2010年7月アーカイブ


「国家戦略局」菅首相が断念 実権ない知恵袋組織に縮小【朝日新聞7月16日朝刊1面トップ】
 http://www.asahi.com/politics/update/0715/TKY201007150574.html

 民主党が国家戦略局を「知恵袋組織に縮小」する方針らしい。朝日新聞はねじれ国会も結果、法的権限をもたすための法案通過が不可能と判断したと報道した。

 国家戦略局と事業仕分け会議は、民主党が掲げた看板政策だった。官から民へというスローガンを実施に移すための重要施策だったはずで、予算編成と外交を それぞれ財務省、外務省から取り上げ政治主導で行うという政策に多くの国民が賛成したはずだ。これを放棄するというのであれば、それこそ民主党は単なるバ ラマキ政党に転落することになる。


 細川護熙内閣のときも「官から民」がテーマだった。多くの国民は政官財のトライアングルを突き崩すことを期待 したが1年ももたなかった。始まりはやはり消費税の税率アップだった。当時の大蔵省に丸め込まれた細川首相が唐突に税率アップの検討を発表した。細川首相 もまた、佐川急便からの政治資金問題を抱えていた。

 似たような状況が再現されつつある。あの時は小沢さんが社会党無視に走り、結果的に社会党が連立から離脱した。今回は社民党が離脱した。当時の社会党は 第二党だったからその衝撃は大きかった。社会党と自民党が組むという想定外の連立が成立して細川内閣に続いた羽田孜内閣はレームダックとなった。そして自 民党の政権復活という最悪のシナリオが実現してしまった。

 今回もまたそうならないとも限らない。国民が望んでいるのは「官から民へ」という一点である。民主党がここを見逃しては15年の轍を踏む。当時も予算編 成を2回やれば「日本は変わる」といわれたのに、たった1回の予算編成で何もかにも元に戻ってしまった。これだけは断言しておこう。国家戦略局を断念して も事業仕分けだけは続けなければならない。これをやめてしまったら、それこそ民主党は国民から総スカンを食らうだろう。(伴 武澄)

 

 【朝日新聞記事】菅直人首相は、重要政策の司令塔を担う目的で設置した「国家戦略室」について、政策決定の実権を持たない首相の「知恵袋」的な組織に縮 小することを決めた。昨年の総選挙の民主党マニフェストに政治主導の予算編成や国家ビジョン策定を担う目玉組織として盛り込まれた国家戦略局構想は、大き く変質することになった。

 菅首相は14日夜の国家戦略室メンバーとの会合で、戦略室の役割を見直す方針を説明。これを受け国家戦略室長の平岡秀夫・内閣府副大臣は15日の記者会見で「戦略室は首相の知恵袋の役割を果たす。各省調整の役割もなくなる」と述べた。

 菅政権は2011年度の予算編成については、首相、仙谷由人官房長官、野田佳彦財務相、民主党の玄葉光一郎政調会長の4人で相談しながら基本的な方針を決めていく考えだ。政治主導で大胆な予算の組み替えが実現できるかが問われることになる。

 政権交代当初の構想では、財務省や外務省が握ってきた予算編成や外交方針決定の権限を、首相直属の「国家戦略局」に移すと想定されていた。ムダ削減を担う行政刷新会議と共に、政治主導の車の両輪との位置づけだった。

 官僚のおぜん立てに乗らずに政権の基本方針を打ち出す狙いで、鳩山政権はまず法改正の必要がない「国家戦略室」を新設。初代の国家戦略相に菅氏、後任に仙谷氏と重量級が起用された。

 しかし、昨年末の10年度予算編成では、マニフェスト実現のための財源確保に手間取り、最後は当時の小沢一郎幹事長が裁定に乗り出した。当時、国家戦略相だった菅氏は「総予算の全面的な組み替えを十分進めることが出来なかった」と、その限界を口にしていた。

