2012年4月アーカイブ

 昨日4月28日は日本の独立記念日なのだそうだ。太平洋戦争に負けて施政権を失ったが、60年前の今日、サンフランシスコ講和条約が発効して連合国による支配が終わった。好きなメルマガの一つ「ボストン読本」の井筒周さんが書いている。

 新聞やテレビも、広島・長崎の原爆記念日や終戦記念日のことは「戦争体験を風化させるな」といって、記事やニュース特集でさんざん取り上げるが、これが、こと日本国の占領や独立となると、「占領体験を風化させるな」とか「独立体験を風化させるな」というのは聞いたことがない。

 本当にそうだ。筒井さんがいうように、ゴールデンウイークは日本のあり方を静かに考える時間としたい。

 今日の日経新聞では山折哲雄さんが連載で「ピープル」の日本語訳について書いている。リンカーン大統領の「人民の、人民のための、人民による政治」というゲッティンスバーグ演説の日本語や買うが「人民」と訳されたことに違和感があるというのだ。なぜ「国民」や「市民」ではいけないのかと疑問を呈している。

 「プープル」が日本語になる際、一般的に「国民」「市民」「人民」の三つの使い分けがある、山折さんはその使い分けがおもしろくないようだが、そもそも「人」もピープルなのだからややこしくなる。英語では一つしか表現がないものが日本語ではかくも多元化するのはなぜなのだろうか。

 これについては筆者も似たような問題意識を持っていた。日本国憲法の英語訳では「国民」は「ピープル」だし、「何人」は「エブリー・パーソン」。ここにもう一つ使い分けがある。

 フランス革命時に始まった「シチズン=シトワイヤン」は特別な意味がある。革命の同志を呼ぶ際の掛け声である。これがロシア革命、中国革命となると「同志」と呼ばれることになる。つまり「シチズン」や「同志」以外は階級敵であることを示していたのである。だから「市民」はあまり乱発しない方がいい。

 一方「国民」は日本国有の言い回しであろうと思っている。大日本国憲法では「臣民」とされたものが、なぜ「国民」と呼び換えられたのだろうか。ロシア革命などによって日本語の「人民」が共産主義の臭いを漂わせるようになり、戦後、「人民」という表現を嫌って「国民」としたはずだ。それだけのことである。

 いまとなっては「国民」は外国人に対比する表現にさえなっている。憲法で「国民の権利」と「難人の権利」が微妙に書き分けてあるのはどんな意味を持つのか考えざるを得ない。せっかく「国民」という新たな「概念」を憲法に表記したのに、第十条で「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」とし、別途、国籍法を設けている。最初から憲法に「国民」の概念を書き込めば余計な誤解を生まずにすんだはずである。
 リンカーン大統領の演説が訳されたのは明治時代であり、その時、「人民」はもっとニュートラルは表現として受け入れられていたはずである。でなければ「人民の・・・・」という日本語訳は誕生しなかったはずだ。

DSC_0452.JPG 土佐山村の高川川のせせらぎでおにぎり飯をほおばり、車を南に転じた。カーブを曲がると前方の山の上になにやら近代的な建物の屋根がみえた。何だろうと思いつつもそのまま川沿いに旧役場のある集落まで戻った。

 そもそも行くあてのないドライブである。「土佐山夢産地パーク交流館 」という意味の分からないサインがあり思わずハンドルを右に切った。急坂をくねくね登っていくと左右にここらの山ではあまり見かけない草花が群生している。坂を登り切ると、平屋だが比較的新しい施設があり、川から見たその屋根がそこにあった。

 車を降りるとそこからひとりの男性が出てきて「こんにちわ」と挨拶した。迷ってここにたどり着いたことを話すとその施設を案内してくれた。旧土佐山村だった時代に財団法人夢産地とさやま開発公社が生まれ、寒蘭の栽培・販売をしていた。施設はいわゆる多目的ホールだった。音楽コンサートでも開けそうな施設であるが、いまは誰も使っていない。高知市内からたった20分のところにお宝が眠っていた。

