ギニア物語: 2003年9月アーカイブ

2003年09月29日(月)萬晩報通信員 齊藤 清

 【コナクリ=ギニア発】国連安保理は9月19日、14年間にわたる内戦で、15万人以上の死者、200万人以上の国外難民・国内避難民が出たといわれる西アフリカ・リベリア(人口330万人)の和平を確立するため、平和維持部隊(UNMIL)として1万6000人を派遣する決議案を採択した。

 ◆テイラー大統領の亡命

 リベリア国民議会は2003年8月7日、上下両院でテイラー大統領の辞任を承認し、ブラー副大統領に大統領権限を委譲することを決定。

 8月11日、首都モンロビアで大統領の権限委譲のセレモニーが行われた。ガーナのクフォー大統領、モザンビークのチサノ大統領、南アのムベキ大統領らの 賓客が参列。これは、この日を最後に首都モンロビアを離れ、ナイジェリアに亡命するはずのテイラー大統領の最期を看取る儀式でもあった。公式行事として亡 命の挨拶をするというのもかなり妙なもので、世にも稀なものではあるものの、何事もショーアップすることを趣味としている氏に対しては、それなりの舞台を しつらえて背を押し、精一杯の手向け花を飾る必要があったものと思われる。

 氏はキリスト教信者ということになっていて、別れの挨拶のその言い回しは、いつものように宗教的な味付けのかなり濃いものであった。「リベリアの危機を 救うための生贄の仔羊として国を離れることを決めた」と、アフリカ諸国の指導者はすべからく弁舌さわやか、聴衆を感動させる術を心得ていて、ことにテイ ラーはその筆頭でもあるといわれるだけあって、大統領退陣を表明した後のこの国での最後の挨拶も、時にフレーズごとに韻を踏みながら徐々に感情を盛り上 げ、口舌の雄の名に恥じない立派なものであった。

 当然のように、ギニアを通じてリベリアの反政府勢力LURDを資金援助し、訓練し、武器の支援をした米国を非難し、「これはアメリカの戦争である」と断 定。「私はこの国を離れたくはない。しかしアメリカの力がそうさせたのだ」とスピーチ。そして最後に、「神の思し召しがあれば、戻って・・・くるだろう」 と、いくぶん途切れがちにトーンを落として付け加えた。この一言が、しばらく後になって不気味な意味を持ってくる可能性もないではない。

 そして、ナイジェリア政府が用意したボーイング737機に、防弾仕様のリムジンと豪華仕様の四輪駆動車、そして大量の引越し荷物の品々を積み込み、8月 11日午後、テイラーはリベリアを去り、ナイジェリアへ居を移した。隣国シエラレオネの内戦に介入したとして、国連の戦犯特別法廷から起訴されていること には、あるいは目をつぶることで裏の合意ができているのかもしれない、と思わせる雰囲気でもあった。

 この日、リベリアの沖合いには、米国の軍艦3隻が二千数百人の米兵を乗せて停泊していた。

 ◆反政府勢力LURD代表の動き

 テイラー大統領の出国を目前にした8月7日、反政府勢力LURDの代表セクー・コネは、パリでラジオ・フランス(RFI)のインタビューを受けていた。

 『フランス当局にも状況を報告すると同時に、リベリアの窮状を訴えるつもりで今パリにいる。この後、西アフリカへ戻り、ナイジェリア、ガーナ、セネガル 他の首脳とも会う予定だ。紛争のために国を離れているリベリア人が現在少なくとも100万人はいるはずで、その多くが国へ戻るまでに2年程度の時間が必要 と考えているから、暫定政権はそれまでとしたい。暫定政権内に自分自身は入らない』

