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お祭り騒ぎの台湾選挙戦・観戦記

1998年12月11日(金)
萬晩報事務局長  岩間 孝夫


岩間さんへ

萬晩報へ
あなたは目の読者です。

 台湾が挙選で燃えていると聞き、自分の目で確かめたくて台北へ飛んだ。台北はかつて90年8月から1年間住み、その後も仕事で度々行く。友人も多くなじみの深い大好きな町だ。

 今回の各種選挙のうち国際的に注目されたのは、立法院(国会)議員、台北市長、高雄市長の三大選挙。日本で言えば総選挙、東京都知事選、大阪府知事選が大接戦の状況下で同時進行するようなものだった。12月4日(投票前日)、5日(投票日)、6日(結果確定日)の三日間に見て感じたことを、特に私自身、関心が高かった台北市長選挙を中心に報告したい。

 ●民進党の輝く星VS国民党の若きホープ
 12月4日昼ごろ、中正国際空港に着いた私は、空港バスで市内に入り、友人の家に向かうべくタクシーに乗った。台北市は市議選も重なり、道路や建物のいたるところに立候補者の名前を書いた旗や看板が所狭しと立ち並んでいる。

 そのにぎやかさは半端じゃない。何しろ私が住んでいた頃には葬式の行列にストリップが出るくらい威勢良くやるのは大好きなお国柄だ。台湾の名誉のために付け加えるとさすがにストリップはその後やりすぎだということで見られなくなった。

 今回、台北市長選に立候補したのは馬英九(国民党)、陳水扁(民進党)、王建暄(新党)の三氏。しかし最終日の時点で実質的に馬英九と現職市長陳水扁の一騎打ちとなっていた。

 馬英九(48歳)は台湾大学卒業後、ハーバード大学へ留学。博士号を取得して、帰国後蒋経国総統の秘書となり、93年から3年間、法相を務めたこともある国民党の若きホープ。英語を流暢に話し、かつての人気映画スター田宮二郎に似た甘いマスクで女性層にも人気は高く、以前、台湾の男性の同性愛者たちから「恋人にしたい有名人男性」ナンバーワンに選ばれたこともあるいい男。父親は外省人で元国民党幹部。

 かたや陳水扁(47歳)は野党である民進党の輝く星と言われ、同じく台湾大学卒業の本省人。2年後に実施される総統選挙の有力候補で、党は違えど、同じ本省人の李登輝総統はこの人に本当は引き継いでもらいたがっていると、影でまことしやかにささやかれている人物。

 四年前市長に当選の後、混乱のひどかった台北市内の交通状況を大幅に改善し、けばけばしくピンクがかっていた夜の町を健全化したり、その行政手腕は70%を超す市民から高い評価を得ていた。マスコミによる世論調査での支持率は、馬英九38.2%、陳水扁34.3%と馬英九がややリード。後は浮動票の行方がポイントだった。

 ●陣太鼓とアジ演説と花火、ラッパが
 さっそくタクシーの運転手から情報聴取をする。世界中どこの土地でもタクシーの運転手は有力な情報源だ。ちなみに顔と体つきを見て、言葉を聞けば本省人と外省人はだいたい見分けはつくし、結構これが会話の役に立つ。

 「陳水扁は勝ちそうかい?」
 「分からないね」
 「馬英九が優勢みたいだけれど、彼は外省人だろう?」
 「台湾人は団結するのが下手なんだ。それに、党でなく人で選ぶ者もいる」

 また彼によると、タクシーが選挙期間中、馬英九の旗を立てて走ると1000元から2000元(1元=4円)もらえるという。民進党支持者の多いタクシー運転手は、前回選挙で陳水扁勝利の大きな原動力になったにもかかわらず、今回は馬英九の旗を立てて走るタクシーがけっこういる。

 「どうして陳水扁の旗を立てたタクシーはないの?」
 「国民党は金持ちだ。民進党は金がない」

 何人かの台湾人の友人からひとしきり状況を聞いた後、夜は市政府前で行われた陳水扁陣営の最終総決起集会に行った。巨大なステージには煌煌とライトが照らされ、スピーカーはボリューム一杯だ。会場周辺には大小さまざまな陳水扁応援旗を手に手に持った人々が埋め尽した。降りしきる雨にもかかわらず数千人はいるだろう(翌日の新聞には2万人から3万人集まったとあった)。

 音楽あり、陣太鼓あり、アジ演説あり、花火あり、ラッパあり、大歓声あり、ものすごい熱気だ。日本でも頼まれて4、5回選挙の決起大会に行ったことがあるが、こんな熱気は見たことない、始めてだ。いやでも血沸き肉踊る。

