2011年11月アーカイブ

 7月、バスで上京した。早朝に新宿に到着したので、地下のドトールで一人、朝食をとった。7時すぎなのに満員である。出勤前のひと時をすごしているのであろうが、客もみんな一人である。新聞を読んだりパソコンを叩いたりしている。

 スタンドで買った朝日新聞の「天声人語」に興味深いコラムがあった。

 半世紀前の「今日の料理」の最初のおかずの分量は6人前だったが、今では2人前になっているというのだ。一年前の国勢調査によると、一人暮らし世帯が31%となり、家族世帯(夫婦と子ども)の29%を初めて上回った。夫婦のみは20%なのだそうだ。

 一人暮らしには当然、お年寄りも含まれるが、都会の一人暮らしが急増している。

 人間は群れで暮らしてきた歴史を持つ。一夫一妻はもともとあったのだろうが、核家族化したのは産業革命以降のこと。農村から都市に人々が流入してスラムに住み、一族で群れることをやめてしまった。スラムでは住環境から世帯を超えて住むことは不可能だったのである。

 賀川豊彦の『貧民心理の研究』などによると、スラムでは「ねた者夫婦」という形態が横行した。夫婦の絆すら薄くなった。一世紀近くも前の話である。それでも子どもは生まれる。スラムでは主婦が家を守るなどという余裕がない。子どもを預かる託児などという生業もそうやって誕生した。

 そうして親に面倒をみてもらえなかった子どもには、親の面倒をみる義務もなくなり、親の面倒も他人任せになった。子どもの養育も親の漢語も他人任せ。ここらに家族崩壊の前兆が起こる。
kuuchuu140.jpg 本来、高知県知事選と高知市長選のダブル選挙となるはずだった。しかし、知事選では現職の尾崎知事以外の立候補はなく、無投票当選となり、選挙ムードは一転してしらけてしまった。

 知事選も市長選も民主党と自民党が現職に相乗りした時点で市民の関心は遠のいていたのかもしれない。相乗りという点では大阪も同じだった。

 違ったのは争点である。大阪維新の会が「大阪都」構想を打ち上げて賛否を問うたのに対して、高知では「来るべき震災対応」ぐらいしか語るべきテーマがなかった。

 原発問題に端を発したエネルギー政策がもっと語られてもよかったと思うし、高知をどうするとか四国の将来を語るビジョンとかいくらでもマニフェストに掲げる政策があったはずだ。特にエネルギー政策は今後、9電力体制ではなく、都道府県単位で立案実行されるべきテーマである。

 二次産業がない高知県としては、せめて自給ぐらいは考えられないのかと思う。要は、これまでの行政の継続しか考えない「官僚型」首長を戴いている不幸なのだろう。尾崎知事は元財務省官僚だし、岡崎市長もまた市職員からのたたき上げ首長。ともに人柄は悪くないが、既存の枠組みを大きく組み替えていこうというパッションは感じられない。

 全国に目を転じると、10年前には多くいた改革派の知事がほとんどいなくなってしまった。長野県の知事になった田中康夫氏は、結局、議会と職員、それから地元マスコミにもそっぽを向かれ、長野県を変えることはできなかった。

 話題が沸騰している大阪の場合だが、橋下徹新市長が自ら語るように、「職員の意識変革」なくして大阪都もへったくれもない。職員の大勢は大阪市役所がなくなることには大きな抵抗を示すであろう。府と市とが一緒になれば、職員は半分近くにまで圧縮できるだろうから財政的に大きなメリットが生まれ、名古屋の河村市長ではないが、「地方税の大減税」も夢ではない。

 小説の中で大阪市長になった賀川豊彦が90年前、煤けた大阪の空から煙突をなくす運動を開始するが、議会と職員のサボタージュに出会い、職員の変わりに主婦に行政を任せるという痛快な場面が登場する。

 空中征服 http://www.yorozubp.com/2011/2010/04/think-kagawa-3.html

 行政が住民のためにあるのに、いつの間にか、市民の就労の場に転じているのが一番の問題なのだ。橋下新市長や河村市長が問題提起しているのは、まさにこの一点であるといっていい。

 特に高知県のような低所得自治体では、給与も退職金も年金も公務員は高嶺の花。サービスをしている職員の方が裕福だというのでは一般市民はやりきれない。高知にも風雲児の出現を期待したい。

 


 高知市長選で岡崎誠也氏の当選が確実になった。NHKが11月27日午後8時7分に報じた。共同通信は47NEWSを通して午後8時25分に報じている。

 理解できないのは午後9時45分現在、高知新聞も高知放送も県内の主要メディアはネットでこれまで一切、選挙結果について報道していないということである。

 もっと重要なことは、投票率が午後7時現在で2割台だったということである。たぶん最終の投票率は3割を切ることになるだろう。3割以下の投票率で「当選」という選挙ははたして民主主義的といえるのだどうか。明治期の自由民権運動の発祥の地の高知県の県都でこんなふがいない選挙が行われたことに恥じるしかない。

 (追加)投票率は28・05%(前回40・55%)だった。首長選挙ではたぶん史上最低に類する投票率だったはずだ。
shisenwokoete.JPG 内田樹『日本辺境論』(新潮新書)の中で学んだのは、エンゲルスが『空想から科学』で三人のユートピアン(空想的社会主義者)を描き、その中でロバート・オーエンはその一人としていることである。

 「ヨーロッパ思想史が教えてくれるのは、社会の根源的変革が必要なとき、最初に登場するのはまだ誰も実現したことのないようなタイプの理想社会を今ここで実現しようとする強靭な意志をもった人々です」「その人たちの身銭を切った実験の後、累々たる思想的死骸の上にはじめて風雲に耐えそうなタフな社会理論が登場してくる」「日本の世界に向けて教化的メッセージを発信した例を私は知りません」

 読んでいて思い出したのは賀川豊彦である。賀川に対してこういう分析を与えればぴったりくる。世界に向けて教化的メッセージを発信した唯一無二の日本人ということができよう。

 賀川の業績の一つはスラムにおける救貧活動である。キリスト教による救霊からはじまり、幼児教育、医療活動に進み、労働運動にまで発展。その後の社会事業のコングロマリットの発想の原点となった十数年をそのスラムで過ごした。「いま、最もキリストに近い人」と言わしめ、キリスト教の世界では誰もが納得した。

 もう一つは彼の社会事業の中核となった協同組合運動の著書『Brotherhood Economics』を1936年にニューヨークのHarper社から出版したこと。協同組合を社会論として構築しただけでなく、それを国家論、世界論にまで高めた。21世紀になっても世界連邦は夢物語としてしかとらえられていない。その世界連邦を協同組合で構築しようという壮大なロマンが1930年代に賀川によって語られていたことは伝えられ続けなければならない。

