2009年9月アーカイブ

 燃料電池車の開発が最終段階に入っている。自動車のエンジンをばかにしてはいけない。カローラクラスで100馬力のエンジンは当たり前だが、馬力を電力に換算すると約75キロワット。

 1・5トンの車体を自在にあやつるにはそれだけの馬力が必要だということだが、平均的家庭の電力が3キロワットといわれているから、1台の乗用車が民家25件分の発電能力を持っているということでもある。
 仮定の話だが、日本には自動車が8000万台ある。それぞれが25件分の発電能力を持っているとすれば、掛け 算で20億件分ということになる。これはすごいことなのだ。現在、日本人が保有する自動車だけで、日本の10社の電力会社の総発電能力をすでにかるく上 回っている。

 自動車はエンジンを回して発電機を回さなければ電気は生まれないが、燃料電池車の場合は燃料電池そのものが「発電機」だから、これを家庭や職場の電源につなげるとまさにほとんどの国でエネルギー問題は解決する。そんな潜在力を持っていることを知らなければならない。

 このアイデアは小生だけのものではない。文明評論家のジェレミー・リフキンが書いた『水素エネルギー ハイドロジェン・エネルギー・ウェブ(HEW)』(2003年、NHK出版)の中にすでにある。

 孫引きだが、財山法人道路新産業開発機構が発行する『季刊・道路新産業』によるとその構想は次のようなものである。

「水素を燃料とする燃料電池は、個人が自分のために利用できるばかりでなく、送電線を通じて、余剰の電力を他社に提供できるミニ発電所である。化石燃料時 代のエネルギーの流れが中央集権的で一方的であったのに対して、水素エネルギーの時代にはエネルギーの流れは双方向になる。分散型で双方向である点におい て、燃料電池のネットワークはインターネットのウェブと全く同じである」

「分散型発電設備の中で興味深いのは車である。リフキンによれば、一般に乗用車は一日の96%は駐車している。その時間を利用して、家庭やオフィス、商業 用の双方向電力ネットワークにつなげば、電力ネットワークに、無公害の高品質の電力を供給できる。電気を売った収入は車のリーズ料や購入費用にあてること ができる」

 ここまで聞いて単なる傍観者でいられるだろうか。このHEW構想によって筆者は持論の「直流ハウスによるエネルギー革命」にますます自信を深めざるをえない。

 燃料電池ではないが、トヨタのハイブリッド車であるプリウスやエスティマには家庭用の100ボルト交流を取り出せる差し込みプラグが備わっているのをご 存じだろうか。 電力会社を刺激しないようあえて大きく宣伝はしていないが、トヨタはすでに自動車を家庭用電源として使える構想を進めているのだ。(続)

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 2007年12月20日、経産省が白熱球の生産・流通中止を求めたニュースに接して、「白熱電球廃止策に思う」と題してコラムを書いた。環境問題に端を発した施策であるにしても「禁止」というのはいささか無謀だと思ったからである。

 今日の多くの紙面に「LED電球 パナソニック参入」というニュースが掲載された。エジソンが電球を発明してから130年目にあたる10月21日に発売するという。

 LED電球は耐久性や経済性に優れていたことが分かっていたが、価格が高かった。このため、使途は交通信号や自動車のテールライトなどに限定されてい た。それが、今年3月、東芝が1万円、6月シャープが4000円で参入すなど参入企業が相次ぎ、ほぼ大手企業が出そろった。

 東芝、パナソニックは元々、電球をつくってきた企業だが、シャープや三菱化学は初参入である。発光ダイオード(LED)はそもそもが半導体と製造工程が似ているから、異業種からの参入がたやすいという特徴がある。

 LED電球は消費電力が白熱球の8分の1。耐久性は40倍といわれる。白熱球の小売価格は100円程度だから、40倍の価格でもコストに見合うことにな る。これから価格競争が激しくなる。10年前、40万円も50万円もしていた液晶テレビの価格が短期間で半値以下、3分の1ぐらいまで下がってきたことを 考えれば、需要拡大は一気に加速するはずだ。

 家庭の電気消費のかなりの部分を占める電球がLEDに置き換われば、それだけで5%内外の二酸化炭素削減につながる。鳩山由紀夫次期首相はすでに 2020年までに日本の二酸化炭素排出量を25%削減すると公約した。電気自動車の普及もコストとの競争となる。LEDの場合がまもなく普及期に入ること は確実だ。鳩山さんの公約に追い風が吹いている。(伴 武澄)

  8月30日の総選挙で民主党が308議席を獲得してから10日目。16日まで政権はまだ自民党にあるから、河村官房長官は毎日、官邸での記者会見で民主党 の政策を批判している。鳩山由紀夫代表が講演での「25%二酸化炭素削減」発言である。すでに野に下ったはずの政権のスポークスマンにマスコミ各社が与党 となる民主党の政策について質問している姿はどうもふに落ちない。

