2010年2月アーカイブ

 日経ビジネスの2月22日号に「試論北海道独立」が掲載され、池田信太朗記者が名寄市立大学の白井暢明教授にインタビューしている。題して「独立論者は叫ぶ『くたばれ!東京神話』」。
 興味あることに、なんとその中に小生の15年以上も前の「北海道独立論」が引用されているのだ。白井教授は「北方ジャーナル」を主宰していて、長く北海 道独立論を説いている。教授とは10年以上前にメールと手紙で何回かやりとりがあり、「北方ジャーナル」のバックナンバーも送ってもらった経緯がある。
 数年前は、日銀札幌支店長が北海道新聞に連載していたコラムに「北海道独立論」を紹介してもらったこともあった。まだ北海道独立論が新鮮な驚きをもって 読まれているのだとしたら、嬉しいことだ。というよりもその後にもっと過激な独立論が出てこないのが寂しい。(伴 武澄)

 日経ビジネス http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100222/212948/?P=1
 北海道が独立したら(1) http://www.yorozubp.com/95-97/950228.htm
 北海道が独立したら(2) http://www.yorozubp.com/95-97/950606.htm

経済社会の先行きが不透明だ。大坂の米商人でもあった山片蟠桃は「経済ハ民ヲシテ信ゼシムルニアリ」と語った。しかしいま人々の将来への確信・長期期待の状 態は弱い。実価を知らずに相場をはる人々に反省を迫ったのは石門心学者の柴田鳩翁。大蔵永常や佐藤信淵の実学も今日的だ。今こそ日本近世における実学の先 達たちから大いに学びたい。

テーマ:「今こそ民間の知力を! 日本近世の経済論から学ぶ」
講演者:日本東アジア実学研究会会員 森野榮一氏
日時:3月21日(日)14時~16時(終了後懇親会有、参加費別途)
主催:財団法人国際平和協会
場所:大田区消費者生活センター:第六集会室
http://www.city.ota.tokyo.jp/shisetsu/seikatsu_center/index.html
会費:お一人様、2000円(先着30名様まで、領収書発行可能)
幹事:津田慶治、園田義明
お申し込み:氏名、メールアドレス、懇親会参加の有無をご記入の上、こちらまでメールでお願いします。
fuku41@mail.goo.ne.jp

<森野榮一氏プロフィール>
経済評論家、ゲゼル研究会代表、日本東アジア実学研究会会員。1949年、神奈川県生まれ。國學院大學大学院経済学研究科博士課程修了。著書は、『商店・ 小売店のための消費税対策』(ぱる出版)、『エンデの遺言』、『エンデの警鐘』(共著、NHK出版)、『だれでもわかる地域通貨入門』、『なるほど地域通 貨ナビ』 (北斗出版) など多数。1999年、NHKBS1特集「エンデの遺言」 の番組制作に参加。その後、町づくりのアドバイスや地域通貨の普及活動に努めている。

 先週末、親友と飲んでいて一つのアイデアを思いついた。GOEN貯金箱である。今どき子どもだって落ちている1円玉を拾おうとしない。財布の中にある1円玉や5円玉は増えると始末に困るものである。その1円玉と5円玉を入れる貯金箱を配って、困っているNGONPOに寄付すればいいというものである。

 考えてみればドトールコーヒーなど飲食店で小銭を入れる寄付箱がある。取り立てて目新しい発想ではない。しかし、始末の困る小銭を家で毎日貯めればけっこうな金額になるはずである。

 筆者自身、この2年間ガラス瓶に小銭を貯めてきた。貯めたというより、帰宅して背広のポケットの中の小銭をすべて毎晩入れて、出がけにその日のタバコ銭として300円を取り出してきた。恥ずかしい話、100円玉以上はほとんどない。ガラス瓶がいっぱいになったので銀行で数えてもらうと2万円を超えていたので驚いた。

 世界的大災害貧困に接して募金を躊躇したことはありませんか。なけなしの千円札や一万円札を投じてどこでどう使われるか分かったものではないなどと考えていませんか。始末に困る小銭ならそんな気持ちにもならず、いつでも気持ち良く社会貢献できるのです。

 だが、始末に困る小銭を貯めてみて、こんなに溜まるものだと驚いた。それはそうだ、ポケットや財布の1円玉や5円玉は1日に10円ほどある。365日続ければ、すぐに3000円以上になる。これなら何の躊躇いもなく「寄付」できそうだ。子どもだって1日1円貯めれば365円になる。家族4人が1円、5円貯金すれば1万円を超える。