 そういう意味でスラムでの苦悩を描いた私小説『死線を越えて』(Before the Dawn)は世界的な文学であり、『Brotherhood Economics』は世界的な経済書になるのだと考えたい。

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 高知市を西に走り仁淀川を越えると日高村に入る。高知に帰ってからこの道を何遍も走っていて気になる存在があった。「土佐二の宮 小村神社」という大きな文字だった。

 紅葉を見に安居渓谷を訪ねた帰りにその小村神社を訪ねた。土佐一の宮は誰もが知っている土佐神社である。初詣でも高知県一番の賑わいとなる。土地の神社はその昔、国司制度が誕生したとき、国衙や国分寺などとともに格付けが行われたのだと信じている。

 その一宮が意外な場所にあることを知ることがある。大宮などという地名が残っている場所には必ずその国の一の宮が存在すると誰もが思う。さいたま市の氷川神社は武蔵国の一の宮ということになっているが、実は多摩市の小野神社が一の宮なのだという説もある。

 神戸の三宮はいまは神戸一の繁華街となっているが、実は一の宮から七の宮まであることは知られていない。

 小村神社は「こむら」ではなく「おむら」と呼ぶ。拝殿の前でうろうろしていると神官の装束の男性がやってきて「ご苦労様」と頭を下げた。

 すぐに質問を浴びせた。「なぜにこんな辺地に二の宮があるのか」「かつてはそれなりに重要な地ではなかったのか」。

 神官は吉田と名乗った。小村神社の由来を語り始めた。「小村神社は用明天皇2年(587年)の創建と伝えられています」「四国で二の宮があるのは土佐と讃岐だけです。伊予も阿波も一の宮しかありません」「二の宮があるのはそれなりに意味があるのです」「赴任した国司が着任を報告しにこの地にまで来たということです」「有力者がこの地にいたという証でしょう」

「ところでここに国宝の太刀があるのです。知っていますか」。二の宮だけで驚いていたのに国宝の太刀までがあるという。7世紀前半のもので鞘は金銅と板金でつくられたもので、祭神である国常立尊(くにのたちのみこと)のご神体となっている。

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 祭神が国常立尊というのも珍しいのだが、この太刀は「金銅荘環頭大刀拵・大刀身」と命名され、吉田さんが出雲を訪れたときにまったく同じ太刀があるのを発見したという。古墳時代の太刀は稲荷山古墳で出土した太刀が有名で、「獲加多支鹵大王」と銘記されて「雄略天皇」の名ではないかと大きな話題となった。日本でもそんなに多く伝えられてはいない。出雲の太刀は安来市で出土したものだが、ここ小村神社の太刀は1400年間、神社に伝えられた伝世品とされる。そんな由緒正しき太刀が人知れず小村神社に存在することが不思議だった。

 日高村のこのあたりは日下という地名である。飛鳥、長谷、春日など読み方の由来がなぞとされる地名の一つである。小村神社はその日下氏族が祀ったとされるが、そんな地名が土佐の片隅にあるのも不思議でいまだに解明されたふしはない。

 この神社本殿の裏手に大きな牡丹杉があり、樹齢1000年を超える。平成7年にその牡丹杉の根元を掘ったところ、弥生時代の銅鉾がみつかった。当時の祭祀の跡とされ、その地に育った牡丹杉が宝永2年の仁淀川の大氾濫、安政元年の大地震の前の晩など異変があるときに、梢に大きな霊火が懸かったとされ、村人から神木と崇められてきた。吉田さんによると、最近、風水師とか霊感を感じる人たちが多く訪ねるようになって、なにやらパワースポットの一つのようになってきたということだった。
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 いの市は和紙の故郷。いまもコウゾ・ミツマタから生産が続いている。そこに紙の博物館がある。展示は何度も見たことがあるので普段は入館料を払わない。楽しいのは魅力的なのは付属の和紙の販売店である。

 書道用の和紙から障子用の和紙、大型の和紙までなんでもござれ。日本画のアーティストからの注文も多く、販路は全国区だという。

 何に使うのか分からないが、90×60サイズの和紙が気に入り、はたとひらめいた。これでランプスタンドをつくったらきれいだろうな。

 右のランプスタンドはそんなひらめきから生まれた。台座につかったのは近くのホームセンターでみつけた杉材。焦げ目がつけてあり、和紙に似合うと判断した。4本の柱とともに約2000円。電球の取り付け器具はコード付で約500円。スイッチが200円。あと針金も1メートルほど必要。そうそう、和紙は600円強だったから、材料費は3400円。

 3日ほどデザインをあれこれ考えたが、つくりはじめたら、約2時間ほどで出来上がり。素人がいいかげんに作ったから多少のいびつさには目をつぶろう。なかなかいいでしょう。

 
DSCN0729.JPG 先週、金沢市を訪れ、鳥肌が立つほどの空間に立ち入った。新しくできた鈴木大拙館での出来事である。入館受付を終えて、数歩後ずさりすると右手に展示室に続く長い廊下が視野に入る。その光景がぞくっとするのである。

 美術品や建築物などとの出会いには人それぞれ感応の仕方が違う。育ってきた幾多の環境のなせる業なのだと思う。文学作品で、冒頭部分を思えているものはそう多くはない。筆者の場合、島崎藤村の『夜明け前』がある。「木曽路はすべて山の中である」という書き出しには読者を作品に強く引きずり込むインパクトがあった。

 6年前、三重県菰野にあるパラミタミュージアムを訪れた時、似た感覚があった。廊下を左に曲がると光の空間に迎えられる。常設展の故池田満寿夫の「般若心経シリーズ」へのプレリュードに立つと、瞬間に「なんだこれは」という強い衝撃に立ちすくむはずだ。

 ともに光の魔術である。鈴木大拙速館にも東洋の霊性を世界に広めた大拙を語るにふさわしいプレリュードがあった。明と暗によるエネルギーが瞬間的に交錯する。

 かつて京都の大徳寺高桐院。初夏の雨上がりの庭園には新緑時にのみ緑色の濃い空気が漂っていた。寺門をくぐって右に折れたとたんに感じる目に入る光景である。その瞬間にのみ感じることのできる美のパルスなのだと思う。高桐院では自然に中に同じパルスをもたらす工夫があった。

 鈴木大拙館は建築家、谷口吉生氏の作品。「あまり人に来てほしくない館をつくった」という。「自分だけの空間」という意識が強く込められている。谷口氏が「壊してもう一度つくりたい」と語ったほどに霊魂を込めた作品が一人歩きを始めた。(伴 武澄)

