年制定される特例国債法
 萬晩報はこれまで、財政法を持ち出して、日本の法律で借金で歳出をまかなってはならないことになっていることを指摘してきた。建設国債ならよくて赤字国債はいけないという議論があるが、そもそも国債に色はない。両方とも原則的に禁止されているのだ。

 ただ建設国債に関しては「第4条」の「例外的措置」として

「但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる」
とあるだけで、原則は
「国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない」
ということなのである。

 一方、赤字国債は財政法にもない規定である。だから政府は「特例国債」と呼ぶ。具体的には「公共事業費、出資金及び貸付金」以外の歳出、簡単に言えば「将来、国民の財産とならない出費」のために発行する国債のことである。

 何遍でも言おう。赤字国債の発行は財政法上で「禁じ手」なのだ。この「禁じ手」を政府は「特例国債」と呼び、マスコミが「赤字国債」と呼ぶ。だから「建設国債」はよくて「赤字国債」はいけないととのように論じられてきた。

 現実に歳入が不足した1965年度から政府が「特例公債」と呼び始めた。法律で認めていない、赤字埋め合わせのための公債を発行するためにそれ以降ほとんど毎年「特例国債法」という法律を制定して違法行為をしのいできた。

 へんな話である。もはや赤字国債を含めて国債発行なくして日本の財政が成り立たないのなら、財政法を改正すればよさそうなものである。そうしたら赤字国債を禁止した法律に反する法律を毎年のように制定する矛盾から逃れられるというものだ。

 ●境界線が見えない赤字国債と建設国債
 大蔵省が財政法を改正しようとしない理屈も分からないわけではない。財政の最後の砦を失ったら、政治家の言うがままに財政赤字が膨れ上がるという危機感があるに違いない。だがここ数年の事態を振り返れば、もはや財政の規律などないに等しいのである。

 特に小渕政権になってからの大盤振る舞いは目を覆うばかりである。1995年以降、相次いで大蔵省幹部のスキャンダルが発覚してからというもの、もはや自民党の暴走を止められる勢力はいなくなっている。

 例えば、昨年秋の経済対策で打ち出された6兆円減税を例に赤字国債と建設国債を分けて考える意味のないことを説明しよう。大蔵省は「減税の財源は赤字国債」と説明した。ここにも先に説明した「歳入の部に借金の項目を盛り込む」大蔵省的発想がある。減税は支出ではないから「財源」というのも分かりにくい。

 本来は次のように説明しなければならない。「減税によって歳入不足となるため、教育費とか社会福祉費などを国債発行によってまかなう」と。こうすれば大蔵省が言う「財源」の意味が分かろうというものだ。

 しかし税収に色がないから、国債でまかなう部分がどの歳出項目なのかはまったく分からない。健全な財政を運営していたとしたら、理論的には「公共事業費」にあてることだって考えられる。たまたま当初予算で公共事業費は全額を国債でなかなうことになっているだけのことである。

 これはレトリックではない。大蔵省が建設国債と赤字国債を分けて考える理屈が破たんしているだけのことである。

 そもそも自民党政権にとってもはや建設国債も赤字国債も見境はない。金融不安解消と景気回復のためには、なりふり構わぬ財政出動で対応することのなんのためらいもないからだ。

 もう一点、建設国債でまかなわれる公共事業が「将来の国民の財産」になったのは遠い過去の世界である。住民が嫌がるダムを建設したり、意味のなくなった埋め立て事業などは、30年前の計画通り粛々と進められているではないか。

 景気刺激策としての公共事業という概念は「穴を掘ってまた埋める事業」とイコールなのである。財政出動という言葉にこそ、この「穴を掘ってまた埋める事業」というイメージがぴったりくると思いませんか。景気刺激策としての公共事業こそが、大蔵省が嫌がる「赤字国債」の範疇なのだ。


 1999年11月26日(金) 国債発行の無意味なルールとルール違反(2)

 1998年11月28日(土) そうだったのか国債って国が買っていたんだ!
 1999年01月25日(月) 国債という日本の打ち出の小づち(1)
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