 急坂の草花のことを聞いたら、五台山の牧野富太郎植物園を手掛けた山脇哲臣さんが自ら植栽した自然の植物園だったのである。6月になれば山あじさいがきれいですよと教えてくれた。これも大変なお宝である。

 看板の一つに「土佐山アカデミー」というのもあった。こちらの方は山里を復活させる目的で昨年立ち上がった学舎である。第一期生は全国から集まった。といっても10人といない。新聞やテレビで紹介されていて筆者も参加していみたいと渇望したが「年齢制限」があったため断念した。

 3カ月、山村に暮らしながらそこで生きるノウハウを一緒に考える場である。いまのところ山の産品は大したものではない。木材を中心に山菜など野菜類を高知市に出荷している。おもしろいところではショウガでジュースをつくっている。ジンジャーエルのようなものだ。

 筆者が考える土佐山はまず住む場である。高知市内までバスはないが車で20分。西武球団がキャンプを張っていた春野町と距離はあまり違わない。この時期、こぼれんばかりの太陽を受けて新緑が美しい。なるべく古い家を活用したい。フキやタケノコはいま旬で、5月になればアユ漁も解禁される。酒は東隣村の土佐酒造の桂月がうまい。

 頭をめぐらすと、随所に小水力発電ができそうな水に恵まれている。というより川沿いに村落が形成されているから当たり前の話である。小水力は村の産業として絶対に有望である。小耳に挟んだところでは、すでに高知の小水力発電協議会が候補地を物色しているらしい。

 いまはケーブルテレビはおろか光ファイバーもないから通信環境は劣悪だそうだが、今は電波をつかえばいい。WiFiの基地局を見晴らしのいい場所につくれば通信環境は劇的に改善する。情報産業にとって必要なのは通信環境だけである。

 残念なのは、村としての経営を抛棄して高知市と合併したことである。高知市としては土佐山の宝を「過疎地」としてしか評価していないのである。

 土佐山にはオーベルジュという憩いの宿泊施設がありけっこうな人気であるが、それ以外にレストランや喫茶店のたぐいは皆無。住むとなれば三食自炊となる。そういう環境に耐えられる人しか住むことは難しそうである。

 帰りがけに土佐山アカデミーの事務室に立ち寄った。塾長格の内野加奈子さんはハワイで海洋学を学んだ異色の人材。地元出身者を含めてなにやら楽しそうである。現在、7月からの塾生を公募している。林業は山で木を切るところから研修する予定でいるらしい。今度は年齢制限がないらしいから、応募してみようと考えている。山村生活を萬晩報で連載できたら楽しそうだ。