 鈴木大拙館 http://www.kanazawa-museum.jp/daisetz/
mennka.jpg 萬晩報の全文をブログに引っ越す作業が続いている。5年前にMovable Typeというブログを使って仕事をしていたことがある。こんなブログを萬晩報のサイトに導入できたらとずっと考えてきたが、以前に使用していたレンタルサーバーにはこのブログを導入できる環境になかった。サーバー会社は移転は実現したものの、筆者の能力ではブログ導入はできなかった。元の会社の後輩がこのほどその作業をしてくれた。

 この2週間、過去の記事を一つひとつ新しいブログに引っ越す作業が続いている。「こんなことも書いていたのか」「こんな人も書いてくれていたんだ」という感慨がある。日経新聞の今月の「私の履歴書」は元米国野村證券会長の寺澤芳男氏が書いている。11月17日に相田雪雄さんのことが出てきた。奥村綱雄氏とともに野村證券の国際派の中で突出した人物だと高い評価を与えている。

 1998年12月01日に、「競争ルールの半分しか追及してこなかった日本人」と題してコラムを書いたことがあった。そのメルマガに半澤健一氏という元金融マンが丁寧なメールを送ってくれた。日曜クラブでの自らの講演録も添えてあった。日本の金融界の「国際業務」の実態を赤裸々にかたっていた。その半澤氏をネット検索すると「リベラル21」を中心にいまだに健筆を誇っているのをみた。TPP問題でも反対の立場を鮮明にしている。いまごろになって12年前にメールをくれた大人物に感謝したい気持ちになってきた。

 斉藤清さんの書いたコラムにもうならされた。あのころからアメリカの目指すグローバル化に警鐘を鳴らしていたのだった今日はその「サハラに散った雪の花」をもう一度、掲載したい。

2005年03月29日(火)萬晩報通信員 齊藤 清
  【ギニア=コナクリ発】独自の論理で己の侵略戦争の正当性を主張し、かつ推進しつつある唯我独尊の米国は、油の確保ばかりではなく、農業分野でも幾多の国 を相手に大いなる戦果を上げている。ここでは、銃弾を使わず、生血を流さず、きわめて静かに、しかし傲慢に、そして着実に進行している強襲国家による世界 の農業分野への破壊作戦の成功の一端を、アフリカの綿花とアメリカの戦果との白々しい関係に限って眺めてみた。

 ◆ジャズ発祥の地

 毎年7月の初め、カナダのモントリオールで国際ジャズフェスティバルが開かれる。およそ10日の間、町のいたるところで数々のコンサートがくりひろげら れ、世界中から100万を超す聴衆が訪れるともいう。期間中は、町そのものがジャズのステージに変身する。むろんそれはそこに集うミュージシャン達の音楽 の内容の濃さに惹かれてのものだ。このジャズフェスティバルは、きらびやかな衣装と舞台装置で目くらましをたくらむお祭りではない。ただひたすらに心を歌 うジャズの祭典である。メインの歌い手ばかりではなく、演奏陣、黒人男女のバックコーラスなども圧巻だ。むろん、出演者、聴衆に、白人、黒人の区別はな い。

 このフェスティバルの原型ともいわれるお祭りが、ジャズの源流の地と目されているニジェール川上流地方のギニア・カンカン県・バロ村とクマナ村(首都か ら陸路700キロ)で、やはり毎年開かれている。年に一回のこのお祭りでは、この地方の伝統的な音楽をベースにした打楽器のリズムにのせて、男女の踊り手 による激しい舞いが、いつ果てるともなく続けられる。当然のように奏者のアドリブも入り、踊り手もこれに応える。このやりとりの妙とその場に満ちあふれる 熱情は一筋縄のものではない。――蛇足ではあるものの念のため、このお祭りの光景は、東の果ての島国のテレビ屋さんがその国の大衆に提示したがる、「いわ ゆる付きのアフリカ」の映像とはかなりの隔たりがあることを、こっそりとつぶやいておかなければならない。

 このお祭りに参加するために、近隣の村々からの演奏者、踊り手はむろんのこと、近年は世界各地から、黒人ばかりではなく白人も大勢やってきて、大地と一体となった音楽の原点ともいうべきこの土地のお祭りに酔いしれる。

 アメリカ大陸で承継・発展したジャズの源流がアフリカ・ギニアの奥地の村に求められるということは、この地とアメリカの地との間になんらかの血のつなが りがあるということになるのか。そう、これはあからさまに言えば、この地が奴隷貿易時代の黒人奴隷の供給地のひとつであったという事実につながるらしい。

 ギニア内陸部のこの地で綿花栽培に携わっていた労働者――奴隷という身分であったかもしれないけれど――が、略奪された新大陸であるアメリカ南部に連れ 出され、当時の英国の綿花需要に応ずるための労働力として利用された。広大な綿花プランテーションでのすべての作業は黒人奴隷にゆだねられ、そして、新開 地の肥沃な土地を舞台として、欧米を軸とする綿花経済の花が開いた。その副産物として、アフリカの伝統文化を底流としたジャズと呼ばれる音楽が生まれた。

――奴隷売買業者は、闇雲に誰彼かまわず新大陸へと案内したわけではなかった。綿花栽培の即戦力となる、そして勤労の習慣が植えつけられた、言ってみれば 文化程度の高い人々を狙い撃ちしたのであった。海辺の、当時としては文化果つる地方の、自然環境に恵まれているがゆえに労働意欲の希薄な人々は商品として の奴隷にはけっしてなり得なかった。

 ◆高地ギニアに降る雪

 バナンフルフル(カポック)の白い綿毛がきままな風に乗って遠くの山にまで飛んでいく二月のある日、村の広場には雪が舞う。村人が丹精して作り上げた綿 花が、この日、広場いっぱい、白い雪と見まごうばかりに積み上げられる。

 この地では、いつとは知れぬ古い時代から、綿花を栽培し、糸をつむぎ、布を織り、時には染めて、それを身にまとう生活が連綿として続けられてきたわけだ けれど、最近では海外から輸入される色鮮やかな布地のほうが幅を利かし、この土地の手織りのものよりも安価に買える時代となっている。そして、綿花を栽培 する農家はごくまれな状況となってきた。4、50年前までは、――フランスの植民地時代にはかなりの量を生産し、それは国外に送り出されていたのだけれ ど。

 そのような時の流れを巻き戻すように、10年ほど前にフランスから『プロジェ ・コットン(Projet coton)』と称する事業組織がやってきた。住民の経済力支援を主な目的とする組織であったらしい。

 ニジェール川上流地方は雨季と乾季がはっきりした、いつも乾燥している土地柄である。 綿花の栽培に適した気候だ。そして、ブルースと呼ばれる、人の手の入っていない疎林がまだたくさん残されている。全体に表土は薄く地味は痩せているから、 すべての場所を開墾するわけにはいかないものの、適地がないわけではない。

