2009年6月アーカイブ

 警察庁に後部座席シートベルトの問題で「なぜ路線バスにシートベルトがなくて、路線バスはシートベルトを締める必要がないのか」と質問をしたところ、丁寧な返事がきた。

 律義であることだけは確かだが、内容は想像していた通り「保安基準」、つまり車検の問題だった。

 【質問】6月1日から車の後部座席のシートベルト着用が義務付けられました。バス も適用ということのようですが、普通の路線バスにはシートベルトがありません。路線バスが適用外ならば、理由を教えてください。 また立ち席の場合はどういうことになるのですか。

 【返答】警察庁ホームページにアクセスいただきありがとうございます。 伴様からのメールを拝見しました。後部座席のシートベルト着用義務については、元々シートベルトの装備がない状態で保安基準を満たし、車検に合格している 車両であれば適用除外となります。お尋ねの路線バスについても同様です。また、乗客が定員内である場合は、シートベルトの数が足りなくても適用されませ ん。
 警察庁では、国民の皆様の声を反映させ、国民の立場に立った警察活動を推進してまいりますので、今後ともご理解とご協力をいただきますようよろしくお願いいたします。   警察庁広報室
 簡単にいうと、車検の路線バスの検査項目に「運転席以外にシートベルト設置を求めていない」ということ。車検で設置を求めていないから、道交法上でもシートベルトを締める必要がないというのだ。

 一見、理路整然としているようだが、そもそもシートベルトが必要になったのは、重大事故を減らすためではないのか。車検の検査項目の有無とは関係ないはずなのだ。

 シートベルトの着用は重大事故を減らすためだったはず。保安基準で「シートベルトの装備の義務づけがないから、シートベルトを締めなくていい、というのでは本末転倒である。

 路線バスにシートベルトを義務付けるとどうなるか。まず通勤時にバス停に取り残される乗客が多数現れるだろう。シートベルトは座席にしか取り付けられないから、座席数しか乗せられなくなるからだ。

 バスも電車もそうだが、「立ち席」などという矛盾した表現がずっと昔からなんの疑問もなく使われている。「席」は「座席」の「席」だろうから日本語としても矛盾が大きすぎる。そして、立ち席を含めて「定員」などが定められている。これってやっぱりおかしい。

 飛行機で立ち席などはあり得ない。定員は座席の数と決まっている。離発着時にはシートベルトの着用が義務付けられ、立ち上がることさえ禁止されている。そりゃそうだ。飛行機は超高速で飛ぶから危険極まりない。だれもが納得して規則に従っているのだ。

 しかし、よく考えてみれば、陸上には飛行機並みのスピードで走る物体があるのだ。そう新幹線。時速300キロ以上のスピードで走る。不思議なことにこの 新幹線でシートベルトを締めろという話はまったくない。壮大な矛盾ではないだろうか。しかも「立ち席」まであり、盆暮れの混雑時には「定員の200%」な どということが何の疑問もなくニュースで報道されている。

 道交法で重箱の隅をつつくような規制が次々と生まれる中で、国交省は300キロ以上で走る新幹線のシートベルトはおろか、立ち席を許した上で定員までオーバーさせて平然としている。

 後部座席シートベルトは、明日からはいよいよ高速道路で実際の検挙が始まる。この国に役人は本当に国民の命を大切にしようとしているのか、疑問でならない。

  明治20年(西暦1887年)11月21日、東京電燈会社がこの地(東京都中央区日本橋茅場町1丁目、トレストイン日本橋前)にわが国初の発電所を建設 し、同月29日から付近の日本郵船会社、今村銀行、東京郵便局などのお客様に伝統の供給を開始いたしました。これが、我国における電線による最初の電燈供 給でありまして、その発電設備は直立汽缶と30馬力の横置汽機を据付け、25キロワットエジソン式直流発電機1台を運転したもので、配電方式は電圧210 ボルト直流三線式でありました。
 6月26日の日本経済新聞の1面トップ記事「通販市場、コンビニ・百貨店抜く 08年度、8兆円強に」は驚きの内容だった。そのうちネット販売は7割を超え、総額は6兆2300億円と前年度比22%も伸びており、このまま推移すれば数年内に10兆円も射程圏内だ。

 問題はネット消費が政府の景気指標にほとんど反映されていないことだ。ネット通販は野村総研の調査に基づくもので、百貨店売り上げなど業界団体が毎月発 表する"公"の資料でないが、もはや景気指数として無視できない。これほどのボリュームの消費が景気指標からもれているということは、政府が発表する景気 の実態に信憑性が薄れてきているということにもなる。
--------------------------------------以下は日経新聞の記事------------------------------------------

