土佐二の宮・小村神社に伝わる国宝の大刀の不思議さ

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 高知市を西に走り仁淀川を越えると日高村に入る。高知に帰ってからこの道を何遍も走っていて気になる存在があった。「土佐二の宮 小村神社」という大きな文字だった。

 紅葉を見に安居渓谷を訪ねた帰りにその小村神社を訪ねた。土佐一の宮は誰もが知っている土佐神社である。初詣でも高知県一番の賑わいとなる。土地の神社はその昔、国司制度が誕生したとき、国衙や国分寺などとともに格付けが行われたのだと信じている。

 その一宮が意外な場所にあることを知ることがある。大宮などという地名が残っている場所には必ずその国の一の宮が存在すると誰もが思う。さいたま市の氷川神社は武蔵国の一の宮ということになっているが、実は多摩市の小野神社が一の宮なのだという説もある。

 神戸の三宮はいまは神戸一の繁華街となっているが、実は一の宮から七の宮まであることは知られていない。

 小村神社は「こむら」ではなく「おむら」と呼ぶ。拝殿の前でうろうろしていると神官の装束の男性がやってきて「ご苦労様」と頭を下げた。

 すぐに質問を浴びせた。「なぜにこんな辺地に二の宮があるのか」「かつてはそれなりに重要な地ではなかったのか」。

 神官は吉田と名乗った。小村神社の由来を語り始めた。「小村神社は用明天皇2年(587年)の創建と伝えられています」「四国で二の宮があるのは土佐と讃岐だけです。伊予も阿波も一の宮しかありません」「二の宮があるのはそれなりに意味があるのです」「赴任した国司が着任を報告しにこの地にまで来たということです」「有力者がこの地にいたという証でしょう」

「ところでここに国宝の太刀があるのです。知っていますか」。二の宮だけで驚いていたのに国宝の太刀までがあるという。7世紀前半のもので鞘は金銅と板金でつくられたもので、祭神である国常立尊(くにのたちのみこと)のご神体となっている。

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 祭神が国常立尊というのも珍しいのだが、この太刀は「金銅荘環頭大刀拵・大刀身」と命名され、吉田さんが出雲を訪れたときにまったく同じ太刀があるのを発見したという。古墳時代の太刀は稲荷山古墳で出土した太刀が有名で、「獲加多支鹵大王」と銘記されて「雄略天皇」の名ではないかと大きな話題となった。日本でもそんなに多く伝えられてはいない。出雲の太刀は安来市で出土したものだが、ここ小村神社の太刀は1400年間、神社に伝えられた伝世品とされる。そんな由緒正しき太刀が人知れず小村神社に存在することが不思議だった。

 日高村のこのあたりは日下という地名である。飛鳥、長谷、春日など読み方の由来がなぞとされる地名の一つである。小村神社はその日下氏族が祀ったとされるが、そんな地名が土佐の片隅にあるのも不思議でいまだに解明されたふしはない。

 この神社本殿の裏手に大きな牡丹杉があり、樹齢1000年を超える。平成7年にその牡丹杉の根元を掘ったところ、弥生時代の銅鉾がみつかった。当時の祭祀の跡とされ、その地に育った牡丹杉が宝永2年の仁淀川の大氾濫、安政元年の大地震の前の晩など異変があるときに、梢に大きな霊火が懸かったとされ、村人から神木と崇められてきた。吉田さんによると、最近、風水師とか霊感を感じる人たちが多く訪ねるようになって、なにやらパワースポットの一つのようになってきたということだった。

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このページは、伴 武澄が2011年11月25日 10:50に書いたブログ記事です。

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