2013年11月アーカイブ

 自民党は衆院で特定秘密保護訪韓を強行可決した。採決の仕方が暴挙であるのではない。法案そのものが暴挙なのだ。

 近代国家の基本は国民主権であろう。国家が暴走しないために憲法を定め、発言の自由や出版の自由などをうたっている。国家は常に国民に知らしめないよう秘密を保持じてきたが、近代国家は基本的に情報を公開するよう求めて来た。

 特定秘密保護法案は時代に逆行する法律といっていい。まさに国民に牙を向ける法律なのである。その一点で成立させてはならない法律であると訴えたい。

 この法律の問題は多くある。まず守るべき「秘密」が法案で「特定」されていない。何を誰のために「保護」するのか基本的なことが書き込まれていない不可解な法案である。

「行政機関の長」が特定秘密を決められるというのもおかしな制度だ。国家機密をいうならば今でも多くの法律がある。屋上屋を架した上に罰則を強化したものと考えざるを得ない。

 特定秘密には「テロリズムの防止に関する事項」がある。アメリカでは「テロ容疑」という罪名で多くの人々が不法逮捕されている。3.11以降、アメリカは国民の基本的人権を失った危険な国家と成り下がっている。反原発や反TPP運動でさえ、「テロ」とされかねない。

 それから法案の「日本語」もおかしい。「保護」という日本語には子どもやお年寄り、障害者など弱者を守る意味合いしかない。国家を保護するという言い方にこそこの法案の持ついかがわしさを象徴している。

 法案に反対してきた弁護士の清水勉氏は高知新聞のインタビューで面白いことを言っている。
「何か起こった時、急きょ指定を解除しなきゃ、ということを起こりうる。たとえば、北朝鮮が核実験をする、という内部情報を得たとします。最初は特定秘密でも、北朝鮮をけん制する意味で米韓と連携し、公表することもある。その時にどうやって指定を解除するのか。他国で公表された情報が、日本だけは特定秘密のまま、という状況も起こり得るわけです。防衛も外交も、他国抜きでの対応は考えられません」

 つまり、この法律が成立すると自分で自分の首を絞めることにもなりかねないということだ。

 結論的に言うと日常、行政を担うのは官僚である。民主党が瓦解したのは官僚たちが情報を大臣に揚げないなど多くのサボタージュが起きたからだと思っている。福島原発事故の際でさえ、官邸は情報不足に陥っていた。官僚たちは国家の危機に際しても情報を秘匿する体質を持っているのである。

 その官僚たちにこの法律を与えたらどうなるのか。今でさえ、大臣に重要な情報を伝えない。この法案が成立すると、官僚たちは国会議員に「特定秘密」を楯にかざすことだって十分考え得る。

 阪神淡路大震災の時、自衛隊の初動が遅れたのは、内閣の官僚たちが村山富市首相に対して「兵庫県知事の要請がないと自衛隊の出動はあり得ない」と「入れ知恵」したからである。

 日本の霞ヶ関の官僚という存在を侮ってはならない。この法案の成立でほくそ笑むのは彼等であるはずである。安倍晋三さん、いつまでしたり顔で「官僚政治」を続けるつもりなのだろうか。石破幹事長も同じである。

 そのうち、あなた方にも情報が伝わらない事態が生じるかもしれない。この法律は官僚のための法律であるのだ。官僚たちが「特定」と名の付く法律をつくる場合、ろくなことがないことは肝に銘じておく必要がある。

 特定秘密の保護に関する法案全文
第一八五回 閣第九号

   特定秘密の保護に関する法律案

目次
 第一章 総則(第一条・第二条)
 第二章 特定秘密の指定等(第三条-第五条)
 第三章 特定秘密の提供(第六条-第十条)
 第四章 特定秘密の取扱者の制限(第十一条)
 第五章 適性評価(第十二条-第十七条)
 第六章 雑則(第十八条-第二十一条)
 第七章 罰則(第二十二条-第二十六条)
 附則
  甦える英雄チャンドラ・ボース墜落死の謎

