企業経営の最近のブログ記事

 6月26日の日本経済新聞の1面トップ記事「通販市場、コンビニ・百貨店抜く 08年度、8兆円強に」は驚きの内容だった。そのうちネット販売は7割を超え、総額は6兆2300億円と前年度比22%も伸びており、このまま推移すれば数年内に10兆円も射程圏内だ。

 問題はネット消費が政府の景気指標にほとんど反映されていないことだ。ネット通販は野村総研の調査に基づくもので、百貨店売り上げなど業界団体が毎月発 表する"公"の資料でないが、もはや景気指数として無視できない。これほどのボリュームの消費が景気指標からもれているということは、政府が発表する景気 の実態に信憑性が薄れてきているということにもなる。
--------------------------------------以下は日経新聞の記事------------------------------------------

 通信販売市場が成長している。 2008年度の全国売上高は推定8兆円強と、コンビニエンスストアや百貨店の規模を抜いたもよう。自宅や外出先からパソコンと携帯電話を使いインターネッ ト経由で注文する比率が7割以上に達する。このネット通販をけん引役に市場全体は00年度に比べて3倍強に膨らんだ。働く女性・高齢者の増加や自宅で買い 物を済まそうとする傾向など消費構造の変化をとらえており、成長が続きそうだ。

 カタログ・テレビ通販主力の企業でつくる日本通信販売協会の販売データと、野村総合研究所のネット通販に関する調査を基に集計した。
 ダイヤモンド社の友だちの大木由美子さんが社内ベンチャーで「メンターダイヤモンド」を立ち上げた。主に学生向けのサイトで、20代のリーダーマインドを養成するのが目的。

 元商船三井会長で郵政公社初代総裁の生田正治氏をインタビュアラーに経営者の言葉を引き出す「グレートメンター」と、経営者と学生の生の出会いの場をつくる「学生記者クラブ」がサイトの両輪である。 発想が実にユニークで興味もあったので夏から暇を見つけて「メンター」に出入りしている。

 グレートメンターでは 奥田碩前トヨタ自動車会長、孫正義ソフトバンク社長、瀬戸雄三元アサヒビール会長、井上礼之ダイキン会長とそうそうたる経営者のインタビューをすでに終えている。

 学生記者クラブは、東京在住の大学生約10名が参加し、春から月1回の例会を続け、自ら人生の滋養となる「言葉」を求めて活動を開始し、9月からはそれぞれの体験にもとづくブログも始めた。これがけっこうおもしろい。

 たまたまなのかもしれない。メンターダイヤモンドに参加する学生と接して思うことは、みなしっかり自分の考えを持っているということである。人生を前向 きに模索しようと生きる若者と過ごす時間は筆者にとってもえ難い経験なのである。(伴 武澄)

 以下、最近のメンターダイヤモンドの井上礼之ダイキン会長の「異質を是とする」というインタビュー記事です。



生田正治 - 井上さんは、多種多様な社員に各々チャンスを与えながら適材適所を考えて才能を引き出していくという、いわばダイバーシティマネジメントを実践されてこられたのではないかと思います。井上流ダイバーシティマネジメントについての考えをお聞かせ願えませんでしょうか。

井上礼之 - ダイバーシティマネジメントというのは、2種類あると思っています。
 1つは、年齢や性別、国籍、身体に障害があるかなど異質な人たちをどうマネジメントしていくかということ.
 もう1つは、昔と違って同じ日本人でも働く価値観が多様化している。その人たちをいかにマネジメントしていくかという問題です。

生田 - 大事な指摘ですね。国籍や性別など、一見して違う人たちに対しては、関心がいきやすいですが、そうではなく「同質」のはずだった日本人そのものも多様化している。それらを踏まえたうえで、マネジメントしていくことが企業力につながる。

井上 - はい。私は日頃から、同じ色の絵具は混ぜても同じ色にしかならない。いろんな色の絵具を混ぜることにより、飛んでもない色が出てくる可能性があるということを言っております。

生田 - そうそう、企業としては、その飛んでもない色こそがイノベーションの起爆剤になる。同質なものと同質なものがぶつかり合っても、同質なものしか出てこない のだけども、異質なもの同士がぶつかり合うことによって、第三の新しいものが創出されると思います。ダイバーシティマネジメントが重視され始めた背景に は、急速な経営環境の変化がありますね。

井上 - は い。国内市場だけ見ても、消費者ニーズは多様化していますし、ましてや海外進出した先では、その国の多様なニーズに合わせていかないといけない。そうい う経営環境にあっては、ダイバーシティマネジメントをいかにうまくやるかということは、非常に重要な経営の要素だと思います。
 そのためには、たとえば買収した国の社員の多様性を大事にすることから始めないといけないと思っています。いいかえれば価値観も、人種、国籍、年齢、性 別も違う人たちの多様性を「是」とするマネジメントをやるということです。
 出る杭を打たないで出る杭を是とする。個性を生かしていくことが大事です。

生田 - 社員の個性を大事にし、動機づけて奮い立たせていくということ。それはタレントマネジメントといういい方もできると思いますが、井上さんのお話を聞いていますと、ダイバーシティマネジメントはタレントマネジメントの前段として必要なことがわかります。

井上 - おっしゃるとおりです。タレントマネジメントと申しますと、特別な才能を持った人材を活用することだと思われがちですが、どんな人であろうが他の人のまね のできない才能を少なくとも1つは持っています。それを生かして、どれだけその人の意欲を向上させて企業の戦力をしていくかということが、真のタレントマ ネジメントの重要なところだと思います。

生田 - 次回(Power Word 08)ではそれをどうやって実践されているのか、お話を聞きたいと思います。

 生田正治商船三井元会長による「グレートメンターインタビュー」
 ダイキン工業会長井上礼之氏
 続きを読む http://www.mentor-diamond.jp/ms/inoue/index.html
  「バドワイザー」で知られる生産・販売量で世界3位の米ビール最大手アンハイザー・ブッシュは13日開いた取締役会で、世界2位のベルギー、インベブから 持ちかけられた総額約500億ドル(約5兆3300億円)の買収受け入れを決めた。両者が14日発表した。世界市場の4分の1を握るトップの巨大ビール メーカーが誕生する。【共同通信】

 ダイナミックだなと思った。思い出すと筆者がビール業界を担当したのは1990年代前半。アサヒのドライがキリンを猛追して、遂にアサヒがキリンのシェ アを上回った時期とほぼ重なる。業界ランキングの1位と2位がひっくり返ったのをみて当時、ビール業界は「ダイナミック」と感じた。業界秩序を重んじる日 本の他の産業界では決して起きえない"事態"だったからである。
 そのころ、世界のビール業界はBudweiser(バドワイザー)バドワイザーのアンハイザー・ブッシュがトップでフィリップモリスが所有していたMiller(ミラー)が2位だった。3位はオランダのハイネケンだったはずだ。

 10年ほどたって、経済誌にベルギーのビール会社がM&Aを通じて猛然とシェアアップしているという記事を読んだ。「インターブリュー」という耳慣れない企業で、台風の目になっているという内容だった。

 そのインターブリューは2004年にブラジルのアンベヴ(Ambev)を買収して「インベヴ」(Imbev)と社名を変更さらに巨大化していた。そのイ ンベヴが今回、世界一のバドワイザーを買収した。と思ったら、バドはすでに世界3位に地位を落としていたのだから、驚いた。インベヴはすでにバドを上回っ ていたのだ。

 では世界一はどこなのだろうと瞬間考えた。SABミラーという会社だった。ミラービールなら知っていたが、SABミラーは不覚にも知らなかった。 2007年には売上高182億ドル(前年比22%増)、税引き前利益28億ドル(同14%増)というトップでありながらまだ成長途上の企業だった。

 SAB(南アフリカビール)は100年以上も前の1895年の設立。ずっとアフリカのローカルなビール会社だったが、90年代に海外進出して業容を拡大、2002年ついにアルトリア(旧フィリップモリス)からミラービールを買収して世界的企業に成長していたのだった。

 フィリップモリスが社名をアルトリアに変更した2003年、同社はすでにミラーを手放していた。そして5年後の2008年、アンハイザーブッシュは会社 ごと、ヨーロッパに身売りした。バドワイザーもミラーもアメリカからなくなるのではない。しかし反対にキリンやアサヒが相次いで海外のメーカーに買収され たら日本人はどんな反応を起こすのだろうと考えると興味深い。
2004年09月26日(日)萬晩報主宰 伴 武澄

 株式会社による病院経営について考えている中、「営利」とは何かという疑問が湧いてきた。

 会社の同僚にも「営利ってなんだと思う?」などと質問した。病院だろうが企業だろうが、従業員の給与など諸経費を支払って余りがなければ誰も経営に乗り 出さないだろう。病院だって事業である。徒手空拳では何も始まらない。利のないところに事業などあるのだろうかという疑問である。

 そこそこの"投資"が必要であり、銀行から借金すればそれはそれで返済が伴う。借金を支払って後、自分への見返りがサラリーマン並みならばだれも病院を 経営しようなどとは思わない。もちろん例外はある。私財を投げ打つ人もいないわけではないが、大方はそうでない。

 そうなると、病院経営だって"営利事業"のひとつとなる。その証拠に病院は財団法人のように非課税団体ではない。

 先日、麻生飯塚病院が株式会社だったことを知って思わずコラムを書いた。翌日、仙台市の読者から「2004年3月末で全国に59カ所もある」とのメール があった。世の中を知らないわが身を恥じたばかりである。20年前には100以上もあったというのだから、株式会社による病院経営の是非をうんぬんするな どはもはや時間の無駄であろうと思えてしかたなくなってきた。

 さて「営利」である。元住友銀行の専務で現在広島国際大学教授である岡部陽二氏の論文「業員経営への株式会社参入の是非を問う」に鮮やかに説明してあっ た。これも読者からメールをいただいて知った情報である。長年経済部記者をやっていて「営利」について真剣に考えてこなかった反省もある。少々長いが引用 させてもらう。
「会 社は営利事業を行って、その事業から得た利益を出資者に分配することを目的とした社団であり、営利性の本質は「利益の出資者への分配」に求められる。利益 配分の方法は利益配当、残余財産の分配であるが、出資者は持分の譲渡により譲渡益を得ることもできる。逆に、利益をすべて内部留保して永久に分配しない法 人が、非営利法人である」
  なるほど「もうける」ことが「営利」ではないのだ。利益の配分をするかしないかの問題に単純化すれば、分かりやすい。大学の経済学部でもそんな授業をやっ てくれていれば、もっとまっとうな経済部記者になれたかもしれない。岡部氏の説明はさらにアメリカの病院経営へと続く。
「米 国では病院を営利(for-profit)と非営利(not-for-profit)を分別しているが、非営利病院も最終的に利益が上がらなければ存続で きないので、利益を追求する点では営利病院と何ら異なるところはない。区分のポイントは出資者への利益配分を意図しているか否か(forかnot- for)にある。逆に、出資者の側から見ると、その投資から得られる配当・譲渡益などの利益分配(profit)を期待しての拠出であるのか、社会貢献を 目的とした利益配分は求めない寄付であるのかの違いとなる」
「政 府としても非営利病院への寄付を奨励するために寄付にかかる税金は減免し、非営利病院の利益に対する課税免除の代償として、救命救急・小児医療や予防啓発 活動など必ずしも利益を生まない不採算医療にも注力し、事業を通じて社会還元を行うことを義務づけている。また、通常非営利病院は多くのボランティア活動 によって支えられており、いわば寄付と慈善とボランティアの複合経営体と理解すれば分かり易い」
 非営利病院が成り立つ背景に、寄付社会アメリカならではの税制がちゃんと存在しているということなのだ。そしてなぜ営利主義の病院経営が必要なのかを説明する次のくだりは、反対論者をもうならせるものとなっている。
「民 間中心の医療供給体制の中で、非営利法人が市場を独占している場合の問題点は、市場競争を排除し非営利組織内で働くものの利益を含む供給者主体の運営に陥 りがちである点にある。医療は非営利病院主体での供給体制が望ましいとしても、営利病院との競争に曝されて効率経営を追求せざるを得ない環境に非営利病院 をおくことに意味がある。非営利病院間で競争原理を働かせることも不可欠ではあるが、参入主体を制限すればするほど競争は行われなくなる。福祉事業におい ても、社会福祉法人の独占体制には問題点が多い」
 岡部先生の論文によれば、非営利団体ばかりの業界では競争がなくなり、それぞれの組織運営がどうしても非効率に陥ってしまう。営利団体の参入はそうした非効率経営に多大な刺激を与えるためにこそ必要なのだということになる。

 筆者は株式会社による病院運営を認めるべきだと考えてきた。その趣旨は岡部先生と同じである。付け加えるならば、民間の病院経営が地域への貢献だとか弱 い者への慈悲の心だけで成り立っているわけではないということも強調したい。この日本では、営利であろうと非営利であろうと過疎地で経営する民間病院は皆 無である事実をみればすでに明らかである。

 もっともこれまでの日本的株式会社にも問題があった。経営者たちは、内部留保ばかりやって株主配当をほとんど無視してきた。揚げ句の果てはその株主のも のであるはずの巨額の内部留保をバブルでなき物にしてしまったという事実も忘れてはならない。

 岡部先生の論文
http://www.okabe.org/yoji/yoji_docs/021107Hospitalincorporated.htm
2004年03月19日(金)萬晩報主宰 伴 武澄

 どこの自治体でもそうだろうと思うが自らの置かれている経済的バックグラウンドについて灯台下暗しなのである。三重県に赴任して驚いたのはIT産業の巨大な設備投資が相次いで立ち上がっているということであった。