 
今月8日、満開のサクラの下で開かれた松山市の「お城まつり」。城山講演堀之内地区で開かれたご当地グルメイベントに、カラフルなボディのキッチンカー(移動販売者)が登場した。
 この車で自慢の「鯛Utai)バーガー」を売るのは愛媛県宇和島市遊子(ゆす)漁業組合女性部の面々。部長の山内満子さんは「遊子という地名をちゃんと読んでくれる人が増えた」と顔をほころばす。
 山内が進める「遊子の台所プロジェクト」は地元の水産物を加工品にして「遊子」ブランドで売る試み、宇和海に細長く突き出た半島にある遊子地区はタイやブリの養殖が盛んだが、消費者の魚離れや魚価低迷で廃業する漁業者が相次ぎ、港の活気も失われた。50年以上も歴史がある女性部も2007年には部員の減少から解散の危機にあった。
「このままでは、地名のような遊ぶ子供もいない地区になる」08年に部長に就いた山内は、少しでも水産物の販路が広がるよう食品開発部を立ち上げ、加工品試作に着手した。
 タイのコロッケやブリの巻きずしなど様々な商品を作り、愛媛kんないを中心にイベントや学園祭を廻ったが、顧客の反応はいまひとつ。他地域でも似たような商品を開発しているうえ、遊子の知名度が低かった。
 山内は知名度の低い「遊子」という地名をあえて全面に出す作戦を立てた。「遊子」という言葉からは浜辺で遊ぶ子供たちの笑顔がイメージできる」と考えた。
 地区には急傾斜地を畑にした「耕して天に至る」といわれる「遊子の段畑(だんばた)」という観光資源があり、商品に関心をもった客が遊子を訪れてひしいという願いもあった。
 10年秋に調理器具を装備したキッチンカーを導入し、車体を使って遊子のイメージを訴えることにした。キッチンカー(800万円)を含めた「遊子の台所プロジェクト」に水産庁の補助金が出て、総額1300万円の事業費のうち自己負担は300万円で済んだ。
 イメージを浸透させるにはデザインが重要だ。愛媛県を中心に様々なブランドデザインを手掛ける敏デザインオフィス(松山市)にトータルデザインを依頼。車体に大きく描いた「遊子」のロゴには、子供のシルエットが這入る。商品パッケージや包装資材、ポスター、ユニホームまで、統一デザインでまとめた。
 商品の差異化にも気配った。自信作がたい焼きの形の鯛めし「たべ鯛」(1個250円)。道後温泉の老舗旅館の料理長の指導を受けてタイからとっただしで御飯を炊き上げ、タイの焼き身を入れて特注のたい焼き器で焼く。地元の女子短大の智慧を借り、竜田揚げのタイを玄米パンで挟んだ「鯛バーガー」(1個200年)も造った。
一目をひくキッチンカーでイベント会場に乗り付けると、すぐに客が集まり、商品の珍しさとおししさから飛ぶように売れるようになった。今では「たべ鯛」「鯛バーガー」とも1日300個以上売れる。
 最初は懐疑的に見ていた漁協の男性達も、近頃は「よう頑張りよるね」と声を掛けてくれる。今年3月には活動が認められ、全国青年。女性漁業者交流大会で最優秀賞を受賞した。
「鯛めしの素」など常温保存の加工品も開発し、キッチンカーで売る。今年の販売目標は50会場を回って、昨年比6割増の1000万円。山内さんのスケジュール帳は11月まで真っ黒だ。遊子とその産物を売るためにキッチンカーとともに四国中を駆け巡る。(日経新聞四国版4月19日=松山支局長、若林宏)
 やるならこれぐらいの目標が必要だという実例で或る。

 中国政府は18日、次世代エコカーの発展計画を発表した。EVとPHVの産業化w重点的に推進し、2015台までに累計50万台、2020年には500万台を越える生産。販売規模にまで成長させる。世界最大の自動車市場となった中国では増え続けるガソリン消費が課題であ、電気を利用して走るエコカーの普及が喫緊の課題になっているのだ。

 EVはエネルギー消費量でガソリン車の数分の一である。近距離しかは知らない企業の営業車やバイクは今すぐにでもエコカーへの転換が可能で或る。全国のタクシーが次々とハイブリッド車に乗り換えている背景には、人件費に次いで大きな経費となっている燃料費の高騰がある。ハイブリッド車との価格差などは1年もしないで回収できるから、結果的にタクシー会社の収益向上に役立つことが分かってきた結果で或る。

 筆者は、5年後に普通ガソリン車は業界から姿を消すだろうと考えている。走行距離の長い車ほど乗り換え効果が高いのである。これがEVとなれば、燃料費はガソリン車の10分の1となるからもっとすごい。バッテリーを床下交換式にすれば、大都会で営業所が多くあるタクシー会社なら充電の問題はすぐにでもクリアできる。そんな勇気ある会社が現れないかと期待している。数年単位で確実に業績がアップすること請け合いである。
一年経っても放射能の恐怖は去っていない。やはり原発はいけないことなのだとずっと考えている。電力が足りないからといって原発を復活してはいけない。飢え死にするわけではない。足りなければ足りない生活をすればいい。原爆を二発も浴びて、原発事故に遭遇したのは日本人だけだ。

