いがみ合う時にこそ必要な「日中友好」

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DSC_0637.JPG 今年は日中平和友好条約締結35周年。高知県日中友好協会は8月8日から約1週間、高知市内で「池田大作と中国展」を開催した。尖閣諸島をめぐって日中がぎくしゃくしている時期に「日中友好」でもない、しかも宗教団体の長を持ち上げるのはいかがなものかという意見もあった。

 結果はオーライだった。在日中国大使の程永華氏から心温まるメッセージが届けられ、大阪総領事館から副総領事以下2人がオープニングに参加してくれた。ともに主催団体となった東京の中国文化センターはセンター長の石軍さんほかスタッフが準備段階から高知を訪れ力になってくれた。

 高知県と中国側の交流にはとげとげしい雰囲気は一切なかった。この展示会を終始リードしたのは植野勝彦さん。80歳を越えるが家業の陶器店を仕切っている。中国・景徳鎮の陶芸家との交流が縁となって日中友好にまで活動を拡げている。植野さんは「日中がこういう時期こそ交流を深めるイベントが必要」と友好協会の仲間を説き伏せた。

 筆者もまた植野さんの手伝いをしながら、日中の歴史を今一度学び直すことにした。孫文の革命の片腕となった日本人は少なくないが、その中で高知県出身の萱野長知という人物がいることを知ったのは数年前のこと。高知の人はほとんどこの萱野という人物を知らなかった。

 そこで自分で学んだことを高知の人たちに知らせるために、「池田大作と中国展」のオープニングの講演会の講師を自ら買って出た。「萱野長知と孫文革命」と題した話の内容は次のようなことである。

 高知県は日本の自由民権運動の発祥地である。日本に民主主義を定着すべく明治政府とたたかった人々の中に中国革命に対する大きな共感があった。孫文ら中国革命を担った人々の中の多くは日本留学を経験し、西洋列強からアジアを守る必要を強く感じていた。

 日本の自由民権運動家と中国革命家はアジアを守るという共通の意思があり、そこに国境という意識は希薄だった。ともに助け合わなければ共倒れになる可能性が大きかった100年前の歴史認識についてわれわれはもう一度認識を新たにしなければならない。

 萱野が考え行動した時代背景と現在はまったく違うものとなっている。誰も見たことも行ったこともない尖閣諸島という小さな島をめぐって角を突き合わせている。万が一でも、このことが理由で戦端が開かれるようなことになれば、世界の笑われ者になる。

 国と国が良好な関係にある時に「友好」を唱えることは簡単なことである。本当の「友好」とは国と国が危うくなった時に草の根の交流を続けることである。前回のエッセイで「非国民」について述べたことを覚えている方もいると思う。今回の展示会で学んだことはまさにそういうことであった。国と国とが険悪な状態にあったからといって一人ひとりの国民が互いに恨みを持っているわけではない。

 行動を起こせば、心が開かれる。どちらからでもいい。そんな人と人との関係を積み重ねていけば、国と国とのわだかまりもいずれ溶解していくはずだ。

 世界連邦運動の基本も実はそんな簡単なところにあるのだ。そんな気持ちを確かめる暑い夏となった。(萬晩報主宰 伴 武澄)

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このページは、伴 武澄が2013年9月 9日 17:47に書いたブログ記事です。

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