 三重県津市に赴任したその日、亀山市でシャープの液晶工場が操業を開始し、2月に入ると日本経済新聞が富士通の多度町工場で新たな半導体ラインを年内に 立ち上げるというニュースを一面トップで報じた。来年には四日市市で東芝の半導体の新工場が稼働する予定ことは既報だった。

 3社の投資額は合計で5000億円を超える。200万人足らずの県としてはとんでもない規模の設備投資だ。三重県の年間予算が借金の返済も含めて 8000億円であることと比較して、5000億円の投資とその投資が今後生み出すだろう付加価値を想像すれば誰でも度肝を抜くはずだ。

 これは前北川知事による三重県のイメージアップと中部新国際空港の相乗効果ではないかとかってに想像している。

 北川氏が知事職を去った後の北川感は決してよくない。赴任が決まってからよく言われたのは「北川さんがいたらおもしろかったのにね」ということだった。 しかし、地元の人々に聞くと「自分のやったことに責任を取らずに県政を放り投げた」という反響が非常に多いのだ。

 話を巨大な設備投資に戻す。赴任のあいさつ回りでは必ず県内の景気について聞くことにしているが、足元の実入りばかりを気にしていて返ってくる後ろ向きの言葉ばかりだ。筆者としては、一言、巨額の設備投資について触れないわけにはいかない。

「この規模の自治体で二年間に五千億円の設備投資などふつうは考えられない。望外の幸運と思わなければ」
「なるほどそういわれればそうですね」

 ほんとうに実感しているのか疑わしい。タコつぼに入ったまま全体状況が見えないのは三重県に限ったことではないかもしれない。IT関連の投資は新規雇用をあまり生まないといわれるが、支援企業をまったく必要としないはずがない。

 新工場ならば建屋が必要、新ラインでも工場内の改装や配線も不可欠。電力などエネルギーも消費する。出荷段階では包装や輸送の仕事もある。

 またそうした人々が近隣に住み家を求め、朝昼晩と食事をし、休日には羽を伸ばすだろう。飲食業やスーパーの売り上げは増え、歓楽街や行楽地も潤う。そうならないはずがない。

 長く経済記者をやっていて経営者から景気のいい話などは聞いたことはない。いつも「円高になったら」「市況が下落したら」「アメリカ景気が」。そんな話ばかりだった。そんなわけできっと設備投資の絶好のチャンスを逃してきたに違いない。

 過去の半導体と液晶の投資に関して言えば、台湾の企業家や韓国の経営者たちの方が景気の波をきっちり読んでいた。日本がIT分野でこの二国の後塵を配す るようになったのは、経営者た自らの景気感を持たず、マスコミが垂れ流す無責任な常とう句に慣れ親しみすぎたせいではないかと思っている。

 津市には大門という中心街がある。ショッピングアーケードは他の都市と同じくシャッター通りとなっている。理由を聞くと「バブルが崩壊して後・・・」と 版を押したような説明がある。この町に生まれ育った同年配の友人に聞いたら「大門なんておれが学生時代からさびれていた」とのことだ。

 マスコミが繰り返し語り掛ける言葉は恐ろしい。人々の脳裏にいつのまにか、ワンパターンの「時代の常とう句」を刷り込んでいるのだ。

 萬晩報は1年4カ月前の2002年12月18日に「過小評価すべきでない企業のV字回復」というコラムを書いた。その時点で、企業業績回復に伴う株価上 昇。そして景気回復、さらには税収増も確信していた。あまりにも自明の理だった。だが、マスコミはその後も経済の負の側面をあまりも強調し過ぎてきた。

 きのう、きょうの経済指標を読んで解説するのは素人にでもできる。そんなアナリストたちは市場を去るべきである。

 来年の春には中部新国際空港が知多半島沖に開港する。津市は海上を40分でつなぐ高速船を運航する予定だ。愛知県に隣接した北部はともかく四日市市や鈴鹿市の人々は津市経由で海外や国内便を利用するはずだ。

 この海上ルートが実現すると名古屋に向かっていた三重県内の人の流れが確実に変わるのだと思う。そうなると、新空港で一番メリットを受けるのは三重県人となる。

 2002年12月18日 過小評価すべきでない企業のV字回復
2004年02月17日(火)萬晩報主宰 伴 武澄

 ひょうたんから駒。産業再生機構が負債5000億円を超えるカネボウ再建に乗り出すことがほぼ決まった。

 再生機構への支援要請は"破綻"を内外に宣言するに等しいが、元はといえば幹部社員の胸の内にあった構想である。化粧品部門の花王への売却や投資ファン ド、ユニゾンの支援など紆余曲折を経たが、カネボウのとっては最善の策だと思う。17日の株価も反発に転じた。戦争でほとんどの設備を失ったことを考えれ ば、復活は難しいことではない。

 カネボウは東京綿商社として明治20年(1887年)の創業。東京がまだ市でなかったころ東京府鐘ケ淵の地に三井財閥が紡績工場を操業した。6年後に鐘淵紡績と改称した。いわば日本で最も古い株式会社の一つだ。三井財閥は三井両替商が明治に入って初めての民間銀行を創業したことに端を発する。江戸時代、 松阪にあった三井高利が始めた呉服商「越後屋」(現三越)がルーツである。

 花王や他社による化粧品部門買収策の最大の問題点は、カネボウが収益部門を失うということだった。花王との提携の当初案は花王とカネボウによる共同出資 会社に化粧品部門を移すという再生策だったため、カネボウ側にまだメリットはあったが、今年になって再提示された再生策は花王による100%買収だった。

 それによって負債が完全になくなるのならともかく、化粧品部門を切り離されたカネボウにとって1000億円でも返済が難しい。花王に譲渡されていれば、 化粧品部門からカネボウの名前が消えていくことは必然。それどころか赤字部門だけを残したカネボウ"本体"は再び負債を重ねることになり、数年を待たずに 経営難に陥ることは目に見えていた。

 再生機構による救済の利点は第一に「白日の下」で再編劇が進行することだ。第二は責任者が責任を取ることになる点だ。帆足隆カネボウ社長は16日の記者 会見で当面、社長の座に留まる意向を表明したが、経営トップがそのままの状態を再生機構が認めるはずはない。いずれ時期を見て経営陣の総入れ替えが求めら れるはずだ。第三は再生機構の下で再生の期限とゴールが明確に定められるということだ。

 1980年代、カネボウは伊藤淳二会長の指揮下にあった。ペンタゴン経営と称して繊維を中心にファッション、化粧品、食品、医薬、住宅などを配した。クリスチャン・ディオールに代表されるようにカネボウはファッションの一大ブランドでもあった。

そのカネボウが長期低落に陥った背景には、カネボウに蔓延していたある種の悪しき体質があったと言わざるを得ない。社内の人から「ウソをつく、ごまかす、 隠す」ことが横行し、それに対して「誰も責任を取らない」ということを聞いたこともある。90年代、バブルが崩壊した時、多かれ少なかれ多くの企業でみら れた体質だが、カネボウの傷はより深かった。

日本の資本主義の黎明期を支えたのは紡績業である。主力工場はほとんどアジアの移転してしまったが、衣食住の産業がなくなることはない。カネボウが"倒産"のイメージの強い産業再生機構への支援要請にあえて踏み切った勇断にエールを送りたい。
2003年07月02日(水)萬晩報主宰 伴 武澄

 日本経済の先行きに曙光がみえてきた。2日の東証株価平均が9500円台を回復、大商いを伴いながら1万円が射程距離に入ってきたといってよさそうだ。 特に1日は前日のニューヨーク株式の下落にもかかわらず株価が上昇し、このところの米国連動型とは違う動きをしたことが注目された。

 それにしても小泉首相はつくづく運のいい人だと思う。総裁選を控えて株価という強力な援軍が現れたからだ。このまま株価が回復すれば「デフレ克服に景気 対策が不可欠」と声高に叫んできた抵抗勢力は顔色を失うことになる。総裁選で対抗馬を出すことさえ難しくなるかもしれない。

 萬晩報は半年以上も前に「V字型回復を素直に認めよ」というコラムを書いた。その時も、企業業績は底を打って収益回復基調にあると考えた。問題は資産デ フレによるマイナス要因だけである。地価はまだ下がるはずだが、株価の回復によってせっかく稼いだ営業利益が目減りする恐怖は相当程度、軽減される。

 景況感の改善は1日発表の日銀短観にも現れている。大企業製造業の業況判断指数(DI)は「マイナス5と2期ぶりの改善」だった。、前回3月調査での DIはマイナス10。悪化したといっても「マイナスはたった1ポイント」でしかなかった。イラク戦争開始という負の真理要因を差し引けば「実質改善」だっ たともいえた。その前の12月調査では「DIはマイナス9と3期連続の改善」だったから、景況DIは昨年3月調査のマイナス38をボトムに実質5期連続し て改善してきたことになる。

 業況判断DIは景況判断を「良い」「さほど良くない」「悪い」の3段階で尋ね、「良い」の回答比率から「悪い」の比率を差し引いた指数。まだマイナスだ から「景気基調」とまでは言いがたい。だがここ1年の特徴は足元の景気について「改善傾向」を認めながら、先行き(3カ月先)の見通しが悲観的になってい たことである。企業家マインドとして、現時点で「景気をそこそこ」と感じても将来に悲観的になるのは、長期デフレの習い性だったのかもしれない。

 この1年の日銀短観を振り返ると、企業家マインドを裏切って景気は改善を続けてきたということになる。この間、日本経済新聞が日銀短観に関してどのような見出しをとってきたかを検証すると興味深い。
  • 2002年07月01日「大企業の景況感改善・1年9カ月ぶり」
  • 2002年10月01日「景気に足踏み感 大企業製造業改善4ポイントに縮小」
  • 2002年12月13日「大企業製造業DIは小幅改善 予想指数、7期ぶり悪化」
  • 2003年04月01日「景況感5期ぶりに悪化 景気停滞鮮明に」
  • 2003年07月01日「景況感2期ぶりに改善 株価、米経済に期待」
  どれをとっても明るい兆しはみえてこない。ことし4月1日のたった1ポイントのDIのマイナスに対して「景気低迷鮮明に」とはあまりにも大げさではなかっ たかという批判もある。世の中3カ月もたてばすべてが忘却のかなたなのかもしれないが、萬晩報は忘れない。調査結果の中でなるだけ悪い情報を見出しにとっ てきたのは他の大手メディアも横一列である。

 特に今回の調査で目立ったのは設備投資である。大企業製造業の場合、2003年度11.5%増を計画している。前年は17.4%減。二けた増というのはここ10年記憶にない。企業家が本音では景気回復を感じている証左でなくてなんであろう。

 筆者は東証平均株価が2万円になったり、3万円の価値があるとは思ってはいないが、少なくとも9000円台では安すぎると考えている。不良債権処理に足 を引っ張られる金融機関、ゼネコン、流通業が少なくない中で、一方では千億円規模の史上最高益を更新する企業が相次いでいるのが現状である。これだけ成熟 した日本経済がすべての分野で好調になるはずもない。企業業績の向上を「リストラ頼み」「輸出依存」などと揶揄するのはもういいかげんにしたらいい。戦後 日本経済はいつだって「輸出依存」だったし、「リストラが進まない日本社会」を批判し続けたのはわれわれマスコミではなかったか。

 リストラに痛みがあるのは当然であろう。IBMの例を見るまでもなく、リストラを乗り越えて企業は再び採用も増やしていくものなのである。
2002年12月18日(水)萬晩報主宰 伴 武澄

「トヨタ自動車や日産自動車の9月中間決算は史上最高を記録した。ホンダも最高水準だった。世界の優良企業と比較してもはずかしくない利益水準を確保する企業がようやく現れた。上場企業に利益は40%増だったそうじゃないか。マスコミは景気に対して悲観的すぎるのではないか」
「電機業界はさんざんじゃないの。どうして楽観的になれるのさ」
「確かに電機の業績はレベルが低すぎる。でも何千人規模のリストラをやっているのだから割増退職金だってすごいぜ。そのリストラだって峠を越えたんでないの」
「なにいってんだ。電機業界を含めて日本の景気って輸出依存ばかりじゃない」
「ちょっと待ってよ。日本経済は明治このかた輸出一辺倒でなかった時期ってあるの。いまさら始まったことではないじゃない。なにかすべてが後ろ向きに解釈されているんだよ。明るい兆しが出てもいつだって「しかし・・・・・・」と否定的コメントを付けることにやっきとなっている。自分たちで悲観的な見通しを書いてだめだだめだと、ちょっとやりすぎだよ。最近は」

 1週間前、こんな会話が職場仲間とあった。その相手が「伴ちゃん、読んだ」と毎日新聞(13日)の社説を差し出した。「V字型回復を素直に認めよ」という見出しにわが意を得たりという思いがした。

 新光総合研究所が発表した上場企業の業績まとめによれば、銀行、証券、保険を除く9月中間期の決算は売上高は1%減少したものの経常利益で40%近い増益となった。通期では0・3%程度の売り上げ増で、経常利益は65%の増加を見込んでいる。日本経済新聞まとめでは同71%増となっている。

 毎日新聞の論説委員は「決算の集計は企業の損益を集約したもの。粉飾決算をしているならともかく、政府や各種研究機関の調査・分析より経済の実態を表している。決算の数字こそが事実なのだ。アメリカ経済の見通しや、外国為替市場の着通しなどは予測。事実よりも予測を重視する議論は、不必要に悲観論を強めたり、現状認識を誤らせる」と一刀両断。

