2016年1月アーカイブ

 龍谷大学の先生をしている友人に高知で夜学会を開いていると話したら、僕もそんな学会を開きたいと言っていた。「違う、夜学の会だ」と言って大笑いになった。多くの人は勘違いしやすいが、あくまでも素人が学び合う会なのだ。

 僕は外大を出て、新聞記者で経済を専門にしていたから、法律はど素人に近い。学生時代、法律ほど面白くないものはないと思っていたが、記者になるとまず最初に刑事訴訟法を知らなければ仕事にならないことを知った。まず警察が容疑者を「逮捕」するとな何か、そして警察が検察に「送致」する。さらに検察が裁判所に「起訴」する。そんな基礎的用語から学ばなければならない。身近なところから教えてくれれば、もう少し勉強したのにと残念に思う。

 不思議なもので3カ月もすると警察官の話していることがすんなりと入ってくる。実務が大切だということだ。記者が軽率というか軽薄なのは、学者の世界からすれば生半可な知識で分かったような顔をして、記事を書くということだ。そんなことを30何年もやってきた。
 一昨年、土佐山アカデミーに3カ月参加して、自由民権時代の高知に夜学会というものがあったことを知った。西川という集落に今も和田三郎邸が残っていて、山嶽社という夜学会が夜な夜な開かれていた。

「こんな山の中で大人の学舎があったのだ」という感慨があった。その後調べてみると、高知県に反政府系の夜学会が150カ所、もちろん政府を支持する夜学会もあって、その数50。併せて200カ所もの夜学会があった。年間365日だからほぼ一日おきにどこかで夜学会が開かれていたのだから、そのエネルギーはすざましかったと言わざるを得ない。

 先週、金曜市で露店を開いていたところ、ケーナ吹きの村島さんが空き店舗で人を集めて音楽をやっていて楽しそうだなと思った。ひらめいたのはその空き店舗で夜学会を開いたらどうだろうかという思いだった。商店街の理事長の山本さんに相談したら、「どうぞ」ということになって、今夜の開催となった。

1月15日(金)のテーマは「海にはワニがいる」
はりまや橋商店街の「めろでぃー」で午後7時から。

第37回夜学会は最近読んだ『海にはワニがいる』の感想みたいな講義となる。自分の生まれた国で生きて行けないほどの圧迫を受けた少年がアフガニスタンを 脱出後8年かけてイタリアに到り、ようやく心の安寧を得るという希有な冒険物語である。問題は実はそれがアフガンでは『希有』ではなく、日常的な出来事で あるという点である。そんな出来事がファンタジーのように聞こえるのがのうてんき日本なのだということに気づくあなたはまだ正常な神経を持っているはず だ。



20160115.jpg

明日15日は今年初めての金曜市露店。シイタケは終わりだし、さて何を売るか、年明けから考えてきたが、妙案などあるはずもない。

悩み抜いていた今朝、山の仙人から携帯がなり、「今日は来るがかよ」と問われた。「はい、昼飯を食ってから行きます」と答えたものの、悩みが解決したわけではない。鏡村に入って、いつものようにクレソンを取った。

「あっそうだ」と気付いたのは、セリが生え始めていることだった。ついでにセリも収穫した。帰りに川縁でフキノトウを探した。「ない、まだ季節でないんだ」。そう納得していたところ、また仙人から携帯がなった。
「どこにいるぜよ」
「川縁でフキノトウを探しゆうところです」
「今行くから待っとちょりや」。

2015.2.20のはりまや橋夜学会「国とは何か」5-1
https://www.youtube.com/watch?v=9zcSyLyFWwg&feature=youtu.be
2015.2.20のはりまや橋夜学会「国とは何か」5-2
https://www.youtube.com/watch?v=Do6Mg2ql1lk&feature=youtu.be
2015.2.20のはりまや橋夜学会「国とは何か」5-3
https://www.youtube.com/watch?v=bcjPUXJIaDg&feature=youtu.be
2015.2.20のはりまや橋夜学会「国とは何か」5-4
https://www.youtube.com/watch?v=Iht_mEPkzVs&feature=youtu.be
2015.2.20のはりまや橋夜学会「国とは何か」5-5
https://www.youtube.com/watch?v=jAp_b2Q3wQA&feature=youtu.be

「隣人の顔を美しくする運動を道徳と呼ぶ」。賀川豊彦は時々、ハッとするフレーズを書いて残してくれている。人生を美しく生きることが最大の芸術だ ということには大いに共感するが、隣人の顔を美しくすることまでは考えなかった。賀川にとって道徳もまた芸術のひとつの形態なのだ。そして芸術を突き詰め たところに神があるという考えもまた分かるような気がする。

  一〇四 芸術至上主義

 芸術至上主義に私は必ずしも不賛成ではない。美の為に凡てを犠牲にすると云ふ、その大きな努力に私の帽子を取りたい。只、今日までの芸術至上主義は、感 覚の美のみを主張して魂の美に就て考へてくれることが非常に少い。個人の美を考へて、団体の美を考へて呉れない。感覚の美は快楽主義に傾き、個人の美は我 儘に陥る。
 従つて凡てを犠牲にして美のみを追求すると称する所謂芸術至上主義者の中には、我儘な快楽主義を芸術至上主義と取り間違へて居る者がある。永遠の美は全 人生活の精神に依つて始めて、持ち来たらされるものである。私は感覚の美を否定しない。併し感覚の美だけが美の全部ではない。魂の内側に永遠の美を宿すこ とも、美の大事な要素である。美は進化する。自分の顔だけが美しく、隣人の顔が汚れてゐる間は、美は半分しか地上に来て居らない。隣人の顔を美しくする運 動を道徳と呼ぶ。全人生活に於ては道徳もまた芸術の一要素を形造る事を忘れてはならない。

2016年 頌春

user-pic
0
20160101.jpg

このアーカイブについて

このページには、2016年1月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2015年12月です。

次のアーカイブは2016年2月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

月別 アーカイブ

ウェブページ