2012年8月アーカイブ

DSC_0261500.jpg 土佐山に来るまで水がこんなに美しいものだと思わなかった。金曜日、炭焼きの火入れの前に炭小屋の近くを散策した、段々畑の真ん中に巨石があって、そばを何の変哲もない渓流が流れていた。

 何度かシャッターを押している間に、高速シャッターで流れを撮ってみたらどうだろうと考えた。カメラのモードを自動からシャッター速度優先に変更して、どんどんスピードを上げていった。2000分の1が限界だった。

 この1枚倍はシャッター速度を2000分撮った一コマだ。夏のほとばしる水の涼しさがよく表現されたと思っている。

 これまでは川の水の流れを重視して、なるべく遅いシャッタースピードで撮影してきた。流れ全体を撮るには確かにいいのだが、涼しさが感じられない。

 土佐山では山や森はもちろん、草花、昆虫、雲、空、雨・・・何でも被写体となる。残念なことにその名前が分からない。分かり出したらたぶん、山の生活の楽しみは何十倍にもなるのではないかと思う。

 この晩はイノシシ小屋でバーベキューをしてもらい、星空を仰いだのだが、北斗七星以外に星座の名前が分からない。
DSC_0416700.jpg 罠にかかり鉄檻に捕らえられた子イノシシは我々を見ると、何度も鉄柵に猛進する。その度にガシャン、ガジャンと鈍い音をさせ、鼻の上部から鮮血をにじませた。まもなく、あわれな子イノシシは高川三銃士によって、心臓を一突きにされ倒れた。25日の夕方、なんと、その殺生の場面に遭遇してしまった。

 イノシシは山では害獣とされ、行政によって"捕獲駆除"が奨励されている。よほどのことがないかぎり人に危害は加えないらしいが、畑荒らしは日常的だ。だから、殺して当局に耳と尾っぽを持ち込むと奨励金6000円が支給される。

 もちろんその肉は山の幸として人々の蛋白源となる。土佐山高川地区のイノシシ三銃士はミキヒロさん、マサゾウさんとチュウさん。

 そのうちミキヒロさんはまだ経験2年。定年後、高川に帰り、狩を覚えた。「最初は嫌だったけど、山に生きるとはこういうことなのだと悟らされた」と言う。

 前の晩、彼らと飲んでいた時に、「明日、イノシシを解体するけんど、見るかや」と言われた。土佐山アカデミー生として山に住むことになったら、どこかでイノシシの解体も体験するのではないかと想像していた。

 イノシシの檻に近づくにつれ「殺生」という言葉が何度も頭をよぎった。ふだん都会では肉屋に並んだ肉しかみることはない。だが、われわれは誰かがどこかで「殺生」をしてくれているお陰で生きている。そう人間は殺生をして生きているのだ。

 恐くないといえば、うそになる。もちろん恐かった。山に生きる意味を体験しなければと勇気を振った。不思議だったのは、恐いのは殺すまでの時間で、死んでしまった後のイノシシは単なる肉にしかみえなかった。殺生の場面から3時間、解体の最後まで付き合った。

 土佐山では高川のほか3つの地区でイノシシの"駆除"が行われている。 
226027_358049830942042_999504113_n.jpg 今日は旧暦の七夕。堪ちゃんが旧暦の七夕は晴れて土佐山では天の川が見えると言っていた。

 一昨日と昨日は高川公民館近くの炭焼き小屋で炭焼きの準備。炭焼きクラブの人々が今でも年に何回か炭焼きをしている。その炭焼きクラブの人たちに手伝ってもらって真夏の炭焼きを行おうというのである。

 古老によると、土佐山では数十年前まで炭焼きをなりわいとしていた。昭和30年代までの話である。山に住む人々がそれぞれの山に炭焼き小屋を持っていた。夫婦と子ども、3、4人で木を切り、窯入れをした。今なら細いながらも舗装道路があるが、当時は歩く道しかなかった。出来上がった木炭は俵に入れて川べりの県道まで担いで下った。木炭は山の貴重な現金収入源だった。

 授業が始まった。樫の木を中心に山で木を切り、太い枝は半分、4分の1に割る。チェーンソーは使わない。鉄のタガを割れ目に入れて鉄ハンマーで割る作業はけっこうな力仕事だ。重たい上に樫やツバキは硬いのだ。何人かダウンした。
 
