
幕末、福岡藩士・筒井亀策の三男として福岡市で生まれ、母方の頭山家を継ぎ、頭山姓を名乗る。16歳の時、福岡藩の勤皇派の流れを汲む興志塾(高場塾)に学び、進藤喜平太、箱田六輔ら後の玄洋社の創設メンバーと出会う。1876年の秋月の乱、萩の乱では旧藩士らとともに蜂起し投獄される。西南戦争後、開墾社を創設し、自給自足の生活を送りながら、自由民権運動の中心地だった高知に渡り、立志社の運動家と交流する。1878年、福岡で向陽社(翌年玄洋社)を結成し、福岡の豪商たちの支援を受けて向陽義塾を開校した。
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