2013年9月アーカイブ

index.jpeg2020年の東京オリンピック開催が決定した。競技を観戦するのは大好きだしお祭り気分を盛り上げてくれるのも嫌いでない。しかし国を挙げて総ぐるみで浮かれまくるというのも何だかなぁ?というのが正直な感想だ。確かに長い沈滞ムードに風穴開けて、夢よもう一度という気持ちも分からなくもないが、福島の問題解決のテコにオリンピックを利用するのは本末転倒だし、東京自体の環境破壊や自然擁護も入念にチェックされたとも思えない。いつぞやの日本列島改造論のような「行け行けドンドンみんなで渡れば怖くない」は絶対あってはならないことだ。ましてこれを機会に景気や地価の高騰で一旗揚げてやろうなどという山っ気は下品だ。

そんな気にさせられるのもここ最近のニッポン、昭和の初期の社会状況に似通っているとの指摘を知ったからだ。僕が生まれる前のことであり極めて感覚的にそんなものかと思っていたが、東京五輪の決定でこれはちょっと調べてみなければと思い立った。結果から書くが驚いた。似通ってるなんてものでない。瓜二つというかおんなじではないか。僕の無知さは横に置いて受け売りで恐縮だが、どの辺りが酷似しているのか少しご紹介したい。

日露戦争、第1次世界大戦と明治から大正にかけて機運の盛り上がった日本も大正バブルの崩壊、続く関東大震災(1923)、そして追い打ちをかけるような昭和大恐慌で政治も経済も外交も八方ふさがり。これが昭和5年(1930)。経済のひっ迫を領土拡張で取り戻すように起きた満州事変が昭和6年(1931)そんな時代だった。徴兵制確立の兵役法も整備された。なにやら不安な時代のようだった。

この年アジアで初めてのオリンピックを東京でという建議が満場一致で東京市議会において採択されているのだ。1940年の開催が決定したのが昭和11年(1936)。心配性かも知れぬがこの辺りの深層心理がなんとも今の日本に被って見えないだろうか。さらに続ければ昭和13年(1938)新幹線計画が持ち上がり15年(1940)には東京-下関の工事計画が正式決定している。国の沈滞ムードを一新し自信を取り戻す苦心が見て取れる。だがオリンピックはこの2年後の昭和13年日中戦争の影響などを理由に開催権を返上、同じく計画途上で用地買収なども進んでいた新幹線計画:通称弾丸列車構想もとん挫、昭和18年には戦局悪化を理由に工事は中止された。

今回の東京決定、マスメディアの論調もなにやら足並み揃えたように「夢よもう一度」五輪歓迎路線である。そんななか動物奇想天外のディレクター佐藤栄記氏のブログの猪瀬知事への質問状は浮かれムードに一石を投じる説得力あるものだった。葛西臨海公園をぶっ潰しカヌー競技場と1万人収容の観客席を造る構想を問いただすものだ。http://yaplog.jp/eikisato/archive/275

また神宮の森の景観と自然は新競技場の出現で相当域後退すると、建築界の大御所の槙文彦先生は警告するものの(朝日、東京)マスコミ総じて批判の論調はおよび腰だ。朝日が本日9/25の天声人語で取り上げた。マスメディアの今後の紙面に期待したい。
http://www.asahi.com/culture/articles/TKY201309230166.html
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/tokyo_olympic2020/list/CK2013092302000140.html

ひとわたりご紹介したが、気にかかるのは政財官マスコミ挙げての大合唱なのだ。この国は大合唱に弱く、いつも踊らされる。五輪はいいが、新国立競技場は神宮外苑の歴史的文脈のなかで設計されるべきで都も国も説明責任を果たしていないとの槇先生の指摘は重い。マイナス成長に止めを刺すかのような東北震災と放射能漏れの無策ぶりと救済策の遅れをカモフラージュするように、何が何でも東京オリンピックというのでは80年前の再現ではないか。間接効果も大きいし日本の国際的な再浮上も期待できるだろう。しかし2週間のオリンピックのために、営々と築き上げてきた歴史や自然環境が無節操に破壊されることは許されない。
 
一方で世の中全般、遊びと余裕のない張り詰めた空気は今もあちこちに見受けられる。例えば朝のラッシュの通勤電車、いきなりの会話が「てめえこの野郎」から始まることも珍しくない。混んだ社内で慢性疲労とストレスと憤懣を押さえ、いきなり切れる所からのコミュニケーションなのだ。あるいは紙上を賑わすヘイト・スピーチ。「死ね!」だの「ぶっ殺す」だの常軌を逸したプラカードには身の毛がよだつ。歪んだ愛国主義、こんな国民ではなかったはずだ。

しかし過去の一触即発はみんなこういう過度の緊張感と疎外感から生まれた。電車のラッシュも国防の最前線も同じ構図なのだ。自衛隊の現場ではいくら災害救助で感謝されても本来の任務の無理解に唯々我慢のやるせなさが溢れていると聞く。それも将官レベルのかなり上層部までというから深刻だ。おそらく関東軍の突っ走りもこういう中央と現場の乖離にあったのだ。領土問題は存在しないという政府見解の下で、スクランブル発進させられたのでは現場の鬱憤は溜まるばかりだ。相手の挑発には冷静に対処して欲しい。後ろで支える政府は建前の繰り返しでなく紛争回避のテーブルを用意して欲しい。それだけでも出会い頭の事態は避けられる。

