EUの基礎をつくったシューマン・プラン

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Robert_Schuman.jpg シューマン・プランを知っているだろうか。シューマンは200年にわたりドイツとフランスが争った鉄と石炭の宝庫アルザス/ローレンヌ地方を国際管理することを提案したフランスの外務大臣。恩讐を越えてヨーロッパ連合が誕生する大きな引き金をつくった人物である。名前の通り、戦後まもなくドイツ系の人物がフランスで閣僚になったヨーロッパ。

 在日韓国人が日本国の外務大臣になって、竹島問題や尖閣問題を解決する奇想天外な問題提起をし、東アジアに平和をもたらす。・・・・われわれはそんなことを想定することができるだろうか。財団法人国際平和協会に残る機関誌「世界国家」を自炊しながら、賀川豊彦の貴重な論文を転載したい。

 世界の危機とその救

 ――シューマン・プランの教うるもの――

  鉄と石炭の宝庫

 第一次世界大戦の結果、ドイツは鉄と石炭の宝庫=アルザスローレンを、フランスに割譲しなければならなくなったが、その後、人民一般投票によって同地方は独立国家を作ることゝなり、ルクセンブルグが生れた。

 ついで第二次大戦ではルクセンブルグの東南、石炭地区のザール地方が同様の運命に陥って、ザール自治領が生れようとしているし、さらにベルリンの西北、エッセン地方もまた英国の支配の下にある。

 エッセンの中でも特にルール地方は良質の石炭と鉄鉱を豊富に産出するので著名で、そのため早くから製鉄業と、それに伴う機械製造業が発達し、有名なクルップ工場も、その中にあって、これほど繁栄したところは世界にも稀れだといわれた。

 これをわが国でいえば、東京、大阪、名古屋の三市を合わせたような大工場地帯で、第二次大戦中、米英空軍は烈しい爆撃をこれに加えたので、徹底的に破壊されたと伝えられていたが、戦争がすんで見ると、工場施設の五割以上が、残存していた。そして戦後、製造能力が漸次回復し、今では年産一千五百万トンの鉄鋼を生産する能力かあるといわれる。

 以上にあげた諸地方の工業生産力は、そのまゝ軍需生産となるものだから、現下の不安な国際情勢下にあっては、各国の神経を刺戟するところ甚大で、ルール地方のごとき、ソ連が支配権を得ようとして画策したが、西ヨーロッパ諸国はソ連の割りこむ余地を与えず、米英は、これを国際管理の下に置こうとするが、西ドイツはそれを承知しないというような複雑微妙な状態にある。いずれも、この地方の工業生産力に垂涎してのことであった。

 西ドイツは人口四千五百万人を擁しているが、鉄、石炭の宝庫といわれる地方は、以上あげたような英米仏、その他の管理下に置かれているので、産業の復活は、なかなか至難な状況にある。もし真に西ドイツを復興せしめようとするなら戦勝国が、こぞって、これらの地区の管理権を放棄し、ドイツに返還してやるよりほかはない。しかし、そんなことができよう道理はなかった。ところが、国際問題の通念を、ひっくりかえすような事件が起った。それはフランスのシューマン外相が投じた爆弾的提唱であった。

  シューマン外相の爆弾的提案

 一九五〇年五月九日、西ヨーロッパ連邦議会の外相会議の席上で、シューマン外相は次のように提議した。「フランスはドイツにおけるその勢力圏の石炭と鉄との管理を、すべて投げ出して、超国家機関に託し、ドイツと握手し、ザールの石炭、ローレンの鉄を共同経営に移す用意がある――」と。このシューマン提案は世界を驚かした。一ばん驚いたのはフランスそのものであった。ドイツの復興を最も警戒しつゞけて来たフランスが、他国にさきがけてドイツと仲直りをし、その復興を助けようというのだから、驚くのが当然である。イギリスも驚いた。石炭は国有となし、鉄も国家管理に移すことに議決しているイギリスとしては、ドイツが、鉄と石炭とを手に入れて、イギリスの競争相手となることは由々しい一大事だからである。

 しかも、ドイツを復興させ、ヨーロッパ連邦議会の結束を強化するためには、この思いきった処置に出るよりほかに道はないのだ。そこでイギリスのアットリー首相も、具体的方策が明確になればイギリスとても決して反対するものでないと声明し、アメリカのアチソン長官も全幅の賛意を表した。デンマークのコペンハーゲンに開かれたコミスコ会議参加国は、みなこのシューマン提案に賛成し、労働組合会議も、これに参加すべきだと決議した。各国ともに、この事によって独仏の平和が確保され、ひいては西ヨーロッパの結束の強化となり、鉄のカーテンに対する抵抗力も増し、世界平和への一歩前進となると思ったからである。

  宗教的背景に注目せよ

 それにしても、シューマン外相のこの提案は、よほどの決心がなければ、できない事である。もし単に自国の利益をのみ考え、万事を国家利己主義的なソロバンから、はじき出している限り、こうした思いきった提案は、できないはずである。