 1メートルから1メートル50センチぐらいに切った木を今度は窯にじゅんぐりに入れるのだが、並べるはプロの大崎さんの仕事。窯は直径約3メートルの広さ。中から大崎さんが大声で「何センチ、何本」と叫ぶと、ぼくらは適当な長さの木を選んで窯に運び込む。窯の上部に隙間ができると完全燃焼してしまうので、ぎりぎりまで木を詰め込む。ここらがテクニックなのだそうだ。

 僕は特別に竹でつくったコップを2つ、窯に入れてもらった。炭化しないで燃えてしまうかもしれないと言われたが、コケを入れてうまく焼き上がった話をきいていた。「万が一でも真っ黒な竹製のコップだできたら御の字」のつもりである。
 
 2日目の終わりに窯は木でいっぱいになった。外に山積みとなっていた木の枝がほとんどなくなったから、相当の量の木が窯に入ったことになる。今日、入り口を石と土で完全に密封し午後4時に火入れを行う。終わった後は高川地区炭焼きクラブの人たちとバーベキューをして星をながめることになっている。楽しみだ。
shinsyo-l.jpg 土佐山アカデミーの講義で『半農半X』の著者、塩見直紀が京都の綾部から来てくれた。面白いのは出版元が廃業して絶版となったため、自ら田舎に出版社を設立して再版したという。その出版社では「おみやげ」の本づくりをしているというからまた、面白い。

『半農半X』を読んでいて示唆を受けることが少なくない。その中の一つ。

 仙台市在住の半農半民俗研究家とも癒える結城登美雄さんが、「よい地域の条件」として「海、山、川などの豊かな自然があること。いい習慣があること。い い仕事があること。少しのお金で笑って暮らせる生活技術を教えてくれる学びの場があること。住んでいて気持ちがいいこと、自分のことを思ってくれる友達が 三人いること」と言っている。

 どれも自分にとって大切なことである。客観的な価値観などはそもそも存在しない。なるほど、自分がその地域とどう向きあうかが一番問題だと指摘してくれているような気がする。

 面白いもので、そんな『半農半X』を読んでいると、日経新聞(8月22日)生活面で関連する記事が掲載され、塩見さんのインタビューも載っていた。以下のその記事である。

 仕事は続け、農業に挑戦 「半農半X」という生き方

  生活の半分は農業、もう半分は自分の得意な仕事ややりたい仕事。そんな「半農半X(エックス)」という生き方が注目されている。「食」の安全や環境問題への関心の高まり、豊かな生活・社会へのあこがれなどが背景にある。どんな生活なのか。都会に暮らす人でもできるのだろうか。

  大阪市で看護師をしていた関西出身の広川恭子さん(34)は今年2月、島根県中南部の飯南町に引っ越した。「半農半看護」の暮らしを始めるためだ。冬場は週4~5日、町立飯南病院で働いたが、春から病院は週3日勤務。2日は農業研修、2日は休みという生活になった。

  町が研修用に300平方メートルほどの農地を用意。ここで同町特産のヤマトイモなどを栽培する。研修日だけでなく、病院からの帰り道や休日にもつい畑に寄ってしまう。ヤマトイモの収穫は11月。広川さんは「今からどきどきです」と笑う。  もともと無農薬の野菜などが好きで、都会暮らしにも少し飽きていた。そんなとき大阪市で開かれたUIターンフェアに行ったところ、島根県の関係者から「半農半Xで移住してみませんか」と声を掛けられた。農業研修が受けられ、最長2年間は月12万円の助成金が出る。「X」に当たる職場も紹介してくれる。研修後、農業に必要な設備資金の補助もある。  広川さんは2泊3日の現地体験ツアーにも参加した後、「これならなんとかやっていける」と移住を決断した。助成金と病院からの給料を合わせても以前より収入が減ったのが厳しいが、「今の生活リズムは自分にぴったり」と話す。研修が終わると、耕作地を広げ、5年後をメドに、農業で年間90万円の販売額を目指す。

 ■新しい兼業農家スタイル

  全国的に農家が減る中、島根県も都会から就農希望者を募ってきた。しかし、いきなり専業農家を目指すのは大変。そこで、敷居を低くするために、新しいライフスタイルとささやかれていた「半農半X」の考え方を2010年度から導入した。農業以外の仕事にも携わり、全体として生活に必要な収入を得てもらう兼業農家的な考えだ。

