2009年10月アーカイブ

 財団法人国際平和協会は11月8日、群馬県大泉町の日系ブラジル人校、ジェンチ・ミューダの子どもたちと先生ら35人を恒例の東京遠足に招待します。今回は鎌倉の大仏と八景島シーパラダイスにお連れします。

 この行事は、同協会が5年前から始めた国際交流事業の一つ。おとうさん、おかあさんが働くため東京を知る機会がほとんどないということを聞いたのがきっかけです。

 日程は以下の通りです。
 06:30 大泉町、ジェンチ・ミューダ校出発
 10:00 鎌倉大仏着(約1時間見学)
 12:00 八景島シーパラダイス着(お昼をはさんで見学)
 15:30 シーパラダイス発
 19:30 大泉町着
 大泉町には日系ブラジル人が約4000人住んでいます。三洋電機や富士重工業の主力工場を中心に組み立て産業 が集積しています。人口的には浜松市などの方が多いですが、人口比率は10%を超えるなど日本で一番高い市町村です。1980年代から日系ブラジル人の雇 用に積極的だったからです。

 1990年の法律改正で、日本の戸籍を持つ人だけでなく、両親や祖父母などが日本字であったことを証明できれば、日本での就労が可能になり、ブラジルな どからの就労者が急激に増えました。現在約30万人の日系人が日本で働いています。今からは信じられないことですが、当時は労働力不足が問題となり、ここ ままでは日本の産業が衰退するとの危機に直面していたのです。
 外国人の導入も議論となりましたが、結局見送られ、日系人の就労機会を拡大することになりました。当時、日系人が日本に来て働いてくれなければ、日本の産業界はどうなっていたか分かりません。アジアなどへの工場移転はもっと進んでいたでしょう。

 昨年来の経済危機で外国人や日系人が真っ先に首を切られました。90年代の日本産業界を支えてくれたという視点はまったくありませんでした。おかしなことです。(伴 武澄)
 民主党政権誕生から一カ月。霞ヶ関をめぐる風景は様変わりなのだという。まず週2回の事務次官会議が なくなった。事務次官会議は翌日の閣議にかける案件を決める会議で、会議が終わると事務次官は自分の省庁に帰って会見を行った。昼飯後の会見で記事になる ような発言があったためしはない。筆者が官庁取材を最後にしたのが1995年だから古い話になる。

 選挙中に民主党が「政権をとったら事務次官会議を廃止する」と言い出し、大きな話題となった。「そんなものやめれるはずがない」というのが大方の見方で、官僚たちも「なくなることなど想定外」だった。
 民主党が政権をとって本当に事務次官会議がなくなり、不都合なことはなにもないことが分かった。では事務次官 会議ってなんだったのかという検証が必要だが、どこからもそんな議論は出てこない。先日、元官僚の話を聞く機会があり、現役記者時代に不思議に思いながら も「そんなものか」とやし過ごしてきた自らの体験を反省させられた。。

 事務次官会議は月曜日と木曜日に開催し。昼飯を食べた後、閣議に上げる案件をそれぞれの事務次官が読み上げるだけで実は何もしていない。マスコミは閣議 が空洞化していると報道してきたが、実は事務次官会議もずっと昔から空洞化した会議だったのだ。案件は会議前にすでに調整済みだから次官は何もしなくてよ かったのだ。

 それでは事務次官会議は何のためにあったのか。縦割り行政の中でお互いの領域を侵していないか調整するのが目的で、いわば「縄張り争いの調整機関」だったといっていい。役人の頭を交錯するのは「領域を守りたい」とか「他省庁の領域を犯したい」とかそんなことになる。

 省庁間の縄張り争いで問題は「裁定者」が存在しないことである。本来は大臣の仕事なのだが、自民党時代、大臣が省庁間の争いに乗り出したという話は聞いたことはなかった。

 縄張り争いでの最大の官僚の武器は「事務次官会議で手を上がるぞ」と言って相手を脅すことだった。官僚同士の暗闘の象徴が事務次官会議だったのである。
  『賀川豊彦全集9巻』は賀川の協同組合論の理論的文献を網羅している。賀川イズムの理解のための必須の資料であると考えている。添付の冊子に黒川泰一が「物心両面の支え」という興味深い文章を書いている。

 「先生の事業は、いづれの方面でも他人が手をつけない、先駆的であり、開拓者的なものばかりであるが、協同組合運動もその例外ではなかった。消費組合然 り、質庫信用組合然り、医療組合、保険(共済)協同組合等々みなそうである。そしてこれらは日本のみならず、国際的関係を含めての協同組合運動に大きな影 響を与えているものであるが、残念なことには、既刊の賀川先生の伝記には、その記録も評価も不充分であり、軽く扱われていることである」
 筆者もずっとそのことを考えてきた。誰もやらないことをやってきたのが賀川豊彦である。今ある信用組合が何の ためにあるのか考えた人はいない。銀行になれない地方の金融機関だと考えているのだとしたら大間違いであろう。生協にしてもJA厚生連にしても社会的に大 いに役立っているにもかかわらず、単なるスーパーや病院であるとしか位置付けられていないのは非常に不満である。

