民主主義: 2000年1月アーカイブ

2000年01月21日(金)萬晩報主宰 伴 武澄


 恥ずかしながら「レファレンダム」(referendum)という英単語を知ったのは、ほぼ1年半前である。イギリスに留学したという後輩に偉そうに「おまえ、住民投票って英語でなんというか知ってるか」などと聞いて赤恥をかいたことでいまでも忘れないでいる。

 イギリスのブレアが政権がスコットランドとウェールズで議会開設の是非を問う住民投票を行ったことを調べていた時のことである。イギリスのマスコミのホームページには「レファレンダム」という特集コーナーが必ずあった。

 ●動き出した日本の住民運動

 日本でも「住民投票条例」が自治体にあり、条例案の直接請求ができることになっている。

 一昨年前の秋、神戸市民が空港建設の是非を問う住民投票を求める署名運動を行い、徳島でも吉野川堰の建設 の是非を問う同じような署名運動を行っていた。神戸市民の運動は30万人の署名を集めたにもかかわらず、市議会がこの住民投票条例を否決し、徳島ではまさ に住民投票が始まった。

 従来、こうした動きは革新を名乗った勢力が「住民」の名を借りた運動のように受け止められて、うさん臭 かった。最近ではようやく普通のサラリーマンや主婦が動き出している。とはいえ、政府の側は依然としてほとんど住民運動を旧来の発想からしかとらえず、無 視する方向にある。

 逆にスイスの場合、この国は直接民主主義ではないかと見まがうほど市民の政治参加が要求される。スイスの憲法や23の州憲法の特徴は、多くの条項がレファレンダムとイニシアチブに割かれていることである。住民投票(国民投票)と住民(国民)による議案提出権だ。

 直接民主主義が徹底されている国柄だともいえるのだが、ぜいたくなことにあまりに多くて、市民から拒絶反応が出るくらいだということである。スイスと日本の彼我の違いの一部を紹介したい。

 ●義務化される国民投票

 スイス連邦の場合、国民投票は「義務的レファレンダム」と「任意的レファレンダム」に分かれる。 前者は憲法の改正や安全保障にかかわる決定、超国家的共同体への加盟を決める際に国民が直接投票して、有効得票の過半数を得たうえで、過半数の州の賛成を得なければならないことになっている。

 たとえば1992年12月には「欧州経済領域に関する協定」が国民投票にかけられた。将来のEU加盟の是非を問うレファレンダムだったが、スイス国民はこれを僅差で拒否した。

 憲法改正は日本でも当然、国民投票にかかる案件だが、日米安保は国会の議決だけで決まった。スイスだと、たとえば日本で最近あった「ガイドライン法案」のように安保の概念の質的変化を伴う案件は当然「義務的レファレンダム」の範疇に入ってもおかしくないのだと思う。

 やさしくいえば、スイスでは国の大きな舵取りはすべて国民が直接投票して決定するということになる。国枝 氏によると、スイス連邦が発足してほぼ150年で義務的レファレンダムが134件あり、96件が可決され、38件が否決された。重ねて言うがこれは国民の 請求ではなく、義務なのだ。

 ●議会決定の45%を覆すパワー

 一方、「任意的レファレンダム」は5万人以上の署名があれば請求できる国民投票で、法律の制定後や公布後でも90日以内ならば、政府の決定を住民の過半数の意志で覆すことができるというものである。簡単にいえば、法律の「クーリングオフ」制度ともいえる。

 ここには、国民に選ばれた代議士が決定することは「すべて国民の意思である」などとする硬直した考えはな い。同じようにこの150年間に44件が採択され、55件が否決された。連邦議会が決定した事柄の45%を国民が投票で葬り去ったといえば言い過ぎだが、 国民が異議を申し立てた案件にかぎれば、そういうことになる。

 レファレンダムが近づくと、新聞には賛否を論じる意見広告が多く掲載され、町にはポスターが貼られる。有 権者の手元には分厚い資料が届けられて、勉強する機会が与えられる。ないものねだりではないが、なんともうらやましい制度ではあるが、一方で国民に相当な 知的レベルを要求する制度でもある。