 アメリカの大統領制は11月に大統領選があって新大統領就任は1月の末だから、2カ月近くの移行期間がある。ブッシュ政権からオバマ政権に移行する間に ホワイトハウス報道官がまだ始まってもいないオバマ次期大統領のマニフェストについて批判するような光景はあっただろうか。

 面白いのは、今日9日の紙面である。鳩山代表の「25%二酸化炭素削減」について共同通信は「温室ガス25%削減に歓迎相次ぐ 国際社会、米中への影響 に関心」という見出しで国際社会が鳩山発言を好意的に見ていることを紹介している。一方、読売新聞2面に「25% 反発相次ぐ」という横見出しで、二階堂 経産相、河村官房長官と産業界の意見を紹介している。

 総選挙の投開票後ずっと、メディアの報道ぶりを観察してきた。政権は革命的に変わるというのに、大手メディアはいまだ55年体制の中にいる。パソコンの 世界でいえば、フォーマットが済んでいない状態だ。行間に「文字化け」が続いているような気がする。読売新聞がこのまま自民フォーマットのまま発行を続け るのは勝手だが、筆者を含めた公称1000万部の読者はたまらない。(伴 武澄)

 朝日新聞は9月2日夕刊で「日中韓、来月首脳会談へ 中国・天津で8日で最終調整」というニュースを一面トップで報道した。早くも中国から鳩山政権に秋波が送られてきた。

 鳩山代表は月刊誌への投稿ですでに「東アジア共同体」の創設を提唱。内外の関心を呼んでいた。日中韓の提携は明治維新このかたのアジアの課題である。鳩 山代表は、祖父が提唱した友愛政治の継承を掲げ、大戦間にオーストリアのクーデンホーフ・カレルギーが訴えた戦争のないヨーロッパへの共感がある。アジア 版のEUがあってもおかしくないという考えが根底にある。

 中国は10月1日、建国60周年を迎える。その直後に日中韓の首脳が語り合うことには大きな意義がある。日中韓が提携してアジアのためによりよき時代を築けといったのはマレーシアのマハティール首相である。歴代の日本の首相はアジアに軸足を置くことを躊躇ってきた。

 これまで日中韓の首脳会談は「ASEANプラス3」の枠組みの中で行われてきた。独立した首脳会議が実現できなかったのは、自民党政権内にアメリカへの 配慮があったからである。外務省の中にもアジア主義者は少なからずいるはずである。アメリカとの安全保障体制には多少のひびが入るであろうが、敵対すると いうのではない。10月8日開催予定の日中韓首脳会議は3カ国それぞれにとって大いなる期待がある。
 
 もっといえば2年後の2011年は辛亥革命100周年となる。満州族の支配から脱却することが孫文の命題だっ た。腐敗した清国の政治を刷新し、日中が相携えて世界に伍して発展するという理念に多くの日本人が共感した。政治家でいえば犬養毅、頭山満、宮崎滔天、山 田良政......。

 100年の月日を経て、ようやく日中韓三国が対等に語り合える場を見出したのだから、これも革命的である。(伴 武澄)
DSCF0028shiroko.jpg 2月、氷雨が降る中、大黒屋光太夫のふるさとを訪ねた。津から伊勢若松まで近鉄列車に乗って、コンビニも食堂もない駅前を歩き始めた。金沢川を北に渡って小さな露地に入ると、「大黒屋光太夫の供養碑」という小さな目印があった。少し歩いた若松小学校の校庭にロシア服を着た小ぶりの光太夫像もあった。小学校に資料館もあったが、休日で休館だった。

 その後、立派な資料館が建てられ、町を挙げて光太夫を顕彰しているが、2004年の2月当時、光太夫を偲ぶよすがはそれだけしかなかった。  井上靖氏が光太夫を主人公として小説『おろしや国酔夢譚』を読んだのは随分とむかしのことであるが、16歳の多感な時代に読んだ忘れられない1冊となっている。南アフリカのプレトリアから帰国したばかりだった。

 主人公の光太夫は白子若松の船頭で、江戸時代、ロシアに漂流。苦節十数年、エカテリーナ女帝に拝謁してようやく帰国の願いがかなうが、恋い焦がれた日本で再び自由を失う。  鎖国を国是としていた幕府にとって光太夫は招かれざる「客」だった。光太夫はラックスマンに伴われて松前に到着したが、その後、番町薬草植付場に幽閉され、外部との接触を断たれた。

  一緒に帰国した磯吉に「俺たちはなんで国に帰りたかったのか」と問う場面がある。 「俺はな、俺は、俺はきっと自分の国の人間が見ないものをたんと見たんでそれを持って国へ帰りたかったんだ。あんまり珍しいものを見てしまったんだ。それで帰らずには居られなくなったんだ。見れば見るほど国へ帰りたくなったんだな。......だが、今になって思うと俺たちの見たものは俺たちのもので、他の誰のものにもなりやしない。それどころか、自分の見て来たものを匿さなければならぬ始末だ」