 菅内閣では荒井聰氏が国家戦略相に就任。だが、民主党の参院選敗北による「ねじれ国会」で、法的な権限を持たない「戦略室」を権限のある「局」に格上げする政治主導確立法案の成立にめどが立たなくなった。このことも首相の判断を後押しした模様だ。

 首相は、英国で首相に政策を提言したり情報提供したりする「ポリシーユニット」と呼ばれる組織が日本にも必要だとの思いが強く、そうした役割を国家戦略室に任せる考えだと見られる。(鯨岡仁、岩尾真宏)
 ユニクロがバングラデシュのユヌス氏のグラミン銀行と組んでソーシャルビズネスに乗り出すというニュースが毎日と読売の夕刊に出ていた。ついに日本にも本格的なソーシャルビジネスが誕生する。

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 カジュアル衣料のユニクロを運営するファーストリテイリングは、ノーベル平和賞を受賞したバングラデシュのムハマド・ユヌス氏率いる貧困者向け少額融資機関「グラミン銀行」と合弁会社を設立し、現地の雇用創出などを目的とする「ソーシャルビジネス」事業に乗り出す。

 13日午後、ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長とユヌス氏が記者会見して発表する。日本企業がグラミン銀行と合弁事業を展開するのは初めて。

 ファーストリテイリングはバングラデシュなどで衣類を製造している。だが、現地の人々にとっては、価格が高すぎ、手が届きにくい。

 このため、合弁会社で、無理なく購入できる衣類を製造し、得た利益は雇用拡大につながるよう再投資、将来的に生活水準の向上や経済発展につなげることを目指す。途上国での収益を目的としないソーシャルビジネスは欧米企業の間では広がっているが、日本企業としてはファーストリテイリングが最大級の取り組みとなる。

  日産自動車のタイ製マーチが7月13日、日本上陸した。80年代以降、アパレル、家電、パソコンとアジアからの製品輸入が続いてきたが、ついに自動車まで メイド・イン・アジアの時代が到来した。これまで日本人は自動車に対する独特のこだわりから、日本市場は国産自動車の牙城だった。20年ほど前、メルセデ スやBMWでさえ、輸入車を日本で"再組立"するといわれた。

 その日本市場に外国メーカーでなく、日産がとうとうアジア製マーチを国内市場に投入することになった。タイ製マーチの売りは100万円を切る販売価格。 軽自動車より安い価格帯を設けたことだ。日本のカーオーナーたちの国産に対するこだわりがどの程度変化するかが注目点だ。大衆車ならタイ製で十分との評価 が得られれば、トヨタやホンダもアジア製自動車を日本市場に投入するだろう。

 
 日本のカーオーナーたちの意識の変化は大いに歓迎すべきことだが、一方で日本人の「こだわり」によって守られてきた日本の自動車市場が一気に国際化する可能性もあり、日本の雇用を守ってきた橋頭堡が崩れ雇用不安に拍車をかけることにもなる。

 アジア製自動車が日本の公道を走る日は、誰もが「いずれ来る道」であると想像していたはず。成熟国家として避けられる道はない。遅すぎたのかも知れな い。90年代に韓国の現代自動車が日本に進出して大いに期待されたが、結果は極度の販売不振で、数年前、ディーラー網を撤退させた経緯もある。

 AVの世界でも、薄型テレビで世界市場を席巻しているサムスンやLGの姿はどこの量販店に行っても見ることはできない。日本の消費者は相変わらずソニー やパナソニック、シャープが世界の最高水準を行っていると信じ込んでいる。日本人のアジア蔑視はとんでもないところまできている。

 日本経済が世界に取り残されて久しい。その背景にあるのは日本人の言いようのない「日本製へのこだわり」がもたらした結果だと考えている。ジャパン・ア ズ・ナンバーワンは20年以上も前の評価であることを忘れてはならない。日産のタイ製マーチが日本人のそんなこだわりに一撃をあたえてくれることを期待し たい。(伴 武澄)