 そして「このV字型回復を過小評価すべきでない。したり顔に不安材料をあげつらう景気の分析者の多くが、日本経済の回復に依存する証券会社の関係者という現状は不可解である」と結んでいる。

 12月13日に日銀短観が発表されて「景気改善に足踏み感」「景気先行きに不安」という見出しが夕刊を飾った。よくにみると2本目の見出しは「現状は小幅改善」となっている。短観を子細に読むと「現在の景気は3期連続で改善」しているものの「1月以降に不安がある」という内容である。「実績」と「見通し」のどちらを見出しを取るかにとるかで大いに迷うものだが、悲観的な方が「知性」をくすぐるのだろうか。

 いずれにしてもアナリストとかマスメディアとかは、過去の景気の大きな転機をほとんど見誤ってきた。誤った場合でも、いつも政府のの見通しの甘さのせいにして、責任をとったことがない。景気拡大のときはいつまでも拡大するような楽観論が新聞紙面を飾り、逆に景気後退のときもいつまでも悲観論から抜け出せないでいる。

 筆者の場合、この3月決算で、企業業績が史上最低水準を更新したとき、反転は近いと考えた。理由は簡単だ。利益が限りなくゼロに近付いたから、あとは反転しかないからだ。

 多くの場合、企業業績の足を引っ張ってきたのは本業よりも資産の目減りだった。本業で頑張っても、土地や株式、それに退職金引き当て勘定などの評価損で利益が大きく目減りした。加えて大規模リストラに伴う割り増し退職金だとか、不採算事業からの撤退負担もが企業業績に重くのしかかっていた。

 いま述べたいくつかのマイナス要因のうち、リストラ負担は大方、峠を越えたはすだ。土地の値下がりはまだまだ続くと思われるが、株式の方はどうだろうか。株価配当率はかつてなく高まっている。平均で1・5%ぐらいだろうか。株価によっては年間に3、4%という企業も出現している。底を打ったといえるほどの確信はないが、中期的にみて底値であろうことは誰にでも想像出来る。

 鉄鋼業界はちょうど一年前、2002年度について「粗鋼生産1億トン割れによって大幅減産が余儀なくされる」というような悲観的見通しを発表した。政府や民間の多くの経済見通しも同様の傾向を示した。いまも景気に対する国民的感情はブルー一色だが、足元の実態は必ずしもずべてブルーではない。自動車のようにばら色の業界もあるし、前年度を上回っている業界も少なくないのだ。

 評論家の竹村健一氏が夏ごろのメルマガで「国民的株式下支え運動」を提唱していた。これは企業業績のV字型回復とは別の次元の問題提起だったが、今回は株式市場反転が企業決算上の数字ではっきり裏打ちされている。
2001年10月15日(月)萬晩報主宰 伴 武澄

「東芝が1万7000人のリストラってすごいですね」
「うん、NEC、富士通、松下に続いて東芝、日立もってところですかね。全部で10万人とかになるんでしょ」
「でも松下とか東芝の人たちって優秀だから、引く手あまたでしょうね」
「よく分からないけど、いまや希望退職を募ると希望者が殺到するんだから優秀な人から社員が減っていくというのは大きな矛盾でしょ」
「でもそういう優秀な人たちが中小企業に入ったら、その企業はあっという間に業績を伸ばすかもしれない。日本はいままで大企業が人材をかっさらって無駄にしていたんだから、大規模なリストラは日本にとっていいことなのかもしれない」
「ユニクロの経営陣はほとんどが大企業のスピンアウト組で、社長も偉いんでしょうが、社長を支える人材がこれまで培ってきたノウハウを一斉に花開かせたという印象もある」

 タクシーの運転手との会話でひらめいたことがある。企業のリストラは社会全体の活性化という観点からみれば、悪くはないのではないか。リストラされた個人にとっても新しい土俵で新たな挑戦が可能になるかもしれない。そんなことを思い始めている。

 大企業で自らの能力が発揮できないでいる人材が多くいるだろうことは想像に難くない。だが妻子がいる生活者としては大企業でもらっている報酬を投げ捨て ることはなかなか難しい。多くのサラリーマンは心に不満を抱えつつも長いものにまかれ、毎夜、居酒屋で憂さを晴らしている。「いっそ会社がつぶれた方が踏 ん切りがつく」などと考えている人も少なくないのではないかと思う。

 最近、頭をよぎるのが日本の経済界における「旧山一証券人脈」という概念である。金融だけでなく、商社やメーカー、はては学習塾にいたるまで「元山一証 券です」という人材に出会う。山一証券は1998年3月31日に会社がなくなり、8000人の従業員が多種多彩の再就職先に散らばったが、企業とか業界を 超えて意思疎通を可能にする人材群が誕生しているはずだという確信がある。筆者の友人はとある部長職だったが、数年後には外資系の投資銀行の社長となっ た。ソニー銀行の社長石井茂氏も旧山一証券人脈である。あなたの周辺にもいるかもしれない。

 山一証券を解雇された人々がすべて、恵まれた地位を得ているとはいわないが、別々の会社でそれなりの地位を得ている人も少なくない。こうした人々が連絡 を取り合って、ヨコのネットワークを広げているということだ。これまで、会社というタテ社会の中で、ヨコのネットワークといえば学生時代の同窓生ぐらい だった。そんな硬直した日本の企業社会の触媒として旧山一証券人脈が誕生する意義は大きいはずだ。

 当時はマスコミは仕事を失う悲惨さをことさら強調したが、いまとなっては、山一証券に在職していたという者同士ということがビジネス上で大きな武器となることさえあるようだ。

 企業が破たんするのは経営の問題であって、従業員が使い物にならなかったではない。それぞれに有能な人材を抱えながらその能力を十二分に発揮させられな かった側面も強いのである。そもそも人材の流動化が叫ばれるのは、大企業に人材が集まりすぎているからだ。10年ほど前、バブル経済真っ盛りの時代大企業 はそれこそ「投網」をかけるように大卒者を大量採用した。中小企業の悩みは「人材が取れない」という不満だった。

 大企業にとって、多くの人材を競争させて切磋琢磨することも重要だろうが、一定以上の年齢になれば、人を絞り込まなければならなくなる。大企業が大量採用して、多くの人材を腐らせてきたというのが日本社会の一面だったのではないだろうか。

 仮に勤めていた会社が破たんしたとしても、そう落ち込むこともない。「人生万事塞翁が馬」である。中堅・中小企業にとっても同様である。いまが人材採用 の絶好のチャンスととらえれば未来は明るい。旧山一だけでない。これから旧そごう人脈、マイカル人脈も生まれることを期待したい。大企業の破たんは中長期 的にみれば、人材の分散というビッグバンを引き起こすはずだ。

2001年06月22日(金)萬晩報主宰 伴 武澄

 2001年06月13日付萬晩報「元金を返済しないこの国の借金のかたち」で多くの企業にとって銀行からの借入金が自己資本的存在だったことを論じた。その続きである。

 6月20日付日本経済新聞の証券欄のコラム「大機小機」に「借金は返済するもの」と題して日本企業の借金について萬晩報と同じような指摘があった。

 60年代初めにある企業で銀行からの短期借入金をバランスシートのどこに記載するかが争点になった。アメリカの会計士が「期間三カ月の短期借り入れなの で流動負債の中の短期借入金だ」と主張したのに対して、日本企業の会計担当者が「短期といっても期日が来ると自動的に手形は書き換えられるので実態からす ると半永久的に継続する借入金だから自己資本に近い」と説明したというのだ。

 そして「銀行から返済を絶対に求められないわけだから、企業にとって短期借入金は実は『自己資本もどき』の極めて安定した資金だったことになる」と締めくくっている。

 90年代後半の銀行による貸し渋りとは、この「半永久」と錯覚した借入金の「更新」を断られたにすぎない。「すぎない」といっても、それまで営々と続い ていた経営では返済無用だった借金が突然、返済対象になったのだから企業側にとってこれは天地驚愕的出来事だったに違いない。

 ●臨界点に達した借金王国

 昨年経営破たんした百貨店グループのそごうは年間の売上高の二倍近い1兆8000億円の借金(有利子負債)を持っていたことが明らかになり世間を驚かせ た。この大企業グループもまた元金返済の痛みを感じることなく新しい店舗づくりに邁進した。金利さえ支払っていればそごうグループに何も起きなかったかも しれないが、ついに借金総額が金利すら支払えない臨界点に達した。

 もちろん見通しを見誤った出店計画や消費不況といった側面もないではない。破綻に到る理由はいろいろあるが、元金返済の観念が経営計画からすっぽり抜け落ちていた。

 ゼネコン経営にも同じことがいえる。準大手の熊谷組の経営破たんもまた元凶は同根といっていい。こちらも売上高を大きく上回る1兆円という借金を抱え た。地価の暴落で内外のゴルフ場経営が行き詰まったことが破たんの引き金となったが、やはり経営者たちが元金返済を迫られる場面に遭遇するとは思わなかっ たに違いない。

 ●東京電力という名の借金王

 では日本で一番借金をしているのはどこなのだろうか。もちろん日本国政府は断トツのトップ。民間企業では東京電力の約10兆円が「借金王」、2位は NTTの6兆円である。次いで関西電力、中部電力が4兆円台後半で並んでいる。取扱高が巨額で大規模な借り入れがあると思われている大手商社は、三菱商事 が4兆円。後は数兆円規模でしかない。なんと無借金経営と思われていたトヨタ自動車でさえ連結決算ベースでは4兆円台の有利子負債を抱えている。

 10兆円はほぼ1000億ドルである。調べたわけではないが、たぶん世界でもナンバーワンの借金企業なのだろうと確信している。東京電力が問題なのは売上高が5兆円しかないのにその倍の10兆円の有利子負債を抱えている点である。

 過去の「会社四季報」をめくって分かったことは東電はこの10年に売り上げ規模がほとんど変わらないにもかかわらず、借金の規模を倍増させていたこと だった。しかもこれは連結決算時代に突入した財務諸表上の変化。単独決算の時代にはどこかに5兆円規模の借金を隠していたということになる。

  資本金6764億円、自己資本2兆円という巨大企業だが、自己資本比率は14%でしかない。持っている資産が資産だけにちょっとした地価の下落で数千億円 の資産価値の下落を引き起こすことになる。事業用資産を時価評価することにでもなれば直ちに「債務超過」ということだってありうる。それほどの分量の借金 なのである。

 これまで東電は地域独占と、一定の利益を確保できる認可料金に支えられてなん支障もなく経営が成り立っていた。しかし昨年から始まった電力事業への自由化によって年間の利払い費用が5000億円という借金はもはや放置できなくなった。

 東電はこの春、未着工の発電所の建設を当面見送ることを発表。その中に原発が含まれるのかどうかが議論になった。将来の電力需要が思うほど増えないことを理由にしているが、核心は借金が経営の重荷になっているということである。

 余談だが、電力業界のすごさは90年代初頭までは5兆円近くの設備投資を行っていたことである。1999年度の製造業全体の設備投資額が4兆5000億 円だったことと比較すればこのすごさが分かるというものだ。だがその巨大な設備投資を誇った業界が90年代後半に入って年を追うごとに設備投資額を減らし てきている。東電1社でも93年に1兆7000億円あった年間設備投資額が2001年度計画では9700億円。差額の7200億円はトヨタ自動車を含めた 自動車業界の1年間の設備投資額に匹敵する。

 本年度、東電は年間に3000億円程度の削減をする考えだ。今後毎年3000億円ずつ返済したとしても10兆円の返済には30年以上もの気の遠くなるよ うな時間を必要としている。新規参入が相次ぐ電力市場でこれまで通り利益を確保できるかどうかさえ不透明な情勢で、電力会社にとって借入金の返済が今後の 最大の経営課題となる。借金は不良ゼネコンやスーパーだけの問題ではない。

2000年11月04日(土)
萬晩報主宰 伴 武澄


 先月の朱鎔基首相来日の折り、ホテルニューオータニで開かれた歓迎昼食会に異色のゲストが一人いた。大阪の繊維商社「辰野」の専務、辰野元彦さんである。2年前の1998年1月、中国新疆ウイグル自治区のウルムチに独力で地下商店街を立ち上げた人である。

 ●高層ビルが林立するシルクロードの拠点都市

 ウルムチはシルクロードのオアシスのひとつである。タクラマカン砂漠を越えるシルクロードは南道と北道に分かれ、北道はトルファンでさらに天山北路と天 山南路に分岐する。ウルムチはその北路にある。灼熱の砂漠地帯から天山山脈、といっても日本の本州ぐらいの面積があるのだが、に分け入った高原の都市であ る。

 新疆ウイグル自治区の首都であるが、かつては中国の辺境の一都市でしかなかった。しかし、ロシアとの国境開放に伴い、中央アジア最大の流通拠点として新 たな役割を担い始めている。ウルムチ国際空港には北京、上海など国内諸都市だけでなく、アルマトイ(カザフスタン)やタシケント(ウズベキスタン)など隣 接する国々にも多くの国際便が離発着する。バザールには中国沿岸部で製造された家電製品やアパレル、雑貨が集積し、ロシア人のバイヤーでごったがえしてい る。当然ながらここで信頼される国際通貨は中国元である。

 タクラマカン砂漠から天山山脈の一帯は19世紀から20世紀初頭にかけて、地図の空白地帯と呼ばれた。古代史のロマンにかき立てられスタイン、ヘディン ら多くの探検隊が踏査する一方、南下するロシア勢とインドから北上したイギリス勢が暗躍した歴史を持つ。21世紀を迎えるウルムチは高層ビルが林立する中 央アジア最大の都市へと変貌し、井上靖が描くロマンの世界とは様変わりしている。

