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手術する病院も決まり、費用のめども立ち(この時すでに、寄金が400万円以上に)、日本滞在中のストレスマネージメント・プログラムの準備もOK!

「ファテマちゃん!やっぱり日本人ってすごいよネ。一生懸命にやると、必ずこたえてくれる人がいるんだ!ほんとうによかったね」心の中でファテマちゃん母娘と会話しながら、足どりも軽く、これほどワクワクしながら、日本人が誇らしく感じたことはありませんでした。

予 測していた事態とはいいながらも、余りの苦しみに、Dr.スポージマイ(ストレスクリニック副院長)との事前のミーティングより早く、入眠剤と鎮痛剤 を服用させた上に、効果が早く出るように、ストレスマネージメント「呼吸法と順次脱力法を組み合わせたリラクゼーションと、頭痛がやがて消失することの 事実説明」を併用(ストレスセラピー)で、ファテマちゃんの安定~入眠をリードして、乗り切ることができました。ガンバレ・ファテマ!

「目がさめればジャパンだからネ、ゆっくりおやすみ(アスタシャバハイエル)

五大新聞、台風の被害、北朝鮮の日本人拉致事件、毎日発生する殺人事件等々、紙面がいくらあっても足りない位なのに、ファテマちゃんの来日をどの新聞も大 きく取り上げてくれました。まさに「一服の清涼剤」のごとく、日本人のすばらしさを再認識できる紙面に「感激」したのでした。支援して下さっている皆さ ん!そして毎日新聞をはじめメディアの皆さん、ありがとうございます。

「ま ずゆっくり休んで下さい」近藤院長先生、脳神経外科医長・原徹男先生のご配慮で、ファテマちゃん親子は明るく落ち着いた病室へ落ち着いた、はずがファテマ ちゃん、病室にあるテレビに目が点になってしまったのでした(アフガンではテレビは超貴重品で、普通の家庭にはありません。"テレビを家族で楽しむのが 夢"昔の日本と同じですね)。

「サラマレコン、ファテマジャン。こんにちは、ファテマちゃん」なんと看護師チームの皆さんがペルシャ語を「喋った!!」

この心づかいに我がスタッフ一同大感激!! しかし、ここから感激の「異文化間コミュニケーション」がスタートしたのですか。ファテマちゃんの文化は、イ スラーム文化とアフガニスタン国の田舎の生活文化。一方は超近代的と言うか、アメリカ風生活文化。その中にチョコット日本の素晴らしい文化が時々顔を出 す、という「複雑系カルチャー」のナースチームの皆さん・・・・・それをしっかりリードの盛(Mori)師長さん。さてどんなことになるのやら。台風の ニュースをテレビが伝えている最中ですが、この病室にもやがて異文化台風が吹き乱れる時がもうすぐ来る???!!!キャーッ!(アジア戦災孤児救済セン ターhttp://park22.wakwak.com/~namai-stress/awoa/から転載)

えっ!  この笑顔の、いい娘が、ファテマ?! 「まるで別人のよう」「日本で生まれかわって帰って来たヨ」出迎えた家族や一族の人々が口々に、声高にほめたたえ ます。大手術を終え無事に帰国したファテマちゃんを、妹やお姉さん、一族の女達は、晴れ着で着飾って出迎えました。

そして国営テレビが、更にラジオが、8月4日手術の日、「今日本でファテマちゃんは手術をしている」と、朝・昼・晩の3回、アフガン全土に放送しました。今日はファテマちゃんの無事の帰国を何度も伝えました。
更にBBCラジオ、ドイツ国営ラジオまでも、日本人がいかに一人のアフガン少女に「奇跡」をもたらしたかを、詳しく伝えました。大統領選で沸くアフガニス タンのメディア。その中に一つの「奇跡」を伝え聞いた多くの人々が、日本への親愛の絆を更に深めたといいます。「小泉総理大臣も御見舞いに来たって本 当?!」 「ソウリダイジンって?」 「大統領と同じダヨ!?」 「すごいね!」 「タシャクール・ジャパニ!(ありがとうございます、日本の皆さん)」

「無事に帰ったファテマちゃんを見せて欲しい!」という厚生大臣からのメッセージが届きました。

・厚生大臣:「ヤティーム(戦災孤児)の為のNGO活動に、いつも敬意と感謝の心を、忘れたことはありません」

・生井代表:「有り難うございます。日本の皆さんの支援で活動しています。戦争で親を失ったショック(トラウマ)は、今も子どもたちを苦しめていますし、密度の濃いストレスケアが必要です。これでファテマちゃんのストレスも半減するでしょう。」