 フランス人たちは、種子と肥料を貸し与え、収穫した綿花の売り上げからその分を天引きするシステムを提案して住民に綿花の栽培を勧めた。雨季の間に種を 蒔き成長させて、乾季になったら綿花を収穫させる。収穫物を引き取る大型トラックを走らせるために、雨季の後の荒れた砂利の道を組織の手で定期的に整備し た。おかげで、ブルースのあちこちに車の走れるこぎれいな道ができた。

 現金収入が得られるとなれば、森を伐り開き、林を焼いて栽培面積を増やす農家が増えるのは自然の成り行きである。栽培地は飛躍的に増えた。時にかなりの現金収入を得て、近隣の評判となる家族も出現した。

 もっとも、もともと極端に痩せている土地ゆえに、二季も連作すれば、肥料を増やしても収量は減る。降雨と播種のタイミングを読み違えて、収量が極端に少 ない年もある。その結果、種子代も払えない赤字農家が出ることもあったけれど、それでもなんとか『プロジェ・コットン』の事業は続いた。

 そして、毎年2月の、あらかじめ定められたある日、トラックが綿花を集めにやってくる。その日は村中総出で、その年の生産物を広場に運び出す。広場を 覆った厚い雪が太陽の光を反射し、村人の上気した顔を明るく照らし返す。綿花の重量を量って集荷のトラックに積み込み、そして感慨を込めて見送る。それが 村々の毎年の行事となって定着した。

 ところが、ある年のこと、約束のトラックはやってこなかった。

 ◆巨額の輸出補助金と農業助成金

 ハリウッド映画『風と共に去りぬ』の南北戦争前後のアトランタ。綿花プランテーションで働いていた黒人奴隷たちは戦いに駆り出されて、農場には誰も残っ ていない。そこに、ヴィヴィアン・リー扮するスカーレット・オハラが、姉妹たちと共に慣れぬ手つきで綿花を摘むシーンがあった。

 その後南北戦争は終わり、奴隷が解放されて綿花農場は維持できなくなった。 そして南部の大農家は没落。白人の小規模な農家が誕生した。もっとも、開放された黒人奴隷に市民権は与えられたものの、土地は与えられず、仕事はなく、飯は食えず、経済的にも身分的にもつらい状況は継続したもののようだ。

 それでも、アメリカ南部での綿花栽培は現在も健在で、中国に次いで世界第二位の生産量を維持しているらしい。ところがアメリカ国内での消費量は生産量の 2割程度でしかなく、綿花の生産者が生きるためには、残りの8割は輸出されなければならない。

 それはよく知られているように綿花に限ったことではなく、小麦、とうもろこし、大豆、牛肉等々、アメリカのすべての農産物は輸出するために作られている。なにしろ、アメリカは世界最大の農産物輸出国なのだから。

 それで、他国に対して市場開放を迫り、農産物輸出入の自由化を要求する。世界中がひとつの基準で交流すればすべてうまくいく、とそのような宗旨であるら しい。本音は自国のご利益しか考えていないというのに。その前線基地が、グロバリゼーションを唱和する人々の根城、世界貿易機関(WTO)。

 しかしながらアメリカは、たとえば、2001年に30億ドルの輸出補助金と生産助成金を自国の綿花生産者に支払った。これはアメリカの綿花の生産総額を も上回る。綿花生産国のブラジルはこれをとらえて2003年、補助金によって生産される余剰綿花が、WTO協定に違反して世界市場にダンピング輸出されて いるとしてWTOに提訴した。

 さすがのWTO紛争処理委員会も、米国の綿花補助金が世界市場価格を押し下げ、WTO協定違反であると認めた。

 ついでに言えば、2001年の米国の綿花補助金額は、米国のアフリカ援助予算総額の3倍以上であるという。そのとばっちりで、アフリカの零細・貧困な綿花生産者はさらに困窮させられているというのに。

 西アフリカ・ブルキナファソの綿花は歳入の60%をまかない、400万人の雇用を生み出している。これがアメリカのダンピング輸出に直撃された。同様 に、西アフリカの主要な綿花生産地、ベナン、チャド、マリにも、米国の綿花補助金政策は多大な被害を与えている。すべて弱肉強食、世界のならず者がしでか す横紙破りのお話である。

 このようにして、国の歳入を左右するほどの輸出額ではなかったものの、ギニアの綿花生産農家も早々と降参させられた。生産物を引き取ってくれるはずの 『プロジェ・コットン』が、綿花の価格暴落で採算が取れずに撤退し、約束の集荷トラックが走らなくなったのだ。

 綿花を栽培するために開墾した原野は放棄された。

 ◆米を食うからバカなのだ

自国の農産物を外国に売り込むアメリカの戦略ということになれば、1970年代終盤に、たまたま自分の耳で聞き、眼で見てしまった、大脳生理学の権威を標 榜するある大学教授の晩年の口演をまずは想いださざるを得ない。たしかに、敗戦のその日から、それまでの鬼畜米英転じて憧れの民主主義国家崇拝者へと急転 直下の航路変更をして嬉々としていられた国の小国民ではあったものの、博士の論旨はそれでもなお刺激的であり衝撃的かつ悲劇的なものであった。

「わが国民は、米を食うからバカなのだ」と氏はのたまわった。そして「米を食うから戦争に負けたのだ」と言い切った。呆気にとられ、あるいは毒気にあてら れて茫然自失の聴衆に対する処方箋は、「アメリカのようにパンを食え」「肉もどっさり食うべきだ」と、いたって単純明快なものであった。

 博士はベストセラー『頭のよくなる本』の著者であり、慶應大学教授、かつ直木賞作家という異才であられたから、凡人に対しては説得力がありすぎた。アメ リカの農業政策の代弁者として、その広告塔として、これ以上の逸材はそう簡単には見つかるまい。

 そして現在その国は、パンを焼く小麦のほぼ100パーセントをアメリカからの輸入に頼り、さらにアメリカから肉が入らなければ牛丼が食えない口寂しい国 に成長した。牛の病を恐れて肉を絶てば、アメの肉を買わないと厄介なことになるぜ、と憧れの民主主義国家がやさしく諭しにやって来る。ともあれ、これぞ亡 き博士の大いなる功績であったのだろうと、遠くギニアの空の下、照りつけるぎらぎらの太陽に目を細め、あの日の口演を想いだすのである。

