避けたい日本のTPP参加によるアジア分断

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 学生時代から日本とは何かをずっと考えてきている。引きずっているのは日本にとってのアジアという存在である。少年時代に南アフリカでアパルトヘイトの洗礼を受けたことが影響しているのだと思っている。政治家も評論家も学者も戦争について「アジアへの贖罪意識」については語るが、「はたして日本がアジアなのか」という議論をずっと避けてきた。

 明治時代、西洋という対抗軸の中で多くの日本人がアジアを強烈に意識していた。「脱亜入欧」は西洋に追いつけというスローガンではあった。しかし、日本が先進国の仲間入りをした後も、人種も宗教も異なる日本について、西洋諸国が心を許す仲間になるほどにはなり得ていないし、そもそもなり得ない存在なのだろうと感じている。

 日本がアジアで信頼を得ていないのは、いつも西洋の尻馬に乗るその立ち振る舞いにあったのではないかと思っている。外交の軸足はいつだって「アメリカ」だった。かつて独自外交を目指した政治家もあったが、ことごとく悲惨な末路をたどっているのは確かである。

 「アジア」の重要性を口にしながら、重要な決定を控えると対米従属の行動を繰り返してきたのが戦後日本だった。アジアから見える日本はまだに欧米崇拝であり、アジア蔑視だったはずである。

 約20年前にアジア共同体をつくろうという動きがあった。最終局面でアメリカから「アメリカ抜きの経済体」は許さないという圧力がかかり、APECという中途半端な組織が誕生した。アジア太平洋経済閣僚会議である。台湾や香港という「国家」でない単位も加盟できるよう「閣僚会議」と命名したのは苦悩の末だった。アジアはそれほどに微妙な政治的バランスの上に成り立っていたからだ。それなのに、クリントン大統領はAPECで「首脳会議」を敢行した。結果的に台湾の総統は参加できなくなった。

 21世紀になって、ようやく東アジア共同体の発想が育まれた。アセアンの中に「プラス3」、つまり日中韓というフォーラムを形成し、東アジアの経済協力を進めることになった。アジアが互いに信頼醸成できる経済的環境が生まれたとの感慨があった。

 TPPの存在を知ったのは1年前である。菅直人首相が突然、TPP参加を表明した。そのとき、東アジアの協力の機運に真っ向から対立する概念だと感じた。

 経済力や成長力で日本を凌駕する中国と韓国の存在感は90年代とは比べられないほどに高まっている。貿易量でも日中は日米を上回るまでになっている。アメリカが大切なのかアジアが大切なのか。比較する前提も大きく変化している。そんな情勢の中で再びアジアを分断するような経済体をつくる必要はない。

 日本がもう一度、アジアに立ち戻るチャンスを見逃してはならない。TPPは日本の農業であるとかサービス業うんぬんの話ではない。日本外交がアジアに軸足をおくのかどうかという歴史的な分水嶺になるはずだ。日本抜きのTPPなど地域経済体としてまったく意味をなさないはずだ。参加国の経済規模があまりに小さすぎる。アメリカの一人芝居に終わるに決まっている。

 野田佳彦首相は何をあせっているのか。民主党の多くの反対論に抗してまでTPP参加を決断する意味はない。日本の立ち位置についてもう一度深く考えてほしい。

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このページは、伴 武澄が2011年11月10日 11:17に書いたブログ記事です。

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