 そんな貯金箱が各家庭や職場にあれば、計画的にNPONGO支援ができるし、緊急の大災害が発生した時でもためらいなく「寄付」ができるのではないか。

 そこでわれわれはその貯金箱に「GOEN」(仮称)という名前をつけることにし、その日から貯金がスタートしている。どうでしょうか、みな さん賛同していただけますでしょうか。ぜひ始めてみてください。そのうち「GOEN貯金箱」をデザインしてみなさまに配れるようにしたいとも考えいま す。(伴 武澄)

 5年前に書いたコラムを読み返して、平和を考える上で我ながら的を射ているなと振り返った。当時は中国各地で反日デモが起きて日中に大きな亀裂が入っていた。どうしてこうなるのか考えたコラムで未発表である。ぜひみなさんに読んでもらいたい。(伴 武澄)

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 最近、司馬遼太郎の『菜の花の沖』全6巻を読み終えた。200年前、淡路の寒村の農民だった高田屋嘉平衛が北前船に乗って当時、蝦夷といった北海道の航路を開拓し、南下するロシアとの出会いを物語にしている。

 その中で「愛国」について嘉平衛に語らせる場面が随所にある。

愛郷心愛国心は、村民であり国民である者のだれもがもっている自然の感情である。その感情は揮発油のように可燃性の高いもので、平素は眠っている。それに対してことさら火をつけようと扇動するひとびとは国を危うくする」

 中国での反日デモ以来、多くの友人に「どう考えるか」メールを送った。たくさんの返事をもらった。萬晩報のコラムに対する感想も多くあった。その中で簑島さんという方からのメールで次のような一節があった。

「以前であれば、このようなことが発生するたびに急いで中国に謝罪するんだという半ば焦りの感情が湧き上がってきましたが、逆に中国韓国に対してむしろ憎しみに近い感情が湧き上がってくるようです」

 少なからぬ日本人がいま同じような感情を抱いているのではないかと思う。多くの国の人々は生まれた国に対する愛着があり誇りがある。「国を守る気概」などというものはそうした愛国心なくしては生まれ得ない。

 幕末の日本では「尊王攘夷」という表現で愛国心が語られた。語られたどころではない。行動に移した。長州藩による外国船砲撃や生麦事件としてその熱情は外に向けられた。しかし多くのエネルギーは日本人同士の争いに費やされた。開国派が一時期、尊王攘夷派の標的にされ、「開国」派は「売国奴」と同異義語ともなった。

 売国奴非国民ともなる。ひとたび「愛国」が叫ばれると集団がヒステリックになる。なぜなら愛国を声高に叫ぶ集団が国民一人ひとりに踏み絵を強要するからである。だれも売国奴非国民と呼ばれたくはない。「村八分」になりたくない人々もまた、まもなく「愛国」を叫ぶようになる。愛国の集団感染である。

 太平洋戦争中の日本もそうだったはずだ。戦争反対を唱えるだけで非国民となった。大学紛争時の学園の雰囲気もそうだったし、文化大革命の惨劇もそうした集団ヒステリーが引き起こしたものに違いない。

 司馬遼太郎氏が書く「国を危うくする」とはそういうことだろうと思う。いまの日本にとって危ういと思うのは、中国反日デモに触発されて、日本が反中国に染まることである。反中国はただちに中国側を刺激して、反日をエスカレートする。それがさらに日本国内の反中国を増幅させるのだからやりきれない。

 筆者は東京外国語大学中国語学科を卒業した。入学したのは1972年だから日中が国交を結んだ年である。大学紛争の余韻もまだくすぶっていた。中国語の多くの教科書は中国から輸入されたもので日本人は「日本鬼子」と表現されていた。

 一番嫌だったのは先輩諸兄がクラスにオルグのやってくることだった。「日中友好を叫ばないものは中国語を学ぶ資格がない」とのお仕着せが続いた。その後、会社に入って「日中友好の翼」という訪中団の一員になったこともある。到るところで語られる「日中友好」という表現にもへきえきした。

 中国側はどこへ行っても「悪いのは一部軍国主義者で日本人民に罪はない」といって歓迎してくれた。いまだに理解できないのは中国側のそうした説明を免罪符にして「友好人士」面をする日本人が多かったことだ。

 筆者は戦争責任という問題はそんなに簡単なものではないと考えていた。今も考えている。「日中友好」を叫ぶだけで戦争責任が免れるはずがない。国同士の戦争は軍隊による殺し合いであるから双方の軍人に被害が出るのは仕方のないことなのかも知れない。問題は非戦闘員である。