 ●法律は解釈するものではなく、改正するもの

 ここらで断りを入れなくてはならないのは、筆者はスイスの政治制度の専門家でもなんでもない。スイスという国に関してはチューリッヒに1泊した経験しかない。すべては国枝昌樹氏「地方分権のひとつの形」(大蔵省印刷局)を読んでの受け売りである。

 とはいうものの、150年前に形成された永世中立国の政治制度をここまでやさしく分かりやすく解説した書 物はほとんどないと思う。このコラムではスイスの連邦レベルのレファレンダムについてだけ解説した。戦後われわれは国の在り方としてスイスに対して「永世 中立国」としての断面だけしか見てこなかった。

 この本ではもちろん「国民皆兵」の歴史についても詳しく触れられている。一方で「外国人」問題でも先進的 取り組みが紹介される。コラムのタイトルを「レファレンダムとイニシアチブ」としながら、イニシアチブについては説明できなかった。すべてを紹介できない のが残念だが、筆者が読みながら棒線を引いた二つの文章を最後に紹介する。

 「スイスの法曹界には、一般的に、憲法、法律などの条文について解釈論を戦わせ、その上で実生活に適応さ せていこうとする傾向は希薄である。そうではなく、憲法や法律に不都合な部分や、予想していなかった事態が発生したならば、改憲、改正、あるいは新規の立 法を行うことで問題を解決しようとする姿勢が鮮明だ」

 ジュネーブ州の憲法には「州議会の立法は、公布後40日以内に7000人以上の有権者が要求する場合、州 民投票にかけられる。州議会が決めた緊急性を持つ例外的法律は対象外であるが、州の財政負担として12万5000スイスフランないし、毎年6万スイスフラ ンを要する法律は緊急性を主張できない」


 ニューヨークの小関さんから以下のようなメールをいただいた。ジュネーブの人口に関して【お詫びと訂正】をします。

 地方分権に関する記述中にジュネーブがスイス最大の都市だと書いてありますが、これは何かの間違いではないかと思います。日本で言う都道府県はスイスではカントンと言います。以下に簡単な数字を並べます。

 
人口
面積
ジュネーブ市
17.5万人(40万人)
282平方Km
チューリッヒ市
100万人(120万人)
1,729平方Km
カッコ内はカントン(州)

 ジュネーブ市のウェブ・サイトには1870年にチューリッヒに抜かれるまでジュネーブがスイスで一番人口の多い都市だったと書いてあります。

 また、現在住民の40%弱が外国籍の人で、国籍は約80にも上っており、当然ながら少なくともスイスで (世界的に見ても飛び抜けているとは思いますが)一番外国籍の比率が高い都市になっています。因みに2番目に外国籍の人口が多いのはイタリアとの国境の ティッチーノで約27%。他にバーセル・カントンとヴォー・カントンが25%超となっており、最も少ないウリ・カントンでも8%程度は外国籍のようです。 日本では考えられませんね。

 参照したウェブ・サイトはwww.about.ch/www1.linkclub.or.jp/~swiss/ の2つです。ジュネーブは3年弱暮らした所なので、少し気になりました。


2000年01月18日(火)萬晩報主宰 伴 武澄


 「スイスと北海道の面積と人口を比べてどちらが大きいか」-そんな質問をされて答えられる人は少ないと思う。

 まず面積は北海道の方が大きく、人口はスイスの方が多い。北海道の面積は8万3451平方キロで、スイスが4万1285平方キロ。北海道はスイスのほぼ2倍の面積があり、人口は北海道569万人に対して、スイス709万人と3分の2しかない。

 人口密度で言えば、スイスの方が数段高い。どちらが山が多いかといえば、スイスであろう。そんな国土であ りながら、有数の国家経営をしてきたノウハウがある。有数の世界の金融センターのひとつであり、時計を中心とした精密産業を育み、ネスレやスシャードと いった食品企業、世界有数のエンジニアリング会社ABBもある。