 氏は15万人以上の国民を抹殺した当事者の一方の代表でもあるわけだけれど、さすがに、米国の支援を受けた反政府勢力のリーダーは、言動にもその動き方 にも並々ならぬ自信を感じさせるものである。古典的なゲリラ・反政府勢力であったら、リーダー自身も銃を持ち山の中に潜んで艱難辛苦を耐える、というよう なイメージを持ってしまいがちなのだけれど、昨今のゲリラのリーダーはそうではないらしい。たいていは、ぱりっとしたスーツにネクタイというビジネスマン スタイルで、ロンドン、パリ、ニューヨーク、ワシントンを自由に往来し、しかるべき人々と接触することが主な仕事のようである。

 このようにしてガーナの首都アクラで8月18日、リベリア政府と反政府勢力2グループが、暫定政権を10月14日に発足させ、2005年に選挙を実施することなどを柱とする包括和平合意に署名。

 9月25日現在、氏は長年留守にしていたリベリアへ戻っている。住み慣れたギニアの邸宅を後に、スモークガラス付の日本製四輪駆動車に護衛のギニア兵を 乗せ、都合14台の車を連ねてギニア側から陸路リベリアへの国境を越えた。移動途中のゲリラキャンプでは、自分の戦闘員たちの出迎えを受け、彼らの労をね ぎらいながらの凱旋となった。これで、これまで「反政府勢力」として動いていたグループはひとまず静かになる。

 ◆蚊の攻撃に敗退した米兵

 テイラーがリベリアを去った8月11日の時点では、80人程度の米兵が米国大使館警備のためにリベリアに入国していた。沖合いにはその数日以上前から、 米国の軍艦3隻と2000人を超える米兵が待機。この時期には、反政府勢力が更なる虐殺を続けていると報道されていて、国際社会が米兵の出撃を声高に要請 しても動くことはなかった。

 そして8月14日になってから、港の警備を主な任務として米兵200人程度を送り込んだものの、その多くは日帰りで、夜には沖合いの艦艇へ戻るというパ ターンであった。ともかくアフリカ大陸への上陸を極端に恐れていて、最長10日間程度の滞在で、兵によっては数日間だけの上陸というのがその実態であっ た。国際社会の圧力をそらすために、ただアリバイを作っただけの米軍。10月1日までにリベリアから撤収の予定とされている。

 米軍がアフリカの兵を恐れる理由は、1992年にアメリカ主導でソマリアの内戦に介入したときに端を発しているらしい。「希望回復作戦」と名づけて敵と 目するグループのトップを急襲したのにもかかわらず、米陸軍が誇る精鋭特殊部隊は相手を捕捉することができず――いつものことではあるものの――、それば かりか反撃を受けて18人の兵を殺され、そのうちの一人の死体を車で引きずりまわす映像をテレビで流され、その結果不名誉な撤退を余儀なくされた苦い記憶 が、特に共和党員の間に根強く残っているためであるという。

 ところがそれほどに神経質なオペレーションを行ったのにもかかわらず、伏兵はアフリカ人ばかりではなかったらしく、現地の蚊の軍団にたっぷりかわいがられてしまった様子が伺える。

 以下、『ProMED情報』からの抜粋。
 ≪情報源:ABC News、9月10日。海軍の医師団は、先月平和維持任務でリベリアに滞在した海兵隊員に異常な高頻度で発生したマラリアを調査中である。海兵隊員のうち さらに3名が発病し、西アフリカ海岸沖の米軍軍艦内で治療中であるが、今回の患者発生により患者総数は46名になったと、軍関係者(曹長)が述べた。この 患者数は先月リベリア沿岸に派遣された海兵隊員・海軍兵士225名中20%に相当し、彼らが服用しているマラリア予防薬は通常蚊が媒介するマラリア予防に 非常に有効とされているだけに驚異的な数字である。≫

 ≪情報源:Washington Post、9月10日。積極的な予防法にもかかわらず、2003年8月にリベリア沿岸で活動した200名以上の海兵隊員のほとんどが明らかにマラリアに感染し、うち約43名は入院治療を要した。≫

 ProMED情報
 http://www.forth.go.jp/

 Failed Safeguards Are Blamed For Marines' Malaria Outbreak
 http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A51637-2003Sep9.html