 ●日本人のいないところに進出せよ

 そんな変化をいち早く察知したのが辰野さんだった。すでに上海にアパレルの縫製拠点をもち、次の進出地を模索していた。たまたま大阪で世話をすることに なった中国人留学生がウルムチ出身で、1996年の夏にその元留学生の誘いでウルムチを訪問、新疆ウイグル自治区の広大さに強くひかれた。

 そこからの辰野さんの行動は早かった。地下商店街という発想をウイグルの人々持ち込んだのはさすがになにわ商人である。1年半後の1998年1月1日に はファッション関係を中心としたショッピング街「辰野名品広場」が誕生した。前兆130メートル、幅24メートルの長方形で事業費2億3000万円のうち 75%を辰野側が出資した。

 面白いのはやはり辺境地区として地下商店街は有事の際には防空壕の役割をはたせられるということで、人民解放軍が施工に当たった。余談だがかつて旧ソ連 と軍事的に対峙していたころの中国では、いたるところで地下街がつくられた経緯がある。当時はそんな地下街が自慢だったらしく、20年ぐらい前までは中国 の観光(参観と称していた)には必ずといっていいほど地下街見学が組み込まれていた。

 辰野のウルムチ初の地下商店街では当初、カルバン・クラインやクリスチャン・ディオール、ワールドといった世界でおなじみの高級ファッションブランドが多かったが、最近では割安感のある中国製のブランドものも集め、期間損益が黒字化したそうだ。  海外事業における辰野さんの経営哲学は「日本人のいないところに進出」することだ。「乗り遅れるな」を合い言葉に多くの日本企業が 失敗を重ねてきた。土地勘のない場所への進出はなかなか勇気のいることだが、成功すれば先行者利得がある。華僑の発想に通じる。

 中国政府は昨年から「西部大開発」を掲げ、内陸部への投資を呼びかけている。朱鎔基首相の歓迎昼食会に辰野さんの顔があったのも西部大開発の先駆者に対する敬意を表したものであろう。

 ウルムチは20年前に一度だけ訪ねたことがある。万年雪を抱く天山を遠望する町並みや青い瞳の人々。統制時代の色彩に乏しい中国の都市にあってこれが同 じ中国かと思わせるものがあった。今回、辰野さんに変貌ぶりを聞かされ、中国の改革開放がいよいよ辺境をも変えつつあるとの感慨を持った。


 辰野株式会社にご興味のある方は 海外事業部 06-6263-2331
2000年10月11日(水)
ジャーナリスト 平岩 優


 今春、渋谷界隈のネット関連企業の集積がシリコンバレーならぬ"ビットバレー"として、マスコミにさかんに取り上げられた。ビットバレーとは99年春頃 から自然発生的に形成されたネット関連ベンチャーの集まりである。今年2月のビットバレーの集会には野次馬も含めて、3000人の参加者が集まり、社会的 なムーブメントとなった。かってファッション、音楽など若者文化の発信地といわれた渋谷がIT関連の集積地となりつつあるようである。

 たとえばゲームなどのCGクリエイターの養成校として名高いデジタルハリウッドが今年、JR渋谷駅前の新ビル「Qフロント」に渋谷校を開校した。デジタ ルハリウッドは94年に開校し、いままでに1万5000人以上のCG、webクリエイターを育成してきた。私も5年ほど前に、3D映像の制作現場をのぞか してもらったことがある。

 しかし、渋谷校ではクリエイターだけではなく、インターネットを使ったビジネスモデルを構築しようという企業やビジネスマン、起業を志す人のためのカリ キュラムも始められた。渋谷校に通う生徒は大学生から60代と幅広いが、フリーターが少なく、社会人が7~8割を占める。日曜日の午前1時~6時30分開 講のミッドナイトスクールでは、9割が社会人である。すでに在学中から起業する生徒も輩出し、同校自体がネット関連のクリエイターやビジネスマンのコミュ ニケーションの場となっているようだ。

 また、同じ駅前にオープンした「マークシティ」にもIT関連のインキュベータースペースがオープンし、起業家が殺到しているようだ。ちなみに、このマークシティのオフィスのテナントの約半数はIT関連企業によって占められているという。

 東京23区内に本社のあるネット関連企業は1194社あるが、そのうちの37%にあたる436社がビットバレーと呼ばれる渋谷区、港区にある(99年 「首都圏白書」国土庁まとめ)。その理由にはマイクロソフトやAOLジャパンといったIT関連の大手取引先が多いことや、通信回線の環境がよいことなどあ げられている。ビットバレーのベンチャー活動を支援するNPO「ビットバレー・アソシエーション」によれば、渋谷界隈のベンチャー企業でアルバイトをして いた学生が、卒業後、ワンルームマンションを借りて起業する例なども多いという。学校からのアクセスがよく、アフターファイブに遊べて、しかも私服で仕事 ができるようなワークスタイルがフィットする街ということであろうか。

好きなインターネットでビジネスを  尾関茂雄さん(25歳)もそんなアントレプレナーの一人だ。尾関さんは大学時代から「好きなインターネット」でビジネスを立ち上げたいと考え、「ネット エイジ」(インキュベーター)の創立に参加したり、「サイバーエージェント」(ネット広告)に籍をおいてビジネスを学び 、99年10月に「アクシブドットコム」(http://www.axiv.com)を創立した。

 同社の事業はオンライン・プロモーション・サービス。具体的には企業の消費者向けの懸賞やプレゼント情報をホームページに集め、登録した会員向けに無料 で応募代行サービスを行う。会員は名前、住所など必要事項をうめる手間をかけずに、希望する懸賞に応募でき、一方、同社は会員の属性や懸賞応募の履歴など をデータベース化し、マーケティング資料が得られる。こうした会員のデータは企業にとって商品開発の資料やDMの配信などに利用できる。

 尾関さんは「一般ユーザーにいかに便利なものを提供し、会員数を確保できるかが勝負です」という。現在、懸賞の掲載企業は延べ約3000社におよび、6月からは携帯電話向けの窓口(http://mobil.myid.ne.jp)もオープンし、会員は10万人を突破した。年内には20万人の会員獲得を目標としている。

 尾関さんはビットバレーの運営メンバーでもあり、この集まりに参加するメリットも大きいという。「最初のエンジェル(個人投資家)に出会えた」場であ り、メンバー同士の情報交換、人材の交流や移動も活発に行われている。「やりたいことはたくさんあるが、人的ソースが追いつかない。それにITは進化のス ピードが速く、自分ですべてをやっていては間に合いません。得意な分野に集中し、足りないところは提供しあっています」というように他社とのアライアンス も進んでいるようである。

 ●ビジネスモデルの特許申請

 篠田示承さん(31歳)は大学卒業後、営業職、シンガポールでの日本人子弟の塾教師、司法試験への挑戦など、さまざまな履歴を経て、96年にweb構築 の制作会社「東京サイバースペース」を設立した。資本金わずか2000円からのスタートだったが、99年度の売上げは6000万円を突破した。

 しかし、篠田さんはそこで満足せずに、今年1月にはネット上でweb構築の受発注を仲介する会員制の「ミツモリドットコ ム」(http://mitumori.com/)を設立した。会員の発注者が「ミツモリドットコム」に仕事を登録すると、会員の受注者が見積もりを付け て応募する。いわゆるBtoB(企業間)の電子商取引である。会費は無料だが、ビジネスが成約した場合は受注者から5%の仲介料を徴収し、受発注者へのコ ンサルティングなども行っている。現在、会員数は1200社を突破、その所在地も北海道から沖縄までの国内にとどまらず、オーストラリアなど国外にまで広 がっている。

 篠田さんはこの事業アイデアをビットバレーなどさまざまなメーリングリストに流すなどして、19人のエンジェルから2550万円の資本金を集めることが できた。また、アメリカのサン・マイクロシステムの目にとまり、ニューヨークのビジネスショーでプレゼンテーションする機会も与えられた。

 篠田さんの日課は5時半に起床して、夜の10時まで仕事というハードなスケジュール。「ビジネスモデルの特許も申請しましたし、2002年の株式公開を目指します」と意欲を燃やす。

 ●インターネットで物件情報

 インターネット上で不動産情報を提供する「ネクスト」の井上高志さん(31歳)は、もと不動産販売「リクルートコスモス」の辣腕営業マンだった。

 井上さんは同社での営業活動から「物件探しなどを通し、不動産は情報産業であるにもかかわらず、インフラが整備されていない」ことを思い知らされる。だ から、消費者に届く物件情報は質・量ともに不足し、流通自体が不透明でもある。そこで、97年に「ネクスト」を設立し、インターネット上の不動産情報シス テム「HOME'S」(http://homes.co.jp)を立ち上げた。このシステムは不動産業者が入会金3万円、月1万5000円の会費で、物件をいくつでも登録できる。物件の新規登録や登録抹消などのデータ更新もリアルタイムで行える。

 一方、消費者はホームページ上で求めている物件の条件、賃貸住宅であればエリア、路線、間取りなどを指定すると、適合した物件の一覧表が表示される。個 々の物件をクリックすればより詳細な情報をみることができる。現在、会員数は650社、一般公開物件は全国で8万件(登録物件は33万件)で、月間150 万ページビューのアクセスがある。

 井上さんの当面の目標は、年内に会員数を1000社にまで伸ばし、2002年度の売上げ目標を7億円とすることである。また、不動産業界の共通のデータベースフォーマットを作る構想などを通じて、不動産流通の改革を押し進めたいとしている。

 3人の若き起業家の話を聞いていて、時代の大きな波がたしかにここに押し寄せてきていると感じられた。もちろん、この4月ハイテク株が暴落しネットバブ ルが囁かれたように、ネットベンチャーのビジネスモデルが企業収益に即、結びつくわけではない。登場していただいた経営者が成功モデルを作れるかどうかも 不明である。ある外資系金融機関のアナリストからは、台湾のベンチャーに比べたら、語学力もなくひ弱だという意見も聞いた。しかし、ここに寸暇をおしん で、しかも生き生きと楽しみながら仕事に打ち込む若い世代が台頭している。しかも、この人達の話からはそれぞれ旧いシステムややり方を変えて、新しい社会 (システム)を作りたい、新しい生き方をしたいという「世直し」の気概も感じた。こうした起業家たちの集積がまた呼び水となり、篠田さんは「いま、野心の ある若者が渋谷を目指して集まってくる」という。

 振り返ってみれば、ここ20年ぐらいの日本は衣食足り、消費財は手を伸ばせば何でも手に入るが、強い閉塞感につつまれていなかっただろうか。成功した経 済大国の一員たるには、決められたコースが設定され、これでいいはずはないと思いながら、皆が表向き平和と平等を享受する振りをしていた。そうした欺瞞は 子供たちに伝わらないはずがない。

 もちろん、そんな社会に風穴があいたとは、まだ思えない。しかし、結果の良し悪しはわからないが、古いくびきを断ち切ろうとするある力の兆しが現れたように思う。

 ちなみに、依然、賃料の低下が続く東京のオフィス街で、渋谷だけがオフィスの引き合いが多く、賃料が上昇しているようである※。街を活性化するのは大規模なインフラや施設の建設などではなく、まず、そこに住まい、働く人の力であろう。

※(社)東京ビルヂング協会の7月調査によると、千代田、中央、港3区は4月に比べオフィス賃料水準が低下したが、渋谷区は16.7%上昇(2000年9月20日付け日本経済新聞)。


 平岩さんにメールはyuh@lares.dti.ne.jp
2000年05月05日(金)萬晩報通信員 園田義明


 ★会社分割制度の概要

2000年3月10日に、会社分割を盛り込んだ「商法等の一部改正案」が国会に提出された。4月21日より 国会で本格的な審議に入っており、今国会で成立する見通しである。会社分割制度は、企業の事業部門を切り離して新会社を設立する「新設分割」と、分割した 事業部門と既存の別会社を合併させる「吸収分割」の二つのタイプが規定されている。

第一勧業、富士、日本興業の三行統合による「みずほファイナンシャルグループ」は、導入を見込んで今年10月の持株会社設立後の事業部門分割統合を発表しており法的基盤が実質遅れて整うかたちとなった。

会社分割制度の創設は経済界にとって、合併手続きの簡素化や株式交換制度導入に続く企業再編法制3点セット の「総仕上げ」ともいえる法整備となる。政府は早ければ今秋からの施行を予定しており、分離独立や不採算部門の切り離しがこれまで以上に簡素化されること から日本でのM&A&Dによる企業再編成が今後一気に加速するはずだ。

またこの会社分割制度は、一部にリストラ関連制度とも呼ばれることから、一般にとっても身近な問題として話題を集めそうだ。

 ★リストラクチャリングの誤った認識

M&A&Dとは合併(マージャー=merger)、買収(アクイジション=acquisition)、事業 分割(ダイベスティチャー=divestiture)の頭文字を組み合わせたもので、一般的にはM&Aと呼ばれている。今回の会社分割制度はまさしくこの 事業分割=Dを法的に規定したものだ。

そして失われた10年を象徴するリストラ(=リストラクチャリング)と事業分割=Dは切ってもきれない関係にある。

本来リストラクチャリングとは再構築、再編、編成がえを意味しオペレーショナル・リストラクチャリング(事 業再構築)とファイナンシャル・リストラクチャリング(財務再構築)に大別される。ファイナンシャル・リストラクチャリングは企業や金融機関が、自社株の 買い戻しや債券償還、スワップ、資産売却を通じて財務構成や収益率改善をはかるものである。