 北海道に欠如しているのは独立した意思決定のメカニズムである。日本から見れば化外の地としてスタートし、開拓植民によって開発が進んだが、明治以来、中央への依存体質から抜け切れたことがない。日本で唯一、道州制が敷かれているにもかかわらず、自立が遅れた。

 ●地方自治が徹底すると大臣の数が減る

 外交官である国枝昌樹氏の『地方分権・ひとつの形』を読んで目からうろこが落ちた。この本は毎日新聞の読 書のページで「京都、水と緑をまもる連絡会」の田中真澄さんが講演のたびに持ち歩く本だと紹介されていた。田中さんは市民運動のリーダーである以前に京都 の志明院の住職である。

 『地方分権・ひとつの形』はスイスの政治の在り方を紹介した本だ。国枝氏がジュネーブ勤務時代にこつこつと調べ上げた実態調査でもある。この本を読んでいて久しぶりに「北海道独立論」に立ち返って、多くのことを考えさせられた。

 スイスの閣僚は首相を除いてたった7人である。外相、内相、経済相、司法警察相、国防相、財政相、環境・運輸・エネルギー・通産相の7ポストである。

 ちなみにアメリカは14。ドイツ15、イギリス20。フランスは閣外相10人を含めて26人、日本はとい えば19人で、ロシア33人である。閣僚がスイスより少ない国家はわずかに太平洋に点在するいくつかの島嶼国のみである。国土の広さとは関係なく、中央集 権が進むほどに閣僚の数が増える傾向にあるようだ。

 当たり前の話であるが、スイスでは教育の権限はほとんど州にあるため、文部省はいらない。同じように農林省や労働省、厚生(福祉)省、公共事業を担当する省庁もない。

 もちろんスイスでも国家がこれらの仕事をまったくしないのでなない。内務省にそれらの部門は確かにある。だが、独立した省庁を必要性を認めないのがスイスの憲法である。

 これらの仕事は基本的に地方の独自色を出した方が効率的な行政が行える部門である。だから地方に権限を委譲すれば、日本だってこれらの省庁は必要なくなるというモデルがスイスにある。

 ●ジュネーブはスイスの新参者

 スイスの首都がジュネーブにあるものだと勘違いしている人が多い。ジュネーブはあくまで国際機関が集中す る都市で、首都は中部のベルンにある。そして東部の都市であるチューリッヒは金融都市。ローザンヌは商業の町。バーゼルには日本の金融機関を苦しめた BIS、国際決済銀行の本拠地がある。金融機関を中心に世界のビジネストップが年に一度、参集する「世界経済フォーラム」はダボスで開かれる。

 スイスは連邦国家である。起源は1291年、ウリ、シュビツ、ウンターワンデスの3つの共同体の盟約締結 にさかのぼる。その後、500年にわたり「盟約」に参加する共同体が増えるが、あくまで盟約関係であって、連邦国家ではない。この盟約関係に最大の危機が 訪れるのがナポレオンによるスイス経営である。スイスは一時期、ナポレオン政権時代にフランスの保護下に入り、衛星国のひとつとなっている。

 皮肉にもこのことがスイス連邦誕生の契機となった。1815年のウィーン会議の後、旧支配層が復活して22の州による連邦国家が成立した。フランス語圏の一独立国だったジュネーブはこの時、スイスに合流した。

 憲法が制定されたのはフランスの7月革命の影響を受けた1848年である。人民主権と代議民主制を取り入 れた25州による連邦制を規定したのである。1800年代の中葉、ドイツ帝国が成立し、イタリアもまた統一された。アメリカは南北戦争があった。日本の王 政復古による明治国家建設も同じ歴史のその流れの中に置くと分かりやすい。いまある先進国の枠組みが完成し、相互が認め合った時期なのである。

 近代国家の領域は共通言語によると考えられがちだが、スイス連邦の結成はそうでもない。公用語はフランス語、ドイツ語、イタリア語だった。1938年、国民投票で憲法を改正して新たにラテン語系のロマンシュ語を加えた。

 萬晩報的に解釈すると、スイス連邦の歴史は150年前からミニ版・欧州連合(EU)を指向していたということになる。(続)

 次回は「レファレンダムとイニシアチブ」について伝えたい。


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