2012年1月アーカイブ

tonnyblair.jpg 日経新聞の私の履歴書、1月はイギリスのトニー・ブレアが書いている。楽しみに読んでいるがあと数日で終わる。イギリス人ではマーガレット・サッチャーがそのむかし書いているから、二人目だろう。
 
 1月11日のテーマは「官邸主導」。かつての保守党から政権を奪取したイギリスの労働党もまた、政権担当直後から官僚との関係が最大の課題となったらしい。3年前の日本の民主党と同じだった。徹底的に違うのは、労働党がうまく官僚をハンドリングしたのに対して、鳩山さんの民主党は「対峙」してしまったことだ。逆に3人目の野田さんはかつての自民党同様、官僚に完全に取り込まれてしまっている。

 どこからこの違いが始まるのだろうか。ヒントは11日の履歴書にあった。短い文章に多くのヒントがある。実際にうまくできるかどうかは、単に手法だけではない。信頼関係が最も重要なのである。ブレアの場合、最初の出会いがよかったようである。また、日本でも国家戦略局の役割の「法的根拠」が問題となり、機能不全となった。イギリスの官僚は対応が著しく違った。政治任用の新たな「公務員」に法的根拠がなくても「妥協」して、その指示に従ったというのだ。

 議会制民素主義は、すべて法律にのっとり行われるべきなのだが、法律策定に時間がかかり、間に合わない場合が少なくない。その重要性を斟酌できる官僚がいるかどうかで政権運営は大きく左右される。

 ではじっくりとトニー・ブレアの私の履歴書を読み直してほしい。

「それで、どうします?」。首相官邸に入った私に、ロビン・バトラー官房長官は、首相の椅子を指し示し、私が腰をおろすとこう続けた。「私達は労働党のマニフェスト(政権公約)をすっかり読みました。そしてあなたのためにマニフェストに沿って働く準備ができています。
 バトラーは経験豊富で、サッチャー首相とも仕事をしてきた。私は最初の瞬間から彼が専門家で助けになる人物であることがわかった。改革の中に納得のいかないものがあっても、推進に力を貸してくれた。彼は英官僚制度の最良の伝統を体言し、公平かつ知的で国に対して献身的だった。
 しかし、伝統を重んじることには強みとともに弱みもある。これは大部分の高級官僚に通じることだ。私は外交官出身のジョナサン・パウエルを主席補佐官として官邸スタッフのトップに据えたが、バトラーはそれを本当は認めたくないことがわかった。
 政治任用として特別顧問に任命した主席報道官アリスター・キャンベルも同様だ。英国は政府のトップレベルまでキャリア官僚が務め、特別顧問は珍しかった。政治任用が何千人もいる米国とは違う。私の政権では外部登用の顧問を70人にまで増やした。
 彼らは専門知識を持っており、官僚と交流して鍛えられればうまく活用できる。多くの官僚が顧問とうまく仕事をしただけではなく、真の友情も数多く生まれた。
 キャンベルやパウエルが官僚に指示を与える権限があるかどうかについて、バトラーとパウエルの間でひともんちゃくあったが、最終的には妥協した。
 ブレア政権は正式は閣議より限られた側近と執務室のソファで政策を決める「ソファ政治」だと批判されたが、それは大げさだった。
 国家を効率的に機能させる能力は、20世紀半ばに必要とされたものとは違う。それは実行とプロジェクト管理を扱う民間部門のものに似ている。近代政治のペースは速く、メディアも徹底追及するので、政策の意志決定、戦略の策定は圧倒的な速さで進めなければならない。
 官僚がつくった政策文書を、首相が議長を務める閣議で討議し決めるという従来の方法では、急速に変化する世界、政治環境に対応できない。
 官僚制度の問題は、物事を妨害することではなく惰性で続けることだ。官僚は既得権益に屈服し、現状維持化、物事を管理するのに一番安全な方法に逃げ込む傾向があった。
 官僚組織はうまく指揮すれば強力な機構になる。官僚達は知的で勤勉で公共への奉仕に献身している。ただ、大きな課題に対し小さな思考しかできず、組織が跳躍を求められるときに、少しずつしか動かなかった。
 ブレア政権は改革の多くを官邸主導で進めるため、政権の中枢部の機能を強化した。近代政治においては、何事もトップから動かさなければ大きな事は達成できない。各省は政府方針を知り何をすべきかがわかる。
 首相は大企業の最高経営責任者(CEO)や会長のようになった。政策方針を固め、それに役所が従っているかを見極める裏づけデータを入手し、結果を測定しなければならない。
講演会「絆伝える一杯の珈琲-学生たちの震災支援」
共催:財団法人国際平和協会、世界連邦運動協会高知支部
昨年8 月、宮城県山元町の仮設住宅に「学生CAFÉ」が誕生しました。孤独をなるだけ回避するため憩いの場をつくることを目指して今も活動は続いています。学生たちに高知で被災地の今を語ってもらい、その思いを共有し経験から学ぶ場にしたいと思います。

