ギニア物語: 2003年7月アーカイブ

2003年07月16日(水)萬晩報コナクリ通信員 齊藤 清

 米国のブッシュ大統領が7月7日に国を出て12日まで、セネガル、南アフリカ、ボツワナ、ウガンダ、ナイジェリアのアフリカ五カ国を訪問。

 ◆奴隷の島ゴレへ

 アフリカ大陸への第一歩は、8日、西アフリカのセネガル。セネガルはフランスの元植民地で、旧宗主国フランスが、精一杯の庇護を与えながら今に至るまで 大事に育ててきた国のひとつ。バゲット、カフェオレの文化が根づいた、言ってみれば他人の畑の真中へ、今をときめく世界の覇者ブッシュが、馬上でハンバー ガーを頬張りコーラをラッパ飲みしながら、ライフルを携えて、拍車をかけて乗り込んできた風情――畑では雨季の初めの雨を受けて落花生の双葉が出揃い、こ れからさらに大きく伸びようとしているそんな季節。

 セネガルの首都ダカールの町には、『ブッシュ帰れ』『虐殺者』『詐欺師』などと、けっして好意的とは思えない落書きやプラカード(英語で書くという好意 はみせているものの)が目につき、これは格別特異なものでもなく、アフリカの少なくとも黒人の世界では、ブッシュに対する評価はその程度。お追従や尻尾を 振るというアクションはまずあり得ない状況。

 苦労人のセネガル大統領ワッドゥに迎えられ、彼の案内で、まずはアメリカ建国の礎となった黒人奴隷の送り出し拠点の島、ゴレ島へ。この島は、今回のアフリカツアーでは大切なポイントのひとつ。

 首都ダカールの沖合い4キロほどの位置にあるゴレ島は、延長900メートルほどの、お玉じゃくしが腰をくねらせたような形の小さな島。ここが昔、近隣の 国からの奴隷を集めて、アメリカ方面へ送り出す拠点となった奴隷島。今は観光地となっていて、白人も、アメリカからの黒人も訪れ、島全体がそのまま奴隷の 歴史博物館を形作り、歴史のあるミッション系の小学校もあったりして、それなりにひとつの町の生活が営まれている島。

 1998年3月には、モニカ・セックススキャンダルの渦中にあった当時のクリントン大統領が、この奴隷島を訪れ、そして夫妻揃って、海に向けて開いた、 奴隷の館の奴隷積み出し口『帰らざるゲート』に立ち、海側の警備艇からテレビカメラを向けさせて、仲睦まじさを演出した映像を発信。これは特に、アメリカ のマイノリティ―である黒人層への効果を狙ったものだったようでしたが。

 今回のブッシュ大統領の場合、彼本人は西アフリカ諸国の抱えている問題にはまったく関心がないものの、BBCも伝えているように、次期選挙のためにゴレ 島での写真が欲しかった、というのが本音のひとつ。またイラク侵攻に先立ち、大量破壊兵器に関するウソの情報操作を繰り返した疑惑を追求されている点で、 当時のクリントンよりもさらに邪悪とも思われる行為の後の奴隷島巡礼は、どの程度の禊ぎ効果が期待できるものなのか。彼は、島の奴隷積み出し口から、セネ ガルのワッドゥ大統領とのツーショット映像を送りだしました。これで黒人層の支持をも期待したいところですが、柳の下に二匹目のどじょうがいるかどうか。 もっとも今回のカメラアングルは、ゲートの斜め下のガレ石で足場の悪い波打ち際から見上げるだけのかなりの手抜き。

 当時のクリントン大統領が奴隷島を訪れる日の前日には、私めもこのゴレ島に行っているのですが、島では特別に掃除をしているわけでもなく、警備が厳しく なっているわけでもなく、何の変哲もないいつもの時間が流れていました。島の住民何人かと話をしてみたものの、翌日そんなことが予定されていることすら知 らなかったようです。しかし今回は、島の住民に一時的な立ち退きが要請されていたと伝わっています。

 ◆ナイジェリアの頑張り

 今回のアフリカツアーでは、最終日の12日にナイジェリア(元英国植民地)に立ち寄り、同行のパウエル長官共々、リベリアへの平和維持部隊派遣についても意見を交換しているようです。