      週刊文春1975年7月11日号 柳田邦男

225px-Subhas_Bose.jpg 古い書類を整理していたら40年近く前の週刊文春の切り抜き記事が出て来た。航空評論家の柳田邦男氏が書いた「甦える英雄チャンドラ・ボース墜落死の謎」という記事だった。大学生のころ、チャンドラ・ボースを調べ始めたころだと思う。今読むとなんの変哲も無い記事ではあるが、チャンドラ・ボースを取り上げるメデイアがほとんどない中で探し当てた貴重な資料だった。思い切って電子化することにした。以下はその記事である。

  ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 戦後すっかり遠い国になってしまったインドの国の政治ニュースが、六月の末めずらしく日本の新聞のトップ記事になった。選挙違反事件で有罪判決を受け、退陣要求をつきつけられていたガンジー首相が、逆に居直った形で非常事態宣言を発動し、実に九百人を越える野党指導昔を一斉に逮捕したというのだ。
 私がここに書こうと思うのは、そうしたインドの政治情勢に関するニュース解説ではもちろんない。私の頭の中でこの半年ほどくすぶり続けていたある関心事が、インドの政治危機のニュースに刺激されてにわかに鎌首をもたげ、私を取材に走らせた。そのことについて書こうと思うのである。
 ある関心事とは、インド独立史の中で未完の英雄といわれ、あるいは永遠の愛国者と記されているチャンドラ・ボースが実は生きているという奇妙な話のことだ。その話をテレビのニュースで聞いたのは、今年の一月末だったと思う。そのニュースは、「戦後三十年にしてようやくデリーにボースや讃える銅像が建てられ、盛大な除幕式が行なわれたが、同じ日インドのある町では、ボースが現われるといううわさが流れ、十万人が集まる騒ぎにまて発展するなど、インドの人々の間にはいまなおホースを慕い、ボースの生存を信じている人が多い」という内容であった。
 私が聞き耳を立てたのは、戦後三十年も経って十万人もの人々を動員する"ボース生存説"とは何だろう、という点であった。たしかボースは終戦直後に台湾で飛行機事故で死亡したはずである。にもかかわらずインドでは生きていると信じられているとは、どういうことなのか。(續)
  ここまで見せるか

 伴 ありがとう。今回のメインは少年鑑別所の参観だった。高齢者施設は国内でも見られるが、鑑別所はなかなか日本でも見られない。僕の第一印象だが、日本は隠そう隠そうとする傾向が強いのに、あそこではあっけらかんとしてここまで見せていいのかという感じだった。
 開放的ということは見られていいということで、自分たちに自信がなかったら出来ない。子どもたちに「日本から来たんだよ」っていったら手を振ってくれたりすることにみなさんも感じるところがあったと思う。

 成田 私はボランティアで青森の少年院の運動会に二回ほど行ったことがある。少年たちと走ったりしたが、部屋がどうなっているのかぜんぜん見せない。台湾ではきちんと案内してくれた。
 それは寶田さんが周到に準備してくれたからだろうと思うが、日本人だから見せてくれたのかなと思った。、台湾の人でもあそこまで見せてくれるのか疑問を持った。

  制約多いのか、依頼心が強いのか

 寶田 それはないと思う。よく民主主義と自由主義というが、人が自主的に自由を制御しない範囲でものごとができることが大切。あまり政府が国民を制約するとああいうことは出来ない。たとえばタクシーに乗ってみていると、道路にお巡りさんが大勢立っている。罰金を取ろうと思えばしない。あれはあれでいい。
 日本では止めればすぐ罰金、反則金の世界。制約が多いと一人ひとりの顔が見えてこない。本当の自由が個人が責任を持って工夫すること。今回、台湾を見て日本はつくづく自由が少ないと感じた。
 また日本では一人ひとりが生きていることが見えなくなってしまっている。中華民族はそもそもそうなのだろうが、見学した施設を見ても子どもを見ても老人を見ても、みんなそれぞれが楽しく生きている。
 感じたのは日本は本当の意味での自由がなくなっているんじゃないかということだ。常に制約があり、その制約を頼りに、つまり依頼心が強い。
 台湾のようにそれぞれの運用の自由度にまかせて、老人にしても子どもにしてもあれだけ笑顔で迎えられるすばらしさに感動した。根っこにあるのはお上があまりに人々を制約しているのか、人々が依頼心が強すぎるのか、どっちか分からないがそういうことを感じた。

 伴 成田さんが先っき「生きる力」と言っていた。いい表現だと思うがそれにつながるんではないかと思う。日本では自由のなさが足を引っ張っている。

  ガスボンベをバイクに!