日 時:2 月25 日(土)午後1 時-3 時
場 所:文教会館4F ホール(高知市本町4-1-49)
講 演:関口和宏(麗澤大学4年)、大橋純一(同)
司 会:伴 武澄(国際平和協会会長、世界連邦運動協会高知支部長)
定 員:100 人
申 込:お名前、ご住所を添えてFAX またはメールで。
ugg20017@nifty.com 088-855-9270

『学生CAFÉ プロジェクト』11111.jpg
「学生としてできる支援は何か」、3.11以降考え続けてきた。瓦礫撤去や汚泥除去も若き力は確実にニーズと合致する。しかし、更に効果的に復興に繋げる支援も必ずあるはず。同時にそれは学生自身の知徳の成長の場でもあるはずだと。
『学生CAFÉ プロジェクト』はそんな理想に迷走する学生達に、三人の賢人が光を燈した末のものである。多くの被災された方々が仮設住宅に移住し自立の道を歩み始め、ボランティアの需要も無くなりつつあるかのように思われがちである。しかし、現実に被災された方々は今この瞬間も不安や恐れと戦い続けている。私達は微力であろうとも、このカフェを通じ、不安に迷走する方々に微かな光を燈す事ことができる可能性の続く限りは同じ目線で寄り添い歩き続けたい。途中で疲れたら、椅子にゆっくりと座り一緒にお茶でもするのは如何だろうか。(関口和宏)

tamakihidehiro.jpg 1月18日、友人に連れられて高知市神田にある高法律寺に向かった。迎えてくれたのは玉城秀大さん40歳。お寺の若き住職だ。この人に興味を持ったのは、友人がくれた山北みかんからだった。しあわせみかん山というNPOがあって、耕作者が高齢化して放置されたみかんの木2000本を管理している。野性化まではしていないが、当たり前のように無農薬で"栽培"されたみかんは不細工。だが、甘味も酸味も十分でおいしい。

「そのNPOって誰が運営しているの」
「神田の若い坊さんだよ。その人はひろめ市場の近くに光の種っていう喫茶店もやっていてタイの国境近くで栽培されたコーヒー豆でコーヒーをつくってるんだ。その村はカレン族が多く、坊さんはそこで孤児院まで経営しているんだよ」

 そんな会話からその坊さんが取材してやろうと考えた。

 タイの国境の村はサンクラブリという。バンコクから自動車で7時間もかかる僻地である。玉城さんそこでは孤児50人を育てながら学校も経営している。水沼朋子さんといってバンコクでお嬢さん学校の先生をしていた人を説き伏せて薄給で校長先生をしてもらっている。高知県を中心に里親40人をお願いして資金を賄っているが足りるはずがない。筆者の想像では相当の持ち出しである。たぶん高法寺の檀家さんたちが間接的に子どもたちを養っている形になっているのだろう。

 サンクラブリの学校は女子ゴルフ横峰さくらのおじさんの横峰吉文氏が全国3000カ所でやっているヨコミネ式教育を導入している。「体の力、学ぶ力、心の力」を重視し、全員が逆立ちをし、跳び箱なら15段は平気で飛ぶようになるというユニークな教育法である。心が病んでいるサンクラブリの孤児たちにはまず体の教育が肝心なのだそうだ。

 サンクラブリの子どもたちが孤児になったのはさまざまな理由があるが、多くは当たり前のように心の問題を抱えている。心の力を育むためにまず体でその可能性を高めるヨコミネ式はぴったりの教育法であるようだ。何やらひ弱な日本の子どもたちにも適用できそうな考えだ。

 玉城さんには、高知市で2月に開催するわれわれの講演会にお誘いするのが目的だったが、その日はサンクラブリに行くので出席できないといわれた。だが、たった2時間ほどの会話に、十二分に刺激された。友人に玉城さんを語らせると、とにかく「やってみよう」という軽いのりがある。これは高知人の悪いところでもあり良いところでもある。後先考えない。考えれば何も始まらない。現在の日本人が持ち合わせていない軽いのりに学ぶところが多かった。

 2月サンクラブリに行くときには、高知工科大学の渡辺菊真先生も同行する。先生はアースバック方式といって土嚢で家をつくる専門家で、サンクラブリの学校にもその工法を導入しようと考えている。