一方オペレーショナル・リストラクチャリングは企業や金融機関が事業部門別、製品種類別構成をグランド・ス トラテジーに対応して再編成することである。そしてその重要な手段がM&A&Dである。どうも日本国内では経営者も含めてリストラといえば人員削減の意味 と思い込んでいるようであるが誤った認識である。

オリックス・イチロー選手の「かわらなきゃ も かわらなきゃ」が最後に選んだ方法がM&A&Dである。その日産自動車の事例を取り上げたい。

 ★どう変わったか日産自動車

一般的にM&Aにおいては結果として期待どうりの成果が得られない場合に部分的なものも含め転売(=事業分割=D)したり、負債返済のために一部を売却(=事業分割=D)する。従って常にM&Aと事業分割=Dは堅く結びついているのである。

仏ルノー傘下の日産自動車は昨年10月に策定した「日産リバイバル・プラン」で、ノン・コア事業の分離による資源の活用を方策のひとつとして掲げており、本業である自動車事業への経営資源の集中を目的とした分割を実施している。

* 富士重株の売却益70億円(2000.4.13)
* 宇宙航空事業を石川島播磨重工に営業譲渡(2000.4.10)
* 携帯・自動車電話事業会社の株式を譲渡(1999.8.2)
* 焼結部門を日立粉末冶金へ譲渡(1999.7.29)
* NACCO、NMHG産業機械事業の譲渡について(1999.5.17)
この中で航空宇宙・防衛部門の石川島播磨重工への売却額は400億円強と予測され同部門の約860人の従業 員も引継ぐ見通しである。この営業譲受は、両社航空宇宙および防衛事業内容において、重複する部門が無く、極めて「効率的な補完関係」にあることから両社 のメリットが一致した。

こうした分割に対してカルロス・ゴーン当時最高執行責任者(COO)は4月18日のニューヨーク市内での講 演で、日産自動車が進めているリバイバルプランに基づき、現在所有している1394社の株式の売却を進め、3年後には最大で4社に減らす考えを明らかにし た。また同時に次の注目すべき発言をしている。

「富士重工業の株式をゼネラル・モーターズ(GM)に、日産の宇宙・防衛部門を石川島播磨重工業に売却したが、ベストの価格で売ることができた」と述べた上で「1394社のうち、300社について現在売却交渉を行っている」ことも明らかにした。

古くは1989年にソニーが米映画会社コロンビア・ピクチャーズ・エンターテイメントを買収したが、この買 収は当時コロンビアの株式の49%を保有していたコカ・コーラが業績の低迷と多発するトラブルから映画事業への興味を失い、ソニーに対して売却する交渉を 始めたことがきっかけである。異業種の組み合わせがシナジー効果をもたらし成功につながるのである。

日産とルノーは、昨年3月27日に提携合意に至った時点で、国際的に高い見識を備えた委員によって構成され るアライアンスのためのインターナショナル・アドバイザリー・ボードの設置を決定しており、2000年3月30日にその概要を発表した。このボードのミッ ションは、日産とルノーのアライアンスに関するグローバル戦略の指針となるべき考え方や視点、意見、知見を供することであり、塙義一 日産自動車(株)会 長兼社長兼CEOおよびルイ・シュヴァイツァー・ルノー会長兼CEOが共同議長を務める。10人の委員にポール・アレア・ゼロックス会長(米国)、フラン ク・N・ニューマン・バンカーズ・トラスト名誉会長(米国、ドイツ銀行傘下)、橋本徹(株)富士銀行会長などと並んでソニーの社外取締役を務める中谷巌/ 多摩大学教授が選任されたことに注目すべきであろう。

 ★日本における単純すぎるM&A議論

日本ではM&A=非友好的なものと解釈し特に海外企業が対象になった場合感情的な議論に陥ることが多い。「乗っ取り」や「買い占め」のイメージが先行しているからであろうが、M&Aの母国アメリカでも敵対的買収はさほど多くなく、友好的なM&Aが大半を占めている。

見落としている方が多いので1985年1月19日に発表されたアメリカ経済白(正式名;経済諮問委員会年次 報告「THE ANNUAL REPORT OF THE COUNCIL OF ECONOMIC ADVISERS」)を振り返りたい。 当時アメリカ国内でもM&Aの功罪について議論されており以下がその要約である。

「アメリカ経済の成否の鍵は、熾烈な経済競争の手の中にある。競争に打ち勝つために、経営者は、日進月歩で 進歩する技術、たえず変化する需要、不安定な資本市場に対応することを迫られる。競争のため、手にいれた地位はつねに脅かされ、経営者は現状に安住するこ とを許されず、つねに組織改革を行い、新しい資金調達手段を考案していかなければならない。要するに、競争の結果、効率的な生産形態が発展し、寿命のつき た製造方法や組織が消滅することにより、経済は成長していくのである。」とし「企業買収にたいする連邦規制を強化することは、時期尚早かつ不必要であり、 また、賢明ともいえない。」と結論付けている。

 ★再編の裏側

東京三菱銀行と三菱信託銀行の統合により金融再編の第一幕は収束した。今後収益性向上を狙った国内外証券、生損保などとの垣根を超えた第二幕が始まることとなるだろう。 この再編の裏側に各企業グループが公表した驚くべき数字がある。

 みずほグループ        6,000         
 三井住友銀行         6,300
 三和・東海・あさひグループ  4,504
 三菱グループ        現時点未公開
三菱グループを除くと合計16,804となる数字の単位は『人』である。それは各グループが公表した人員削減数である。

日産自動車も「日産リバイバル・プラン」にて、連結ベースで21,000人の人員削減を発表しており、すでに日本経済は待ったなしの状況に追い込まれているのである。

 ★歴史的転換期を迎える日本的伝統経営

日本銀行のまとめによると1999年の外国企業による対日直接投資は前年比3.4倍の1兆4千億円となり、 過去最高を更新した。仏ルノーによる日産自動車への資本参加に代表される国際的なM&A&Dが活発化している点が注目される。今年に入っても独米ダイム ラー・クライスラーと三菱自動車などの大形案件が発表されており、その勢いは止まりそうにない。金融再編による系列解体によりますます拍車がかかるものと 思われる。

現在まさに金融や自動車に象徴されるマーケットの成熟化や消費者ニーズの多様化、国際化、そしてIT分野を含めた情報通信革命によりますますスピードアップする産業構造変化に対応するにはM&A&Dは避けては通れない効果的な手段である。

確かに「寿命のつきた製造方法や組織」を分割する際に多くの場合人員削減につながるが、場合によってはソニー・コロンビアのように新たな組織のもとで再生・存続させることも可能となる。

本来ここに経営陣の能力が試されるべきである。

この失われた10年を謙虚にみつめれば、日本の政治経済システム自体の問題に起因していることがわかる。 『政治家や経営者が創造的破壊や組織改革や新たな資金調達手段などを無視して、どうすれば安住できるかしか考えなかったこと』が原因である。そしてまたも やその責任を曖昧にする日本的伝統思想も見隠れしている。

M&A&Dを大小問わずいかに日本的にアレンジしながら企業戦略に活用できるかがこれからのテーマとなろう。ベンチャー育成と同時に、事業分割を重視した高度な金融技術を有したM&A&D斡旋再生機関の出現も現在の日本にとって必要不可欠である。

ただしリストラに揺れる不健全な組織にしがみつくより、「自ら飛び出して見事に再生させて見返してやる」ぐらいの気概がこれからの日本を変えていくに違いない。


参考・引用

■ 日本経済新聞/毎日新聞/朝日新聞
■ 各企業ホームページ
 ・「M&A-20世紀の錬金術」 松井和夫 講談社現代新書
 ・1999年11月1日毎日新聞社 週刊エコノミスト臨時増刊「会計革命Ⅱ」


 園田さんは東京在住のサラリーマン。国際戦略コラムでもコラムを執筆中
 園田さんにメールは yoshigarden@mx4.ttcn.ne.jp

1999年12月05日(日)萬晩報主宰 伴 武澄


 【日本が優れていたのはアメリカ技術のおかげ】い つも大変素晴らしい記事を読ませて頂き感謝しています。私事、元日本人でアメリカには25年程住んでいます。1982年頃、こちらの大学へ通っていました が、授業の中で製鉄技術の話になり、ちょうど、その頃、私は日本は親元を訪問した後だったのですが、日本訪問時にNHKの教育プログラムTVで日本の優れ た製鉄所の番組を見たばかりでした。アメリカに較べていかに日本のものが進んでいるか、と云った内容でした。

 それを真に受けた私は、授業の中で、アメリカの製鉄が日本の製鉄に押されるのは技術革新の努力が足りないからだ、と云う様な発言をし ました。つまり自動車の様に日夜研究と研鑚に務めるべきだ、と云った様な内容の事を発言しました。そうしたら、日本の製鉄所の技術が優れているのは、終戦 後アメリカがその時点で最も優れた技術を敗戦後の日本へ持って行き、その技術を応用した施設を作り上げたからで、アメリカが技術革新を怠ってる訳ではな い、と云われ、赤恥をかいた事があります。

 だって、NHKの教育番組ではそのような事は一言も云わなかったので、その番組を見た人達は全て私の様な間違った知識を得た事と思い ます。情報がいかに大切か、日本にいると、日本を中心とした物の考え方で日本を中心にお日様が上がってくる様な感じですが、アメリカの場合、その点、世界 中の人間が寄り集まっており、ロスだけでも70数ヶ国語が話されて、世界の縮図がここにある様に思います。『日本産業の中枢の情報収集力が著しく低下して いることこそが問題だといいたい』とのご意見に両手を挙げての賛成です。その為にも今後共引き続き素晴らしい記事を書いていただきたく存じます。(山岡幸 雄)


 【処方箋について知りたい】萬晩報の読者です。韓国と日本の鉄鋼業界の現状大変おもしろかったです。よりくわしく鉄鋼業界の将来にある問題点、その処方箋について知りたく思いました。どのようなものから読んでいけばよいのか、また筆者のご意見をお教え下さい。(浅井しげる)
 【POSCO光陽製鉄所のシステム開発をしていた】初めまし て。小岩井と申します。「萬晩報」を拝読する度に、自分の知らないことがこんなにあるのだと痛感してしまう会社員です。991203付けの萬晩報のタイト ルを見て、ふとなつかしく思い出したことがありました。 私は現在、とある健診機関でコンピュータ処理関係の業務に従事しています。しかし以前は、独立系 の小さなソフトウェア・ハウスに勤めていました。

 そのソフトウェア・ハウスでは、主にプロセス制御(工場の製造ラインや発電所等の制御)システムを得意分野としており、私も入社以来 約4年間、製鉄所の圧延ライン制御のシステム開発に携わってきました。色々な製鉄所のシステムをやらせていただきました。時には長期出張して製鉄所の現場 に赴き、脚半やヘルメットを着用して現場作業員と同じ格好をして、プログラムのテストを行なったりしました。ちょうどバブル絶頂期の頃で、仕事が次から次 へと入ってきました。

 そして最後に関係した製鉄所の仕事が、POSCO光陽製鉄所のシステム開発だったと記憶しています。このときは、さすがに韓国までの 出張はなく、私の直属の上司のみが元請会社の人たちと一緒に行きました。ですから、光陽製鉄所がどのようなところか全く想像もしていませんでしたが、「萬 晩報」を読み、今世紀最新の設備をもった製鉄所と知り驚きました。

 光陽製鉄所のシステム開発を最後に、製鉄所関係のシステム開発の仕事は無くなりました。その後は、電力関係のシステム開発などに従事していましたが、バブル崩壊の影響は甚だ深刻で、私もそのソフトウェア・ハウスを辞め、現在の会社に転職しました。

 今にして思えば、私にとって「POSCO」とは、「バブル経済の終焉」に結びつく言葉または名前だったというわけです。(小岩井)


 【NKKは本社を福山に移籍するしかない】私は今年の3月、横浜から広島県福山市に転勤しました。職業は大手スーパーの販売員です。そう、福山はNKK最大の製鉄所の城下町です。 おわかりの通り、NKKの業績.株価に正比例して福山の街は瀕死寸前です。もともと質実剛健の土地柄、その上NKKの毎年のすさまじいリストラと残業カットで消費が全く伸びません。

 勿論、我々を含めて商売が時代の変化に追い付いていないことも原因です。しかし、今尚2万人の従業員を抱える大企業ならば地元経済へ の影響も考えるのが筋ではないでしょうか?市の責任も重大です。何もしなくても毎年法人税がたくさん入った時代に計画.実行された「ハコモノ(公共事業) が財政に重くのしかかっています。失業対策は勿論、地方自治体の本来の責務である公共サービスが非常に疎かになっています。

 暴論ではありますが私見を申し上げますと、NKKは本社を福山に移籍するしかないと思います。いずれにせよ、この街が閉塞的状況から抜け出すのは容易ではありません。(東出真一)


【日本の技術をマスターした韓国が優位に立つのは当然】突然のメールで失礼します。いつも「萬晩報」では楽しませて戴いております。さて「新日鐵を追い抜いた韓国のPOSCO」を読んで事実はその通りで予想されていたこととの想いを新たにした次第であります。特に
   きっと多くの鉄鋼マンはまだそんな事実さえ知らないのだと思う。
> 親しい鉄鋼マンを非難しているのではない。日本産業の中枢の情報
> 収集力が著しく低下していることこそが問題だといいたい。
とお書きになっておられますが、ひょっとして設備投資を押さえて技術でカバーすることを得意とした日本人の国民性が継続していたのかも知れないという感じがしました。

