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 尖閣諸島をめぐる日中の領土問題や、普天間基地へのオスプレイ配備をめぐる動きなど、昨今、マスコミで沖縄のことが報じられない日はない。そういえば、沖縄振興策として鳴り物入りで導入された日本で唯一の経済特区(一国二制度)、沖縄特別自由貿易地帯(フリートレイドゾーン)はどうなっているのか。そう思っていたら朝のNHKラジオのビジネス展望というコラムで、フットワークの良さで定評のある経営学者の関満博氏が、その近況を報告していた。

 東日本大震災後、あらためて沖縄経済特区の立地とその仕組みが注目されているというのだ。

 1999年3月、経済特区は沖縄本島中部東岸の中城(ナカグスク)湾の埋め立て地400haのうち122haの区域が経済特区として指定された。特区内では保税制度が活用でき、輸入原材料にかかる関税を保留のまま、加工した製品を輸出できる。さらに進出した企業は、日本の法人税の実効税率が約40%なのに比較し、設立5年までが19.5%、6~10年までが23%と中国の特区に近い優遇税制が受けられる。関氏によれば、特区は分譲区画と賃貸工場の区画に分かれていて、分譲区画は大半が空いているが、賃貸区画は本土から約20社が進出し、ほぼ一杯とのことだ。

 沖縄の2次産業は建設業が中心で、機械、電気などモノづくり系産業を誘致・育成することが沖縄県の悲願となっているが、進出企業の多くがモノづくりの基礎となる金型等の素形材産業が占めるという。

 たとえば半導体製造装置に組み込む流量計などのトップメーカーである東京計測は東日本大震災後、10日もたたないうちに特区への進出を決定したという。同社の生産拠点が東日本に集中していたため、リスク分散を図ることが狙いだ。しかも、沖縄は今後世界経済の中心となる東アジアの真ん中に位置している。
 http://www.pref.okinawa.lg.jp/tokku/point/05/index.html

 さらに関氏によれば、沖縄では琉球大学工学部、沖縄工業高等専門学校や工業高校8校から、毎年約2500人の理系の新卒が輩出されている。高いといわれる電気代も冬場暖房が要らないため通年では本土並み。欠点としては部品・材料関連の周辺産業が乏しいため運賃負担が大きいことくらいだという。ちなみに沖縄本島は近代的な地震観測を開始以来、震度5以上の地震は1回しかないそうだ。

 沖縄というと国防や領土問題ばかりがクローズアップする昨今、沖縄のポテンシャルをもう一度見直す必要がある。

 もう随分前になるが沖縄大学の緒方修氏(現在、地域研究所所長)に那覇市内の綺麗に管理・整備された孔子廟に案内されたことがある。聞けば、台湾政府も管理費を負担しているそうだ。この孔子廟が立地する久米は琉球王朝のブレーン集団・久米三十六姓に由来するが、緒方氏によれば久米氏はリー・クワン・ユーや鄧小平などと同じく客家を出身母体とするという。また、現在も大勢の沖縄の若者が対岸の福建省アモイ大学に留学しているとも聞いた。

 8月22日の毎日新聞(夕刊)で、沖縄近現代史の新崎盛暉氏は「尖閣諸島をめぐる日中の一部の人たちの挑発合戦にもっとも迷惑しているのは沖縄だ。......最も近く、漁業で利用してきたのは沖縄だ。日本が台湾を植民地にした時代、漁業技術の進んでいた沖縄から台湾へ指導に行き、台湾から尖閣周辺に出漁するようになった。一方、台湾の農民が石垣島でパイナップル栽培を教えた。尖閣諸島が共栄圏になっていたのだ。この歴史を参考に、沖縄や台湾の漁民、歴史研究者が時間をかけて話し合えば良い方向に進む。こういう平和的解決を探るべきだ。......米国は沖縄を施政権下に置いていたのに尖閣の位置づけをあいまいにした。日本に紛争の種を残しておく方が、日本を日米同盟に縛り付けるのに有利と考えたのではないか」と述べている。

 ところで、地震の話に戻るが、先日、南海トラフ地震の政府による被害想定が出され、あらためて被害の甚大さに衝撃を受けた。しかし、東日本大震災から、すでに1年半が経過するのに首都機能移転の議論がなされないのは、どういうことだろう。もちろん、震災後の復興支援策や除染を優先させなければいけないが、今回の大震災でも地震予知が不可能なことをあらためて知らされた。早めに準備を始めた方がよい。

 経済面で日米を機軸に据えることはすでに過去のことになりつつある。とすれば太平洋側から、アジアに近い福岡県や富山・新潟県あたりに遷都することも考えられる。

 世界史が大きな転換点を迎える今、明治以来続いてきた日本という近代国家が制度疲労を起こしている。そろそろ新しい設計図が必要だ。
2001年12月29日(土)萬晩報主宰 伴 武澄

 きのうの夕刊早版をひとしきり眺めていた上司が「おう伴。物価が下がるってのは悪いことなのか」と問いかけてきた。どうも東京都区部の消費者物価がこの1年で1.2%下がったという記事がお気に召さないようなのだ。

「わたしはちっとも悪いことだとは思いませんよ。物価がマイナスということは実質GDPを押し上げる効果があるんですから」
「そうだろう。この間、経済産業省のOBと飲んだ時、ようやく日本にユニクロ効果が現れたってことだよって言っていたぜ」

 総務省によると物価の下落は3年連続だそうで、どの新聞を読んでも物価下落を歓迎しているようすはない。逆に物価下落が世の中にとって悪いことのように 書きたてている。しかしよく考えてみよう。いつだって消費者の最大の怒りは物価の上昇だったのではないか。それが下がっているのだから少しは喜んでもいい のではないだろうか。

 ●消えた「よい物価下落」論議

 景気低迷で失業率が上がり、給料も減っている時世に物価だけが上がったのではサラリーマンはたまったものではない。しかも下がった下がったと大騒ぎして いるが、3年間で下がったのは毎年平均1.1%でしかない。それなのに「物価下落に歯止めがかからない」というような表現が横行するのはいかがなものかと 思う。

 物価動向に関して、つい数カ月前まで日本銀行でさえ「よい物価下落」と「悪い物価下落」に分けて分析していたが、もはや「よい物価下落」という表現すらなくなり、世の中すべて物価下落を景気後退に結びつけた論調となっている。

 衣料品はユニクロ効果で当然ながら下がり、外食もマクドナルドや牛丼の値下げ合戦が熾烈だ。電話代もようやく競争に火がつき値下げが目立ってきた。パソ コンはつくりすぎのおかげでお買い時。液晶ディスプレイなどは去年の半額だ。賃貸住宅もまた持ち家が増えた影響で下がっているそうだ。値上がりが目立つの は盆暮れの航空運賃ぐらいで、円安になっても総じて物価が上がる気配はない。

 個々のサラリーマンにとって歓迎すべき材料ばかりで、物価上昇を願うような論調はやはりどこかずれていると思わざるを得ない。

 こんなことを言っていると、経済の「専門家」から「日本経済はデフレスパイラルの入り口に入っている。物価だけの現象をとらえて喜んでいる場合ではな い」とお叱りを受けそうだが、果して経済は縮小してはいけないのだろうか。昨今はそんな疑問さえ湧いてくるほど世の中はマイナス思考一色だ。

 小生だって「インフレもデフレもほどほどがいい」というぐらいの経済知識を持っているつもりだ。一番悪いのは景気が後退しているのに物価が上がるというスタグフレーションである。たかが1.2%程度の下落は「戦後最大幅」だとか騒ぎぐほどの下落ではない。