 戦争は敵国に攻め込んでいくのだから、戦闘に勝利すると占領地では軍隊は敵に囲まれて日々を送ることになる。占領地での略奪や陵辱はどこの軍隊でも厳禁されているが、これが守られたためしはない。規律の乱れた軍隊ほど始末に負えないものはない。部隊員の行った不祥事の責任は当然、部隊長やその上層部にあるのだが、当事者に責任が逃れられるかというとそうではない。略奪や陵辱を行った兵隊本人にも当然責任はある。

「一部軍国主義者うんぬん」は当時の周恩来首相が言ったものだと記憶しているが、一日本人として筆者は「そんなに簡単なことではないだろう。戦場での責任を一部の指導者たちにだけ押しつけるわけにはいかない」という思いがあった。

 当時の友好人士たちは訪中のたびに「中国には泥棒というものがいない」「中国にはハエがいなくなった」などと的外れの中国礼賛を繰り返したのだ。われわれは町で一番のホテルに泊まり、一般の中国人が一生に一度食べられるかどうか分からないほどのごちそうを毎食口にしていたし、訪ねるところといえば模範的人民公社や工場でしかなかった。

 中国で外国人のものを盗ろうものなら"絞首刑"ものだったに違いないから、そんなところで泥棒がいるはずもないし、高級ホテルのトイレにハエが飛んでいるはずもなかった。だが広い中国大陸に泥棒が一人もいないはずはないし、北京の公衆便所に入ればふん尿の山にハエがたかっている姿はいくらでもみられたはずである。

 筆者は中国を敵視していたわけはない。中国の悠久の歴史を愛したがため中国語科を専攻したのだ。中国側の免罪符論を軽々しくいけ入れ、革命中国を礼賛する日本人を軽蔑したのだった。「友好」さえ唱えれば許されると勘違いする日本人をみていて「こういう人たちは日中間が中が悪くなれば真っ先に中国を嫌いになるのだろう」と思った。

 日中間の人の往来が激しくなれば、中国の本当の姿が見えてくる。そうなった時、やがて豊かな日本人が中国人をバカにする時代がやってくる。そう思った。

 嘉平衛は「他の国を譏(そし)らないのが上国だ」ともいっている。

「ほとんどの場合そうだが、領土論による国家間の紛争ほど愚劣なものはない。10世紀以来、この争いが測り知れぬほど多量に無用の血を流させて来た」

ラッコも魚も乱獲すれば、居なくなり〈領土〉の生産的価値はなくなるが、むしろその後におこる〈国家の威信〉の象徴としての〈領土〉の課題のほうが、無形のものだけに深刻であるといっていい」

 中国の有名な格言に次のようなものがある。「修身斉家治国平天下」。最近の中国での「愛国」は確かに「治国」の範囲では「無罪」なのかもしれないが、国際社会で生きる「平天下」の観点からは大いに「有罪」であることをしらなければならない。

 過去に中国を占領していた日本から「アジアの大義」を言うのはこれまで難しかった。しかし100年前のインドから東のアジアの情勢を振り返れば、誰かがアジアの防波堤にならなければならなかった。当時、日本がロシアと戦わなかったら、ロシア満州からそのまま南下して朝鮮半島を席巻していたことは間違いない。

 JMMという村上龍さんが主宰しているメルマガがある。あまりにも分量が多いので最近はあまり読んでいなかったが、2週間ほど前に『オランダハーグより』(春具)が「利己的無私のススメ」という面白いコラムを書いている。親友の一人も読んでいて酒のさかなに「いい話だよな」となった。冒頭部分を紹介したい。

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「利己的無私のススメ」

 こういう話を聞きました。

 ケヴィン・サルウェン Kevin Salwen というジャーナリスト・実業家がある日、ともだちの家へ「お泊り」に行っていた娘のハンナ(当時14歳)を迎えに行き、自動車に乗せて自宅へ帰る。途中、ふたりの乗る自動車は赤信号で止まるのですが、交差点のむこうには黒塗りのメルセデスベンツクーペのオープンカーが止まっていて、ホームレスが運転手に向かって手を差し出していた。

 交差点でそれを見ていたハンナは運転席のサルウェン氏にむかい「おとうさん、もしあのベンツの人がもうちょっと地味な自動車に乗っていたら、あのホームレスの人に物乞いされることはなかったんじゃないかしら」と小声で言うのです。

 信号が変わってふたりの車は走り出し、ベンツホームレスを残して反対方向へと走り去る。

 だが、帰宅したハンナは今見たばかりの光景が忘れられないでいるのです。あれが不平等というものだ、格差というものだ、テレビや学校で聞い てはいたけれど不平等の現実を目の前でみたハンナは、こいつは不条理だわ、どうにかしなくちゃいけないな、どうすればいいのだろう、と考え始めたのです。

