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 政府が10月31日発表する「追加経済対策」の目玉は「2兆円の給付金」。はじめは「減税」だったが、「全世帯への給付金」に変わったのは、減税だと税金を納めていない低所得層に恩恵が行き渡らないとの批判があったため。だが、今度は「世帯」の意味が分からなくなった。

 筆者の二男は今春、就職して都内で一人住まいを始めた。まだ住民票を移していない。川崎市のわが家の世帯主は筆者だから、当然、給付金の恩恵にあずかれ るものだと思っている。だが、税金も支払っている給与所得者である二男はどうなるのか。住民票を移していないのが、悪いといわれれば、その通りだが、どう も合点がいかない。
 夫婦共稼ぎの世帯はどうなるのか。一世帯だから一口だけになるのか。年金受給者の親と同居している世帯はどうなるのか。これも一口なのか。

 反対に親と離れて大学に進学している学生がたまたま、住んでいる自治体に住民票を移していたら、当然「世帯主」となるから、給付金は受給できるのか。

 働いていないじゃないかといわれれば、そうでもない。アルバイト収入だってあるし、その場合、源泉徴収で1割の所得税を差し引かれている。

 今回の給付制度では「所得のない世帯」でも受給できることになっているはず。

 それから外国人はどうなるのだろうか。自治体に外国人登録をしていれば、立派に「世帯」と営んでいることになる。

 総額2兆円を2008年3月末現在の全国の世帯数で単純に割れば、1世帯あたりの給付金は約3・8万円になる。実際の給付額は家族構成によって異なるそうなのだが・・・・・。

 小渕内閣のときの地域振興券は子どもの数に応じて支給されたから、支給対象がはっきりしていた。この給付金制度は必ずもめます。

 やがて金券ショップが格付けする平成商品券の価値
 地域振興券が巻き起こす異常な騒動

          2005年11月30日(水) 萬晩報主宰 伴 武澄 

 日銀の量的緩和策の継続をめぐって日銀と政府・自民党のさや当てを演じている。前者が「消費者物価指数がプラスに転じたら解除したい」と主張しているのに対して、後者は「時期が早い」と牽制する。

 財務省の本音は「景気論」ではなく、「金利が上がると国債の消化に不都合が生じる」ということだろう。

 量的緩和は、2000年8月に日銀がゼロ金利を解除した後、景気が失速したことを契機に翌年3月に導入された。ゼロ金利解除といっても金利を3%、4%にしたのではない。0.25%にしたにすぎない。

 金利上昇が景気の足を引っ張るということは誰でも分かっている。だが、そもそもゼロ金利などというものは前代未聞の対策。マクロ経済から見て0.25%だって信じられないくらいの超々低金利。

 そのゼロ金利でも景気が浮揚しなかった窮余の策として生まれたのが量的緩和である。お金をじゃぶじゃぶにするとどうして景気を後押しするのかが分かりにくかった。分かりにくいはずである。

 そもそも当時はお金の借り手がいなかった。大手企業は過去の借金体質を改善するのに汲々としていたし、金を借りたがった中小企業に銀行は金を貸さなかった。貸さないどころか貸しはがしをしていた。じゃぶじゃぶにして、どういう効果を生むのだろうというのが大方の疑問ではなかっただろうか。

 量的緩和は単なるアナウンス効果でしかなかった、つまり「日銀だって景気のことを考えていますよ」ということを内外に声高に知らしめただけのことである。

 ■国債の大量発行を可能にした量的緩和

 ところがこの量的緩和はゼロ金利と相俟って財務省にとっては願ってもない福音だった。売り出した国債が市場を通じてどんどん日銀に吸収されるのだからたまらない。福音どころか"狙い"だったといってもいい。大量に発行され
る国債は金利上昇の心配なしにどんどんと日銀の金庫に吸い込まれていったのである。

 財務省にとっても最大の悪夢は金利の上昇である。700兆円の国債の金利が1%上がると単純計算で7兆円の財政負担となる。5%にでもなると35兆円。40数兆円しかない税収の8割が国債の利払いで消えたのでは財政は完全に破たんする。誰にでもわかる話だ。じゃぶじゃぶのお陰でそれが起きなかった。ありがたい話なのだ。

 しかし、金利が上がると財政は本当に困るのだろうか。1400兆円といわれる個人資産は5%で70兆円の金利を生む。その20%の14兆円が源泉徴収で税金として国庫に入る。差し引き56兆円の経済効果は生半可でない。なにしろ日本のGDPは500兆円。そこに50兆円規模が循環する消費が加わったらどうなるか。それにまた消費税もかかるから財政にとってそれこそ大きな福音となるはずである。

 ■解消に近づきつつある内外価格差

 90年代後半以降、日本経済が陥ったのはデフレの落とし穴であった。それは事実であろう。しかし、そもそも論からいえば、1985年のプラザ合意以降進んだ円高による国内価格の是正と考えれば仕方のないことかもしれない。

 90年代前半に円高差益の還元が声高に叫ばれたが、消費者にはほとんど差益は還元されなかった。直ちに還元されていれば、90年代後半以降のデフレはなかったかもしれない。時期がずれてじわじわと消費者価格に逆転化されていったと考えれば分かりやすい。

 もう少し考えを深めれば、15年間、物価が上がらなかったことになる。これはこれでありがたい話なのだ。半面、国際的には"デフレ"だといいながらも年間数%の物価上昇があった。

 15年を振り返ってみると、物価がほとんど上がらなかった日本と普通に上がった海外という構図が浮かび上がる。ここでようやく内外価格差が解消しようとしているのである。
2004年08月01日(日)萬晩報主宰 伴 武澄

『事典・昭和戦前期の日本』(吉川弘文館)という1991年に編さんされたタネ本が手元にある。日本の社会保険制度が始まった経緯について「今日の厚生年 金は昭和16年法律60号労働者年金保険法による労働者年金保険が始まりである」と書いてある。

 強制加入で、10人以上の労働者を使用する工場・鉱山・交通運輸などの男性筋肉労働者が対象だったが、昭和19年、その労働者年金保険は厚生年金と改称 され、対象は女性と事務職員にも拡大された。個人事業主を除くほとんどの勤労者が対象となったのである。

 「生活を健康で豊かなものにすること」という「厚生」の本来の意味からすれば、勤労者のみを対象とする年金制度は片手落ちである。国民年金のように広く 国民すべてを包括する年金制度をつくるべきだった。実は昭和15年には勤労者の税金の源泉徴収が始まっていた。源泉徴収がなかったら、勤労者から強制的に 年金の掛け金を徴収することは難しかっただろう。

 ともあれ、年金制度の拡充によって被保険者は倍増し、保険料収入は激増した。一方、この年金は積み立て方式だったため給付はほとんどなく積立金は膨れ上 がった。問題はその積立金の行方である。『事典・昭和戦前期の日本』によれば、太平洋戦争の「戦費に費やされた」というのだ。

 厚生省年金局・社会保険庁『改訂厚生年金法解説』(1972年、社会保険法研究会)によれば、「戦時下において生産力を極度に拡充し労働力の増強確保を 図る必要があり、そのための措置として要望されたこと、一方で時局下における国民の購買力の封鎖という見地から、この制度による強制貯蓄的機能が期待され た」ということのようだ。

 戦争中はあらゆる国民的資源が戦争に費やされたから、"強制貯蓄"された年金資産が戦争に流用されたとしてもおかしくない。

 ちなみに近代における公的年金の始まりは19世紀末のドイツ帝国だった。宰相ビスマルクが台頭する社会主義に対抗するため、健康保険を含めた社会福祉制 度を先取りして導入したというのが定説であるが、フランスとの戦いのための戦費調達という見方もないわけではない。

 日本の厚生年金が戦費調達を目的に設立されたとまでは考えたくはないが、国家にとってありがたい"臨時収入"だったはずだ。『事典・昭和戦前期の日本』 によれば、課長クラスで昭和11年、2・82%だったの所得税率は同17年に10・02%、同20年には17・13%まで高まった時代に、11%の厚生年 金の負担が上乗せされたのである。

 問題は年金の本格的な給付が始まる前に戦争が終わり、戦後の空前のインフレによって積立金は紙切れと化したことである。戦費に使われて"なくなってしまった"と批判されてもしかたないのかもしれない。

 戦後の年金の積立金の運用は第二の予算といわれる財政投融資計画を通じて高速道路建設など公共事業につぎ込まれているのはご存じの通り。財投資金は7年 で返済することになっているが、多分多くの場合、借り換えが続いているはずだ。高速道路がいい例で40年償還などというとてつもない借金地獄にはまり込ん でいるのだから、140兆円あるといわれる厚生年金の積立金が不良債権化していることは確実である。戦前の厚生年金が戦費に費やされたと批判ばかりしてお れないのである。
2004年07月26日(月)萬晩報主宰 伴 武澄
 2003年度の出生率が1・29であることが分かり、参院選前の日本ではいろいろな意味で大騒ぎとなった。「出生率の動向が将来の年金のかぎを握る重要 な要素だ」といわれては関心を持たざるを得ない。そう思っていたら、26日付日経新聞朝刊に興味深い記事が掲載されていた。

 香港やシンガポールなどかつてNIES(新興工業国・地域)と呼ばれた国々でも出生率が急低下して、昨年度はそろって日本を下回ったというのだ。シンガ ポール1・25、台湾1・24、韓国1・17。香港にいたっては0・925と1を割り込んでいる。驚くべきことは、4カ国の出生率は1990年にはすでに 2を切っていたということである。

 まさに経済的躍進をおう歌していた時代から出生率の低下が顕著だったことは筆者にとって一つの重大な発見だった。日本の出生率低下に対して政治家もアナ リストたちも「将来への不安が増大しているから」などと訳知り顔に語っていたが、NIES諸国の出生率の有り様を見るとそんな分析は怪しいものだといわざ るを得なくなるからだ。シンガポールや香港などには日本のような公的年金はないから、日本のような「将来への不安」はありようがないのである。

 もっと不思議なのは、NIES諸国に公的年金がないからといって老人たちが飢え死にしたという話を聞かないことである。年金制度はあった方がいいに決 まっている。だが公的年金がなかった時代の日本だって老人たちは飢え死にしたわけではない。苦しいながらも家族とか地域が協力しあってなんとか生きていた のである。

 もちろん大家族制度が残っていた時代と核家族化が進んだ時代とを同列に比較することはできないが、最近の日本での年金をめぐる議論をみていると、年金という制度が本当に人々を幸せにするのか。そんな疑問も湧いてきた。

 国内的に見ても出生率と将来の年金とはまったく関係ないことも分かってきた。日本の年金不払い率のワーストワンは沖縄県のある島であることを先日の NHKで放映していたが、映像を見ているかぎり実にのどかな雰囲気で年金問題に対する切迫感はほとんど感じられなかった。

「そんなものもらわなくとも生きていける」。島人の反応からそんな印象すら伝わってきた。出生率を調べてみたら日本の自治体でいちばん高いのが沖縄県なのである。多良間村では3・14と日本平均の2倍以上なのである。