 このようにしてアメリカは、自国の農業従事者の生活を守るために常に地道な努力を続けている。たとえば、GATTのケネディーラウンド関税交渉の中で 1967年に成立した国際穀物協定の食糧援助規約では、一部の開発途上国に対して毎年1000万トン以上の食料を援助するという目標を掲げ、加盟国ごとに 穀物(小麦、大麦、とうもろこし、豆等)の最低援助量を割り振った。極東の小国は、年間小麦30万トン相当の穀物を無償援助することを義務付けられてい る。――自国の余剰生産物がない国は、当然のように生産過剰の国で調達して援助することになる。

 この長期にわたる無償の「食糧援助」は、生産過剰の国の輸出を助けると同時に、開発途上国の農業生産意欲を削ぐことにも多大な貢献をした。飢えた国の農 民が食糧生産の自助努力を放棄するように。なけなしの外貨を使って、命をつなぐくもの糸、どこかの国の余剰農産物を輸入するように。

 そんな地獄への後押しをしたのが、ケネディーラウンドによる開発途上国への食糧援助であった。極東の小国の小麦生産が、輸出補助金と農業助成金を受けて 生産されたアメリカからの安い小麦に押されて破壊されたように(米国の小麦の輸出価格は生産コストの約半分)。――その国は、庶民の食べる安い牛肉につい ても、自国で生産する気力も能力も、もはや夜霧のかなたへ捨て去ってしまったように見える...。

 ちなみに、アメリカをわが命と仰ぐその国の外務省の食糧援助に際しての国内向けの口上は、「同国政府は食糧自給達成を優先課題としているが、長期にわた る旱魃等のため耕地が疲弊しており、食糧の調達が困難な状況にある」「不安定な気候に加え、近年は降雨量が減少していることから、砂漠化が進行し、耕作地 が減少している。

 また、害虫・害鳥等による被害のため食糧生産に大きく悪影響を及ぼしている」「高い人口増加率のため食糧需要に生産が追いつかず、深刻な食糧不足が続い ている」等々、気候変動、耕作地の減少、虫、鳥、人間の増加、考えられるものすべてを登場させて、無知な国民の目を掠めるだけが目的の能天気な背景説明に 忙しい。現実を知らないはずはあるまい。それでも、昨今はパソコンでのコピー・ペーストが簡単になったから、過去のいくつかの模範文例があればそれでやり くりがつく。良心というものを別にすれば。

 ◆音楽だけが残った

 そして、高地ギニアの村々を廻って綿花を集荷するトラックは来なくなった。 零細生産者には、生産物を売る手段がない。価格競争力がない。種子を買う金がない。強襲国家のように、補助金をつけ、資金を補給してまで生産者の生活を守る能力を持ち合わせていない弱小国家の民には、もはやなす術はない。

 その結果、過去には綿花労働者として多くの人間が連れ去られたアフリカの片隅から、この土地に綿々と続いていた、古い歴史に彩られた綿花栽培の文化その ものも、真綿で首を締め上げられるようにして、息絶えることになった。

 この国は、今では綿製品をもっぱら輸入するだけの国になりさがってしまった。これも米国の戦略の成果であり、グロバリゼーションとかいう邪宗の祟りなのであろうか。

 それでも、奴隷とともに運び出されたはずの音楽がまだ消えずに残っているのが、せめてもの救いと諦めるしかないのだろうか。(まぐまぐメールマガジン『金鉱山からのたより』2005/3/28より)





 2011年11月04日の「リベラル21」に掲載された半澤健市氏の「私のTPP反対論」を転載させてもらいたい。http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-1777.html#more
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半澤健市 (元金融機関勤務)

 TPPの本質は「貿易問題」であると同時に「新自由主義」の問題である。
サ ブプライム融資という毒入り饅頭で米国金融資本主義は破綻した。「リーマンショック」である。以後、世界は第二の「大恐慌」に向かって着実に歩を進めてい る。私はそう考えている。しかしウォール街は金融資本主義の失敗とは考えていない。ウォール街の支配から自由でない米オバマ大統領も同じである。

《ウォール街は反攻に乗り出す》
  オバマは2010年の一般教書演説で輸出振興によって雇用増大と米国経済の復活を目指すと強調した。輸出を5年で倍増するという。オバマは一面で米国経済 の失敗を認めている。貯蓄せずにカードと不動産バブルで消費を拡大し赤字は外国からの借金で埋める。これが息子ブッシュまでのアメリカ経済であった。国際 収支の赤字は米国債の格付けを低下させる。経済成長は、消費、投資、輸出、借金に依存している。米国経済に残された回復策は、消費抑制、緊縮財政と輸出の 振興しかない。しかし輸出する商品はあるのか。軍事産業に発した航空・宇宙産業やハイテク技術を除けば―勿論その質量は軽視できぬが―、「モノ作り」をや めて「金融工学」、「会計技術」、「コンサルタント技術」、「訴訟技術」、「マクドナルド」、「スターバックス」という「サービス産業」に特化したのがア メリカ経済の実体である。

《サービス産業を丸ごと輸出する》
 私は「サービス産業」は簡単に は輸出できないと思っていた。しかしマックやスタバはシステムごと海外へ持ち出した。食文化のカベは存外に薄かった。「飲茶」(やむちゃ)しか食べないと 言っていた中国人もマックとケンタッキーを受け入れている。フランス人だってコカコーラを一杯も飲まぬわけではないだろう。
オバマ政権の狙いは 「サービス産業」自体をそっくり輸出することである。「サービス」は外食産業だけではない。現に日本の「サービス市場」は外資に浸食されている。たとえば ガンと葬式のための笑顔に満ちた保険CMを見よ。彼らは外資である。シャッター街の出現をすべて外資のせいとは言わぬ。しかし規制緩和によるものであるこ とは確かだ。この成り行きは新自由主義の浸透の実現である。この作業を徹底して実行し日本市場を一旦焦土とする。その焼け跡に米国型市場を創造する。これ がウォール街と多国籍企業に支えられたオバマ政権の真の目的である。
農業はその一部に過ぎない。推進論者はTPPを奇貨として農業改革を進めよという。その前に日本の農業市場は、米巨大企業カーギルやADMの支配下に入るであろう。TPPの基本は「例外なき関税の撤廃」である。別の言葉では「非関税障壁」の撤廃だ。

《主権剥奪にまで及ぶTPPを考えられるか》
  その実態は貿易交渉の名のもとに、相手国が営々と歴史的に築いてきたシステムを破壊する行動である。目には見えにくい知的財産、保険・金融、電気・通信、 商業関係者の移動、電子商取引、投資、労働などが主なターゲットである。「ヒト・モノ・カネ」の総体をもって日本市場に自由に参入しようというものだ。か くして、その影響は国民生活の全般、庶民の営みの隅々にまで及ぶであろう。関税自主権、治外法権という国民国家固有の権利までが侵害されるであろう。 TPPの理念はそういうものである。FTAでは進出企業に不都合な国家規制には訴訟で賠償させたり規制を撤廃したり権利がある。形を変えた治外法権であ る。現にメキシコやカナダではその事例があるという。