 これは予防薬投与の失敗ではないかと推測する専門家もいるけれど、例えそうであったとしても、マラリア媒介蚊に刺された人間がすべて発症するわけでもな い。ある程度の体力(免疫力)があれば、たいていは発病しないですむものだ。筆者の長年の観察からも、それは確信できる。軍の発表がウソでないとすれば、 この惨憺たる結末は米兵の質の悪さ・ひ弱さ――数合わせのための寄せ集めの兵士――の証明ということになるのではないか。なるほど、彼らにはアフリカでの 野戦は不可能だ。

 ◆リベリアと米国

 米国のアフリカ戦略には、油の中東依存度を増大させることなく、この地域にも安定した原油の供給元を確保することと、飢えたアフリカ大陸に米国産の穀物 を大量に売り込むこと、このふたつが大きな柱として存在している。アフリカの油を確保するための仕込みはすでに熟成の段階に到達したといえる。穀物(米、 小麦、大麦、とうもろこし、豆等)に関しても、ケネディ・ラウンド関税交渉の中で成立した開発途上国に対する食糧援助を先進国に義務付けるシステムによ り、被援助国の農業生産意欲を殺ぐ意図はかなりの程度に達成された。また、内戦多発によって農業生産が阻害され、穀物の輸入需要はますます増えている。

 リベリアは19世紀初頭、アメリカのかつての解放奴隷を支配者層として送り込んで建国された、アメリカとは濃密な関係を持つ国である。現在でも富裕層の子弟は米国で教育を受けることが普通となっている。

 船に関係するニュースなどで、リベリア船籍の船という言い方を耳にすることがあると思うけれど、船の登録に関しては便宜置籍という方法が存在する。船の 持ち主の実態とは異なる国――税金等の安い国に便宜的にその船を登録し、節税、船員経費対策などを目的とするものだ。リベリアが便宜置籍国としてかなりの シェアーを持っているのは、その昔の米国の支援による影響力が大きく働いている。

 アメリカのファイアストーン・タイヤゴム会社は、リベリアに世界最大のゴムのプランテーションを持っていた。1988年、内戦の始まる直前に日本のブリヂストン社がこれを買収。

 リベリア深奥部のギニアとの国境地帯には、標高1752メートルのニンバ山がある。この山一帯は下記のページに詳細な説明があるように、動植物の宝庫ともいえる場所だ。

 ニンバ山に詳しいページ(京都大学霊長類研究所)
 http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/chimp/Bossou/Nim-j.html

 そしてこの山は、実は鉱物の分野でも宝の山と目されている。荒っぽく言ってしまえば、山脈すべてが高品質の鉄鉱石でできている。リベリア側は内戦前まで 採掘されていた。その鉄鉱石を運び出すために、広軌の鉄道総延長261キロが敷かれた。そのための港も整備された。ラムコ(LAMCO)と呼ばれるこのプ ロジェクトには、アメリカとスウェーデンの資本がかかわっていた。

 ラムコ・プロジェクトに携わっていた関係者の子供が、その当時のリベリアでのあまい想い出を語っているページ。
 Our Beloved Liberia! http://home.enter.vg/liberia/

 さらにこの山のギニア側にも、当然のように鉄鉱石採掘のためのプロジェクトが存在し、英国に本社のある国際的な資源会社をはじめとする複数の会社がすで に利権を確保している。ボーリング調査の結果として、この一帯の確認埋蔵量は世界一であるとささやかれている。昨年末にはギニア政府との最終協定が結ばれ た。この鉄鉱石搬出のためには、ギニア国内に総延長1000キロの鉄道をまず建設しなければならない。多額の先行投資が必要となる。しかし、リベリア国内 の内戦が収まったことから、リベリアの既存のラムコ鉄道を補修して使う可能性が出てくることもありうる。そうすれば建設コストもランニングコストも大幅に 削減できる、と欧米の多国籍企業は計算している。(ギニア政府はそれを拒否する立場だけれど)