 暑い夏ではあるが、年金に対する素朴な疑問を考え、シリーズでみなさまにお伝えしていきたいと思う。どこまで続くか分からないが、期待していただきたい。

2003年02月04日(火)萬晩報主宰 伴 武澄

 政府が2月3日に発売した「個人向け国債」の販売が好調だそうだ。郵便局などで即日完売の動きもあり、大蔵省はさぞホクホク顔であろう。

 マスコミは最低買い入れ金額が一口5万円から1万円に下がり買いやすくなったうえ、「半年ごとの金利見直し」を導入したことが好感されたと評しているが、国債を購入しようとする人々が1万円単位で買うはずもない。しかも普通の10年物国債の発行時の金利は0.8%近辺であるのに、今回の「個人向け国債」の金利は0.09%。100万円で利回りは年間900円にしかならない。利回りは一けたも低いのである。銀行預金より多少はましであるが、ゼロに等しいのは変わらない。

 そんな投資意欲をそそらない条件であるにもかかわらず一部でブレイクしたのは、ペイオフで行き場を失った個人の金融資産が殺到しているだけの話である。

 郵便貯金は半年ごとの複利で金利を計算する国内で最も有利な貯蓄性預金。今度の国債は複利ではないものの、「預け入れ上限(1000万円)」がないから、ペイオフの全面解禁をにらんだ個人の金融資産が「個人向け国債」に雪崩を打ったとしてもなんら不思議ではない。これまで国債の最大の購入者は郵便貯金だったから、国債流通の「中抜き」と考えてもいいのだが、購入金額の上限がないから、国債の新たなはけ口が現れたと解釈してもよさそうだ。

 萬晩報は大分前に、国債の大量発行は将来の金利上昇を促し、景気にマイナス効果を与えると警鐘を鳴らし続けた。しかし幸か不幸か金利はまだ上がっていない。逆に金利はジリジリ低下していった。何のことはない。国家の別の財布である郵便貯金を通じて財政投融資計画が買い、日銀もまた資金供給の名の下に国債買い入れを増やしていたのだった。

 国債を発行して別の財布で買い戻していたのでは金利は上がるはずもない。しかし郵便貯金や日銀といえども無限に国債を買えるわけではない。国債発行が一向に減る気配をみせないなかで、次に起きたことは銀行が競って国債購入に走ったことである。

 4年ほど前、政府による大手行への資本注入があったが、せっかく注入された巨額の資金は産業には回らずに大半が国債購入に充てられた。その時、確かに大手行の財務は急をしのいだのだが、国が借金して大手行につぎ込んだお金が国債に還流したのではマクロ経済的にみれば、あまり意味がない。国家と大手行との間で資金は行って来いの関係になったのだとしたら、背任の疑いすらある。その後も銀行は急角度で国債への投資を増やしていった。

 恐ろしいのは、不景気だ、デフレだと騒いでいる最中にも国民の貯蓄はどんどん積み上げられているということである。個人の金融資産はここ数年で200兆円増えて、1400兆円を超えているのである。そして行き場を失ったお金がますます、国債という国家のブラックホールに吸い込まれていってしまっていることである。

 金利は「景気を推し量る体温計」であるというようなことをどこかで読んだことがある。国債の大量発行による金利上昇は景気にはマイナスではあるが、それでも体温計が正常に機能している証左でもあるはず。大量発行すればするほど金利が下がるという日本経済が直面する事態はマクロ経済の機能不全を意味する。

 「個人向け国債」のあまりの人気に財務省は早くも"増発"をもくろんでいるようだが、とまれ。個人は金融機関のように10年後も買い替えてくれるとは限らない。あまり調子に乗っては鳴らない。「個人向け国債」が売れているのはあくまでペイオフの完全解禁が前提であることを忘れてなならない。

2001年03月22日(木) 金利が消滅するほどの日本経済
http://www.yorozubp.com/0103/010322.htm
2001年01月09日(火) 132兆円に膨張する国債発行-2001年度予算
http://www.yorozubp.com/0101/010109.htm
2000年02月18日(金) 世界一の借金王と胸を張る日本国総理を嗤う
http://www.yorozubp.com/0002/000218.htm
1999年11月26日(金) 国債発行の無意味なルールとルール違反(2)
http://www.yorozubp.com/9911/991123.htm
1999年11月23日(火) 国債発行の無意味なルールとルール違反(1)
http://www.yorozubp.com/9911/991123.htm
1999年11月21日(日) 小渕総理がなるべき国債発行の連帯保証人
http://www.yorozubp.com/9911/991121.htm
1999年02月24日(水) 日銀が銀行の"総持ち株会社"になる日
http://www.yorozubp.com/9902/990224.htm
1999年02月01日(月) 国債という日本の打ち出の小づち(3)
http://www.yorozubp.com/9902/990201.htm
1999年01月28日(木) 国債という日本の打ち出の小づち(2)
http://www.yorozubp.com/9901/990128.htm
1999年01月25日(月) 国債という日本の打ち出の小づち(1)
http://www.yorozubp.com/9901/990125.htm
1998年12月07日(月) 国債窓販のチャンスを自ら返上した銀行団
http://www.yorozubp.com/9812/981207.htm
1998年11月28日(土) そうだったのか国債って国が買っていたんだ!
http://www.yorozubp.com/9811/981128.htm

2002年02月28日(木)萬晩報主宰 伴 武澄

 中国から帰ったばかりの友人に聞いたら、中国語でインフレのことを「通貨膨張」というのだそうだ。モノの値段が上がることをインフレを教えられてきた筆者にとって「エッ」という驚きがあったと同時になるほど本質をついた訳語だなとも思った。

 26日に政府が新味のない「総合デフレ対策」を発表し、きょうは日銀の政策委員会・金融決定会合が「金融緩和策」として、日銀による一カ月の国債買い取りを8000億円から1兆円に増やすことを決めた。

 理由として、年度末の資金需要期に市場に潤沢に資金を提供することを掲げているが、ここ数年の動きをみてみると政府・与党とマスコミが「公的資金の注入」だとか「デフレ阻止」と騒ぎたてながら、いつものように今回もまた財務省が一番おいしい果実を摘み取ったことになる。

 金融不安を解消するために、市場の資金を潤沢にして借り手の不安を解消する必要があるといわれれば、なかなか反論できる人はいまい。だが、多くの企業が過剰設備の削減の真っ最中で本当は資金需要などほとんどない。

 借り手である企業側に新たな投資意欲がなく、銀行もできれば危ない企業への融資を引き上げようとしている。つまり銀行と企業ともに「借りたい」「貸したい」という意欲がないような状態で資金を潤沢にすれば、行き場を失った資金が国債に向かうのは自然の理である。

 かくして政府は金利上昇の不安もなく12兆円の長期国債を発行できるようになった。

 ●すでに十二分に膨張している日本の通貨

 いま日本で起きているのはまさに日銀券を「刷って」国債を増発するという通貨の膨張なのだ。一部で景気対策として「インフレターゲット論」が喧伝されて いるが、そんな政策をあえてとらなくとも借金を増やすことによってすでに通貨は十二分に膨張しており、このままではインフレを避ける方が難しいはずだ。

 一国が発行できる通貨の発行量はその国が持つ資産なり価値に比例する。持っている資産以上の通貨を発行すればその通貨の価値は暴落するはすである。ここ 数年の日本では本来あるべき姿と逆の政策が行われてきた。国の生み出す価値はGDPだが、そのGDPの名目値はここ3年間で約20兆円も減っているのだか ら、本来は通貨の量は減らなければならない。それなのにこの国では通貨量だけが膨張しているのである。

 先日、ある外資系証券アナリストと日本経済の将来について議論をした。二人の認識が一致したのが、まさに「円の下落」と「黙っていても日本にインフレがやって来る」という結論だった。

 よく金融は国の経済の血液になぞらえる。体力回復のために新しい血液をどんどん流し込まなければならないと言えば、分かったような気分になる。だが、末 端の毛細血管がほとんど機能せず、細胞に血液を送り込めない状態で他でつくった血液をどんどん血管に流し込むとどういうことになるか。想像するだけで恐ろ しい。

 一昔前、風邪をひいて医者に駆け込むと「安静にして寝ることが大事」といって注射どころか薬さえくれなかったが、いまはそうではない。患者の方も薬をくれないと不安になり、そんな医者がいたら不真面目のレッテルを貼られかねない。

 極論だが今の政府の役人にも似たところがある。常に何かしていないと存在価値を問われる。そんな強迫観念がある。アメリカの大統領が来るといえば、経済対策をつくり、主要国首脳会議(サミット)だとえば経済宣言に盛り込む経済再生の処方箋を考える。

 いまの日本の経済の症状が風邪程度とは考えていないが、行われている景気論議そのものが政府とマスメディアによるマッチポンプのような気がしてならない。薬も注射も効かなくなった今の日本経済は絶対安静によって気長に体力回復を待つことしか処方がないのかもしれない。

2002年02月10日(日)萬晩報主宰 伴 武澄

 日本の金融をめぐる動きがなにやら騒がしくなった。田中真紀子外相の更迭をきっかけに小泉内閣の支持率が急降下。財務省は銀行の持ち合い株式の受け皿と なる「銀行等保有株式取得機構」に対して2兆円の資金を準備、週明けから株価維持に乗り出すことを決め、銀行への公的資金注入も検討段階に入った。

 マスコミは円安、株安、債券安のいわゆる日本売りが始まったと報じているが、本当にトリプル安なのだろうか。政府・日銀はつい最近まで円安を歓迎する姿 勢だったし、日経平均株価だって昨年の9・11後の株価を少し下回った水準でしかない。長期国債だって下落したといっても金利はたったの1.5%なのだ。 金融機関が危ないのは今に始まったことではない。大方の読者は狐につままれたような気分なのではないだろうか。

 ●7.5兆円の公的資金投入時と似た状況

 10年物長期国債の市場金利は昨年1.2%程度で推移していた。これが年明け以降、1,5%に急上昇した。政府にとって国債金利の上昇こそが最重要な問題なのである。

 実は長期国債の金利をめぐって主要15銀行に7.5兆円の公的資金を投入した3年前の1999年と非常に似た状況が生まれているのだ。98年末に当時の 宮沢蔵相が「これ以上財投が国債を買い続けることは出来ない」と発言したことを契機に、1.5%程度だった10年物国債の市場金利が99年1月には2%を 超える水準にまで売られた。

 今回は国債相場の急落を誘う閣僚発言はなかったが、田中外相の更迭をきっかけに国債金利が一気に1.5%を超えた。市場では「田中外相の更迭で小泉内閣 の改革路線が揺らぎ、国債の増発を伴う従来型の景気対策を求める声が自民党内に台頭するのではないかという懸念」と説明している。しかし本筋は違う。財務 省が10年物国債のシンジケート団(シ団)引き受けを段階的に廃止し、すべての発行を公開入札にすると発表したことが大きな影響を与えているのだ。

 政府の借金の大半は10年物国債によって賄われている。これまで月々の発行額の6割を公開入札で発行、残り4割をシ団引き受けとしていた。公開入札で売 れ残りが出た場合はシ団が売れ残り分も引き受ける慣行となっており、シ団引き受けが国債金利の安定に一定の役割を果たしてきた。

 そのシ団引き受けを廃止し、全量入札制に移行すれば、売れ残りが生じることも避けらない。財政資金の確保を優先すれば、金利上昇は不可避となる。現実に80年代のアメリカは国債発行の未消化にたびたび泣かされ、10%を超える長期金利が続いた。

 シ団引き受け廃止をうたえば、金利上昇を招くことは素人目にも明らかなはすだ。それをあえて「2月危機」「3月危機」が叫ばれているこの時期に打ち出したのだから3年前同様に相当な確信犯である。

 ●公的資金投入で国債市況も安泰?