 通信販売市場が成長している。 2008年度の全国売上高は推定8兆円強と、コンビニエンスストアや百貨店の規模を抜いたもよう。自宅や外出先からパソコンと携帯電話を使いインターネッ ト経由で注文する比率が7割以上に達する。このネット通販をけん引役に市場全体は00年度に比べて3倍強に膨らんだ。働く女性・高齢者の増加や自宅で買い 物を済まそうとする傾向など消費構造の変化をとらえており、成長が続きそうだ。

 カタログ・テレビ通販主力の企業でつくる日本通信販売協会の販売データと、野村総合研究所のネット通販に関する調査を基に集計した。
160306yuai.jpgのサムネール画像  6月15日、賀川豊彦が世界に向けて出版した『Brotherhood Economics』が『友愛の政治経済学』としてコープ出版から上梓された。約70年前、世界大恐慌を受けて世界17カ国語で出版された著作だが、日本 語訳は初めて。4月にはハングル語版も出版されており、日本語版は19カ国語目の刊行となる。

 1936年に賀川がニューヨーク州のロチェスター大学ラウシェンブッシュ講座で講演した内容は、ニューヨークのハーパー社から『Brotherhood Economics』として直ちに刊行された。発売前に3000部もの予約が入るなどまさに「センセーションを巻き起こした」(野尻武敏神戸大学名誉教 授)著作だったという。
 賀川は、資本主義経済が暴走したあげく起きた経済危機に対して、暴力革命を是とする社会主義ではなく、キリス ト教の兄弟愛に基づく協同組合の出番であることを強調。生産から流通、消費に到るまで協同組合によって経済を建て直し、持てる者と持たざる者とが助け合う 世界を構築すれば、戦争も自ずからなくなるという持論を展開している。

 圧巻は地球規模の協同組合銀行の設立や貿易会議など戦後の世銀・IMFや関税貿易一般協定(ガット)を予見する構想を打ち出していることである。また戦争撲滅のための世界連邦設立の必要性についても言及している。

 賀川の友愛経済は、キリスト教の修道院や中生のギルド制における「互助精神」を再評価するものだが、単なる組織論ではなく組織運営にあたり「愛」が不可 欠であることを強調しているのが特徴。また協同組合が生み出した利潤の分配について、ロッチデールの精神である「購買高」に応じることや教育・福祉など地 域への還元が必要であることをあらためて指摘している。(伴 武澄)
投稿日 : 2005/01/07(Fri) 11:02
投稿者 : 樋口大奉

> モーターはもともと直流の方が力が強い。新幹線だって直流モーターを回して
>いる。直流モーターを使えば、エネルギー削減はさらに大きくなる。2割、3割
>の削減が可能になるかもしれない。
>
> 将来的にエネルギーが分散型発電時代になることは容易に予想される中で、す
>べての家電製品が直流で使えるような「直流ハウス」の開発を提言したい。

エジソンが直流配電論者であったのは有名な話です。
それでどちらが優位にあるかは、その時点で実用性のあるテクノロジーによって
大きく影響を受けます。
実際問題として、現在の大規模な発電設備は外部エネルギーを回転運動にしてから
これで発電機を廻して電力を生み出しています。
この場合には発生するのは正弦波であり、直流発電機はこれをブラシによる整流を
行っていました。自動車ではかってこの方式の発電機を持っていましたが現在では
半導体整流器の利用により全部交流発電になっています。

モーターが直流のほうが力が強いと言うのも必ずしも正確ではありません。かっては
速度とトルクの制御が比較的簡単との理由で直流電動機が使用され、簡単で耐久性が
あることから誘導電動機が用いられてきました。
しかし、本当に効率の良い運用を行いたい場合には現在は交流電動機が用いられて
います。新幹線も「のぞみ」以降のモデルでは車両の軽量化のために誘導電動機を
用いていますし、発進時のトルクと減速時の回生制御が重要な近郊鉄道でも誘導
電動機が使用されています。
さらに電気自動車、ハイブリッド自動車も交流の同期電動機(かっては力が弱いので
電気時計にしか用いられなかった)が使用されています。これを可能にしたのは
半導体による大電力用のスイッチング素子でかっての水銀整流器による大きさや動作
速度の制約を受けない高度な制御によって任意の周波数の交流を容易に発生させる
ことが可能になったためです。

そこで、では配電をどうするかの問題ですが、現実に都会地に有効に配電するには
やはり現在のインフラが確立されている低周波の交流しか解はないようです。
但し、遠距離の一対一の送電には直流のほうが有効な場合もあります。太陽光発電
の変換効率については、発電電圧の低いことが本質的問題で、これを安定した電圧
にするにはどうしてもスイッチング損失は避けて通れません。