 現在まで米国軍艦が停泊していたリベリア沖合いの石油は、これから試掘作業が動き出すことになる。当然のように、西アフリカ・ギニア湾の海底油田地帯に含まれるこの一画にも、米国のメジャーはしっかりと狙いを定めている。

 ダイヤモンド資源に関しても、シンジケートが環境を整備し、他のルートからの輸出を規制する方向に動くことだろう。

 農業は――そんなものは、米国から米でも麦でも買えばいいのだから、そのあたりに放り投げておけ、と米国は考えているだろう。

 1980年のクーデターによって反米的な政権が誕生してからというもの、外国に支援されて送り込まれた反政府勢力という名の複数の刺客グループと政府軍 の戦い、そして反政府勢力同士の反目と、三つ巴、四つ巴の争いが続けられてきたリベリアにも、それなりにいくぶんかの明るさが見えてきたこの頃である。

 ――しかし、ナイジェリアから電話を通してリベリアとの接触を続ける、すでに引退亡命したはずの元大統領もいたりして(彼の私兵たちはまだリベリアに存在している)、武装解除が進んで和平が定着するまでは、まだ予断が許されない。

 Nigeria warns exiled Taylor
 http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/africa/3115992.stm

 ◆悪魔のささやき

 このようにリベリアについてのあれこれを書いてみたのは、ある魂胆があってのことだ。日本は、イラクへではなく、リベリアへ平和維持部隊を派遣したらどうだろうか、ということを言いたいためである。

 来月には、「大義なきイラク侵攻を指揮した大統領」として歴史に名をとどめるであろう米国のブッシュ大統領が、自軍が破壊してしまった相手の国を再建す るための費用見積書を持って、うるさいことを言わずにイラク侵攻を支持してくれた日本の戦友を訪ねると伝えられている。同時に、連帯の意志を再確認する意 味を込めて、日本の自衛隊のイラクへの早期派遣を迫っているとの報道もある。

 米国は早々とイラク侵攻の戦闘終結宣言をしてしまった。しかし現実には、いまだに兵士が日々殺され続けていて、イラク全土が厳然として戦争状態にあるこ とを、米国は誰よりもよく理解しているはずである。そしていまや、停戦交渉をすべき相手も消えてしまって為す術がない。ベトナムの泥沼におぼれさせられた リンドン・ジョンソンの二代目を継ごうとしているようにも見えるジョージ・ブッシュがいくら望んだとしても、そのような場所へ、おそらくは人を撃ったこと も撃たれたこともない戦争バージンの日本の自衛隊を送るわけにはいかない。例え、日本の法律上許容されたとしても。ましてや、1990年の湾岸戦争以来、 劣化ウランをばら撒き尽くした土地である。殺されずに帰れたとしても、後には別の苦しみが待っている。

 また、イラク復興には今後4年間でおよそ1000億ドルが必要、とする見積もりが流され始めている。単純に10兆円と換算しても、この数字に例えば日本 の国連分担金負担割合20パーセントを乗ずると、それは2兆円になる。しかも「派兵」に付き合わなければさらに上乗せされる可能性すらないではない。―― それから忘れてならないのは、日本政府と民間企業が、イラクに対して現時点ですでに1兆円以上の債権を持っていることである。この債権は放棄させられ、最 終的にはすべて日本政府の負担となる可能性が大きい。

 イラク侵攻に関しては、すでにノーリターンポイントを超えてしまっている日米関係である。となれば、少しでも日本国民の負担とリスクを減らす方向で現実的に対処するしか方法はない。

 とはいうものの、日本の新聞が書いているように、自衛隊の輸送機を使って他国との間の運送業務を手伝うとか、100人程度の工作部隊を「絶対安全な場 所」に送り込んで土建屋の真似事をさせ、「派兵」の要請に代えてお茶を濁すなどというちゃちな後ろ向きの動きは日本の国益にそぐわない。米国にとっても、 足元でじゃれる子犬ほどの役にも立ちはしない。

 この際、この災いを日米同盟関係を強化する絶好の機会として捉え、米国と国連を結びつけながら、日本の主体性を発揮する前向きの行動として、リベリアへの平和維持部隊の派遣を提案したい。