 特定NPO輝くいのち http://kagayakuinoti.p-kit.com/
 高知市の喫茶店、命の種
 渡辺菊真先生 http://www.kochinews.co.jp/09kut/100423kut01.htm
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 お酢のミツカンの広報誌として最近とみに注目を集めているのが「水の文化」。最新号は「小水力の底力」がテーマ。3.11以降、脱原発の対する国民的意識の高まりから、自然エネルギーが再評価されている。

 小水力はダムに依存しない小さな水力発電を随所に設けて、エネルギーの自給を図ろうとする試みである。昔の水車は臼を回したり、田圃への水利のためにあったが、ほとんどが電力やディーゼルに置き換わってしまっている。水の流れの高低差を利用すれば発電できることは小学生でも分かること。その小学生でも分かることをやっているところが各地にある。

 水の文化の編集部は今回、水が豊富な高知県を今回の取材対象にした。高知県小水力発電協議会の事務局長の古谷桂信さんが、県内を案内しながら、その可能性を探った。NHKの高知放送局でも同じような趣旨の報道特集を放映したから、
梼原町の経験をテレビで見た人も少なくないと思う。

 筆者も安芸市の農業用水路のドンドと香南市の兼山水路の取材に同行させてもらった。農業用水は水利権が土地改良区に属しているため、発電設備の設置にややこしい手続きがいらない。一般河川であると国や自治体が管理しているからとてもめんどうなことになる。古谷さんの説明では、一般的に段差が1メートルあって水量が毎秒1トンあれば、7kwの発電が可能。つまり普通の家庭2軒分の電力がまかなえる。

 1トンは1立方メートルだから、大した量ではない。たとえば3メートルの段差の水路で毎秒3トンあれば、63kwで18軒分。小さな集落ならそれだけでエネルギーの自給が可能となる計算だ。1000人規模の村であれば、15カ所つくれば、村全体でエネルギーが自給できる。小さな村であればあるほど、エネルギー自給が容易であることが分かる。

 国や県にやさせれば、フィージビリティー・スタディだとかいって調査会社に膨大なお金をかけることになり、コストが合わないという結論が出ることは目に見えている。要は地元の創意工夫で何とでもなる。こんな話を聞いたこともある。

 発電機は一つひとつが特注のものだから小さなものでも数千万とかするが、逆転の発想で汎用のモーターを使えば多少効率が落ちてもその10分の1のコストで購入することができるそうだ。水力を生み出す水車やプロペラは、村の鍛冶屋につくらせれば安くでできる。肝心なのは「やってみなはれ」の精神であるという。

 みなさん、どうお考えですか。

 水の文化 http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no39.html
kousonbunsairai.jpg なつかしいタイトルの新刊が高知の自宅に届いた。『天下為公』。宝田時雄さんが長年温めてきた想い『請孫文再来』がワープロの文字になったのは、大分前のことである。上板橋の自宅でフロッピーディスクにコピーしてもらい、30回分の文章を読んだ。これは本になると直感した。しかし、中国革命の歴史をよく知っている人でないと理解できない部分が随所にある。

「とりあえず、これをメルマガで連載しましょう。ホームページは僕がつくります」と提案した。10年以上も前のことである。萬晩報で紹介したら、1000人近くの読者が一気についてしまった。その後、『請孫文再来』は宝田さん自身の手でブログに転載され、現在に到っている。

 宝田さんのブログ「まほろばの泉」に書かれた出版にいたる経緯を以下に転載させていただく。

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昨年は辛亥革命百年ということで華人圏や、孫文に縁故のあった明治の日本人が多く取り上げられた。
さかのぼること二十年前、孫文の側近として日本人として唯一臨終に立ち会った山田純三郎の甥である佐藤慎一郎氏と夜半の酔譚のおり、歴史の必然という話題があった。

そのなかに孫文の様な人物(姿)が政治的にも、民生の上でも必要とされる時が来る、と。
それは教科書記述や歴史書となっている経過ではなく、人の心の変遷を推考して将来を描くような応答だった。

つまり、その将来を想定して、いま遺す作業が必要だった。誰に請われたわけではない、師弟のごく自然の感覚だった。

酔譚の録音テープを起すと
「先生、孫文再来を請う、こんな名前で書いたらどうでしょう」
『孫文は歴史の必然として興る。これは人の心の欲する人間像だから・・』

そんなことで書き始めた。章を追うたびに荻窪に参上し酔譚にふけた。
『年表も必要だ・・・』『写真はこれがいい・・』そう言って棚の上を探した。

それを見ながら『あの時、孫さんは・・と伯父が言っていた』と懐かしんだ

それゆえ拙書は研究者や学者の類にはない、つまりアカデミック(学術的)ではない、土着性(エスノぺタゴジー)な内容になった。それは歴史の時空を超えて吾が身を比較できるものだった。体験者から繋ぐ、それは感動感激の記述だった。