 韓国企業も人件費が当時よりも上がっていますが、設備の減価償却が進むにつれ、技術力の確立と相俟ってコスト競争力もピークにあるの かも知れません。POSCOはどの様に出来たかを知っている者には予想されていたことだからです。HYUNDAI(現代造船)の造船に関しても同じことだ と言えましょう。

 オイルショックの後の日本の鉄鋼・造船業界は韓国から仕事を受注しながら敵に塩を送る商売を続けていたのです。何もないと言ってよい 韓国企業に設備と製品(部品)の仕事を貰いながら、最新の設備と技術を彼らに提供してきたのでした。それが受注する、生きていく手段であって今はそれで凌 ぐしかないとの思いであったのです。

 POSCOOの高炉とその付帯設備は日本の鉄鋼メーカ-と国内の鉄鋼設備メーカーである大手造船会社や重電機メーカーの技術で設計さ れ製造されたのです。現代造船は日本の造船会社に製品を発注しながら技術や管理に関する実習を続け、中にはその後は造船会社が発注していた外注メーカーに 直接発注するという方法さえ採ったのです。

 日本の企業は仰るように旧態設備を部分改良して最新技術を確立していたのですから何れは韓国企業が日本の技術をマスターすれば優位に立つことは明確に予想されていたのです。

 蛇足ですがこんな事実もありました。設備の部品に20トンの鋳物がありました。日本では老朽化した工場でそれを製造していました。 20トンの鋳物を作るのに鋳物砂や鋳枠を含めると約40トンの揚重能力のクレーンが必要で、日本の鋳物工場では30トンと20トンのクレーンで天秤という 吊具を介して吊っていたのです。(当時の日本の鋳物工場ではそれが珍しいことではなかった)

 そこへ上記の韓国の発注会社の鋳造専門技術者が実習にきました。彼等は朝早く出てきてその天秤を詳細にスケッチしていました。 それを見て「貴方方の鋳物工場ではクレーンの揚重能力はどうなっているのか」と尋ねてみると「この鋳物を作る工場は100トンと50トンのクレーンがある」と胸を張って回答していました。

 天秤のスケッチは全く要らないことでもっと鋳型の作り方や鋳物砂の性質とか管理方法などを何故学ばないのだろうかと話したものでした。

 その後調べてみると当時の日本中探してもない最新鋭の設備の鋳物工場が建設されていたのです。安い賃金で最新鋭の設備をもって日本の 製造技術を習得したらとても日本は太刀打ちできないだろうと言うのが当時の我々の感想でした。「敵に塩を送る」ことの悲哀が当時認識されていたことは間違 いない事実です。(成田 勝彦)


 【かつて鉄鋼マン、いまはトライアスロンショップ】いつも楽しく伴さんの記事を読まさせて頂いています。自分の興味のある本しかを読んでいないので、伴さんの記事を読んでいるといかに自分の知識が偏っているか思い知らされます。知らない世界を知る為、又、違う視点からの見方いつも教えてもらっています。

 今回メールを遅らせて頂いたのは、昭和63年まで私は神戸製鋼の神戸製鉄所で、技術職として働いていました。鉄鋼が不況 (約15年程前)になって一時期連鋳で働いていた事が有り、非常に懐かしく思い出されたのです。

 現場の者は、本当に頑張っている人が多かったのですが、トップの人達がもっと将来を考えて実行してくれればと思っていました.マー、 色んなしがらみがあって出来なかったのでしょうね。こうなるのは前から判っていた事なのに経営陣は自業自得ですが、色々な事が有り11年前に会社を辞め自 分が好きだつたトライアスロンの店を始めました。

 その後、自転車業界の人がトライアスロンの知識が全く無いので自分でアメリカ等から、競技用部品を個人輸入し始め現在は、競技用の卸 をさせて頂いております。最初はアメリカ人の友人から色々助けてもらい、平成2年の冬に英語を勉強しに43歳でSDの学校に2-3ヶ月行きました。 お陰 でブロークン英語で何とか商売できております。色々な素晴らしい友人に助けられて何とか競技用(ロード)では皆さんに知って頂けるようになりました。

 仕事がら(それを言い訳にして)色々の国に行くのですが、いつもバックパックを担いで観光客が行かないような所を歩き回っています。 東欧も時々行くので向こうの活気には将来性が楽しみといつも思っています。チェコのビールは本当にうまいし、地元の人が飲んでる居酒屋はメチャ安いですよね。

 又、4年程前からアジアにはまり、商売柄冬は暇なので、よく旅行に行きます。観光名所などは余り興味が無く、子供や、お坊さんのキラ キラと輝く目を見るのが一番の楽しみです. とくにミャンマーやベトナムが好きで、ベトナムは今までの日にちを合計すると三ヶ月ぐらい滞在しています。  サイゴンの人々のいい加減さや、活気と言うかザワメキというかそんな中で、ビールを飲んで眺めているのが大好きです。

 今年も正月休は2週間程サイゴンでビールを飲もうと思っています. 夕方サイゴンの町中をランパンでジョギングをしてから食事をしビールを飲むのが最高です。

 私事ばかり思いつくままに書いて申し訳ありません。今後とも伴さんの記事を読まさせて頂きながら、世界の色々な事や、世界に思いを馳 せたいと思っています。行きたい国がドンドン増えそうです.マア、人生一回だから頑張って知らない国を旅します。今後とも記事を楽しみにしています。 本 当に有難うございます。(中原敏一)


1999年12月03日(金)萬晩報主宰 伴 武澄


 日本の製鉄業界が一息ついている。というよりフル生産である。日本経済が浮上したからではない。アジア経済が再び成長路線に戻り、鉄鋼需要が旺盛になっただけである。

 ●10年前のリストラに失敗したつけ
 アジアで鉄鋼の輸出余力があるのは日本と韓国だけである。1980年代、アジア市場は日本の鉄鋼業界の独断場だった。だが90年代に入り、韓国が設備を 増強して競争に加わった。日本の鉄鋼の3分の2のコストで生産できるとされる韓国勢の参入で日本勢は厳しい価格競争を強いられることになる。

 90年代前半、つまりバブル経済が崩壊した上に円高が進んだことも日本の製鉄業界のコ スト押し上げ要因となった。日本の鉄鋼業界のリストラの目標は「世界一の競争力に追いつくこと」となった。口には出さなかったが韓国のPosco(浦項総 合製鉄)の影がひたひたと迫っていた。

 大手各社は相次いで大規模な人員削減を含むリストラ計画を発表した。日本の産業界に とって衝撃的だったのは、これまで「出向」という形で関連会社に出向いていた人員がついに「転籍」されることになったからだ。企業経営、特に労務対策でい わばお手本的存在だった鉄鋼業界がいよいよ終身雇用にストップをかけたのだった。

 ●日本の最新鋭製鉄所は20年以上も古い!
 1993年6月、われわれは朝鮮半島南部の光陽製鉄所にいた。前の年の秋に立ち上がったばかりの世界最大の製鉄所である。全貌を見渡せる高台から、仲間の一人で鉄鋼業界に詳しい記者がうめいた。

 「うぉー。日本の最新の製鉄所は20年前の新日鐵大分だったよな」

 日本の鉄鋼記者会のメンバーが初めて取材団を韓国に送り込んだ瞬間である。「世界最新鋭の設備を見ないでこれからの鉄鋼は語れない」という酒席での議論が高じて2カ月後には訪韓団が組まれた。前年の11月にこの光陽製鉄所が稼働を始めていたのだった。

 光陽製鉄所はわれわれが見てきた製鉄所と根本的に違うレイアウトだった。原料ヤードから高炉、圧延ライン、出荷バースまでがきれいな一直線を描いていた。

 日本の製鉄所はもちろん最新技術の粋を集めてはいるが、全体的に継ぎ足しの感はまぬが れない。だから、レイアウトは複雑に入り組んでいる。分かりにくいといえば、分かりにくい。ところが、どうだ、この光陽製鉄所は素人にも簡単に製鉄の工程 を説明できるレイアウトになっている。

 それがどうしたといわれれば、元も子もない。

 80年代に入って世界の製鉄所は日本が開発した連続鋳造という方式に変わっている。そ れまでは高炉でできた銑鉄をトピーカーで転炉に運び、酸素を注入して「鋼」に変え、いったんビレットという鉄鋼のかたまりにしてから、圧延工程でもういち どそのビレットを暖めて板に延ばしていた。

 いったんビレットにするのは、どろどろの液体状の鉄を圧延工程に流し込めなかったからである。それを可能にしたのが連続鋳造である。だが冷えたビレットをもう一度、1000度以上に暖めなくてならない。壮大なエネルギーロスである。

 製鉄所のレイアウトが一直線になれば、このロスがなくなることは分かっていたが、日本の入り組んだ古い構造の製鉄所ではむりな要求だった。製鉄所を新しくつくれば可能だが、日本での需給を考えるとそれはもっと不可能なことだった。

 きっと30年前にアメリカの製鉄業界が日本の最新鋭の製鉄所をみて同じ印象を抱いただろうことは想像に難くない。

 ●著しく低下している日本産業の情報収集力
 1980年代後半の円高時に目指した「9000万トン体制で利益を出せる体質」へのリストラが成功していればいまごろ韓国勢におびえる必要もなかったもかもしれないが、10年以上経ったいまも、利益をあげるには1億トンの生産が必要な体質のままである。

 筆者が1996年に上梓した「日本がアジアで敗れる日」(文芸春秋社)で「数年以内にPoscoが粗鋼生産で新日鐵を追い抜く」と書いたが、まさに1998年にその日がやってきた。新日鐵の王座は残念なことに1970年の合併以来30年続かなかったことになる。

 1998年03月17日萬晩報に「構造問題の保守本流-日本の鉄鋼業界」 というコラムを書いたらアメリカで勤務している日本の大手鉄鋼マンから「われわれを侮辱するのか」という抗議めいたメールをもらった。「ちゃんと鉄鋼業界 のことを取材してから書け」という主旨だった。筆者としては萬晩報の黎明期だったこともあって「おうおう大手鉄鋼マンにまで読んでもらっている」と感動し た一コマである。

 春先に大手鉄鋼マンと話をしていたときに新日鐵がPoscoに抜かれたことが話題に なった。その際「それよりPoscoの去年の税引後の利益が1000億円もあったのは知ってる?97年の通貨危機で韓国経済がどん底に落ち込んでいたとき だぜ」。その鉄鋼マンが絶句したのはいうまでもない。

 きっと多くの鉄鋼マンはまだそんな事実さえ知らないのだと思う。親しい鉄鋼マンを非難しているのではない。日本産業の中枢の情報収集力が著しく低下していることこそが問題だといいたい。


1999年10月21日(木)萬晩報主宰 伴 武澄


 日本で配当利回りが3-5%ある上場企業があるだろうか。預金金利の話ではない。アメリカの総合食品会社であるフィリップ・モリスのこの10年の株価に対する配当利回りである。

 ●配当+値上がりの年間利回りは23%
 1998年の年次報告書の冒頭に載っているバイブル会長の報告もまた度肝を抜く。

 「98年度は株価の上昇と配当とを合わせて23%の利回りを投資家にもたらした。これはダウジョーンズ30種平均の全体利回り18%を上回った」
 「98年8月当社は配当を10%増配し、1.76ドルとした。11月には今後3年にわたり80億ドルを投じて自社株買い戻しプログラムを再開する。これ によって当社はこの1年間、40億ドルを株主に配当をして支払い、一方で自社株を3億5000万ドル買い戻した」

 1998年度の決算は売上高744億ドル、昨年の円ドルレートで換算するとほぼ9兆 円。税引後の純利益は54億ドル(6500億円)である。アメリカを代表する優良企業であるが、ハイテク企業ではない。タバコのほかビール、乳製品、ハム ソーセージといった日常の食品を扱っている会社である。

 売上高は10年で1.7倍にしか増えていないが、利益は1.8倍。配当は89年に42セントだったものが、98年度には1ドル68セント。ちょうど4倍である。

 アメリカの株式市場がバブル的だと報道されている。一面的には当たっているが、企業の 業績が上がり、配当が上がっているという側面を見逃している。日本のバブル時との最大の相違は、アメリカ企業がちゃんと配当を増やして株主の期待に応えた のに対して、日本企業のほとんどは企業の業績が上がっても、株主への利益還元を怠っていたのである。

 
1989
1990
1991
1992
1993
1994
1995
1996
1997
1998
売 上 高
44,080
51,169
56,458
59,131
60,901
65,125
66,071
69,204
72,055
74,391
純 利 益
2,946
35,40
39,27
4,939
3,568
4,725
5,478
6,303
6,310
5,372
1株利益
1.06
1.28
1.08
1.82
1.35
1.82
2.18
2.57
2.61
2.21
1株配当
0.42
0.52
0.62
0.78
0.87
1.01
1.22
1.47
1.60
1.68
株 価 
13.88
17.25
26.75
25.71
18.54
19.17
30.08
37.67
45.25
53.50
配当/株価
3.03%
3.01%
2.31%
3.03%
4.69%
5.27%
4.06%
3.90%
3.53%
3.14%
単位:売上高と純利益は100万ドル、1株利益、配当はドル

 ●配当を増やせば有利なファイナンスも可能
 日本の上場企業はもっと配当すべきだというのが、萬晩報の一貫とした主張だ。トヨタ自動車については1998年03月02日付「株価押し上げにトヨタは大増配すべきだ」で書いた。100円もの一株利益を上げておきながら、23円の配当では株主は納得しない。

 株式市場が「株屋」だけの時代はとうの昔に終わっているはずである。フィリップモリス会長のように「株価上昇と配当で投資家に○○%の利回りをもたらした」と胸を張れるようにならなければ、広範な市民が日本株を持つようにはならない。