しかし、現在の家庭に沢山ある各種装置の直流アダプタの不統一と見苦しさは困った
もので、携帯機器の一次、二次電池の種類とともに大変な資源の無駄遣いであり、
このあたりは12/24/28/48のどのあたりかで統一することが急務だと考えます。

タイトル : Re^2: 議論に値するテーマか?-続き
投稿日 : 2005/01/10(Mon) 13:58
投稿者 : 樋口大奉

内燃機関による自動車でも、その最大出力を用いるのは加速時だけで、実際にはずっと
少ない出力しか用いてなくて(第一、最大出力を長時間利用できるような過剰な設計を
まともなメーカが行うはずもない)、しかも駆動系統での損失などで実際にはそんなに
走行に出力は有効に利用されていません。
電気自動車やハイブリッド自動車は電池やキャパシタによって瞬間の大出力をカバー
する(電動機は過負荷でも熱容量で温度上昇をカバーできれば無理はききます)ので
実際の発電能力は巡航時に必要なエネルギーを発生する程度で良く、多分10KW程度に
設定されているのではないでしょうか?(それでも大変なことですが)

燃料電池に関係しますが、現在ではリチウムイオン二次電池の後塵を配して一世代前の
ものとされているニッケル水素二次電池はその構造からして水素を燃料とする燃料電池
です。小規模なシステムでは水素を金属化合物とすることは水素ボンベよりも小型で
安全に水素を貯蔵できるからです。しかし水素ガスから急速に水素化合物に転換する
手段(エネルギー損失を少なく)はあるのでしょうか?

ニッケル水素二次電池の改良を進めているメーカは恐らく燃料電池に将来を見据えている
のではないかと思います。
もう一つの問題は、できるだけ損失の少ない(順方向の電圧降下の少ない)電力用の
半導体素子の開発で、電圧が低い場面でのエネルギー変換には0.2Vや0.3Vの電圧降下でも
損失への割合が馬鹿にできなくなっています。
面白いことに、高性能のマイクロプロセッサも電圧が低下し、電流だけがやたらに大きく
なっているので、この低電圧・大電流がこれからの電気・電子分野でのキーテクノロジと
なる可能性があります。

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タイトル : エネルギー分野の新技術動向は?
投稿日 : 2005/01/11(Tue) 06:08
投稿者 : 中村博昭
参照先 : http://www.saburai.com

この欄で、新エネルギーに関する議論が盛んですが小生も非常に興味を覚えます。各家庭に眠っている自家用車が、家の車庫に眠っている余剰時間帯にも、エネ ルギー源として活用できるとしたら素晴らしい。過日、技術士会・化学部会の月例講演会で元㈱本田技術研究所研究員、佐藤 登氏(工学博士)の話を聞く貴重 な機会を得た。新エネルギー分野で世界の最先端を走っているのは、やはり自動車業界である。特に新しい材料設計に由来するケミカルテクノロジーエネルギー 分野は、色々な革命的アイデアの宝庫である。機械、電気が専門の方は、一般的に数字に非常に強く、エネルギー効率等の見通しもシャープであるが、化学の分 野人たちは新規の材料開発を目指しており、装置・機械設計には余り強くないが従来の常識を超えた材料、システム開発に関する話を聞けそうである。この両者 が融合する分野に、人類の新しい光明が感じられる。技術士・化学部会の講演案内は、こちらをどうぞ。http://www.saburai.com/chem-group_page_1.htm
  シャープは2008年9月1日,同社の新製品発表会で,太陽電池と二次電池を組み合わせた直流給電システムのコンセプト展示「ミニDCエコハウス」を公開 した。いまごろになってシャープの先験的試みを知ったのだが、この「DCエコハウス」という発想はどうやら同社の前社長の町田勝彦氏から生まれたようなの だ。

 シャープ町田勝彦氏のDCエコハウスに関する講演【ビデオ】

 経済産業省は2009年度予算でDCエコハウスへの補助金を計上した。
 グリーンIT推進協議会の設立(案)
 昨年10月29日に開かれた「FPD International 2008」で、町田氏が行った特別講演で三つのDCを取り入れた「DCエコハウス」を提唱している。第1のDCは「直流」。太陽電池などで発電した直流を そのまま家電製品で使って電力の変換ロスを減らそうということ。第2は「diminish CO2 emission」。つまり二酸化炭素を減らすこと。消費電力が減少すれば当然のこととなる。第3は「display centric」。テレビが家の中心にあるということである。