 成田(男)生きる力と言ったのは、たとえば、今日行った淡水で町を見ていて、バイクがたくさん走っていた。一人で乗っている人、二人の人、三人、四人まで見かけた。台湾のバイクって何人まで乗れるのか疑問に思った。伴さんに聞いたら制限はないといった。バイクは移動手段であり、生活手段でもある。犬を乗っけて赤ちゃんまでおぶっている。それを見て台湾の人々はこうして生活していると感じた。
 それでも事故が起きるわけではなくて、ルールは守っていないかも知れないが、スムーズに流れている。
 道路端で休んでいたら、向かい側でバイクにガスのボンベを積んでいた。五〇キロボンベ二本も積んでいるから心配した。日本ではあり得ない。考えられないが、ここではそれで生活している。生きるために何とかしなければならない、そこに生きる力を感じた。日本は先に行っているところもあるが、もっと過去を思い起こして原点に戻って考えて生活する必要があると思った。

  違反は違反

 伴 重要な指摘をもらったんだが、また総論になってしまった。生きるためにということがお役人も分かっているから、たとえ規則があっても細かいところは見てみないふりをするんだ。ところが日本は事情がどうあれ違反は違反だとなる。規則通りやるのが正しいということがあまりに多く横行している。個々の実情を慮ったり、思いやったりすることが少なくなった。そういうことが普通の市民の間でも欠如しているだと思う、みなさん感じたのは。

  無秩序の中の秩序

 木村 私もそう思います。東京で言えば今日はアメ横みたいなところを歩いたが、規律を考えれば、これもだめ、あれもだめになるが、そういうのが緩和されているのかな。高齢者施設でね、働いている人たちがすごくなごやかにやっていた。やはり働くのは楽しく働かなければいけないと思う。規律、規律では困る。

 伴 いま思い出したが、秩序の中の無秩序。

 木村 そうそう、それが必要だと思う。老人も大切にしなければならないけど、働く人も大切という考えが必要だ。そういうのが台湾で見えた。

 伴 僕は賀川豊彦を学んでいるが、本の中に「人間は単に富を得るためだけに働くのではなく、労働は賃金を得るためだけでもない。自分の働きで人々が助かることを喜びとするところが人間にあるのだ」と書いてあってなるほどと思っている。
 もちろん対価を求めて働く人もたくさんいるが、それだけではない。高知に帰って思うのは物々交換的要素がまだまだ少なくないということだ。たとえば、アユの季節になるとたくさん釣れたと言ってお近所とかにお裾分けする。

  対価を求めない世界

 ことしは特にアユが高く、一匹三〇〇円とか四〇〇円した。だからといって、こっちが四〇〇円のお返しをするわけでもない。いつかお返しをするのかも知れないし、彼が僕の普段の親切に対して置いていったのかもしれない。お互いが対価など求めない部分が生活の中に多くある。津軽でもそういうことはたくさんあると思う。

