2015年9月アーカイブ

9月25日(金)午後7-8時
はりまや橋商店街イベント広場
「テーマ」税金の話
講師:伴 武澄

僕たちが知っている一番古い税制は「租庸調」。租税という言葉がある。普段耳慣れた租と税はどう違うのか。実は面白い歴史がある。それから江戸時代「五公五民」という言葉があった。なぜそんな言葉が流布されたのか。明治になって税金は地租となった。「五公五民」と「地租」とどう違うのか。そもそも、僕たちが取られている所得税はいつ始まったのか。何も知らずに税金を取られては面白くない。秋の夜長、租税の歴史を振り返り、国家とは何かを考えたい。
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1890年、明治23年9月15日、土陽新聞に掲載された挿絵。着物姿の女性が背に担ぐ旗に「自由」の文字がある。何のことはない。ニューヨークの自由の女神のコピーである。日本の辺境にあった土陽新聞の絵師が地球の裏側の完成間もない記念碑を知っていたのだから驚きだ。

「自由の女神像はアメリカ合衆国の独立100周年を記念して、独立運動を支援したフランス人の募金によって贈呈され、1886年に完成した。」(Wikipediaから)

9月18日(金)午後7-8時
はりまや橋商店街イベント広場
「テーマ」立志社と夜学会
講師:伴 武澄

高知市自由民権記念館の松岡僖一館長に会ってきた。「ホンモノの夜学会」の顔を見に行ったのだが、本当はどちらがホンモノでもどうで もいい。夜学会が一つでも多く高知で開催されることになったら本望なのだ。裾野からもう一度、自由民権運動を起こさなければ、この国は救われない。板垣退助が高知に立志社を立ち上げ立志学舎をつくったのは明治9年のこと。7、8人の 教授陣はすべて、福沢諭吉の慶應義塾の塾生だった。というより、三顧の礼で片田舎の高知に来ていただいたといっていい。立志学舎の生徒は10歳から25歳 の青年だったが、慶應義塾の塾生たちは英語の教科書を持ち込み、英語で授業を始めた。高知の田舎者たちは驚いたに違いない。ただたじろぐことはなかった。数年のうちにジョン・スチュアート・ミルやギゾーの原典を読みこなすようになったというのだから驚きである。
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今日、午前中に高知市自由民権記念館の松岡僖一館長に会ってきた。「ホンモノの夜学会」の顔と見に行ったのだが、本当はどちらがホンモノでもどうで もいい。夜学会が一つでも多く高知で開催されることになったら本望なのだ。奇しくも今日、参院特別委員会で安保法制が可決した。どうして政府が暴走するの か考えるに、根本のところ、日本の民意が薄弱なのだと考えている。裾野からもう一度、自由民権運動を起こさなければ、この国は救われない。

実は民意だけでは足りない。政治に人材を供出できる体制も不可欠だ。板垣退助が高知に立志社を立ち上げ立志学舎をつくったのは明治9年のこと。7、8人の 教授陣はすべて、福沢諭吉の慶應義塾の塾生だった。というより、三顧の礼で片田舎の高知に来ていただいたといっていい。立志学舎の生徒は10歳から25歳 の青年だったが、慶應義塾の塾生たちは英語の教科書を持ち込み、英語で授業を始めた。


Apple_logo_black.svg.pngスティーブ・ジョブズが仲間とつくったコンピューターの会社にAppleの名を付けたのは、ジョブズがビートルズのファンでApple Recordにあやかったという説がある。ビートルズのレコード会社の命名についてはよく分かっていないが、旧約聖書の中のアダムとイブを意識したに違いないと言われている。聖書にはアダムとイブが食べたのは単に禁断の実とだけあり、Apple とは書かれていないが、誰もがその実をApple と認識している。

Appleのロゴのリンゴがかじられているのは、「かじる=bite」とコンピューターの単位である「bite」をもじったものだ。
新聞が発生したのはなぜか、考えている。初期の新聞は当然ながら政治新聞だった。権力に対して異論をとなえるのが新聞の役割だった。横暴な権力に対して新聞が辛辣な批評を加えるたびに、市民は溜飲を下げたのだった。民主主義が台頭して、新聞の役割はますますおおきなものになった。

だからメディアが反権力なのは当然なのである。反権力でない新聞は誰も見向きもしなくなる。明治時代に政治新聞が発展して、権力側のスキャンダルが掲載されるようになり、ますます市民の新聞に対する期待は大きくなった。その象徴が黒岩涙香の萬朝報だった。

