円高に空前の輸入ブームを思い出そう!

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 円高が進んでいる。20年近く前、日本経済は1ドル=100円の水準に耐えられるかが問われた。政治 は相次ぐ巨額の景気対策で円高不況に対応しようとしていた。ダイエーの中内功氏は小売価格を50%に下げることを宣言し、多くの流通業が後を追った。いわ ゆる円高還元である。メディアでは「価格破壊」が合言葉になった。

 1980年代後半から日米構造協議が始まり、日本は海外製品を排除する構造的な問題があると指摘され、多くの国民も日本の構造問題に気づき始めていた。 街道沿いにビールを安売りするロードサイド店が相次いで登場した。それまで酒類が「定価」で販売するのが常識だったから、ビールの値引きは日本人にとって 革命に等しかった。

 格安ビールの目玉は輸入ビールだった。我が家の台所に「ハイネケン」の缶ビールの箱が常備されるようになるのに時間はかからなかった。やがてバドワイ ザーやクワーズの缶ビールもその仲間入りをした。24本入り箱が3000円を切っていたから輸入ビールがもてはやされるのは当たり前だった。ダイエーはベ ルギーのビール会社と提携して128円のベルゲンブロイを店頭に並べた。
 それまでビールはビン入りが中心で酒屋が運んでくるものだったが、消費者が買いに行くものとなってからは缶 ビールが主流となった。6割を誇っていたキリンビールのシェアがどんどん下がって、アサヒのスーパードライがキリンに肉薄し追い抜くまで大した時間はかか らなかった。ロードサイド店はビールのシェアをも代えてしまう副次効果もあった。

 当時流行ったのは、個人による輸入である。衣料品のカタログ販売のL・L・ビーンによって関税当局は相当に忙しくなったに違いない。アメリカのアパレルがドルで買えば日本の半値だったのだから当然である。筆者も何万円ものシャツやパンツを購入して悦に入ったことだった。

 日本の輸入車があまりに高いので、自動車の輸入代行や個人による輸入もはやった。ロンドンまでファーストクラスにのって王侯貴族の旅をしてジャガーを 帰っても100万円以上のおつりがくるのは当たり前だった。それまでも日本の輸入車市場はおいしいマーケットだった。ベンツのディーラーは「1台売れば 50万円の手数料」を手にするといわれた。5万、10万円の利益で販売するより、一部のお金持ちを相手にしていれば安泰だったから円高差益を還元しようと する発想はまったくなかったのだ。

 香港への買い物ツアーも人気だった。雑誌も多くの記事を掲載した。空っぽのスーツケースをかついて香港に行って満杯にして帰れば、「おいしい中国料理を 堪能しておつりが来る」。そんな記事を覚えている。筆者は出張のついでにカシミヤのコートをつくってもらった。「日本では20万円の生地でつくると仕立て 代は20万円。仕立て代は生地の価格に左右されるものではない。どんな生地でも3万円です」といった香港のテーラーの言葉が忘れられない。

 ビールの安売りは多くの商品にも広がった。衝撃はフォードが5000ccのマスタングを250万円で販売したことだった。1ドル=100円内外の為替相場では当たり前の価格設定だったが、国民の多くが日本人がいかに高いものを買わされていたかを思い知らされたのである。

 円高は輸出業にとってはつらいことであるが、輸入業者にとってはチャンスである。価格破壊が起きないことから考えて、相当の円高差益を密かに手にしているはずである。商売人は困った時には声高に「円高対策」を叫ぶがもうかっている時は黙っているものなのである。

 いま80円を超える円高時代を迎えて、「輸入」というキーワードが新聞紙面に踊らないのが不思議でならない。

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このページは、伴 武澄が2011年8月 9日 12:31に書いたブログ記事です。

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