 『わが国はかけがえのない同盟国としての米国を支援するために、イラク復興支援特別措置法案を多大な困難とともに国会を通過させた。わが国の憲法からは これが精一杯のものである。そのためには、国会審議史上稀にみる居直り答弁までして、慎み深い日本のメディアにすらひやかされたほどだ。しかしながらイラ クの現状は日本の自衛隊にとってはまだまだ難しすぎる。歩き方を一歩間違えれば、あなたが頼りにしている私の政権は吹っ飛んでしまうだろう。そこで、ブッ シュ閣下と米国を尊敬している証として、貴国の権益にも大きく貢献できるリベリアの平和維持活動で汗を流すつもりだ』という変化球を投げ込むというのはど うだろう。

 現地ではすでに和平合意が成立し、国連安保理の平和維持部隊派遣決議も採択されている。日本の国内法的にもハードルは高くないはずだ。そして、このミッ ションは限りなく安全でかつ有用なものである。恒常的な平和を定着させて100万の難民を故郷に戻すことができるのであれば、困難な経済状況の中であえい でいる日本国民も納得してくれるのではないだろうか。

 折りしもこの29日からは、東京都内のホテルで第3回アフリカ開発会議(TICAD3、議長・森喜朗前首相)が開かれる。アフリカ各国の首脳が多数参加 する。アフリカの開発に対する全面的な支援を打ち出している日本の、口先だけではない真に役に立つ決断を期待したい。(『金鉱山からのたより』 2003/09/28)
                      (2003.9.28記)

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2003年09月04日(木)萬晩報コナクリ通信員 齊藤 清

 米国によりテロ支援国家とされていたリビアが、このところ妙に枯れた動きを見せています。昔日のアラブの青年将校の過敏な猛々しさから脱皮して、アフリ カの盟主を任ずる老練なカダフィ大佐への変身。世界地図はいま、色が塗り替えられようとしているようにも思えます。その立役者カダフィ大佐の足跡を、急ぎ 足で洗いなおしてみました。

 ◆サッカーへの夢

 カダフィ大佐自身はもちろんなのですが、その息子のサーディ・カダフィ(30才)もサッカー好きで、2002年には、日韓共催のワールドカップ観戦のた めに、銃を携えた護衛を連れて韓国、日本を訪れています。――もっとも、銃は経由地で没収されてしまったらしいのですが...。彼本人もリビアを代表する 優秀な選手とされていて、かねてからプロとして海外で活躍することを夢見ていたようです。

 カダフィ一族の経営する会社が、昨年イタリアのサッカーチーム・ユベントスに資本参加(およそ30億円)し、第2位の株主となったとするニュースが伝わっていました。

 そしてつい最近には、同じイタリアのサッカーチーム・ペルージャが、カダフィ大佐の息子を選手として獲得したと伝えられました。クラブ経営者の経営戦 略・政治戦略の一環であるのかもしれないのですが、話題になることは確かです。7月からチームでの練習を始め、練習試合ですでに2ゴールを決めたなどとい う報道も。蛇足ながら、このチームはアフリカでも有名人の中田英寿が活躍したチーム。

 これはサッカークラブの話題づくりとしてばかりではなく、リビアのイメージアップ戦略としても有効なものとなりそうです。ことに、大佐が今後の戦略地域 として想定しているアフリカでは、サッカーはスカッドミサイルなどよりもずっと大きな威力があります。もっとも、サーディ自身はサッカー一直線だけなのか もしれないのですが。

 ◆テロリズムの連鎖

 これまでのリビアは、英米主導による国際社会からの隔離政策によって、国のイメージばかりではなく、実質経済的にも大きなダメージを受け続けてきました。

 その最大の原因は、1969年に無血クーデターでカダフィ大尉(当時)が政権についたあとで、それまでリビアを含むアラブ世界を蹂躙していたと彼が信ず る西側の国に叛旗を翻し、PLO、IRAへの支持を鮮明にしたことにあったと考えられます。――石油産出国ですから資金は豊富でした。