また、現代生活で自身が、これならできる、いや難しい、あるいは今の政治家や外交官との比較もできる市井の教本のようでもあった。

一応、脱稿して先生の前で朗読した。それは時間を要した。黙って聴いていた先生は「嗚呼」と声をあげた。顔はくしゃくしゃとなり落涙していた。奥さんは下を向いたままだった。津軽から満州、そして戦後の日本を見てきた先生が、涙を流した。以前、満州大同学院の二世にお話ししたとき「日本は悪いことをしたのです」と泣かれたことがあった。

喜びではない、それは人間の所作に向けた涙だった。そして『日本はもう駄目だ・・』と天井に目を向けた。

お別れしてから暫く隠していた。己の浅学さが恥かしかった。これを自身の備忘として世に出すことが堪らなくて隠していた。

ある大手の新聞社が新たな構成で出版したらどうかと促された。「いゃ・・名が出ると好きな女と歩けなくなるから・・」と巧妙にお断りして事もあった。

あるとき友人に見つかってホームページに構成された。恥かしかった。孫文の命日には一日遅れたが、アップしたら上海のサイトから掲載の依頼があった。米国からもあった。こんな面倒で難しい、しかも稚拙な考察を書き連ねる文章だが多くの読者があった。インターネットとはこんなものかと驚いたりもした。

そして辛亥革命の百年を記念して多くの友人から嘱望があった。元々、売文の輩、言論貴族と揶揄しているものが、商業出版は馴染まないし潔くない。そこで、編集ソフトを購入し、自身で紙を選定し印刷した。あるとき仕事帰りに懸命に働く人のよさそうな製本作業所が目にとまった。車の窓越しでもそれが分かった。
もちろん、その方にお願いした。
内容は佐藤氏との酔譚抜粋も付け加えて編集した。

http://blog.goo.ne.jp/greendoor-t
kodak.jpg 名門コダックが1月19日破綻した。世界で初めてロールフィルムを開発し、素人でも写真が撮れるインスタントカメラを発売して、世界の写真業界を一世紀にわたってリードしてきた。ジョージ・イーストマンがコダックの本拠としたのは、ニューヨーク州ロチェスター。オンタリオ湖に面したところである。

 ここで産声を上げたのはコダックだけでない、ゼロックス、ボシュロムなど光学系の多くの企業がロチェスターで誕生した。育てたのはロチェスター大学である。神学校から始まったこの大学はコダック社が多額の資金を提供してことで知られる。重要なのは、世界中から光学を目指す技術者や科学者がこの大学で学んだことである。

 コダックが業績を拡大し、ロチェスター大学に資金をつぎ込み、有能な光学技術を育て、コダックもまた巨大な企業に発展するのだが、ロチェスター大学で学んだのはコダックの技術者だけでない。日本のニコンもキャノンもお世話になっている。ニュートリノでノーベル物理学賞を授賞した小柴昌俊氏もロチェスター大の大学院を卒業している。コダックがロチェスター大学を通じて世界光学技術者を育てたといっても過言でない。

 20年ほど前、日米貿易摩擦で、コダックが日本の富士フィルムが市場を排他的に支配していると訴えたことがある。本当のことをいえば、日本の光学メーカーはコダックが支えたロチェスター大学に足を向けて眠れないはずである。かつてのアメリカメーカーのすごさが垣間見られるのである。

 ここからが本題である。コダック躍進の原動力となったロールフィルムの原料はセルロイド。さらにその原料が樟脳だったことはほとんど知られていない。100年前の樟脳のほとんどが日本と台湾で生産された。樟脳はクスノキの樹液から誕生したもので、セルロイドは初めて作られた植物性のプラスチックだったのである。

 ロールフィルムの最大の功績は、映画の誕生である。エジソンらがフィルムを回転させて動く映像を生み出し、それが後のハリウッドへとつながることを考えれば、大変な発想だったことが分かる。そしてその20世紀の重要な発明の源に日本のクスノキがあったことにわれわれはもう一度眼を向けるべきであろう。