  11年度からは「X」の部分に「看護」「介護」「保育」といった具体的な職種を入れて募集開始。これらの職種が県内で不足しているという事情もあった。

  これまでのところ「半農半X」移住者は15人。30~40代が多く、家族連れも増えてきた。県農業経営課では「農業とのその地域の担い手となる人に来てもらいたい。イメージと違うこともあるので、まずは体験ツアーなどに参加してもらいたい」と話している。  地方で本格的に農業を始めるばかりが「半農半X」ではない。この言葉の提唱者で農業を営む塩見直紀さんによると、持続可能な農のある小さな暮らしをベースに、自分の才能を世の中のために生かしていくのが「半農半X」。それは都会でも始められる。

 ■まずは体験農園

 「命を保つための作物ぐらい自分でつくらないとだめなのではないか」。東京都内でファイナンシャルプランナーとして働く女性(55)は3年ほど前、こんな思いから野菜作りを始めようとした。しかし経験もなく、市民農園を借りたとしても自信がない。

  そんなとき、農家に指導してもらいながら作物をつくる体験農園という方式があるのを知り、その一つである練馬区の白石農園に通うことにした。収穫期などのピーク時で週に一度2~3時間ほどを農作業に費やす。「取れたての野菜がこんなにおいしいとは知らなかった」と楽しそうだ。

  農園主の白石好孝さんは「体験農園を始めた16年前には団塊の世代の会社員の申し込みが多かった。今では20~30代の若い家族に広がり、定員はすぐ埋まる」という。利用者が払う費用は年4万3千円(練馬区在住者には区の補助あり)。通常、収穫物は8万円相当分ぐらいあるそうだ。「半農半Xとまではいかなくても、まずは身近な場所で得られる豊かさを知ってもらいたい」(白石さん)  体験農園や市民農園は自治体経由で申し込む例が多い。探すならまず地元自治体に問い合わせてみたい。

  都市住民と農業を結び付ける新たな試みもある。一般社団法人、都市生活者の農力向上委員会は今冬にも農業の基礎知識を身につけてもらうための「農力検定」を始める計画。一般市民200人程度の参加を目指す。ベランダ菜園なども解説した「農力検定テキスト」(コモンズ)も出版した。  「不安定さが増す社会の中で今最も必要なのは自給できる能力すなわち農力」(代表理事の西村豊さん)との発想だ。半農半Xの考え方は静かに広がっている。

 ■「半農半X」の提唱者に聞く

  「半農半X」を提唱した塩見直紀さん(47)は京都府綾部市で自給的な農業を営む傍ら、半農半X研究所代表として講演や地域おこし活動を続けている。言葉に託した思いを聞いた。

  もともと環境や食糧問題に関心があり、一方で自分の天職とは何かを考え続けていた。1995年ごろ、ある本で「半農半著」という言葉を知り「半農半X」という新たな言葉が生まれた。Xはその人の天職。私の場合は半農半Xを広めること。農に携わり大地に触れることでインスピレーションが生まれ、Xの部分にもいい影響が必ずある。

  「田舎で農業」といえば、定年後の楽しみや会社組織からの脱落といったイメージだったが、半農半Xでは社会のために自分の能力を生かすという積極的・創造的な意味合いを持つ。実際、20代の優秀な人たちが田舎に集まる。

 ベランダ菜園でもいいので、少しでも農に触れる時間を持つことが大切。命の根っこを大事にする生活をしながら、自分の才能を生かし、その才を独占せず、分かち合い、伝えていく。そんな精神でこの難しい時代を生きていきたい。この考え方は中国や台湾など海外でも関心を持ってもらいつつある。(談)(編集委員 山口聡)
Wildpoldsried-Wind-Miraim-Rauh-2-300x224.jpg ドイツのヴィルトポルツリート村が15年でエネルギー生産村に転じたというレポートがある。福島を経験してもまだ「原発の必要性」を声を大にする人々は世界の変 化が見えていない。見ようとしない。あえて見たくないのかもしれない。そういう人々に牽引される日本は本当に悲劇だ。官僚も経済界も総入れ替えが必要だ。

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「原発がないと経済や産業が成りたっていかない」とか「自然エネルギーで電力需要をまかなうというのは非現実的」と信じている人が、日本ではいまだ に多いようだ。しかし、ドイツにはさまざまな科学的知見と最高水準の技術を生かして複数の再生可能エネルギーを複合的に利用し、"エネルギー自治"に成功 している市町村がすでにいくつもある。具体例として模範的な緑の村、南ドイツ・バイエルン州のヴィルトポルツリート(Wildpoldsried) 村を紹介する。


