ギニア物語: 2001年5月アーカイブ

2001年05月06日(日)萬晩報コナクリ通信員 斉藤 清

◆ポルトゥドゥナミュール駅

ベルギー・ブリュッセルの、地下鉄ポルトゥドゥナミュール駅の地上出口そばにあるファーストフードの店「クウィック」の前。春とは名のみの小寒い夕暮れ。 夕方6時の約束を5分ほど過ぎて、坂道の向こうから手を振る長い黒髪の若い女性アンヌの姿。急ぎ足で距離を縮め、「だいぶ待ちましたか」の問いに、「いい や、5分前に着いたばかり」と応える男。3カ月ぶりの再会ということであれば、単なる知人ではあっても、当然のように互いの頬を合わせる挨拶をして、ある いは抱き合ってもいいくらいのものだけれど、照れくささから、その習慣にはいまだになじめず、アンヌのタイミングをかわしたまま、簡単にごぶさたの言葉を 交わして握手をする日焼けした東洋の男。

彼女の黒いコートの肩には異様に大きなスポーツバッグ。しっかりとした体つきとはいえ、そのかしげ具合からすればかなりの重量にみえるものの、男がおずお ずと差し出した手を、ただ一言、「いつものことですから」とにっこり微笑んで軽くいなし、ゆるい坂道を先だって歩いていくアンヌ。彼女の後を追い、あるい は肩を並べ、暮れかかった街の石畳を歩く中年の男。

◆アフリカンダンス教室

古い建物の2階のドアを開けると、そこでは15人ほどの白人女性たちが、それぞれのいでたちで軽い準備運動をしていて、アンヌが紹介するその男の方へ顔を向け、さりげない会釈。男は一世一代の笑みを浮かべて、とまどいながらも「はじめまして」と声をかける。

アンヌが、「飽きてしまったら、そのあたりを散歩してきてもいいのよ」と男に話している間に、縮れ髪をていねいに編んだ恰幅のいい黒人男性が入ってきて、 彼女がかついできたバッグから取り出したタムタム(太鼓)を受け取り、そして東洋の男を一瞥。アンヌが、「このひとは今朝ギニアから着いたばかりで、今日 はみんなのダンスを見学に来たの」と紹介すれば、「マリのシディキ・カマラです」と、右手を差し出して男の手を握る。男は、彼の手の厚みと、手のひらの一 部にできている厚く盛り上がったタコに触れて、思わず「すごいですねぇ」とうなる。

パーカッショニストのカマラ師と助っ人の黒人が、タムタムをズンタカタと叩くと、踊り手の女性たちが部屋の中央に集まり、まずはギニアのマリンケ族伝来の カサのリズムで舞い始める。黒い紗のドレスのアンヌは、低音を受け持つ中太鼓をバチで叩いてリズムを刻む。流れが盛り上がりピッチがあがってくると、白い 歯を見せて笑顔を浮かべ、踊り手たちの動きを追いながら嬉しそうに身体を揺らす。踊り手たちが縦横に飛び、はじける。

男は、ギニア人女性の踊る伝統舞踊は、アフリカンミュージックの源流地帯といわれる高地ギニアの村々で何度も見、その動きの激しさと鋭さ、そしてあふれる エネルギーにはいつも驚かされているけれど、白人女性の踊るアフリカンダンスはまったく初めてのことで、多分に昇華されたなまめかしさを感じつつ、女性た ちのやわらかな動きに目をうばわれている。ステップを踏む衝撃、跳躍、腕の投げ出し方、腰の動き、すべてがしなやかで繊細。高地ギニアの村の広場で、砂埃 を舞い上げて踊る黒人女性たちのダンスとは、その迫力に圧倒的な相違があるものの、それでも郷愁を誘う目の前の踊りに、男は狭くなった地球を感じ、乾季の 枯れ野原を吹きすぎる灼熱の風を身近に想いおこしている。

◆バマコの空港喫茶室

昨年の暮れのこと、男はパリからコナクリへ向かう飛行機の中にいた。午前中にパリを出て、明るいうちにコナクリへ着けるはずの便だったものの、都心のホテ ルからシャルルドゴール空港に着いてみれば、出発時刻案内の表示さえまだ出ていず、日をまちがえたかと男は首をひねる。カウンターで確認すれば、出発時刻 がすでに午後へと変更されていて、その時点ですでに4時間程度の遅れ。もっとも、それはよくあることで、今日のうちに飛んでくれるといいな、と呟きながら 男はカフェへ向かう。そして、充分に待ちくたびれた後で、男の乗ったエールフランス機はバマコ、コナクリへ向けて離陸。

この日、この便の経由地点となっているマリ共和国の首都バマコでは、ギニアとリベリア、シエラレオネ3国の国境問題について、西アフリカ諸国経済共同体 (ECOWAS)のサミットが開かれていて、各国の首長クラスを乗せた飛行機の出入りのために、一般機の離着陸が制限されていた。

日が沈みかけた時刻、男の乗った便はとりあえずバマコへ着陸したものの、機体の移動が許されずに長時間の待機。バマコで降りるマリ人、異邦人もしびれを切 らしきった頃、首長を乗せた隣国の飛行機が飛び立ち、乗客たちは、空港ターミナルからはかなり遠い場所で解放される。離陸時刻が決まるまで、喫茶室で待て との指示。

他の機のジェット噴射を避けながら、空港ターミナルへ向かって歩く途中、男の近くにいた白いTシャツの女性と視線があう。長い黒髪をかきあげながら、目で 挨拶を返す落ち着いたその女性は、顔の表情、たおやかさから、あるいは日本人かもしれないという感じはしたものの、それはきわめて稀なことなので、男はと りあえず英語で、「コナクリへ行かれるのですか」と尋ねてみる。きれいな英語で「そうです、初めてなのです」という答え。これは日本人の反応ではない。

空港の喫茶室で、支給されたビールを飲みながら、男のかなり破綻のあるフランス語を気遣って、「英語にしましょうか」というその女性は、ベルギー人。その 名はアンヌ。 韓国人の両親から生まれた後ベルギーで育てられ、出生地ソウルのことは何も覚えていないという。「いやフランス語で続けましょう」と、男はそれが相手に対 する義務ででもあるかのように繕ってはみたものの、その実、英語よりはふだん使いなれたフランス語のほうが、まだ会話がしやすいことを彼自身がよく知って いるだけのこと。

アンヌは、擦り切れたセーファーフラン札を1枚見せて、去年このバマコに滞在した時の残りだという。アフリカン太鼓(Djembe)の国際的な指導者と目 されているギニア出身のママディ・ケイタ師のブリュッセルの教室に、彼女はいる。去年は、マリのバンバラ文化圏で太鼓の修行をしていた同窓の日本人パー カッショニストを訪ねたものらしい。今年は、その彼がコナクリにいるという。(めるまが「Gold News from Guinea」から=つづく)
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