 この時、西アフリカ一番のオイル大国であるこの国では、自国内で売っている一般向け燃料の値上げに端を発した労働組合のストライキが続いていました。

 ナイジェリアの原油輸出量の三分の一はアメリカ向けであり、ほかにも陰に陽に気を遣ってくれるアメリカは、現政権にとっては足を向けて寝ることのできない存在。

 例えば、徹底した軍政の時代1998年に当時の国家元首が急死し、民政に移行する流れが出てきた時に、当時政治犯として刑務所に収容されていた最有力の 大統領候補(93年の大統領選で事実上勝利していた)が、アメリカ政府が派遣したミッション、ピカリング米国務次官との会談中、突然吐血して意識を失い死 亡したとされる事件の際には、毒殺と疑う動きを抑えるために奔走。

 その後に行われた大統領選挙では、当時、カーター元米大統領も選挙監視団のメンバーとしてナイジェリアに滞在し、投票終了直後は正直に「選挙には不正が あった」と本音を漏らしてしまったものの、すぐあとで、米国政府が公式に現在のオバサンジョ大統領の誕生を認知。

 米国の西アフリカからの原油輸入量は、現時点でも全輸入原油量の15パーセント程度であり、10年後には25パーセントにまで増やす腹積もりだとされて います。そのような米国にとっては、西アフリカの指導者的な役割を担っている現大統領もまた大切な存在です。

 ◆リベリア和平へのはるかな道

 ブッシュがアフリカ大陸に足を踏み入れる少し前から、国際社会から完全に孤立させられてしまった感のあるリベリアの大統領テイラーを退陣させる工作が進 んでいました。アメリカの間接的な支援を受けた形の反政府勢力が、現政権をかなり追い詰めてはいるものの、止めを刺すことができないでいる現状を打破する ために、西アフリカのオイル大国ナイジェリアが、周辺国とアメリカの意向を受けて水面下でリベリアと接触。

 援護射撃として、ブッシュがテイラーの国外退去を繰り返して要求し、CNNや米主要紙は7月3日、米国がリベリアへの平和維持部隊派遣の方針を固めたと 報道。それを受けてテイラーは翌日、「米国からの平和維持部隊派遣の後」に退陣する意思を表明。またこの前後には、テイラーがナイジェリアへの政治亡命に 同意したなどの欧米メディア発のニュースが多量に流されていました。

 リベリアに関しては、アフガン、イラクなどの場合と異なり、アメリカの国益――正確には特定の勢力の利益、という人もいるようですが――に直接的につな がるものが少なく、ただ過去に、解放奴隷を送り込んでこの国を建国させた経緯からのみ、いくらかの真摯なポーズを見せる必要があるだけで、リスクばかり多 くて、おいしいお土産があまり期待できない場所であることは確か。世界の警察を自認するアメリカとしては無碍にもできないものの、できることなら火中の栗 を拾って火傷はしたくないというのが本心。ラムズフェルドは部隊派遣に消極的で、パウエルがメディアに対しても積極的な発言を続けている模様。以前、ソマ リアの紛争に介入して恥ずかしくも退散したトラウマがまだ癒えていないようです。(テイラーはこの点を読みきっているはず)

 7月4日コナクリでは、リベリアのテイラーを包囲しつつあるあるリベリア反政府勢力の筆頭LURDの代表夫妻と国連安保理のミッションが会談していまし た。最近では、ギニア政府がリベリア反政府勢力LURDを支援している事実はオープンになっている模様で――むろん周知の事実でもあった――、それは、テ イラー政権がギニア反政府勢力の背後にいた(いる)、と信じるギニア政府にとってはごく自然な行動であったとも考えられるわけですが。

 LURD代表の妻アイシャ・コネは、ギニアの現政権に絶大な信頼を得ている呪術者であり、彼女がギニア政府とLURDとのつながりを守護する役目を果た しています。基本的にはコナクリに在住していて、その邸宅は通称ベレー・ルージュ(ギニアの大統領警護兵)が警備。

 また、米国の信頼と要請を一身に背負ったナイジェリアのオバサンジョ大統領は、自国の労働組合のストライキで足元に火が燃え盛っている7月6日、自身が リベリアへ飛び、テイラー大統領の首へ鈴をつける役目を全うした様子です。「ナイジェリアへの政治亡命」の確認を取ったとも伝えられるものの、テイラーが 国連の戦犯特別法廷から起訴されている問題、米国からの平和維持部隊派遣を前提条件としているなど、まだ流動的な要素が残されていそうです。さらにオバサ ンジョ大統領は、13日にはギニアを訪ね、ギニア政府との意見調整をしています。
(1993.7.13記)