ヴィルトポルツリート村は風光明媚なアルゴイ地方にある人口2570人の小さな村だが、最近は世界各地からの見学者が絶えない。「エネルギー転換をすでに 実現した村」として有名になったためで、1996年に最初にエネルギー転換を提唱したツェンゲルレ村長は、いま見学者の対応に追われている。

ヴィルトポルツリート村は、現在自分たちが使う何倍もの量の電力を生産しているという。もちろん自然エネルギー100%だ。こういう結果になったの は、理想主義的な政治家たちの先見の明と村人たちの積極的な行動力のおかげだという。実際の行動開始は1999年にさかのぼる。この年、村の住民を対象に 「2020年の村のヴィジョン」に関するアンケート調査が実施され、その結果をまとめた行動目標が村議会にかけられた。村議会は保守のキリスト教社会同盟 の議員も社会民主党の議員も、全会一致でこの革新的な「2020年の村のヴィジョン」を承認した。

 http://midori1kwh.de/2012/08/12/2245



DSC_0280700.jpg 土佐山で小水力発電の計画が浮上している。5月に高知新聞が一面トップで書いていたから記憶のある方も少なくないと思う。鏡川の支流である高川川の上流地点に格好の発電可能サイトが見つかったのだ。そのことを思い出していたら、その昔、書いたコラムが偶然出てきたので再掲したい。
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 エネルギーを自給できる村をつくれたら、と漠然と考えていたことがある。そんなことができるならそこの村長になりたいとも考えた。

 そんな村が四国に現存していることを知ってびっくりした。というより、戦前にはそんな村をそこかしこのあったのだということを再認識させられたという方が正しい。

 エネルギー自給の村は旧別子山村。市町村合併で現在は新居浜市の一部となっている。別子山は江戸時代から住友が銅山を経営していたところ。日本有数どころか世界的銅鉱山だった時期もある。廃鉱となってから30年以上がたつが、昭和34年、地元の森林組合が別子山発電所と小美野発電所を建設・経営し、村に電力を供給していた。別子山村では四国電力の送電線は一切なく、村独自の電力体系を持っていて、余った電力を四国電力に売っていたのだ。

 筆者がエネルギー自給村をつくりたいと思ったのは、まさに別子山村のような村をつくりたかったからである。山村の資源は森林と観光しかないのではなく、水からエネルギーを生みだして、"商品"として販売することも可能なのだ。

 賀川督明さんが関わっている「水の文化」28号に小林久茨城大学農学部准教授はこんなことを書いている。

「30戸規模の集落が発電機を入れて、自分たちの電力をまかなうケースを想定してみましょう。1軒の家庭が1年間で消費する電力は5000kwhぐらいです。ということは1軒につき1kwの発電設備でまかなえますから、30軒で30Kwの発電機があればいいわけです。仮に1kw100万円として30世帯で3000万円集めて初期投資し、あとは維持管理のコストを見ておけば採算は取れます。こういう集落が増えたら、不足分が出たり余ったりしたときにお互い融通しあえばいい。小さな集落がお互いに融通し合うことで、自立していけることが私の描く農村の理想図です」

 実は30kwの出力は軽自動車のエンジンでも優に出せるエネルギー量なのである。洗濯機や冷蔵庫の中古のモーターを水車で回したらどうなるか。モーターは発電機そのものであるから問題はない。

 こんな発想で村を経営したらおもしろいのではないだろうか。村に鍛冶屋が復活して、童謡の「村の水車」のようなことになりはしないか。たぶん3000万円よりずっと安く村の発電所が実現しそうだ。

 ずっと考えていたことが何か手に届くところにあるような気がしてきた。

 2008年2月発行の『水の文化』(ミツカン水の文化センター)28号は「小電力の包蔵力(ポテンシャル)」がテーマ。小林久茨城大学農学部准教授が「エネルギー自立型から供給型へ」という論文で報告していた。
 僕にとってオリンピックとよさこいがいっしょにやってきた。個人的には土佐山アカデミーの学舎で日々を新たにしていた。そんな時期に憤懣やるかたないのは参院での消費税増税の成立である。世界も高知も祭りで浮かれているこの時期に日本の国政は別世界だった。希望のかけらすら感じられない駆け引きが行われていた。