 報復として、73年にはイスラエル機によってリビアのボーイング727機が撃墜され、110人死亡。81年にはリビア沖で、リビア領空に侵入してきた米軍機が、リビア機2機を撃ち落とすという事件も発生。

 もっともこの間、ドイツ、イギリス等々で、リビアが関与したとされる複数のテロが発生し、それによる非難を受けてもいます。この中にはCIAがでっちあ げた気配が濃厚なものもあり、フレデリック・フォーサイスの愛読者でもある私めには、それは充分にありうることだろうという気はするものの、その真相 は...。

 そして極めつけは、当時の米国レーガン大統領の指示による、86年のリビア襲撃。これも、カダフィが裏に控えて操作しているとされる国際テロリズムに対 する「報復」ということでした。米爆撃機F-111sの発進基地提供の要請を受けた当時の英国サッチャー首相は、「テロはテロを呼ぶ」として躊躇したもの の、盟友レーガンの説得に負けて承諾。あらかじめ地中海に展開していた6隻の艦船と200機余の艦載機の支援を受け、まったく抵抗のない状態で爆撃機はリ ビアへ60トンの爆弾を投下。

 この襲撃で、カダフィはからくも生き延びたものの、彼の養女を含む101人が殺されたと伝えられています。『変り行くリビアの近況』と題するメッセージ の中で松本剛氏が、《同大佐のトリポリでの居所となっている軍司令部構内にある「カッザーフィの家」(1986年に米軍機の爆撃を受けて破壊されたが、現 在に至るも米軍の蛮行を示すモニュメントとして残されている)》と書いています。
http://www.meij.or.jp/countries/libya/matsumoto2.htm

 そしてこの年、米国は独自の対リビア経済制裁を実施し、リビアで事業を展開していたすべての米系企業を撤退させています。この中には、複数の石油採掘会 社も含まれていました。(ただしこの権利は剥奪されることなく、現在までリビア政府預かりとなっている)

 ◆航空機爆破事件

 「テロはテロを呼ぶ」というサッチャーの懸念の通り、88年には英国スコットランド上空で米パンナム機爆破事件(ロッカビー事件)が発生。このときの英 米人の犠牲者は270人。翌89年には、フランスUTA機がアフリカ・ニジェール上空で爆破され、170人の犠牲者。これらすべてについて、欧米側からは リビアの関与が指摘されていました。リビア側は関与を否定。

 これに呼応するようにして88年、リビア側の解説によれば、フランスの諜報機関SDECEによるカダフィの暗殺計画が実行され、最後の段階で露見するという、観客席へのサービス度は満点のニュースも発信されました。

 当然のようにこの頃も、英国諜報機関M15/M16、CIA、リビア諜報機関等々が、カダフィをめぐって世界各地で小説以上に派手な動きをしていたことが、現在の時点ではかなり信憑性のある資料で知ることができます。

 そして国連安保理は、リビアに対して航空機爆破事件への捜査協力などを要求したものの、拒否されて、92年、93年に対リビア制裁決議を二件採択しまし た。これ以降リビアは国際社会から隔離された状態となって、経済的にも政治的にも逼塞した状況が続くことになります。

 この頃、国外に亡命していた反カダフィ勢力としてのイスラム原理主義グループが、英国諜報機関M15などの資金援助を受けて、リビア国内にいる現役軍人 などと連動し、96年に政権転覆計画を実行したものの、カダフィの乗った車の爆破に失敗して頓挫するまでの経緯を知ることのできるM15の極秘文書が、 2000年になってから何らかの意図でネット上に漏洩され、「諜報員の生命に危険が及ぶ可能性がある」として、英国政府がプロバイダーに削除要請をしたこ とが、プロバイダーからの発表として報じられました。これについては英国内務省もコメントを出していたようですので、おそらくは本物の極秘文書だったので しょう。(その世界のことは、どこまでが本当なのかよくわかりませんけれど)

