2014年3月アーカイブ

mohansingh.jpg 四十年もの昔、私が藤原岩市少佐(現在中将〉と相携えて乗り出した危険ではあったが堂々たる冒険、そしてその間共に獲ち得た成果、共に分ち合った失敗の数々など、彼との結びつきの思い出や、又我々の愛国的闘争において結局体験が余儀なくされた屈辱さえも、今となっては私の生涯で最も素晴らしい一節となってしまった。

 藤原少佐は、北部マレイのジャングルに私を訪ねて来た最初の日本軍将校であった。共同作業開始後、日ならずして我々両者の間に完全な相互理解の誕生を見たのだが、第二次世界大戦中(一九三九~四五)我々がインド独立のため、極東において発足させた一大政治運動の檜舞台の中心へ私を押し出した日本軍機構の主因となったのも彼であった。そして又、我々両人の制御外にあった不可思議な運命の魔手によって、私が忘却の暗黒界へ葬り去られようとした時、私を訪れた最後の客人は、なんの因果の巡り合わせか、ほかならぬ彼であった。
5823.jpgこれから四国山地の山間の仁淀川町に行く。写真は役場が紹介している昨日の「ひょうたん桜」。明日 は義父の50日祭が彼の地である。遺骨の埋葬もする。この地はかつて大藪と呼ばれていたが、ひょうたん桜があまりに見事なものだから村人が地名を「さく ら」と改称した。いつもは4月に満開となるが今年ははやくも見頃を迎えつつある。

桜好きの西行が桜が咲くころにその下で死にたいと詩にしたが、義父もまた桜の花びらが散る中で土に帰ることになる。大往生といえないだろうか。

願わくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃
20140321.jpg 高知新聞で「ここにはかつて学校があった」という特集記事が隔週で掲載されている。今日の誌面は最終回で県西部編だった。それこそ、昭和30年に485校あった小学校がいまでは201校になっている。地図でも見ると当時は県下にまんべんなく広がっていた小学校の所在が市町村の中心部に偏在していることがわかる。

 小学校の設立は1870年代が圧倒的に多い。明治政府が1872年(明治5年)8月3日、学制を発布。1873年(明治6年)1月15日に設置された官立の東京師範学校附属小学校(現在の筑波大学附属小学校)を皮切りに、1875年には、ほぼ現在並みの約2万4千校の小学校が全国各地に設置されたという。
20140320.jpg  古ぼけた一冊の本がいまも本棚に眠っている。高校時代の夏休み、父親の赴任先だったイスラマバードを訪れた時、父親からもらった本である。今から半世紀も近く前のことである。子どもの頃、テレビで放映していた「怪傑ハリマオ」のファンだったことから、父親は「ハリマオって現存していたんだぞ」といってこの本をくれた。

 藤原岩一著『F機関』というタイトルだ。1966年の初版であるが、その後、何回か復刻されている。ハリマオが現存していた驚きは当然だったが、それより、インド独立に日本が大いに手を差し伸べた歴史が書かれてあったのは腰が抜けるほど驚かされた。そのおかげで、大学の卒業論文に「インド独立とチャンドラ・ボース」などというテーマに取り組むことになってしまった。

 物語は第二次世界大戦が始まる前からスタートする。当時、陸軍参謀本部にいた藤原岩一が突然、対イギリス戦を想定した東南アジアでのスパイ作戦に従事させられる。にわか勉強の末、バンコクに派遣されて、インド独立連盟との接触が始まった。

 

 開国前夜-田沼時代の輝き-を読んで(鈴木由紀子著)

20140318.JPG動物学でいうinprinting(刷り込み行動)というのは実に恐ろしいものだ。卵から孵った雛鳥が最初に見た生き物を親鳥と思い込むというあれだ。なぜ「刷り込み」かと云えば、田沼意次は賄賂を取った悪いヤツと小学校で教えられ、この齢まで悪いヤツとばかり思い込んでいた。自分の不勉強を棚に上げ刷り込みのせいにするは不届き千万と叱られるかもしれないが、表題の著書を読み進むうちまさにコぺ転、刮目、血沸き肉躍るような興奮を覚えた。