 野党の自民党は内閣不信任を振りかざしながら野田佳彦首相に早期解散の言質をとろうと迫り、野田首相もずるずると譲歩を重ねた。この間、新聞の見通しはコロコロ変わり、日替わりの見出しを打った。国民は政治で何が起きているのか分からず仕舞だった。

 結局解散は「近いうちに」という表現で自民党も折り合って、参院で消費税増税が成立した。消費税増税は決まったものの、端から見ているとすべて自民党ペースだった。

 野田首相は毅然とした政治を約束したはずであるが、もはやレームダック同然である。筆者は当初から消費税の増税には反対である。増税が必要なのは官僚機構であるのは歴然としている。国家的財政危機をよそに身を切る勇気を持つ官僚はいないのか、不思議で仕方ない。リーダーシップを失った野田政権は今後、どう漂うのか。

 そういえば、この時期、甲子園で高校野球も序盤戦だった。ふつう8月というのはみんなが休暇をとる月であり、国の将来を左右するような政策決定をする時期ではないはずなのだが・・・。
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☆もちろん日本選手の活躍には期待しているけれど、各国の選手の緊張の合間の何気ない仕草、勝利したときの歓びや負けた悔しさ、それぞれにお国振りも相まって見ていて微笑ましい。とくに普段聞いたこともない途上国の選手だと、なおさらだ。思わず応援したくなる。スポーツ先進国の選手たちだって同じ苦しさを味わっている。とくに重量挙げなど途上国優位の競技に出場する欧米諸国の選手たちにも同じ感情が湧く。やれ金だ銀だとメダル本位の報道の陰に隠れがちな大切なメッセージが、オリンピックには沢山埋まっている。(女子柔道48kgを見て)



olimpic2.jpg☆有望コメンテーター発掘!鈴木聡美100m女子平泳ぎ。予選の時からインタビューのやり取りがしっかりしていて纏まりがあり、なおかつ言葉遣いと語彙の豊富さが目に付いた。そして何とも一途な眸と愛くるしい笑顔。爺さまはこんな娘がお茶の間に登場してもらいたいのだ!(競泳女子100m予選)







olimpic3.jpg☆永井も吉田麻耶も大津も素晴らしかった!この試合でもう一つ印象に残ったのは審判。この人は確かスペイン戦も笛を吹いたと思うがホントに細かい所までよく見ていた。そしてどちらの試合でも躊躇なくREDを出した。その彼にユニフォームを相手選手に掴まれたと酒井宏樹が自分の両目を指し「よく見ろ!」とジェスチャーした。この選手は時折湯沸かしのようにカッとなる。7万の眼の肥えた観衆の前でこの行為は恥ずかしかった。サッカー男女、競泳メドレー男女、皆いみじくも「チームの結束力」を勝因に挙げていたのも印象的だった。やはりこの国の強みを如何なく発揮できるのは「和の国ニッポン」なんだなと改めて思う。(男子サッカー 対エジプト戦)

オリンピック雑感

一大スぺクタクルをまるで「村の鎮守の夏祭り」のようにミニマイズした運営コンセプトが、とても好感のもてる大会だった。技術と資金力に物をいわせる米国流、未来志向のフランス流、国威発揚の中国流のどれとも違って、英国の真骨頂というか陰で仕切ってピリリと光らせるセンスのよさは、流石に伝統に裏打ちされているなと舌を巻いた。どんな趣向の大会でも素朴な地球村の祭りを感じさせてくれるシーンがある。それは五輪旗の入場とオリンピック賛歌だ。毎回この場面を目にする度、理想を夢見た若い頃の気分を思い出させてくれる。今回はこの場面が全体に自然に溶け込んだ観衆志向の大会だった。さしずめ競技は、祭りの相撲大会のようなものだろう。成熟後の国の一つの行き方なのかもしれない。もっとも日本がこれを真似るには百年早いかも知れない。世界中の人々のお茶の間に親近感を届ける大会だったのではないだろうか。

競技を見ていて強く思ったのは「本番に強い」若者がどんどん出始めているということだ。4年に1回の本番で世界記録やオリンピック記録を出せるというのは生易しいことではないだろう。これは世界的にもそうだが取分け日本は特出していた。稽古場横綱で本番に弱いのが私たち世代の日本人の代名詞だった。世界では刃が立たぬまでも自己新記録を本番で出す若者たちに頼もしさを感じた。日本人も徐々にではあるが確実に変わりつつある。

