民主主義: 2004年4月アーカイブ

2004年04月11日(日)平岩 優(エディター/ライター)

 萬晩報がスタートしたばかりの頃に、主宰者の伴さんはコラム「租税特別措置法で二倍払わされているガソリン税」(98年2月11号)の中で「いまの日本 には「暫定的」に導入され、そのままになっている制度があまりにも多い」と書き、日本を「臨時・暫定・特定国家」と難じている。

 このところの軍備・自衛隊をめぐっても、この「当分の間の措置のための便利な法律」が強引につくられている。米軍のアフガン攻撃支援のための「テロ対策 特別措置法」しかり、自衛隊をイラクに派遣するための「イラク復興支援特別措置法」もそうだ。時々の政府はりっぱに軍隊であるものを違うといったり、憲法 解釈をめぐって前文がどうだとか、アクロバットのように身をかわしねじ曲げ、戦後60年近く憲法第九条に違反するとの批判をかわしてきた。しかし、そろそ ろ糊塗するには憲法と施策の溝が大きくなりすぎたのではないか。

 この後には有事関連法案も控えているし、国民の前に明らかにしてこなかって事実やねじ曲げた憲法解釈を軸に外側からいろいろな法律をその場しのぎにぺた ぺた貼りつけていくと、私のように法律に暗い人間には、何がなんだか解らなくなってくる。それに、このままでは国民自らが権利を行使し、義務を担っていく はずである、憲法にうたわれた主権在民の宣言が空文化する。

 自衛隊のイラク派遣に反対した野党の民主党あたりが提案し、憲法第九条の是非を国民に問い、改正か否か国民投票を行ってもよいのではないだろうか。

 2年前に亡くなった在野の政治学者、萩原延壽氏は湾岸戦争の経過の中で
「第九条は一種の「良心的兵役拒否」の宣言に等しい。......これを国際社会に認知してもらうためには、たいへんな努力、「苦役」を甘受する努力と、その努力 の蓄積が必要となろう。ことは資金面の協力だけですむことではないと思われる。ここでも国家としての日本の威厳と品位が問われている。」(著書『自由の精 神』の中の「人間と国」)と語っている。
 また同書を読み、昭和21年夏に貴族院で、新憲法草案の戦争放棄条項をめぐり、政府と学者グループの間に論戦が交わされ、それが以下のような内容であったことを恥ずかしながら初めて知った。

 たとえば学者グループの後に護憲の学問的な柱となる東大総長・南原繁は
「理想は高ければ高いだけ、それだけに現実の状態を認識することが必要でございます。.........戦争はあってはならぬ、是は誠に普遍的なる政治道徳の原理であ りますけれども、遺憾ながら人類種族の絶えない限り戦争があると云うのは歴史の現実であります。従って私共は此の歴史の現実を直視して、少なくとも国家と しての自衛権と、それに必要なる最終限度の兵備を考えるのは当然のことでございます。政府は近く来たらむとする講和会議に於いて、是等内外による秩序の破 壊に対する最小限の防衛をも放棄されると云ふと為さろうとするのであるか、此の点を御尋ね申し上げたいのであります。若しそれならば既に国家としての自由 と独立を自ら放棄したものと選ぶ所はないのであります。」と現実を直視するよう説く。

 これに対し政府の吉田茂首相は、
「平和に寄与せむと欲する希望及び抱負を憲法に明示致しますことに依って、平和愛好の国民として世界に愬へると云ふ気持ちもありますが、同時に自ら武力を 撤して、さうして平和団体の先頭に立って平和を促進する。平和に寄与すると云ふ抱負を加えて、戦争放棄の条項を憲法に掲げた考であるのでございます。」と 理想を語っているのである。

 戦後のある時まで、政府も国民も自ら、もう戦争はこりごりだと考えどんなに苦労してもあえて「良心的兵役拒否」を選ぼうとしたことがあった。しかし、い つしか「良心的兵役拒否」を選択した緊張感は消え去り、物質的豊かさを享受し"個人の勝手でしょ"を言い始めたことになる。