 連想ゲームでいえば、樟脳、セルロイド、ロールフィルム、ハリウッドとなるのである。

 ちなみにクスノキは高知や鹿児島の主要産品で、幕末の土佐藩や薩摩藩の財政を大いに潤した。もっとも藩政時代にはコダックはなく、樟脳はもっぱら薬品や防腐剤として珍重されていたにすぎなかった。藤沢薬品工業はもともと鹿児島で樟脳を商いしていて大阪道修町に進出し、なんとロチェスターに支店を持っていたというのだから、コダックの日本は長い因縁を持つのである。
 高知新聞 2012年01月17日08時59分

keiko.jpg 静かな山村に22年ぶりの産声―。安芸市畑山の土佐ジロー農家、小松靖一さん(53)、圭子さん(28)夫婦に昨年12月、待望の赤ちゃんが誕生した。人口58人、平均年齢72歳の限界集落に子どもが生まれるのは実に22年ぶり。住民も「地域がぱっと明るくなった」と感激している。

 靖一さんは畑山で生まれ育ち、圭子さんは愛媛県宇和島市出身。圭子さんが大学時代、国の交流事業で畑山を訪れたことが縁で知り合い、2010年夏に結婚した。2人で手を取り合って肉用土佐ジローの飼育と、畑山温泉「憩の家」を運営している。

 第1子が誕生したのは12月9日。元気な男の子で、「日本人らしい響きがいい」と「尚太郎」と名付けた。「いろんなことを幅広く吸収し、協調性があって、人にかわいがられる子に育ってほしい」と願いを込めた。

 靖一さんは「やっぱり子育てはこの雄大な自然の中でやりたい。息子と一緒に山や川で遊べる日が楽しみ」と目尻を下げる。圭子さんいわく、靖一さんは「イクメン修行中」。ぎこちない手つきで、風呂やおむつ替えに毎日奮闘している。

 地域住民も「人口が1人増えるなんて快挙」「自分のことのようにうれしい。元気が出る」と喜ぶ。
 唯一の悩みは教育。畑山周辺には幼稚園や学校がない。一番近い井ノ口小学校は車でも30分以上。学校に通う年になれば、一家で山を下りる選択肢も考えざるを得ない。

 「後継者に、というこだわりは持ってないけど、私たち夫婦の畑山を愛する心を伝えた上で、自分の意思で畑山に帰ってくる選択をしてくれたら幸せ」と圭子さん。

 靖一さんは「畑山の未来の、いちるの望みになれば」と集落の存続に希望を託し、「尚太郎がきっかけとなって、多くの子どもたちが畑山を訪れてくれるようになればうれしい」と交流の輪が広がることを願っている。

  【写真】小松靖一さん、圭子さん夫婦が授かった尚太郎ちゃん(安芸市畑山)
 正月も大分過ぎて、1月も半分が過ぎた。高知新聞の正月紙面の一面トップは「公の群像」という連載の第1回目だった。東日本大震災で地元の公務員ががんばった話を紹介しながら、続く。

「そんな思い半分。複雑。私ら家も仕事も失って収入セロ。なのにおんなじ被災者でも、公務員だけはちゃんと給料もらえんだからね。やっぱり、いい身分だよ」

20120110.jpg 高知県の市町村に勤める公務員の数は2011年4月1日現在で9319人なのだそうだ。これに対して県職員は14100人。教職員が7957人、警察官が1892人、その他出向など838人。1993年の17475人に較べれば、相当減っている。たぶん市町村でも減っているだろうが、合計すれば県と市町村で23419人。人口規模77万人の高知県で多いのか少ないのかが問題となる。

 2万3000人の職員には妻がいて子どももいる。平均4人として約10万人の人口である。加えて公務員のOBもいる。平均寿命が80歳として、1万人をゆうに超えるはずだ。妻もいれば2万人となる。つまり12万の人が税金で食っていることになる。おおざっぱな言い方をすれば高知県の7人に1人は「公」の人口だということができる。逆に言えば、7人で1人の「公」を養っていることになる。もっと厳密にいえば、専業主婦や就労していない子どもたちも多くいるから、3人で1人の「公」を支えているといったぐらいが正しいのではいかと想像している。

 問題を所得に敷衍すればさらに問題が大きくなる。手元に統計はないが、筆者の親戚に教員をしていた老夫婦がいる。2人の年金が合わせて50万円をゆうに超える。東京や大阪ならいざしらず、高知県で50万円の月収を得ることは並大抵ではない。

 公務員の給与は県レベルや大きな市でいえば国家公務員と遜色がないが、町村になると相当に低いことになる。だからあまり乱暴なことはいえない。しかし、高知県で公務員よりいい給料をもらっているのは、マスコミ、銀行ぐらいのものではないかと推察している。