福島ではいまも一般人が入れない警戒地域がある。政府も多くの国民もその地に再び人間が住めるとは思っていない。原発の問題は万が一にも起きてはいけないことが起きてしまったところにある。故高木仁三郎博士が「科学の原理と人間の原理-人間が天の火を盗んだ-その火の近くに生命はない」で書いている。

地球は宇宙の星のくずから誕生したもので、もともと放射能の塊だったものが「四六億年かけて冷めてきて、ようやく人間や生き物が住めるくらいまで放射能が減ったもの」なのだそうだ。「せっかく地球上の自然の条件ができたところに、人間が天の炎、核というものを盗んできてわざわざもう一度放射能を作ったのが原子力なのだ」という。これまでの 反原発論者が語ってこなかった部分ではないかと思う。

霞ヶ関は明日の電力需要のことにばかりに関心を寄せている。原発が安全だったら巨額の補助金や助成金が原発立地の自治体に流れるはずがない。国民一人ひとりに聞いてみるがよい。今日の電気とあなたの命とどちらが大切なのかと。

寺田寅彦は「災害は忘れたことにやってくる」という名言を残した。自然災害は決して同じ形でやってくるわけではない。GPS測定によると日本列島はいたるところで伸びや縮みがみられるという。原発のメルトダウンは何も津浪だけによって起こるのではない。土地が隆起して格納容器がひっくり返ったら電気配線などはあっという間にちぎれる。そうなれば電力があっても何の意味をなさない。

賀川豊彦は原子力の平和利用に関してかなり楽天的だったようだ、キューリー夫人も高木博士も初めは楽天的だった。人間の力を過信していたようだ。政府は南海トラフ、相模トラフなど近海で巨大な地震が起きる可能性にしきりに警鐘を鳴らしている。原発の再稼働に無関心でいていいはずがない。

万が一、原発を再稼働するなら、電力会社の常勤役員が全員、原発の近くに居住することを条件とするえきだ。
 小さな記事が今朝の日経四国版に掲載されていた。高知市の電気工事会社が、ゴルフ場跡地にメガソーラーを建設するというニュースだった。発電能力は2000kw。一般家庭600世帯の電力を賄う規模だ。投資額は6億円。買い取り価格を1kw時=40円で換算すると年間9600万円の売上を想定している。営業経費がどれほどかかるか分からないが、投資に対して10%近い利回りとなる。

 これからは筆者の妄想である。まずクリーンエネルギーであることを歓迎したい。次にこんな太陽光発電設備が高知市に100カ所誕生すれば、30万市民の電気がほぼ賄える計算になる。高知市は現在、市庁舎の建て直しや高知県と図書館の建設を計画している。二つ併せて数百億円規模とは思えない巨額投資である。6億円×100=600億円で高知市全域のエネルギーを賄えるのなら、市民としてどちらを選択するかだろうか。

 お金がなければ、市民ファンドを募集すればいい。10%近い利回りは魅力的だ。高知以外からの投資も、歓迎すればこの程度の金額を集めることはそう難しいことではない。資金運用に苦悩している年金のお金だって使える。

 各地の自治体が同じような発想で動き出せば、あっという間に原発などはいらなくなる。国やシンクタンクが打ち出す自然エネルギーの将来予想はあまりにも発想が貧しい。素人でも考えられる小さくとも簡素なエネルギー源をたくさん建設する発想はパソコンの普及と大して変わらない。高知市の電気工事会社の太陽光発電設備の価格を逆算すると、1kw当たり30万円。家庭用のものの半値である。