《日本にメリットはないのか》
 日本側にはメリットがないのか。
製 品輸出を主業とするパナソニックやトヨタには関税引き下げのメリットは殆どない。輸出市場の現実は、高い日本円と安い韓国ウォンによって、1年で価格が倍 も開く世界である。当然ながら海外生産比率の高い製造業―たとえば「ホンダ」の米国生産は80%―には関税引き下げの効果はない。
アジアの市場を呼び込む効果はないのか。
TPPに日本が加入すれば加盟10ヵ国中、日米で90%になる。この協定の実質は日米間の政治・文化・経済関係なのである。しかも日本以外の加盟国は産業構造で日本と共通する国は一つもない。中国、韓国、インドのいない協約でどうして「アジアを呼び込める」のか。
日本だけが世界の趨勢に置いていかれるか。
そんなことはない。逆に日本の加盟は、米国企業から見れば「飛んで火に入る夏の虫」であり、来年再選を迎えるオバマにとって大きな援軍になるのである。
ダメなら脱退したらいいのではないか。
交渉のテーブルについて言い分を主張しダメなら脱退したらいいのではないか。
そんなことは不可能である。現に国内にこれだけの反対論があるのに野田政権はあと数日で参加を発表しようとしている。そのことが何よりの証左だ。米国の圧力に屈しているのでいる。

《ショック・ドクトリンから脱出できぬ日本》
  最近、カナダのジャーナリストであるナオミ・クラインの著作『ショック・ドクトリン』(岩波書店)が話題である。新自由主義者は、自然災害や戦争といった 緊急で巨大な事件のなかで被害者・当事者の恐怖心や呆然自失を利用して「洗脳」を図り自己の政策を急速に浸透させるのだという。同書はチリのクーデタやイ ラク戦争などを実例にしてその実態分析を行っている。私は、原爆投下、昭和天皇のマッカーサー訪問写真、東京裁判における日本軍の残虐行為暴露も「ショッ ク・ドクトリン」の先駆的な応用だったのかと考えるようになった。日本人は、1945年の敗戦から65年間「敗北を抱きしめ」続けている。その日本人に― 少なくとも「どじょう」を愛する野田佳彦に―「主張」や「脱退」を求めるのはリアリズムの言語ではない。評論家内橋克人は「東日本大震災」の復興において も日米資本が「ショック・ドクトリン」を応用する危険があることを指摘している。

《自虐的被害妄想という人には》
 私の認識と意見は「被害妄想」であり「自虐的」過ぎるという人があるだろう。
しかし、泥縄式ではあるが数週間勉強して出した結論である。この過程で痛感したのは、反対論が具体的で数値に基づくものであるのに対して、推進論は抽象的で数字に基づいていないことである。推進論の愚例を二つ挙げる。

一 つは、菅直人首相(当時)が10年10月に言った「平成の開国」論である。日本の農産物平均関税率(11.7%)はEU(19.5%)より低く、まして米 韓交渉の成功としてメディアが誉めている韓国(62.2%)と比べて圧倒的に低い。米国ですら5.5%かけている。日本は既に開国しているのである。
「明治の開国」は関税自主権喪失、治外法権という不平等条約を締結したのである。我々はその不平等条約の撤廃への努力をこそ学ぶべきなのである。
TPPへの参加は新たな不平等条約の危険を大きく孕んでいるのだ。韓国のFTA交渉結果は今、国内世論を二分する大論争を呼び、学生と若者による反対のデモが起こっている。さらに過日のソウル市長選は李明博政権によるFTA交渉結果への大衆の不満爆発と報道されている。

二 つは、民主党政調会長前原誠司の発言である。「つんのめり」が好きなこの政治家は、「(GDPに占める農業の)1.5%のために残りの98.5%が犠牲に なっていいのか」といった。TPPの全体構造を意図的に隠蔽する俗論である。実際は上に述べたように全産業が米国の利益の犠牲になる恐れがあるのだ。

《「TPPを考える国民会議」に説得された私》
  私の反対論が100%正しいという確信はない。それは主に「TPPを考える国民会議」の言説に依拠しているのである。宇沢弘文、鈴木宣弘、中野剛志、東谷 暁、孫崎享らの反対論は、私には圧倒的な説得力があった。私の表現などはおとなしいものである。「会議」ではもっと過激な言説が横行している。中野説は自 由貿易論への懐疑にまで及んでいる。この点で私は下村治の言説を想起したい。それに比べて推進論は具体性に欠け無内容な一般論に終始している。読者には 「TPPを考える国民会議」のサイトによって彼らの基本的な概念と言説をヨリ深く知ることをお勧めする。

「国を売る危険のあるTPP交渉に入るべきではない」。これが私の結論である。
萬晩報主宰 伴 武澄

 東日本大震災のための第三次補正予算が国会を通過し、復興債の償還期間を25年とすることで与野党合意した。TPP参加は曲折を経たが野田佳彦首相が大勢の慎重論を押し切ってハワイでのAPECで参加表明した。

 この1週間、相次いで国家の重要政策が決まっていった。野田首相の手腕ではない。官僚の手際である。政治の社会に再び財務省ペースが復活した感がある。このまま行くと、12月の予算編成に向けて消費税増税を含めた税制改正の過密スケジュールになだれ込んで行くような雲行きにたってきた。恐ろしいことだ。

 思い出すのは11月から年末にかけての次年度予算の編成である。新政策を検討する各種審議会の報告が次々と出され、省庁はそれを「大綱」という形で政策化する。圧巻は自民党税調と政府税調のハーモニーである。これも相次いで発表となる。次年度の税制大綱が決まると、予算編成が本格化する。

 本格化といっても財務省が原案を発表した後、復活折衝(局長級、次官級、閣僚級)が3日ほどあって政府原案の発表とあいなる。その間、経済部の記者はそれこそ寝る間がない。というより考える間がない。

 意図的かどうか分からないが、日替わりに次から次へと重要ニュース、つまり一面トップの記事書いた経験からすると、当時の大蔵省の陰謀としか思えないスケジュールなのだ。

 霞ヶ関の官僚はこの予算編成というゴールに向け大蔵省が書いたスケジュールに乗って、4月からベルトコンベア的作業を強いられる。マスコミもその被害者だし、考えようによっては政治かも被害者なのかもしれない。

 このベルトコンベアを動かす潤滑油の役割を果たすのが官僚による「ご説明」である。主に政治家に向けたものだが、大物記者にも「ご説明」部隊はやってくる。だいたいが課長クラスである。よもやま話から始まって、なぜこの政策が必要かということをてきぱきと説明する。