 赤字会社ならともかく、本田技研も松下電器グループも京セラも武田薬品もみんな配当を 出し惜しみしている。よほどの理由がないかぎり、基本的に利益の半分は配当として株主に還元するのが筋である。増配すれば、株価が上がる。当然、格付け機 関の格付けも上がり、資金調達で有利になる。

 こんな単純で分かりやすい株の基本を企業もメディアもずっと忘れてきたようだ。


1999年10月09日(土)萬晩報主宰 伴 武澄


 牧野純二さんから1999年09月04日付萬晩報「100年前のアメリカを想起させる巨大企業合同」の対して3つの視点から「ミスリーディングだ」というメールをもらった。コラムでは少々説明が足らなかったかもしれない。牧野さんのメールを掲載し、あらためてコラムを補足したい。
 ■牧野さんからのメール

 「萬晩報」を、いつも愛読させていただいております。990904号「100年前のア メリカを想起させる巨大企業合同」において、「アメリカでも日本でも独禁法というものがもう機能しなくなっているんだ。これってけっこう恐いんだぜ」とい う記述がありましたが、これは、少し違うのではないかと思いましたので、お便り申し上げました。

 (1)7つの大型銀行が5つになっても競争は阻害されない
 ご承知のとおり、独禁法は、競争を保護する法律です。そして、競争によってえられる価格競争の結果、消費者の利益を図ることを目的としています。競争を 保護するということは、独占を禁止するわけですが、日本というマーケットの中で、7社もの大型銀行がひしめき合い、その内の3社が合併して、5社になった からといって、競争が阻害されるとは、独禁法は考えないと思います。まして、銀行・信託・生保・損保・証券の垣根が取っ払われつつあり、競争単位が増えつ つある中では、ますます独禁法の適用の余地は無くなります。

 (2)3行の合併には競争促進効果がある
 今回の3社は、それぞれ単独では生き残れないという状況下での合併であることです。この3社の合併を認めなければ、各社は、死に絶えるか、非常に弱い競 争単位として生き延びるしかありません。3社の合併を認めれば、合併会社は、東京三菱、住友と互角に競争できる会社として生き残る可能性が有るわけです。

 市場で競争力のある会社が2社しか残らない状況と3社残る状況とでどちらが独禁政策上 好ましいかと言えば、もちろん後者です。つまり、今回の合併は競争促進効果(procompetitive effect)があると判断でき、独禁法は、これを禁止するどころか、好ましいことと考えると思います。

 ところで、これまでの護送船団方式そのものが、独禁法違反であったわけです。それが、バブル崩壊と、ビッグバンにより初めてまともな競争に直面して、競争力というキーワードで再編が行われようとしているわけです。これこそ、独禁法が理想する状況ではないでしょうか。

 (3)1国の企業間の競争から1国の市場での競争へ
 アメリカで、巨大な企業統合が行われていますが、これは独禁法が、自国の会社間の競争を問題とするのではなく、自国の市場の競争を問題としているからで す。極端に言えば、米国籍企業が1社しかのこらない状況でも、海外からの米国市場への参入があれば、競争は維持されるわけです。たとえば、世界最大の自動 車市場で、3社しか自国の自動車会社がなくても、米国自動車市場が常に熾烈な競争市場であるのは、常に、日本・西欧からの参入があるからです。

 現在、日本の金融業界も、外国資本の新規参入で、ますます競争が激しくなっていま す。(もっともクライスラーは、単独では強力な競争単位として生き残れなくなった為、ベンツと合併しましたが、ベンツは高級車では強いですが小型車では駄 目で、合併により強力な総合自動車メーカーが、出来上がったわけで、procompetitive effectのある合併であり、独禁法がこれを禁ずることは間違いであるわけです)

 公取による審査はこれからだと思いますが、公取は、以上3つの理由から、公開の合併を 問題とする可能性は全くないと思います。また米国の独禁当局が、独禁法の運用を誤っているということもないと思いますがいかがでしょうか。以上のこと、十 分お分かりのこととは思いましたが、記事の内容が多少ミスリーディングのような気がしましたので。(junji.makino@nifty.ne.jp


 【萬晩報のコラム補足】

 ●上場企業の3分の1を支配下に納める3行統合
 まず日本の金融機関の産業支配は、想像以上だということを知る必要があろう。独禁法で銀行は企業の株式の5%以上を持つことを禁じられているが、メイン バンクは直接、間接の株式の持ち合いシステムや資金供給、つまり借金を通じて首根っこを抑えているといって間違いない。

 事業拡大や設備投資などお金のかかる話は必ずメインバンクに話を通しておかなければ、その後の事業展開はおぼつかない。場合によっては社内の人事さえ牛耳っていることさえある。一部の無借金経営の企業を除いて一番恐いのが「資金供給のストップ」である。

 日産自動車がルノーに株式を売却して大規模な提携の乗り出したときも、両者のやりとりは逐一、メインの富士銀行や日本興業銀行に報告されていたはずである。なにを隠そう、産業界を取材する際の経済記者の最大の取材源は銀行であり、通産省なのだ。

 日本の場合、企業内のあらゆる情報がメインバンクに集まるシステムがいつの間にか構築されているのだ。恐ろしいことに、これはだれの意志でもなく自然発生的に生まれたシステムなのだ。たった5%の株式所有で、銀行以外にこのような権限を持っているところはない。

 興銀、第一勧銀、富士銀はすでに産業界に相当な支配力を保持しているが、その3行が統 合されると、2000を超える上場企業の3分の1がこの巨大銀行の支配下に入ることになる。やはり"資本の集中"と言わざるを得ない。日本の銀行の合併の 場合は、自動車業界や流通業界の大型合併と一線を画して議論する必要があるのだ。

 ●「超低金利」「公的資金」「原価法」に支えられた合併
 牧野さんの2番目の観点からいえば、今回の合併の場合、護送船団を引きずりながら自由競争を目指しているところに問題があると言わざるを得ない。

 まず第1に、超低金利はだれのために続いているのかということである。極論すれば、銀行救済のために国民が貯めてきた将来の生活資金である「年金制度」が瓦解しつつあるのだ。とんでもない救済を受けておきながら世界一の資金量の銀行をつくる必要があるのだろうか。

 興銀、第一勧銀、富士銀のこの3つの銀行のうち、ただの1行でも春の資本増強で公的資金を拒否したところはあっただろうか。実質的に日本という国家に筆頭株主となってもらっておきながら、競争政策もなにもないだろうというのが萬晩報の第2の憤慨である。

 巨額の公的資金の導入により、一時的にBIS基準である自己資本比率は改善した。しか し、この公的資金は当然ながら無利子ではない。莫大な金利がかかる。低金利とはいえ、企業経営的にいえば、年間の当期利益がふっとぶほどの金額である。自 己資本比率は改善しても不良債権を処理する原資が逆になくなるのである。

 はっきりしているのは国も銀行も株価や地価の回復に期待しているだけのことである。その意味ではその場しのぎの公的資金導入としか思えないのである。

 しかもほとんどの銀行は去年4月から、重大なルール違反を行っている。バランスシート 上の資産の評価に関して、「簿価法」から「原価法」に転換して含み損が出ない会計手法を導入した。国際的にみて企業会計の流れは「簿価法」から「時価法」 への転換が常識である。2年後には、資産の時価評価による国際会計基準の導入を控えているのだからなおさらである。

 そんな時期の「原価法」への切り替えは、国が認めたとはいえ「粉飾決算」に近い行為であることを指摘せざるをえない。

 ニューヨーク取引所に上場している東京三菱銀行は当然ながら「原価法」は取り入れていないし、公的資金の導入も拒否した。

 まさに片手で「競争」の旗を振りかざして、もう一方で「護送船団」にしがみつく日本の金融機関に今回のような合併は似つかわしくないのだと思っている。

 ●まだ大競争時代を語る資格がない日本
 牧野さんが挙げた3つの理由のなかで、3つ目に上げたアメリカの独禁政策が「国内企業による競争から国内市場での競争」に転換しているという観点はまさにそうだろうと思う。だが果たして、日本という国はどれほど外資に市場を開放しているのだろうか。

 旧山一証券を継承したメリルリンチは地方都市でも支店を持つようになったが、証券取引 所の取引以外で外資がそれほどシェアを持っているとはいえない。アメリカでは国内の自動車市場の4割近くを外資に明け渡しているが、日本ではまだ数%だ。 2割の市場を外国勢に明け渡しているのはタバコとか高級化粧品といった嗜好品ぐらいではないかと思う。

 だから日本という市場は本質的にはまだ「自国企業による競争」しか存在しない。確かに 日本に眠る巨額の個人資産を狙って外資系銀行が虎視眈々と参入しようとしているが、株価収益力からみて日本の金融機関をまともに買収しようとするところは 皆無だ。長銀のようにせいぜい破たん処理を終了した銀行を格安で手に入れるぐらいが関の山だと考えている。

 だから世界的に大競争時代に入ったという認識は正しくても、日本という市場においてはまだ正しくない。

 しかも興銀、第一勧銀、富士銀が欧米市場やアジア市場で欧米勢とまっこうから競争しているのならともかく、経営立て直しのため次々と撤退しているいるような状況で「世界の5指に入る」などという目標は絵空事にすぎない。

 厳しいようだが、国内市場の20%以上を明け渡した業界だけが国際的な競争政策を語る資格があるのだ。

 日本の公取委がどういう判断を示すか分からない。だが3行統合について萬晩報は独禁政策上、問題があると言わざるを得ない。


1999年09月04日(土)萬晩報主宰 伴 武澄

 8月19日、日本経済新聞が夕刊で「興銀、第一勧銀、富士銀の統合」をスクープし、各社が後追いした。お陰でその日、"遅番勤務"についた筆者は忙しかった。

 運動部から報道部にきているF記者がつぶやいた。

 「おれたちの若いころには考えられないよな。こんな大きな銀行がみんな一緒になるなんて」

 メガトン級のニュースであることは認めても「なるほどそういうことなのか」と納得できるニュースでも、「よかった、よかった」と歓迎するような明るい出来事でもない。かといって「こんなことは絶対許さん」と記者魂を揺さぶるほどの怒りもない。

 ただ漠然と「なんでこんなことができるのか」という実感のない演劇をみるような気分だったのだ。ニュースが大きすぎるのだ。

 「1990年代に入ってアメリカを中心にとんでもない企業統合がおきているだろ。あれが日本にも上陸したんだ。つまりアメリカでも日本でも独禁法というものがもう機能しなくなっているんだ。これってけっこう恐いんだぜ」
 「そういう解説をしてくれるとよく分かるが、どこでも書いていないな」
 「アメリカを中心に欧米で起きている考えは、市場のグローバル化だよね。国内に市場が限定されている時代だったら、その国の独禁当局が目を光らせていれ ばよかったんだ。問題はグローバル化の時代にだれがその役割を代替するか答が出ていないうちに企業が走り出していることだと思うよ」

 その後、以上のようなやりとりが続いた。

 ●巨額化する欧米のM&A
 1980年代のアメリカで始まった企業買収(M&A)がこのところ勢いを増し、グローバル経営の台風の目となっている。筆者が80年代にM&A企画で取 材したときでも「巨大な変革が企業社会を包み込んでいる」などと驚きを表現したが、ここ数年は件数、規模とも桁違いとなっている。

 米トラベラーズ・グループによるシティーコープの合併は700億ドル(8兆円)、エクソンとモービルに到っては800億ドル(9兆6000千億円)である。

 世界のM&A市場をリードするゴールドマンサックスの1998年のアメリカでも仲介実績は7,785億ドル。ヨーロッパでは1,736億ドル。合計すると9,500億ドルに及ぶ。実に約120兆円であり、日本の国家予算をはるかに上回る金額である。

 2位のモルガン・スタンレー・ディーン・ウィッターは計7,650億ドル、3位のメリルリンチでも 6,500億ドルの規模のM&Aをこなしたのである。M&Aは金融機関に巨額の手数料収入をもたらす。日本の一部の金融機関もこうした「投資銀行」を目指 しているが、残念ながら実績はゼロに等しい。

 ●トラストが"善"だった100年前
 実は100年前にも同じような事態がJ・P・モルガンらの手によって行われていたのである。J・P・モルガンは19世紀末からトップ銀行のひとつで、ア メリカで相次いで設立された鉄道会社への投融資で財をなし、バクチ相場となりつつあったニューヨークの金融市場で企業統合を進め、「業界に秩序を回復」し たことで知られる。

 ロン・チャーナウ「モルガン家」(日本経済新聞社)によると「新しい20世紀の幕開けとともに、アメリカ史上初の大規模な企業合併の波が押し寄せてきた」のだ。

 「電話、電信、それに運搬手段の発達に促されて、地方の各市場が、地域的、全国的な一大市場に組み込まれた。(中略)企業合併の数は1897年の69件から99年には1200件を超すにいたった」
 「大きな企業合併の波が勢いを増すにつれ、ウォール街の各一流銀行の目は鉄道から企業合同(industrial trust)へ移っていった」
 「企業合同では参加各企業の株主が、その上に設けられる持株会社の発行する企業合同証券(trust satificate)と交換に株式を信託するのが普通だった」
 「企業統合を認め、厄介な反トラスト法を発動させなかったマッキンリーは、経済界にとって都合のよい共和党大統領だった。1901年のUSスチール社の 誕生は1900年の大統領選挙における共和党の圧勝の後を受けて、政府規制が非常に緩やかだった当時の空気と切り離して考えられなかった」
 ●USスチールの14億ドルの資金調達
 数々の企業合同の中でもUSスチール社の場合は規模が桁違いに大きかった。100万ドル台の株式発行でも大事とされた時代に14億ドルの資本金で発足した。いまの金額にして230億ドルといわれ、売上高は欧米列強の国家並みとされた。