だが、戦争という特殊な状況になると新聞の役割は一転する。自国の勝ち負けがかかる時代になると、好戦的な新聞が人気を博するようになる。関西のスポーツ紙が負けても阪神タイガースの記事を一面に載せるのと似た状況になってしまう。
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9月11日(金)午後7時からです。テーマは予告通り「リンゴ」。
場所は、はりまや橋商店街イベント広場。

日々、なにげなく食しているリンゴ。フランス語、イタリア語ではポム。英語ではアップル。アダムとイブから始まって西洋社会では、知恵の果物とされる。な ぜ、ビートルズはアップル・レコードを立ち上げたのは、スティーブ・ジョブズはコンピューターの会社をアップルと命名したか。香港での民主化を目指した新 しい新聞の名もまたアップルだった。
リンゴの意味をさぐる旅は10年以上になる。まだまだ途上ではあるが、みなさんと一緒にリンゴを語りたい。

ジャガイモ、トマト、そしてリンゴ(2)

20150909.jpg  徳島で幼少年期を過ごした社会運動か・賀川豊彦(1888-1960年)を通して平和を考える講演会が、鳴門市賀川豊彦記念館であった。NPO法人賀川豊彦記念・鳴門友愛会の主宰。元共同通信社記者で国際平和協会会長の伴 武澄さんが「死線を越えて-賀川豊彦の平和論」と題し、賀川が描いた理想や平和のあり方などについて話した。用事は次の通り(撫養佳孝)

 賀川豊彦との出会いは自分にとって大きな転機だった。それまでは日本も普通の国家になるべきで、普通の国家が戦うのは当たり前。国民が戦場へ行くのは義務のようにもっていた。それが賀川との出会いによって、ちょっと違うと思うようになった。
 賀川との出会いは15年前に「世界国家」という雑誌をよんだことにさかのぼる。賀川豊彦が10年ぐらいにわたって精魂込めてつくった雑誌で、読み始めると、すごいことがいっぱい書いてある。 
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10年も前の話であるが、津支局に勤務していた時、北畠神社を訪ね、近くにあった美杉ふるさと資料室で金色の日の丸を発見した。後醍醐天皇の南朝は三色の日の丸をつくったと説明があった。金と銀と赤だったようだ。

北畠神社は北畠顕能が伊勢国司となって統治した霧山城の麓にある。西の山を越えると吉野、その吉野に後醍醐天皇が朝廷を置いた賀名生(あのう)の里があ り、そこには赤の日の丸が残っている。もう一つ、銀色が見付かれば、日の丸のなぞも解けるかもしれない。たぶん、軍旗として使われ、大将の位によって色分 けされたのだろうと想像している。

北畠家は戦国大名として200年にわたり伊勢に君臨したが、元は源氏や平家と同じく、天皇の血統を引き継ぐ家柄であるから、金色の日の丸が残っているのだろう。賀名生の赤の日の丸は堀家に残るものだが、格が低かったのかもしれない。

北畠顕能は南朝に尽くした親房の三男である。面白いことに、霧山城、吉野、そして楠木正成の千早城は東西ほぼ一線にあり、山を越えて連携していたはずで、親房が常陸に逃れた時は伊勢から船に乗ったのである。

yagakkai150904.jpg9月4日(金)午後7-8時
はりまや橋商店街イベント広場
「テーマ」直流と交流
講師:伴 武澄

日々、当たり前のように使っている電気。百数十年前にエジソンがニューヨークで電球をともしたところから始まる。電気があることはすでに知られて、日本でも平賀源内がエレキテルの実験をしたことは日本人なら誰でも知っている。電気に+と−があることもみんな知っている。自然界の雷もまた電気であり、+と−がある。そう電気は本質的に直流なのだ。エジソンも直流で電気を起こし、日本初の電気も直流だった。そこへ天才テスラが現れる。東欧からフランスを経由してエジソンのゼネラル・エレクトリック社に入って、交流なるものを発明する。電気を長距離輸送するには直流ではエネルギーが減衰するため、交流の導入を提起する。そして起ったことは・・・・。
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高知市の自由民権記念館で10月から「ホンモノの夜学会」が開かれるそうだ。高知で夜学会が広がるのはいいことだ。というより、そうなってほしいと思って1月からはりまや橋夜学会が始め、今も毎週続いている。

高知は産業的に恵まれているはいえない。観光資源だって大した国宝があるわけでなく、海と空と川と山しかない。歴史も長宗我部を溯るものはほとんどない。
だから、龍馬に集中する。

