尖閣の命名は1900年!と高知新聞

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 高知新聞9月28日夕刊によると、「尖閣」は高知県出身の博物学者、黒岩恒(くろいわ・わたる)が1900年に命名したとする記事を掲載した。黒岩は沖縄での教職のかたわら、魚釣島周辺を探索した結果を学術誌に報告し、列島には一括した名称がないため、「余は窃(ひそ)かに尖閣列島なる名称を新設することとなせり」としたという。

 ウィキペディアの「尖閣列島」の項にはすでに書かれていることなので「新発見」ではなさそうだが、筆者にとっては驚きだった。

 外務省は「政府は1895年1月14日に閣議決定で尖閣諸島を沖縄県の所属として標杭を立てることを決めた」と説明しているが、高知新聞の記事が事実ならば、標杭を立てた当時、魚釣島の名称はあっても「尖閣」の名称はまだなかったことになる。

 尖閣列島は長らく無人島だったため、ほとんどの日本人にとってイメージがまったく湧かない島々である。だが領土問題となると、筆者も含めてだれもが日本の領土だと信じて疑わない。そもそも19世紀の後半まで世界で国境の確定していない部分が少なくなかった。ヨーロッパとアメリカ合衆国など近代国家以外ではそもそも国家の概念さえ希薄だった。

 言葉は悪いが取ったもの勝ちだったはずである。北海道でさえ、命名されたのは明治になってから。それまでは蝦夷と呼ばれ、幕府が統治していたのは松前だけである。その先の樺太や千島にいたっては日本人が定住していた形跡さえほとんどみられない。

 アメリカ人が捕鯨の補給基地にしていたボニン・アイルランドが小笠原諸島として日本領に編入された経緯だって本当に不思議なものなのだ。そんな時代に「魚釣島」などが「日本」に編入されたのは事実なのである。

 19世紀の領土のぶんどり合いの結果が21世紀になっても蒸し返される東アジアの政治情勢になんともやるせない思いにさせられる。

 もともと尖閣の問題は、1970年代に海底資源が眠るという調査が明らかになったことに端を発する。中国が領海を越えて海底油田の掘削を始めたが、そもそも有望な油田があるのだとしたら、日本の石油会社が掘っているだろいうし、世界の石油メジャーだって黙っているはずがない。西側の資本が関心を示さないということは現時点で決して有望な油田でない証左である。

 小さな無人島に角を突き合わせるのは国家の沽券にかかわるという部分だけではないかと考える。そういうことならば、その「国家」を取り外して考えられないかというのが筆者の意見である。

 そう共同管理である。現在のEUはそもそも独仏国境の鉄鉱・石炭資源の共同管理という発想から生まれた。欧州石炭鉄鋼共同体である。

 戦争に負けたドイツが言い出したことではなく、戦勝国のフランス、シューマン外相が言い出したところにみそがある。竹島の場合、実効支配しているのは韓国であり、韓国が共同管理を言い出さないかぎり話は前に進まない。日本が言い出すべきは「尖閣の共同管理」である。その場合も日中の共同管理ではなく、き たるべき「東アジア共同体」による共同管理であろう。

 東アジア共同体による共同管理が進めば、南沙、西沙諸島問題、竹島、ひょっとしたら北方領土も同じ土俵で問題解決の道が開けるかも知れないと思う。


 高知新聞はこの記事の冒頭部分しかネットに掲載していないため、全文ではないが転載させていただく。http://www.kochinews.co.jp/?&nwSrl=293720&nwIW=1&nwVt=knd
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「尖閣」の命名は高知県出身者/博物学者・黒岩恒 112年前島々を探検

 領有権をめぐり日中の対立が激化している尖閣諸島だが、点在する島々を一括して「尖閣列島」と命名したのは高岡郡佐川町出身の黒岩恒(くろいわ・ひさし、1858~1930年)だ。牧野富太郎とも親交の深かった博物学者で、沖縄師範学校の教員時代に依頼を受けて現地を踏査。沖縄県名護市には顕彰碑が建てられている。
 黒岩は18歳で高知県の佐川小学校の教員となり、県尋常中学校などで教壇になった。1982年、沖縄の動植物や民俗研究に業績を残した田代定安の影響や、幼なじみの牧野の勧めもあって、沖縄に行ったとされる。
 沖縄では教員の傍ら、動植物や民俗などの研究に没頭。多くの学術論文を発表した。牧野にも現地の珍しい植物標本を送っており、・・・。
 (中略)
 黒岩が尖閣諸島を探索したのは1999年5月。明治政府から無償借地した久場島などの開拓に着手していた実業家の古賀辰四郎の依頼に基づき、沖縄県師範学校命で18日間かけて魚釣島などの地質や動植物を調査した。
 黒岩はこれを「尖閣列島探検記事」と題して同年発行の「地学雑誌第12号」に発表。「列島には未た一括せる名称泣く、地理学上不便が少なからざるを以て、余は窃はに尖閣列島鳴る名称を新設することとなせり」とし、釣魚嶼=現在の魚釣島、尖閣諸島(現在の北小島と南小島)、黄尾嶼(現在の久場島)の4島を「尖閣列島」と定義した。・・・・・・・・

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このページは、伴 武澄が2012年9月29日 15:03に書いたブログ記事です。

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