2013年5月アーカイブ

hikotei.JPG水辺に数百メートルの"滑走路"があれば離発着できるのが飛行艇。そんな映像を偶然見つけた。

http://www.youtube.com/watch?v=gqOfm9XTr6M

戦前には横浜-パラオ間に民間航空会社が飛行艇を飛ばしていた。横浜にもパラオにも滑走路はなかった。10年前にパラオのコロール島を訪れた時に写真のような"滑走路"の残骸があった。

戦後も白浜と八尾間、名古屋と鳥羽間など観光地を結ぶ飛行艇の空路が存在していた。もちろん白浜と鳥羽には飛行場がなかったから海に着水していた。

かつては多くの水面で活躍していた飛行艇だが、いまであ日本とロシアぐらいしか製造していない。日本では新明和という会社が自衛隊向けに製造している。現在、小笠原で急患があったときに自衛隊が本土との間で運行しているから実力は実証ずみである。

以前から、日本のように国土が狭いが水面に恵まれている国ではもっともっと活用されていいと考えてきた。新明和のホームページでは旅客用に改造も可能としているが受注がないのは非常に残念に思う。

僕の夢飛行艇がは川や海に自由に離発着できるシステムの構築である。できれば高知県で実現したい。

20130507.jpgメディアの情報をどこまで信用すれば良いのであろうか。メディアを懐疑的に展望し、現在のメディアを解読するメディア・リテラシーについて総合的・多角的に考慮してみたい。

 メディアは、概して真実、噂、嘘の三つしか伝えない。更に、メディアの情報は、多かれ少なかれ全て編集されたものである。何らかの意図や意思が存在する。加えて、マス・メディア、メディア企業の目的は購読者、視聴率の増加を第一義的に考える利益追求にある。

 当然、ジャーナリストは制約された環境の中で権力に屈することなく事実や真実を正確に報道することに重点をおいているであろうがオーディエンスの受け取 り方で伝わる内容も変化する。少しでも新鮮でインパクトがあり影響力のあるニュースを報道しようとするからどうしても表層的な似通った情報がライバル各社 から発せられる。

 新聞綱領によると正確、公正などの言葉が並んでいるが各社の社説を読めば保守、リベラルなど主張が左右に拡張している。また、海外のメディアに目を向ければ異なった視点が見えてくる。

 メディアが報道する記事、例えば、靖国参拝や安倍総理のモスクワ訪問に関して北方領土の問題がどのように伝えられているかをライブ性を交え大学の講義で観察してみた。

 これら一連の報道を三本の視点で展望すると新しい発見があった。第一は、安倍総理自身が頻繁に発信されている安倍総理のフェースブックを講義室のスク リーンに写し、メディアによって編集されてない安倍総理のモスクワ訪問に関する主張や主観を読んでみた。第二は、安倍総理の外遊と北方領土の問題に関する 国内の大手新聞社の社説の主張を比較。
 第三に、ニューヨークタイムズ等の靖国参拝に関する社説や報道をチェック。

 哲学者デカルトの「我思うゆえに我あり」にあるように安倍総理がフェースブックから直にオーディエンスに伝える内容には編集が入ってない分、安倍総理の 臨場感あふれる情報がそのまま伝わってくる。ソーシャルメディアの効用により当事者が意図する事実が概して安倍総理に好意的なオーディエンスに伝達される のである。

 北方領土問題に関して日本の大手メディアの視点は、二島返還、四島返還、面積で二等分するなど近年にないほど勇ましい主張が目立っている。僕の個人的な 考えでは、柔道家プーチン大統領とアベノミクスで勢いがあり、安倍総理のお父さんの功績等からみると少なくとも二島返還プラスαの好機だと読む。しかし、 プーチン大統領の妥協が北方領土とは異なり日本の領土である竹島や尖閣諸島の問題に影響を及ぼす。発展するアジアの将来を見据えた場合、日本、ロシア、韓 国、中国の領土問題が共同開発や共生という方向に舵が切られることが最善だと考える。

 靖国参拝に関して、リベラルであるニューヨークタイムズも保守であるウォールストリートジャーナルも批判的な論調を行っている。ワシントンポストも含め、米国の主要紙が揃って日本の周辺諸国の意向を無視したわざわざ油に火を注ぐ行動を懐疑的に見ている。

 海外で長期間生活し、日本人を客観的に展望すれば自分が考えている以上に日本人は矛盾しているように思う。その矛盾とは歴史が示すように太平洋戦争の好戦的な日本と憲法9条の極端な平和主義にあるように考えられる。