・厚生大臣:「本当に感謝します。ストレスの専門家が院長になって、小児科のドクターと共にヤティームをケアするという、ストレスクリニックは、世界ではじめてでしょうし、期待しています。」

・生井代表:「ヤティームのストレスケアとリハビリの為に、農作業やお花作りが効果的です。広い土地が必要です。アフガン政府から、土地をいただけるように、力をお貸し下さい」

・厚生大臣:「分かりました。お約束しましょう」

・生井代表:「ファテマちゃんをはじめ、戦災孤児を支援するプロジェクトは、慈愛に溢れた日本人が支えてくれています。小泉総理大臣も御見舞いに来て下さいました。」

・厚生大臣:「私もそしてカルザイ大統領も"心から感謝しています"とのメッセージをお預かりしています。ますます日本との友好の絆が強くなるでしょう。日本の皆さんに、感謝の気持ちを伝えて下さい」

・生井代表:「はい、ファテマちゃんを支援する日本の皆さんへ、大臣と大統領の感謝のお気持ちをお伝え致します。

ファテマちゃんの家は、カーブル市の郊外、山並みの見える平和な農村にあります。ファテマちゃんはお母さん(マルジア)と共に家族のもとへ帰りました。頭に突き刺さっていた銃弾も、痛みもとれてほんものの「平和な日々」がスタートしました。
「これで学校に行ける、先生になりたい、人を助けることをしたい・・・・・助けられたから、アリガトゴザイマシタ、ジャパニ!!
ファテマちゃん本当によかったね、おめでとう。

脳神経外科医長原先生とのミーティンクの結果(アウトライン)゙を元に、以下の様な「お知らせ」を、各 メディアに緊急発信!! 「どうか取材をしてくれる新聞かTVがありますように、出来れば新聞に・・・」 そんな必死な思いを込めたメッセージが、各 メディアに送られました。

8年前に家の周りで突然に起こった戦闘にまきこまれ被弾! 入院して傷の手当てのみで退院。父親も戦争で失い、心の痛みと、頭痛との八年間、銃弾が腐食を して鼻から膿が出始めていて余命は2~3年以内と宣告されました。(アフガンの公立病院ICRC Hospital病院長の話)

早急に開頭弾丸摘出手術が必要ですが、現在のアフガニスタンでは手術は不可能のため、前日本心身医学学会理事長で医学博士・吾郷晋浩先生(当時・文京学院 大学大学院人間学研究科教授)のご紹介から、藤井先生へそして「国立国際医療センター」(東京都新宿区)の脳神経外科(医学博士・原徹男先生)が中心にな り手術をする事が決まりましたが・・・。

入院→検査→手術→静養→退院 約3~4週間、費用は約300万円
ファテマちゃん母子、付添人《AWOA代表 生井(Namai)》往復旅費一人約50万円
滞在費・その他50万円 合計約400万円が必要になります。

この費用は、呼びかけ人NPOアジア戦災孤児救済センターの口座(郵便振替口座:00190-5-110507)に" ファテマちゃん基金"を設け、広く善意を求めて、ファテマちゃんの頭部銃弾の摘出手術を実現、成功させ一日も早くその苦痛を取り除いてあげたい、と祈る気 持ちで皆様へそのご協力とご支援をお願いする次第でございます。何卒ご厚意を賜りますよう心からお願い申し上げ"ファテマちゃん基金"開設の趣意書とさせ ていただきます。

(各新聞社、TVへのお知らせを転載しました)

発 信した次の日に、毎日新聞の山下記者から、取材の申し込みがありました。スタッフ一同思わず「バンザァイ」「ああ、思いが通じた。ファテマちゃん光りが見 えたヨ!これで早く迎えに行けるネ!」新聞が報じてくれれば、必ず「善意の人々」が動いてくれる。そう信じてました。「こんな大変な世の中ですが、必ず日 本人は応えてくれるはず」

ファテマちゃんの痛みと苦しみを解消するという、"奇跡"のはじまりは、毎日新聞のこの第一報がスタートでした。「毎日新聞6月22日夕刊」大きさも驚きなら、その内容の的確さと見出しの的を得た表現に、目が釘付けとなりました。

「どうか善意の人々へ、このメッセージがとどきますように・・・・・」

これは毎日新聞22日のHPを見た「善意の人々」が、夕刊の記事を待たずに早速郵便局へ出向いて振り込み用紙に書き込み、現金を添えて出すという、本当に 面倒で手間な作業、なのに行動を直ぐ起こして下さいました。22日23日24日25日の4日間だけで、508人の「善意の人々」が動いて下さいました。匿 名ご希望の方以外の「善意の人々」の皆さんの名簿は、こちらです。大感激です!!

