「自由は辺境の土佐より発した」と言われたい!

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1890年、明治23年9月15日、土陽新聞に掲載された挿絵。着物姿の女性が背に担ぐ旗に「自由」の文字がある。何のことはない。ニューヨークの自由の女神のコピーである。日本の辺境にあった土陽新聞の絵師が地球の裏側の完成間もない記念碑を知っていたのだから驚きだ。

「自由の女神像はアメリカ合衆国の独立100周年を記念して、独立運動を支援したフランス人の募金によって贈呈され、1886年に完成した。」(Wikipediaから)

松岡館長に案内されて、自由民権記念館を改めて見学した。何度も通っている場所だが、行く度に新しい発見がある。というより、人間の目は節穴だらけであることを示している。

「自由は土佐の山間より」の出展でも発見があった。

植 木枝盛らが執筆した立志社の機関紙「海南新誌」の創刊号(明治10年8月15日号)緒言の最後に有名な「自由は土佐の山間より」の文言がみつかった。山間 はどこなのかという論争があるが、この緒言を読むかぎり、「土佐の山間=辺境の地である土佐」という意味でしかないようだ。

・・・欧州ノ人ノ日ク自由ハ独乙ノ深林ヨリ芽出セリト。亦何ソ必シモ文物開ケサルモノヲ憂ヘンヤ。夫レ土佐ハ日本國中ニ在テ殊ニ避遠ニ属シ古来王化善ク及ハス。文物モ亦善ク聞ケス。ト雖モ而亦間却テ人材傑出シ元気ノ存スルアリ。然ラハ、則今ヨリノ後民聲
大ニ興リ、自主玆ニ長シ天下ノ人稱シテ自由ハ土佐ノ山間ヨリ發シタリト云フ¬アルニ至レハ吾儻ノ雑誌モ亦始テ空シカラサルニ歸スルト爲ンノミ

現代語に直すと以下の通りとなる。

・・・ 欧州の人は「自由はドイツの深林から芽生えた」と言う。必ずしも文明が発展していないことを憂う必要はない。土佐は日本でも殊に辺境にあり、王権の支配す らよく及んでいなかった。文明も発展していないが、却って人材が傑出して元気がある。これから民衆の声が大いに興り、自主の思想が発展し、天下の人々から 「自由は土佐の山間より発した」といわれるならば、我が党の雑誌も存在価値があるというものだ。


「自由は土佐の山間より発した」のではなく、「「自由は辺境の土佐より発した』といわれたら雑誌を出す価値がある」という願望にすぎないのである。

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このページは、伴 武澄が2015年9月22日 23:27に書いたブログ記事です。

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