 モルガンのお陰で4億8000ドルでカーネギー製鋼の株を手放したアンドルー・カーネギーは「世界一のお金持ち」になり、鉄鋼関係者には大富豪が何十人も生まれた。

 この時代を前後して、乱売合戦が続いていた大西洋航路では2社体制が確立した。同じように巨大なアメリカ ンタバコが生まれ、スタンダード・オイルも石油利権を独り占めにした。いま流に言えば、世界で初めて産業界に巨大なM&Aを導入したのがJ・P・モルガン だったのである。

 当時もちろんM&Aという言葉もなかっただろうし、反トラスト法はあっても後世われわれが教科書でならうことになる「カルテル=悪」という発想も今ほどに強くなかった。逆に政財界には「過当競争はよくない。共倒れになる」という論調の方が強かった。

 よくいわれるように「企業は独占を目指す」という考えはそのころからある。「競争原理は弱肉強食である」という言い換えもできる。グローバル化時代を迎えて、いままた世界中で企業統合が礼賛されているが、まさに100年前の世相と生き写しなのである。

 「モルガン家」の表現になぞらえると、1990年代は「新しい21世紀を前にして、史上初の世界的な企業合併の波が押し寄せている。大きな企業合併の波が勢いを増すにつれ、ウォール街の目は製造業や流通業から金融合同へと移っていった」ことになる。  モルガン家のことを書き続けているうちにアメリカでその後に起きた「反トラスト気運」について書く余裕がなくなった。いずれ続編として反トラストについても言及したい。


 【世界に君臨した4つのモルガン】ロン・チャーナウ「モルガン家」(1993年、日本経済新聞社)は19世紀後半、ジュニアース・モルガン(J・S・モルガン)とピアポンド・モルガン(J・P・モルガン)父子がニューヨークとロンドンを中心に世界的金融帝国を築く物語である。

 当時、モルガン一族はロンドンにJ・S・モルガン商会(後にモルガン・グレンフェル商会)、ニューヨークにJ・P・モルガン商会、フィラデルフィアにデュレクセル・モルガン商会、そしてパリにモルガン・ハージェス商会の4つの会社を持っていた。

 多くの世界的な銀行は19世紀の後半に生まれた。株式を公開せず、何人かのパートナーが最終責任を負うパートナーシップという経営形態を取った。日本にはないシステムで共同経営とでも訳せばいいのだろうか。

 モルガン父子の各地の商会もそうだった。4つの商会の関係は親会社でも子会社でもない。それぞれ独立した 法人である。いまも欧米の金融機関にはこうした経営形態は色濃く残っている。クリントン政見のルービン前財務長官の前職は今はときめくゴールドマン・サッ クスのパートナーの一人だった。

 100年後のいま、モルガンの各商会は株式を公開したり、M&Aを通じてそれぞれが違った生き方を歩んで いる。ロンドンのモルガン・グレンフェルはドイツ銀行に買収されて、ドイチェ・モルガン・グレンフェル銀行となったが、ニューヨークのJ・P・モルガンは モルガン・ギャランティーの持ち株会社として健在であり、パリの商会はJ・P・モルガンから投資銀行として分かれたモルガン・スタンレーの子会社となって いる。

1999年03月25日(木)萬晩報主宰 伴 武澄

 マツダは4月1日から営業拠点を東京から広島の本社(府中町)に移転、東京には広報の一部だけが残る。ア メリカのフォードからやってきたジェームズ・ミラー社長が生産と販売の一極化を提案し、ようやく20年前の姿に戻った。フォードからやってきたミラー社長 が決断したいいニュースだと思う。

 取材した後輩記者の話だと現場でのミラー社長の評判がすこぶるいいらしい。もちろんフォードの世界戦略の 中でのリストラはあるのだが「フォードの役員は現場の声を大切にする」というから驚きではないか。われわれは日本的経営こそが「現場の声を大切にしてき た」のだと信じて来たのではないだろうか。

 こんな逸話もある。経営会議は日本語から英語が混ざるようになった。10億円は英語で「ワン・ビリオン・エン」だが、マツダ流英語では日本の桁取りにならって「テン・オクエン」という。日本人に分かりやすいよう工夫されたという。

 ●80年代に東京へラッシュした関西企業
 これまでの日本人経営者は東京で記者会見をし、東京でニュースを発表したがった。発想の軸を東京に据えることが「一流企業」になる条件だと信じていた。おかげで土地も人件費もばか高い東京の価値はさらに上がり、広島の地盤はどんどん沈下した。

 1982年から85年の間、筆者は共同通信大阪経済部の名刺で取材していた。住友金属工業、武田薬品工業、ダイエー・・・。多くの関西系企業が民族の大移動のごとく東京に経営の軸を移していったことに寂しさを感じた。

 10年経つと、関西に経営トップが常駐する有力企業はわずかとなり、広報の主力部隊も東京に移った。「関西の空洞化」が懸念され、財界人は「関西復権」を声高くさけんだ。だがその財界人の出身母体企業が次々と東京を目指していたのだから、矛盾した話だった。

 関西企業が東京を目指したのは、政府があり、業界団体があったからだ。当時、多くの役員たちが「大阪にい ては情報が取れない」と漏らしていた。彼らは「霞ヶ関の役人」と「業界団体」を情報源と勘違いした。規制緩和がさけばれていた時代に官庁にすり寄ろうとし たのだから、大いなる勘違いである。

 地域から世界的に発想するのはそんなに難しくない。京都府長岡京市に本社を置く村田製作所は地方での経営 のメリットとして「業界団体活動に時間を割かれないですむ」ことを一番に上げている。同社はセラミックコンデンサーなど世界的な電子部品メーカーである。 横並びの経営を続けてきた企業には無理だが、企業に活力があり、魅力があれば、世界の目がその地方にフォーカスされるのだという。

 ●日本人経営者にやってもらいたかった広島回帰
 マツダの広島回帰はすでにいい影響を地域に与えている。大手のマスコミにとって、これまで東京まかせだったマツダの取材が、広島駐在記者の仕事になった。これまでほとんど縁のなかった「国際標準」などという表現が地方の若い記者の口から出るようになった。

 自動車業界は裾野の広い産業だし、販売先も国際化し、記者にもグローバルで幅広い視点が不可欠。これまで はそんな勉強は不必要だったが、これからはそうはいかない。トヨタ自動車の動向はもちろん、フランスのルノー社による日産自動車の株式取得といったニュー スにも当然、関心を持つようになる。

 本当は、地域活性化は日本人経営者にやってもらいたかったが、警察取材と夏の原爆取材が中心だった広島に新たな取材源が生まれることを記者として喜びたい。

1998年11月14日(土)萬晩報主宰 伴 武澄


 ホワイトナイトだった西陣の旦那衆

 「京セラの稲盛さんが言っていたんだが、京都には旦那衆ってのがいて若いころ本当に世話になったそうだ。いわゆる祇園とか先斗町とかのお茶屋遊びを支えていた人たちだ」
 「大蔵省の中島義雄のように飲ませてもらったという話じゃないんだ。困ったときに投資してくれたらしい」
 「多くが西陣の経営者でいまで言うとホワイトナイト。ベンチャーキャピタルだ。京セラの場合は事業が軌道に乗って、当時の投資が何百倍にもなって恩返しになったんだ」

 そんな先輩記者からの話を聞いて、1994年に台湾でハイテクランドである新竹科学工業区を取材した時の話を思い出した。半導体設計会社、Weltrendの会長である蔡焜燦氏が語った創業のきっかけである。

 「台湾には小金持ちが多いんですよ。アメリカ大手企業で半導体設計をしていた親戚を呼び戻して企業をつくろうということになって仲間10人が出資したん です。当初の資金を少し多めに出したため、私が会長を務めることになりました。ウナギの稚魚を日本に輸出する仕事にかかわっていたので、会長と言っても本 当は半導体のことなど分からないのです」。

 Weltrendの配当率は当時としても30%と高率だったが、昨年、蔡さんが来日して語ったところによるといまでは60%に達しているらしい。なるほ ど台湾ではホワイトナイトがそこかしこにいて、新しい投資話に華を咲かせてきた。多くは在郷の地主層だ。台湾経済がアジアの通貨危機以降も成長路線を崩し ていない理由もここにある。(蔡さんの話は1998年02月26日「 「老台北」台湾に生き続ける50年前の日本人のDNA 」)

 シリコンバレーの八木博さんから聞いた話でも同じだった。シリコンバレーにはベンチャー企業とベンチャーキャピタルをつなぐ専門家集団がいくつもあっ て、技術と資本と経営がうまくかみあっているという。とうも昨今の日本ではカネやアイデアがあっても起業につながらない。化学反応で言えば「触媒」、生体 でいえば「酵素」が欠如しているようだ。

 京都府福知山で"植物インスリン"を売りだそうと日夜奮闘しているユーステクノの松山太さんが語ったことがある。

 「最近の貸し渋りでどこの金融機関も金を貸してくれない。だが銀行がカネを貸さないのはまだいい。でもベンチャーキャピタルってのはもっとひどい。投資 を申し込むと審査がすごいんだ。バランスシートとか担保だとかばっかり話題にして、こちらのアイデアの部分には一向に耳を貸してくれないんだ。いかに僕の ところに投資すれば失敗するか、あらばっかり捜しているのがよく分かるんです。バランスシートがよければ銀行がカネを貸してくれますよ」。

 1990年代の日本はどこもかしこもそんな状態だと思う。

 投資から投機に変質した1970年代

 なぜそんな日本になったのか考えた。いまのところ仮説でしかないが、全国各地にいたはずの旦那衆がホワイトナイトを辞めてしまった理由が証券市場の改革にあったのだと思っている。

 日本の証券市場で時価発行が登場したのは1970年代である。それまでは額面主義だった。多くの企業はいまでも額面は50円だが、時価発行が認められる までは株価が80円になっていようと100円でも増資の時は、割り当て増資といって既存の株主に対して優先的に50円で新株を購入する権利があった。

 配当が1割あり、新株が"原価"で買えるのだから誰もが割当増資に応じた。額面主義は日本特有だったが、それなりに個人株主を育む意味合いがあった。配当の1割は上場基準のひとつだったから、1割=5円配当は上場企業にとって守るべき最低のルールだった。

 ところが、時価発行制度を導入した際、配当基準だけは額面時代の「1割配当」が残った。新株発行が企業にとって圧倒的に有利となり、投資家には不利なこ ととなった。2000円で新株を発行しても配当は5円しかなかったら投資家は市場から逃げ出すに決まっている。日本の証券市場での個人投資家の比率が減少 し始めるのはこの1970年代である。時価発行が始まってからの証券市場はますます企業だけものものになった。

 投資家が着目したのは土地である。故田中角栄首相の登場でときあたかも土地投機時代を迎えていた。企業への投資より有利な"商品"が出現したのである。 土地への投資でもうけたのを全面否定するわけではない。しかし、土地投機では開発に群がるブローカーがあちこちに出現した。

 一方で日本の証券市場を支えてきた旦那衆たちは日本経済の東京一極集中で自営業が傾き、投資の余裕をなくしていた。だから、土地投機には政治家もやくざ も入り乱れた。特に時価発行増資により潤沢でしかも配当負担の軽い資金を手にした企業もまたこの新規市場に参入した。つまり戦後日本経済を支えてきた出演 キャストの入れ替えが順次起きたのではないかと考えた。

 開発予定地への土地投資はトリプルA

 企業への投資は株である。失敗も成功もあったが、土地の場合、値上がりは全国的に波及した。一カ所だけが上がることはなかった。銘柄は開発予定地であ る。だから右肩上がりであるかぎり投資対象として株式より"安全"だった。開発計画を事前に知りうる立場にある政治家が絡めばなおさらだった。格付け機関 にたとえれば開発予定地への土地投資はトリプルAだった。

 1970年代が多くの意味で戦後日本の転換点だったことはこれまでも指摘してきた。キャストの入れ替え説を唱えるのは初めてだ。メザシと緊縮財政で有名 になった故土光経団連会長が酒席でよく話していたのは「経済人も官僚も政治家はいまもむかしも料亭に入り浸りだが、少なくとも昭和40年代までは天下国家 が話題となっていた」ということだ。どうも高度成長の次の世代を支えるステーツマンが日本では育っていなかったらしい。

 話が回り道にそれた。企業への投資の妙味を忘れた1970年代以降の日本に戻す。時価発行制度を導入したときの上場基準である。1984年ころ京セラの 年間配当は50円と日本企業としては群を抜いていた。ある決算発表の席上、経理担当役員が「うちは100%配当をしています」というようなことを言ったの に対して、「100%といっても株価が8000円では1%の配当率にもならないではないですか」と反論したことを思えている。

 店頭登録した化粧品のノエビアの友人が「株式公開前から社員株主制度があって、毎月1万円で200株もらえた。配当が1株5円だから、1000円の配当 金になった。でも公開後は同じ1万円で5株しかもらえなくなり、配当はたった25円にしかならなくなった」としみじみ話した。

 町の旦那衆だって、社員だって、国際的投資家だったみんな同じだ。株式投資はハイリスクハイリターンが原則だ。リスクだけ負わせてリターンがなければだ れも投資しない。それよりゲーム感覚で起業家層を育んできた町の旦那衆を疲弊させた日本経済こそが問題なのかもしれない。


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