 第1と第2は筆者の「直流ハウス」と考えを同じにしているが、第3は液晶パネルメーカーとしてのシャープの我田引水でしかなく、いわば付録である。たぶん「三つの」に併せて考え出されたに違いない。

 要は、住宅で使用する電力をすべて交流(AC)から直流(DC)に置き換えることで,AC-DC変換時の損失を無くそうというものだ。太陽光発電システ ムで得られる電力はDCであり,家庭内で使用する民生機器のほとんどはDCで動作する。従って,太陽光発電システムが家庭やオフィスに導入されれば,AC 駆動の民生機器ではなく,DC駆動の民生機器の方が,電力を無駄なく使えるようになる。

 これに併せて、経済産業省は2009年度予算でDCエコハウス補助金を計上した。
 「直流ハウスでエネルギー革命は可能か!?」を書いたのは2005年1月6日のことである。三重県に 住んでいたころ、中部電力の燃料電池システムの実証装置をみせてもらった時ひらめいたのである。現在の電力会社からの配電される交流からの変換ロスと、太 陽電池発電などからの交流への変換ロスがそれぞれ6%あることを知り、直流ハウスをつくれば少なくとも12%の節電、すなわち、二酸化炭素の輩出も同じ率 で削減できるというものだ。結論はだれか「直流ハウス」をつくってくれませんかというものだった。

 直流ハウスでエネルギー革命は可能か!?
 http://www.yorozubp.com/0501/050106.htm

 しばらくこの「直流ハウス」のことを忘れていた。最近、「 日経エレクトロニクス」のセミナーで「直流給電のすべて-民生機器、IT機器、産業機器が変わる」というシンポジウムのお知らせ」が舞い込んだ。「世界各 国では1世紀以上に渡り,通信設備に-48Vの直流に対応した給電システムを導入してきた。近年、通信設備やデータ・センター以外でも直流給電システムを 導入する動きが加速」しているのだそうだ。興味はあるのだが、参加費が39800円とべらぼうに高いので参加は取りやめた。

 ネットで検索すると筆者の記事は「直流ハウス」で上位に出てくるし、「直流給電」で多くの情報が得られる。パ ナソニックやシャープは昨年来、「直流ハウス」の実証実験を始めているというから驚きである。いまからでは遅すぎるが意匠登録でもしておけばよかったと反 省している。

 4年半前、このことを中部電力の専門家に話したら、「直流は電圧の上げ下げが困難」と軽くあしらわれた記憶が蘇ってくる。すでに通信設備では1世紀前から「-48V」で給電するシステムが存在していたというから、専門家も知らなかったではすまされない。

シャープが直流電力を用いる「DCエコハウス構想」を推進
http://www.ecology.or.jp/w-topics/wtp23-0808.html
知っていますか? 直流給電への取り組み
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL/20081224/163276/

2005年01月08日(土) 究極の分散型電源は燃料電池車 伴 武澄
2005年01月07日(金) エジソン時代の直流・交流論争 伴 武澄
2005年01月06日(木) 直流ハウスでエネルギー革命は可能か!? 伴 武澄

  多くの議論を重ねて、1989年は日本にとっても世界にとっても大きなターニングポイントだったことに気付き始めている。6月、中国で天安門事件が起き た。11月にはベルリンの壁が崩壊した。アジアでは学生が社会主義に弾圧され、ヨーロッパでは社会主義から解放された。それだけではない。現在、世界の政 治経済を揺さぶり続けている環境問題が初めて先進七カ国首脳会議のアジェンダとなった。「サステイナブル」(持続的)というキーワードが人口に膾炙される ようになったのは1989年が嚆矢だ。

 日本にとって日米構造協議(SⅠⅠ)が始まる年だった。構造改革元年ともいえる年である。貿易立国といいながら海外勢から国境を閉ざしていた日本が世界 に向けてようやく門戸を開放し始めるきっかけとなった。構造改革は今では「貧困」をもたらした元凶のように語られるが、日本だけに通用していた基準認証を 世界標準に近づける努力が始まったのである。
 1989年は日本経済がピークの年でもあった。12月に日経平均株価が3万9000円をつけた。以降、一度も この水準に達したことはない。当時の竹下登内閣は4月1日から3%の消費税を導入した。それまでの資産と所得中心だった国民課税は資産・所得・消費の三本 柱が担うことになった。一般会計の税収は翌90年に60兆円を超えた。消費税は絶妙のタイミングで導入されたといえよう。翌年から始まるバブル崩壊過程で 消費税の導入を決断できたかどうか分からない。