 ●始まる本格的物価下落

 振り返れば1985年9月のプラザ合意から16年。円安が進んでいるといわれる昨今でも円の価値は当時の約2倍。円が1㌦=100円以上だった95年前 後、マスコミによって「価格破壊」が歓迎された時代もあったが、ベンツやBMWの価格が国産車並みに下がったわけではなかった。

 いったい円高のメリットはどこに消えていったのだろうか。輸入業者が円高差益を独占したのだったら、そうした企業は驚異的な業績を上げていたはずだが、 そんな報道はなかった。輸入車の分野では円建て決済をすることで輸出国側に差益が生まれるよう工夫されたが、あくまで部分的現象にすぎない。

 そもそも日本のGDPに占める輸入の割合は10%にすぎない。これまでの円高が物価にほとんど影響を与えなかった一番の原因は衣料品など一部を除いて日 本企業はアジアで製造した製品を日本国内に持ち込まなかったからなのだ。日本企業が日本市場向けに製品をつくるようになってようやく日本の「物価下落」が 始まったのである。

 中国産のネギやシイタケのセーフガード騒動が象徴するように日本企業が中国で生産して日本に輸出するという企業行動は、ハイテク製品から農産品まで広がっている。日本の産業界の新しい展開に目をつぶっていては21世紀の日本の展望は開けない。

2001年12月22日(土)萬晩報主宰 伴 武澄

 先週、円安が一気に進み、3年ぶりに1ドル=130円に近付いている。市場ではIMFが円安を容認し、元財務官が円安を示唆したとはやしてているが、 20日に発表された2002年度予算の財務省原案で100兆円を超える国債発行を余儀なくされることを嫌気したことは間違いない。

 1998年の円安は8月にロシアがルーブルを大幅に切り下げ、ロシア国債が暴落したことがきっかけだった。国債金融資本がロシア国債暴落の穴埋めのため に円建て資産を売り、円安が加速した。その後、榊原財務官率いる大蔵省が円買い介入を実施し、円は瞬く間に100円台の円高にオーバーシュートした。

 具体的に言えば、8月11日に147円まで売られた円は2カ月かかって130円台前半まで戻した。事件はその時起きた。10月7日に130円だった円が 2日間で115円まで急騰したのだ。理由は分からない。当時、日本は銀行の不良債権問題が本格化し、国会で金融再生関連法案が成立して、日本長期信用銀行 と日本債券信用銀行が相次いで国有化された。円が買われる理由はまったくなかったはずだった。

 筆者は当時、引き金は何であれ、日本経済を立て直すには「円安」しかないと考えていた。せっかく外部要因で為替水準の揺り戻しがあったのに榊原財務官が 円買い介入に踏み切ったのが不可解だった。そもそも95年の1ドル=80円台という超円高から強引な円安誘導を行った張本人である。

 当時の橋本内閣や小渕内閣が声高に言っていたのは「日本が世界的な金融不安の引き金になってはならない」ということだった。97年のアジア通貨危機の直 後だっただけに、心情的には分からなかったわけではなかった。日本経済尾規模からみて、大企業が二つ、三つつぶれたところで大したことにはならないと思っ ていた。事実、そごうが破たんした時もマイカルが倒産した時も何も起こらなかった。日本の銀行への相次ぐ公的支援の際に理屈とした「国際的な金融不安阻 止」はこけおどしにしか過ぎなかったのだ。

 もちろん、円安によって日本企業の海外資産が目減りして不良債権を急増することも不安視されたが、それならば超円高をそのまま維持しておけばよかったの だ。円高が維持されるかぎり日本から資本の逃避は起きない。国際的なマネーを日本に引きつけておくことも不可能ではなかったかもしれないのだ。日本の国際 経済からの「退場」がまさに通貨安から始まったことは疑いもない。

 実は日本の金融機関の不良債権問題は榊原財務官らによる強引な円安誘導以降、急速に悪化し、一方で構造改革も中途半端なままとん挫してしまうのだ。経済 を結果論で語ることはできないが、少なくとも多くの企業経営者たちが円高で悲鳴を上げるのではなく、円高の要因となる構造問題にようやく本格的に取り組む 覚悟ができた段階になって、今度は為替の極端な乱気流に巻き込まれることになったのである。

 時代環境はすっかり変わって、日本経済は不良債権問題に加えて財政事情の悪化という難問をも抱え込む身となった。今回の円安は、「円安期待」というより も「国民的な失望感」の広がりの中で進んでいる出来事であることを明記しておきたい。日本経済をこのまま放置しておくとやがて国民が自国の通貨を信用しな くなる時代がやってくる。

2001年09月10日(月)萬晩報主宰 伴 武澄

 9月7日、4-6月期のGDP速報が発表された。実質で前期比0.8%減で年率換算3.2%のマイナスとなった。6月末から2カ月以上が経っているので いつもながら「速報」というのはおこがましいが、これを名目値でみると年率換算で10.3%のマイナスとなり、日本のGDPが500兆円の大台を割り込ん だ事実はやはり衝撃だった。

 ピーク時の1997年度には520兆円あった名目GDPが21兆円目減りしたということで、この4年間にトヨタ自動車とソニーと松下電器産業の年間の売 り上げがほぼ喪失した勘定になる。GDPはいつも実質値で発表され、名目値は参考値としてしか位置づけられていないが、萬晩報はこの際、名目値を重要視し たい。

 資本主義経済は右肩上がりを前提に議論されるため、物価の上昇率を差し引いた実質値で勘定しないと本当の意味での「富の増加」は計算されない。

 この基本が分からないわけではない。しかし、政府の予算も企業の決算も名目値で発表され、給与やそれこそ物価など日々われわれが暮らしているのは名目の 世界である。まして日本経済が経験しているのは未曾有の右肩下がり経済。右肩上がりを前提とした計算方式では生活の実態は分からないと考えるからである。

 冒頭に衝撃的だったと述べたが、トヨタ自動車もソニーも消滅したわけではない。企業の設備投資が大きく後退し、政府と地方による公共投資と住宅建設が 減った結果だ。住宅は低金利と減税のおかげで一時盛り上がっていただけで、公共事業はこれまで限度を超していた。設備投資は循環的な要素が強い。国民の消 費は予想外に堅調だったからマスコミや政治家が騒ぐほど悲観することもない。

 それでも今回のGDP速報は、1990年代後半から日本の経済の質が大きく変貌している実態を如実に示した典型的なデータではないかと思う。

 ●ようやく下がり始めた消費者物価

 このところのデフレ経済をめぐって「いい物価下落「と「悪い物価下落」が論議されてきた。まず「悪い物価下落」は物価が下がることによって企業収益が悪 化し、その結果、従業員の給与が下がり、消費が減退する。消費の減退がさらなる物価下落を引き起こし、この循環がスパイラル状に起きて国の経済が収縮する と説明されている。

 一方「いい物価下落」は企業の生産性の向上でモノをつくるコストが下がったり、輸入品の増加によって競争が激化して商品の価格が下がることで日本にとって大いに歓迎すべきことだと言われている。

 しかし、筆者にとって物価下落にいいも悪いもない。下がるべき物価がこれまで下がっていなかっただけだ。

 まず為替の評価だが、1985年のプラザ合意以降、日本の円は乱高下しながらも長期的には一貫して円高基調にあるといっていい。95年には一時1ド ル=79円台に突入したし、その後も100円前後で推移したこともあるが、16年前に240円だった円の対ドル水準は現在120円前後。円の価値が2倍か ら3倍に高まったということは輸入品が二分の一、三分の一の価格で買えたということである。にもかかわらず、日本の物価がどれほど下がったというのだろう か。

