2014年5月アーカイブ

60kenpoukaiseian.jpg この国の政治をみてきてずっとおかしいと思ってきたことの一つが「憲法解釈」である。憲法は政治家や公務員が守るべきことが書かれてあるはずである。本来はその時、その時の政権による「解釈」などあってはならないのだろうと思っている。

 小生もかつては憲法改正論者だった。理由は簡単である。自衛隊の存在である。国の政治の根幹をなす憲法に反する状態が長く続きすぎている。こんなことは子供にも分かることではないか。

 本来は最高裁が自衛隊が違憲かどうかを判断しなければならないのに、これまでその義務を怠ってきた。三権分立の一翼を担う最高裁の判事たちの罪は重いと言わざるを得ない。職務の放棄といっていいかもしれない。

 その代わりに、日本では自衛隊がどこまで武力を行使していいかを、内閣法制局が判断している。内閣法制局は内閣の一部である。その長官は「閣僚」の一人として首相が任命している(認証官ではないが閣議に陪席する)。憲法問題を内閣法制局が判断するのも間違っている。これでは日本に三権分立がないに等しい。

 タイの最近の事例では最高裁が首相の辞任まで求める権利があったことに驚いているが、三権分立とは司法が内閣の行動をチェックするシステムである。日本では最高裁で「違憲」とされた過去の選挙で選ばれた政権が憲法解釈にまで踏み込もうというのだから盗人猛々しいと言わざるを得ない。

   第二章 戦争の放棄

第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 日本国憲法にはどこの国にもない不思議な条項があるのだ。ことの善悪は別だ。陸海空軍を持たないと書いてあるのに世界有数の軍事力を誇る自衛隊が存在している。まず「前項の目的を達するため」という文面から「自衛のための陸海空軍は持っていい」との解釈がずっと人口に膾炙されてきたのだ。

 それも相手方が日本を攻撃した場合にのみ、自衛隊が出動できるという「専守防衛」が長年、憲法9条の解釈の中心にあった。

 歴史上ほとんどの戦争が「自衛」のために始められたことを忘れてはならない。そして勝った方が必ず相手方を成敗してきた歴史があることも忘れてはならない。

 安倍晋三首相は「日本人を乗せた米艦船が攻撃された場合、現在の憲法解釈では自衛隊がその相手国に対して攻撃ができないのでは困る、というようなことを言い出して集団的自衛権を認める憲法解釈を求めている。

 メディアによれば、自衛隊の幹部でさえ考えつかない「想定外」の事態なのだ。

 共同通信の世論調査によると、安倍首相が求める憲法解釈変更に51%が反対(賛成は39%)しているというニュースが5月19日に流された。

 本来、持ってはいけない自衛隊を持ち、専守防衛なら「個別的自衛権」つまり「交戦権」があるとしているのが政府の憲法解釈だが、「必要最小限」とはいえ、集団的自衛権を認めるならば、憲法9条は空文と化す。

 安倍首相が本当に集団的自衛権が必要だと判断するならば、堂々と憲法改正の手続きに入ればいい。政治家が本質を議論せず修辞学に翻弄されて終末を迎えた王朝がいかに多いか!

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2007年7月5日、逃亡中のタックシン(元首相)が、拓殖大学の客員教授として招かれて「産業と人間」という演題で講演を行った。
その際、次のような内容で自身の政策を振り返った。

、、、私は、"デューアルトラック政策"(注)を遂行した。
タイ経済は輸出だけではなく国内経済の成長が重要であり、よって農村経済の活性化を試みた。
大事なのは貧困を社会のポテンシャルとして捉えることであり、農民を生産者へと変えていくことだ。
網や釣竿を与え、魚の取り方を学んでもらう。
コンセプトは、「資本がない中でとうするか?」である。
これまでタイは農村によって支えられ、都市の発展を図ってきた。
だが、あらゆるものが都市に集積することで、
農村は益々疲弊し貧しくなっていった。
だからこそ私は資本を農村に戻す策をとった。
村落に融資し雇用を作り、経済発展を図ろうとした。
それが大分県からの「一村一品運動」の導入であった。

さらに、村の若者たちに奨学金を支給して人材の育成を図り、町にインターネットを普及させ、Eコマースを通じて村の作物を商品化していった。
医療サービスも充実させ、貧困問題を解決していくビジネスモデルを作り上げる。
無駄をなくし、収入を増やし、新しい機会を創出していく。
何故なら、村人たちはみんな勤勉だからだ。

しかし、私の考えは残念ながら都市の人びとと対立した。それは、予算が限られていたからだ。
私は都市よりも農村を優先した。貧困問題を解決していくためには、生産力を伸ばしていくことが大切だ。そうしなければ、タイは永遠に貧困から脱却できない。
、、、

(注)
末廣はタックシン自身の説明を引用し、「タイがその潜在的な国力や経済力を発展させていくためには、輸出の拡大と通貨の安定が不可欠であり、外国資本の呼び込みが極めて重要である。
しかし、外国資本の利益を蒙るのは都市部のビジネスだけである。
一方、農村部の『草の根経済』は、機会さえ与えれば十分発展する潜在能力をもっている。
したがって、彼らの能力を十分に引き出すために、政府は投資資金やマーケティングの面で支援しなければならない」とし、輸出戦略の拡大と共に農民層などの経済基盤を強化し、地域の特性を活かした地域活性化策を実施するなどの両面作戦政策のことであると述べている。
また、パースックとベーカーの著書Thaksinにも、その政策内容が詳しく述べられている。

(以上、「アジアの市民社会とNGO」134と153ページから抜粋)

DSCN0292700.jpg 誕生日の5月5日、友達の大工の林さんに誘われて、山間の津野町というところで山菜採りや川釣りをして楽しみ、夜は林さんが若いころから行きつけにしている床屋さんの実家で過ごした。家の前には茶畑があり、その向こうに渓流が流れる。

「アメゴなんてなんぼでも釣れる」という当主の言葉に勇んで渓流に臨んだが、成果は4人が3時間挑戦してたったの2匹だった。晩ご飯には足りないと思ったが、同窓会帰りの奥さんが焼きたてのアユを20匹ほど持ち帰ってくれた。

 ここらは標高が600メートルぐらいと聞いた。
高いのでまだ山桜の咲いている木もあった。夜はまだ寒く、5月だというのにストーブが焚かれていた。

 津野町は高知のお茶の生産地のひとつとなっていて、みずみずしい茶の木が一番茶の摘み取りを待つ美しい風景が広がる。

 高知県はよっぽどお茶の生産量が多いのかと思っていたが、調べてみると高知県の茶葉の生産は全国第15位だった。だがここらの古老の話では、植林したスギやヒノキを伐採すると真っ先に茶の木が生えるそうだから、もともと自生していたのかもしれない。

 高知県の以前は静岡茶や宇治茶に化けて売られていたが、産地をはっきりしなければならなくなり、県を挙げてブラン ド化を図っている。それにしても未だに50%までは他の産地の茶葉が入っていても産地を名乗れるそうなのだ。産地偽装が年中行事となっている国でまだおかしな制度が続いている。

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