 3年前、危険水域とされた長期金利は2.0%だった。今回は1.5%でも危険水域だと認識された。たった1.5%の水準で政府が敏感に反応するのは、そ れだけ日本の借金財政が脆弱な基盤の上で成り立っているという証拠でもある。400兆円の国債発行残を抱える日本にとって1%の金利上昇は4兆円の財政負 担の増加につながるから、金利が0.3%も違えば負担増は1兆円をゆうに超え、財務省にとって見逃すことはできない事態となる。

 小泉首相が掲げた「国債発行30兆円」という上限設定でさえ、とんでもない借金財政である。それでもこれまで金利上昇を抑えることができたのは、低金利 でも金融機関が文句も言わずに国債を買ってくれていたからだが、銀行にとって運用先に国債ばかりが増える経営は決して健全ではない。円の水準が中期的に 「140円だ」「160円だ」といわれている時代に国債による運用枠を絞ったとしても不思議でない。底流に銀行の国債離れが進んでいるといっても過言では ないのだ。

 そこで銀行への公的資金投入が再浮上する。3年前の公的資金の投入は金融機関の資本増強が名目だったが、7.5兆円の資金のほとんどが国債購入に充てら れ、結果的に国債市況の「安定」に大いに役だった。政府が借金(国債発行)をして銀行に「投資」するというおかしな構図の再来だ。

 政府が銀行の経営不安を煽っているとはいわない。しかし降ってわいたような「2月危機説」「3月危機説」はなにを意味するのか。株式取得機構の動きも含めてわれわれはじっくり考えなければならない。

2002年01月18日(金)萬晩報主宰 伴 武澄

 長い役人の冬休みが終わり、政府税制調査会が始動した。1989年の消費税導入に次ぐ大規模な税制改革の議論が始まる。税制改革は当初の小泉改革にはな かった課題である。ふつう、不況時には国民の負担増につながりかねない税制改革は難しいものとされてきたが、小泉内閣はそれにあえて挑もうというのだ。や るからには旧来の既得権益の奪い合いではなく、国民の希望に火を灯すような項目をつくってほしいと願望している。

 萬晩報が提案したいのは、公平な寄付税制の確立とサラリーマンの源泉徴収の廃止である。また企業のまっとうな連結納税も不可欠であり、地方分権に合わせ た税源の地方委譲も不可欠だと考える。その上で消費税の増税なり、所得税の課税最低限の引き下げ、並びに租税特別措置法の大幅縮小という財源面からみた措 置を検討すべきであろう。

 ●育む住民参加の創造力

 公平な寄付税制をまっさきに挙げたのは、いくつかの理由がある。現在、企業も個人も寄付行為で所得控除が可能なのは政府や自治体が認定した団体の限られ ている。せっかくNPO(非営利団体)という概念を法整備しておきながら、多くのNPOは財政面での恩典が与えられていない。欧米の多くのNPOの存立は NPOへの寄付が所得控除の対象となっていることが前提になっているはずだ。

 卑近な話になるが、地域の掃除を仕事とするNPOがあったとして、仕事を持たない高齢者や主婦が掃除の代わりに寄付を求めたとしても不思議ではない。これまで行政がやってきた仕事を代わりにやるのだから多少の報酬があったとしてもおかしくない。

 「税金-役所-仕事」という流れを「寄付-NPO-仕事」という形に切り替えれば世の中は確実に変わる。顔の見える住民サービスの民営化が進み、行政は 単に仕事の区域や分担を決めるだけとなれば業者選定にまつわる不正も少なくなるだろう。「寄付-NPO-仕事」という流れが定着すれば、住民が直接その サービスの用不要を決定できる。

 かつて萬晩報でアメリカでの高校の卒業式の風景を取り上げたことがある。大学進学者への奨学金が公的な育英会のようなものではなく、町のピザ屋さんまでが競って奨学金の出し手となっているさまに感動した読者の一人が報告してくれたものである。

 1998年06月11日 奨学金を30も受給したことが誇りとなるアメリカの高校生

 そこには所得税における寄付控除の日米の考え方の差異が浮き彫りにされていた。もちろん住民意識の違いにも大きな隔たりがあるのだろうが、豊かな社会づ くりに不可欠なのは、行政による画一的なサービスではなく、住民参加による創造力であるような気がしてならない。そこに必要な資金の確保を「税金」という 旧来の発想ではなく「寄付」という新たな行為で賄ったとしても決しておかしな話にはならないだろうというのが萬晩報の考え方である。

 公平な寄付税制が確立されれば、介護という福祉サービスだって違った形になるし、教育のあり方もも大きく変貌する。すべての行政行為を寄付で賄おうとい うのではない。一部分から始めてその領域を広げていけばいい。別に寄付は地域活動に限定されるものではない。地震による復興事業や難民救済といった海外協 力もある。ただ多くの国民に払いやすくする仕組みをつくればよりよい社会の形成に役立つというものではないか。

 ●源泉徴収廃止は簡素化の一歩

 サラリーマンの源泉徴収が戦争目的につくられたことはけっこう知られるようになっている。そのため戦後のシャウプ税制が廃止を求めたが、今もって国民の 大きな議論になっていないのは残念なことだといわざるを得ない。自己申告の一番重要なのはまず年度末に自分で所得を申告するようになって初めて税の痛みを 知り、その使い道に関心を持つようになるという点だ。

 さらに複雑な税制だと計算の負担が大きいため、簡素な税制に戻るという効果もありそうだ。一番重要なのは寄付など所得控除だ。現在の税制では基礎控除と 扶養者控除、住宅取得控除が大きな部分を占める。それはそれでいいのだが複雑極まりない。しかも本来、独身であろうと子どもを3人持とうと個人のかってな のに税制面では大きな差別がある。

 萬晩報が考える控除とは、基礎控除を基本に教育、医療保健、住宅(金利)、寄付の5本建てである。それぞれかかった費用を収入から差し引いて所得申告す ることにすればそれほど難しいことにはならない。特に寄付税制が実現すれば、年度末に自らの社会貢献度を実感できるようになる。中期的にサラリーマンの税 負担が多少増えたとしても中身が変われば意識は確実に変わるのだ。

 1998年05月02日 脱法行為の積み重ねでしか成り立たない日本のボランティア
 1998年04月07日 納税者にとって気持ちのいい税率
 1998年03月15日 3月15日をサラリーマンの税金の日にしよう
 1998年02月11日 租税特別措置法で2倍払わされているガソリン税

2001年07月30日(月)萬晩報主宰 伴 武澄

 参院選の開票速報を見ながらこのコラムを書いている。今回ほど戸惑いが多かった選挙はない。結果は自民党が大勝利した。というより小泉純一郎の勝利だった。

 各政党が「改革」を訴えたため、対立軸がなくなった。小泉首相だけが目立ち、小泉首相を上回る迫力で国民に危機感を訴える野党党首がいなかったことが選挙を面白みのないものにした。そういう意味で民主党の鳩山氏には相当の責任がある。

 野党勢力の後退が今後の自民党政治にどのような意味を持つのか分からない。選挙期間中から与党幹部からすでに株価対策や秋の景気対策への言及が始まって おり、小泉首相にとって公約を貫徹するプレッシャーはますます強まった。国民の選択は改革を約束した小泉純一郎内閣への支持であり、かつて自民党を牛耳っ た亀井静香氏や野中広務氏ら守旧派を支持したものでないことはわきまえて欲しい。

 ●国民総資産の7割が国債で運用

 さて財政問題である。一部のエコノミストが小泉内閣の財政運営に対して「緊縮財政」と批判している。しかし筆者は「30兆円も」と言いたい。90兆円の 歳出規模から地方への交付金と過去の国債の利払い費用を差し引いた純粋の意味の国の歳出である「一般歳出」が40兆円規模であることを考えれば、30兆円 の新たな借金は国債発行は決して少ない額ではない。小渕、森内閣がとんでもなく放漫だっただけで、小泉内閣でも「放漫」が続いていると言わざるを得ない。

 日本の個人資産が1400兆円あると言われる中で、2000年度末の国と地方の借金は約640兆円。このほかに郵便貯金などを財源とした財政投融資事業 の借金残は約400兆円ある。財政投融資の5分の1は国債購入に回っているから、その分を差し引くと国民に対する国の借金は950億円を超えることにな る。

 恐ろしいことに、われわれの資産の7割近くが国債で運用されている勘定になる。ニワトリとタマゴの関係にあるが、これだけ国が借金すれば民間企業への融 資が増えるわけはない。この10年間に国と地方の借金の規模は2・4倍に増えているから、国の借金がこれまで通り増え続けると10年を待たずにこの割合が 10割を越すことになる。

 国民の資産は、貯蓄と保険に加えて企業活動の資金源となる株式投資も含まれている。だから国の借金が国民の資産を上回るにはよっぽどのことがないかぎり、10年もの年月を必要としないことになる。

 国の借金が国民の資産総額を上回れば、あとは外国からの借り入れ、もしくは日本銀行による引き受けしかない。「通貨が堕落する日」がやってくることが分かりながら、まだ景気うんぬんに言及する政治家の意識を問わざるを得ない。

 ●求められる生活切り詰めの覚悟

 名目GDPは1997年度のピーク時の520兆円から2年間で17兆円も減少している。これだけ借金して景気対策を実施した上で日本の経済規模は確実に縮小しているのである。

 この中から、過去の借金に対する金利を払い続けなければ、経済は成り立たない。幸いにも低金利のおかげで利払いは続いているが、金利が普通に戻れば金利の支払いすら難しくなるのは自明の理である。

 しかしよく考えてみれば、950兆円の借金に2%の金利を支払うとすれば、日本全体で年間19兆円の資金が必要になる。500兆円規模のGDPで19兆 円を支払うとすると3.8%の経済成長が不可欠。そもそも3.8%成長などは現在では夢物語だから、生活費そのものを切り詰めなければ、利払いは不可能と いう計算になる。

 われわれは「借金には返済できる限度というものがある」ということを日常生活で知っている。問われているのは、われわれに生活を切り詰めるだけに覚悟が できた上で小泉内閣を支持しているかということである。つぶれるのはゼネコンと巨大スーパーだけではない。過去の享楽の日々のツケは確実に国民一人一人で 支払わなければなくなる。

 ●忘れてはならない国債増発による8兆円減税

 財政の負担で大きいには公共事業ばかりでないことは前回書いた。忘れてはならないのは、小渕内閣による99年度の「8兆円減税」という大判振る舞いであ る。橋本内閣が景気対策として実施した個人に対する「2兆円の減税」は98年5月の景気対策ではさらに2兆円上乗せとなった。98年12月に99年度の減 税では法人税だけでなく、住宅取得減税もさらに拡充され総額8兆円になった。このおかげで平均家庭で390万円までの年収には所得税がかからないことに なった。