 木村 理想ばかり求めてもだめなのよ。でもそういうことをやりたいと思ってもなかなか難しい時がある。

 寶田 今回の視察で目の前に見える姿を見て、台湾って意外と過ごしやすいとか、安全とか感じたと思う。じゃあ、この理由は何かということになると、その基礎的な条件をつくったのはわれわれの二代前の先輩の人たちなんだ。その人たちが化外の島といわれて何もなかった台湾でいろいろなことをやって基礎的条件をつくったおかげで高齢者施設で日本語が今でも通じる。
 古い建物も有効的に活用して街づくりをしたりしている。日本の先輩たちがやってきたことを今の日本人が何を知っているのだろうという反省もある。
 もう一つ東日本大震災の時にあれだけの寄付をしてもらったその根っこが今回、台湾で数日過ごして分かったと思う。日本に何かしてもらいたいのではなくて、二代前の日本人に対する台湾人の温情だと思う。
 今、台湾に旅行してお金を落とす人たちではなくて、二代前の日本人の話を伝え聞いているからなのだ。三食を二食にしても俺たちは東日本の人たちに贈るんだという思いがあり、台湾人は日本人以上にやってくれた。
 今回の旅行も安全に平穏に楽しくできたのはもちろん台湾の人のおかげだが、先輩たちの努力による基盤づくりがあったことをわすれてはならない。
 台湾にも津軽にも歴史があるのだから、歴史上の立派な人たちのやったことをたどることは台湾に来て学ぶいいきっかけになると思う。あまりノスタルジックに浸ってばかりはいらえないが、今なぜ僕たちはここに立っていられるか、なぜ安心して日本語をしゃべって食べていられるか、そこらを考えて貰えればまたひとつ成長するはずだ。

 伴 話題を変えますが、学生時代に台湾に来て一番びっくりしたのは台湾にある日本という存在だった。
 バスに乗っていて高砂族という少数民族が分からない言葉を話していた。もう一つのグループは北京語で話していた。突然二つのグループが日本語で会話し始めた。聞いてみると彼等の共通語は日本語だという。
 そういう人たちは今、八〇歳とか九〇歳になっているはずだが、高齢者施設にいたのはまさにそういう世代の人たちだったと感じてあらためて驚いた。

 須藤 反日感情がけっこう強いのかなと思って台湾にやってきたが、中国の人は日本を嫌がっているが、台湾の人は非常に好意的で嬉しい限りだった。ただ私たちは台湾のことをそんなに知らない。日本語をじゃべる人が多いのにびっくりした。大学を出た人や学校の先生をしていた人も高齢者施設にいて日本語を忘れないでいてくれたことがちょっとした感動だった。

 伴 日本って国は日本を攻撃する国はそれなりの配慮をするのだが、日本を大切に思ってくれる国を無視して、大事にしない。

 成田 今回感じたのはわれわれは何も話ができないということだった。もっと言葉を勉強して話せるようにならなければだめだと感じた。今回の体験を多くの職員に伝えていきたいと思った。

 寶田 いろいろなことが身について、それが行動に表れる。それが勉強というものだ。感動は人それぞれ違っていい。大切なことはその感動を人に伝えることだと思う。今後の緑青園の変化を楽しみにしている。

 伴 いろいろご意見をいただいた。日本人が国際的に生きるための知恵とかが言葉の端々に現れていて面白かった。ありがとうございました。(文責・伴 武澄)
 国際平和協会訪台団(寶田時雄団長)メンバー七人は九月二六日から四日の日程で台北市を訪問した。文化や経済といったニュース性の高いところではない普段着の生活にふれる研修後、夕食を交えながらメンバー全員で座談会を開いた。われわれメンバーも中々の高齢者グループだったが、社会を見る目はまだまだ意識が高く、異境のレストランで日本ではほとんど語られることのないやり取りとなった。

  弱者の世界を見る

 伴 国際平和協会として初めての海外視察だった。企画した寶田さんにまず感謝したい。僕が参加したいと思ったのは、新聞記者時代にはまず見られない弱者の世界を参観できると思ったからだった。日本でも見る機会はほとんどない高齢者施設や少年鑑別所などを見に行こうという姿勢にも共感したからだ。日本広しといえどもこんな視察を計画した団体はないと思う。
 先進的な分野の視察はたくさんあるが、人間社会の負の部分、これからは非常に大切な分野に着目したことがずごい。台湾は経済的には先進国となっているが、社会福祉は遅れている。
 だが逆にいえば、新しく参入してきただけに新しい発想で高齢者や少年の問題に取り組めるのだと思う。日本は硬直化した社会だから変えようと思ってもなかなか変えられない。だから台湾から学ぶことが多いのではないかと思っていた。三日間の参観でまさにそのことを実感した。寶田さんもそういう意識でこの視察旅行を企画したのだと思う。どうでしょうか。団長から総括をお願いしたい。

