宝田時雄氏が「請孫文再来」を自費出版

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kousonbunsairai.jpg なつかしいタイトルの新刊が高知の自宅に届いた。『天下為公』。宝田時雄さんが長年温めてきた想い『請孫文再来』がワープロの文字になったのは、大分前のことである。上板橋の自宅でフロッピーディスクにコピーしてもらい、30回分の文章を読んだ。これは本になると直感した。しかし、中国革命の歴史をよく知っている人でないと理解できない部分が随所にある。

「とりあえず、これをメルマガで連載しましょう。ホームページは僕がつくります」と提案した。10年以上も前のことである。萬晩報で紹介したら、1000人近くの読者が一気についてしまった。その後、『請孫文再来』は宝田さん自身の手でブログに転載され、現在に到っている。

 宝田さんのブログ「まほろばの泉」に書かれた出版にいたる経緯を以下に転載させていただく。

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昨年は辛亥革命百年ということで華人圏や、孫文に縁故のあった明治の日本人が多く取り上げられた。
さかのぼること二十年前、孫文の側近として日本人として唯一臨終に立ち会った山田純三郎の甥である佐藤慎一郎氏と夜半の酔譚のおり、歴史の必然という話題があった。

そのなかに孫文の様な人物(姿)が政治的にも、民生の上でも必要とされる時が来る、と。
それは教科書記述や歴史書となっている経過ではなく、人の心の変遷を推考して将来を描くような応答だった。

つまり、その将来を想定して、いま遺す作業が必要だった。誰に請われたわけではない、師弟のごく自然の感覚だった。

酔譚の録音テープを起すと
「先生、孫文再来を請う、こんな名前で書いたらどうでしょう」
『孫文は歴史の必然として興る。これは人の心の欲する人間像だから・・』

そんなことで書き始めた。章を追うたびに荻窪に参上し酔譚にふけた。
『年表も必要だ・・・』『写真はこれがいい・・』そう言って棚の上を探した。

それを見ながら『あの時、孫さんは・・と伯父が言っていた』と懐かしんだ

それゆえ拙書は研究者や学者の類にはない、つまりアカデミック(学術的)ではない、土着性(エスノぺタゴジー)な内容になった。それは歴史の時空を超えて吾が身を比較できるものだった。体験者から繋ぐ、それは感動感激の記述だった。

また、現代生活で自身が、これならできる、いや難しい、あるいは今の政治家や外交官との比較もできる市井の教本のようでもあった。

一応、脱稿して先生の前で朗読した。それは時間を要した。黙って聴いていた先生は「嗚呼」と声をあげた。顔はくしゃくしゃとなり落涙していた。奥さんは下を向いたままだった。津軽から満州、そして戦後の日本を見てきた先生が、涙を流した。以前、満州大同学院の二世にお話ししたとき「日本は悪いことをしたのです」と泣かれたことがあった。

喜びではない、それは人間の所作に向けた涙だった。そして『日本はもう駄目だ・・』と天井に目を向けた。

お別れしてから暫く隠していた。己の浅学さが恥かしかった。これを自身の備忘として世に出すことが堪らなくて隠していた。

ある大手の新聞社が新たな構成で出版したらどうかと促された。「いゃ・・名が出ると好きな女と歩けなくなるから・・」と巧妙にお断りして事もあった。

あるとき友人に見つかってホームページに構成された。恥かしかった。孫文の命日には一日遅れたが、アップしたら上海のサイトから掲載の依頼があった。米国からもあった。こんな面倒で難しい、しかも稚拙な考察を書き連ねる文章だが多くの読者があった。インターネットとはこんなものかと驚いたりもした。

そして辛亥革命の百年を記念して多くの友人から嘱望があった。元々、売文の輩、言論貴族と揶揄しているものが、商業出版は馴染まないし潔くない。そこで、編集ソフトを購入し、自身で紙を選定し印刷した。あるとき仕事帰りに懸命に働く人のよさそうな製本作業所が目にとまった。車の窓越しでもそれが分かった。
もちろん、その方にお願いした。
内容は佐藤氏との酔譚抜粋も付け加えて編集した。

http://blog.goo.ne.jp/greendoor-t

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このページは、伴 武澄が2012年1月20日 14:11に書いたブログ記事です。

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