 一年ほど前に生活協同組合法が全面的に改正された。特徴的なのは会計基準である。法人企業並みの厳しい基準が導入された。現在の霞ヶ関は基本的に「性悪 説」に基づいての本を統治しようとしている。「疑う」こと協同組合の精神に反することなのである。にもかかわらず霞ヶ関に疑われるということは現実に「疑 われる」ような経営をしている協同組合が多いからであろう。現存する協同組合的組織が限りなく普通の株式会社や医療法人と同列に扱われるのは何ともなさけ ないではないか。

 一方で、黒川氏がいみじくも述べているように賀川よ多くの先駆的事業の役割が「既存の賀川伝」に書かれていないということは多くの後継者たちに賀川の「聖者」としての畏敬の念はあっても社会事業家としてのパイオニアであったという認識に欠けているといわざるを得ない。

 東京医療利用組合(現在の中野総合病院)は1932年に認可された世界的にも特異な法人である。協同組合が病院経営までするとは賀川以外に考えなかっ た。それまでも産業組合に医療部を設けて細々と医療行為が行われていたが、賀川は大恐慌以降の疲弊した日本の農村部にこそ組合医療が必要だと考えたが、世 間に訴えるには「目立つところ」で始めなければならないという考えだった。あえて東京での認可を求めた。

 好都合なことに医師会が大反対した。メディアで組合医療の是非論が掲載されることは多分、賀川にとって計算済みのことだったに違いない。おかげで認可が 出るまでに1年以上がかかり、秋田県での産業組合に先を越されることとなったが、東京で認可されると組合医療は「燎原の火のごとく」列島に広まった。

 現在、全国に100カ所前後あるJA厚生連の多くの病院は、賀川が火をつけた結果誕生した農民たちのための組合病院に源を発するのだ(伴 武澄)
  藤生ゴウによる待望の劇画『死線を越えて』(家の光協会)が11月1日発売となることが分かった。21日、見本が筆者に届いた。昨年、藤生ゴウ著の劇画 『蟹工船』が突如ブームとなり、小説も大いに売れた。関係者はその二匹目のどじょうとなることを期待している。期待通りにブレイクするどうか見ものであ る。

 賀川豊彦献身100年を迎えて、昨年、三河で『一粒の麦』が復刻されたのを皮切りに、『死線を越えて』(PHP研究所)『空中制服』(不二出版)『乳と 密の流るる郷』(家の光協会)と代表的小説が相次いで復刻され、『Brotherhood Economics』(コープ出版)も73年ぶりにの日本語訳で出版された。その他、『賀川ハル史料集』(緑陰書房)やハインツカール・シェル『賀川豊 彦』などこれまでに賀川関連の書籍は10冊を数えるほどの出版ラッシュとなっている。(伴 武澄)
 10月1日から「タクシー適正化・活性化法」が施行され、タクシー行政は自由化から「規制強化」を 180度転換した。民主党政権になったものの、実はこの法案は与野党一致、全会一致で国会を通過したしろものなのだ。初乗り運賃がほとんど710円の東京 ではほとんど話題になっていないが、筆者は京都でMKタクシーに乗って「MK新聞」読んでいて、「おーそうだった」とあらためてこの規制強化策を思い出し た。

 京都や大阪のタクシーは2002年の規制緩和以降大いに運賃が下がった。もともとMKタクシーは低料金で営業していたが、初乗り580円に合わせる業者 が増え、MKより10円安い業者やワンコインつまり500円で乗れるタクシーまで現れた。「深夜割り増しなし」「5000円以上は半額」など多彩な運賃体 系が生まれた。

 拝啓 国土交通大臣 前原誠司殿 MKは今の運賃を守り続けます
 http://www.mk-group.co.jp/np/index.html
 今回の「適正化法」は法律名のごとく「これまでが適正でなかった」というお上の意思を如実に示している。消費者からすれば「値上げ法」にしか思えないのだが、お上の意思は「競争はけしからん」ということらしい。

 MK新聞によれば、京都の場合、認められる初乗り運賃の幅は640-620円となった。これまでは640-570円だったからMKのように620円未満の業者に対しては厳しい監査と査定が待っている。

 運賃だけでない。「適正化法」は業者に「減車」も求めている。自主的に減車に応じない業者には「・・・・・・・・」というお上の意思が以心伝心で伝わっているから、早くも減車に応じる業者が出始めている。