日 本からの国際電話に、喜びで胸が一杯! 「準備が出来たので、迎えに行くね!」 「ファテマはほんとうに日本で手術出来るんですね?」 「日本の皆さん が、力を貸してくれている。心配ない。それから日本にいるアフガン人も協力してくれてるよ。」 「ほんとうにありがとうございます」 「早く迎えに来 て!」 「もうすぐ行けるよ! じゃぁね!」

喜びではずむ母娘の声を聞くうち、胸が熱くなり、早々に電話を切りました。「日本のみなさん、あなた方はやはり応えてくれましたね。今ぼくも喜びで胸が一杯です。感謝です。ニッポンジン・バンザイ!!」
(アジア戦災孤児救済センターhttp://park22.wakwak.com/~namai-stress/awoa/から転載)

リサーチ役は、ストレスクリニックのマネージャー(事務長)サヒーさんが中心になって走り回りました。

2 日、3日、4日と日が経つばかりで、良い返事はありません。脳外科という高度医療技術を伴った手術は、今のアフガニスタンでは無理だというのです。CTス キャン、MRIもありません。その内「日本でお願いできないのか?」という声が、医療現場からも上がって来ました。赤十字病院、チルドレンホスピタルなど の先生方も、熱心に日本での手術を要請してきました。

ストレスクリニックへ来院する子ども(戦災孤児)は、一日平均30人。頭痛、腰痛などの体痛を訴える子ども、腹痛、湿疹、下痢、便秘などや、ゆううつ障 害、統合失調障害など、ストレスが元になる身体系・心理系のストレス障害の子どもをケアしながら、ファテマちゃんへの対応を考える日々を過ごしました。

頭痛がひどく、入学して一ヶ月で退学「頭痛が無くなったら、学校へ来てもいいです」と、先生から宣告されてしまったファテマちゃん。「頭痛がひどくてジッ としていられずに騒いだりわめいたり、ケンカしたり、先生の言うことも聞けなかったんですから仕方がない」母親のマル゙ジアさんは、昨日のことの様に目 頭を押さえながら話してくれました。そして「ファテマは自分の名前も書けないし、読めないんです。頭痛を取り除いて学校へ行かせてあげたい・・・。」

アフガニスタンの首都カーブルで、突然に起こった悲劇は、多くの人々にショックを与えました。そしてそのエピソードが口コミで、首都カーブルばかりか 地方都市へも伝わり、民族の違いをも越えみんなが口々に戦争を呪い、なにもしてあげられないもどかしさを募らせながら、ファテマちゃんに同情と励ましが寄 せられました。

ファテマちゃんの一族の、多数の人々も集まり、「日本で手術を!」哀願とその熱意が、さらに高まっていきました。

日本で手術をお願いします! ファテマの命を助けてあげて下さい。もし私の命が必要なら、いつでも差し出します。一族の長老達の必死の哀願に、少しづつ決心が固まり出して行きました。「病院は? お金は? 滞在中の世話は? 食事は?」


「ベストをつくせば、日本人なら応えてくれるはず!」 決心への裏付けはこの一点だけでした。


「アフガニスタンでの手術は不可能」それが分かった以上、日本へ連れて行くしかない。「日本の皆さんに相談して、返事を送ります」ストレスクリニックのスタッフによく説明し、先ずは日本への旅支度をはじめたのです。

早速アリアナ航空へ行き事情を話したところ、快く次の日のフライトチケットを発券してくれました。感謝です!