 景気対策として実施したものであるところから政府は「恒久的減税」と表現している。それはそうだろう。その前の年に消費税が3%から5%に引き上げられ たほかに財源はない。ほとんどが赤字国債で賄われており、恒久的減税を元にもどせば、小泉内閣の掲げる国債発行限度額は少なくとも25兆円前後で済んでい たという事実は知っておいた方がいい。

 今回の参院選に対するご意見はよろずBBShttp://www.yorozubp.com/BBS/へ。

2001年07月02日(月)萬晩報主宰 伴 武澄

 90年代、日本政府は100兆円に及ぶ景気刺激策を実施した。萬晩報でも何度か「土建国家」などとののしった経緯がある。ところがどうも様子が違う。国 と地方を併せた日本の公共事業費は予算ベースでは増えているが、支出ベースでは95年度をピークに急角度で減少しているのだ。

 日本の年間GDPはほぼ500兆円。小渕内閣になってから98年度に2回にわたる景気対策で計15兆円強、99年度は3.5兆円、2000年度は4.7 兆円の公共事業費の追加を余儀なくされた。15兆円はGDPベースで3%、3.5兆円ですら0.7%。本来、公共投資は波及効果があるとされ、投下した事 業費を上回る経済効果が期待される。仮に波及効果がゼロであったとしてもGDP押し上げ効果が3%から0.7%あってしかるべきなのに、名目値での成長率 はこのところマイナスが続いている。

 おかしいなと思いつつ同僚記者と議論した。数カ月前のことである。

「これだけ公共事業費をつぎ込んでいてGDPが上向かないのは不思議だと思わないか」
「そりゃおかしいと思いますよ。でもそれだけ日本経済が落ち込んでいるということじゃないですか」
「俺は公共事業が本当に実施されているか疑問視しているのだが、どう思う」
「そんな、予算につけたものは完全消化するのが役人でしょ。そりゃないはずですよ」
「だけど、決算書で具体的に検証したことあるの?」
「見たことはないですが、端数は別として予算と決算の内容が乖離することなんて考えられない」

 しばらく経って、くだんの同僚記者が十ページほどの決算書のコピーとともに現れた。

「すごいですよ。やっぱり減っていました」
「そうだろう。ちょっと見せて見ろ」

 地方の公共事業費の予算(地方財政計画))と決算が大きく乖離しているのは1月に総務省が発表した資料で分かっていた。99年度は当初予算と追加策で 19兆円もの予算をつけておきながら実際には12兆円しか使っていない。追加策どころか当初予算さえ十分に使っていなかったのだ。

 政府の予算は絶対といっていいほど前年度比マイナスにはならない。だが、その資料を読むかぎり地方財政のつまずきから予算に計上しても実施できない状況はここ5年間ずっと続いていたのだ。

 地方ほどではないが、国の公共事業費でも同じことが起きていた。98年度には3兆円ほどの予算を余し、99年度も2.7兆円を使い残した。

 役人の説明では「秋に景気対策が成立しても、年度内に事業を立ち上げるには時間が足らない。残った事業はすべて翌年度に繰り越しているから、景気の下支えにはなっているはずだ」というものだった。

 しかし、例年、秋口に「このままでは政府の成長率見通しが達成できない」という理由から景気対策が打たれてきたのではなかったか。その景気対策がその年 度の成長率に寄与できないのなら、はじめから「この対策は今年度の成長率に寄与しない」と名言すべきだった。机上の計算ではあるが、年度内に執行できてい れば、0.5-0.6%のGDPが上乗せとなる金額の公共事業費が実は使われなかったというのが実状なのである。そう説明しなかったのだから、これは国民 に対する「詐欺」だ。

 公共事業費が年々増加しているような錯覚をしたのはあくまで予算ベースで事業費が増えてきたからで、支出した決算ベースで見る数値は逆に減少しているのが現実なのだ。

公共事業の実施状況の推移
 
GDPベースの
公共投資額
国の歳出予算
国の歳出額
国の未消化額
95年度
43兆3612億円
15兆8170億円
12兆7949億円
3兆0221億円
96年度
41兆9753億円
14兆1905億円
12兆3402億円
1兆8503億円
97年度
39兆5929億円
12兆3007億円
11兆0670億円
1兆2337億円
98年度
39兆5280億円
16兆0707億円
13兆0342億円
3兆0365億円
99年度
38兆4417億円
15兆6786億円
12兆9722億円
2兆7064億円
(注)GDPベースは国、地方、高速道路など財政投融資を含む金額

 では100兆円にも及ぶ国債はどこに使われたのだろうか。一つは減税である。もうひとつは不良債権の穴埋めである。それから地方交付税の割り増し分であろうと思う。決算ベースで見る国債発行金額を眺めれば一目瞭然だ。(続く)




2001年06月13日(水)萬晩報主宰 伴 武澄

 数年前、和歌山県に住む読者から手紙をもらった。阪和銀行倒産の折り、借金の返済を求められた中小企業経営者からだった。

 近所付き合いから不必要な借金を要請された上、「金利さえ支払ってくれればいい」「残高はなるべく減らさないでほしい」といった銀行側の求めを受け入れた結果、返済が30年という商業上信じられない借り入れ契約となった。

 不良債権化し、破たんの引き金となった大口の融資は国の資金で穴埋めされることになったのに、零細のわれわれへの融資には厳しい取り立てがあるのは合点 がいかないというのだ。それはそうだろう。30年返済のつもりでいた資金をいますぐ全額返せといわれては経営は成り立たない。

 ●永遠の借金という迷路

 銀行が企業に「金を借りてくれ」と頼み込んだ時代はつい最近まであった。銀行は集めすぎた預金を有効に運用する手段を持っていなかったという点では今も昔も変わりはない。だから最近まで銀行は行員にノルマを課して「融資額」を増やすことを生業とした。

 元金はなるべく減らしてほしくないという銀行側の倒錯した営業姿勢がいつ始まったか知らない。たぶん国が産業界救済の名目で巨額の長期資金を市場に垂れ 流し始めたオイルショック以降のことだと思う。そのころから政府のやり方をならうのが民間の癖となった。当然ながら構造改善の名の下に国際競争力を失った 産業のカルテル化も急速に進んだ。

 おかげで日本の企業社会にとっての借金は「金利を負担するだけの資金調達手段」と化した。信じられないような倒錯した時代が続いた結果、この国は「永遠の借金という迷路」に迷い込むこととなった。

 背景には、銀行に預金が集まりすぎるという笑えない現実があった。銀行の本来業務は金貸しである。その証拠に多くの銀行の100年前の姿はどこも高利貸 しだった。金貸し業に「預金」などという概念はなかったから、少ない元手を回転させる必要があった。元金の回収なくして高利貸しの経営は成り立たない。

 だから金貸しが銀行となってからは、金を必要とする人々に金を貸すために金が余っている人々から預金を集めた。しかしこの国の金貸しの仕事は長らく主客 が転倒したままである。貸出先がないのに預金ばかりが集まる。最近では有り余る預金の貸出先が見つからず政府への貸し出し(国債購入)でようやく利幅の薄 いさやを稼ぎ出しているのだ。

 ●「自己資本」的感覚だった企業の借金

 銀行に借金の残高を維持したいという考えがあるかぎり、それは借り手にとっても都合のいい制度だった。元金返済の義務のない借金は金利さえ支払っていればいいということ。見かけ上は、株式発行による資金調達で配当金を支払うのと原理的にほとんど変わらない仕組みである。

 だから大企業も中小企業も借りられるだけお金を借りて設備投資につぎ込んだ。それでも少し前までの銀行は担保価値の七割ぐらいまでしか貸し出しを行わなかった。担保価値が減らないかぎり、担保に保証された借金は貸し手にとって何の不安もない企業活動だったはずだ。

 それがバブル期に入ると、銀行の貸出が運転資金や設備投資以外の「投機」につぎ込まれ、担保となった不動産や株式の市況が暴落してバブル崩壊の危機を迎 えた。マスコミは銀行の担保主義を批判したが、担保主義が悪いのではない。問題は担保能力を上回った貸付をしたこととその後に「追い貸し」をしたことだっ た。いわゆる「無担保」融資である。また金利すら支払えなくなった企業に「追い貸し」して金利が支払われたかのように装ったことも問題を大きくした。

 企業のバランスシートで「借金の元本」は当然、負債の部に盛り込まれるのだが、つい最近までこの国の経営感覚では「自己資本」的存在でしかなかった。こ れまでの銀行経営を擁護するわけではないが、そう考えなければ日本の企業が戦後一貫して借金を増やし続けたという企業行動が理解ができない。

 日本型資本主義の特徴とされた「間接金融」はこの「元金を返済しない」という貸し手借り手の間の暗黙の合意によって初めて成り立つ慣行であったともいえ る。この国の悲劇は運用能力のない人々に巨額の資金が集めたことだった。結果的にお金を必要としていない人々に無理矢理お金を貸すことで水膨れした経済の 体質に陥った。(つづく)

2001年01月09日(火)
萬晩報主宰 伴 武澄


 昨年末に閣議決定された2001年度政府予算案では、一般会計予算の規模が82兆円で、政策的経費となる一般歳出が48兆円。赤字を埋める国債発行額は28兆円となった。

 だが本当の姿は一般会計の規模が142兆円で、一般歳出48兆円、国債発行額88兆円と言わざるを得ない。大蔵省が発表した国債発行額は新規に発行する国債だけで、来年度に返済時期が到来する過去の国債60兆円の返済と借り換えを予算規模に加えていないのである。

 一般会計予算は年間のお金の出入りすべてを計上するものだが、返済と借り換えが同額だからといって省略するのは一種の粉飾である。国が発行する国債が必ず売れるとは限らないのはかつてのアメリカでも実証されたことではないだろうか。

 一般会計に必要な82兆円という予算額を上回る88兆円を新たに借りるという異常な事態はすでに昨年から始まっているからべつに驚くほどのことではない かもしれないが、萬晩報流に来年度予算の政府案を読み換えると会計規模の3分の2が借金関連という日本の予算の異常な姿がより鮮明になるはずだ。

 だがこんなことで驚いてはいけない。来年度予算からは一般会計の国債発行に加えて、国の第二の予算といわれる財政投融資計画(財投)でも第二の国債発行が始まるのだ。

 財投改革の一環として、従来、郵便貯金や年金などからの借り入れによって賄われていた財投計画が4月から「財投債」の発行という形態に変更される。本来 は日本道路公団など国の特殊法人がそれぞれ「財投機関債」を発行して独自に資金調達するというのが改革の主旨であったが、改革の初年度からほとんどの特殊 法人が独自に資金調達できない場合の特例として設けられた「財投債」の発行に依存することになった。

 国が発行する財投債は名前は違ってもが国が発行する債券だからまさしく「国債」そのものである。

 そうなると日本の来年度の国債発行額はどういうことになるのか。88兆円に財投機関債+財投債の計44兆円を加えた132兆円ということになる。

 マスコミは大蔵省の発表のままに国債の総発行額について、88兆円の国債に市中消化される財投債10兆円を加えた98兆円と書いたが、発行形態がどのようなものであっても国債は国債である。