 哲学者、梅原猛先生は、「人類哲学序説」の中で、生魚を好んで食べるある意味では野蛮な風習を持つのが日本人であり、寿司は生魚の下に米がある。米は稲 作農業を含む弥生文化の産物ですから、弥生文化の上に縄文文化がのっているわけで、これこそ日本文化そのものであると述べておられます。

 メディアの情報を如何に解読するか、寿司が示すように日本人は野蛮と文明という絶対的な矛盾を解決する能力を有している。従って、マスメディアからソーシャルメディアまで多角的・重層的にメディアのメッセージを直観に従い読み解けば日本の方向性が見えてくるように思う。


 三
音をたてて霖雨が降りしきる。

天は惜しげもなく、真珠の玉や、水晶の玉を下界へ投げつける。それが五色に塗ったように輝いている貧民窟の瓦屋根の上で砕ける。パリパリと音がするのは真珠が瓦に当たって砕けた音である。バチバチと響くのは水晶の玉が破裂した音である。

普段は煤煙のためにコークス色に染まって居る低い十軒長屋、五軒長屋の穢ない屋根でも、雨が降ると水の不思議な奇蹟によって、種々の色彩に反映してみえる。たとえば竜宮に住んでるかのようである。

長屋から立ちがる烟が紫色に見える。それが聖堂の香の煙のように悠々と曲線を描いて天に昇って行く。紫の烟を通して見た瓦屋根がまだ何とも云えぬほど美しい。

こんなに毎日々々雨が降り続くと、水の底に住んでいるのではないかと思われる。慥かに水の底に住んでいるのに違いはない。人間に鱗が生えては居らぬばかりだ。人間は水の中に游いでいるのだ。

天から無限の水が降ってくる。こんなにも、よく水の種があったものだと思われるほどである。しかしそう思うのが間違いで、水中に住んでいると思えば、美しい世界もあったものだと思う。

交易風が南から吹くようになると、南の方から風が蒸気を北へ運んでくる。それは昔、南蛮人を運んだのと同じ理由で、色々の変わったものを日本の列島に送り届ける。灰色の天地に、水晶を運び、ひからびた黒土の世界に真珠を蒔いて行く。虹もその運ばれるものの一つである。虹が運ばれるついでにルビーやサファイヤアも混じっている。これらの贈物はすべて無代価である。

交易風はそれ等をすべて無代価で日本に残して行く。

新見栄一が、ユタの沙漠から帰って、第一に感じたことは日本の雨の美しさであった。一年間に二十ミリしか降らない処から一年間にその幾百倍も降るところに帰ってくると、雨がうるさかろうはずであるにかかわらず、灰色の天地から新緑の日本に帰って来た彼には、降雨による天地の変化が、またとなく美しく見えた。

栄一は、降り続く五月雨を享楽した。サアと降り落される水滴の一つ一つに和蘭陀(オランダ)で出来たギヤマンの彫刻物のように雨の滴にも何か彫りつけられであるのではないかと思うくらい美しくそれを感じた。

時によると、それが硝子製の棒を天から投げるようにも思えるし、また時によると、ギヤマンの水簾を天から吊り下げてあるのではないかとも考えた。

雪も美しいが、降り続く五月雨は特に美しい。一雨一雨と新緑が深くなって行くのが見える。幾億兆滴の無色の雨が、幾億兆枚もある植物の葉に緑を塗って行くのだと思うと、もしや緑雨と云うものはないかと疑ってみる。そう思って雨を見ると、雨は碧色に見える。

躑躅(つつじ)が咲いて、霧島が綻び、芍薬、薔薇が紅の蕾を破ると、五月の雨は紅を天から撒いたかと思われる。そう思って、五月雨の空を眺めると、五月雨の夜は薄桃色にほんのりと乙女の恥じらいを見せている。
錆びたブリキ屋恨の上に雨が降る。そこでは雨が鉄色に降る。紺の衣服が漏れたままほされてある。そこには雨が紺色に降る。紺、黄、青、紫、紅、緑、.........五月の雨は奇蹟のように色彩に豊富である。

雨垂れが楽隊をやる。聖楽ハンデルが鍛冶産の軒端で作曲したアンヴィル・コーラスが聞こえてくる。

「雨垂れ、ぽっつりさん、
雨垂れ、雨垂れ、
ぽッつり、ぽッつり、ぽッつりさん」

やがて少女歌劇のコーラスがそこに聞こえる。長屋のところどころで、意味をなさない発音が雨の音楽の間々に聞こえる。それが幽闇の世界から響いてくるように――また海の底の反響を聞いているように響く。

傘をして路地に出ると、いつもならば穢ない道が、金砂か銀砂かを蒔いたように輝いている。水溜りが光線を反射して光る。すべてが今、焼き釜から出したばかりの陶器のように艶々している。地球も大きな陶器のようなものだなと栄一の頭に響いてくる。