そして次の日の昼には機上の人となり、インド・ニューデリー経由成田空港へ、帰国は5月13日でした。

取材がくる:これについても後々いくつかのエピソードが発生してしまいました) ⑥上記をクリア出来て、なお費用が適性価格であること。

※ こんな難しい条件をクリア出来る病院なんてあるんでしょうか?誰でもそう感じます。しかしあったのです! 以前から私達のNPO・NGO活動にご理解 とご支援を戴いている、文京学院大学大学院人間学研究科教授(医学博士:当時)吾郷晋浩先生のネットワークのご厚意とご活躍から、「国立国際医療セン ター」へたどり着くことが出来たのです。

近藤院長先生、脳神経外科医長原先生のご紹介を受け、早速レントゲン写真(アフガニスタンで撮影したもの)を元にミーティングを持って下さり、手術までのアウトラインが示されました。

近藤院長先生、原先生は、本当に丁寧にそして「我が子」のごとくに、親身になって相談に乗って下さいました。本当にありがとうございました。①~⑥までの 条件は、全てクリア出来たのです。近藤院長先生談話「特別の事とは思っていません」涙が出るほど嬉しく思いました。「是れ師道」というべきか・・・。

原先生談話「ペルシャ語は難しいですね。辞書を取り寄せてスタッフみんなで勉強したんですけどね・・・。」感激でした。本当に有り難うございます。更 に、形成外科、耳鼻科、眼科、口腔外科の先生方も参加する大手術になりそうです。しかし、これで医療分野の準備は整いました。

・・・さぁ、次にすべきことは・・・。 (アジア戦災孤児救済センターhttp://park22.wakwak.com/~namai-stress/awoa/から転載)

「私がもっと小さかった時(5歳)、家のまわりですごい戦争がありました。ドッカン・ドッカンとロケッ ト弾の音がして、ダッダッダッって銃の音が聞こえて、急に頭にガッツンって、あとは憶えていません。痛くありませんでした。気が付いた時は、赤十字病院の ベッドの上でした。」

ファテマちゃんは、ボソボソと忌まわしい記憶をたぐりながら、出来れば話したくない、早く忘れたい、そんな気持ちが伝わるような話しぶりで、話してくれました。

母親マルジアさんは、「突然ファテマがガクンとのけぞって動かなくなりました。小さな灯りをつけてみると、横になって動かないファテマのまわりが、血の 海になっていました。その血は頭から流れ出ていました。私はそこをチャダリー(ショール)で押さえて抱きかかえ、病院に向かって戦闘の中を走りました。 ロケットの音も銃の音も聞こえましたけど、恐くありませんでした。3年前ファテマのお父さんは戦死していました。ファテマを助けたい気持ちで一杯でし た。」

傷も治り退院して、直ぐ強い頭痛を訴えるファテマ。色々な病院へ戦乱の中歩き回りました。しかしどこの病院へ行っても、「何でもない、傷は治っている」と 言われ、もう諦めて神様にお祈りするだけ。その間ファテマは、頭痛の発作に襲われると、うずくまり、泣き、暴れる。そうして7年間過ごしました。ファテマ は神様も見放したのかと、でもお祈りは毎日続けました。

絶望の日々を送る中、「ジャパニのストレスクリニックがある」と聞きつけ、「わらをもすがる思い」で来院したのだと訴えました。ストレスチェックに直 接たずさわる、ストレスクリニックの小児科医スポージマイ先生(女医・副院長)と、ストレスセラピスト・生井(Namai)院長も、「色々な病院へ 行った」という母子の話に基づいて、頭痛は「戦乱の中を生きることで発生する、緊張興奮に基づく偏頭痛?」と迷いながら、「痛み止め」の服用を勧めて様子 を見ることにしました(これが、約6ヶ月間銃弾を発見出来なかったミスでした。ファテマちゃん、ごめんなさい)。

ス トレスクリニックに、レントゲン撮影機はありません。やっとレントゲンを持っている病院を探し当てて撮影していただき、持ち帰った写真が上記の写真!一瞬 ゾワッと鳥肌になりました。頭部に写る銃弾の様な異物。その位置はファテマちゃんがいつも「痛い」と訴える位置にあり、筆の先のようにかなり鮮明に写って います。

ムジャヒディン(イスラム聖戦士)体験を持つ、ストレスクリニックのガードマン、ソダットさんによれば、「これはカラシニコフAK47突撃銃の銃弾」とのことで、一同ビックリ仰天しました。ファテマちゃんにとっては、今も「戦争が続いていた」のでした。

ファテマの母親の話では、確かに赤十字病院で手術して弾丸を摘出したという。しかし、今ここに紛れもなくもう一発の弾丸が写っている。では、ファテマの頭部には、同時的に2発の弾丸が貫入したことになる。