 一般会計枠の新規発行額28兆円だけでも市場の金利上昇要因となるのに、さらに財投枠の巨額の国債が加われば日本の金利や通貨に多大な影響をもたらすことは必至である。

 恐ろしいのは来年度以降、毎年40兆円内外の「財投債」が国債発行計画に上乗せされ、例え財政が健全化して無借金財政になったところで、政府の特殊法人 が存続するかぎり、借換債プラス40兆円で100兆円規模の国債発行が延々と続けられるという宿命にあるということだ。(続)


2000年07月08日(土)
萬晩報主宰 伴 武澄


 巨額の借金で経営が行き詰まった大手百貨店「そごう」が銀行に対して6300億円の債権放棄を求めた問題で、預金保険機構が新生銀行から2000億円のそごう向け債権を買い取り、そのうち970億円について債権放棄を決めた。6月30日(金)に起きたニュースである。

 マスコミはそごう向け支援が決着したと書いたが、ふつうの読者には「国民の税金でデパートを救済する」と いうこと以外、なにが何だか分からないだろう。とくに預金保険機構という組織が何で、何でそんな組織がそごうに対して債権をもっているのか。そもそも債 権ってなんだという素朴な疑問もある。債権だの債務だのといった言葉は裁判所で弁護士がやりとりするような表現で、ふつうの人々の日常用語ではないから だ。

 ●預金保険機構は借金肩代わり会社

 まず「債権」を「借金」と書き改めることから始めよう。すると「債権放棄」は「借金の棒引き」ということ になり、少しは視界が明るくなる。そして預金保険機構(預保)とは何か。もともとは、銀行がつぶれ、預金者の預金が返済できなくなった場合に備えた保険会 社だった。会社ではなく機構と呼ぶのは国が関与した国営の組織だからである。

 だが現実の預保には小さな地方の銀行が倒産しただけで金庫がカラになる程度の蓄えしかなかった。そこで政 府は預保に保険会社以外の機能をもてるよう法律を改正した。まず倒産しなくても銀行を救済できるようにし、さらに一方で銀行がもっている「不良債権を買い 取る」役割を付け加えた。1998年からのことである。

 この時点で組織の名前を「銀行借金肩代わり会社」とでも変えていれば、分かりやすかったのだろうが、そんな会社が民間で成り立つわけもなく、国がそんな下品な名前を好むはずもない。

 ふつうの人や企業の場合、相当な担保があるか信用がなければ、お金は貸してもらえない。預保には財産はない。5000億円あった蓄え(保険金)は既に使い果たし、あるのは不良債権だけ。それでも借金ができるのは「国」という後ろ盾があるからだ。

 国といったところで亡くなった小渕さんとか森さんが保証人になっているのではない。暗黙の了解事項として「将来の税金」が「担保」となっているのだ。言葉は過激だが「国家とは国民から税金を収奪する合法的な権力機構」なのである。

 預保改革のみそは無から有を生み出す「打ち出の小槌」に変身したということである。

1998年3月の銀行に対する「公的資金の注入」に始まって「金融システム安定化」の名のもとにこれまで8 兆円の「有」を誕生させた。、今回も2000億円の「有」を発生させた。これは手品でもなんでもない。難しくいえば「信用創造」、近代国家という存在がも つ特権なのである。

 日本という国家が危ういのは預保の機能拡充は銀行救済が目的だったのに、今回は救済がゼネコンという民間 企業にまで及んだことである。とまれ、預保の機能拡充は「金融システム安定化」が錦の御旗だったはずである。いうなれば打ち出の小槌の目的外使用であり、 ルール違反でもあろう。

 もちろん企業が銀行に借金を返せなくなったら銀行の体力が弱るのだから、広義の金融システム安定化の役立つという理屈が成り立たないわけではない。だが雇用だとか地域経済への影響だとか言い始めたら救済すべき対象は限りなく広がる。

 今回、預保の松田昇理事長は「苦渋の選択だ」と会見で述べた。また「債権放棄で結果的に回収額の増大が見込める」とも発言した。預保が新生銀行から買い取る2000億円のうち放棄する970億円の残りの1000億円強が「優先回収」できることになっているからだ。

 みなさん、ここでよーく考えてほしい。国が回収できると確信するような借金を民間銀行がわざわざ国に付け替えようとしますか。危ないからこそ国に救済を求めるのでしょう!

 こんなことを書くと訳知り顔に「リップルウッドグループによる旧長銀買収には2割以上劣化した債権の買い戻し条項がある」「旧長銀のそごう向け債権を二つに分けることは不可能」とかいう議論を吹っ掛けられそうだが、それこそ重箱をつつくような議論だといいたい。

 日本経済は下り坂でブレーキが焼けきれた観光バスのようになった。運転手の森さんは車掌の野中さんにハンドル操作をまかせ、食べきれないのが分かっていながら乗客に弁当やおやつをせっせと配っている。いずれ乗客はエンジン・ブレーキも効かなくなったことに気づくはずだ。



2000年06月06日(火)
萬晩報主宰 伴 武澄

 ●成長とはいえない0.6%程度のプラス

 霞ヶ関や永田町では9日発表される予定の1999年度のGDP成長率が、政府見通しである0.6%を達成できるかどうかが当面最大の関心事だ。プラス成長を総選挙の追い風に利用しようという自民党の魂胆は前々からいわれていた。

 2年連続マイナス成長だったから、プラスに転じるのは喜ばしいことなのかもしれない。だが、よく考えてみれば、0.6%などという数値は成長という概念に値しないし、たった0.6%程度のプラスで恩に着せられても有権者として「はい、そうですか」とは言えない。

1994年度1995年度1996年度1997年度1998年度
0.6%3.0%4.4%-0.1%-1.9%

 上の数値をみても分かる通り、景況感なき成長といわれた95年度や96年度でさえ3、4%の成長があり、政府としても数年前までは、3%成長を巡航スピードとみていたのだ。

 昨年来の「ゼロ金利政策」のゼロに惑わされて、エコノミストや経済記者たちがコンマ1だとかコンマ2の動きに一喜一憂するようになったのだから嘆かわしい。

 さらに憂うべきことは経済企画庁が99年10-12月期の成長率(確報値)を積算する際、データを一部、 都合のいいように解釈して成長率のマイナス幅を0.2%少なく発表していたということだ。たった0.2ポイントとはけちな話ではないか。そんなけちな話で さえ、ニューヨークタイムズが24日付朝刊で「政治的理由で故意に操作した」と書かなければ日本の国民は分からなかったのだから日本のマスコミが批判され てもおかしくない。

 ●興奮剤と鎮静剤を同時に打ち続ける結末

 今回の総選挙で争点となるべきなのは「財政再建路線への復帰」と「ゼロ金利の早期解除」である。前者は「金利上昇を伴う興奮剤」で後者は「その金利上昇を押さえつける鎮静剤」である。

 日本経済に景気対策の効き目がなくなって久しい。萬晩報は、日本経済がそうした錯乱状態に陥っているのは「興奮剤」と「鎮静剤」を同時に打ち付け続けているからだと主張し続けてきた。これは医学的にも絶対にやってはいけないことなのだ

 80年代のレーガン政権は大胆な減税でその後の景気回復の礎を築いたが、おかげでアメリカは長い間、高金 利に悩まされ、30年物国債の金利が10%を超える時代もあった。アメリカの当時の高金利はドル高政策の一環としても必要だったが、国民は長期間にわたり 莫大な国債の漬けを金利負担で背負わされたのだ。

 公共事業にせよ、減税にせよ、財政出動による景気対策という劇薬には苦痛が伴うことを知らなければならな い。「景気か」「財政か」の択一選択を迫るのは間違いではないが、大規模な景気対策を行った上、市場金利までもねじ曲げれば近い将来なにが起きるか分から ないはずはない。日本の円という通貨に対する国際的信頼の失墜であり、その後に訪れるはずのハイパーインフレである。そのマグマが爆発したら、その全責任 は自民党を中心とした連立与党にあることはまぎれもない。

 今回の総選挙で一番求めたかったことは、首相経験者全員の引退である。中曽根さん、宮沢さん、海部さん、羽田さん、橋本さん。いまからでも遅くない。21世紀の日本のために潔さをみせてほしい。


2000年06月05日(月)
萬晩報主宰 伴 武澄

 総選挙を控えて株価がまた不安定な動きをしている。日経ダウはインターネット関連をはやして2月には2万 円を超えたが、3カ月間で元のもくあみに戻った。1万3000-4000円台であえいでいた98年後半から去年1月ごろから比べればまだ余裕があるとはい うものの市場には連立政権に対する信任は存在しない。

 日本の株価下落はアメリカの株価調整に連動しているとも見方がないわけではないが、日本の株式市場を押し上げてきた原動力はアメリカとはまったく異質といわざるを得ない。

 ●景気対策と公的資金と無担保信用枠

 まずこの2年、日本経済を支えてきた主力エンジンが約60兆円の景気対策エンジンだったことは忘れてはならない。金目でいえば60兆円枠の銀行向け公的資金も同様である。すべてが支出されたわけではないが破たんにおびえた都銀経営を底から支え続けた。

 30兆円の中小企業向け無担保の信用保証枠の効果も大きかった。どこへどう消えたか分からないが、とにか く国が連帯保証人になってつぶれるべき中小企業がつぶれずに済んだ。これらが三つの要素が日本の株式市場の底割れを未然に防いできたのであって、景気が回 復したからではない。

 その証拠に企業の2000年3月単独決算は経常利益では15%増えたが、最終利益では記録的な低水準だっ た前の年をさらに33%下回ったのである。税効果会計という合法的に利益を水増しできる手法が取り入れられたにもかかわらずである。日本の株価は足下を見 ずに期待だけを買っていたことになる。

 ●国内自動車産業に匹敵する景気対策

 第1番目の景気対策は本来は民間需要の呼び水的役割をはたすのが目的だが、これだけの金額を長期的に投入 して、経済全体に麻薬的効果を与えないはずがない。宮沢蔵相は98年12月、99年度の予算編成時に「もう追加的措置は必要ない」と断言したが、春を過ぎ ると当然のように「秋の景気対策」が話題になり、11月には18兆円規模の対策が打たれた。

 99年12月の2000年度の予算編成時にも宮沢蔵相はその1年前と同じように「追加措置は必要ない」と公言したが、政府部内ではすでに今秋の景気対策の準備に入っているのだ。

 2年間で60兆円という追加措置がどれくらいの金額かを知るのは容易でない。世界に冠たる日本の自動車業界の年間売上高が20兆円台とすれば、並大抵な金額でないことを分かってもらえると思う。繰り返すが年間予算とは別に追加された金額である。

 しかも年平均30兆円は、500兆円規模の日本のGDPからすれば6%に当たる。そんな成長率がただちに 民間から生まれると考える方に無理がある。故小渕首相の財政政策のおかげで日本経済が当面、景気対策抜きには立ち行かない体質となってしまったのはまぎれ もない事実なのだ。

 大蔵省すら日本経済がプラス成長を維持するためには当分の間、年間30兆円の国債を発行し続けざるをえないことを認めている。

 ●東京相和銀行と酷似する公的資金の循環

 さらに将来問題となるのは大規模な失業者予備軍をつくったことだろう。土木・建設を生業とする人口がここ7、8年で100万人以上増えてしまっているのだ。これは過去の景気対策が生み出した後遺症として後世の大きな負担になるはずだ。