 NAFTAやECにならって、アジアでも地域経済を統合すべきだという意見の一致がみられ、APECが誕生した。当初は東アジアにオセアニアを入れた地 域経済統合に関心が集まったが、最終的に「アメリカ抜きの地域経済はありえない」というベーカー国務長官の意見を取り入れて、結果的に環太平洋諸国も加盟 することとなり、中途半端な組織となったが、アジアに求心力が集まったことは確かだった。

 1989年。地政学的も、経済的にも、社会的にもこの年を境に世界は大きな地殻変動を起こし始めたといっていい。国際政治は東西冷戦がなくなったが、正 義と悪が復活した。経済的には日米が逆転し、中国経済が眠りから目を覚ました。企業はグローバル化の名の下に巨大な合従連衡に走りだした。環境や医療を中 心にNGOの活動が普通に国境を越える時代となった。その地殻変動をもたらした1989年の大きな出来事を羅列してみたい。

 1月 昭和天皇崩御。平成始まる。
 4月 環境問題がサミットのアジェンダに。
 6月 竹下登首相が辞任、宇野宗佑外相が新首相に就任。
 6月 天安門事件。
 7月 ブッシュ米大統領がワルシャワで「コペルニクス転回が起きている」発言
 7月 日米構造協議(SⅠⅠ)がスタート。
 7月 アルシュ・サミットで東欧問題が最大の議題に。
 10月 ソニーがコロンビア・ピクチャーズを買収。
 11月 三菱地所がロックフェラーセンタービルを買収。
 11月 ベルリンの壁崩壊。
 11月 APEC第一回閣僚会議がキャンベラで開催。
 12月 日本の日経平均株価が3万9000円に。

| 編集

 賀川豊彦献身100年を記念し、NPO法人アジアボランティアセンター(AVC)などは7月13日、タイの社会運動家、プラティープ・ウンソンタム・秦女史らを招いたシンポジウムグローバル化時代が求める社会運動の国際的連帯」を神戸市内の兵庫県公館で開催する。定員は300人。入場は無料だが申し込みが必要。

 シンポジウム地球規模で広がる格差社会に、震災地、神戸から世界に向けて発信するのが目的。貝原俊民・前兵庫県知事が「阪神・淡路大震災と賀川精神」、野田正彰・関西学院大学教授が「心のケア 100年の時空を超えて今求められる課題」とそれぞれ題して基調講演。シンポジウムでは芹田健太郎・愛知大学法科大学院長が司会、プラティープ・プラティープ財団理事長、南裕子・近大短期大学長、賀川督明・社会福祉学校法人イエス団理事を交えて意見交換する。

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 私たちは1995年1月、阪神・淡路大震災を経験しました。被災の現場で展開された光景は、まさに理不尽なものでした。32万人もの人々が公共施設などに避難、社会的に弱い立場の人々ほど生活再建の遅れを強いられ、「災害は社会の弱者をあぶりだす」という言葉を反芻せざるをえませんでした。
 「官に力なく、民に力あることを見せつけた」。震災直後、全国的なボランティアのうねりを目の当たりにして、当時の貝原俊民知事が語ったように、人々が困難な状況に置かれた時、市民の潜在的なエネルギーが力を発揮します。その最中に、タイのスラム・クロントイで義捐金募金運動を行い、約400万円もの大金を震災被災地に届けてくれたことは、失意に沈む被災者に一灯をともしました。「富める者」からではなく「貧しき者」からの境界を超えた連帯のメッセージこそ、私たちの勇気となりました。
 「共に生きるために」
 この境界を超えた連帯のメッセージを具体的に発信していくことこそが、今、求められているのではないでしょうか。
 近年のグローバル化の急激な進行は、国と国との経済格差を加速させ、また、それぞれの国内においても貧富の格差を拡大させてきました。そして、昨今の経済危機の深刻化に伴い、多くの労働者が職を奪われるなど、新たな貧困を生んでいます。
 このような時代だからこそ、社会運動の先駆けをなした賀川豊彦とその仲間たちの実践を100年の時空を超えて再評価することは大いに意義のあることです。思えば「震度7」の帯が走り、最も被害のひどかった神戸賀川豊彦の献身活動が始まったのは不思議な偶然です。
 神戸から地球へ」
 わたしたちに求められている行動とアピールはどのようなものなのか。共に考えましょう。(主催者パンフレットから)

  「環境の日」である6月5日に合わせて、三菱自動車は日本初の量産型電気自動車となる「アイ・ミーブ」を7月から459万9000円で発売すると発表し た。最高時速130キロ、フル充電で160キロを走る本格派で、専門家の間で「走りのEV」として高く評価されていただけに、この価格設定には落胆した。