 「適正化法」の正式名称は「特定地域における一般乗用旅客自動車運送事業の適正化及び活性化に関する特別措置法」という。「特定地域」というのがくせも と。簡単に言えば、競争激化で業界が疲弊した地域ということになるが、全国141地域、ほとんど日本列島が対象となったに等しい。営業地域は643もある のだが、過疎の地域にはそもそもタクシーなどほとんど走っていないのである。

 もともと規制緩和は自己責任制である。値下げも増車も自由にして消費者の利便を図ろうというのが目的だった。90年代のキーワードは業界保護から消費者重視だったはずである。それが今回は業界保護に与野党の意見が一致したのだからけしからんではないか。

 景気後退は背景に、この10年間企業も官庁もタクシーの使用を厳しく制限した。サラリーマンの収入も約2割減少している。それだけでタクシー業界は当然苦しくなるはずだった。

 値下げと増車がそれに拍車をかけたことは事実だろうが、企業もも個人もタクシーに乗らなくなったのが、タクシー業界疲弊の一番の原因であるはずだ。タクシー運賃料金や増車に圧力をかけたところでタクシー客が戻るとは考えられない。

 こういう時期に運賃値上げをすれば顧客はさらに減少することは目に見えている。2007年、東京の初乗りは710年に値上げされた。結果、大幅な売り上 げ減に陥っている。MKタクシーは「いまの運賃(初乗り580円)を守り続けます」と宣言している。エムケイ株式会社はこれまでも国土交通省とことごとく 対峙してきた。何度も運賃値下げで煮え湯を飲まされてきた。

 クロネコヤマトを創業した故小倉昌男さんがあれほど運輸省と闘ってくれたおかげで今の宅配便がある。孫正義さんのヤフーBBがなかったら、現在の日本の ブロードバンド普及はなかったはずである。規制により旧体制を保護してきた80年代の日本に戻してはならない。タクシー業界保護の特例措置は法律通り「3 年」で廃止するべきである。(伴 武澄)
 2009年10月12日、前原誠司国土交通相が羽田空港を24時間運用の国際ハブ(拠点)空港として優先整備し、首都圏で羽田が国内便、成田が国際便とすみ分ける原則も撤廃する考えを表明した。

 政権交代とはこういうことなのだということを思い知らされた。あまりにも簡単に日本の航空政策の転換を示したのだが、地元千葉県は別として首都圏の多くの市民が喝采を送っているのだろうと思っている。
 不便極まりない成田空港には多くの不満を持っていた。まず首都から遠いということ。行き帰りに半日ずつ無駄に してきた。空港に入るたびに受ける異常なほどのチェックシステム。開港30年を越すというのに整備が遅れている。国民の期待通りアジアのハブ空港になって いるならともかく、開港10年内外であるマレシーアのサパン、香港のチェップラップコック、上海の浦東、ソウルの仁川の後塵を拝している。否、もはやその 地位を奪われているといっていい。

 そんな成田にもはや未練はないはずなのに、これまで政策転向ができなかったのは自民党政権にあった多くのしがらみなのだろうと考えざるを得ない。30年 経って国際ハブ空港になれなかった成田がこれから先、ハブ空港として完成する見込みはまずない。ないのだったらすばやく方向転換するべきなのが政治の役割 のはず。それができなかったのだ。

 羽田が本格的な国際空港になれば、まず地方の空港が活性化する。ソウルに奪われていた地方の国際線の旅客を羽田に取り戻すことができるはずだ。羽田が活 性化すれば、次は関西に手を付ければいい。多くの反対の末に完成した神戸空港であるが、ハブとまでならなくとも国際線を飛ばす余力は十分にある。三ノ宮か ら15分という利便性を活用しない手はない。伊丹にも国際便を復活すれば、羽田同様に利便性の高い国際空港として再びその機能を果たすことが出来よう。

 成田も関西も"政治"が生み出した国際空港である。旅客の利便を無視したその設計思想は終焉のときを迎えている。(伴 武澄)
  日本は世界に冠たるビール高税率国家だった。明治時代に導入されたビールは嗜好品ということで、アルコール濃度に比べてすこぶる高い税率になった。「アル コール度数に比例した税率を」というビール業界の要請はあるにはあったが、各地に点在する無数の造り酒屋の発言力でこの一世紀、ビールの税率低減は果たさ れることがなかった。

 理由は簡単である。政治がもたらした結果である。明治時代は15円以上の国税納税者にしか投票権はなかった。造り酒屋は各地で有数の納税者であった。戦後は、造り酒屋が自民党政権を支えてきたから、ほとんどの自民党議員が自民党税調でビール課税の是正に消極的だった。