 地球が大きな陶器ならば、雨はたしかにその彩薬(うわぐすり)である。自分が踏みしめて行く一歩一歩が輝きの焦点である。自分は皇帝の玉座に立っているより貴い所に立っていると云うような気がする。天気だと、輝きが天にのみあるが、五月雨は大地を包む光栄の彩薬である。

傘の骨から滴がぽつりぽつりと落ちる。それが一つ一つ玉である。玉が延び縮みをする。延び縮みをする毎に、玉の色彩が変化する。それはあたかも孔雀石が見方によって色彩を変化させるようなものである。

傘をさして外に出ると傘が蔽ってくれているので濡れはしないが、水の中を游いでいるようだとも感ずる。それが何だか神秘であるようにも考え、また、五月雨には濡れた方がよいのだ、雨にかからないものは自然の一部分にはなれないのだなどと考える。そんな時には栄一はレーン・コートのまま、外に飛び出して、頭から温かい五月雨を浴びる。頬を伝って露が降ちる。それを舌で舐めると、甘露よりも甘い。

自然的生活! 自然的生活! 栄一が自然的生活を好愛すればするほど、雨の日が彼を楽ましめた。
雨は甚しく貧民長屋を変化させる。雨でも降らなければ、天をも見ない二足獣が、太陽の出る日は喧嘩ばかりしているに、雨が降ると、家に引き籠って考え込んで居る。考え込むことは善いことである。あまりに忙しく、何をしているか反省の時もない動物に、雨の日が幾日も続くことによって、自分の迷路を冥想させてくれる。雨の月は印度でも冥想の月であった。栄一にとっても五月雨は彼を冥想に導く。

彼はすべてに就いて感謝した。そして彼は日本の雨を特別に感謝すらことにした。

.........五月雨が降り続く。.........銀の雨が毎日貧民窟の瓦屋根の上に落ちて来る。それが物静かな夜になると、特別に善い。平生ならば宵の口に二つも三つもある喧嘩が、雨の晩に限って一つもない。聞こえるのはただ屋根を打つ雨と雨垂れの音楽だけである。

貧民窟の小溝が水で一杯になる。そして傾斜の激しい新生田川は、五月雨がすべての汚物を瞬く間に流して行ってしまう。川のほとりで雨に濡れても善いように裸になって子供等が群をなして遊んで居る。いつも水のない名ばかりの川も五月雨には祝福せられる。

天は惜しげもなく、宝石を天から投げ落す。光線の恵みのわからぬ心にも、投げられた宝石の恵みは善くわかる。

「おっさん、雨が少し長過ぎるなア」
通りがかりの男が、筋向かいの衛生人夫に出ている鶴田の阿爺さんに挨拶すると、
「さアもし、この雨がないと、苗代が立ちまへんのでなア」
と鶴田の阿爺さんは空を見る。

狭い二畳の室で聞いていた栄一は阿波の田舎で苗代の立つ頃のことを思い出した。

白雨が苗代を水で一杯にたたえてくれる。蓑笠を来た男が手桶を持って畦道を跣足で急ぐ。栄一もそんな姿でよく男衆の後から附いて行ったことがある。赤い鋏を持った弁慶蟹が人の足音に驚いて畦の横に作った穴の中に駈け込む。青蛙も泥水の中に跳り込む。猫柳が細長い枝に青い細長い葉を、まばらにつけて、淋しそうに雨に漏れている。苗代には絹糸のような苗が青い毛氈のように密生している。豊受大神のお札が竹の串に挟まれて「水口」にさされてある。お札に祀った「あられ」と焼米が小鳥に啄ばまれたと見えて、広く散らばったまま雨に漏れている――

その光景が、栄一の眼の前に浮んでくる。なるほど、五月雨が長いと云って不平も云えない.........と頷ずかれる。雨がなければ稲作が出来ないのである。百姓にとっては五月雨は正に宝石以上の価値がある。

五月雨が降り続く。衣服も何にもベトベトになる。皮類には黴が生える。火で焼いた瓦が水のために溶けはしないかと気遣われる。その心配がなくとも瓦が雨の中に游ぎ廻る心配がある。