2010年07月03日(土)
高知工科大学国際交流事務室長 伴 美喜子

 6月15日 より18日まで、学長に随行して中国ハルビンを訪れた。今年、ハルビンは異常気象で、大変暑かった。3日の間にハルビン工業大学、ハルビン工程大学、ハル ビン師範大学、黒龍江大学の4大学を訪問し、実り多い出張だったが、本稿では公式日程の合い間に体験した、個人的な「発見」についてご紹介したい。

 中国では、6月16日(旧暦5月5日)は端午節で、祝日である。私たちは前日の15日夕方に到着し、夕食後ロシア風の町並みが残る松花江ほとりの「中央 大街」の散策を試みたのだが、町は車や人で溢れ、交通渋滞で帰れなくなることを恐れてホテルに引き返した。

 案内をしてくれた黒龍江大学の王君林さんに寄れば、この人たちは皆、朝まで外で過ごし、早朝に「艾蒿」(ヨモギ)を摘んで(または買って)、家の門に飾 り、その年の健康を祝うのだそうだ。棗入りの「粽子」(ちまき)を食べることも大切な習慣だという。

 端午節は戦国時代(約2300年前)の「楚」の国王の側近であり、有名な詩人でもあった屈原が国を憂いて汨羅の川に身を投じた日だとされる。屈原の遺体 が魚に食べられないように、彼を慕う民衆が川に「ちまき」を撒いたのだという。

驚いたのは、この昔から伝わる「端午節」が、昨年から国の祝日になったということだ。伝統文化を若者に伝えるための国の政策だと王さんはいう。昔から祝日 だった「春節」に加え, 「清明節」、「中秋節」も休日となったそうだ。

 旧暦なので、端午節の日は毎年変わるが、面白いのは中国での連休の組み方だ。今年の端午節の例で言えば、土、日に出勤して、代わりに月、火を休日とし、 水(16日)の祝日に繋げて3連休としている。なるほど、と感心した。同じ連休でも、祝日そのものをご都合主義で変える日本とは「精神」が違う。

 翌朝7時から、投宿したシャングリラホテルの眼下の松花江で「龍舟比賽」(ドラゴン・ボートレース)があると聞いたので、早起きして行ってみた。屈原を 慕う人々が多くの舟を出して遺体を探したという伝えが龍舟比賽の由来だとされる。

 ゆったりと流れる松花江の広々とした川岸を老若男女が手に手にヨモギを持って、楽しそうに散策している。草束の中に菖蒲が混じっていることもあっ た。(菖蒲湯の習慣はないそうだ。)国中が旧暦の伝統を楽しむ長閑で美しい風景に出会えた僥倖に感謝した。

 実は、端午節の祝日に、私たちは二つの大学の学長を表敬訪問したのであった。中国では面会の時の贈物交換が大変重要なセレモニーなのだが、私たちが準備 したお土産は偶然にも特注した郷土高知県土佐山田製のフラフだった。原色の鮮やかな大きな布をパッと広げた時のざわめき、由来を解説した時の皆の頷き、日 本と中国だからこそ共有出来る交流の楽しさを感じた一場面であった。

 以前に多民族国家マレーシアに10年滞在した頃から、私は暦に興味を持つようになった。日本以外のほとんど(もしかしたらすべて?)のアジアの国々で は、今も旧暦を併用し、伝統的な祝日は必ず旧暦で祝っている。 日本では1872年に新暦が導入され、伝統的な祝日は新暦に移して固定されてしまった。

 七夕が近い。これも元々中国から伝わった文化である。7月7日(新暦)、8月16日(旧暦7月7日)、それとも8月7日(月遅れ)に祝いますか。自然を 重んじる日本伝統文化を継承していく上で、大切な問いかけだと思っている。

 民族の暦は文化の核であり、祝日の一覧を見ればその国の文化のあり方が見えてくる。

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