 輸入品が消費者に行き渡るまでには国内の流通機構を経るため、輸入品が半値にならなければならないとはいわない。しかし、少なくとも2割、3割の下落があったとしてもおかしくなかったのに、この16年間、消費者物価はほとんど右肩上がりだったのである。

 数年前まで、日本企業はアジアでの生産品を日本に輸入することはまれだったし、ブランド商品と乗用車を除いて積極的に輸入することはほとんどなかった。 消費者もまた日本製に対する極端な信頼神話の裏返しとして輸入品に手を出すことはなかった。仮に海外からの積極的に輸入されたモノがあったとしても、それ らの商品は日本に上陸したとたんに何倍もの価格で流通することになった。

 マスコミもまた95年前後には、円高と通じた「価格破壊」キャンペーンを張ったが、結局、輸入ビールも輸入リンゴも日本の市場に定着しなかった。また輸 入品との競争に敗れて倒産する日本企業もなかった。つまり国内市場の一部を海外に開放することを求めたプラザ合意の真の意図はほとんど達成されないまま だった。

 いまの物価下落はまだ年率で1%以内という小さな数字である。16年間かけてようやくプラザ合意の効果が現れ始めている端緒である。いい悪いではなく、 16年間の物価下落を求める巨大なマグマが日本経済に内在しているため、もはや阻止できるようなものではない。為替水準がこのまま維持されるのなら、今後 まだまだ拡大する性格のものである。

 これまで国内市場を海外に開放することを徐々に続けていたならば、少なくとも90年代に入って内外企業の競争が激化して消費者は円高メリットを十二分に享受していたはずだ。また設備や原材料価格の下落メリットを得て収益が改善していた企業も多くあったはずだ。

 少なくとも物価下落について「いい」「悪い」のレッテルを貼って論議することもなかったに違いない。そう信じている。にもかかわらず、いま多くの論者は 物価下落をどうしても阻止しなければならないとの論陣を張っている。たった1%の物価下落についてどうしてそんなにムキになったり、声を荒げるのか不可解 である。

 日本経済が病んでいるのは物価が下落するからではなく、淘汰されるべき企業が淘汰されずに生き残り、リストラされるべき企業が今日までリストラせずに手をこまねいてきたからであろう。これはにわとりと卵の議論ではない。(続)

   2001年03月22日(木) 萬晩報主宰 伴 武澄
 


 日銀が20日、金融市場に供給する資金を増やす「量的緩和」に踏み切ると発表した。量的緩和の手法として(1)日銀当座預金残高を1兆円上積みして5兆 円とする(2)その誘導手段として長期国債買い入れを増額する。日銀はこの結果、短期金利がゼロ%近辺まで下がると説明した。

 舞台裏を明かすと、どこの経済部も早くから「量的緩和」が必至とみて21日朝刊のトップ記事づくりの準備に入っていた。だがどの新聞をみても日銀の発表内容をかみ砕いて説明しているようでいて素人にはなにがなんだか分からない記事が紙面を覆い尽くしていた。

 ●必要以上のお金を印刷してインフレを起こす

 まず「量的緩和」という表現である。誰が言い出したか分からない。「資金量増やして金融を緩和(金利を下げる)する」ことなのだが、分かりやすくいえば「資金量を増やす」とは「お金を印刷する」ことで、貸すお金が増えれば「金利が下がる」といえば分かりやすい。

 だがはたして簡単にそうなるのだろうか。「国の経済力以上にお金を印刷する」ことは「通貨の価値を下げる」ことのほかならない。通貨の価値下落が直ちに 物価上昇を招くことは歴史が証明している。だから今回の措置を解釈を交えてかみ砕けば「国の経済が必要としている以上のお金を印刷してインフレを起こすこ と」をいうことになりそうだ。ただ単に日銀券を印刷はできないから、日銀券印刷の代償として市中にある国債を買い入れることになる。

 量的緩和は経済学では禁じ手のひとつとなっているはずの手法である。日銀が禁じ手を使うということはよほど日本経済が手詰まり状態にあることを示してい る。インフレ抑制を一番の仕事としている中央銀行がインフレを煽る策を導入したのだから相当の劇薬であるとの認識があるはずだ。禁じ手を使っても効果薄と の評価もあるが、日銀としても手をこまねいているわけにはいかず、速水総裁としてはそれこそ清水の舞台から降りるような思いで今回の措置を打ち出したのだ ろうことは想像に難くない。

 だが本当に禁じ手といえるほどの選択だったのだろうかと考えると筆者にはそれほど大それたことには映らない。90年代後半以降の日本の問題は金利を下げ て経済を刺激しても消費者がものを買わなくなったという点にある。だから企業が物づくりに励まなくなり、日銀が金融市場にお金をじゃぶじゃぶに供給しても 企業が銀行から借金をしてくれない。

 そして行き先を失ったお金は政府が経済対策のために増発する国債購入に回る。今回の「日銀がお札を印刷して国債を買う」という措置は何も今回から始まったわけではない。この5年間一環として続いていた。量的緩和で違うのは「量的数値目標」を示したことだけだ。

 ●超低金利が引き起こすデフレ経済

 いずれにせよ、日本政府がインフレに期待していることだけは確かだ。巨額な借金を減らす手だてがない以上、通貨価値を落として将来の返済負担を減らすし かない。萬晩報で一昨年以来、主張してきたことはハイパーインフレへの懸念である。物事には作用・反作用があることは学校の物理で学んだ。無理やり金利を 引き下げれば、反作用で将来の金利上昇が必ず起きる。無理強いする力が強いほど、またその時間が長いほど反発力は強いはずだ。

 インフレは政府が期待しなくとも必ず来る。そしてやってくるときには並のインフレではない。もしやってこないとすれば日本経済が死んでいることになる。 また物価だけが高くなって金利がそのままということもあり得ない。インフレで過去の借金は確かに目減りはするが、金利高騰で今後、政府はこれまでのように 借金ができない状況も生じる。世の中はそんなに甘くない。

 日本に低金利政策はもともと景気浮揚を狙ったものだったが、いつの間にか銀行の不良債権処理支援策として定着。公定歩合0.25%などという常軌を逸した水準にまで引き下げられた。日本経済が直面しているデフレの根元に低金利政策の問題があることは皮肉な事実なのだ。

 鶏が先か卵が先かという議論になるが、まず名目値とはいえ「金利が貯まる」という実感がない世界では購買欲は生まれない。なにしろ日本は世界に冠たる貯 蓄王国なのである。かつてわれわれは「貯金して10年で倍になった」などといって将来の消費を楽しみに蓄えをした民族なのである。物価が上がらない状況で は、消費者といえども金利が低いからといって借金をしてまで物を買おうという意欲も起きない。世の中の金利を金利以下に貶めていれば成長の逆スパイラルが 起きても不思議でない。

 エコノミストたちによる「物価上昇率の低い日本の実質金利は高い」といった議論をよく目にするが本当にそうだのだろうかと思うことがある。資本主義経済 は一定のインフレを前提として成り立っているため、近代経済学の本当のところは長期的な物価下落などは想定していない。想定していない事態を理論値にはめ 込んで「実質金利」を議論したところで机上の空論にしかすぎないはずだ。

 市民の日々の生活感覚からすれば、3%を切った時点で日本にはもはや金利は消滅したに等しい。金融は銀行のATMで100円単位の手数料を取られ、ドル 円の為替で2円(2%)以上の手数料を取られる世界である。昨今の日本の金利は顕微鏡でしか判別できないほどのプラスマイナスに一喜一憂しているとしかみ えない。