 2月にホンダが新型インサイトを189万で販売すると発表した時は「ホンダのやる気」を感じさせた。3代目プリウスを200万円台半ばで販売する予定 だったトヨタも"大幅値下げ"せざるを得ず、時ならぬハイブリッド車ブームを巻き起こした。かつて電卓が高値だったころ「サンキュッパ」で価格破壊を起こ したカシオの戦略を思い起こさせたが、三菱自動車のやる気のなさに言葉もない。
 電気自動車で先行していたノルウェーのThinkは昨年、新型車「Think City」を発表した。車格はミーブとほぼ同じで1回の充電で200キロ走るとされるが、価格は14000ポンド、日本円で225万円である。同じく中国 の自動車メーカー、比亜迪汽車(BYD)は1回の充電で400キロ走る小型車を昨年発表し、「15万元(約234万円)で発売する」と発表した。世界との 価格差はあまりにも大きい。

  世界的注目を集めている米カリフォルニア州の新興自動車メーカー、テスラモーターは2008年から「Tesla Roadstar」を9万8000ドルで販売を開始した。今年3月には2011年発売予定の4ドアハッチバック車「ModelS」発表した。予想価格は5 万7400ドル(約560万円)だが、米政府による7500ドル(約73万円)の税制措置で5万ドル(約490万円)以下になる見通し。驚きは1回の充電 で300マイル、480キロも走るというから現在のガソリン車とほとんど遜色のないレベルに達するということだ。

 電気自動車が本格的に地球を走り始めると環境問題は一気に解決する。そのためにどの企業が勇気を持って価格破壊に挑むのか。今日の三菱自動車、昨日の富士重工の価格設定を見る限り、この2社に未来を切り開く力はなさそうだ。
  今日は天安門事件から20年目の6月4日。1989年はベルリンの壁が崩壊し、サミットで初めて環境と経済の調和の必要性が議論された。日本では天皇が崩 御し、リクルート問題で竹下首相が辞任した。東京証券取引所の平均株価はピークの3万9000円を付けるなどバブルの絶頂だった。にとっても大きな節目の 年であった。筆者は4月から外務省を担当し、いくつかの節目の取材に携わった。

 担当して最初のテーマはOECD閣僚会議とサミット(当時は先進七カ国首脳会議=アルシュ・サミット)。主要議題が何になるのかに関心が集まった。度肝 を抜いたのは日経新聞が「環境がサミットの議題に」という記事を一面トップに掲載したことだった。まだ「環境」などという言葉が見出しに躍る時代ではな く、「公害」が一般的だった。冷蔵庫やクーラーに冷却媒体として使うフロンは問題になっていたが、「地球温暖化」は初めて聞く言葉だった。抜かれたという よりも「環境ってなんだ」「世界経済を語る場で何が環境なのか」といった疑問の方が大きかった。
 5月末からOECD閣僚会議などに出席する外相、通産相などの同行取材でパリとデンハーグを訪れた。デンハー グのホテルで朝、テレビをつけると天安門広場が映っていた。広場に居座る学生たちに対して、党中央は軍隊を出動させたのだった。本社に電話すると「経済の 原稿はいらん。ホメイニも死んだ」。編集局は中国一色となっていた。そもそも日本ではリクルート事件で竹下登首相が退陣し、3日に宇野宗佑外相が後継首相 に就任したばかりだった。世界が大きく動いた時期に自民党はとんでもない人物を首相にすえてしまっていたのだった。

 学生たちは胡耀邦元総書記の追悼のため、4月から天安門広場に入り、民主化を求めてそのまま抗議行動を続けていた。5月に入るとゴルバチョフ書記長の北 京訪問があり、世界中のメディアが北京にやってきて、天安門広場で起きている学生たちの行動を衛星放送で中継し始めた。衛星放送の黎明期でもあり、天安門 広場での出来事はそのままCNNの衛星放送を通じて、世界各地の茶の間で放映されたのだ。天安門事件は、その後の湾岸戦争に先立って、CNNがワールドワ イドなネットワークを確立するきっかけとなったメディアにとっても大きな事件だった。

 天安門広場での学生たちの動きはどう発展するのか、外務省中国課でも議論が続いていた。筆者の取材では6・4の直前まで「大したことにならない」と楽観 的だった。西側メディアは「虐殺」と見出しを打ったところもあった。筆者の頭に浮かんだのは「奪権闘争」という文字だった。文化大革命を経て、鄧小平が3 回目の復活を果たし、1978年から改革開放が始まったが、中国政治は安定からほど遠かった。巨額の日本の資金供与(円借款)を得て経済の安定を図り、か ろうじて政権を維持していたのが、鄧小平派だった。