 当時、南半球の地の果てで白人による有色人種差別が厳然とあった。400万人の白人がその5倍の黒人たち有色人種を支配する時代錯誤がまだあることに大いなる絶望を見た。そのことを知らせたくて日本に帰った。待っていたのは自らの体験を隠さなければ生きていけない日本という閉鎖社会だった。 『おろしや国酔夢譚』を読んで、「江戸時代も今も日本は変わらないじゃないか」という思いが募った。

  光太夫やは70歳過ぎまで生きたが、日本人との接触をほぼ断たれたまま、半生を送った。唯一、桂川甫周によって、光太夫らの奇数な体験は書き留められ、「北槎聞略」という書き物として残った。江戸時代、この書物は公表されることなくお蔵入りとなっていた。井上靖氏なかりせば、光太夫の物語は日の目を見ることなく、白子の人たちにもまったく知られないまま埋もれていたかもしれない。
  
 白子そのものが、現在は鈴鹿市の一部となってその存在が埋没しているが、江戸時代は回船問屋が多く集積する伊勢の主要港だった。白子港は紀伊和歌山藩領だった。江戸時代にこうした飛び地は多くあった。三重県の南半分が紀伊だったことはすでに書いた。実は松阪も白子も紀伊徳川領だったのだ。藩主の参勤交代は和歌山から山越えで伊勢に出て櫛田川を下って松阪に出て、さらに陸路を白子まで北上して、船で知多半島に渡ったとされている。なぜ難路を選んだのか分からない。大名行列で使われる多額の路銀はなるべく自領内に落とすべきだと思ったに違いない。

 伊勢は木綿織物の有数の産地だった。江戸のコットン・ファッションは伊勢に支えられていたといっても過言ではない。織物の他にプリント地の反物もあった。そのプリントの図柄を厚紙でつくっていたのが白子の職人たちだった。伊勢型紙といった。白子の職人たちは毎年、新作のデザインを描き全国の染色屋が競って購入したのだという。江戸家上方の反物屋は白子をコットン・ファッションの発信地だと認識していたはずだ。  『おろしや国酔夢譚』は光太夫の回船の積み荷は米のほか「木綿、薬種、紙」などだったと書いている。(伴 武澄)

  2日の主要紙のアンケートで鳩山由紀夫首相への期待度は朝日新聞が74%と最も高かった。共同通信と読売新聞が71%で並んだ。4年前の小泉純一郎首相並 みの人気である。あまり期待度が高いと、その後の失望につながりかねない。とにかく予算の組み方から自前の方法でやるというのだから、もくろみ通りにいか ないことも少なくないはずだ。

 ただこの鳩山政権で特徴的にいえることは、マニフェストで4年間に実行すべき課題が網羅されているということである。国民にたたき込まれた数多くの公約は必ず実現される運命にあるからやりやすいといえばやりやすいのかも知れない。

 ただ日本国の政治が長年使い込まれた自民・官僚の数々のソフトを民主・脱官僚型にフォーマットする必要がある。フォーマットが出来ないのであれば、有権 者はただちに民主離れを起こすはずであるが、今回の場合、アップロードしたばかりの初めて使う基本ソフトであるから、普通に操作できるようになるには相当 時間がかかりそうだ。
 30日の総選挙で民主党が大勝した。明けて翌31日、職場に出て真っ先に話題になったのは、衆院議員 の任期の問題だった。衆院が解散された時点で、衆院議員は全員失職しているはずである。首班指名のための特別国会は9月16日に開かれることになったのだ が、当選した人たちはそれまでは議員ではないのか。

 ウィキペディアの「国会議員」の項目では「任期は4年であるが、解散の場合には期間満了前に任期は終了する。衆議院議員の任期は総選挙の期日から起算す るが、任期満了による総選挙が衆議院議員の任期満了の日前に行われたときは前任者の任期満了の日の翌日から起算する」とあった。

 職場では、「当選証書をもらう日」とか「特別国会招集日」とかという説があったが、そうなのだ。今回は解散総選挙だから、任期は31日からということになる。

 開票で当選決定が日付を超えて1日未明となったとしても31日が起算日となるのだ。

 なぜ、こだわるのかというと、仮に今回の衆院議員が任期満了で次の総選挙を迎える場合、「任期4年」の起算日が不可欠となるからなのだ。

 結論的に言えば、衆院で民主党が過半数となっても、内閣は次期政権が誕生するまで現行内閣が執務することになる。万が一戦争が起きたら、現内閣が臨時国会を召集して"参戦"を決めることになるのだろうと思う。(伴 武澄)

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