 ゼロ金利が復活したかどうかなどという議論はもはやコップの中の論争でしかない。新聞に掲載する金利表を作成するグラフィクス部担当者が「グラフの線の幅より小さい変化」をどう書くか苦労しているのである。これは笑い話ではない。

1999年09月19日(日)萬晩報主宰 伴 武澄

 為替レートが先週から円が買われ1ドル=110円を超え、15日には一時103円前半を付けた。大蔵省・日銀は円高阻止のためアメリカに協調介入を懇願するなど危機感を高めている。「せっかく立ち直りかけた景気の腰を折ることになりかねない」というのが共通した認識だ。

 だが、1ドル=100-110円という水準が政府が狼狽するほどの円高なのだろうか。答は否である。

 ●構造改革が進むとの期待感があった5年前の円高
 円ドルレートが1ドル=110円を突破したのは93年である。95年の数カ月だけ、80円台という超円高の期間があったが、96年9月までほぼ3年間90-110円の間で比較的安定していた。

 忘れてはならないのは、株価は95年7月の1万4000円台をボトムに96年6月には2万2666円という戻り高値をつけ、この為替水準で日本の景気も一時持ち直していたのである。

 確かに93年は産業界は円高に困窮していた。自動車産業は「110円を超える円高では内外のコスト競争力が逆転する」とし、鉄鋼業界もまた「105円で日韓の鉄鋼生産の競争力が逆転する」と悲鳴を上げていた。

 しかし、一方で流通業界を中心に「価格破壊」が進んだ。衣料を中心に食品など輸入品の価格低下が消費者に大きなメリットをもたらした。あこがれの輸入車も相次いで販売価格を下げ、身近な存在となったことは記憶に新しい。

 デパートの主力商品だった紳士服はロードサイド店に売り上げを奪われ、ディスカウンターの登場でビールを中心に酒類の定価販売が崩れた。消費者は円高でようやく日本の構造改革が進むと円高を歓迎するムードもあったはずだ。

 産業界は、"円高"を避けられないものと観念し、製造業がアジアへの生産移転を本格化するのもこの時期だ。同時にアジア経済もまたピークを迎え、短かったがこの世の春を謳歌した。

 ●金融不安の前の水準に戻っただけの円ドルレート
 その後、円ドルレートが急激に円安に転じたのは、銀行の不良債権問題に端を発する金融不安が日本国内を覆ったからだ。引き金は第二次橋本内閣の元でス タートした「不良銀行の淘汰」策だった。銀行が現実につぶれだしたことが日本経済への不安を増幅し、ピークの昨年8月に円は1ドル=147円の水準まで売 り込まれる展開となった。

 60兆円にも及ぶ公的資金の供給が決まり、いまでは貸し渋りもなくなり、金融不安の当面の危機は乗り越え たことになっている。そうであるならば、為替水準が金融不安が台頭する前の水準に戻ったところでなんの不思議もない。 まさか日本経済は90年代前半の構 造改革の断行という決意を忘れたわけではなかろう。

 アメリカの好景気を見るまでもなく、強い通貨を持てば世界のカネが集まるのである。世界のカネが集まって いれば、日本の銀行が貸し渋りをしても日本企業はここ数年経験したような資金ショートに陥らなかったかもしれない。外資系銀行が潤沢な資金を供給できただ ろうというのが、萬晩報の「たられば論」である。

 ●榊原氏が目指した円安誘導は100-110円?
 萬晩報が現在の為替水準を狼狽するほどの円高でないとする根拠はもうひとつある。大蔵省の榊原英資氏国際金融局長(その後財務官)が円安誘導で目指した為替水準ではないかと推測できるからである。

 円ドルレートが80円台の超円高に陥ったとき登場した大蔵省の榊原英資氏が、実施したのは強引な市場介入 によるドル買い円売りだった。この介入手法についてはいろいろ批判もある。だが、榊原氏が目標にしたのは1ドル=100-110円までの円安誘導だったよ うだ。このことはその後の榊原氏の発言のなかから容易に想像できる。

 95年9月8日、日銀のドル買い円売り介入で円ドルレートは早くも1ドル=100円にまで戻っていた。だが、榊原氏は翌々日、榊原氏は一部の市場関係者との会合で「円安の動きはこんな程度ではない」と発言した。

 96年11月7日、日経金融新聞のインタビューで「円安誘導終焉」を宣言した。この時のレートは110円近辺である。

 97年5月8日、国会で「103円発言」。榊原発言で為替レートは1ドル=125円から急騰した。このときこう言ったのである。
 「過去10年の為替レートの変動の平均を取りますと、1年間に大体23円変動しています。今年の円の最安値が127円50銭ぐらいまで行っていますから、23円ということでありますと、過去の例から言いますと103円まで円高になる可能性があるということでございます」

 1ドル=80円台の超円高から政府が目指した円安誘導の水準がまさに先週から大騒ぎしている円ドルレート の範囲内ということならば、日本としては為替動向に付和雷同することはない。そもそも政府が大騒ぎする割に産業界は比較的冷静である。6年前に1ド ル=110円を突破した時の騒ぎとはまったく別物であることを付け加えておきたい。


1999年02月04日(木)
萬晩報主宰 伴 武澄



 3回続きの「国債という日本の打ち出の小づち」の配信と相前後して、読売新聞経済部の斎藤孝光さんと共同 通信社ワシントン支局の大辻一晃さんから長文の「所感」をもらった。斎藤さんは「日銀の国債買いは間違いか」、大辻さんは「財政赤字は全面的に「罪」なも のか」と題して、ともに異常事態にある現在の日本経済を打開するにはそれこそ「無理」も必要悪ではないかという主張である。

 筆者が主張し続けてきたのは、これまで臨時・暫定・特定などの措置で無理を重ねてきた結果、日本経済がとうとうここまで病んでしまったということだ。もはやカンフル剤も効かない状態で、数年間「絶対安静」を宣言されたも等しいのだと思う。

 日本の経済は長期低迷といっても、豊かさの水準はかなり高く、失業率はまだ4%台。 1200兆円もの個人資産がありなから、まだ世界有数の貯蓄率を保っている。数年間、マイナス成長が続いたところで大したことではないはずだ。副作用の大 きな劇薬をさらに口にする前に「ここらで一息を入れましょうよ」。飯島直子の缶コーヒーのコマーシャルではないが、声を大にしてそういたい。


日銀の国債買いは間違いか

読売新聞経済部 斎藤孝光

 いつも楽しく読ませていただいています。

 さて、議論沸騰中の日銀や財政投融資資金による国債購入の是非についてですが、私はむ しろ、現在のような状況下では、日銀がもっと積極的に国債やその他の債券を買っても良いのではないかと思います。ただし、市場から買い上げるべきであり、 政府から直接引き受ける(財政法で禁止されていますが)ことには反対です。

 日本経済にいま起きていることは、極端にいえば、「現金しか信用できない」という心理 状態(信用不安)の蔓延です。銀行は貸し倒れ回避や財務健全化のために「貸し渋り」を強め、企業も「貸し渋り」に備えて手元資金を厚く持っています。個人 も銀行に預けるよりは金庫に入れておこうとか、絶対安全(と思われる)な郵便貯金に移し替えるといった動きをしているわけです。つまり、経済活動の主体 が、一斉にリスクのある資産運用を回避し、タンス預金を始めた状況だと考えます。この結果、必要なところにお金が回らず、それが一層、手元の資金をたくさ ん持っておこうという動きを強める悪循環に陥っています。