 最後の支援を求めて気勢を上げる応援演説が次々と続き、嫌が応にも決戦ムードが高まる。旗がぎっしりと立ち並ぶ光景は、川中島決戦の直前はかくやありなんという感じだ。

 それだけの賑わいに商魂が出てくるところがさすが中国人。プラスチックのラッパ管に噴射スプレーを付けボタンを押すと自動的にブーという音が出るスプレーラッパが1個200元(約800円)。これが良く売れる。傘売りもいるし、食べ物屋台もずらりと並び、まるで祭りの縁日だ。そんな集会は夜の12時まで続いてやっとお開きになった。

 ●「go go! 馬英九、go go! 馬英九」の大合唱
 翌5日は投票日。時間は午後4時まで。投票率はさすがに高く台北市長選挙80.9%、高雄市長選挙80.4%、立法院議員選挙68.1%だった。即日開票で夜9時半ごろには結果が判明するというので夜8時ごろ、今度は馬英九陣営の選挙本部へ行った。

 道幅50メートルぐらいの道路に巨大なステージとスクリーンを作っている。銀座大通の4丁目から6丁目ぐらいを歩行者天国にしてそこでやっているような感じだ。

 数千人の人々が手に手に大小さまざまな馬英九の旗を持ち、帽子をかぶり、Tシャツやハッピを着て歓声を上げている。老若男女あらゆる世代がいたが、若者が結構多いのに驚いた。翌日の新聞によるとやはり数万人集まったらしい。すでに馬英九が約1万票ほどリードだ。

 大スクリーンに得票数が映り、馬英九の得票が伸び、陳水扁との差が広がるたびに大歓声が上がり、やはり今日も売っている1個200元のラッパが鳴る。それが2、3分おきだ。この間ずっとアップテンポで調子の良い馬英九テーマソングががんがん流れ、それにあわせ旗を振り振りタイミング良く「go go! 馬英九、go go! 馬英九」の掛け声がかかる。

 得票数が40万、50万と伸び、差が3万、4万、5万と広がっていく毎にさらなる大歓声が上がり、ラッパが鳴り、花火が上がり、爆竹が鳴る。大合唱も「恭喜!恭喜!(おめでとう)馬英九!」、「万歳!万歳!馬英九!」と変わっていく。もう興奮のるつぼだ。

 甲子園の阪神応援団と早慶戦の応援団とJリーグサポーターをみんな足したような感じだ。そしてその興奮は、勝利が確定し勝利宣言をするために馬英九が壇上に登った夜10時半ごろ、最高潮に達した。その場はもちろん、町のあちこちから爆竹と花火の音が鳴り響いた。

 ●大阪でノックを敗るには上沼恵美子しかおまへん
 翌6日日本へ帰るためホテルを出てタクシーに乗った。

 「陳水扁負けたね」
 「没辧法(しかたない)、総統選挙の準備をしたらいいよ」

 そう、まことに彼らの気持ちの切り替えは早い。

地元各紙の分析によると馬英九の勝因は、前回の選挙では分裂した同根の国民党と新党が、今回新党から候補者が出ているのにもかかわらず、民進党に対抗するため馬英九当選に向け団結したことと(前回の選挙でも国民党と新党の票を合わせると、当選した民進党・陳水扁の票より多かった)、国民に圧倒的に人気のある李登輝総統が再三応援に出馬、特に本省人の多い旧市街地を念入りに回ったことが大きいそうだ。

 また、総人口に占める割合は約14%だが、台北市の選挙民比率では約30%の外省人はその約90%が馬英九に投票したそうである。外省人は国民党か新党を支持し民進党を支持しているのは本省人、ということはかなりの確率で言えても、その逆は必ずしも真ならず、といったところか。

 帰りの機上で読んだ日本の週刊誌や新聞がたまたま来春行われる大阪府と東京都の知事選挙について書いていた。今のところ横山ノック、青島幸男の両知事は再出馬するつもりはあるのにまだ出馬表明はしておらず、一方反対陣営も対抗馬の人選は目処が立たないらしい。

 特に大阪は横山知事の人気が高く、負け戦さの可能性が極めて高い戦いには誰も尻込みして出馬しようとしないらしい。ちなみに横山知事は当選後、初登庁した日に選挙中の公約を取り消したのだが、そのことを覚えている人はもうあまりいない。

 私も住むそんな大阪で、横山知事を破る最後の秘策は、ある落語家によると「上沼恵美子を出すしかおまへん」のだそうだ。ああ、わが日本。(IWAMA TAKAO)

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