 舞台裏では、国連安保理側は航空機爆破事件の容疑者と目するリビア人の引渡しを、リビア側は国外にいるカダフィ政権転覆計画の関係者たちの引渡しを、そ れぞれ要求していたもののようです。爆破事件容疑者として英米から名指しされていた人間を、99年にリビアが引き渡したときには、表のニュースには出てこ なかったものの、政権転覆を企てたイスラム原理主義グループがリビア側に引き渡されていた、ということです。

 容疑者の引渡しを受けたことによって、99年4月、国連安保理は対リビア制裁の一時停止を発表。ただし、米国独自の制裁はまだ継続していました。

 ◆アフリカ世界への傾斜

 ひとつ気になっているのは、98年7月、カダフィ大佐が大腿骨を骨折したとして入院した"事件"。これは公式には、日課としていたジョギングの最中に転 倒したための骨折、と発表されました。――されているはずです。アラブ世界の首脳が四、五人一堂にそろって、彼の病室にいる写真が添えられていたことも、 ただの骨折にしては不自然だと、フレデリック・フォーサイスの愛読者は思ったものです。かなりのダメージを受けたためなのか、治療が適切ではなかったため なのか、いまでも軽い後遺症が残っているらしく、歩行の際には補助の杖を使っている様子が伺えます。カメラの前では杖を置いて移動することもできる程度で はあるものの、かなり危なっかしく、このあたりに往年の迫力と気力を削ぐひとつの素朴な理由があるのではないかと、推測しています。それが彼の思考に変化 を与えているかもしれません。

 国連安保理の対リビア制裁一時停止後の2000年7月、西アフリカ・トーゴで開かれたアフリカ統一機構(OAU)サミットは、カダフィ大佐のアフリカ世界への公式復帰を祝うようなものとなりました。

 カダフィは、地中海に面した国リビアから大西洋岸のトーゴまで、300台の車と、1000人を超える従者を連れて、サハラ沙漠を南へ5000キロ走り、 ニジェール、ブルキナファソ、ガーナに立ち寄り、沿道の人々のまさに英雄を迎えるような熱い歓迎ぶりに、オープンカー仕立ての白いリムジンから身を乗り出 し、こぶしを振り上げて応え続けました。

 このサミットで、ヨーロッパ連合(EU)にならって「アフリカ連合(AU)」の速やかな実現を呼びかけ、2002年7月にそれが実現。彼のアラブ世界離 れは決定的なものとなり、いまではアフリカの盟主たらんとして、各地の紛争解決やさまざまの問題にも、さりげない心遣いを見せています。

 今年の2月から4月にかけて、アルジェリア付近のサハラ砂漠で誘拐されたヨーロッパ人観光客の救出に際しても、表の調整を引き受けたマリの大統領を陰で 支えて、リビアが動いています。観光客14人(ドイツ、スイス、オランダ人)がおよそ半年間拘束されて、この8月にマリで解放されたのですが、RFIの報 道では、その裏ではリビアの人脈が誘拐グループとの交渉を成立させ、カダフィ大佐の息子が運営するカダフィ財団が、身代金として500万ユーロ(およそ6 億円)を支払ったといいいます。

 ◆ビジネス優先のリビア

 2001年の911事件の直後、カダフィ大佐は米国の犠牲者に弔意を表し、負傷者に対しては献血をするという動きをアピールしていました。そして、テロリストに関する情報の提供を約束しています。

 また、この年の11月フランス発行の週刊誌『J.A./INTELLIGENT No.2132』のベタ記事によれば、リビア国営石油会社の社長が11月中旬にオーストリアで、アメリカの石油会社三社の代理人と会い、リビアの石油採掘 事業へのすみやかな復帰を呼びかけています。この三社は、アメリカ政府のリビア制裁方針をうけて、1986年レーガンの時代にリビアから撤退させられてい たもの。

 これは、911事件の本質を見抜いて、デージーカッターをプレゼントされる前に、リビア側がビジネスライクな手を打ったひとつの例といえます。最近のリ ビアは、テロリズム国家との賢い付き合い方を心得ているようです。もっとも、リビア自身が海外からの投資を激しく求めているという事情もあるのですが。