その背景にあるのはアスリートの「お国のために」という感覚からの脱皮と「まず楽しんで、成果が出たら国のみんなの元気と励みになれる」というような変化だ。同じような言葉だがスタンスが真逆なのだ。旧来価値観で頑張っちゃった象徴が柔道界ではないだろうか?その意味で指導者や教育者の時代感覚、世界感覚が問われている時代なのかも知れない。指導者というのはすごいものだ。典型的なのがシンクロナイズド・スイミングの井村雅代コーチ。出る杭は打たれる式に日本の社会に居場所を失くして、中国に活路を求め銀メダルを取った。

日本のスポーツ界は楽しさを創りだすことで強くなれることを学んだ。組織の力や結束力は定評あるのだから、後は個人の身体能力の向上だろう。科学的解析力はお手のものの国だから必要なのは資金的後押しだろう。「2番じゃダメなんでしょうか?」という発想では2番にもなれないのです。メダルが必要なのじゃなくて、メダルへのアプローチのスタンスがいまこの国には必要とされてるのではないだろうか。しかし理屈は抜きにして金銀銅に関係なく、見ごたえのある競技が多かった。マスコミも一時よりはメダルメダルと云わなくなった。いいことだ。

最後にもっとも印象に残った競技とアスリートのコメントをいくつか。やはり「なでしこ」そしてキャプテン宮間の一言ひとことは胸を打った。「決勝で負けたがいい試合ができた。ここに来るまでに倒してきた全てのチームの思いも胸に試合に臨んだ。後に繋がる試合が出来たとおもう」そしてボクシングの村田選手「神様が僕に味方してくれた。これがゴールなら感動して泣き崩れていたでしょうが、このメダルが僕の価値ではない。これからの人生が僕の価値になる」試合を終えた直後になかなか言える言葉ではない。普段から思っているからこそ、口を突いて言葉になるのでしょう。宮間選手も村田選手もその意味で将来スポーツ界いや社会の指導者の素養を持った人だと思います。

(あとがき)

☆サッカー三位決定戦には、そんな祭り気分が吹っ飛び不快感とやり切れなさが残りました。日本に勝てば兵役免除とか、領土問題のプラカードなどで折角の気分が台無しになりました。でも次の投稿がすっきりさせてくれました。 (記事はHinako Sugioka Israelさんから頂きました)

olimpic4.jpg以下がその記事引用と外国人記者が撮った写真です。「素晴らしい若者たち!」
「韓国に敗れ、銅メダルも手中にできなくて悔しい思いや残念な思いをしたのは選手だけではない。スタジアムで日本チームを応援し続けたサポーター達もかなり悔しかったはずだ。しかし、日本人サポーターは日本での試合後と同じように、自分達の応援席のスペースのゴミ拾いや清掃をしていた。ややもすれば、負けたことの腹いせにイスを壊したりモノを投げたりの暴挙に出る輩もいるというのに。だが、この行為の根底にある精神こそが日本人が長く培ってきてきた武士道にも似た精神であると信じている。そして、この清掃をする日本の若者達に感謝したい気持ちでいっぱいである。」

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 今年のよさこい国際交流隊には高知工科大学が招待したYosakoi summer seminarの大学生たち28人が参加した。中国瀋陽工業大学、タイの日泰工業大学の学生13人、それに留学生を含めた工科大学の学生15人が加わり、我がチームは創設以来初めて100人を上回った。人数面で一流チームの仲間入りをしたというわけだ。

 瀋陽工業大学、日泰工業大学ともこれまで留学生の受け入れなど交流の深い大学。交流をさらに拡大するため、よさこい踊りへの参加を中心に室戸ジオ・パーク見学、地元高校との交流など多彩なプログラムを組んだ。

 参加者には「高知が最初の海外」という学生もおり、約10日間の高知滞在でほとんどが「高知大好き」になってしまい、帰国時には涙、涙のお別れとなったというからこの招聘事業は大成功に終わったのではないかと思う。

 よさこい 最高潮(朝日新聞)

 第59回よさこい祭りは11日、本番2日目を迎えた。高知市内は曇り空だったが、17カ所の競演場・演舞場は、踊り子と観客の熱気に包まれた。2日間の審査の結果、最優秀のよさこい大賞は2年連続で「とらっく」が受賞した。最終日の12日には全国大会がある。