 家族の夕餉の席で、わたしたちはなにかしなければいけないのよ、と両親と弟にむかってハンナは議論を始める。「だったら、あなたはいったいどうしたらいいと思うの?」、母親が聞く、「この家を売ればいいとでも言うの?」

 お母さんは笑いながら軽い気持ちで言ったのでしたが、ハンナの顔はぱっと輝き「そうよ、売ればいいのよ。こんなに大きい家に住んでいる必要はないのよ」と反応した。

 この家はわたしたちには大きすぎるじゃない。この家を売って小さいうちに移って、余ったお金をあのホームレスたちのために使えばいいのよ。

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 話の結末はどうなったのでしょうか。続きは以下から読んで下さい。

 http://gensizin2.seesaa.net/article/139684328.html

INVICTUS 9000days

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 2月13日、近くの映画館で映画「インビクタス」を見ました。筆者自身が南アフリカで少年時代をすごした思いがあるだけに、なんともいえない気持ちになりました。マンデラは9000日、27年間もの間、監獄で過ごし、アパルトヘイト廃止後の南ア大統領に就任します。憎しみを乗り越えることを同胞に訴えるのです。白人社会の象徴だったラグビーチーム「スプリングボックス」の存続を決め、1995年に開催されたラグビーワールドカップラグビーを国家統合の証にしようと努力します。

 賀川豊彦を超える人格をネルソン・マンデラに見ました。みなさま、ぜひご覧下さい。

 インビクタスイギリス詩人ウィリアム・アーネスト・ヘンリーの詩の名前に由来します。マンデラが獄中で愛読したのです。

 I am the master of my fate(私は我が運命の主であり)
 I am the captain of my soul(我が魂の指揮官なのだ)と語るところではいいようのない魂の昂ぶりを感じるのです。

 筆者が観た映画館では、終了後、明かりが着くまで誰一人として席を立たなかった。(伴 武澄)

INVICTUS by William Arnest Henry

Out of the night that covers me,
Black as the pit from pole to pole,
I thank whatever gods may be
For my unconquerable soul.

In the fell clutch of circumstance
I have not winced nor cried aloud.
Under the bludgeonings of chance
My head is bloody, but unbowed.

Beyond this place of wrath and tears
Looms but the Horror of the shade,
And yet the menace of the years
Finds and shall find me unafraid.

It matters not how strait the gate,
How charged with punishments the scroll,
I am the master of my fate:
I am the captain of my soul.

 6月からの高速道路無料化区間が2月2日発表された。当初から高速道路のうち東名など幹線や首都高などは対象外とされていたが、あまりにも小規模で末端の路線ばかりなので落胆させられた。

 高速道路無料化は民主党のかねてからの主張だったが、政権獲得後の世論調査では、世論の評価はあまりかんばしくない。反対の理由は「環境」と「渋滞」である。
 もともと高速道路の建設は借金に依存していた。昭和30年代の名神や東名は世銀など海外からの借款が充てられ た。税金はおろか日本のお金でもなかったのだ。通行量で借金を支払い、完済した時点で無料化するはずのものだった。つまり当面の建設資金が回らないので借 金=有料でスタートしたのである。

 「当時は天下の公道を走るのになぜお金が必要なのか」との不満もあったが、国民は我慢した。そもそも論である。

 東名は名神はもっと早い時点で無料化されてよかったのだが、高速道路を全国に張り巡らせるためにさらに建設資金が必要とされ「プール方式」といって全国の高速道路建設が終了して借金を完済するまでは有料を続けることになった。

 高速道路の建設資金の償還期間は50年とされているので、多くの国民は無料化となる前にこの世を去ることになる。これでは利用者はたまったものではない。

 反対理由の渋滞について、言いたい。そもそも首都圏の終末は50キロ以上の渋滞は当たり前のこと。いったん高速に乗ると渋滞となっても高速を乗り降りす ると通行料がかさむのでドライバーは「じっと我慢の子」を決め込むことになる。30分で通り抜けることができる区間を5時間も6時間も我慢すること事態が 尋常でない。JRの特急が一定時間遅れると特急料金が還付されるのに、高速道路では一切そうしたサービスがない。

 無料化されてたとえ渋滞が増えたなら、利用者は躊躇なく一般道路に降りるだろうし、そもそも、料金所の存在が渋滞の大きな原因となっているのだ。

 それから環境である。これには二つの問題が提起されている。無料化されると利用者が鉄道やバスなどの代替交通を利用しなくなるためにガソリンの使用量が増えて排ガスも増えるという考え方である。もう一つは渋滞による排ガス排出量の増加である。