  日本を映す鏡

 寶田 今回の企画を東京の駐日台北経済文化代表処にお願いをした文書に今、伴さんが言った通りのことを書いた。台湾は小さな国だが、僕らが学ぶことが多くある。日本よりもっと自由で新しい制度の中で人々の工夫がそれぞれの施設の中でどのように運営されているかをぜひとも見たいということを伝えた。
 一番の眼目は高齢者と少年をつなぐ、つまり非生産的で、お金を稼ぐとか名誉を得るとかいうものから外れた分野にはなかなか人々の目がいかない。でもそうした分野の人たちを見た方が国の将来はよく見えるはず。台湾のことを日本のまた自分を映す鏡みたいにしたいと思って企画した。
 六カ所回って、凡てに共通している部分があった。それは優しさと工夫だ。工夫のないところは何事もうまくいかない。優しさには工夫が必要で、今回は勉強になったと思う。今回の企画を受けてくれた台湾政府と東京の代表処に感謝したい。またそれに応えるみなさんの研修・視察の姿勢は誇れるものだ。
 普通は台湾に遊びに行くことが前提になるが、みなさんが真面目だったことで受け入れ側も真剣にならざるを得なかったと思う。大変な収穫だったので、緑風会だけのものとせず、津軽や青森そして日本のために伝えていきたい。現場では緊張と優しさと笑いとをもって対応してもらえれば今回の視察が生きると思う。

 伴 寶田さんからお話があったが、参加者から一人ひとり感想を話してほしい。

  見方が変わった

 成田(男)今回は寶田さん、伴さんにお世話になった。三五年前に台湾に来たことがあったが、今回はまったく違った見方ができた。
 高齢者施設では日本統治を経験した人たちが日本語を話した。認知症の人たちが目を輝かせながら日本語を思い出していたことに非常に心を打たれた。
 昔を思い出し、現実を経験した言葉を聞けたのが収穫だった。それから台湾に生きる力を感じた。昔の日本、終戦後の日本もこうだったのかなと感じた。これから国をますます発展させようとする力があると思った。

 伴 いま、成田さんから生きる力という発言があった。僕もアジアを長く取材して成熟しきった日本からアジアをみるとすごいパワーを感じた。制度とか生活水準ではなく、金儲けも含まれるが向上しようというパワーがアジアには漲っている。
 同じ先進国の仲間入りをした韓国へ行っても感じる。日本が到達して失ったものを台湾とかはまだ維持している。

  障害者が物売り

 夕べも食事時に障害者が物売りをしていた。乞食というか、音楽を奏でてお布施をもらっている人にも出会った。さっきも日本でもかつてはいたねと話していた。しかし、今日本では見られない。制度がよくなったからなのか分からないが、必死に生きる姿に市民も当たり前のようにお布施をしている。
 成田理事長も昨夜、障害者からたくさん買い物をしていた。日本の日常生活ではそんな気持ちにさせられる場面に遭遇することはない。子ども達も親の仕草をみて習うのだと思う。日本ではそういう人たちは隔離されて路上に出て来ない。今日、須藤さんともそんな話をしたよね。

  気の優しい人たち

 須藤 まずはこうした機会を与えられたことをみなさんに感謝したい。台湾は近いようで遠い国。高齢者が日本語をしゃべる姿をみたら涙がでた。私たちはそんなに台湾の人たちに愛情を持っているわけではないのに、台湾の人たちは私たちに愛情をかけてくれる。
 少年鑑別所でも、飲み残した水を持って帰れ、果物もお菓子も持って行けという。なんて思いやり、気の優しい人たちなんだろうと思った。鑑別所はとても好印象を持った。看守の姿をみても日本にはない思いやりの心があると感激した。他国に来て、もっと日本を大切にしなければならないと思った。自由な国に生まれて自由に過ごして来たので、そこは日本そのものを大事にしたいと思っ
た。
 伴 続いて古川さん。