なんという不運!?否、強運!?いずれにしても、一時も早く摘出しなければなりません。ここから、アフガニスタン、日本の善意の連携プレーが始まりました。 (アジア戦災孤児救済センターhttp://park22.wakwak.com/~namai-stress/awoa/から転載)

 賀川豊彦賞を授けたい二人目の人物と最近出会った。2002年から6年間にわたりカブール戦災孤児救済を続けた生井隆明さんだ。頭部に弾丸が残ったままの少女ファチマちゃんが日本で摘出手術を受けたというニュースは記憶にあると思う。その少女を奇跡的に発見して日本に連れてきたのが生井さんだった。

 生井さんは、東京都文京区で長くストレスセラピーを営んできた。独学で精神医学ストレス医学を身に着けて開業。阪神淡路大震災では被災者ストレス障害ケアのボランティアを務め、台湾震災でも被災者のためにスタッフを派遣した。

 2001年10月、アメリカによるアフガニスタン空爆が始まると、いても立ってもいられなくなり、翌月にはパキスタン難民キャンプに足を運んだ。目の当たりにしたのは、親を空爆でなくした子どもたちの悲惨な姿だった。普通に親をなくすだけでも大変なストレスとなる。そこにいた子どもたちは目の前で親を殺された子どもたちだった。

 生井さんは2002年4月、NPOアジア戦災孤児救済=AWOA)を立ち上げ、5月にはカブールストレス・クリニックを開設した。

「無謀といえば無謀です。イスラマバードから一席空いていたチャーター機に乗り込んだのです。運よく臨時政府NPO長官と接触がとれて人づてにスタッフを増やしていきました。親を失った子どもたちは群れをつくってカブールを目指していました。アフガンで孤児のことをヤティームといいます。そのヤティームたちは田舎では食べられないので何百キロも歩いてくるのです」

「最初、街角ごとにプラカードを立てて目につくようにしました。カブールに やってきた孤児たちをわれわれのクリニックに来てもらうためでした。いい女医さんの協力を得ることができました。すぐに私がパダル(お父さん)とよば れ、、彼女がマダル(お母さん)と呼ばれるようになりました。親代わりがまず必要だったのです。ヤティームたちは精神的にも肉体的にも大変なストレスの固まりなのですが、抱き締めてあげることが一番重要なことなのです。ぬくもりでしょうかクリニックでお世話をしたのは5000人ですが、往診も含めると3万5000人ぐらいになりましょうか」

「私の仕事はヤティームたちのストレスを取り除くことですが、自立の道も模索しました。農場をつくり、鶏を飼いました。卵を売れば現金収入になります。卵を産まなくなれば鶏は高値で売れます。職業訓練を兼ねた事業です。カブール大学の医学部と接触して、学生たちにストレスセラピーを覚えさせるプログラムも提供しました。これは大ヒットでした。現地の日本大使館から2-3億円の申し出があったことが、大学側を刺激したのです」

「問題は命の危険でした。外出時にはいつもガードマンに付き添ってもらう必要がありました。寝る時には枕元にカラシニコフがありました。片時も心が休まらないのです。治安は日に日に悪化して、大統領府から撤退要請がありました。街のモスクの 長老たちが守ってやるというので1年間はがんばりましたが、2007年に現地スタッフに事業を委ねる決断をしました。しかし私の後任者はその1年後にマザ リシャリフで爆殺され、事業すべてを断念することになりました。無念でしたが、私自身の精神状態も限界にきていたのです」

「お金ですか? 5000万円ほど使いました。私と家内の蓄えと支援者からの借金です。さっき話した外務省からの申し出は使っていません」

 アメリカは来年、アフガニスタンから撤退すると明言している。生井さんが心配しているのは子どもたちのことだ。アフガン復興に向けて各国からの経済協力があるだろうが、戦災孤児にまでは手が回らない。というより国連にさえ孤児を救済するようなプログラムはないという。なんとか2年前まで続けた事業を再開したいというのが、生井さんの強い意思だ。

 生井さんを突き動かすものは何なのか。孤児たちが強いストレスに悩まされるだけではない。戦場での子どもたちは誘拐の対象でもあるそうだ。ほっておくとそのままさらわれて兵士に育てられるケースはカンボジアでもアフリカでもありふれた光景だった。これをアフガンで繰り返させたくない。

 賀川豊彦は生前、「日本にスラムがなくなったらどうするのか」という質問にこう答えていたそうだ。「そうなったら中国子どもたちを救い、アジア子どもたちを救いたい」と。(伴 武澄)

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