 国際貢献という名目の自衛隊のイラク派遣に賛成しているのではない。日本は戦後続いた冷戦構造の恩恵を最大限に享受し、経済的な繁栄を手にした。その ちょうど逆の例が、冷静構造の最大の犠牲を払った国が首領さまを頂かなくてはならなかった北朝鮮である。たまたま幸運な立地に恵まれた国の人間が、そのこ とをわきまえずに国際社会のことを考えずに自国だけの繁栄を享受し続ければ、やがて精神の退廃にいたるといいたいのだ。

 たとえば自衛隊のイラク派遣に対し、アメリカに北朝鮮の核から守ってもらうのだから派遣は止むえないという声を多く聞くが、ここには「良心的兵役拒否」 にともなう緊迫感はなく、判断停止と退廃がある。だから、国民一人ひとりがもう一度憲法を考え、国の在り方ひいては自分が暮らす地域社会の在り方を考えた 方がよい。もし国民投票の結果に納得できなければ、国籍離脱の権利だって憲法で保証されている。

 ちなみ萩原氏は『自由の精神』の巻末におかれたインタビューで、
「やはり、憲法第九条は撤退だろうと思うんですね。ただ、撤退ととらないで、あれは非常に積極的な前進だと受けとる人もいます。丸山(眞男)さんはどちらかというと、積極的なものととるほうなのですが、僕は撤退だろうと思うんですけど。......

 いま、韓国とか、台湾とか、中国とか、東南アジアとか、皆非常に張り切ってやっているわけでしょう。それと同じように、日本もまた張り切ろうというの は、ちょっとおかしいんじゃないかと思う。日本はもう、そろそろリトリート(retreat)して、分を知る段階、分にふさわしいところまでリトリートし たほうがいいんじゃないかという気がするんですがね。......イギリスもリトリートをやっているわけですから。」と言っている。

 そうか憲法第九条が撤退か......、正直私は目から鱗が落ちるような思いがした。日本の人口はたしか日露戦争時で約5000万人、その後も、ひたすら増え続けて1億を超え、これから減り続けていく。いわば青春を終え、白秋を迎えたのではないか。

 憲法改正でもうひとつ問題になるのは天皇制であろう。私はこのあいだ亡くなったオランダのユリアナ前女王がすでに1980年に退位しているのを知って驚 いた。オランダでは生前に退位できるのである。しかし、考えてみれば昔は日本だって30歳そこそこで退位し、上皇になっていたりした。

 生前に退位ができれば、あの88年秋から89年にかけての思い出したくもない自粛騒動もなかったろう。昭和天皇ご本人も、個人としてご自分の波乱に満ち た生涯をより静かに回顧することができたかもしれない。だいたい、天皇は46年に人間であることを宣言したが、象徴であって国民ではない。天皇は個人の意 志で即位を辞退したり、途中で退位できないのだから。これは国民の権利と自由を定めた基本的人権に違反していないのだろうか。とすれば、現在の憲法には大 きな矛盾が含まれている。

 それに女帝の問題も議論されるだろう。ちなみに先日、三笠宮崇仁殿下がラジオのインタビューで女帝問題にコメントしていた(NHKラジオ深夜便こころの 時代・オリエントに想う)。殿下は女帝の問題は難しいという、なぜなら配偶者のなりてがいないだろうと。戦後、貴族制度が廃止され、天皇制の外堀が埋めら れたといっておられた。

 ともあれ、憲法を金科玉条にように奉り、判断停止に陥っているよりも、一人ひとりが憲法を考えてみるべき時がきていると思う。もちろん、現行憲法がその まま存続してもいい。ただ、その場合は、独りよがりではなく、世界の人たちに「良心的兵役拒否」を納得させなければならない。

参照文献
『自由の精神』萩原延壽著 みすず書房刊

 平岩さんにメールは mailto:yuh@lares.dti.ne.jp

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