 そうそう、高知市内には空き地があり多くのコイン駐車場がある。どこもけっこう繁昌している。その屋根を利用する方法もある。コイン駐車場に太陽光発電を併設すれば一挙両得となる。みなさんどう考えますか。
 失われた吉里吉里語辞典のアーカイブ事業が進んでいることは知らなかった。明治学院大学の浅川先生が研究室が昨年から行っているもので、500 ページの電子データ化がすでに終わり、第二弾として、今後は現地調査で録音された「思い出」を文字として起こし,記録するアーカイブ化に入っている。

 そもそもが震災支援として始まったプロジェクトではあるが、浅川先生の呼びかけに応じた学生たちが作業を分担することによって、プロジェクト 推進のスピードが加速しているのだ。

 浅川先生のサイト http://www.asakawa.skr.jp/AsaLABOnew/ji_li_ji_li_yu_ci_dian.html によると、

 岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里地区で使われてきた「吉里吉里語」という方言を標準語で説明した辞典として『吉里吉里語辞典』が2007年に出版された。ところが,3.11の東日本大震災の大津波によって,そのほとんどが流されてしまった。

 2011 年6月,津波で流されたアルバムなどを救済するボランティア活動をしていた明治学院大学の学生が,津波で流された1冊の『吉里吉里語辞典』を発見してくれ ました。著者である関谷徳夫および息子の晴夫の許可を得て,それを東京に持ち帰り,1ページずつしわを伸ばしてスキャンし,全511ページの画像データを 作成した。この画像データを見ながら,一語一語手入力で入力し,電子データ化する「電子データ化プロジェクト」が始まった。

 結果的に134名の方がボランティアで活動に参加。11月20日に,電子データ化作業が完了した。このプロジェクトの面白さは、書籍の電子化の銃声をを多くの人に広げたことである。日本で図書の電子化が進まないのは、作家や出版社が既得権を手放したくないからである。

 ネット社会の革新性は「専門性」の喪失を余儀なくさせることだったはずだ。素人でも世界に向けて発信できることの重要性を既得権を持っていた人々はまだ分かっていないようだ。関谷徳夫さんが長年かけてこつこつとこなした努力を多くの人の参加によって一気に復刻できたものネット社会のもたらした革新であるのだ。

 復興支援。吉里吉里語。ネット社会。いくつかのキーワードがコラボレーションしてこのプロジェクトが進められているのが面白い。

yusuharawindmill.png 高知市から車で西に2時間ほど走った山間に檮原町がある。龍馬脱藩の道として知られるようになり最近、観光客も増えてきた。この町はエネルギー自給の町としても知名度をあげ関係者による視察が引きも切らないというのだから、面白い。

 10年ほど前から「エネルギーの地域内自給と資源循環」を目指してきたから先見の明があった。風力、小水力、太陽光発電に加えて、間伐材を加工したピレットという燃料の使用も奨励している。

 全国自治体の中でダントツの補助金を支給しているのが太陽光発電。1kw当たり20万円。3kwという平均的発電システムだと60万円にも及ぶ。これに国の14万円、高知県の10万円を加えると8
4万円にもなる。3kwのシステムは安いものだと150万円からあるからほぼ2分の1のコストで導入できることになる。今年から始まる「買い取り制度」が導入されれば、家計を潤すことにもなりそうだ。

 風力発電は北部の四国カルストに600kwの風車が2基立っている。風力発電は風の強さが左右する。つまり稼働率。全国平均が20%であるのに対して、ここでは30%。1・5倍の効率で発電する。4億4500万円を投資したこの2基の発電機は毎年4000万円を稼ぎ出す。「買い取り制度」導入後はこの稼ぎがさらに3倍増する計算となる。そもそも建設は1999年10月の建設だから、コストはほぼ償却しているはず。年間60億円の町政からみれば大きな収益源となる。