 前者には一理ある。しかし大都市以外のところではすでにマイカー通勤が当たり前になっていて、公共交通機関の存続すらが危うくなっているのである。乗用 車の利用でいえば、大都市圏の週末の利用が多少増えても劇的に環境が悪化するとは考えられない。大都市に住む筆者自身にとって、そもそも週末の大渋滞が堪 えられないので10年以上もマイカーで遠出したことがない。たとえ高速道路が無料になっても週末に遠出することはないだろう。

 もう一つの渋滞による排ガス排出量の増加は、大都市周辺で想定されている事態であるが、そもそも週末はすでに渋滞が続いているから、これ以上の渋滞はありえないと考える。

 高速道路は、「高速」に意味がある。これまで料金が高いために一般道を使うケースはあまりに多かった。せっかく巨額の資金を投資して建設したものが、高 い利用料のために利用されないのだとしたら何のためにつくったのか分からない。車の通行量が増えるのを危惧するのなら、そもそも道路建設は一切やめた方が いい。一般道のバイパス道の建設では渋滞や環境がほとんど問題とされないのに、なぜ高速道路だけが問題視されるのかも分からない。

 最後に「私は車を持っていないから高速道路無料化は反対」という人がけっこういる。自分は運転しなくても、家族がするかもしれない。あなたが乗っているバスが走る一般道の建設や補習には高速道路以上の税金が投入されているのですよ。(伴武澄)

 高速無料化、37路線50区間 開始は6月と国交相【共同通信2010年02月02日】

 前原誠司国土交通相は2日、全国の高速道路のうち北海道・道央自動車道の士別剣淵―岩見沢(延長139キロ)など37路線50区間を2010年度、実験 的に無料化すると発表した。交通量の少ない地方路線が中心。自動料金収受システム(ETC)の利用や車種にかかわらず、すべての車が対象となる。開始時期 について前原氏は「6月からの予定」と述べた。期間は11年3月末まで。

 高速道路の無料化は、民主党が09年の衆院選マニフェスト(政権公約)で掲げた目玉施策の一つで、流通コストの引き下げや地域・経済の活性化が狙い。 10年度の予算は1千億円で、対象区間の総延長は1626キロ。対象外の首都高速と阪神高速を除き、供用中の高速道路の約18%に当たる。

 ETC利用の乗用車と二輪車に限って地方圏の休日(土日祝日)の通行料を上限千円とした大幅割引で、渋滞があまり起きなかった路線を中心に選んだ。秋田、山形、島根、高知、大分、宮崎の各県では高速道路の多くが、沖縄県では全線が無料になる。
 2年前の4月17日付の韓国の中央日報日本語版に飛鳥寺に関する記事が出ていて興味深いのでコピーさせてもらう。
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  日本で最も古い寺といわれる奈良県飛鳥寺(写真)の原型は扶余の王興寺(ワンフンサ)である可能性が高いと朝日新聞が16日、報道した。
 http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=98879&servcode=A00
新聞は「早稲田大学の大橋一章教授(仏教美術史)ら日本の研究チームが今月初め、扶余の王興寺遺跡地を調査した結果、ここで出土された瓦の文様と塔の構造などが飛鳥寺の遺物とほとんど一致する」と明らかにした。

大橋教授は「2つの寺が同じ技術者によって創建されたという点に異見がない」とし「日本に仏教を伝えた百済が仏像やお経を贈ったが、なかなか広まらないことから本格的な布教のために王興寺をモデルに飛鳥寺を創建したものだ」と述べた。

飛鳥寺は日本で唯一の1塔3金堂式だ。王興寺は塔と金堂、講堂が一直線につながった四天王寺式だと見られるが、回廊の東西にある付属の建物が後日、飛鳥寺 を作るときには金堂に変わったはずだと新聞は伝えた。一緒に研究に参加した国学院大学の鈴木靖民教授(古代史)は「飛鳥寺創建は百済王と倭王の間の活発な 交流を意味するもの」とし「歴史書に『(当時権力者だった)蘇我馬子が落成式のとき、百済の服を着て参列した』という記録もある」と説明した。

2つの寺の関連性は、韓国国立扶余文化財研究所が昨年10月、王興寺から掘り出した金銀・青銅舎利容器に刻まれた創建年度を手がかりに初めて提起された。 舍利容器には「百済王の発願で(王興寺が)577年2月に創建された」となっている。日本書紀によると同年11月、百済王が日本に寺の技術者たちを送り、 11年後の588年、当時、権力を握っていた蘇我馬子が飛鳥寺を創建した。

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