 天安門事件の伏線は前の年からあった。1988年夏、北京ではインフレ論争で熱くなっていた。経済の過熱でインフレ率は2割を超え3割に達しようとして いた。1987年に胡耀邦はすでに失脚し、趙紫陽が総書記に就任していた。改革派の趙紫陽はそのまま中央突破を図ろうとしていたが、李鵬ら保守派は経済調 整が必要だと巻き返し、指導層では水面下で保守派が主導権を握りつつあった。筆者も同行した9月のた日中経協の訪中ミッションでトップ会談の相手が突如、 趙紫陽から李鵬に変更した。会談相手が変わるということは中国の路線変更の証しでもあった。

 表面上は経済成長をめぐる路線対立のようにみえたが、実は革命以来、中国共産党内で続く奪権闘争の延長だったのだ。文革は劉少奇を筆頭とする実権派に対 して毛沢東らが起こした奪権闘争だった。文革後は鄧小平ら改革派と李鵬ら保守派の微妙なバランスの下で中国は経済改革を進めていたが、天安門事件を引き金 に党内抗争が爆発寸前となったと解釈すべきなのだ。

 筆者は天安門事件について「自由化抑圧」などという安易な批判を避けてきた。危機的状況を背景に、鄧小平としても、泣いて馬謖を斬らざるを得なかったの だと解釈している。あのまま趙紫陽路線を続けていれば、文革に伍した動乱に突入した可能性は非常に高かったはずで、現在の経済的繁栄もなかったことだけは 確かだ。

 中国が動乱に陥れば、アジアどころか国際政治が大きな混乱に陥る。ここ10年、日本の知識人や報道の中でも反中国の論調が強まっているが、昔も今も中国は日本を必要としているはずである。(伴武澄)
 「友愛」と名のつく病院は全国に数かぎりない。「友情」と「愛情」を掛け合わせたもの、キリスト教の友愛からつけたもの、命名の動機はひとつやふたつではないと思う。

 1919年、賀川豊彦の要請で友愛診療所が神戸のスラムに誕生した。医師は徳島県出身の若き馬島僴である。賀川は1909年にそのスラムに住み付き、貧 しい人々の魂の救済に当たっていた。自らの"組織"を「救霊団」と名付け、その名前は後にイエス団となった。イエス団は魂の救済のほかに多くの事業を行っ た。いわゆる「防貧事業」である。そのひとつが友愛診療所だった。なぜ「友愛」なのか分からないが友愛と命名された。
 『賀川豊彦の贈りもの』などの著書のある鳥飼慶陽牧師が最近、賀川の一番弟子だった武内勝の子息から賀川の書 簡や写真などの入った「宝物」を授かった。少しずつ整理・解読作業を進めている。その中から、大正9年3月7日付け神戸新聞の切り抜きを探し出した。馬島 僴氏のスラムでの活躍について書かれた貴重な史料だ。
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 ところで、馬島医師の神戸での働きについては、葺合新川での「イエス団友愛救済所」(財団法人、大正7年8月27日設立)での働きがよく知られている が、彼が一家を挙げて住み込んで診療活動を行なった林田区(現在長田区)番町が彼の活動拠点であったようである。番町の名望家として知られる大本甚吉氏の 協力もあってその持ち家のひとつ(五番町5丁目81)に診療所を設け「イエス団友愛救済所」の「出張所」としたのである。
 下記に紹介するのは、大正9年(1920年)3月7日付けの「神戸新聞」である。時代を髣髴させる記述であるが、今ではこれも貴重な記録である。殆ど句 読点のない記事で、ここでは段落をいれるなど、いくらか読みやすくして取り出しておく。(2009年6月3日記す。鳥飼慶陽)

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 虐げられた人々の為に身を委す若き医師 
   新川部落の憐れな貧困者を闇から救ふ友愛診療所


昨年七月頃から、市内の葺合新川及び長田番町の二ヶ所に友愛診療所というのが置かれて、貧困者に対し無料で診療が施されている。同所のお医者さんは、すべ ての病者に対する取り扱いが丁寧で、動かせぬ患者には往診もしているが、親切なその診察振りに部落の人達は、あたかも神様のように崇めている。

そのお医者さんというのは、一昨年名古屋の医専を卒業した馬島僴氏で、一年ばかり郷里の徳島に帰り、祖父である若林医学博士のもとにあって医学の研究をし ていたが、同氏は中学時代から杜翁の著書を好んで読んでいたが、医専を卒業して実社会に触れるようになってからは、気の芽生でか少なからず杜翁に私淑して 何かやらなければならぬという心の悶えで、南洋を志しては南洋方面に関する書籍を渉猟し、北海道を志してはさらに北海道に関する書籍や田地を知る人達の意 見などを叩いて見た結果、どうしてもジッとしていることが出来なくなり、