 大方の政治家や新聞記者はまず霞ヶ関の幹部がわざわざ自分一人だけのために足を運んでくれることに感動する。背景説明の中に公表されていない情報でもあれば、なにやら仲間になったような気にさせられる。ここらの心のくすぐり方が巧妙である。

筆者はこれを官僚によるフォーマットと呼んで来た。一度思考パターンが財務省的になるとなかなかこれから抜け出せない。そもそも多くの政治家や記者は系統的に政策を考えるなどということには慣れていないから、ご説明を受けると自分が異次元にワープしたような気になる。つまり頭がよくなった気分にさせられるのだ。

p1050408.jpg 野田佳彦首相は11日夜ハワイでのAPECへの出発前に記者会見を開いてTPPについて「交渉参加に向けて関係国と協議に入る」と表明した。そもそも新参加国は既参加国の承認が必要となっているから、「関係国との協議に入る」のは当然のこと。事実上の交渉参加を決断したに等しい。

 中国が警戒感を強めるのは必然であろう。日本は東アジアではなく、アメリカを選択しようと決断したのだから。韓国が「驚き」を表明したのも当然である。日韓のFTAでさえ、国内業界の強い反発で推進できなかった日本がアメリカに向けて市場を前面開放しようというのだから意味が分からないのが本心だろう。

 11日の衆院予算委員会で社民党の福島瑞穂党首が野田首相に向かって、「意思を決めているのなら、なぜ国会で意思を表明しないのか。国会軽視」と叫んだことに多くの国民が賛同したのではないかと思っている。筆者も「なぜ」という疑問がぬぐえなかった。

 以前、47newsの編集長をしていたときに感じ、いま高知に戻っても感じることは日本の大マスコミは大都会の論調しか代弁していないということである。一方、地方紙で日本のTPP参加に全面的に賛成する論調を載せる新聞はないだろう。50を超える有力地方紙の論調を普段からみていれば、政治家や官僚の考え方も変わろうというものだ。

 それにしても、TPP参加に反対する人たちのほとんどが「農業への打撃」しか論じないことに、あきれて物が言えない。また賛成する側も市場開放を通じて大規模化を図れば日本の農業は再生することばかり話している。

 ガット・ウルグアイラウンドで日本のコメ市場がこじ開けられたとき、筆者は開放論者だった。反対派に転向したのではない。当時は外圧を利用して日本社会が変わればいいと考えていた。しかし日本の農業を再生するために6兆円もの資金を投入して日本の農業は一切変わっていない。農民でなければ農地は購入できないし、大規模化などは夢のまた夢の話だ。補助金付行政も転換されていないし、農協も組織維持には一生懸命であっても農業の大規模化に乗り出したなどという話も聞いたことはない。

 15年もの年月をかけて何も変わらないものが、関税ゼロにするまで認められている10年の経過期間で変身できるはずがないのだ。

 NHKの討論番組では食の安全からTPPを議論していたが、残留農薬の規制値は日本の方が2桁も厳しいことを紹介していたのには驚いた。残留農薬の問題は本質的に「輸入農産物」を規制するのもであって、国内の農産品は事実上、野放しであることはほとんど知られていない。

 15年前に農水省を担当したときの驚きはいまも忘れられない。輸入野菜は各地の空港で、残留農薬はもちろん病害虫の検査がある。たとえ日本に普通にいる虫でも全量廃棄の対象となるのだ。一方で築地の卸売市場で取材したとき聞いたのは、農薬の検査など一切ないということであった。

 使用していい農薬とは申請があってはじめて許可されるだけである。申請されていない農薬はすべて「使用禁止」なのはもちろんであるが、プレハーベストとポストハーベストとそれぞれに申請しなければならず、プレハーベストで使用が認められている農薬でもプレハーベストでは「申請がない」というだけで「禁止農薬」のレッテルが貼られているという事実にも驚いた。(伴 武澄)
 学生時代から日本とは何かをずっと考えてきている。引きずっているのは日本にとってのアジアという存在である。少年時代に南アフリカでアパルトヘイトの洗礼を受けたことが影響しているのだと思っている。政治家も評論家も学者も戦争について「アジアへの贖罪意識」については語るが、「はたして日本がアジアなのか」という議論をずっと避けてきた。

 明治時代、西洋という対抗軸の中で多くの日本人がアジアを強烈に意識していた。「脱亜入欧」は西洋に追いつけというスローガンではあった。しかし、日本が先進国の仲間入りをした後も、人種も宗教も異なる日本について、西洋諸国が心を許す仲間になるほどにはなり得ていないし、そもそもなり得ない存在なのだろうと感じている。

 日本がアジアで信頼を得ていないのは、いつも西洋の尻馬に乗るその立ち振る舞いにあったのではないかと思っている。外交の軸足はいつだって「アメリカ」だった。かつて独自外交を目指した政治家もあったが、ことごとく悲惨な末路をたどっているのは確かである。

 「アジア」の重要性を口にしながら、重要な決定を控えると対米従属の行動を繰り返してきたのが戦後日本だった。アジアから見える日本はまだに欧米崇拝であり、アジア蔑視だったはずである。

 約20年前にアジア共同体をつくろうという動きがあった。最終局面でアメリカから「アメリカ抜きの経済体」は許さないという圧力がかかり、APECという中途半端な組織が誕生した。アジア太平洋経済閣僚会議である。台湾や香港という「国家」でない単位も加盟できるよう「閣僚会議」と命名したのは苦悩の末だった。アジアはそれほどに微妙な政治的バランスの上に成り立っていたからだ。それなのに、クリントン大統領はAPECで「首脳会議」を敢行した。結果的に台湾の総統は参加できなくなった。

 21世紀になって、ようやく東アジア共同体の発想が育まれた。アセアンの中に「プラス3」、つまり日中韓というフォーラムを形成し、東アジアの経済協力を進めることになった。アジアが互いに信頼醸成できる経済的環境が生まれたとの感慨があった。

 TPPの存在を知ったのは1年前である。菅直人首相が突然、TPP参加を表明した。そのとき、東アジアの協力の機運に真っ向から対立する概念だと感じた。

 経済力や成長力で日本を凌駕する中国と韓国の存在感は90年代とは比べられないほどに高まっている。貿易量でも日中は日米を上回るまでになっている。アメリカが大切なのかアジアが大切なのか。比較する前提も大きく変化している。そんな情勢の中で再びアジアを分断するような経済体をつくる必要はない。

