2008年10月アーカイブ

  アメリカは金融危機がなくとも、二つの赤字に悩んでいた。財政と貿易である。財政はクリントン時代に一時的に黒字化したが、ブッシュ政権が「戦争」に突入 したため5000億ドルの赤字となっている。約50兆円だから、日本の2倍である。貿易赤字はアメリカ経済が物作りを放棄して金融に軸足を置いたときから 巨大化が始まった。

 その赤字を埋めてきたのは日本や中国の経常黒字だった。ところが原油価格の高騰で少なくとも日本の貿易構造が大きく転換している。貿易黒字が激減してい るのだ。アメリカの赤字の穴埋めをしてきた「原資」が枯渇するとどうなるか。それでなくともアメリカは金融安定化のためにさらに75兆円の財政支出を迫れ れている。
 ドルに対する貸し手がなくなれば、金利の暴騰は避けられない。アメリカはいつまでもドルを刷り続けることはできないはずだ。

 アメリカという国を理解するために興味深い本を読んだことがある。その本にアメリカのドル紙幣がどういう手順で発行されるか、書かれてあった。

 「1ドルは連邦準備制度に対する1ドルの負債をあらわしている。連邦準備銀行は無から通貨を創造し、合衆国財務省から政府債券を購入する。利子の付いた 流通資金を合衆国財務省に貸し出し、合衆国財務省に対する小切手貸付と帳簿に記帳するのである。財務省は10億ドルの利付債の記帳を行う。連邦準備銀行は 財務省に対して債券の代価の10億ドルの信用を与える。こうして10億ドルの債務を無から創造するのだが、それに対してアメリカ国民は利息を支払う義務を 負うことになるのである」

 現在のアメリカには通貨発行権を持ついくつもの連銀があり、その中で最大の銀行がニューヨーク連銀である。簡単に言えば、ドル紙幣はアメリカ政府が発行 する債券(国債) を担保にニューヨーク連銀が政府に貸し付けた債権証書なのである。その時の割引率(利子)が公定歩合となる。notes だとか bill、draftと呼ばれる理由が分かっていただけたかどうか。

 ドルの現在の担保はアメリカ政府が発行する債券つまり借金が担保なのだから不思議なことになっている。そしてこのニューヨーク連銀は欧米の銀行家が株式の100%を保有していて、アメリカ政府はただの1株も保有していない。日本銀行以上に「民間」なのだ。

 9月以降、為替相場は日々、乱高下している。国際金融資本による通貨の売り買いは当該国の本当の経済力を反映しているのか疑わしくなっている。円ドルで みると金融危機の発信源であるドルは暴落していて当たり前の姿を見せる。しかし、そのドルはユーロに対して異常な「高騰」をみせている。同じことが新興国 の通貨に対しても起こっている。地球的に見ると一番危機的なドルが日本に次いで買われているということなのだ。(伴武澄)
 政府が10月31日発表する「追加経済対策」の目玉は「2兆円の給付金」。はじめは「減税」だったが、「全世帯への給付金」に変わったのは、減税だと税金を納めていない低所得層に恩恵が行き渡らないとの批判があったため。だが、今度は「世帯」の意味が分からなくなった。

 筆者の二男は今春、就職して都内で一人住まいを始めた。まだ住民票を移していない。川崎市のわが家の世帯主は筆者だから、当然、給付金の恩恵にあずかれ るものだと思っている。だが、税金も支払っている給与所得者である二男はどうなるのか。住民票を移していないのが、悪いといわれれば、その通りだが、どう も合点がいかない。
 夫婦共稼ぎの世帯はどうなるのか。一世帯だから一口だけになるのか。年金受給者の親と同居している世帯はどうなるのか。これも一口なのか。

 反対に親と離れて大学に進学している学生がたまたま、住んでいる自治体に住民票を移していたら、当然「世帯主」となるから、給付金は受給できるのか。

 働いていないじゃないかといわれれば、そうでもない。アルバイト収入だってあるし、その場合、源泉徴収で1割の所得税を差し引かれている。

 今回の給付制度では「所得のない世帯」でも受給できることになっているはず。

 それから外国人はどうなるのだろうか。自治体に外国人登録をしていれば、立派に「世帯」と営んでいることになる。

 総額2兆円を2008年3月末現在の全国の世帯数で単純に割れば、1世帯あたりの給付金は約3・8万円になる。実際の給付額は家族構成によって異なるそうなのだが・・・・・。