 こうしたことから、取り付け騒ぎこそないものの、すでに日本経済は一種の金融恐慌に近 い状況にあるとの見方も広がっています。経済活動に不可欠な信用を生み出すメカニズムが壊れてしまっているからです。(こうしたことは世界規模でも見られ ます。昨年秋のロシア危機の後に見られた異常な長期国債金利の低下や円高は、日本の機関投資家がアメリカなどに保有する債券を売り払って、機関投資家に とっては現金に等しい日本国債に大量にシフトしたからでした)

 では、一国の経済について、最終的に信用を保証出来るのはだれでしょうか。通貨発行権 を持つ中央銀行しかないのは明らかです。日銀がどんどんお札を刷って、金融市場から国債(その他債券)を購入すれば、金融機関の手元には通貨が増えること になります。増えた通貨がどの程度貸し出しに回るのかという問題はありますが、凍り付いている金融のパイプを暖める効果があることは確かです。少なくとも 現在は、国債(その他債券)を売却して、通貨供給の蛇口を占めてしまう状況ではないと思います。そんなことをしたら、資金繰り不安を起こす金融機関や企業 が続出し、本当の恐慌に突き進みかねません。世界のGDPの16%を占める日本が恐慌に陥れば、世界経済の大混乱は避けられません

 もちろん、日銀財務の健全性は大切ですが、日銀は民間企業が発行する社債やCPも買い 入れているのであり、返済の確実性からいえば、国債は日本国においては最も安全な資産であります。また、日銀の通貨発行益は国庫に納付されるので、日銀が 国債を買えば買うほど、実は財政再建の一助ともなるのです。

 大量の国債引き受けがインフレにつながるのではとの懸念はもっともですが、現在の課題はむしろ、どうやってデフレを食い止めるかにあります。多くの学者や識者が、日銀はもっと通貨供給を増やすべきと主張しているのも、デフレの危機を回避する切り札と考えているからです。

 (例えば、ともにノーベル経済学賞受賞者のミルトン・フリードマンやロバート・ルーカ スは、日銀が通貨供給を積極的に行うべきと主張しています。現在、世界で一番影響力が大きい学者の一人であるポール・クルーグマンMIT教授に至っては、 「日銀は向こう一五年間、4%のインフレにする政策を行うと宣言すべきだ」と言っております。国内でも、伊藤元重、林文夫(ともに東大教授)、大滝雅之 (東大助教授)、植田和男(日銀審議委員)、田中直樹、島中雄二、高橋乗宣、河野竜太郎(いずれも民間エコノミスト)らが日銀に対してもっと積極的に通貨 供給をするべきと主張しております)

 ただ、政府が国債を市場を通さずに日銀に直接引き受けさせれば、マーケットメカニズム がまったく働かないまま、無制限に通貨を増やせることになります。資本移動が自由化された現在において、このような政策を取れば、日本の政策・通貨当局へ の信頼は失われ、超円安や国債の暴落(金利上昇)、ハイパーインフレが起き得るかも知れません。だからこそ、現行制度では一度民間のマーケットで消化でき た国債に限って(一部に例外がありますが)日銀が買うことを認めているのであり、この歯止めは失うべきではないでしょう。

 平時にあっては、日銀はインフレや自らの財務の健全性に留意をしながら金融政策を行うべきでしょう。しかし、いまの日本経済はまれに見る異常事態であり、うまく切り抜けないと、国民生活全体を脅かしかねないクラッシュが待ち受けてないとも言い切れません。

 昭和2年の金融恐慌の発端は、日銀が経営危機にあった台湾銀行向け融資を拒否したこと に始まるのは良く知られたエピソードです。いざというとき、果断な行動を起こしてくれないと、困るのは国民なのです。いま本当に心配しなければいけないの は、ただでさえ責任回避的になり勝ちな政府の政策当局者や日銀が、様々な「できない理由」を付けて、必要な時に必要な政策を取らないリスクについてではな いでしょうか。(さいとう・たかみつ)

 斉藤さんへ mailto:mhh01515@nifty.ne.jp
 ホームページ「TS MAGAZINE」http://www2.justnet.ne.jp/~hihi/index.htm


財政赤字は全面的に「罪」なものか

共同通信社ワシントン支局 大辻一晃

 力作を拝読しました。財政赤字が金利上昇や悪性インフレをもたらし、ひいては一国の経 済に悪影響を及ぼすという認識は私も同じです。麻薬のような財政政策と赤字拡大に誰かが警鐘を鳴らさなければならないとも思います。そのような理解の上 で、3点ほど指摘しておきたいと思います。

 ●財政赤字の「功」
 財政赤字には確かに伴さんの指摘するような危険な面がありますが、全面的に「罪」なものでしょうか。

 戦前、世界が大恐慌から立ち直った要因は、第2時大戦による特需が大きいとの指摘もあ りますが、フーバーの財政引き締めは景気を一層悪化させ、ルーズベルトのニューディール政策が立ち直りの環境を整えた、というのは歴史の実験結果です。こ こから、景気が悪化した時には赤字財政による内需刺激が容認される、というケインズの積極財政理論が生まれたのは、よくご存じの通りと思います。

 問題は戦後、福祉国家が先進国で肥大化する中、ケインズ政策が乱用され、財政赤字が膨 張し、かえって経済力を奪い始めたことです。その反省から、需要刺激より供給面を重視したサプライサイド経済学や、マネーサプライの管理を政策の軸に据え るフリードマン理論、さらに財政政策は一定の条件の下で果が失われるとするルーカスの合理的期待仮説など、一連のシカゴ学派がもれはやされました。この時 代にレーガン、サッチャーらが登場し、世界的に減税、規制緩和など「新保守」の経済政策が断行され、アメリカやイギリスが今日の元気を取り戻す下地が整い ました。

 ここで注目したいのは、アメリカの経済再建の進め方です。レーガンがまず実施したの は、いわゆる「金持ち優遇」型の大型減税です。その半面、初期において歳出には手をつけず、情報通信、航空などの規制緩和を推進しました。このため財政赤 字が拡大、長期金利は急上昇し、銀行がバタバタ倒産しました。しかし、ここでひるまずに「双子の赤字」を垂れ流し、銀行処理に巨額の公的資金をそそぎ込み ました。

 やがてアメリカは新産業主導の経済成長軌道に乗り、活力を取り戻しましたが、こうした 政策の初期の段階で増税したり、無理な歳出カットに踏み切るような選択は、まったく念頭になかったとみられます。赤字が増えるのはまずいことだと分かって はいても、デフレスパイラルに転落するよりはまし、との理解からでしょう。

 ●アメリカのケースが示唆するもの
 2000会計年度の米予算教書が議会に提出されました。

 財政黒字は1170億ドルに達し、向こう15年で4兆8000億ドルの黒字を確保する 見通しです。アメリカ国債の残高は5兆5000億ドルほどですから、ほぼすべて償還できるめどがついたと考えられます。もっとも全額は返済せず、主に社会 保障に使う計画ですが、それでも国債残高は既に減少に転じています。全部返さないのは、成長力が確保されるなら、無理に償還しなくても「健全な赤字」とし て抱えておく方が有益との判断からでしょう。

 つい92年度にGDPの4・7%に相当する赤字を出していたのに、見事に短期間でよみがえったものです。

 ここ15年の実績、向こう15年の見通しをみて思うのは、財政収支に最も影響を与えるのは、経済の安定成長が確保できたかどうか、ということです。安定成長を持続さえすれば、15年ですべての借金を返すことも可能なのです。

 所詮は景気。アメリカの予算を取材しての感想は、この一言です。

 ひるがえって日本はどうでしょうか。99年度末の国・地方の長期債務残高は約600兆円と見込まれています。アメリカの半分の経済規模の国が、ほぼ同額の借金を抱えていることになります。しかも、その総額は雪だるま式に膨張を続けています。