 日本がもう一度、アジアに立ち戻るチャンスを見逃してはならない。TPPは日本の農業であるとかサービス業うんぬんの話ではない。日本外交がアジアに軸足をおくのかどうかという歴史的な分水嶺になるはずだ。日本抜きのTPPなど地域経済体としてまったく意味をなさないはずだ。参加国の経済規模があまりに小さすぎる。アメリカの一人芝居に終わるに決まっている。

 野田佳彦首相は何をあせっているのか。民主党の多くの反対論に抗してまでTPP参加を決断する意味はない。日本の立ち位置についてもう一度深く考えてほしい。

  最近、意味の分からない議論が多すぎる。東日本大震災の復古財源に充てる復興債の償還期間が25年に延長されることで与野党が合意した。そもそも復興債の 発想は「次世代に負担させたくない」(野田佳彦首相)ということから始まった。当初10年で返済するはずだったものが、自民党の要請で25年に延長されて しまった。

 与野党の合意は歓迎すべきことだが、25年となれば、確実に次世代に引き継がれることになってしまう。そうなら、あえて「復興債」などという仰々しいこ とをしなくても建設国債でも赤字国債でもよかったはずである。この間の与野党の議論はなんだったのかと思うととたんに疲れが出てしまう。

 一方、会計検査院が野田首相に提出した2010年度の決算検査報告書によると、税金の無駄遣いは約4283億円だったそうだ。金額で2009年の1兆 7904億円に次いで過去2番目に多かった。ちょっと待て。東日本大震災の復興に使う11兆2000億円を25年で割ると4480億円。国の無駄遣いとほ ぼ同じではないか。政府が無駄遣いをやめれば、復興債など出さなくとも賄える金額ではないのか。

   そんなに毎年、巨額の無駄遣いが出るわけではないといかぶる向きもあろうと思うが、実は2006年度までは数百億程度だった無駄遣いの指摘が翌年度から 千億円の単位となっているのである。2006年度310億円だったのが、2007年度は1253億円、2008年度は2364億円と続く。

 これは消費税増税の議論の中で「まずは無駄遣いをなくせ」という与野党の機運が盛り上がり、会計検査院としても本気にならざるを得なくなったからである。民主党の仕分け会議でなくとも、公務員でもやろうと思えばできることを証明しているのである。

 野田政権は何もやらない政権かと思っていたが、なかなかしたたかである。というより従順である。消費税増税、TPP、復興税、普天間・・・。官僚の振り 付けのままに中央突破を図ろうとしている。官僚の議論はある意味で緻密に積み重ねられているから、国会の論戦でもたじろぐことはない。ちゃんと答弁書を用 意してくれるから心配もない。

 官僚のへりくつに従って、後は馬耳東風を決め込んできたのは歴代の自民党政権だった。その自民党の手法を真似ていれば「政権の安定」が図れると考えてい るのだとしたら、それは偉大なる勘違いであろう。脱官僚を目指した民主党が官僚に完全に取り込まれている姿はいかにも痛々しい。

 よく考えてみよう。国民の前で一度だって公言したことのない「消費税10%」の議論を野田首相はカンヌサミットで「国際公約」だと約束してみせた。「税 と社会保障の一体改革」で財源である消費税増税議論を進めながら、肝心のどういう年金を目指すのかの議論は止まったままなのである。8日の国会論戦で、野 田首相は、自民党の野田毅氏が問い詰めたわけでもないのに、質問に対して「ごまかしはありません」と自ら墓穴を掘っていた。

 消費税増税によって民主党のマニフェストである税金による基礎年金の負担ができるのであれば、国民の一定の理解もすすむだろうが、今回の消費税増税によって改善するのは「財政」だけとなれば話は別である。

「税と社会保障の一体改革」は完璧なまやかしとなる。(伴 武澄)

賀川豊彦は、労働運動、農民運動、平和運動など、さまざまな社会運動に先駆的に関わりましたが、とりわけ協同組合運動はそれらを包含する大社会運動でし た。それは生産、販売、信用、保険、共済、利用、消費などの事業をとおして展開される壮大な社会改良運動であるとともに、人と人を結ぶ人格的・内面的価値 に基づく精神的運動でもありました。賀川が「協同組合文化」 と呼ぶゆえんです。われわれは、これをひとつの契機として、現代社会における協同組合のあるべき姿を探求したいとねがっています。

第三回フォ一ラム 定員先着120名
(事前申し込みは必要ありません)
日時:2011年11月25日(金) 14: 00 ~ 17 :00
会場・労働金庫会舘9F大会議室
司会:加山久夫 (賀川豊彦記念総沢資料館館長)
挨拶.:石橋嘉人 (社団法人全国労働金庫協会理事長)
挨拶:田原憲次郎 (全国労働者共済生活協同組合連合会代表理事理事長)

講演1 小林正弥(千葉大学大学院教授)
       「友愛公共社会を創る~いま協同組合を考える~」
講演2 ;浜田陽(帝京大学准教授)
       「共有文明と卜ヨヒコ・カガワ~新たなる協同組合文化をもとめて~」

  高知県西部の梼原町に1000年以上続くという津野山神楽が10月30日行われた。以前から一度見てみたいと思っていたのがようやく実現した。


 梼原町は竜馬脱藩の道があることから近年にわかに注目されている。またエネルギー自給を目指す特異な町としても知られる。太平洋岸の須崎市から約50キロ山に入る山間の町だが、どちらかといえば瀬戸内海の大洲市に近い。

 そんな山間の町で何回も御神楽が行われる。今回は町の北にある三島神社が会場。三島神社そのものが平安の初期にこの地に移ってきた津野経高によって伊予 国から勧請され、代々の神官によって継承されてきたのが津野山神楽。神社と一体となって歌い継がれ舞い継がれてきたといっていい。

 儀式は午後0時半に始った。神楽の物語は日本の神話に基づくもので、天岩戸から説き起こす。鬼が踊り、夜叉が舞う。リズムは太鼓と笛と鉦が繰り出す。想像以上にアップテンポで、阿波踊りに似た音律だ。どの舞も同じ音楽で、そのリズムと旋律が延々と続く。

 鬼が踊る「大蛮」では、ユーモラスな語りがあるだけでなく、乳児の息災を願い、赤ちゃんを鬼に抱いてもらう儀式がある。どの子も鬼が恐いのか泣きわめくが、大人たちは楽しそうに乳児の鳴き声に喚声を上げる。

 辺りが暗くなるまで太鼓とお囃子の音が鳴り響くが、本来、儀式は8時間以上も続くという。(伴 武澄)

 儀式は「宮入り」「幣舞」(へいまい)「手草」(たくさ)「天岩戸」「悪魔祓」「大蛮」「花米」「二天」「山探し」「弓舞い」「鬼神退治」「猿田彦」「長刀」「折敷」(おりしき)「妙見」「豊饒舞」「鯛つり」「四天」と続く。

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