生きる力を感じた台北の4日間(2)  訪台団座談会

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  ここまで見せるか

 伴 ありがとう。今回のメインは少年鑑別所の参観だった。高齢者施設は国内でも見られるが、鑑別所はなかなか日本でも見られない。僕の第一印象だが、日本は隠そう隠そうとする傾向が強いのに、あそこではあっけらかんとしてここまで見せていいのかという感じだった。
 開放的ということは見られていいということで、自分たちに自信がなかったら出来ない。子どもたちに「日本から来たんだよ」っていったら手を振ってくれたりすることにみなさんも感じるところがあったと思う。

 成田 私はボランティアで青森の少年院の運動会に二回ほど行ったことがある。少年たちと走ったりしたが、部屋がどうなっているのかぜんぜん見せない。台湾ではきちんと案内してくれた。
 それは寶田さんが周到に準備してくれたからだろうと思うが、日本人だから見せてくれたのかなと思った。、台湾の人でもあそこまで見せてくれるのか疑問を持った。

  制約多いのか、依頼心が強いのか

 寶田 それはないと思う。よく民主主義と自由主義というが、人が自主的に自由を制御しない範囲でものごとができることが大切。あまり政府が国民を制約するとああいうことは出来ない。たとえばタクシーに乗ってみていると、道路にお巡りさんが大勢立っている。罰金を取ろうと思えばしない。あれはあれでいい。
 日本では止めればすぐ罰金、反則金の世界。制約が多いと一人ひとりの顔が見えてこない。本当の自由が個人が責任を持って工夫すること。今回、台湾を見て日本はつくづく自由が少ないと感じた。
 また日本では一人ひとりが生きていることが見えなくなってしまっている。中華民族はそもそもそうなのだろうが、見学した施設を見ても子どもを見ても老人を見ても、みんなそれぞれが楽しく生きている。
 感じたのは日本は本当の意味での自由がなくなっているんじゃないかということだ。常に制約があり、その制約を頼りに、つまり依頼心が強い。
 台湾のようにそれぞれの運用の自由度にまかせて、老人にしても子どもにしてもあれだけ笑顔で迎えられるすばらしさに感動した。根っこにあるのはお上があまりに人々を制約しているのか、人々が依頼心が強すぎるのか、どっちか分からないがそういうことを感じた。

 伴 成田さんが先っき「生きる力」と言っていた。いい表現だと思うがそれにつながるんではないかと思う。日本では自由のなさが足を引っ張っている。

  ガスボンベをバイクに!

 成田(男)生きる力と言ったのは、たとえば、今日行った淡水で町を見ていて、バイクがたくさん走っていた。一人で乗っている人、二人の人、三人、四人まで見かけた。台湾のバイクって何人まで乗れるのか疑問に思った。伴さんに聞いたら制限はないといった。バイクは移動手段であり、生活手段でもある。犬を乗っけて赤ちゃんまでおぶっている。それを見て台湾の人々はこうして生活していると感じた。
 それでも事故が起きるわけではなくて、ルールは守っていないかも知れないが、スムーズに流れている。
 道路端で休んでいたら、向かい側でバイクにガスのボンベを積んでいた。五〇キロボンベ二本も積んでいるから心配した。日本ではあり得ない。考えられないが、ここではそれで生活している。生きるために何とかしなければならない、そこに生きる力を感じた。日本は先に行っているところもあるが、もっと過去を思い起こして原点に戻って考えて生活する必要があると思った。

  違反は違反

 伴 重要な指摘をもらったんだが、また総論になってしまった。生きるためにということがお役人も分かっているから、たとえ規則があっても細かいところは見てみないふりをするんだ。ところが日本は事情がどうあれ違反は違反だとなる。規則通りやるのが正しいということがあまりに多く横行している。個々の実情を慮ったり、思いやったりすることが少なくなった。そういうことが普通の市民の間でも欠如しているだと思う、みなさん感じたのは。

  無秩序の中の秩序

 木村 私もそう思います。東京で言えば今日はアメ横みたいなところを歩いたが、規律を考えれば、これもだめ、あれもだめになるが、そういうのが緩和されているのかな。高齢者施設でね、働いている人たちがすごくなごやかにやっていた。やはり働くのは楽しく働かなければいけないと思う。規律、規律では困る。