 しかし、これは予算の査定が甘かった結果でしょうか。私はそうとは思えません。財政運営に失敗し、税収が期待通りに集まらなかったから、さらに、余計な出費がかさんだからです。

 確かに個別予算を見ると、ここは無駄だ、あれは見直した方がいい、というようなところ が多々ありますが、マクロバランスはミクロの積み上げではありません。公共工事より減税の方が「より小さな政府」に向かうので望ましい、とも思いますが、 それは財政出動の「手段の選択の問題」です。

 繰り返しになりますが、97年に無理な引き締めを近視眼的に断行したから、かえって赤字が膨らんでしまったのです。要は、経済政策がへたくそだったのです。ハンドリングの問題と、財政の中味はの問題は切り離して考えるべきです。

 96-97年当時、財政赤字の「罪」を強調しすぎる議論は、へたくそな経済政策を後押ししてしまったのではないでしょうか。

 ●日本における問題点
 日本とアメリカが決定的に違うのは、一国の経済が貯蓄超過か否かです。各年の経常収支(貿易収支とほぼ連動)が黒字であれば、財政部門が赤字であって も、家計部門の黒字でファイナンスされていることになります。日本は巨額の黒字を抱えていますから、政府がこんなに赤字を出していても、まったく外国の ファイナンスに依存する必要はありません。今は、円の国際流動性などを一切心配しなくてもいいのです。

 その意味で、私は「国債は国民の資産」とか「夫が妻に借金している状態」と言っています。ハイパーインフレが来れば紙くずになるかも知れませんが、その時は国債だけでなく、外貨預金を除くすべての貯蓄が減価するのです。

 ただ、懸念材料はあります。団塊の世代が一斉にリタイアし、年金の受給者となった段階で貯蓄が取り崩される、というリスクです。貯蓄率が減少すると、経常収支は赤字になり、国債は外国人に持ってもらわなければならなくなります。

 しかし、こうした事態を避ける選択肢を見付けることこそが、「経済政策」の課題そのものなのではないでしょうか。

 国債保有の内訳を見ると、アメリカだって3分の1は政府です。残りは市中ですが、このうち1割強はFRBが持っています。

 日本は政府保有はほぼ同程度と思います。政府が持っていると言っても、社会保障基金が 買っているのですから、国民の資産です。これも社会保障基金が破たんすればおしまいですが、破たんしないようにするのが「政策」です。私は、世帯単位加入 から個人単位への変更、女性や高齢者の就労促進により労働人口比率を維持すれば、破たんは防げると考えています。

 年金は安全運用が第1なので、大半は国債で回さざるを得ないと思います。株をばんばん買うわけにいかないでしょう。ただ今後は以前のように積み立てる一方ではないので、自然に国債買い入れ量は減るでしょう。

 伴さんは市中保有に占める銀行などの比率が高いのを問題にされているようですが、国債は普通国民が直接買うものではありません。銀行預金、郵便貯金、あるいは中国ファンド、MMFを通じ間接的に持うのです。元をただすと国民の資産です。

 市中分のうち日銀保有はFRB保有より確かに3-4割ほど多いですが、これは「金融政 策」の問題です。国債を買うと言うことは、通貨を市中に出す、というとです。これを否定すると、公開市場操作(オペ)=金融政策そのものが否定されてしま います。どの程度の通貨を市中に出すかは、金融政策そのものです。今のように量的な金融緩和が必要な時期には、買い入れ量がどうしても増えます。

 最後に、このような量的緩和がインフレを招くかどうかですが、今、政府は本音ではむし ろ、ややインフレ気味になってほしい、と願っているのだと思います。インフレ政策を口にした時のインパクトが怖いので表立っては言いませんが、個人は住宅 ローン、企業は過剰設備、そして国は国債を抱えていますから、デフレでは困るのです。

 インフレは明るい病気、デフレは陰鬱な病気。どうせなるなら明るい方が...、という議論 は、世界的にあるようです。日本は初めてのデフレに苦しんでいますが、日本経済は図体が大きいので、日本だけでなく世界各国がこの悪影響を被り、体力がな いがために、むしろ日本「本人」より苦しんでいます。「日本はあまり迷惑をかけないでくれ」というのが世界の本音です。

 やっぱり日本は「右肩下がり」ではいけないのです。

 インフレを3%程度に抑え、ハイパーインフレを避けられるか。そのかぎも、結局日本経済が一定の成長を維持できるか、にかかっています。財政の帳尻合わせばかり考えて経済を破壊してしまっては、いずれにしてもハイパーインフレ、円暴落を招きます。

 「安定成長を維持できる政策」はもちろん、規制緩和による新産業育成、労働市場流動化 などの経済構造改革が柱になります。財政出動は、構造改革の一時的な痛みをやわらげるにすぎませんから、改革を進めよう、という声は重要です。また、公共 工事の配分も抜本的に、どうせなら本当に必要なものを作ってほしいと思います。

 しかし、「600兆円」の借金ぐらい、しっかりした経済運営ができれば、15年で返せ るのです。財政のマクロバランス、国債残高にこだわりすぎると、単年度の均衡だけを目指す大蔵省の思うつぼにはまり、建設的なほかの議論ができなくなって しまうのではないか、と私は懸念します。

 日本人は独創的な発明は苦手ですが、製品化するアイデアでは優れていますし、実際に製 品を作る際の工場の生産管理も世界で随一です。モノ作りだけでなく、顧客サービスの良さでも抜きんでています。外国人も皆、「JALのスッチーはすばらし い」と口をそろえます。JALは他社より高い航空運賃を設定してもいいのです。

 アメリカのスターバックスと、日本のドトールの差は、一度行ってみるとよく分かります。値段はアメリカの方が高いのに、満足度が全然違います。

 伴さんは料理をしますか? 料理をする人には分かるのですが、不ぞろいな野菜は手間がかかってたいへんなんです。皮をむくのに骨が折れるし、均等に火が通らない。結局食べるところも少ないし。アメリカでも金持ちは、きれいな野菜を買っています。

 モノ作りとサービスの良さは日本経済の最大の武器と思います。 さらに、日本には多額 の個人貯蓄、外貨準備、対外純資産があります。外から見て、日本はやっぱる「黄金の島」です。恵まれすぎて改革を怠る欠点がありますが、これだけいい条件 がそろっているのですから、経済政策をしっかり運営すれば、安定成長を維持できて当然と思います。

大辻さんへotsujika@kyodonews.or.jp


1998年11月07日(土)  萬晩報主宰 伴 武澄 


あなたは目の読者です。
 
 ●4分の3に落ち込んだ日本人のGDP 
 アジアの国々の一人当たりのGDPを下の表に示した。下段は世界銀行による統計で、購買力平価ベースで積算されている。購買力平価とは各国の物 価を基準に富の大きさを計算したもの。為替ベースの統計が名目の豊かさとすれば、購買力平価ベースは、実質的豊かさとみることができる。 
 

  中  国   韓  国   台  湾   香  港 シンガポール インドネシア   タ  イ マレーシア   日  本
1995 584 10,037 12,214 22,618 28,570 1,039  2,830 4,221 41,075 
1996 670 10,548 12,683 24,429 30,942 1,140 3,018 4,690 36,521
1997  733 9,511 13.070 26,355 31,036 1,055 2,535 4,545 33,248
                             
1997 2,500 13,000  13,510 27,500 22,900 3,500 6,900 9,800 21,300
  上3段は為替レートによるGDP(経済企画庁)。下は購買力平価によるGDP(世界銀行)。 
 
