2015年1月アーカイブ

20150124.jpg 昨夜は高知市のはりまや橋商店街の空き店舗でで夜学会を開催し、「高知から見る東アジア」と題して講演した。参加者は15人ほどだったが、道行く人がガラス越しに「何をしているのだろうか」といった風情でのぞき込んでいた。高知から133年に夜学会が復活した記念すべき夜となった。

 その前の夜に飲み屋で出会った地元新聞の記者に「明日、夜学会をやるんだ」と話したら、「それは面白い、ぜひ参加させてもらいます」との返事だった。かつての自分を含めて記者などという稼業は口先稼業で信頼がおけないのだが、くだんの記者はちゃんと時間前にやって来て取材を始めたから、逆に困った。

201501241.jpg 夜学会を発足させるのにいきさつも何もなかった。主催者も決めたわけでもない。面白いと思ったことを一週間後に実現させたまでのこと。口コミでそんな試みが広がったら・・・。そんな思いだけがあった。

 今日の講演というか話は、自分の南アフリカでの経験から語り、最近の日中間でとめどもなく広がるそしり合戦をなんとかやめなければいけない。多少は兄貴格の日本が自重すべきだという論調だった。

 高知新聞が24日夕刊で取り上げてくれた。

 高知市に市民有志の学びの場「夜学会」復活 自由民権運動の原動力

 明治時代に地域住民が集まって社会の在り方を議論した「夜学会」が現代の高知市に復活した。市民有志が主催し、1月23日夜は元共同通信記者の伴武澄さん(63)=高知市=が講演。参加者は日本とアジアの関係について考えた。今後も1週間に1回をめどに開催する予定。
 夜学会は明治期、高知県内各地で開かれ、住民たちが自由民権思想を学ぶ自主学習サークルの役割を果たし、自由民権運動の熱を高める原動力となった。

 おしまいに、2006年に僕が書いたコラム「他国を譏らない愛国でありたい」について話した。

 以下にその時のコラムを再掲する。

 司馬遼太郎さ んの小説『菜の花の沖』を読んでいてなるほどと思わせる一節があった。19世紀、日本がまだ開国に到らない時期、淡路島の水夫から身を起こし、蝦夷地と上 方とを結ぶ大回船問屋に発展させた高田屋嘉兵衛の一生を描いた小説で、愛国心ということについて語っている。

「愛郷心や愛国心は、村民であり国民である者のたれもがもっている自然の感情である。その感情は揮発油のように可燃性の高いもので、平素は眠っている。それに対してことさら火をつけようと扇動するひとびとは国を危うくする」

 なにやら昨今の日中韓でのいがみあいに似てはいないだろうか。そのむかし筆者も日本ほど愛国心の足りない国民はいないのではないかと嘆いたことがある。 だが、このところ台頭している"愛国"的言動についてはちょっと待てと言いたい。司馬さんが書いているように「ことさら火をつけようと」しているような気 がしてならないからだ。

 司馬さんは小説の中で主人公の嘉兵衛に「他の国を譏(そし)らないのが上国だ」とも言わせている。なかなか含蓄がある。中韓が日本を譏り、そして日本が中韓を譏る。そんな構造が生まれている。

 靖国参拝問題で小泉純一郎首相が偉いと思っていたのは、これまで中韓の批判に対してほとんど何も言わなかったことだった。他国の批判を無視することはなかなか難しい。腹も立つこともあるだろうに、じっと我慢しているのだろうなと考えていた。

 ところが、つい最近になって小泉首相は中韓の批判にまともに反応するようになった。4日の年頭会見で「外国政府が心の問題にまで介入して外交問題にしようとする姿勢が理解できない」と語ったのだ。

 朝日新聞はよく5日朝刊の社説で「私たちこそ理解できぬ」と首相発言を問題視した。それに対して産経新聞がさらにかみついた。朝日が「全国の新聞のほと んどが参拝をやめるよう求めている」と書いたことに対して産経抄は「読み返すほどに身震いがくるような内容」と怒りをあらわにした。「『全国の新聞 が.........』というのは誤植ではないかと何度も読み返した」「『私たち』とは誰なのか」とほとんど煮えくり返る思いのたけをコラムのたたきつけた。

 どっちもどっちだ。中韓におもねるほど非国民にはなりたくはないが、だからといってこんなことで愛国心に火をつけられてはかなわない。期待として日本はアジアの「上国」でありたい。