 小渕内閣のときの地域振興券は子どもの数に応じて支給されたから、支給対象がはっきりしていた。この給付金制度は必ずもめます。

 やがて金券ショップが格付けする平成商品券の価値
 地域振興券が巻き起こす異常な騒動

  アフガニスタン東部で日本の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」(本部・福岡市)の伊藤和也さん(31)=静岡県掛川市出身=が武装グループに拉致さ れ8月27日に遺体で発見された事件をきっかけにペシャワール会の中村哲著『アフガニスタンの診療所から』(ちくま文庫)を読み直した。

 ソ連のアフガン支配の時代から、ソ連軍撤退そして部族対立の時代にペシャワールで診療所を営み、アフガンにまで医療事業を広げていた中村さんの物語はわ れわれに国際協力の難しさを訴える。米ソ、そして先進国が自らの理念を押しつけて途上国の経済社会をズタズタに切り裂いてきた歴史を悲壮なまでの想いで 綴っている。(伴 武澄)
 なんともやるせない想いにさせられる。その前に読んだ小板橋二郎著『ふるさとは貧民窟(スラム)なりき』の後書きで小板橋氏は「テロ」という表現が安易に使われすぎていると批判していた。そもそもマスコミが書く「テロ」は「レジスタンス」と呼ぶべきものだと主張する。

 その通りである。いまイラクやアフガンで起きていることはレジスタンスなのだ。そんな基本的なことをあらためて思い知らされた。

 2003年、圧倒的軍事力を持つアメリカが9・11事件の首謀者ビンラディンを支援したとしてアフガンを徹底的に攻撃する。戦争には宣戦布告が必要だ が、テロ撲滅にはそんなものはいらないとばかりにこれでもかと空爆を続ける。アフガン空爆の当時、アメリカに対して「プロレスラーが悪ガキに本気になって 殴りつけている」という印象を持ったことも思い出した。

 アフガンは空軍も海軍も持っていない。初めから制海権と制空権を確保する戦争は簡単だ。世界の世論を味方につけて「正義は我にあり」とばかりに痛めつけるさまは」とても正気とは思えなかった。

 確かラムズフェルド国防長官が「アフガンを石器時代に戻してやる」と息巻いたことに対して、アフガン側から「アフガンはすでにソ連によって石器時代に戻っている」と語ったことがニュースで伝えられた。

 そのアフガンは1978年から戦争が続いているのだ。そのとばっちりで、隣国のパキスタンは30年来ほぼ一貫して軍政を余儀なくされている。1960年 代、パキスタンを訪れた。アフガンには王様がいた、イランも王制だった。アジア・ハイウエイと呼ばれたインドとヨーロッパをつなぐ回廊には大型トラックが 西へ東へと人や物を運んでいた。平和だった。パキスタンとアフガンの国境地帯にはそのときもパシュトン族がライフルを肩にかけていたが、すべて護身用で敵 を倒す「武器」ではなかった。
  大分前のことだが、マカオの古銭商で「大日本国貿易銀」という名の銀貨を買った。発行は明治9年(1877年)。通貨単位が表記されていないのが不思議 だったが、「Trade Doller」とあるからドルのことである。当時、日本では円ではなくドルを発行していたのだろうか?

 また英字で「420Grains. 900 Fine」と刻字されてある。fineは品位のこと。1 grain は0.0648グラムだから 27.216グラム。当時の銀の国際市況でいえば、1グラム=22円だから、約600円の価値の銀貨である。値段は当時の邦貨にして約4000円だった。 約600円の価値の銀貨を4000円で買ったのだからバカみたいな話だが、筆者にとって通貨を考える基礎となっている。
 古銭商のガラスケースには、大日本国「1圓銀貨」や広東省や福建省造幣廠発行の「1圓銀貨」なども陳列されて いた。明治時代の日本の通貨単位は「円」ではなく「圓」と書いた。「円」に変わったのは戦後である。マカオの古銭商にあった銀貨はどれも同じ大きさで品位 も同じである。明治時代に1ドル=1円だった意味が氷解した。現在の中国の通貨は「元」。かつては「圓」と呼んでいた。明治政府は中国にならって銀貨の単 位を圓としたのであろう。なるほど「円」も「ドル」も「圓」ももともとは銀貨の単位だったのだ。

 ちなみにポンドは今でも重さの単位。英国ではシリングが銀貨の単位で、フランスではフラン。実はロシアのルーブルは銅の単位である。ドルという呼び名の 由来は現在のチェコのプラハ東部にあるクトナホラ(Kutnahora)銀山にある。1995年、当地を訪れた際のガイドの説明では「メキシコ銀が見つか るまでヨーロッパ最大の銀鉱山であり、ハプスブルグ家の富の源だった」らしい。クトナホラで鋳造された銀貨をドルと呼んでいたのだ。