  気付かせ暮れた「感謝」

 古川 今回は本当にみなさんに感謝したいと思う。こんな機会は今後もあるかどうか分からないほどで、貴重な機会をつくってくれたみなさんに感謝したい。今回、参加するにあたって台湾の知識は薄かった。気軽な雰囲気で来たが、台湾の方々が真剣におもてなししてくれたことに非常にびっくりした。台湾に来ることで改めてたくさん日本を知ることができた。高齢者施設に行った時も、利用者たちがいろいろ日本の話をしてくれた。
 日本ではなかなか戦争の話を聞く機会はない。あーそういうこともあったのかと改めて気付かされた。日本の精神、おもてなしとか感謝とかを訪問先で気付かせてくれた。そして日本人として生活していた自分がまだまだ未熟であることを知り、まるっきり知らなかったことが多かったことを知らされた。こういう機会は少ないと思うが、台湾と日本のつながりをもっと勉強したい。

  他の職員にも見せたい

 成田 私としては夢物語だ。まさか台湾に来るとは思わなかった。台湾の小学校では学ぶことが多かった。
 小学生が国旗を揚げる時の態度とかすばらしい学校だと思った。外国に来て初めて日本が見れるのだが、みなさん本当に優しくしてくれた。高齢者施設を見た時、高齢者に「機会がありましたらまたどうぞ来て下さい」と日本語で言われた。感動の研修旅行だった。機会があれば、また他の職員も連れてきたい。
 伴 最後になったが、木村さん。

  勉強の多い旅

 木村 今回、この研修は実現するのか疑ったが、人間は決断したらなんでもできるということをまず感じた。寶田さんと伴さんには本当に感謝したい。寶田さんはこれまでもお世話になっているが、いつも全身全霊で頑張っているのが目に見えるように分かっていた。自分の仕事を投げ打って尽くす人だと思っていたが、まさか台湾にと思っていた。現実に台湾に来てみて、さすがだなと思った。
 それから伴さんってどういう人かなと考えていたら、空港で顔をみて「いい方」かなと感じた。五日間、旅行して感じることはこういう旅行はなかなか出来ない。同じ町内に住んでいても縁が無ければ一生旅行する人もいない。だからよっぽど縁があるのかなと感じた。
 参加してみて感じたのはまー勉強が多いこと。普通、市議会議員でも県会議員でも研修旅行と云えば、一日ぐらいちょこっと勉強があるだけ。今回はまったく違った。すばらしかった。
 法務局なんて日本じゃいけないところで挨拶できたりした。学校へ行って生徒を見て涙が出てしょうがなかった。何なんだろうった。子どもたちと走ったら、手を引っ張ってくれて笑いながら走った。これは思い出になる。少年鑑別所では笑顔もすてきだった。手を振ってニコッと笑う。とにかく明るい。日本では絶対に見られない風景だろうと思った。

  93歳が真っ赤なマニキュア

 台湾ではあれだけのことをやっているのだなと感じた。とにかくいい経験だった。高齢者施設では九三歳のおばあちゃんが真っ赤なマニキュアを塗ってニコニコしていた。日本でも老人ホームはあれだけ明るくなければいけない。あれだけのことをしてあげれば高齢者も若返る。私もいつ老人ホームに入ってもおかしくない年齢だが、理事長が連れてきてくれて、またとない経験をさせてもらった。ホテルで理事長と同じ部屋で泊まって、またやろうねと約束した。(続)
 国際平和協会は9月26日から4日の日程で台北市を訪問した。少年鑑別所と高齢者施設を訪問するという7人のユニークなツアーである。団長の寶田時雄氏が台湾経済代表処の幹部と話をしていた時に「お互いの交流を深めるためには、普段訪れることのない社会的弱者の施設訪問が重要だ」ということで一致し、訪台団が急きょ編成された。その珍道中の一部を紹介したい。

 高齢者施設訪問では、当初から通訳はいないと言われていた。不安に感じながらも小生の中途半端な北京語で会話が始まった。そこへ品のいい男性が「お困りでしょう。僕が通訳しましょう」と救いの手を授けてくれ、実のところホッとした。