 銀行への公的資金は別の意味で問題が大きい。国が無償で贈与したものなら一過性の問題で終わるが、いつか は返済が必要なお金である。また毎年その巨額の資金に対して金利・配当負担が生じるということである。都銀などに投じられた7兆円は約束通り中小企業への 融資に回っているのではなく、その多くが国債で運用されているのが現状である。

 昨年来のゼロ金利政策は景気対策による国債増発によって長期金利が上昇したのを防ぐためにスタートした。 うがった見方をすれば、国が銀行救済のためにお金を貸して、そのお金で国の借金を肩代わりさせている。しかも国が銀行に貸したお金は預金保険機構が債券を 発行して銀行から調達したのだから、なにがなんだか分からない。

 もともと銀行の金だが、いったん国のフィルターを通すと格付けが上がるとでもいうのだろうか。公的資金の資金の循環は、融資した金で資本を増強したという東京相和銀行とどこか手法が似ていやしないだろうか。

 日本経済が表向き「回復基調にある」(政府発表)ことは間違いない。これだけ劇薬を投与してたった0.6%のプラス成長が達成できるかどうかの水準でしかないことを考えると日本経済の病理は相当に深刻だと考えざるを得ない。(続)


2000年02月18日(金)萬晩報主宰 伴 武澄



 ●予算規模を上回る来年度の借金

 国会で来年度予算の審議が始まった。野党が街頭活動から国会に戻ってきたのを世の中では「正常化」といっているが、筆者はそうは思わない。少なくとも民主党は解散・総選挙まで国会に戻らないのかと思っていたから期待は大きく外れた。

 12月19日から24日まで2000年度政府予算編成の取材に携わった。84兆9871億円を超える予算 規模はもちろん史上最大規模である。借り換え債を含めた国債の発行額85兆8705億円で、一般会計の規模を初めて上回った。新規に増える分が32兆 6100億円とはいえ、総予算を上回る国債の発行が尋常でないことは素人でも分かる。

 小渕首相は「世界一の借金王」といい、自民党の亀井政調会長は「連立3党の主張が取り入れられたすばらし い予算案」と胸をはった。宮沢蔵相は「1%成長の政府目標を達成するために必要な措置はすべて盛り込んだ」と来年度こそは補正予算の助けを借りずに成長目 標を維持できるとの見通しを明らかにした。強気である。

 ところが堺屋経企庁長官の見方は違った。経済状況次第では追加的な景気刺激策が必要になると一人だけ正直 な感想を漏らした。大部分の日本人が忘れているだろうが、実は1年前の予算編成でも宮沢蔵相は「初回から大魔人を投入したようなもの」と最大限の経費を盛 り込んで「補正予算は必要ない」と言っていたのだった。

 ●補正がなかったらマイナスだった1999度

 それなのに昨年秋には18兆円にも上る史上最大規模の景気対策の実施を余儀なくされた。このことは記憶に新しいだろう。民間経済が10%内外の飛び抜けた伸び率を示さない限り、宮沢蔵相の発言が2年連続のウソになることはほぼ間違いない。

 昨年秋の追加予算のうち公共事業費は8兆円を超える。これはGDPの1.6%である。政府は今年度の成長率がプラスに転じると自身を深めているが、単純に補正がなかったらマイナス成長だったことを露呈したにすぎない。

 地方の土建業者たちが消化不良を起こすほどの公共事業費を盛り込み、さらに秋に追加予算を組んだおかげでかろうじてプラス成長に転じる予定の日本経済が来年度は補正なしで景気回復するという根拠は見当たらない。

 あの手この手の時限的な減税措置によるで無理やり国民に勧めてきた住宅着工にもそろそろ疲れが見えてきた。「今がマンションの買いだ」と信じ込まされてきた多くの市民は不動産を購入したとたんに評価額が購入価格を下回るという悲劇に直面している。

 これ以上、国民をだまして景気を浮揚させる経済政策は通用しないというのが萬晩報の主張である。

 ●2万円台の東証の方がアメリカよりバブリーなわけ

 いまの景気を下支えしているのは公共事業とアジア向け輸出であることは周知の事実である。日本の株価は情報通信関連が引っ張っているが、アメリカのように収益に裏打ちされたものではない。

 税引き後の利益が70億ドル、80億ドルという企業が多く生まれているのがアメリカであり、NTTとトヨタ自動車以外にみるべき利益を上げていないのが日本の現実である。

 東証株価平均が2万円台を回復したのはめでたいことなのだが、2万円といったところで1989年12月のピークの半分の水準でしかない上に、どちらがバブリーかと問われれば、東証の2万円台よりアメリカのダウ30種平均の1万ドル台に軍配を上げざるを得ない。

 万が一にもないと思われるが、仮に日本経済がテイクオフすることになれば、ただちにインフレ経済に見舞われることになろう。長期にわたる超低金利政策の副作用が一気に日本経済を襲うことになるはずだ。

 萬晩報の読者だけには、この史上最大規模の予算の意味するものと政治家たちの発言を覚えておいてほしいと思う。



2000年02月03日(木)萬晩報主宰 伴 武澄


 そろそろ国の借金の国民への付け替えが本格化するだろう。そんな予兆を感じさせる広告が最近目につく。「『特別マル優』の国債です」と名打った金融機関の広告である。

 大方の人にとって、「マル優」は記憶の彼方で廃止されてしまった利子非課税制度であるはずだ。1989年に消費税を導入した税制改革で廃止された制度だが、実は「65歳以上の高齢者」だけは特例として廃止されなかった。

 マル優は国民一人あたり銀行預金と郵便貯金、国債購入をそれぞれ上限300万円まで非課税枠とする制度だった。つまり4人家族だと一人900万円×4人=3600万円までの貯蓄が非課税ということで、ほとんどの庶民は貯蓄に課税されることはなかった。

 この広告は「国債は日本国の発行ですから安全性は抜群です」と高齢者に対して、マル優 枠での国債購入を推奨しているのである。「これまで国債の広告など見たことがないのに今ごろなぜ」という疑問が浮上したとしてもおかしくない。金融機関に は国債を国民に押しつけなければならないそれなりの理由があるからだ。

 ●余裕のない財投、日銀、金融機関

 国の借金である国債を誰が買っていたのかというテーマについては萬晩報はこれまでたび たび報告してきた。まず財投と日銀、そして郵便貯金。それから金融機関である。国民が保有している国債はほんの数%でしかない。国の機関が国の借金を背負 うという矛盾についてはここでは問わない。

 まず小渕内閣の借金漬け財政により発行された国債の引受先がなくなったということであ る。国の財投は郵便貯金を原資にしていて今年から始まる大量償還を前にこれ以上の負担は物理的に不可能であり、日銀にしても資産の半分以上が国債という状 況でさらに国債を買えば、日本国の通貨の信用を失う。

 残るは金融機関だが、ここ数年は預金の運用先を失い、国債への依存度が増しているとい う特殊事情はあるものの、これまで大量の国債購入を押しつけられていて飽食気味であることは否定できない。第一、銀行が国債などという世の中で一番利回り の低い商品で資金を運用していたのでは収益力の回復にはほど遠い。

 そこで高齢者が登場する。高齢者が弱者なのは身体的だけで、資産的に一番余裕がある世代であることは統計上でも明らかになっている。満期を迎えた郵便貯金の預け換えはぜひ「国債」にというわけである。

 ●日本の国債に安全神話はない

 だがそうは問屋が下ろすまい。「非課税だ」といっても1%にも満たない利率の金融商品 に魅力があるわけがない。満期が来る10年前の郵便貯金の金利は7%だとか8%もあったのだから当然だ。さらに「安全性」にも問題がある。利回りが確定し ているのは満期まで持った場合の話でしかない。

 途中で換金する場合、市場の需給関係で額面割れという悲劇だって起こりうる。というよりもこれだけの大量発行が続き、銀行も買いたくないような情勢であれば、国債価格の暴落は必至と考える方が正常な神経であろう。

 言い忘れたが、かつては日本の国債は世界的にも信頼性が高く、アラブのオイルマネーが買っていた時代もあった。だが、いまはどこの国も日本の国債を買おうとしない。そんな国債を国民が買わせられる時代がそこまでやってきている。

 日本の国債で安全神話を語るのはもはや詐欺的行為である。高齢者の方はくれぐれもマル優などという亡霊に惑わされないよう! 


1999年11月29日(月)萬晩報主宰 伴 武澄


 【橋本首相を評価する日が来る】毎回興味深く読ませて頂いてます。この国全体が陥っている借金漬けの体質は救い難い状況に見えます。火だるまとなって財政再建を目指して選挙で大敗し、燃え尽きてしまった前橋本首相を引き擦り降ろしてしまったのは他ならぬ我々有権者自身なのです。

 遠くない将来に橋本首相の目指した政策が財政破綻の反動として評価されるであろう事を 予言しておきます。タコが自分の足を餌にするような愚挙が続く果てに何があるのか長い間疑問に感じていましたが、物心ともに近眼の小生にもおぼろげに見え てきました。伴氏の憂える通貨不安とハイパーインフレですね。

 ハイパーインフレは敗戦直後にあったやに聞いてますが1953年生まれの小生にはピン と来ません。通貨不安については、以前に南米の国が通貨不安に襲われた経緯があったように記憶していますが、それらの外国の事例などから財政破綻の具体的 な姿を見せてもらえないでしょうか。氏の鋭いペン先に期待しております。(大山政典)


 【円高で潤う企業に注目したい】日本丸が行く方向は? 国債、民間の不良債権を始末、整理するため?日本政府はインフレを起し、再度バブルを企画しているとしか思えませんが?われわれ小市民が生活を守るためには、いかに自己防衛をすれば良いのか?

 国債を大量に起債されることにより、基本的に金利が上昇し、一時期は円高に行き、円高の恩恵を得る企業は円安より多いように思います。円安の恩恵をこうむる企業は、大手企業だけと思います、円高により潤う企業の内容に注目してみてください。

 今回の不況の一部は90円の円高から、140円の円安に振られ、市場は不況で為替の差額を販売価格に転嫁できず、リタイヤした業者は大半が中小企業でしたし、生活関連の消費財取扱い業者であった。この影響は大変に大きかったように思いますが?