帝国の圧政に反旗を翻したアメリカ合衆国の成立、それに刺激を受けたフランス革命・・・一連の欧米の胎動は18世紀後半からである。その頃日本は鎖国政策の中で重い年貢米と大飢饉に疲弊しきった領民たち。彼らに一縷の希望を与えたのが田沼意次だった。開墾や新田開発に端を発する産業振興、雇用の創出、一連の経済政策から国造りの根本を見直す策に打って出た訳だが、単なるコップの中の掻き回しに終わらなかったのが田沼の凄い処だった。
20140311teishoji.jpg
20140312teishoji.jpg

Large.9781625645098.jpg敬愛するアメリカ人のヘイスティングさんが「Cosmic Purpose」を出版した。

何を隠そう、賀川豊彦の『宇宙の目的』の英訳だ。今、僕はその『宇宙の目的』の電子化を進めていてほぼ完成に近づいている。賀川が1960年に亡くなる数年前に脱稿し、毎日新聞社から出版した著作で、ある意味で賀川の人生観というか、宇宙観を書き表したものであり、今読んでも示唆に富む知見が溢れている。

毎日新聞社の本の表紙には「Purpose of Universe」とあるが、ヘイスティングさんの「Cosmic Purpose」の方がダイナミックはイメージがあっていい表題だと思っている。

https://wipfandstock.com/store/Cosmic_Purpose/
DSCN0159.JPG 財団法人国際平和協会は3月7日、青森県平川市で「Think Asia-先人たちが築いた絆を求めて」と題したフォーラムを開催した。共催は地元の高齢者ケアを行う社会福祉法人緑風会という異次元の組み合わせ。その夜、平川市の老人ホームは台湾と日本をつなぐ国際的雰囲気に包まれ、地元新聞記者も取材に訪れた。

 台北駐日経済文化代表処の政務部長である周学佑氏が地域が国際的交流を深める意義を説き、小生は烏山頭ダムを築いて台南の人々から今も慕われる八田與一の話をした。

 ことの起こりは昨年9月、国際平和協会が主催した台湾視察旅行に緑風会の役員や職員が参加したことだった、このことは以前にも触れたことがあるが、彼等が台湾で経験したことを地元の人たちや他の職員にも広めたいとの強い希望があり、地吹雪が吹き荒れる津軽の地でThink Asiaフォーラムの開催となった。

20140305.jpg お金を市中に多く流せば、企業が設備投資をして経済が活性化される。経済学の初歩である。アベノミクスは昨年来、空前の資金供給を行ってきた。経済実態以上に中央銀行がお金を印刷すれば、通貨の価値が下がるのもわかりやすい。

 この一年余、日本経済は急激な円安に恵まれ、企業業績は急速に拡大、株価も急上昇した。海外での売上高が円ベースでふくれた結果である。しかしながら、足下では企業の輸出が増えたわけではない。国内での設備投資が活性化したわけでもない。経済実態は何も変わっていないのに、この変わりようなのである。

 かつて、日本が円安誘導をしようと思ってもままならなかった。プラザ合意以来に日本の円高は日本の輸出競争力をそぐことに主な目的があった。主要国の圧力をバックに国際金融資本は円高に誘導してきた。過去に日銀が資金の大規模な流動性拡大を図ったときも、さして円安に誘導することはできなかった。背景に主要国の圧力があったからだろうと思っている。

 それが安倍政権になったとたんに、円安が進行したのはどういうわけであろうか。日本経済が世界の脅威でなくなった証といっては言い過ぎだろうか。

 
メディアの3D 弁証法的にメディアを考察する
龍谷大学教授 中野 有

「メディアはメッセージである」と語ったマーシャル・マクルーハンを日本に最初に紹介されたのが評論家の竹村健一先生である。メディアの第一線で半世紀以 上も活躍された竹村先生は、「日本の新聞を読むのは海外の新聞に載っているけれども日本の新聞に書かれてないことを探すことにある」と述べておられる。

日本で日本の新聞、テレビ、インターネット等のメディアばかりに接しているといつの間にか偏った考え方に陥ってしまうことがある。日本人という単一民族で 構成され社会で日本語だけでコミュニケーションしているとまるで世界は日本を中心に動いているとの錯覚をしてしまうのも当然のことかもしれない

このアーカイブについて

このページには、2014年3月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2014年2月です。

次のアーカイブは2014年4月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

月別 アーカイブ

ウェブページ