 伴 いま思い出したが、秩序の中の無秩序。

 木村 そうそう、それが必要だと思う。老人も大切にしなければならないけど、働く人も大切という考えが必要だ。そういうのが台湾で見えた。

 伴 僕は賀川豊彦を学んでいるが、本の中に「人間は単に富を得るためだけに働くのではなく、労働は賃金を得るためだけでもない。自分の働きで人々が助かることを喜びとするところが人間にあるのだ」と書いてあってなるほどと思っている。
 もちろん対価を求めて働く人もたくさんいるが、それだけではない。高知に帰って思うのは物々交換的要素がまだまだ少なくないということだ。たとえば、アユの季節になるとたくさん釣れたと言ってお近所とかにお裾分けする。

  対価を求めない世界

 ことしは特にアユが高く、一匹三〇〇円とか四〇〇円した。だからといって、こっちが四〇〇円のお返しをするわけでもない。いつかお返しをするのかも知れないし、彼が僕の普段の親切に対して置いていったのかもしれない。お互いが対価など求めない部分が生活の中に多くある。津軽でもそういうことはたくさんあると思う。

 木村 理想ばかり求めてもだめなのよ。でもそういうことをやりたいと思ってもなかなか難しい時がある。

 寶田 今回の視察で目の前に見える姿を見て、台湾って意外と過ごしやすいとか、安全とか感じたと思う。じゃあ、この理由は何かということになると、その基礎的な条件をつくったのはわれわれの二代前の先輩の人たちなんだ。その人たちが化外の島といわれて何もなかった台湾でいろいろなことをやって基礎的条件をつくったおかげで高齢者施設で日本語が今でも通じる。
 古い建物も有効的に活用して街づくりをしたりしている。日本の先輩たちがやってきたことを今の日本人が何を知っているのだろうという反省もある。
 もう一つ東日本大震災の時にあれだけの寄付をしてもらったその根っこが今回、台湾で数日過ごして分かったと思う。日本に何かしてもらいたいのではなくて、二代前の日本人に対する台湾人の温情だと思う。
 今、台湾に旅行してお金を落とす人たちではなくて、二代前の日本人の話を伝え聞いているからなのだ。三食を二食にしても俺たちは東日本の人たちに贈るんだという思いがあり、台湾人は日本人以上にやってくれた。
 今回の旅行も安全に平穏に楽しくできたのはもちろん台湾の人のおかげだが、先輩たちの努力による基盤づくりがあったことをわすれてはならない。
 台湾にも津軽にも歴史があるのだから、歴史上の立派な人たちのやったことをたどることは台湾に来て学ぶいいきっかけになると思う。あまりノスタルジックに浸ってばかりはいらえないが、今なぜ僕たちはここに立っていられるか、なぜ安心して日本語をしゃべって食べていられるか、そこらを考えて貰えればまたひとつ成長するはずだ。

 伴 話題を変えますが、学生時代に台湾に来て一番びっくりしたのは台湾にある日本という存在だった。
 バスに乗っていて高砂族という少数民族が分からない言葉を話していた。もう一つのグループは北京語で話していた。突然二つのグループが日本語で会話し始めた。聞いてみると彼等の共通語は日本語だという。
 そういう人たちは今、八〇歳とか九〇歳になっているはずだが、高齢者施設にいたのはまさにそういう世代の人たちだったと感じてあらためて驚いた。

 須藤 反日感情がけっこう強いのかなと思って台湾にやってきたが、中国の人は日本を嫌がっているが、台湾の人は非常に好意的で嬉しい限りだった。ただ私たちは台湾のことをそんなに知らない。日本語をじゃべる人が多いのにびっくりした。大学を出た人や学校の先生をしていた人も高齢者施設にいて日本語を忘れないでいてくれたことがちょっとした感動だった。

 伴 日本って国は日本を攻撃する国はそれなりの配慮をするのだが、日本を大切に思ってくれる国を無視して、大事にしない。

 成田 今回感じたのはわれわれは何も話ができないということだった。もっと言葉を勉強して話せるようにならなければだめだと感じた。今回の体験を多くの職員に伝えていきたいと思った。

 寶田 いろいろなことが身について、それが行動に表れる。それが勉強というものだ。感動は人それぞれ違っていい。大切なことはその感動を人に伝えることだと思う。今後の緑青園の変化を楽しみにしている。

 伴 いろいろご意見をいただいた。日本人が国際的に生きるための知恵とかが言葉の端々に現れていて面白かった。ありがとうございました。(文責・伴 武澄)

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このページは、伴 武澄が2013年11月18日 10:08に書いたブログ記事です。

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