 高いビール税制がもたらした歪みはハンパでない。ビールは酒税法上、原料の3分の2以上が麦芽でなければならないと規定されている。1990年代初めに サントリーが「ホップス」という第2のビールを発売してビールの価格戦争が起こった。「ホップス」は麦芽の量を3分の2以下に抑えてあり、発泡酒という分 類で販売した。結果は消費者の圧倒的支持を集めた。

 2002年12月11日 規制緩和の寵児「発泡酒」増税という愚策
 2000年12月07日 発泡酒増税でなくなりかけたビールという酒類
 発泡酒があまりに売れるので、ビール税収が激減した。自民党や大蔵省は「同じ味なのに税率が違うのは不公平 だ」と発泡酒の増税に踏み切った。結果起こったことは第3ビールの誕生だった。発泡酒の出現と質的に違ったのは、原料を「大豆」に転換したことだった。日 本の酒造技術がすばらしいのは「大豆」を原料にしてビールと変らない味をつくりだしたことだ。

 「大豆」からつくる酒はもはや「ビール」とは名乗れないなずなのに、世間では「第3のビール」といって大いに歓迎した。ビールの場合、高酒税がことの発 端だった。その歪みが是正されないから、業界がやむなく次々と"脱法"を図った。実は発泡酒が誕生した背景にはもう一つの大きな要因があった。90年代の 円高で輸入ビールが急増した。この輸入ビールに対抗するために開発されたと考えたほうが正しいのかもしれない。

 いずれにせよ、高ビール税のおかげで自民党政権化の日本ではビールという概念が消滅しかねない状況にあった。なにしろ市場の半分以上が「まがいもの」になってしまっているのだから。

 鳩山由紀夫首相は10月8日、政府税制調査会を開催して、所得税を柱とした税制の抜本見直しを諮問した。酒税については「アルコール度数に応じた課税に 見直す方向」であるらしい。ということはビール税はどんなことがあっても減税対象となる。逆にこれまで"貧者の酒"として優遇されてきた焼酎の増税は免れ 得ない。増減税ニュートラルとすれば、日本酒もウイスキーも増税となるだろう。

 新しい政府税調にはぜひビール課税を国際水準にまで下げて欲しい。ビール税が国際水準にまで下がれば、たちどころに第2、第3のビールは市場から姿を消すだろう。なにしろビールの原料費は小売価格の数%でしかないから麦芽であろうが大豆であろうがコストは変らない。

 日本人が大手を振って本当のビールだけが飲める日が来ることを期待したい。(伴 武澄)
  私事だが、今月は賀川豊彦で忙しい。すでに3日は高知市で世界連邦運動協会高知支部の講演会をこなしてきた。来週15日は京都市の同志社大学が主催する 「大学生協と賀川豊彦-賀川豊彦献身100年にあたり-」と題する講演会で話をすることになっている。ついでにラジオカフェ出演の録音をする。

 これから徳島に出かける。10日は徳島市で賀川豊彦献身100年記念シンポジウムがあり、献身100年記念事業の広報委員長としてシンポジウムの様子をみておきたいためだ。27日は韓国ソウルでも賀川関連シンポジウムが開催されるので、そちらにも顔を出すつもりでいる。

 このところメディアも賀川についての記事を頻繁に載せてくれるようになっている。「あんたが仕掛けたのだろう」とみなに問われるが、小生は一切メディア に働きかけていない。賀川に関心を持つ多くの人々が動き議論する中で、何冊もの著書が復刻されたり、ブログに登場する場面が増えたりと各界各層の動きが相 乗効果をもたらしているのだろうと考えている。

 
 小生がやっていることといえば「Think Kagawa」のブログぐらいのものだ。始めたのは昨年の8月。1年少しで400本近い「記事」が掲載されているから影響は小さくない。

 Think Kagawa http://d.hatena.ne.jp/kagawa100/

 掲載しているのは小生がこれまで書いてきた賀川に関するコラムのほか、賀川の仲間たちが生前に書いた賀川評や松沢資料館のニュースレターからの切り抜 き、賀川豊彦全集に入っている冊子からの抜粋など多岐にわたる。多くはすでに死蔵している資料の類である。これらをこつこととデジタル化した。日々、1本 ずつ読むのには適しているが、何の脈絡も無く並べているから連続して読むとたぶん「編集」の意図が理解できないはずだ。

 それもそのはず。始めたときは意図などはなく、少しでも賀川のことをネットにアップしておき、賀川豊彦ブームがやってきたときに備えなければならないという使命感だけがあったからだ。

このアーカイブについて

このページには、2009年10月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2009年9月です。

次のアーカイブは2009年11月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

月別 アーカイブ

ウェブページ