 では、何がシューマン外相をして。かゝる大英断に出でしめたか。わたしは断言する。この事は、フランスの国策もさることながら、シューマン外相その人の宗教的背景を無視しては考えられない事である――と。

 一九四八年はマルクスが共産党宣言を起草して、ちょうど百年に当ったこの年の八月、スイスのコーで催されたMRA運動の大会には、ルール地方の共産党員も多数参加して、道徳復興なくして世界の平和はあり得ないとし、熱心に討議した。その会合に列席したシューマン外相は大きな感銘を与えられ、宗教、道徳が世界平和運動に大きな役割をもっているということを、今さらのように痛感した。そしてヨーロッパの平和のために、各国は単に政治的、経済的利害のみにとらわれず、宗教的に考慮せねばならぬと考えるようになった。そのために、フランスがまず自己反省をして、過去の行きがかりを一擲し、ドイツの復活のために考えねばならないとし、案を練り、一九五〇年四月、イギリスを訪問、皇帝に謁見し、大統領以上の外交秘策を講じた後、前記の世界を驚かす提議となったのであった。この提唱は既に六力国の賛成を得、プールシステムによって着々実施を見つゝある。これは全くシューマン外相の宗教的情熱が西ヨーロッパ諸国を動かした結果であって、これにより西ヨーロッパの平和は、著しく促進されたといわねばならない。

  シューマン外相の横顔

 では、シューマン外相とは、いかなる人物なのだろうか。彼はロバート・シューマンといゝ、ルクセンブルグの生れ、本年六十四歳、一九一九年以来代議士に当選、四年ペタンのヴィシー政権の国防次官となって、その鋭鋒が認められた。一度はドイツ軍の手に捕えられたが脱走し、レジスタンスに従事、終戦後、人民共和派の幹部としてビドー・ラマディエ内閣の蔵相となり、一九四七年十月、自ら内閣を組織、十ヵ月後に辞職し、こんどはクイーユ内閣に一外相として入閣して今日に及んでいる。

 彼はフランスでも珍らしいプロテスタントの子孫で、ヂシュイット派の基督教信者である。彼は同じプロテスタントの指導者であったジャン・ジョーレス(一八五九―一九一四年)の衣鉢を継いだ政治家ともいよえう。

 ジョーレスは人格的社会主義者であり、哲学者であり、そして立派な政治家であった。一九〇六年、統一社会党を創設し、第一次大戦の危機の迫るのを見て、強く戦争に反対し、動員の始まろうとするや、敢然として総同盟罷業を決行しこれを阻止しようとしたが、惜しくも反動陣営の狂信的愛国者のテロの手にかゝり、夕食中、ピストルで射殺され、その翌日、宣戦が布告された。

 シューマン外相の此度の処置は、ジョーレスが第一次大戦直前に打った手と、その宗教的情熱の裏付けのある点において、一脈相通ずるものがあるといわれないだろうか。そして、わたしは、日本にも、こうした人が出なければ、世界の平和は招来されないと思うのだ。

  世界よ、精神的に結束せよ

 ヨーロッパは、ヨーロッパ連邦の結束とその強化によって、着々平和の方へ進みつゝある。ところが一方、アジアは朝鮮動乱以来、唯物暴力主義者の魔手が伸びて、危機をはらんでいる。今こそ、シューマン外相にならって、アジア十数力国が、国境を越えて精神的結合を固くすべき時ではなかろうか。ヨーロッパに、ヨーロッパ連邦議会の作られているように、アジアにも、太平洋連邦議会を作り、精神的に結合して、各国が目前の利害を離れ、アジアの平和のために協力すべきではなかろうか。

 わたしはアメリカ巡講中、この案を、同志に託し世界連邦の会議に提案したのだが、世界の危機を救うためには、各国が友愛互助の精神によって、平和な手段により世界連邦を樹立する以外に道のないことを確信するものである。

 世界の諸国は日本が新憲法において戦争を放棄したのに範をとって、軍備を撤廃し、宇宙目的に結ぶ協同体としての世界連邦を作るところまで行かねば、世界は破滅の淵に陥ちるより外はない。

 これがためには、シューマン外相の驚天動地の外交施策に、われらは学ぶところがなければならない。すなわち、各国が国際間の憎悪を一擲し、キリストの「敵を愛する精神」を身につけ、これを具現することによってのみ、世界の危機は突破し得るものと、かたく信ずるものである。

 宇宙の協同体においては、キリストが人類の贖罪のために、自ら十字架にかゝって血を流し給うたごとく、世界人類の救いのために、誰かゞ自らをすてゝ血を流す必要かがある。世界の人々のために、苦労を惜しまないシューマン外相のような人格が出ねば、世界は救われない。

 母親が嬰児のおむつを厭わぬように、喜んで人の尻ぬぐいをする気持にならねば、日本も、世界も救われない。シューマン外相のように、石炭や鉄を、敵国の復興のために喜んで返して、これをプールしようという気持が、各国によって把握されねば、日本も、世界も救われないのである。  (一九五一年四月号)

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このページは、伴 武澄が2012年7月11日 07:11に書いたブログ記事です。

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