しかし、鰈(かれい)か「ひらめ」のように「瓦」が長雨の中に游ぐことを覚えて、毎日悦んでいる。

それが貧民窟の二畳敷御殿から引いていると善く見える。平瓦が鰈なら、丸瓦は栄蠑(えい)のようなものだ。人間は鰈と「ひらめ」と栄蠑の親類だ。一種の人魚だ。

冥想と空模様は、すべてを神秘に導く。栄一はその囁きに聞き入った。そしてまた神秘的にでも考えなければ、五月雨に閉じこめられた貧民窟に生活することは、余程困難であった。
mizunokazutoshi.jpg喫茶店である週刊誌の水野和俊さんのインタビュー記事を読んだ。水野さんは高専出身ながら日産GTRの開発者として名を馳せた人物。3月に日産を退社したばかりだった。

GTRは90%の出来、毎年進化させてきたけれどももう日産では進化できないと断言する自由人。

「自由にやらせてくれるなら『ヒョンダイ』のような海外メーカーでもどこでも行きますか」という質問に答えていた。

「その質問は『井の中の蛙』ですね。日本メーカーが韓国より優れていると思っている。欧州からみれば日本の車も韓国の車も何が違うかわからない。家電製品だってそう。世界のマーケットでは日本も韓国も差がないから値引き合戦が起き、収益が沈んだ。家電に起きることは車でも起きます」。

実は僕は15年前からこのことを考えていた。日本はいまだに井の中に籠もったまま世界の姿を見られないでいる。日本の最大の問題は世界で起きていることが国内マーケットで起きていないことである。つまり家電で起きたことがまだ日本マーケットでは起きていない。だから、いつまでも井の中の蛙でいられるのだ。
513VGFxfB3L._SL500_AA300_.jpg今日は憲法記念日。安倍首相は96条改正に意欲を示している。確かに日本国憲法は改正が難しい仕組みになっている。国会議員の3分の2の賛成を得ないと国民投票にもかけられない。

僕が問題としたいのは憲法という言葉である。明治初期に民間で最初に憲法草案を書いた植木枝盛はconstitutionを「国憲」と表現したからである。

むかし、書いたコラムを読み直して我ながらよく勉強していると思った。
http://www.yorozubp.com/2011/2009/03/post-171.html
からの一部を再掲したい。

先生「France is now a republic. Not like our country, they dont have a king as a Sovereignty」
学生「先生、そのrepublicというのはなんですか」
先生「日本では歴史始まって以来、天皇がまつりごとの中心におられたが、フランスにはそのような存在はもはやない。つまりpeopleがsovereignというこっちゃ」
学生「ますますわからん。そのSovereigntyとかsovereignとか日本語で説明してください」
先生「それが先生もわからんのじゃ。まつりごとをつかさどるという意味だが、日本にはそういう意味の単語がないのだ。天皇が京都に在位していて、将軍が江 戸でまつりごとをつかさどっていた。その将軍が大政奉還して明治の世となった。天皇が復権したいま、ヨーロッパに学んで天皇を中心にどのようなまつりごと の仕組みをつくろうかみなが考えている最中なのだ」

「政治」も「共和」「主権」もいまでは普通の日本語になっているから誰も気付かないが、当時はなんとも説明のしようがなかった。ヨーロッパの概念を一つひとつ日本語で説明する作業は並大抵でない。だから授業はほとんどが英語だった・

 明治期に多くの現在の政治、経済用語が生まれたが、「Constitution」という概念が最後まで日本語として定着しなかった。穂積陳重『法窓夜話』(岩波新書)によれば「定着するまで20年近い日々を必要とした」ことになっている。

 穂積は漢学者の家に生まれ、イギリスとドイツに留学し、建学間もない帝大法学部講師になったが、明治14年まで授業はすべて「英語」だったと書いてい る。「ようやく授業に日本語が入るようになったのは明治14年。法学部の授業が日本語になったのは明治20年ごろ」だったのだそうだ。

 またConstitutionというフランス語を最初に「憲法」という漢字にあてたのは、箕作麟祥だった。明治6年のことである。「国法」、「国制」、 「国体」、「朝綱」など、使用されていたさまざまな訳語の一つにすぎなかったから、まだ定着はしたとはいえなかった。大学の授業では Constitutionで通っていたはずだ。

 明治政府は明治16年、伊藤博文を「憲法取調」という役職につけた。プロシア、オーストリアに憲法を学びに行かせた。というより自ら学びに出掛けた。そ の時「憲法取調」という役職が新設されたといった方が正しい。政府として初めて「憲法」という漢字を使ったから、それからConstitutionは日本 語で「憲法」と定着したらしい。

 江戸時代の「憲法」という語はいまでいう六法全書のようなものを意味していた。ちなみに福澤諭吉は慶應2年の著書『西洋事業』で「アメリカ合衆国のConstitution」のことは「律例」と訳している。

このアーカイブについて

このページには、2013年5月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2013年4月です。

次のアーカイブは2013年6月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

月別 アーカイブ

ウェブページ