 ■追って書き

 ◆闇に向かって撃て

 雨が降って、やわらかい草の緑に覆われた高地ギニア――マリ共和国に近いあたりから、ずっと新緑の中を走り抜けて、コナクリまで戻ってきました。

 特筆すべきは、街道のあちこちの検問所がすっきりと消滅し、現政権発足後ずっと続いていた、ギニア国民、ときに外国人をも不快にさせた悪しき伝統がきれ いに拭い去られていたこと。これまで、軍、税関、警察、それぞれが独自のチェックポイントを設定している傾向があったりして、けっこう煩雑なものでした。 本来の国内の警備目的を離れて存在していて、特に、長距離の乗合タクシー、ミニバスなどは恰好の餌食とされ、何かと因縁をつけて金銭を巻き上げられていた ようです。一部のポイントでは、政敵の移動を監視、記録して、中央に報告する作業をしていましたけれど。

 例えば、私めがベースにしている奥地のキャンプに行くためには、900キロの行程で、都合15を超える検問所を通過する必要があったのですが、今はたっ たひとつ、コナクリの出入り口、36キロポイントのみとなりました。10年以上このコースを走っていて、実際に金銭の要求をされたことはないものの、内陸 部の小さな村の検問所を深夜通過するような時には、番人がどこか遠くへ出かけて(あるいは、寝込んで)しまっていたりして、そのまま通過するのもためらわ れ、行方を探すために時間がかかるということはしばしばあって、新月の夜など、エンジンを止めた車の中で番人を待つ間、湧きあがってくる暗闇の中に、虫の 声やら蛙の鳴き声があふれているのを聞き、時には蛍の乱舞を目にするという、とてもうらさみしい時間ではあるものの、得がたい瞬間に出会うことも何度かあ りました。

 そういえば、あるとき、もう日がすっかり暮れてしまっていたのですが、我々のキャンプまであと100キロの場所にある軍の駐屯地に寄ったことがありま す。あらかじめ無線で、交代要員を乗せたいので立ち寄るようにと連絡を受けていたもので。――ちなみに、現地キャンプには、軍の兵士数人が護衛についてい るのです。交代の若い兵士は異様に緊張していて、待ちくたびれていたせいもあったのでしょうけれど、車が走り出して少ししたらトイレタイムを申し出て、さ らに少し走ったところで妙なことを言い出しました。月明かりもない、星も雲に隠された真の闇。彼は、手入れの行き届いたカラシニコフを胸に抱えた姿勢。

 ――撃ってもいいだろうか?。初めその言葉が聞き取れず、現地人スタッフが聞き返しても要領を得ない答え。いくつかの言葉のやり取りの後で、いくら走っ ても動く物はむろん、人家の気配さえ感じられない夜のサバンナの山道の、真っ暗闇に耐えかねての頼みであったらしく、どうぞ勝手にと返事をしたら、車を降 りて、眼が慣れれば輪郭だけは感じられる闇の中のブッシュに向かってダダダダ。その後、ありがとうと言われても、山の精霊にでも化かされているような腑に 落ちない宙ぶらりんな感覚のまま、際限のない暗闇を走り続けました。――その時の彼には、飽かず追いかけてくる闇はとてつもなく不気味な怖い存在であった らしいのです。

 ◆ネット不通

 このメールを用意してはみたものの、実は今夜現在はネットにつなげる環境にありません。恥ずかしながら、週末はよくあるように、電話回線をドロちゃんに 占拠されてしまっているようです。ダイヤルアップ方式では、電話線がつながっていなければなす術がありません。

 最近コナクリでは、あてにならない電話会社・電話回線が不要な、プロバイダーとの間を強力な電波で結ぶ方式が普及してきています。高い鉄塔とアンテナ・ 受信装置が必要で、個人レベルではちょっともったいないほどの経費がかかりはするものの、自分の懐が痛まない身分の人々には好評と聞きます。今の仮住まい の建物には、屋上のパラボラアンテナを介して共同で利用できるLANシステムが最近設置されたのですが、ここにはいつもいるわけではないことから、少しば かりケチって契約をしていなかったせいで、今夜のような不便をかこつことになりました。

 明日は飛行機でヨーロッパへ移動の予定ですから、着いたところでつないでみることにします。

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◆『金鉱山からのたより』2003/07/13◆
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