 円安で恩恵を受けた業者は、恩恵を内部保留したように思います、円高の恩恵を受けた業者は大半が吐き出したように思います。本来円高は喜ぶべきことなのに、日本政府は大手企業の為に税金を使い円安にする事が問題にならないのが不思議です。(東谷)


 【国民の論議を喚起してほしい】国債が国を滅ぼす、といった類いの本を至急発行され国民の論議を(関心)喚起させて頂きたいです。不安から目をそらしてはいられない気持ちです。(横田昌樹)
 【借入金は収入では?】いつも楽しく読ませていただいています。突然のお願いで申し訳ありません。
            民間企業が「収入の部」に「借金」の金額を盛り込んだとした
ら間違いなく社会的失笑を買うだろう。家計とて同じことだ。と
ころが大蔵省の論理ではこの「赤字」が「収入の部」に計上され
ているということなのである。
 この部分が少し説明不足なので、補足していただきたいのです。通常の家計簿や企業の貸借対照表にはきちんと収入の部に「借入金」の項目があると思うのですが。借金は収入の部門だと思います。

 予算で入ってくる金で何が出来るか?を考えずに自分たちのしたい事を列記して、それに借金で合わせるという予算の作り方をするならわざわざ収入を支出を合わせる必要がないと言うのなら分かりますが。収入を基礎に予算を計上する場合は収入と支出があっていないと困ります。

 それとも僕の認識で何処か間違っているのでしょうか?誌上でも構わないので説明お願いします。それではこれからも含蓄ある紙面楽しみにしています。無礼お詫びいたします。(たる 神戸市)

 【萬晩報】お返事します。企業会計の貸借対照表(バランスシート)上では借金は「負債の部」に計上します。  収入とか支出は会計年度内でのお金の出入りですから、損益計算書に計上されます。その差し引きが「当期損益」です。収入が足りないときは「損失」つまり「赤字」となります。

 この場合、その年度に借り入れた金額は損益計算書には直接計上されませんが、赤字になった場合、蓄えのない企業はどこからか借金していることになり、バランスート上の負債の部のどこかにその金額が出てきます。

 借金の形態の一つである未払い金は取引先に対する借財で支払い手形は間接的に銀行に対する借金となります。(伴 武澄)


 【やはりハイパーインフレか】政 府の国債発行については、以前から不信に思っていたのですが、やはり赤字の付け回しだったのですね。このまま行くと、財政破綻→円の信用失墜→スーパーイ ンフレという展開になるのでしょうか。もし、頭の良い高級官僚の方々が、財政赤字、不良債権などの最高の解決策としてこれを考えているのでしたら、恐ろし いことです。無意味な穴掘り仕事で荒廃した国土で、途方にくれるのは、我々市井の人々なのです。せめてもの対抗策は外貨預金などを通じて、少ない財産のリ スク分散を計ること、あるいは、この国を見捨てて海外へ出て行くことなのでしょうか。後者の選択は、この政府によりかかっている人たちを見返すには絶好と も考えられますが、故郷がなくなるのは許しがたいことだと思います。(愛知県 宮島朗)
 【ありがとう】今日もわかりやすい記事をありがとう。私も、全くその通だと信じています。今後の記事にも期待します。(東京都 吉田寛)
 【借金は借金】伴 さん。菊池 at Vancouver です。毎度 気持ち良く拝読させていただいております。今回の「国債発行」に関する 貴意は私も前から指摘しているところです。会計のバランス・シートは 少なくとも自由経済社会で共通するものがあります。これに準じて報告されなければなりません。商法でも「社債」は「負債」の項に入ることに成っているとお もいます。「借金」は「借金」とはっきり言わなければ 後継者がまごつきます。では お元気で。(Vancouver 菊池とおる)
 【景気対策は行政の圧縮で】初 めて、お便りします。実際これらの話になると、頭に来て言葉が出なくなってしまいます。政府のばらまき税政には呆れて物も言えない状態です。減税の財源に しても、長銀の救済資金にしても、いくらでも財源が在ると思っているような、あるいは「無能」としか言えないような「目先の変化しか期待できない」政策が 罷り通っている。赤字決済の付けは誰が払うのか?

 ODAにしたってそうだ、実際に困っている人の所には何割が届くのだろうか。景気刺激の為の地域振興券は効果があったと考えているのだろうか?(国民の大方は効果など無いと認識している筈です)

 先日の文には、「小渕首相に国債の連帯保証人を」と言うものがあったが、全く同感である。国民の税金を使って(あるいは、今後の税負担となるもので)ばらまいた金額とその効果を比較し、はっきり国民に示して欲しいものだ。

 まじめに働いて、黙って税金を取られているサラリーマンとしては、どうやって鬱憤を晴 らせば良いのか、脱税ぐらいしてみたくもなる。国民としての意志表示の場は選挙にしか無いのだが、政治への批判票の投入は選挙権を得てからずいぶん継続し てきたが、効果を上げていないようです。政党も政府批判が弱い。どこも確たる方針を持っていないように見える。

 本来は、景気対策は行政の圧縮(経費節減、民営化促進、国政の軽量化)によってなされ るべきであるとおもうが、予算を立てるのが、役人では一向に改善されることは期待できない事なのかも知れない。地方の予算にしてもそうですが、一旦掴んだ 予算は絶対に減らさない。無駄と知っても使わなければ損だ。という風潮がある。(これは、会社の中でも在ることはあるのだが)

 こんな日本の現状を見ると、なんて馬鹿な国民が多いのかとウンザリするが、少しでもも がいて、少しでいいから納得出来る方向へ政治を向けて行きたいと思ってます。萬晩報を応援しています。さらに論調を強めて、もっともっと啓蒙の輪が広がっ てくれることを祈ります。(千葉県 大和久芳治48歳)


 【100円、500円紙幣について】萬新報の記者に登録しながら無沙汰をして居ります。さて日本では馬鹿の様に2000円札の発行が紙面を賑わせて居ますが一般国民はあまり関心が無くかえって使用の間違いを心配しております。

 そこで、何故百円紙幣、五百円紙幣を発行しないのか?手間がかかる、コストが高いなど言われますが米ドルは35%以上が1ドル紙幣です。ユーローでも500から発行しています。

 今後の日本が発展途上国に目を移したとき、1000紙幣は大金です。貨幣価値として 10倍、50倍に匹敵する地域も有ります。チェンエン、チェンエン(千円)と物売りが叫ぶ東南アジアの民衆には1000円は大き過ぎ、月給の何倍にもなる 価値有る紙幣です。1000円では彼らは釣り銭すら持ち合わせて居ません。例えば100円の菓子を買うために五万円の紙幣を出すようなものです。

 少なくとも100円・500円紙幣を発行する事により途上国に円が浸透して、円の力も強くなり何兆円と言う「円」流通の力が生ずる筈です。或る日銀の責任者、経済研究所の先生に尋ねても考えが至らないようですが2000円紙幣を発行する前に至急検討すべきでは。

 今回の台湾の地震に対してドネーションの準備をしたところ、日本円でなく米ドルで送金を要望されました。矢張り、日本円は紙幣が1000円以上のため円の力が不十分で不便なことを実感させられました。

 小額紙幣の発行は「円」を強くするための最大の武器であり、世界経済に浸透する為に少 々のコスト的負担があっても其の力は絶大と思いますが。日本国内のコップの中の景気、不景気を論ずる以前の問題と思います。何とか此の状況を至急発信して 見る必要は有りませんか。穿った見方をすれば米ドルを保護するための100・500円発行停止としか考えられませんが。(山岡正嗣)


 【与党が全員連帯保証人になれ】日本の世の中も経済も何かおかしい、まだ膿をだしっきていないこれは与党の政治家全員が連帯保証人になれば良い、絶対そうすべきだ。(Kagawa Kouichi)
 【日米産業振興策の違い】いつもメールマガジンを読ませていただいております。都内に勤めている加賀と申します。

 今度の国会は「中小企業国会」と言われ①景気停滞で経営の苦しい零細企業への年越し対 策②日本の次世代を担う新規ベンチャー育成による経済の「新生」が目玉とされているとの事です。ご指摘のように、公共事業については、「15ヶ月予算」の 名の下に年度内の消化不良をうやむやにしてしまう目論見のようです。

 さて、私が指摘したいのは、「経済の刺激策として従来型公共事業にいったいいくら投資したら効果があがるのか?」という点です。換言すれば、「何十兆円ものお金が、無駄に消えていった上に、本当に必要な投資がなされていない。」ということです。

 アメリカの産業振興策として、最近注目されているのが、「大都市型産業振興策」です。 特に、情報通信関連の産業を、大都市で振興させようというまことに理にかなった方策を官民一体で講じています。「シリコンアレー(横丁)の作り方」エコノ ミスト 99.11.23 60-61項

 日本は、長野県丸子町、岐阜県大垣、岡山、高知、大分、沖縄等、大物政治家のお膝元などに、マルチメディア振興と称して100億円規模の大型設備を建築し、閑古鳥が鳴かせています。

 東京都や大阪府でこそ、このような設備の整備と民間団体との共同による振興活動が行われるべきなのに、「都は当該分野で国の補助金を貰ったことがない。」との理由で、見送られています。

 財政破綻目前だったニューヨーク市の場合、そんなに多くのお金を投資していないはずです。それで、多くの企業が興こり、また株式上場を果たすなど具体的効果を上げています。

 従来型公共事業は、自民党の選挙対策とも言われて久しいのですが、それ一本に頼ることで、結果として大都市圏の自民党議員の全敗を自ら招いていることをそろそろ気が付いても良いのではないでしょうか?(東京都 加賀)


 【庶民の通貨感覚がマヒする】同 感です。更に言わせて戴くならばデノミの発想です。その目的は判然とせず、単に通貨の呼称のみ変えようとし、これに伴うバブルの尻押しに似た2000円札 発行と同じ意味(非常に矛盾した内閣の独善行為)を持ち庶民の通貨感覚を麻痺させ多額の負債のごまかしを意図するものとしか考えられず、これによって生ず る社会的な不安混乱を無視した為政者の暴挙としか考えられません。小生は決して波風の立たない社会情勢を好んでいるわけではありませんが、全く国民不在の 内閣としかいいようがなく、お人よしの表面的な態度で小手先で目の前のエサで人をごまかす慇懃無礼のやかたとしか思われません。(石巻市 千葉松次郎66 歳)
 【このようなメルマガが大切な時代】はじめまして。いつも楽しみに読ませていただいてます。今回の内容について思うところがありメールを送ることにしました。

 公共事業による景気浮揚策自体がすでに動脈硬化を起こしていることを政治家や役人が知らぬはずもなく、ただ己の利権を維持するために国債をばらまき、税金を使っているとしか思えないですね。

 私は別に左翼でもなく、むしろ現在の国力が安定する方がいいと思いますが、日本のマス コミが東南アジアや中央アジアでODA等に絡んで賄賂の受け渡しがあった話を取り上げると税金が無駄になったような気がするが、今回のような経済対策の内 容では日本国内の方が実体はもっとひどいのではと思ってしまいます。

 つぶした銀行と残した銀行の区分けもなんか釈然としないです。すべてのことは国家や国民全体のためではなくて一部の人のため行われているとしか言いようがないのではと考えている人も多いのではないでしょうか。

 個人から多くの人に対してメッセージを送るこのようなメルマガが大切な時代なのかもしれません。今後ともご活躍を陰ながら応援させていただきます。(岬日出男)


 【信用のない連帯保証人】[この際、小渕総理に国債発行の連帯保証人になってもらうしかない]こんな信用のない連帯保証人が付いているような債券を買う人っているのかしら?(太治信義)
1999年11月26日(金)萬晩報主宰 伴 武澄


11月23日に引き続き、国債発行のルールを解説したい。
 「国債発行の無意味なルールとルール違反(1)」の続きである。

 (1)借金を収入と考える日本政府の一般会計予算
 (2)禁じ手を合法化するため毎年制定される特例国債法
 (3)境界線が見えない赤字国債と建設国債
 (4)無尽蔵であり得ない国債発行
 (5)大蔵省が繰り返す国債償還のルール違反
 (6)国債依存度の無意味なパーセント

 ●無尽蔵であり得ない国債発行

 小渕政権の1年半をみていると、この政権は無尽蔵に国債を発行できると考えているようだ。先ごろ鳩山由紀夫・民主党党首が国会で「あなたが首相に就任してからどれだけ国債を発行したか知っていますか。50兆円ですよ」と追及していた。

