2016年3月アーカイブ

http://diamond.jp/articles/-/37602
僕は高知での夜学会でしきりにデンマークの話をしている。面積は九州ほど、人口は500万人で北海道程度。小さいけど自力更生の力量を発揮している。なんでも「No1」になりたがる日本と違って、「違うこと」を誇りにする。150年前に、プロシアに酪農地帯のホルスタイン地方を奪われたとき、デンマーク人は今のユトランドを一から開拓した。ほとんど不毛の地に植林を始め、50年後には気候まで変わってしまい、酪農王国を復活させた。いまでも製造業はほとんどない。チーズだとかバターを輸出して世界有数の豊かな国となっている。北海道が本気でやれば、もっともっと豊かになれるはずだ。

1980年代初頭、すでにエネルギーの自給を始めた。風力発電である。20年で電力の半分を風力で賄えるようになった。1986年、原油価格が急落した時、下がった分を税金で徴収して自然エネルギーへの投資に充てた。結果として、風力発電機のメーカーも大きくなり、輸出されるようにもなった。

日本人はもっとデンマークに学ぶべきだと思う。
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明日の金曜市のため、鏡村に向かい、鏡の仙人と会った。いつものようにまた、売るモノがない。僕はクレソンさえあれば、いいと思っていた。シイタケ はないと思っていたら、仙人が「おらんくのシイタケをとっていきや」といってくれた。ありがたいことに籠一杯のシイタケを収穫した。

我々のシイタケ畑がこのところさっぱり収穫できなかったのは、山のサルが食べていたからだということが分かった。この時期、ドングリも食い尽くして山には 食べるものがないそうだ。サルはシイタケを好物としているわけではないが、空腹には耐えられずシイタケを食べあさっていたようなのだ。そんな話を聞くとサ ルのことが可哀想になって、シイタケぐらい存分に食べたらいいという気分になる。

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立命館大学の加地伸行教授が産経新聞に連載している「古典個展」の2011年1月8日の切り抜きーが出てきた。

普天間の移転先として、沖縄沖に空母のような船を浮かべたらどうかと考えたことがある。加地教授はあえて「原子力空母」がいいといっている。ユニークではあるし、現実的でもあるが、「原子力」というところが過激である。アメリカが聞いたら腰を抜かすかもしれない。しかし、日本はかつて原子力船を保有したことがある。「むつ」である。1974年に原子炉から放射能が漏洩し、母港だった大湊港への寄港を拒否され、長年彷徨い、結果的に廃船となった経緯がある。


謹賀新年。

 今年は〈卯(ぼう)〉あるいは〈卯(う)〉の年、すなわち兎(と)・ウサギ年である。

 ウサギと言えば、まず白ウサギとなるが、実は、白ウサギは珍しかったらしく、中国の文献では、白兎(はくと)はめでたい兆(しるし)としてお上に献上するという記事が実に多い。

 一方、狡賢(ずるがしこ)い奴(やつ)というイメージがある。兎(うさぎ)を捕らえようと思っても、3つの隠れ穴を持っていて、すばやく逃れてし まう「狡兎三窟(こうとさんくつ)」。というふうに難(なん)を免(まぬか)れるのが上手という比喩に使われている(『戦国策』斉策四)。

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昨日から僕の家の囲炉裏部屋の床張りが始まった。素材は鏡村の川村さんが自伐、製材した木材を自宅のプレーナーでカンナがけした檜材。施工は床張り 職人を目指す江草さん。自伐-製材-施工の工程を仲間同士でやれば、どうなるのか。本日午後5時すぎ。床張りは終了した。明日の朝、表面に磨きをかけても らうことになっている。

川村さんが製材した檜材はそのままでは使えない代物だった。趣味の領域で製材したから厚さも幅もまちまち。それを厚さ20mm、幅100mmと150mm に整えるのにけっこう苦労した。製材所の大型機械を使えばあっという間に出来上がるのだろうが、長さ3000mmの檜板40枚をそろえるのにほぼ2日間かかった。

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3月11日(金)午後7時から
テーマ:友愛の経済学
場所:はりまや橋商店街イベント広場

1990年代から世界経済を席巻するグローバリズムとは何か。12月にテーマとして取り上げたことがある。国単位の経済からボーダーレス化が進み、企業は相次いで合従連衡し巨大化した。その結果、企業は国家の呪縛から解き放たれて、もはや国家は巨大企業の行動をコントロールできなくなっている。

そのグローバリズムがもたらしたのは貧富の格差である。90年代に日本の労働コストが世界トップレベルであったのは確かだったが、いつの間にか、先進国で最下位に低迷している。

oharamagosaburo.jpg1998年1月26日(月)
共同通信社経済部 伴武澄
  1992年11月、クラレの臼倉嘉男さん( 現クラレインテリア社長) と北陸から東京へ向かう列車で同席、企業のフィランソロピーについて話し込んだ。またまた古い話だが、取材ノートに赤丸が付いている。当時は株価や地価の下落は始まっていたが、多くの企業はまだまだ余裕があり、経団連などでも社会貢献委員会が設立されるなど「企業フィランソロピー論」が華やかだった。何かの企画記事で使えると思っていたが、日本経済は1ドル=100円を超える円高で尻に火がつき、やがて金融不安で屋台骨が揺らぎ始めた。結局、この話は出番を失った。

 クラレは他の企業のやらないことを愚直にまでやってきてようやくここまで来た企業だ。1980年代に抗ガン剤を世に出して株価が4桁になった。フローの実力でなかったのは、その後の株価が示している。もはや競争力を失ったとされる繊維業界のなかで唯一、経常利益が営業利益を上回っている。増益基調は何年続いていつか知らない。一株利益は1997年3月期で33.7円。東レや旭化成をはるかに凌ぐ。業界でもダントツである。
2005年02月16日(水)
萬晩報主宰 伴 武澄
 先週、東京の中野ZEROで「石井のおとうさんありがとう」という映画を見て、久々に涙した。明治時代、福祉という概念さえない時代に、3000人の孤児を育てた石井十次という人物の物語である。

 石井十次のことは戦前の修身の教科書で「縄の帯」として紹介されていたから年配の方には懐かしい名前かもしれない。2月2日に書いた「ラフカディオ・ ハーンの書いた稲むらの火」でも考えたことだが、情操教育はもっぱら欧米の人物ばかりに頼ることとなっているのは残念なことだと思う。戦後教育は日本が世 界に誇りとできる人物までも消し去ったのである。
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3月04日(金)午後7時から。
テーマは「石井のおとうちゃんありがとう」
場所ははりまや橋商店街のイベント広場。

明治から大正にかけて福祉などという概念さえなかった時代があったが、それでも困った人々を救う動きがなかったわけではない。岡山に石井十次という医学生 が始めた孤児院は倉敷紡績の大原孫三郎の心を揺さぶり、社会運動の大きなうねりの先駆けとなった。社会福祉は何も行政の専売特許ではない。そもそも民間か ら始まったものを行政が国民の税金で行うようになったのだ。そう考えると歴史は面白い。教科書で学ぶ歴史は国や行政が中心になっているが、本来は国民が自 らの意志で始めたものばかりなのである。国づくりもまた同じで我々が言い出さなければ、何も始まらないことを改めて知る必要があろう。

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