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MKタクシーの革新性を報道してこなかったマスコミ

1998年05月07日(木)
萬晩報主宰 伴 武澄

 京都市のMKタクシーの青木定雄オーナーに昨年会った。タクシー料金の値下げを実現して有名になった人である。お役所と業界が青木さんの革新性を阻んできたのだと思っていたら、マスコミもそのひとつだったというのである。1994年、MKの値下げタクシーが走り出す前のことである。

 ●聞くことは『経営が成り立つのですか』ばかり
 「マスコミは『ホントにできるんですか』『経営が成り立つのですか』ってばかり聞くんです。業界団体でいろいろ聞いて来るんだろうけど、従業員の待遇が下がったり、事故が多発するんではないかというような否定的な質問しかしないんですよ」

 20数年の記者経験から、その光景が目に浮かぶようだった。すべてとはいわない。記者クラブで飼い慣らされたマスコミは、かなりの確度で役所とか業界団体は公平で公正だと信じている。筆者もある時期まで信じてきた。信じないことには発表ものすら書けないことになる。MKの言い分はこうだった。

 「一割値下げしても、実車率が一割上がれば水揚げは変わらない。値上げの度に実車率が減少して、京都市の現在の乗車率は50%を切っている。MKはそれを60%にしようというのだから値下げしてもやっていける」

 県庁の役人や業界団体の専務理事が発言すれば、そのまま記事になる。しかし青木さんが言うと、記者はまた「ホントかな」と条件反射する。そりゃそうだ。言葉は乱暴だが、青木さんはつい最近までタクシー業界のアウトローとしか見られてこなかった。役人がそう言い、業界団体が目の上のたんこぶと思ってきた。そもそも主要なマスコミは取材にすら行かなかった。

 経営者も労働団体もそして、マスコミまでは「安売り=競争激化=質の低下=安全運転の低下」という論理を自然に受け入れた時代である。日本だけではない。マスコミの習性は、騒ぎを増幅する一面も持っている。そしてみんなが行くところにみんなで行く。逆にだれかが行かないとだれも行かない。筆者もやってきたことだからあまり偉そうなことはいえない。

 ましてタクシー業界のコスト計算などは、特定の分野を長い年数担当した専門記者でないかぎりほとんど不可能。だから、結果として青木さんの言い分にマスコミはだれも耳を貸さなかったことになる。

 ●日本のタクシー業界はMKタクシーから変わる
 日本のタクシー業界はMKタクシーから変わるといっても間違いない。一律料金の打破には10年以上の年月がかかったが、1972年に「ありがとう運動」を始めたお陰で、京都市のタクシーはだいたい愛想が良くなった。MKは先進的に障害者割引料金を導入した。観光タクシーでは英語を話す運転手も多い。修学旅行にタクシー利用をすすめたのもMKだった。近く「路線タクシー」も京都の町に出現するだろう。

 ことしから東京でMKタクシーが走り出した。新しいタクシー業者の参入は何十年ぶりだという。値下げどころか、いままでは新規参入すら難しかったのだが、実はそんな重大な問題をわれわれは長年にわたり報道してこなかった。問題意識すらなかったと言っていいのかもしれない。だが1990年代の規制緩和で少しは流れが変わってきた。青木さんの主張が一つ一つだが政策として実現しつつある。

 インタビューの終わりに、青木オーナーは韓国出身であることを打ち明けた。終戦前に日本に渡り、苦学してガソリンスタンド経営に乗り出し、タクシー業界に進出した。MKの由来は経営していた「ミナミタクシー」と「桂タクシー」の頭文字を取った。

 多くの同僚にそんな話をした。「記者として食わず嫌いはだめだ」という意味を込めたつもりだった。どうもわれわれは考える座標軸を間違えてきたようだ。今日は自己反省のコラムになった。

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