 そうなると「公」を支えているのは2人に1人より少ないことになっているのではないかと思えてくる。民主党のマニフェストの「公から民へ」が多くの有権者の支持を得た意味もそこらにあったはずだ。

 東日本の被災地での「いい身分」の意味はさらに厳しい。民間だったら工場や事業所が消失したら賃金など発生するはずもない。被災地の場合、地方税収入はほとんどゼロであるはずだ。公務員の場合、庁舎が喪失したとき、どこから誰が彼らの給料を支払っているのだろうと考えざるを得ない。

201112171232.jpg 国王に二度即位するなどということはあまり聞いたことがないはずである。日本では大化の改新のころと奈良時代に女帝が二度即位したという歴史があるが、昨年12月13日に即位したマレーシアの14代目国王、アブドル・ハリム・ムアザム・シャー(クダ州のスルタン)は36年年ぶりに王座に復帰した人物である。

 なんでそんな不思議なことがおきるのかというと、マレーシアは建国以来、王様の輪番制を取る世界的にも珍しい政治制度が続いているからである。王様の任期は5年。9人のスルタンの中から順番で即位することになっている。任期途中で亡くなると次のスルタンが即位するから45年で一巡するわけではない。

 マレーシアは11の州から構成される。ペナンとマラッカはイギリス統治時代に直轄植民地だったため、スルタンがおらず、残りの9州にスルタンが存在していた。1957年、イギリスから独立してマラヤ連邦が誕生したとき、憲法制定委員会は国王を新たに設けて国家元首とすることを決めた。そのとき、この国王輪番制が決まった。

 この国王輪番制がどういう経緯で生まれたのか、いろいろな人に聞いてきた。もちろんマレーシアの友人にも聞いたことがあるが、誰もその経緯を語れなかった。その真相が最近になってようやく分かった。

 筆者が編集に関わっている財団法人霞山会の広報誌「Think Asis」第6号に小野沢純拓大教授が「マレーシアの国王は5年任期の輪番制」というレポートを書いてくれたためである。

 それによると、そもそもヌグリ・スンビラン州では9人の首長(ルアク)から互選でスルタンを選ぶことが続いていて、ペラ州ではまさに3つの首長の間で輪番でスルタンを選んできたという経緯があった。そうした「互選」「輪番」による統治を国家レベルに高めた結果、9人のスルタンが輪番で5年ごとに国王になるというユニークな政治制度が確立してのだという。

 マラヤ連邦の初代国王はヌグリ・スンビラン州のスルタン、アブドル・ラーマンが選ばれたが、その後、12人のスルタンが国王になり、今回83歳のアブドル・ハリムが二度目の国王に復帰したということなのだ。

120115.jpg EUで国債格下げドミノが始まった。ギリシャの経済破綻から始まった危機はイタリアの国債格下げに飛び火し、さらにスペインに波及した。EU各国が手をこまねいている矢先にドミノはフランスにも及んだ。その結果、EU通貨が大きく売られる局面に突入している。

 最高の格付けをもらっているフランス国債の格下げによってユーロが売られるのは分かるが、フランス国債の何段階も下の格付けしかない日本国債の通貨である円が買われるというのはどうも合点がいかない。この先、日本国債の格付けが下がると円売りユーロ買いにつながるのか分からないが、市場が動く動機は絶対的価値や水準とは無縁の世界のようだ。

 欧州各国国債に続いて順番に日本債が下がり、その次に米国債が下がれば、どうなるのか。順繰りに通貨が上がったり下がったりして、結局、何も変わらない・・・なんて冗談が起きてもおかしくない。

 景気悪化による財政出動が始めにありきで、財政悪化により国債の格付けがいったん下がると、金利上昇により財政のさらなる悪化と国債格付けの下落の悪循環から抜け出せなくなる。

  市場経済というばけものは一体何なのか考え込まされる日々が続いている。日本でもそうだったが、経済危機に直面した中央銀行が必ず行うのは金融緩和であ る。金利引き下げがまずあり、その金利が金利といえないほどの低水準に達すると今度は流動性拡大である。市場にどんどんお金を流して金融システムが止まる のを防ぐ効果があるとされるのだ。

 だが、果たして流動性を拡大してお金の流通が高まるのかといえば、決してそうではない。中央銀行は銀 行にお金を流し込むのだが、銀行から先にお金は流れない。水ぶくれしたお金は銀行を通じてさらに市場に逆流するのだ。その悪循環が続くとお金は中央銀行と 財政と銀行の間でぐるぐる廻るにすぎない。