 どんな国でも無尽蔵に国債発行できるはずはない。巨額の発行はまず金利上昇を伴い、景気に逆効果をもたらすと考えるのが普通である。ついであまりにも巨額の発行だと買ってくれる相手がいなくなることを心配しなければならなくなる。

 逆にいままで買ってくれていた人が将来を心配して市場で売り浴びせるという不安もでてくるはずだ。最後に襲うのが通貨価値の下落とインフレである。

 日本の民間銀行が危機に陥ったのはまさにこの3つの理由によるものだ。大手F銀行などは銀行間市場でその日の資金を調達できずに何回か"不渡り"寸前になったことがあるのだ。

 ところがこの国では"不渡り"どころか資金調達難に陥ったという報道すらない。政府が発行する国債を日銀と郵便局の資金で買っていたからである。だからこれまでは金利上昇を心配することも買い手がいなくなることも心配する必要がなかった。

 昨年秋、大蔵省が抵抗して宮沢蔵相に「財投資金での国債引き受けをやめる」と言わせ、長期金利が急カーブで上昇する局面があり、巨額の国債発行と金利上昇がトレードオフにあることがようやく世間で認知された。

 だが結局、財政資金による国債引き受けをやめることはできなかった。ちなみに財政資金とは主に郵便貯金を運用しているところである。政府が発行する国債を国の機関が買っていたのだからもはや開いた口が塞がらない。

 困り果てた大蔵省は次に何を考えたか。10年物の長期国債の発行が長期金利上昇につながるなら、5年物や3年物で発行したらどうだろうという発想にたどり着いた。だがこの発想も幼稚である。金利の世界で長期と中期がまったく別の世界であるはずがない。

 とにかく今回の補正予算では7兆5000億円の国債の半分以上を5年物でまかなう方針である。

 いまの金利が5年後も続くとは考えられないから、金利上昇の先送り策ともいえる。なぜなら5年後にまた借り換えを必要だからだ。何遍も言ってきたがこの国は国債の元本を返済したことがない。

 ●大蔵省が繰り返す国債償還のルール違反

 償還ルールについて書こうとしているうちに横道にずれた。国債発行の基本的ルールはま ず「毎年予算編成時に国債発行残高の60分の1を国債整理基金に繰り入れる」ことが求められている。今年度だと年度末の残高がほぼ300兆円だから5兆円 を繰り入れる必要があった。しかし今回も財政難を理由に見送られている。

 もうひとつのルールは「剰余金が出た場合、半分は国債の償還に充てなければならない」 ということだ。最近は剰余金など出るはずもないのだが、1980年代後半に、NTTの株式を売り出した時、予想外の高値で売れたため、2年間で7兆円近く に剰余金が生まれた。しかし、剰余金は一銭も国債の償還に充てられていない。

 何に使ったかと言えば。NTT株式の譲渡益を活用した公共事業である。景気対策である。もともとは自治体や第三セクターに無利子融資したものである。NTTの売却益が雲散霧消してしまったことについて政府は一切の口をつぐんでいる。

 ●国債依存度の無意味なパーセント

 第2次補正予算によって、今年度予算の国債依存度(歳入に占める国債の割合)は最終的に43%にものぼることになった。マスコミは「過去最高」と危機感をあおっている。だが、本当はもっと恐い状況になっているのだ。

 82兆円の当初予算の歳出に今回の補正予算6兆8000億円を加えると最終的にほぼ89兆円規模となり、国債発行額は31兆円プラス補正分7.5兆円で38兆6160億円におよぶことになる。

 当初予算の歳出が82兆円といっても内訳は「国債の金利費」がほぼ20兆円で、「地方 交付税交付金」13兆円も国の支出とはならない。47兆円という「一般歳出」だけが国の政策的経費である。政府が発表している国債依存度というのは予算総 額から地方交付税交付金を差し引いた額に対する国債依存度でしかない。

 歳出は当初の47兆円プラス補正6.8兆円で53.8兆円、国債発行額38.8兆円で 計算すると、補正後の瞬間風速的な意味の国債依存度は71%にもなるのだ。逆にいえば、われわれが政府から受けているもろもろのサービスのうち税金でまか なわれているのは29%でしかないということになる。

 1999年度の日本経済は38.8兆円の国債発行によってようやくプラス成長を維持できるということを知れば、民間経済の回復がなければ、来年度もまた同じようにというより、さらに国債発行を上乗せした財政的支援なくして成長を維持できないということになる。


 1998年11月28日(土) そうだったのか国債って国が買っていたんだ!
 1999年01月25日(月) 国債という日本の打ち出の小づち(1)
 1999年01月28日(木) 国債という日本の打ち出の小づち(2)
 1999年02月01日(月) 国債という日本の打ち出の小づち(3)

1999年11月23日(火)萬晩報主宰 伴 武澄


 前回、「経済新生対策」の危うさについて書いた。2回に分けて、以下の5項目について国債発行のルールを解説したい。難易な表現をさけるようにしたいが、少々難しくなる。

 (1)借金を収入と考える日本政府の一般会計予算
 (2)禁じ手を合法化するため毎年制定される特例国債法
 (3)境界線が見えない赤字国債と建設国債
 (4)無尽蔵であり得ない国債発行
 (5)大蔵省が繰り返す国債償還のルール違反
 (6)国債依存度の無意味なパーセント

 第1の論点は「建設国債と赤字国債」であり、第2は「国債依存度」についてである。第 1の論点は新聞紙上でもときどき解説されるが、萬晩報が問題視しているのは「建設国債と赤字国債の境界線が不鮮明」になっていることと、緊急避難的にのみ 許される赤字国債の発行がここ20数年間、恒常化しているという点である。臨時・暫定国家の面目躍如たるところがあるのだ。

 ●借金を収入と考える日本政府の一般会計予算
 日本の一般会計予算で特異なことは歳入と歳出が同じであることである。アメリカの2000年度予算が成立したばかりであるが、アメリカでは歳入と歳出の 金額は違うのが普通である。ここ数年前までの恒常的赤字財政に悩まされていた時代のアメリカの連邦予算では歳入の不足分を「財政赤字」とはっきり明記して いて分かりやすかった。

 その赤字を埋めるのが「国債発行」であるから、国債=借金が当たり前の認識となる。と ころが日本では違う。「歳入の部」に「税収」などと並んで、なんと「国債」というの一項目がある。企業会計では「収入」と「支出」があり、その差し引きが 「利益」となり、マイナスの場合を「赤字」という。

 民間企業が「収入の部」に「借金」の金額を盛り込んだとしたら間違いなく社会的失笑を買うだろう。家計とて同じことだ。ところが大蔵省の論理ではこの「赤字」が「収入の部」に計上されているということなのである。

 そして不思議なことは、そんな予算書がなんの批判もなく20数年間もまかり通ってきたことなのだ。これについては、東大を頂点とした財政学の碩学たちの知的怠慢と批判したい。また大蔵省の発表のままに報道してきたマスコミにも責任の一端がある。

 ●禁じ手を合法化するため毎年制定される特例国債法
 萬晩報はこれまで、財政法を持ち出して、日本の法律で借金で歳出をまかなってはならないことになっていることを指摘してきた。建設国債ならよくて赤字国債はいけないという議論があるが、そもそも国債に色はない。両方とも原則的に禁止されているのだ。

 ただ建設国債に関しては「第4条」の「例外的措置」として

「但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる」
とあるだけで、原則は
「国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない」
ということなのである。

 一方、赤字国債は財政法にもない規定である。だから政府は「特例国債」と呼ぶ。具体的には「公共事業費、出資金及び貸付金」以外の歳出、簡単に言えば「将来、国民の財産とならない出費」のために発行する国債のことである。

 何遍でも言おう。赤字国債の発行は財政法上で「禁じ手」なのだ。この「禁じ手」を政府は「特例国債」と呼び、マスコミが「赤字国債」と呼ぶ。だから「建設国債」はよくて「赤字国債」はいけないととのように論じられてきた。

 現実に歳入が不足した1965年度から政府が「特例公債」と呼び始めた。法律で認めていない、赤字埋め合わせのための公債を発行するためにそれ以降ほとんど毎年「特例国債法」という法律を制定して違法行為をしのいできた。

 へんな話である。もはや赤字国債を含めて国債発行なくして日本の財政が成り立たないのなら、財政法を改正すればよさそうなものである。そうしたら赤字国債を禁止した法律に反する法律を毎年のように制定する矛盾から逃れられるというものだ。

 ●境界線が見えない赤字国債と建設国債
 大蔵省が財政法を改正しようとしない理屈も分からないわけではない。財政の最後の砦を失ったら、政治家の言うがままに財政赤字が膨れ上がるという危機感があるに違いない。だがここ数年の事態を振り返れば、もはや財政の規律などないに等しいのである。

 特に小渕政権になってからの大盤振る舞いは目を覆うばかりである。1995年以降、相次いで大蔵省幹部のスキャンダルが発覚してからというもの、もはや自民党の暴走を止められる勢力はいなくなっている。

 例えば、昨年秋の経済対策で打ち出された6兆円減税を例に赤字国債と建設国債を分けて 考える意味のないことを説明しよう。大蔵省は「減税の財源は赤字国債」と説明した。ここにも先に説明した「歳入の部に借金の項目を盛り込む」大蔵省的発想 がある。減税は支出ではないから「財源」というのも分かりにくい。

 本来は次のように説明しなければならない。「減税によって歳入不足となるため、教育費とか社会福祉費などを国債発行によってまかなう」と。こうすれば大蔵省が言う「財源」の意味が分かろうというものだ。

 しかし税収に色がないから、国債でまかなう部分がどの歳出項目なのかはまったく分から ない。健全な財政を運営していたとしたら、理論的には「公共事業費」にあてることだって考えられる。たまたま当初予算で公共事業費は全額を国債でなかなう ことになっているだけのことである。

 これはレトリックではない。大蔵省が建設国債と赤字国債を分けて考える理屈が破たんしているだけのことである。

 そもそも自民党政権にとってもはや建設国債も赤字国債も見境はない。金融不安解消と景気回復のためには、なりふり構わぬ財政出動で対応することのなんのためらいもないからだ。

 もう一点、建設国債でまかなわれる公共事業が「将来の国民の財産」になったのは遠い過去の世界である。住民が嫌がるダムを建設したり、意味のなくなった埋め立て事業などは、30年前の計画通り粛々と進められているではないか。

 景気刺激策としての公共事業という概念は「穴を掘ってまた埋める事業」とイコールなのである。財政出動という言葉にこそ、この「穴を掘ってまた埋める事業」というイメージがぴったりくると思いませんか。景気刺激策としての公共事業こそが、大蔵省が嫌がる「赤字国債」の範疇なのだ。


 1999年11月26日(金) 国債発行の無意味なルールとルール違反(2)

 1998年11月28日(土) そうだったのか国債って国が買っていたんだ!
 1999年01月25日(月) 国債という日本の打ち出の小づち(1)
 1999年01月28日(木) 国債という日本の打ち出の小づち(2)
 1999年02月01日(月) 国債という日本の打ち出の小づち(3)


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