 外国人メンバーが多い「響よさこい国際交流隊」で、中国とタイから来た大学生計13人が笑顔で踊っていた。外国の学生に高知の文化を知っ てもらおうと、高知工科大(香美市)が初めて企画。瀋陽工業大4年の周洪盛(チョウ・ホン・シェン)さん(22)は「よさこいの情熱が印象的。自分も踊っ て若返った気がする」。泰日工業大4年のタナパンさん(21)は「みんな一生懸命に踊っていて、楽しかった。高知が好きになりました」と話した。

 12日の全国大会では、高知城や中央公園などの4会場で、県外46チームと入賞チームが踊る。(竹山栄太郎)

【写真】「響よさこい国際交流隊」に加わり初めてのよさこいにチャレンジする外国人学生たち=帯屋町演舞場
 ヘイ・ジュード  ロンドンオリンピックと柔道とプーチン大統領

                        龍谷大学教授 中野 有

nakanotamotu.jpgロンドンオリンピックは、ポールマッカートニー氏のヘイ・ジュードでスタートした。高校時代に柔道部に属した者にとってこの曲は柔道を連想させる。オリンピックの中継では本番の日本の柔道が外国の「ジュードウ」に圧倒され緊張と重圧に圧倒されている日本の柔道家の姿が写し出されている。

柔道で勝ってもジュードウでは負けてしまう日本人の肉体的な特徴を観察すると、金メダルが減ってもそれは日本の柔道にとって大きな問題でないと考える。なぜなら柔道がグローバルに展開するほど日本の柔道家が国際試合で勝利する確率は減るからであり、むしろ柔道の国際貢献にとって避けて通れない道だろう。

ロシアの柔道家が10
0キロ級で優勝し時、プーチン大統領は会場で観戦していた。柔道家であるプーチン大統領の喜びは最高潮に達したと想像する。実際、プーチン大統領に会われた人からこんな話を聞いた。少年時代のプーチン氏は、不良少年の仲間入りをしていたそうだ。そんなプーチン少年を救ったのが柔道だそうだ。現在も、プーチン大統領は自宅にある嘉納治五郎先生の像を毎朝拝んでおられるそうだ。それ程までにプーチン大統領は柔道への思い入れが強い。

12年前にプーチン大統領が来日された時、柔道のメッカである講道館を訪問され、柔道着を身につけられ柔道家プーチンを演出されたそうだ。黒帯であるプーチン大統領は、講道館が贈られた六段の証書と紅白の帯をその場で辞退され、もっと練習に励みこの帯に相応しくなると述べられたそうだ。

ロシアという大国のリーダーが柔道家であり、とりわけ嘉納治五郎先生をはじめとする日本の柔道を尊敬されているというのは素晴らしいことである。プーチン大統領の黒帯外交という表現もされているように、柔道、或いはジュードウが外交の舞台でも活用されることがあってもいいのではなかろうか。

北方領土問題に対し、プーチン大統領は、柔道用語である「引き分け」を使われたそうだ。ヨーロッパを好むメドベージェフ首相と違いプーチン大統領はユーラシアやアジアに力点をおいた外交を進展させる可能性もある。

領土問題は複雑である。いくら戦略的な外交を駆使しても結果は期待できない。しかし、不可能を可能にする要素があるとすると、それは一国のリーダーの思い入れや信念ではないだろうか。プーチン大統領の思い入れは柔道である。とすると、日露関係における最大の切り札は、柔道外交である。対ロシア外交における柔道こそ日本の最高のソフトパワーだろう。

ロンドンオリンピックにおいて勝敗における日本柔道のパワーは劣化した。しかし、ロシア、ドイツ、フランス、オランダ、イギリス、モンゴル、中央アジア諸国、アルゼンチン、韓国、北朝鮮、中国など世界中に柔道及びジュードウの人気が拡張しているのは日本柔道にとっても日本にとっても好機だと考えられる。

プーチン大統領はロス五輪のゴールドメダリストである柔道家山下泰裕氏を尊敬されているという。柔道からグローバルなジュードウに変化しても柔道の精神や信念を継承して行くのはプーチン大統領のような少年期に柔道に接した人物であり、今も嘉納治五郎先生の像を拝む人物であろう。将来、山下氏がロシア大使になられプーチン大統領と北方領土問題を交渉されれば、少なくとも「引き分け」以上の成果が生まれるのではないだろうか。

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