昨年五月、名をレントゲンの研究に籍りて郷里を飛び出し、当地で計らず賀川豊彦氏に邂うて、一夕氏から虐げられている暗黒な社会層の有様を聞き、解放され たといっても繋縛から免れ得ず、益々藻掻きに藻掻きつつある彼等の生活、氏のこれに関する研究を聞いて、心は頓に動いて、遂に賀川氏と約束して、米国の伝 道局から資金を仰ぐことになり、翻然北海道行きを廃めて、これらの社会層を研究し、自らその中に投じて、之が救済の手を差し伸べるべく、

昨年七月、先ず新川の賀川氏の許に友愛診療所を置き、次いで間もなく番町大本氏方に同様の診療所を設けて施療することになったが、徹底的に彼らを研究し救済するには、彼等の部落に全然身を投じなければならぬというので、今まで須磨町西代に私宅を構えていたのを、

先月二十日に家族全部を引具して、前記番町の診療所に引き移ったが、この時などは同町青年団の連中が勇み立って、氏の一家を連へ引越しの準備万端を整えて 呉れたというが、現在同所には氏の妻女を始め母堂、令妹、令息などを迎え入れ、現に令妹はまだうら若い身をこの部落に投じ、白い看護婦服に包んで令兄の手 助けをしているが、

馬島氏は曰く「只私は、人間として一切平等であるべき筈の人が、習慣の為に、社会の繋縛から脱し得ずに苦しんでいる人達を憐れに思うのです。先ず私は、茲 二年なり乃至三年なりを只黙して研究し、この不幸な人達の真の友人として生きねばなりませぬ。これが私の一生の仕事になるでしょう」と深い決心の色を示し ている。

友愛って何?

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 鳩山由紀夫氏が民主党代表に選出された翌日の5月17日、賀川豊彦献身100年記念事業の一環として、千葉大学、公共哲学ネットワークなどが「新時代の 友愛と公共知識人」と題してシンポジウムを開催した。筆者も「今なぜ賀川豊彦なのか」と題して講演した。くしくも「友愛」がキーワードとなった。

 民主党の代表選は小沢前代表の突然の辞任に伴うもので急遽、スケジュールが入ったもの。われわれの日程は2月に決まっていた。シンポジウムのタイトルに「友愛」を入れたのはその時で、小林正弥教授らによる発題である。

 http://www.kagawa100.com/schedule/090517symposium.htm

 たまたま、民主党のある幹部もシンポジウムに参加していて、その晩の懇親会では「友愛」で大いに盛り上がった。
「鳩山の友愛はよく分からない、10年前、中曽根さんがソフトクリームと揶揄したのもうなずける」
「鳩山一郎は、汎ヨーロッパを唱えたリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー伯爵の著書から友愛という概念を日本に持ち込んだのだよ。ヨーロッパを友愛で一つにしようという壮大な夢だったのだ」
「賀川の友愛はスラム街での苦労の日々から生まれたもので、やわなものではない。どちらかというと兄弟愛を多用したと思う」
「労働組合の友愛会だって、非合法だった時代に互助組織として立ち上がった歴史がある」
「高輪に友愛労働歴史館が今もある。日本の労働組合運動の発祥の地で、友愛は労組の看板だ」
「英語で友愛はフラタニティー、フランス革命の自由、平等、博愛(友愛)」
「フラタニティーはラテン語で兄弟だよね」
「自由、平等、博愛の結果何が起きたか。憎悪によるギロチン送りだった」
「イギリスのフレンドリーソサエティーも友愛組合って訳すよね。関係あるのかな」

 「鳩山の友愛」と「労働組合の友愛」と「賀川の友愛」がドッキングすれば、「友愛の三位一体となる」とはしゃぐものもいた。

 6月15日には賀川豊彦が英語で上梓した『Brotherhood Economics』の日本語訳が『友愛の政治経済学』(コープ出版)として刊行される。70年前、賀川は世界恐慌後の経済立て直しを協同組合の発想で行 うべきだと世界に向けて発信したセンセーショナルな本だった。最終的に日本語以外、17カ国語に翻訳され、26カ国で出版されたというから、グローバルに 賀川の名を知らしめた本でもある。献身100年記念事業としては『友愛の政治経済学』の出版は、小説『死線を越えて』の復刻に次ぐプロジェクトだったので ある。

 22日には参院議員の鈴木寛氏が主宰する「すずかんTV」で小林教授と「友愛を語る」のトークショーが行われた。 http://www.suzukan.tv/

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