「人生エンターテインメント」が毎日新聞に掲載

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20151223mainichi 001.jpg定年後Uターン、炭の露店が人気の元共同通信記者、伴武澄さん /高知おきゃくトーク

毎日新聞2015年12月23日 地方版

 都会を離れ、高知の自然の中で暮らしや人生を見つめ直す人がいる。共同通信記者として東京などで活躍した伴武澄さん(64)もその一人。定年退職後の2011年、出身地の高知に移住して炭作りに目覚め、商店街に出した露店は人気を集めている。毎週金曜夜に開く市民の勉強会「はりまや橋夜学会」は30回を超えて続く。高知暮らしの魅力を聞いた。【最上和喜】

 −−長い間、記者を勤めました。


 ◆はい。父が外交官で、転勤に伴って海外で暮らすことも多かったんです。14歳で南アフリカに渡りましたが、アジア人に対する人種差別が厳しかった。世 の中の不条理を肌で感じたことが、記者を目指したきっかけでした。大学を出てから共同通信社に拾われて、東京や大阪で経済畑を歩んできました。30代半ば で大蔵省を担当していた頃などは、仕事を終えて朝の4時に帰宅し、その2時間後には会社役員などの出社に同行する「朝駆け」に向かうなど、昼も夜もない生 活をしていたこともあります。

 −−都市圏を抜け出して高知に移ったのはなぜですか。

 ◆私は11年に定年を迎えまし た。移住のきっかけは、やはり「3・11」でしょう。当時は東京に暮らしていましたから、福島第1原発事故に対する不安もありました。それから、昔から 「ものづくり」が好きでして。「老後は農作業でもしながら、家の床張りくらいはできるような技術も身につけて生活したい」と考えていたこともあって、古里 に帰ることを決めました。高知では「土佐山アカデミー」の2期生として3カ月間、山暮らしを体験しました。

 −−高知ではどんな暮らしをしていますか。

  ◆なかなか自由ですよ。まず、アカデミーの仲間たちと「炭焼きでもしよう」という話になって、13年秋に土佐山に炭焼き窯をこしらえました。別に、電力を 賄えるほどのエネルギー源を作ろうというわけではありません。他者に依存し過ぎず、少しでも自分の力で生きてみたかったのです。そうしてできた炭を、はり まや橋商店街で売ったところ「切り口が美しい」と評判になりました。今年1月からは月3回のペースで「はりまや橋夜学会」を開いて、多くの人とさまざまな 分野で語り合っています。テーマは「アジアと土佐」「国家とは」「憲法とは」「伊勢神宮」「象徴としてのリンゴ」など多岐にわたります。

 −−楽しそうですね。ずばり、高知暮らしの妙味とは。

  ◆自分の世界が広がっていくことです。私は専門分野を外れたら、雑草の名前一つ知りませんでした。お金を出してレジャーランドに行くのも良いが、炭焼きや 山菜採りをするのも、なかなか勉強になるものです。私のモットーは「人生エンターテインメント」。他者を楽しませたいし、自分だって楽しみたい。そのため に、何をすべきか、何ができるか、考えながら生きています。

 ■人物略歴
ばん・たけずみ

 高知市出身。父は日中関係の基礎を築いた外交官として知られる元駐中国公使の故・伴正一氏。東京外語大卒。元共同通信記者。著書に「日本がアジアで敗れる日」「コメビジネス戦争(ウオーズ)−日本経済を動かす4兆円市場」など多数。

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このページは、伴 武澄が2015年12月23日 07:17に書いたブログ記事です。

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