 檮原はエネルギーの自給だけでなく、町政のあり方を一変させるかもしれないポテンシャルを持っていることになる。
sharp2.jpg 身売りではないが、シャープが台湾企業に資本増強してもらうことになった。このニュースには正直驚いた。筆者を含めて多くの日本人はシャープが液晶技術で世界最先端を行っているのだと考えていたはずだ。

 そのシャープの提携相手先は鴻海(ホンハイ)精密工業。韓国のサムソンやLGを知っていてもほとんどの日本人は知らない企業だったからよけいに驚いたに違いない。さらに驚いたことは鴻海グループ売上が10兆円にも達することだった。シャープの5倍であり、パナソニックやソニーをも大きく上回っていたのだ。

 シャープの従業員だってどれほどその存在を知っていたか疑わしい。日本語ワープロで「三星電子」ですらいっぱつ変換できないほどだから、鴻海を知っているはずがない。

 世界の液晶パネル大手であり、事実上、アップルの製造部門といっていい。iPhoneやiPadで急速に業容を拡大してきた企業であるのだそうだ。

 三晩寝て気づいたことである。日本の量販店に海外の薄型テレビがないことが問題なのだと。日本製品の主戦場である国内でサムソンやLGが存在しないことが、日本企業を夜郎自大にしてきたということである。商売敵の実力がまったく分からないまま企業戦略がつくられるなど普通ではまったく考えられない。にもかかわらずそのことが日本ではずっと常識となっていた。メディアの議論を含めて、多くの議論がそのような空気の中でずっと行われてきたことに危機感を持たなければならない。

sharp.jpg かつて年に何回もアメリカに取材した時期があった。90年前後のことであるから、20年も前のことだが、アメリカの航空業界でマイレージが常識だった。日本航空もアメリカではマイレージカードを発行していた。当時、日本の航空運賃は硬直化していたから、日本からニューヨーク往復のビジネスクラスが80万円もしていた。アメリカで買うと30万円を切っていた。日本人の方がはるかに高い航空運賃を負担していたのに、日本在住の人にはマイレージカードが発行されなかった。

 日米構造協議でこのことも問題となり、日米で定期的に内外価格差を調査することになった。出てきた報告書に驚かざるを得なかった。なんと航空運賃は日米で同じだったのだ。運輸省の担当者に理由を聞いた。「ニューヨーク―東京をニューヨークで買うと価格差はあるが、東京―ニューヨーク往復はニューヨークの日本航空の支店で買っても東京で買っても同じです」

 ところがこの妙ちくりんの詭弁を批判する人はいなかった。問題視するメディアは皆無だった。アメリカ在住の大手メディアの特派員は無関心だった。

 缶ビールの価格差は大いにあった。しかしアメリカでの缶ビールは調査よりずっと安かった。日本ではまだビールは瓶で配達されるものだった。酒屋で買ってもスーパーで買っても価格は同じだった。というよりスーパーに酒販免許は与えられていなかった。アメリカでは缶ビールを単品で買う人はまれである。スーパーで箱単位で買うのが普通だった。買い方がまったく違うのに、単品で購入した場合の価格が比較された。

 価格の問題ではないが、日本の携帯電話は海外で使えなかった。GSMというヨーロッパ方式が導入されていたアジアでは国境を越えて端末が使用できたのに、日本ではそのことを問題視する人はいなかった。NECや松下など多くの端末をつくって輸出していた企業はみんなそのことを知っていたはずだ。国境を越えられない端末などヨーロッパでは考えられない。日本でも考えてみればすぐにわかることである。高知県から高速道路に乗って香川県に入ったら通話できなくなることなど考えられない。

 笑ってしまう逸話がある。当時、ドコモで成田空港で「海外で使用できる端末を貸し出す事業」のことを「ローミング・サービス」と言っていた。

 日本がこのまま海外製品を市場から駆逐したままだと、トヨタもホンダも危ういかも知れない。だった日本にはサムソン同様、ヒョンダイやキアがまったく走っていない。販売もしていないからだ。

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