 為替ベースでみた日本の豊かさは1995年の41,075ドルから2年間で33,248ドルにまで落ち込んでいる。われわれの名目的豊かさはい つの間にか、4分の3に落ち込んでいることが分かる。そして、順調に成長を続けてきたシンガポールや香港はいつのまにか日本の水準に近づいているのだ。
 

 次に、日本とシンガポール、香港を購買力平価ベースで比べてみると、いつの間にか日本が抜かれていることになっている。日本の国民一人当たりの実 質的富がアジアでもはや第3位でしかない現実を直視すべきだろう。もちろんシンガポールや香港は都市国家だから、1億2000万人の平均値と比べるわけに はいかないかもしれない。

 マレーシアがほぼ1万ドルという数字にどう答えていいのか分からない。クアラルンプール在住の知人によると「衣食住のコストは日本とは比べものにならない。 いま不況の最中だが自家用車が必需品であることに変わりはない。首都圏に住むふつうの人々が自家用車を乗り回している社会になっている」。もはや貧しいとは言えない。

 日本では、1ドル=80円台の超円高だったときも、円安だといわれる今日も購買力平価ベースの為替は1ドル=180円程度で計算されてい る。土地が異常に高いという特殊要因もあるが、基本的に通貨高による輸入物価の低下がいまだ十分に消費者に還元されていないことを示している。 

 輸入物価がどこの国でもただちに消費者物価に反映するとは限らないが、ふつうの国の経済だったら、だんだんと購買力平価に反映されていく はずのものである。通貨高が国民に富をもたらす経済の常識がこの国では一切、機能してこなかったのは、素材から最終製品まで輸入品を排除してきた企業論理 と消費者意識が災いしているのだと思う。 
 

  ●円は高すぎ、逆に安すぎるアジア通貨
 1997年の為替レートベースの各国のGDPと、購買力平価ベースのそれとを比較すると、香港や台湾は金額がほとんど変わらないのに対して、日本は3分の1、中国は3.5倍、マレーシアも2倍と逆の傾向を示していることが分かる。 

 日本の1997年時点での為替レートが国内の物価からみてと高すぎ、逆に中国やマレーシアは安すぎるということになる。昨年来、アジアの 通貨はさらに下落しているから、中国やマレーシアの為替レートは国内物価水準からみてますます安い水準に落ち込んでいることは明白である。 

 にもかかわらず、中国元の切り下げが取りざたされるのはどうしてなのだろうか。普通、通貨が暴落すると、国内物価は急騰する。インドネシ アや今年の夏のロシアのようにハイパーインフレに見舞われるのがふつうだ。だが、マレーシアやフィリピンで狂乱物価が消費者の生活を襲ったという報道はな い。
 
 多額の不良債権の問題はあるものの、アジアの国々が日本のような巨額の財政赤字を抱えているわけでもない。通貨下落までのアジア各国の財政はむ しろ黒字の国の方が多かった。ここへ来て財政的に困窮しているのは、通貨下落による国内経済破たんで税収が大幅に減少しているからだ。

 昨年の夏以降、アジアの国々の経済破たんが通貨売りを誘引したような報道が相次いだが、実態は逆で通貨下落がアジアの経済的困難を加速させたといってようだ。

 ●ヘッジファンドが思うがままにした為替市場
 為替レートを決定付ける要素は多くある。1980年代前半は貿易収支が用いられた。80年代後半以降は金融取引が急増したため国際収支にとって代わられ たが、いまではトレーダーたちの関心事ではない。アメリカの貿易収支が急速に悪化し、逆に日本の黒字が急増しているのに円安が進展したのがその証拠だ。

 金利動向が語られた時もあった。金利が高い国に世界のお金が集まるのは自然の理といえよう。金利動向はいまだに為替市場で重要な要素だ。金利はまさに市場原理が働く部分だが、すべてが市場で決まるわけではない。中央銀行の姿勢が大きく左右する。

 だが、筆者が、かねてより注目しているのが購買力平価だ。その国で売買している商品価格、つまり消費者物価こそが、通貨の価値につながるからだ。長期的に為替は購買力平価に近づくと思っていたし、いまでもそう思っている。

 1990年代に入ってからヘッジファンドが巨額の資金を動かすようになると、もはや為替市場も金利すらも彼らの思うがままとなった。ヘッジファンドの狙 い目は市場原理が働きにくい国家だ。90年代前半に日本の円を買い上げ、95年からは売りに転じた。この間、日本経済は不況色を深めるばかりで景気の明確 な転換点があったわけではない。

 まさに日本のような国こそが彼らの能力が十二分に発揮できる市場だった。売りには買いを、買いには売りで真正直に対抗しようとするからだ。ただ、ことし の8月までは日本の円は円安基調をたどり、物価ベースでようやく"並みの国"に近づきそうだと思っていたら、思わぬ伏兵が待ちかまえていた。

 ロシア経済の崩壊でヘッジファンドが巨額の損失を被り、ドル売り円買いに転じた。またもや日本は一人当たりGDPの水準を実力以上にかさ上げすることになった。


1998年04月17日(金)萬晩報主宰 伴 武澄


 エズラ・ヴォーゲルが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を上梓したのは1980年代前半。日本の生産技術が欧米にようやく追いつき、日本の工業製品が世 界市場を席巻し始めた頃だった。日本が「日の昇る国」として「落日」の欧米を眺めていたころ、イギリスで起きていたのがビッグバンだった。

 金融革命といわれる金利自由化や市場参入規制の自由化が進み、金融機関の大胆なリストラと再編が始まった。サッチャー首相は財政再建のため、国有企業の 民営化に着手した。イギリス航空、ブリティシュ・テレコム(BT)、ブリティシュ・ペトロリアム(BP)などの株式が証券取引所に相次いで上場。当時、ま だ経済活性化は進まなかったもののイギリスは国有企業株式の売却益で財政の黒字化に成功した。黒字化というのは国債発行に頼らない財政のことである。

 ●ソ連の追い上げで大きく揺らいでいた西側陣営

 もう少し時代を遡った1975年、フランスのディスカールデスタン大統領の提唱でサミット(先進主要七カ国首脳会議)が始まった。第一回会合はフランスのランブイエだった。

 冷戦対立が深刻化するなかで西側自由主義経済の絶対的優位がソ連などの追い上げで大きく揺らいでいた。特に軍事・宇宙など最先端技術の追い上げは急ピッ チに見えた。アメリカにとって核技術だけでなく、ミサイルにつながる宇宙ロケット、情報探査に役立つ地球衛星など広範囲なハイテク分野での競争でますます 脅威にされされた。ロシアがサミットの一員として招かれる今日から考えればウソのような話だが、サミットという枠組みがソ連への対抗上生まれた事実は忘れ てはならない。

 1970年代のアメリカは、ベトナム戦争の泥沼化で経済的に疲弊した。1971年、ニクソン大統領はドルの金兌換を一方的に廃止し、2年後の73年には 主要各国の為替は変動相場制に移行した。戦後世界を位置づけていたアメリカによる軍事と経済の絶対的優位が崩壊した分水嶺となった出来事だった。

 先進国経済の秩序とバランスが崩れるなかで起きたのが、1971年末の石油輸出国機構(OPEC)による原油価格の大幅引き上げだった。石油ショックは 主要先進国のインフレと財政赤字に追い打ちをかけ、経済力の序列が大きく変わった。ただ経済復興に成功した西ドイツと日本の経済的プレステージは上昇した ものの、アメリカに取って代わるほどのパワーを持ち合わせていたわけではない。