 もちろん「上」は上下の上ではない。品性といった意味合いである。
bantakezumi2014.jpg自由民権運動は維新後、高知に産声を上げた。多くの運動家、思想家を排出した陰に「夜学会」という学舎が高知県の各地に生まれたことは意外と知られていない。  自由にものを語り、主義を主張するという幕府時代にはなかった風潮が突然、高知の地に生まれ、燎原の火のごとく全国に広まった。全国の自由民権を求める牛耳がこの高知県にフォーカスされた時代だった。  自分たちが思う存分楽しむという高知の県民性はその時代に育まれたのだと考えている。1月23日から始める「はりまや橋夜学会」はその伝統を引き継ぐ試みである。 「自由は土佐の山間より出ずる」というスローガンをもう一度掲げる時が来た。ご支援をよろしくお頼み申す。

 1月23日(金) 午後7-8時
はりまや商店街 秋山酒店斜め前の空き店舗
講師:伴 武澄
テーマ:高知から見る東アジア

DSC_0617700.jpg高知に帰ってから知ったのは、かつて土佐山の西川という集落に山嶽社という夜学会があり、和田三郎という人物がいたことだった。和田三郎は自由民権運動において板垣退助を補佐し、『自由党史』を書いたことでも知られる。和田はまた孫文の中国革命にも共感し、雑誌や新聞を発行し、孫文の活動を側面から支援した。

和田の生家は「山嶽社」の看板を掲げ、西川の集落にひっそりとたたずんでいる。高知県で僕の最も愛する場所であり、僕が土佐山で活動をするきっかけになった場所でもある。

自由民権運動は維新後、高知に産声を上げた。多くの運動家、思想家を排出した陰に「夜学会」という学舎が高知県の各地に生まれたことは意外と知られていない。

自由にものを語り、主義を主張するという幕府時代にはなかった風潮が突然、高知の地に生まれ、燎原の火のごとく全国に広まった。全国の自由民権を求める牛耳がこの高知県にフォーカスされた時代だった。

自分たちが思う存分楽しむという高知の県民性はその時代に育まれたのだと考えている。1月23日から始める「はりまや橋夜学会」はその伝統を引き継ぐ試みである。

「自由は土佐の山間より出ずる」というスローガンをもう一度掲げる時が来た。ご支援をよろしくお頼み申す。
僕はずっと『デモは権力に対して「抗議」する行動だ』と考えてきた。昨今の内外の情勢はどうも従来のデモの常識から違うものになっているようだ。パリではEUの各国首脳までがデモの先頭に立ったからである。テロで亡くなった人たちを追悼する集会ならわかるが、テロを起こした集団に対して「デモ」をするという行為は何なのか、僕には理解ができない。国家権力を支持するものだったとしたら、中国などかつての共産主義国家で行われていた「デモ」と変わらない。

何やらきな臭い感じがするのは、誰かが敵をつくって愛国心をあおっている感じがするからである。
reimeiwoyobisamase.jpg賀川豊彦の随想集『黎明を呼び醒ませ』がなかなか面白い。昭和12年1月に刊行されているから、時代は中国国民党との戦争勃発の直前である。2年後には欧 州で世界大戦が始まる。書き出しの「序」には「師走のどす黒い憂愁が、日本の戸口を覗いてゐる」「不義は、愛国心の名を藉りて民族の霊魂の殿堂を脅す」と いった危機感を漂わせる。

「放浪民族の運命」の中でユダヤ人がなぜ世界から圧迫されるのかを書いている。まあ、知らないことの多さよ。

パレスチナの語源はペリシテ人の土地という意味で、旧約聖書の時代から存在する。現在のイスラエルとパレスチナに加えて、ヨルダン川東域をも含めた領域を示していた。

そのパレスチナに、モーゼが引き連れたエジプトのユダヤ人やってきて、初めて国家を建国した。ユダヤ人からすれば、約束された地、カナンということになるのだ。ユダヤ人はペシリテ人を蹴散らしてイスラエル王国とユダ王国という二つの国をつくり、数百年統治した。

先住民だったペシリテ人はエーゲ海全域に散って後のギリシャのミケーネ文化をつくった人々とされているらしいから面白い。

旧約聖書を読むと、カナン(パレスチナ)は「乳と蜂蜜の流るる郷」だったのだから、今のような一面砂漠ではなかったのだろう。そこでユダヤ人たちは壮絶な戦いを繰り返している。旧約聖書の一部はほとんど戦記に等しい。

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