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マレーシアで仲秋の月に想う

1999年09月23日(木)
マレーシア国民大学講師 Mikiko BAN



コンドミニアムの敷地の中で、マネジメント・オフィスのイップさんに会った。 

 「あら、今日は大学へ行かないの?」
 「今、学生たちは試験中、もうすぐ休みなの」

 「休みは日本へ帰るの?」
 「そうね、10月に入ったらね。両親の顔も見たいし・・・・」

  「日本はどんな季節?」

  「秋よ・・・とてもいい季節。なんというのかしら、気分が澄んでくる季節ね・・・」
 「ふぅーん」

  「マレーシアはとってもいい国で、何ひとつ不自由しないけど、この『四季』だけはとても恋しく思うことがあるわね」

  ・・・・・・・・・

  「初めの頃は、季節がない方が煩わしくなくていいと思っていたし、多彩な文化に目を奪われて退屈することはなかったけれど、5年を過ぎた頃かな、日本の四季がとても恋しく思えてきたの・・・」

  「私は日本の友人に『日本の四季は神様みたい』だって、いつも言っているのよ。イスラームの人がアザーン(イスラーム教徒に祈りの時間を知らせる呼びかけ)の声を心のふるさとと感じるように、日本人は精神的に四季とともに生きているのよ」

  「常夏の国にずっと住んでいても、私にとって4月は単に4番目の月じゃなくて、厳しい寒さから解放される『春』で、命が甦る希望の月だし、10月は酷暑の後の安堵感に満ちた『秋』、生死を繰り返していく人間や自然の命の循環を考える、哲学の月なんだわ」

  「この、季節の循環を1回「パス」する度に、私は日本から、そして日本人であることから離れていっているような気がするの・・・。モスリムが断食やお祈りをさぼった時の感じと似ているのではないかと思うんだけど・・・」

  気がついたら、一人芝居をやっていた。南国の木陰で、私は相手には理解し難いノスタルジアに浸っていたのだ。

  濃淡が美しい緑の葉たちが、さわさわと昼下がりの交響曲を奏でていた。そして、遠くではショッキング・ピンクのブーゲンビリアの花びらたちが華麗に揺れていた。

  「ところで、マレーシアにも『秋』があるのよ。わかる?」
 「・・・・・」 

  「『中秋節』!!少し早いけど、今夜、となりのプランギのプールサイドで"Mid-Autumn Festival"があるのご存じ?月餅と中国茶の食べ放題、提灯行列、中国伝統音楽の演奏もあるわ。是非、いらしてよ!もちろん、無料。夕食は出ませんけどね」

  今年の中秋節(旧暦8月15日)は9月24日にあたる。マレーシアではTanglung(灯篭)Festivalともいい、中国系コミュニティーにとって、中国正月に次ぐ大切な祭りだ。

  8月末頃から、ショッピング・センターやスーパーなどの一角には中秋節コーナーが出来、月餅や中国茶を売っている。異文化間の交流が深まっている昨今では、モスレムの人たちも食べられる「ハラール」の月餅も出回るようになった。ハラールとは、イスラームの教義にかなった食べ物のことで、この場合は豚の油など使っていないものを言う。

  そう言えば、数日前には、学生から"Happy Tanglung Festival!"という動画のe-mailカードが届いた。古代中国の女性が月の上で月餅をパクパク食べているユーモラスなアニメーションで、横でうさぎがちょこんとすわって悪戯をしていた。いくつかある、中秋節の伝説をもとにしたものだ。

  伝説1 ・・・ 大昔、太陽は10あった。人間は暑さで苦しんだ。弓師のHou Yiが太陽たちを制御することになった。しかし、Hou Yiは天の命にそむいて、9つの太陽を矢で射ってしまった。罰を受けたHou Yiは人間となって、地球に追放された。妻のChang Erも後を追った。

  ある日、Hou Yiは一人で飲めばどこでも飛んでいけ、二人で飲めば永遠の若さと命を与えられる妙薬を手に入れた。地球に来てからのHou Yiの貪欲さに絶望したChang Erはその薬を飲み、一人天に戻って、荒涼とした月の人となってしまった。今も人々は月を見ると、Chang Erを想う。

  伝説2 ・・・ 1352年、漢民族は「元」の支配に対し反乱を計画した。決起の日は8月15日と決められたが、問題は蒙古人に知られずに、そのことを仲間に伝えることだった。ある者が、その時期皆が食べる月餅にそのメッセージを入れることを提案。この案は見事に成功し、漢民族は戦いに勝って、明の時代を成立させた。

  夜、コンドミニアムのプールサイドで催された中秋節を覗いてみた。美しい熱帯植物や噴水に囲まれたプールサイドがライトアップされ、日本人や欧米人などの家族連れをはじめ、マネジメントの人たち、フィリピンやインドネシアのメイドさんたちも加わって、賑やかに夜祭りが繰り広げられていた。

  こってりした餡のお菓子と「春露」という名の中国茶の香り、中国琴や胡弓の物寂しい音楽、提灯を手にした子供たちの喧騒、人種、世代を超えた人々の混在。ふと天国の風景を思わす、平和な光景だった。

  その夜、月はまだ半月だったが、心なしか、ひときわ冴えて見えた。帰り道、私は阿倍仲麻呂の歌を口ずさんでいた。

  20歳の時、遣唐使留学生として中国に赴いた仲麻呂が、30年後、帰国の途中で暴風雨にあい、安南(ベトナム)に漂着、船上で詠じた歌である。

  天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも

  中国人の民族としての「郷愁」の念に私自身の想いが重なり、中秋の月を抱く夜空は深い碧色の大海原に見えてくるのだった。


参考:Hou Yi=後い(「羽」の下に「サ」)、Chang Er=(嫦蛾)。
   Yiの字がJISコードにないのでアルファベット表記しました。

   マレーシアで、太陽暦とともに併用されている太陰暦については
   「マレーシアでなお息づく中国の農暦新年」をご覧ください。


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