 国家の財政はどんどん逼迫し、通貨価値の下落というスパイラルに陥る。自分で吐き出した通貨によって国家経済が破綻への道を進むことになる。

  ここ20年、世界で起きているのは国家の貧困化と民間の富豪の肥大化である。富が国家から世界の一部の富豪と企業に集っている。本来、国家は民から税金を 徴収して政府を動かす機能を持っているはずだから、民が富めば国庫も豊かになるのが自然なのにまったく逆のことがどの国でも起きている。民間の富豪たちの 富は半端でない。小さな国家を運営できるほどの富豪がどんどん生まれるカラクリはどう説明できるのだろうか。

 日本経済は1400兆円の 民間貯蓄があるといわれている。一方で富を生み出すはずのGDPは20年前か500兆円でしかない。仮に1400兆円を普通の金利である5%で回さなけれ ばならないとすると、金利だけで70兆円が必要になる。500兆円の経済活動から70兆円を生み出すなどほとんど不可能である。

 実体経 済に較べて日本は貯蓄が多すぎるということになる。住宅購入の頭金や老後の蓄えとしてなけなしのお金を貯蓄してきた結果、日本全体からみるととんでもない 金額に達していることは事実で、実はこのお金が暴走するマネーの資金源になったいるのだとするとやるせないことになる。

 ちょっと前、筆 者が経済記者になりたてのころ、長期金利は最大でも10年だった。銀行も10年以上のお金はめったなことでは貸してくれなかった。それが住宅融資は35年 が当たり前となっている。22歳から60歳まで働いたって38年しか給料をもらえないのに、35年ローンはないだろうとずっと考えてきた。

 政府はもっととんでもないことをやっている。日本の高速道路などは60年で建設資金を償還するなどという発想なのだ。国の借金が膨れ上がるのも無理はない。

 国債格付けドミノはどこかで断ち切らなければならない。
imagesribu.jpg 日経新聞1月9日のグローバルオピニオンの欄でフランスの食品大手ダノンのCEO、クランク・リブー氏が企業経営について興味深い話を紹介している。

「海外進出や新しい事業に乗り出すと株式会社から早期に果実を求められる。しかし事業会社は金融界からの圧力で仕事をしているわけではないことを丁寧に説明すべきだ。最貧国の一つ、バングラデシュでグラミン銀行の創設者のムハマド・ユヌス氏と合弁会社を設立して乳製品の販売を始めようとしたとき、ダノンの株主総会でこう話した。「利益はでないでしょう。もし利益がでたら再投資する。仕事が創造され、それが貧困をなくすことになる」。すると99%の株主が賛成してくれた。この事業は一年で軌道に乗った。」

 ダノンの使命は「食品を通じてより多くの人に健康を届ける」ことだという。そして企業が存続するためには「環境対策、貧困解消など今の社会に求められることと合致する強い使命感を持ち続けること」が重要であるという。

 昨今のグローバリズムとかなり違う企業理念を持っていることに驚いた。ダノンの株主も「利益追求」だけが投資目的でないのだ。バングラデシュの合弁事業はヨーグルトを製造し、それを10円足らずで販売している。すでに第二工場が立ち上がっている。ソーシャルビジネスが配当を行わない。社会事業として経営することで社会的価値が高まることに満足してもらおうというのだ。

 ユヌス氏にいわせれば、世界中で貧困のために巨額の寄附が行われている。ソーシャルビジネスは配当はないが、元金は戻る。寄附は一回したらなくなってしまうが、ソーシャルビジネスはその資金を繰り返し投資できるため、「持続可能」なお金になるのだそうだ。

 日本ではユヌス氏に呼びかけでファーストリテイリングがバングラで「100円Tシャツ」をつくるということが一年ほど前に報道されていた。バングラデシュのユヌス氏の下で、新しい「資本主義」の試みが行われている。(伴 武澄)

 ダノンのフランク・リブーCEO 「新興国開拓、独自性尊重を」(日経新聞1月9日)


 

 

13nin.jpg 協同組合といっても普段は生協ぐらいしか頭に浮ばない人が多いと思う。農協も漁協も林業組合も実は非営利の協同組合によって成り立っている。原則の「自助共助」精神」はどこへ行ったか。農協の漁協も国への依存度が高いだけでない。自民党の強力な支持団体だった。逆に生協は左翼勢力の生きる糧と化している。ロッチデール原則は政治の排除だったのではないか。

 そもそも協同組合は行政ができないことから運動をスタートさせた。義務教育がない時代に教育を支えた資金は協同組合の収益だった。公的医療保険がない時代に賀川豊彦は医療協同組合の必要性を強調し自ら中野総合病院を設立した。