政府間の外交は置いて、一般の人々も個人レベルで国を越えた付き合いに励むことは出来る。何も大層なことでなくていい。街に溢れるアジアン・レストランをトライするのでもいい。仕事でもないかぎり一般レベルでタイだのインドだの個人レベルの交遊はないに等しい。観光旅行は行ってしまえばそれっきりだ。近所のタイ料理やインドカレーをもっと食べに行こう。料理に舌鼓を打ち店員さんと喋り、知り合うところからでも十分なのだ。乱暴な話のようだがだが、知らない国をカレー屋のお兄さんとの話からイメージできればそれだけでも国際理解は深まるのだ。

国レベルにお願いしたいのは、東南アジア諸国やロシアとの経済協力で足並み揃えることだろう。何が起きてもこれら南北の国々の支持を取り付けて置くことだ。なりふり構わず挑発して来る国々と真面に向き合っても得るものはない。挑発には乗らず、徹底して南北の友好国と仲良くして結束を強める。そんなことは外交の専門家は百も承知だ。問題はあちらを立てればこちらが立たずの八方美人で外交をやる時ではないということだ。相手を絞ってなりふり構わず仲良し外交を一心不乱でお願いしたい。

さてオリンピックだ。平和の象徴のスポーツの祭典が見てきたように幻の東京オリンピックに繋がり続くベルリン大会も平和からは程遠い大会だった。そんな国威発揚の大会はもう願い下げにして欲しい。量を競わず華美にも走らず、礼節を重んじる「お・も・て・な・し」の国の慎ましい平和の大会でいいではないか。平和のありがたみを世界にアピールできる大会にしてもらいたいと切に願っている。
 

DSC_0637.JPG 今年は日中平和友好条約締結35周年。高知県日中友好協会は8月8日から約1週間、高知市内で「池田大作と中国展」を開催した。尖閣諸島をめぐって日中がぎくしゃくしている時期に「日中友好」でもない、しかも宗教団体の長を持ち上げるのはいかがなものかという意見もあった。

 結果はオーライだった。在日中国大使の程永華氏から心温まるメッセージが届けられ、大阪総領事館から副総領事以下2人がオープニングに参加してくれた。ともに主催団体となった東京の中国文化センターはセンター長の石軍さんほかスタッフが準備段階から高知を訪れ力になってくれた。

 高知県と中国側の交流にはとげとげしい雰囲気は一切なかった。この展示会を終始リードしたのは植野勝彦さん。80歳を越えるが家業の陶器店を仕切っている。中国・景徳鎮の陶芸家との交流が縁となって日中友好にまで活動を拡げている。植野さんは「日中がこういう時期こそ交流を深めるイベントが必要」と友好協会の仲間を説き伏せた。

 筆者もまた植野さんの手伝いをしながら、日中の歴史を今一度学び直すことにした。孫文の革命の片腕となった日本人は少なくないが、その中で高知県出身の萱野長知という人物がいることを知ったのは数年前のこと。高知の人はほとんどこの萱野という人物を知らなかった。

 そこで自分で学んだことを高知の人たちに知らせるために、「池田大作と中国展」のオープニングの講演会の講師を自ら買って出た。「萱野長知と孫文革命」と題した話の内容は次のようなことである。

 高知県は日本の自由民権運動の発祥地である。日本に民主主義を定着すべく明治政府とたたかった人々の中に中国革命に対する大きな共感があった。孫文ら中国革命を担った人々の中の多くは日本留学を経験し、西洋列強からアジアを守る必要を強く感じていた。

 日本の自由民権運動家と中国革命家はアジアを守るという共通の意思があり、そこに国境という意識は希薄だった。ともに助け合わなければ共倒れになる可能性が大きかった100年前の歴史認識についてわれわれはもう一度認識を新たにしなければならない。

 萱野が考え行動した時代背景と現在はまったく違うものとなっている。誰も見たことも行ったこともない尖閣諸島という小さな島をめぐって角を突き合わせている。万が一でも、このことが理由で戦端が開かれるようなことになれば、世界の笑われ者になる。

 国と国が良好な関係にある時に「友好」を唱えることは簡単なことである。本当の「友好」とは国と国が危うくなった時に草の根の交流を続けることである。前回のエッセイで「非国民」について述べたことを覚えている方もいると思う。今回の展示会で学んだことはまさにそういうことであった。国と国とが険悪な状態にあったからといって一人ひとりの国民が互いに恨みを持っているわけではない。

 行動を起こせば、心が開かれる。どちらからでもいい。そんな人と人との関係を積み重ねていけば、国と国とのわだかまりもいずれ溶解していくはずだ。

 世界連邦運動の基本も実はそんな簡単なところにあるのだ。そんな気持ちを確かめる暑い夏となった。(萬晩報主宰 伴 武澄)

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