憲法の意味を考える

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513VGFxfB3L._SL500_AA300_.jpg今日は憲法記念日。安倍首相は96条改正に意欲を示している。確かに日本国憲法は改正が難しい仕組みになっている。国会議員の3分の2の賛成を得ないと国民投票にもかけられない。

僕が問題としたいのは憲法という言葉である。明治初期に民間で最初に憲法草案を書いた植木枝盛はconstitutionを「国憲」と表現したからである。

むかし、書いたコラムを読み直して我ながらよく勉強していると思った。
http://www.yorozubp.com/2011/2009/03/post-171.html
からの一部を再掲したい。

先生「France is now a republic. Not like our country, they dont have a king as a Sovereignty」
学生「先生、そのrepublicというのはなんですか」
先生「日本では歴史始まって以来、天皇がまつりごとの中心におられたが、フランスにはそのような存在はもはやない。つまりpeopleがsovereignというこっちゃ」
学生「ますますわからん。そのSovereigntyとかsovereignとか日本語で説明してください」
先生「それが先生もわからんのじゃ。まつりごとをつかさどるという意味だが、日本にはそういう意味の単語がないのだ。天皇が京都に在位していて、将軍が江 戸でまつりごとをつかさどっていた。その将軍が大政奉還して明治の世となった。天皇が復権したいま、ヨーロッパに学んで天皇を中心にどのようなまつりごと の仕組みをつくろうかみなが考えている最中なのだ」

「政治」も「共和」「主権」もいまでは普通の日本語になっているから誰も気付かないが、当時はなんとも説明のしようがなかった。ヨーロッパの概念を一つひとつ日本語で説明する作業は並大抵でない。だから授業はほとんどが英語だった・

 明治期に多くの現在の政治、経済用語が生まれたが、「Constitution」という概念が最後まで日本語として定着しなかった。穂積陳重『法窓夜話』(岩波新書)によれば「定着するまで20年近い日々を必要とした」ことになっている。

 穂積は漢学者の家に生まれ、イギリスとドイツに留学し、建学間もない帝大法学部講師になったが、明治14年まで授業はすべて「英語」だったと書いてい る。「ようやく授業に日本語が入るようになったのは明治14年。法学部の授業が日本語になったのは明治20年ごろ」だったのだそうだ。

 またConstitutionというフランス語を最初に「憲法」という漢字にあてたのは、箕作麟祥だった。明治6年のことである。「国法」、「国制」、 「国体」、「朝綱」など、使用されていたさまざまな訳語の一つにすぎなかったから、まだ定着はしたとはいえなかった。大学の授業では Constitutionで通っていたはずだ。

 明治政府は明治16年、伊藤博文を「憲法取調」という役職につけた。プロシア、オーストリアに憲法を学びに行かせた。というより自ら学びに出掛けた。そ の時「憲法取調」という役職が新設されたといった方が正しい。政府として初めて「憲法」という漢字を使ったから、それからConstitutionは日本 語で「憲法」と定着したらしい。

 江戸時代の「憲法」という語はいまでいう六法全書のようなものを意味していた。ちなみに福澤諭吉は慶應2年の著書『西洋事業』で「アメリカ合衆国のConstitution」のことは「律例」と訳している。

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このページは、伴 武澄が2013年5月 3日 15:28に書いたブログ記事です。

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