だが、鉄道もない明治の初期に全国の民権家が高知詣でをした。自由民権のメッカとして高知が知られた時期があった。高知から新しい考え方が多く発生した土壌に夜学会があったはずだ。切磋琢磨された議論なしに新しい発想はない。松岡館長にはぜひとも頑張って欲しい。

夜学会が高知市内各地で開催されるようになれば、全国の論客が道場破りにやってくるはずだ。桂浜の龍馬さんを見に行かなくとも、アドレナリンが体中に充満すれば、高知に来たかいがあるというものである。

2005年01月08日(土)
萬晩報主宰 伴 武澄
 燃料電池車の開発が最終段階に入っている。自動車のエンジンをばかにしてはいけない。カローラクラスで100馬力のエンジンは当たり前だが、馬力を電力に換算すると約75キロワット。

 1・5トンの車体を自在にあやつるにはそれだけの馬力が必要だということだが、平均的家庭の電力が3キロワットといわれているから、1台の乗用車が民家25件分の発電能力を持っているということでもある。

 仮定の話だが、日本には自動車が8000万台ある。それぞれが25件分の発電能力を持っているとすれば、掛け算で20億件分ということになる。これはす ごいことなのだ。現在、日本人が保有する自動車だけで、日本の10社の電力会社の総発電能力をすでにかるく上回っている。
2005年01月07日(金)
萬晩報主宰 伴 武澄
  イタリアのコモ出身のアレサンドロ・ボルタが電池を発明したのは1799年。ナポレオンが支配した時代でイタリアという国はまだなかった。そして1832 年、フランスのピクシーが手回し直流発電機を発明する。その発電機に電流を流して回すモーターは1834年、アメリカのバーモント州のサマリーとデーベン ポートによって開発される。ここまで電気は直流のことだった。

 そもそも交流が普及したのは、エジソンが1879年、白熱電球を発明してからのことなのだ。

 しかしエジソンが白熱電球の実験をしたのは直流だった。一般家庭で電球を灯すためには電気が必要だったが、当時はまだ電気が"供給"されていなかった。そこでエジソンはニューヨークで電線を引いて電気を供給する事業を開始した。もちろんそれは直流だった。

 交流発電機はエジソンの部下のニコラ・テスラによって実用化された。エジソンはかたくなに直流方式を主張したが、事業化でテスラの交流を採用したのはライバル会社のウエスチングハウスやトムソン・ハウスだった。
2005年01月06日(木)
萬晩報主宰 伴 武澄
 電気には直流と交流がある。学校で習う電気の授業はすべて直流なのに、社会や家庭は交流ばかり。なんでだろうって考えたことはないだろうか。

 昨年末、三重県にある燃料電池の実証装置をみせてもらった時、発電する直流を交流に直すのに6%の電力ロスがあると聞いた。電球とモーターを使用する家 電製品以外は家電製品の中でまた直流に直すからさらに6%のロスが生まれ、行って来いで12%のロスが発生することを知った。

 12%もロスがあるのなら、そのまま直流で使えば、地球環境の上でも大きなメリットがあるはずだ。現代社会を維持する上で12%ものエネルギー削減はほとんど不可能なことだが、直流で使えば、その不可能なエネルギー削減が可能になる。

 これはすごいことだ。そう思って、中部電力の技術者に問い掛けた。
次はこの技術者との問答である。
 土佐一人新聞を書いている三好朝男さんから最新号が届いたので、転載させて貰う。
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 公務員給料が2年連続増になる    三好朝男

 公務員は国民から徴収した税金から給料を貰っている。だから、税金を納めている民間並みの給料ベースに成るよう人事院が民間の平均を計算し、政府に勧告して、公務員の給料が決まっているそうだ。つまり民間と同じだという建前である。 
 この民間平均をラスパイレス指数と言う。だけどどうも変な話で、どう考えても高過ぎる。特に高知等の田舎では、公務員並みの給料を払っている民間企業など、極一部でしかない。
 そして片や、国税庁が毎年、国民の給料調査結果を出しているが、昨年1年間通じて勤務した5422万人の民間給料は平均で408万円だと発表した。そしたら、公務員の650万円は、高いと感じませんか。
 この矛盾、つまり人事院の出す民間平均と、国税庁の民間平均が何時も違うと、県の人事委員会の職員を、高知の経済同友会に呼んで、質問した事がある。

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