 ●サミットが打ち出した構造改革

 そんな時に始まったサミットの命題は、まさに自由主義経済圏の復権であり、活性化だった。いわば自由主義経済圏の集団指導体制の確立と言ってよいだろ う。いまはやりの規制緩和も「構造調整の必要性」をうたったサミット経済宣言に端を発するとい言ても言い過ぎではない。「インフレなき経済の持続的成長」 という表現は長く、サミットや先進七カ国蔵相・中央銀行総裁会議(G7)の共同声明に欠かせない枕詞となる。

 1970年代の西側経済はそれだけインフレと成長の鈍化に悩まされていたということになる。そうした経済的隘路を打破するには「抜本的構造改革」が必要とされたのだ。

 欧米にとって構造改革は「規制緩和」を意味した。棲み分けが進んだ産業分野に、新規参入を許すことは産業界に波風を巻き起こすことでもあった。また新規 参入者たちがただちに立ち上がるというものでもなかった。だから規制緩和は効き目が出るまでに時間がかかった。加えてヨーロッパでは市場統合という新たな 実験を開始したから、活性化までさらに多くの時間を要した。

 ●特安法と産構法でカルテル化した日本列島

 当時、そんな規制緩和の意味合いを十分に分かっていた日本人はほとんどいなかった。日本での構造問題の議論はサミットでの議論とはまったく逆の方向に進 んだ。規制緩和ではなく、大企業によるカルテル化の必要性が叫ばれた。繊維業界に始まった共同設備廃棄や生産調整は「構造改善事業」と呼ばれ、ついに第二 次オイルショックの最中の1978年、「特定不況産業安定臨時措置法」(特安法)によってカルテルが制度化された。

 まず政令でアルミ精錬、ナイロン長繊維など六業種四候補を「特定不況業種」に指定、その後、繊維、石油化学製品、セメント、ソーダなど主だった素材産業 に指定が拡大した。5年間の臨時措置だったが、1983年からは「特定産業構造改善臨時措置法」(産構法)に引き継がれ、大企業カルテルはつい最近まで続 いてきた。

 遅効性が弱点だった欧米流の規制緩和に対して、日本産業のカルテル化は即効性があった。ただ即効性の反動としてカルテル依存症という副作用が大きく、1990年代後半の今になっても政府依存症が抜けきらないでいる。

 日本の産業の六、七割がなんらかの形で規制がかかっているといわれるのは日本の産業界の伝統でも文化でもなんでもない。石油ショックから脱却するために国家が広範囲にカルテルを認め、産業界がそのうま味を離さずに経営できなくなっているだけだ。

 ●中曽根民活の落とし穴

 日本のNTTやJRなどの民営化は、当時の中曾根首相がサッチャー政権に見習ったものだったが、民営化のスピードが遅く、10年近い月日を経た今も途半 ば。株式市場の活性化どころか、民営株売出しのたびに市場の活気を冷え込ませているのが実情だ。サッチャー流民営化と大蔵省流の民営化の最大の違いはあま りに大きい。

 まずイギリスでは民営化は株式の100%放出を原則としたの対して、日本の場合はNTTは3分の1、JTにいたっては3分の2も政府が持つことになっている。それぞれ放出株式の比率を法律で定められており、民営化後も大蔵省が影響力を温存できるようになっている。

 二番目の違いは民営化でリストラが迫られる国営企業に株式の売却益を還元しなかったことである。イギリスでは、まず国営企業の従業員を対象に自社株購入 を募り、放出株式の一部を従業員に有利な価格で放出した。分かりやすく言えば、リストラの落とし前をちゃんとつけたということになる。日本では、社員に対 するインセンティブは一切なく合理化だけが待ち受けていた。


1998年04月08日(水) 萬晩報主宰 伴 武澄


 為替は3年前の1ドル=80円台から130円台へと40%以上も円安に振れている。にも関わらず物価は上がらない。年間40兆円もの輸入があるのにどう もおかしい。一部のブランドは値上げしているが、国内価格の値上げの動きは鈍い。値上げすべきだといっているわけではない。日本の経済は変なのだ。

  ●日本車より安く売れるチャンスを逃した輸入ディーラー 

 1995年7月、輸入車の欧米での現地価格と日本での販売価格を比較して「円高差益還元が少ない」という記事を書いたことがある。メルセデスベ ンツやボルボなど人気輸入車を10数台比べた。100万円、200万円といった内外価格差はざらだった。もちろん装備の違いはあったが、すべて無視したわ けでない。

  お決まりの抗議がいくつかあった。メルセデスの長野県のあるディーラーは「共同通信社を告訴する」と息巻いた。当時、欧米車の並行輸入 が流行っていた。ボルボなどの並行輸入車は日本の代理店価格より150-200万円安かった。それでももうかっていたのだから、筆者の記事は正しいという 自信はあった。

  日本フォードの鈴木弘然社長が唯一「いい記事だ」と間接的に誉めてくれたそうだ。ただ「フォード車以外は正しい」との注釈付きだった。 誉めてもらったが「マスタングを249万円に値下げしたっていうが、アメリカではオートマとエアコン付きで2万ドル((当時の1ドル=90円換算で180 万円)しかしないじゃない」と反論した。

  ●輸入車は高すぎるという"情報広告"を掲載したフォード
 半年後、その鈴木社長にインタビューした。日本フォードとして、フォルクスワーゲンのゴルフが日本でいかに高く販売しているかを具体的価格入りで紹介する広告を大々的に打ったばかりで、そのユニークな広告の真意を問うた。以下はその内容である。

  「ゴルフ3ドアはアメリカで1万3150ドル(当時の1ドル=90円換算で120万円)で売っている。日本では5ドアだが264万円 だ。オートマ、エアコン、カセット、ABSなどを装備しても1万6445ドル(どう150万円)にしかならないのにですよ。約100万円の使途不明金があ るんです。欧州の大衆車の日米価格差はみんな100万円もある」

  「あまりにも日本人をばかにした売り方です。いくら日本人が輸入車は高くないとありがたがらない人種だからといってもひどい。企業の価 格政策は別にあるべきでしょう。輸入大衆車は年間10万台を超えているから、日本人は価格差分の1000億円を搾取されている勘定になる」

  「ゴルフの価格をフォードの」広告に載せたのは"情報広告"というんですか。輸入車ディーラーももっと真面目に日本で売る努力をしなけ ればならないのに、日本のマスコミはその役割を果たしていない。日本人ユーザーに考えるきっかけをつくりたかった。マスコミに視点がないからわれわれがあ えてやっただけです」

  当然ながら筆者が書いたインタビュー記事では鈴木社長の明快な主張に拍手を送った。鈴木社長は、アメリカでカローラより安く売っても年間に「1万6800台」しか売れていないゴルフが日本でカローラより100万円も高いことに我慢ができなかったのである。

  ●円高時に法外の利ざやを取った欧米企業
 ここまで書けば賢明な萬晩報の読者は筆者が何をいわんとしているか分かっていただけたと思う。1ドル=130円台になっても輸入車の価格がほと んど変わらないのは円高時に法外の利ざやを取っていた証拠でもある。為替が1ドル=100円以上だった時代に内外価格差がなかったとすれば、いまどき 3-5割の値上げなしに販売できるはずがない。

  このことは乗用車に限った話ではない。輸入商社または欧米のメーカーは当時、日本市場で暴利をむさぼっていたことになる。いま、輸入車 が売れないのは不景気だけのせいではない。もちろん円安のせいでもない。日本車より安く売れるチャンスに市場シェアを取っておかなかったつけが巡り巡って いるのだ。

  当時、輸入品が正当な価格で売っていれば、輸入が急増して1ドル=80円台という超円高はなかっただろうし、その反動の円安もなかったかもしれない。日本の不幸は、消費者もマスコミも騙されたことまだ気付いていないことだ。


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