 台湾も日本に劣らず高齢化社会がやってきて高齢者問題は急務。その施設は認知症向けのデイ・サービスと高齢者向け住宅を併設している。高齢者向け住宅は一人で生活できる人々が対象で、シャワー付き個室に食堂での食事サービスがある。

 認知症向けのいくつかの部屋を案内してもらった。ほとんど幼稚園か保育園のような飾り付けがあって、色彩も赤、緑、黄色とはなやかであるのに一同驚いた。一番驚いたのはほとんどの高齢者が流暢な日本語をしゃべったことである。

 通訳を買って出てくれた男性は「僕は帝大まで出ました。台北大学です」と自己紹介した。戦後六七年を経ているとはいえ、80歳前後の人はみんな日本語で教育を受けた世代なのである。多くの入居者は久しぶりに日本語をしゃべったとみえるが、それぞれに嬉しそうに我々を迎えてくれた。

「日本からお見えになりましたか。なつかしいです」
「戦後、国民党がやってきて突然、教育は北京語になって困りました」
「北京語には日本語にない発音が多いので苦労しました」

 日本人がすでに忘れている丁寧な日本語が交わされ、我々も驚かされた。台湾の高齢者が日本語をしゃべれるのは、考えてみれば当たり前の話である。これまで何人もの元日本人たちと出会ってきたが、これほど多くの元日本人と一堂に会したのは初めての経験だった。

 台北少年観護所(鑑別所)では所長を含めて所員が玄関まで出迎えてくれた。日本人の来訪は初めてである。会議室には「国際平和協会歓迎」の垂れ幕があり、幹部が勢揃いし、台湾における最近の少年犯罪について丁寧な説明があった。

 男女約150人の少年は当然ながら、幾重にも鍵のかかった所内で生活していた。数カ月ほどで少年院もしくは少年刑務所に送られる少年たちはけっこう明るかった。髪を染めている女子も少なくなく、まだ中学生と見受けられる子もいた。「ニーハオ」「日本から来たんだ」などと話すとニコッと笑って応対してくれた。

 2001年、鑑別所に送られた少年は500人を超えていたが、その後100人まで減少、2年前から再び増加に転じている。窃盗などに加えて覚醒剤など薬物使用や売買が増えているということだった。少年達は一般的には番号で呼ばれることになっているが、最近では人権上、名前で呼ぶことにしているのだそうだ。

 日本の同様の施設を見学したわけではないので比較はできないが、青森から参加した社会福祉法人の理事長さんは「少年鑑別所の運動会に参加したことはあるが、施設内をこれほど丁寧に見せてもらったことはない」としきりに感心していた。(国際平和協会 伴武澄)

 アメリカはまた戦争を仕掛けるのか。八月、シリアが自国民に対して化学兵器を使用したという疑いが浮上し、アメリカはサダト大統領に対して懲罰的攻撃をすると予告した時、多くの人々は約一〇年前のイラク戦争を思い出したに違いない。フセイン政権が大量破壊兵器を保持していることを理由に戦争を仕掛けたのだった。

 当時、ロシアは反対したが、アメリカを止めることはできなかった。今回は様相が違った。プーチン大統領が化学兵器の調査を引き替えにアメリカの意図を阻止した。大英断だったと思う。

 ソビエト連邦崩壊以降、約二〇年間、アメリカの一国支配続いた。自由と民主主義の守り手だと信じていたアメリカはいつから戦争国家になったのか。政治に正義が必要なのはだれもが分かっている。しかし、過去の歴史をひもとくとほとんどの戦争が正義の名のもとに行われていることが分かる。
 国によってその正義の定義が異なれば、戦争は正義と正義の闘いになる。戦争となれば、結局、強い国家が勝つ。そして、負けた方に恨みだけが残る。戦争が繰り返された理由は単純である。
 そうなると、戦争をなくすためには「正義を振りかざさない」ことが必要になる。