 2002年7月には、ほぼ20年ぶりに英国の外務大臣がリビアを訪問。日本では《「対テロ戦争」での協力をリビアの最高指導者カダフィ大佐に打診するた め》と報道されていましたけれど、それはすでに実行されていたことですから、本当の目的は別のところにあったのです。

 というのは、この年の5月、経済制裁の解除を願うリビアのビジネスマン代表が交渉代理人として、「国際社会復帰のためのライセンス料」との位置づけで、 米パンナム機爆破事件に関して総額27億ドルの支払いを提示していました。制裁解除は、リビアにもアメリカにも利益になることだ、と言い切っている様子を BBCが伝えていました。ですから実際のところは、「対テロ戦争」への協力のお礼と、支払いについての直々の確認であったわけでしょう。

 99年4月に国連制裁が一時停止された後、米国独自の制裁が継続する中、欧州や中国など(日米政府に気兼ねしながら日本社も)が積極的にリビアと接触し ている現実がありました。そして米国内には、出遅れを心配する強い声があがっていたようです。――制裁解除を求めるアメリカ側の力。(現実には、米ビジネ スマンが大勢出入りしていたようですし)

 ◆国際社会復帰のためのライセンス料支払い開始

 今年8月下旬になって、リビア政府が補償金総額27億ドル、犠牲者1人当たり1000万ドル(約12億円)の支払いを開始した、と各メディアが報道を始 めました。なかには、「爆破事件にリビア政府自身が関与していることを認めた」との文脈で記事を書いている注意力散漫な日本のメディアも目立つのですが、 リビアが国連安保理に送った文書では、「その公務員の行動に関しての責任を認める」としか書いていません。

 米パンナム機爆破事件の容疑者とされた二人のうち、終身刑が確定した一人(もう一人は無罪)についての判決では、リビア政府の関与についてはまったく言 及していないのです。またフランス機爆破に関してフランス法廷は、カダフィが関与しているとはいえないと明言していました。従って、ここでわざわざリビア が自身の関与を認めてみせることもなくなっていたのです。

 今回の支払い条件は、国連安保理の制裁解除、米国の制裁解除、テロリスト国家呼ばわりの撤回、この三条件が実行されるごとに、順次40%、40%、 20%を支払うという約束ですから、もし三条件が整わなければ、遺族の手には全額は届かない仕組みになっています。その実現の責任は、いまや英米の側に投 げ渡されてしまいました。

 そしてリビアの外相は、アルジャジーラのインタビューに対して、「リビアとしては、これは補償金ではなく制裁を解除するための支払いだと認識している」 と答えています。西欧での報道だけからみればとんでもないコメントではあるのですが、リビア側はあくまで、中東の某国が某国のエージェントと合作したも の、と考えているわけですから...。

 この支払いはリビアにとって、ロン・ヤスと呼び合う仲(古い例えでスミマセン)になるためのショバ代、国際社会への入場料ということでしかないわけで す。世界最大の軍事力を持つテロリストに、真正面から歯向かっても勝ち目がないことを、還暦のカダフィは悟ったのでしょう。

 英国などは、少しでも早く最終段階の支払いにまで持ち込みたくて、かなり焦っている感じすらあるのですが、しかし2001年に、170人分として総額 3100万ドルを受け取って落着させたフランスは、英米が1人分1000万ドルという数字で決着したことで不満が爆発し、現在リビアと再交渉中であると伝 わっています。英米がいくら急がせても、フランスの再交渉が終わるまでは、フランスの持つ「拒否権」という壁に阻まれて、制裁解除の国連決議は前進できな いのかもしれません。今度ばかりは国連無視もできませんし。

 ならずものとされていたリビアが、英米とフランスの動き、あるいは彼等の確執を安全圏から眺め、困った連中だと囁いている、――あまり見慣れなかった図が展開されているこの頃です。

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