 その後、国家が教育や社会福祉を自らの仕事とするようになって、協同組合の影が薄れてしまった。今年2012年は国連協同組合年である。各国で多彩な行事が予定されている。日本でもJA全中が中心になってロゴマークをつくりシンポジウムも計画されている。11月には神戸でアジア大会が開かれることになっている。

 しかし、いま考えるべきはお祭り騒ぎではない。国家と協同組合のあり方に眼を開くべきである。世界的に国家財政が破綻している。その背景には社会福祉など本来、住民の自助共助で賄われるべき分野にまで国家の力が浸透したからにほかならない。国家財政が破綻したからといって、もはや教育や社会福祉が後退することは許されないが、国家によって協同組合精神が失われたのは事実である。

 いま一度、自助共助の精神を復活させ、国家への依存心をあらためなければ、人々の教育や社会福祉が壊れてしまう。そんな危機感を持つ必要があると考える。増税を阻止するにも自助共助の分野を住民の手に取り戻さなくては空念仏に終わる。

 生協2600万人、農協950万人、信金・信組1200万人、労金1000万人、医療生協2700万人。組合員数を眺めるだけで、われわれはどれほど協同組合に依存しているかが分かる。世界には人口が1000万人に満たない国家がどれほどあるか考えれば、これだけの人々が協働すれば、国家にできないことですら実現可能であると考えなくてはならない。自助共助が必要なのは教育や社会福祉だけではない。環境や食の問題も協同組合の仕事である。

 特に3.11以降、関心を呼んでいるのがエネルギー分野である。実はエネルギーの自給は過疎の地である方が有利なのである。まず支えるべき人口が少ない。次いで水と森林というエネルギー源を背後に抱えるのが過疎の山間地なのである。

生協    組合員数2621万人
農協    組合員数 949万人
漁協    組合員数 36万人
森林組合 組合員数 157万人
医療生協 組合員数2710万人
労金    構成員数 999万人(会員数57,886人)
信用金庫  会員数 931万人
信用組合 組合員数276万人
(2010年度、農協は2008年度、漁協は2009年度)

 そんな自助共助の先にあるのが、協同組合の国際的な連帯である。国家の枠組みを超えたところで教育、社会福祉、環境、食、エネルギーを考えていけばどうなるか。わくわくするではないか。世界連邦が先にあるのではない。国境を超えた協働の果てに世界連邦は自然に発生するはずだ。(世界連邦運動協会四国ブロック長・高知支部長 伴 武澄)
260px-Kochi_city_hall01n3200.jpg 筆者の持論は、商店街への行政の進出である。高知市役所建て替え問題が浮上している今、初夢的に考えたのが、ダイエー跡地への移転である。グーグル地図上で見ると面積的に問題は無い。市役所への人の流れが帯屋町商店街に流れれば、商店街の活性化にもつながる。この発想は単なる移転ではない。市役所をアメーバのように市内に分散するという考えでもある。

 市役所で一番の人の出入りは市民課である。市民課は最も市民に親しみがある場所であるから、帯屋町商店街の空きスペースを賃貸すればいい。

 市役所の一階はもちろん図書館である。スターバックスでもドトールでもいい。喫茶店を併用してお茶を飲みながら「読書」や新聞・雑誌の閲覧ができるスペースが誕生すれば、図書館が待合場所にも変貌する。筆者なら毎日通うだろう。午前中を図書館で過ごし、昼食は帯屋町周辺の飲食店で・・・という生活になる。

 できれば市長室も商店街の一角に置けば、市長が朝から晩まで町内をうろうろすることになるから、市民が市長に声もかけやすいし、市長も日々、市民の生の声を聞くチャンスが増えるだろう。

 もちろん観光振興課は高知駅前か、はりまや橋に移転すべきであるし、防災関連の部署も町に出るべきである。そうすれば市役所の可視化が始まる。ラジオのサテライトスタジオも帯屋町に進出してもらえば、なおさらいい。

 商店街活性化、情報拠点の強化、市役所建て替えの一石三鳥となること請け合いである。高知に帰って8カ月。落胆したのははりまや橋の交差点に誕生した巨大なパチンコビルだった。高知医療センターが市内からとても不便なところに立地されているのにも驚いた。年寄りに「来るな」と言っているに等しいと思った。高知には町をデザインするという発想がまったくないのだと思わされた。高知には市役所の建て替えに他にも県と市の図書館合併構想も浮上している。

 もし高知市役所の建て替えが不可欠で、巨額の資金を投入するすることがあるのなら、ぜひ防災面だけでない発想の転換をお願いしたい。(伴 武澄)

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