 いま必要なのは「テロとの戦い」という正義のスローガンではない。戦争で傷つくのは兵士であり、市民である。アメリカで戦争を煽っているのは、兵士でも市民でもない。心地よく空調の効いたオフィスに椅子を構える人たちである。あのアメリカがアフガン攻撃を攻撃したとき、イタリア人ジャーナリスト、ティツィアーノ・テルツァーニは『反戦の手紙』(WAVE出版)を出版し、欧米の主要ジャーナリズムを批判してプレスルームや新聞社の本社で記事を書いていたのでは戦争の本当の姿がみえないと書いた。

龍谷大学 教授 中野 有

生活の実感は途上であるが客観的に日本経済の現状を観察すると楽観的な要素のオンパレードである。

企業の内部留保金が過去最大レベルに達している。しかも世界の株式の時価総額が過去最高であり、新卒の就職状況が改善されており、新卒者に関しては日本は世界で最も就職しやすい国である。加えて、OECDの国際成人力調査によると、読解力、数的思考能力が世界一である。

約1年前に「アベノミクス」がスタートしたのであるが、順風満帆の環境はまだまだ続いている。想定以上の成功要因は、政府や企業の内部要因と外部要因による。内部要因は、明確なビジョンや戦略を示すことにより作用する。大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する経済成長戦略は、政府、企業、国民の努力により達成されるものである。アベノミクスにつきがあるのは、世界の株価が上昇しているように外部環境の影響でもある。

内外の環境が良好なタイミングに日本のモチベーションを高揚させる戦略を考察することが重要である。そこで極めて重要なことは、日本の社会的構造を鑑みて未来を担う若者の野心を高めるための具体的なビジョンを示すことである。

アベノミクスは、企業の業績が伸びれば賃金や雇用が上昇し、所得が上昇し家計が豊かになり消費が増え、税収も増え、政府はより経済成長の伴う財政政策を推進し公共財に磨きがかかり日本が魅力的になり世界から観光客が増え、海外からの直接投資も進展すると楽観的なシナリオを提示している。

国民の関心のプライオリティは賃金の上昇である。企業の内部留保金は約280兆円。一人当たりに換算すると約250万円。企業の内部留保金を賃金の上昇に反映させることは大切である。しかし、メリハリの効いた先行投資に直結しなければいずれは現在の好景気にも反作用が起こる。

そこで、日本の弱点を克服することにより日本経済を上昇させる戦略を考えたい。先に述べたように日本の読解力と数的思考能力は世界一である。しかし、IT等の最先端のイノベーションの創造性はトップクラスに入ってない。世界の中の日本人は、「ピーターの法則」で説明できるように、大企業に勤務する日本人の多くは、ある仕事をそつなくこなす人間は他のどんなことをやらせてもうまくこなせる確率が高い。多くは能力の限界まで出世する。

優秀な日本人に必要なことは、技術革新の時代における創造性の機会提供である。企業の内部留保金を最新のイノベーションにつながるプロジェクトを創造する若手に重点的に配分することにより組織の変革に新風を引き起こすのではないだろうか。

僕は企業、国際公務員、シンクタンク、大学の経験を経て、企業や組織にとって必要なことは、バーナードの組織論が示すように協働意志、共通目的、コミュニケーションであり、これらは単に経済的誘引で動機つけられるものでなく非経済的誘引であるモチベーションであると考える。


企業の内部留保金を若者のモチベーションを高揚させるために有効に活用することこそ最重要課題である。理科系と文科系のミックスによる小さなチームを編成して、イノベーション、技術革新、世界に通用するコミュニケーションを包括したプロジェクトに挑戦する機会を提供する。短期の利益追求でなく中長期的な目標を定め非営利的であってもモチベーションが高揚し、日本人の短所である革新技術の創造性とグローバルなコミュニケーション(グローバル・イングリッシュ)が克服されることにより次なるステージに向かうことができると考える。

7年後の東京オリンピックに向け、世界一である日本人の読解力、数的思考能力に加えて、創造力と世界と自由にコミュニケーションできると能力を世界のトップレベルに上昇させる。少子高齢化の世の中、希少価値のある若者のモチベーションが日本の未来を変えると思う。とにかく元気の出るビジョンが希求されている。

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