 この銀山の存在を抜きにハプスブルグ家による長年のヨーロッパを支配は考えられない。その後、スペインが隆盛を極めたのはメキシコ銀のおかげである。ポ ルトガルは、メキシコに次ぐ世界の銀産地だった日本の銀流通を一時支配したが、鎖国で日本との貿易から外された。銀貨の大量流通は、歴史に貿易の拡大をも たらした。筆者の持論である。金はあまりにも稀少で貿易を賄うには流通量が足りなかったが、銀は産出量、価値、重さの三点で国際的貿易の対価としてぴった りだった。

 近代国家の多くは金を基軸通貨にしていたが、19世紀になっても国際貿易で実際に流通していたのはこの貿易銀だったのである。今のように銀行間の決済シ ステムが完備していない時代である。江戸時代の日本では三井などの両替屋があり、江戸と京都や大阪との間の商品取引で現金は必ずしも必要でなかったが、国 際貿易では銀貨が中心だった。

 
 金兌換紙幣の時代に存在しなかった為替相場

 金も銀もいまでは国際市況商品となり、日々の価格が需給によって変わる。しかしどんなに変わってもかつてのロシアのルーブルやインドネシアのルピアのよ うに10 分の1になったり、100分の1になったりはしない。希少価値があり、一定の大きさに鋳造できることが通貨となる前提だった。

 紙幣は、もともと金や銀を担保として発行された。国家権力が発行する「証書」だから通貨と呼ぶ。香港ドルのように3つの純粋な民間銀行が発行している稀 なケースもないわけではない。この種の証書を民間が発行すれば「小切手」とか「手形」だとか呼ばれる。あくまで決済の代用品だった。かつての紙幣は金兌換 券である。国が金に交換することを約束していたから、「為替相場」などありようがなかった。貿易銀が国境を越えて流通していた。

 それがいつの間にか、為替相場が生まれた。金や銀の担保が十分でない通貨(紙幣)の発行が横行したからである。明治時代に1ドル=1円だった日本の通貨 が第二次大戦前には1ドル=3円になり、戦後には360円になったのは日本銀行が発行する通貨の担保力がそれだけ足りなくなっていったからだ。

 ちょっと難しいが、国が発行する紙幣と民間企業が発行する手形と実は似た関係にある。日本語で紙幣と手形は違うことばで表現されるが、英語では同じであ る。手形は notes、bill、draft、紙幣も notes、bill、draftである。日本の紙幣には「日本銀行券」と書いてある。英語では Bank of Japan Notes である。だから日本銀行という「企業」が発行した手形もしくは証書と考えれば分かりやすい。というより日本銀行もまた企業なのである。一応、国営というこ とになっているが、大蔵省は株式の過半しか保有していない。店頭市場に株式を公開しており、後の株式は民間企業や個人が保有しているのである。(続く=伴 武澄)

 日本最初の紙幣として生まれた「山田羽書」 http://ch01617.kitaguni.tv/e648677.html
 日本では三菱の電気自動車が来年夏に発売されることが話題になっているが、世界ではすでにいくつかの市販車が町を走っている。

 Tesla Roadstar

 アメリカの先駆けはテスラモーターの「Tesla」。以前にGMが「EV1」という電気自動車をリース販売したが、どういうわけかブッシュ政権が誕生し てから町から消えてしまった。Teslaは重さ32kgのモーターを搭載。4秒で時速97kmに達する加速力を誇り、1回の充電で233kmの走行が可 能。価格は9万8000ドル。
 3月に生産を開始したばかり。2008年分として1000人が予約注文した。その中には音楽バンドRed Hot Chili Peppersのベース担当であるFlea氏や俳優のGeorge Clooney氏、Dustin Hoffman氏、Arnold Schwarzeneggerカリフォルニア州知事などの著名人も含まれている。販売はカリフォルニア州など一部に限定している。   Who killed the electric car

 Think City

  ノルウェーのThinkのThink City。1999年に誕生し、Fordの傘下に入って話題を呼んだが、1回の充電で85kmしか走れずブレイクしなかった。今回のThink Cityは走行距離を2倍以上に伸ばしたのが特徴だが、価格も倍の£14,000となった。全長×全幅×全高は3120×1604×1548mm。乗車定 員・2名の小型EV。シャシー/ボディ構造は、アルミ製スペースフレームとロワーフレームを組み合わせて、ABS樹脂製パネルで覆ったもので、欧州・米国 双方の安全基準に適合、リサイクル可能率95%。一部のボディなどをトルコ生産にしたり、小さなパーツをフォード・プジョーから流用して、コスト低減も 図っている。電池のタイプはリチウムかナトリウム電池で、充電には欧州に普及している230ボルト電源のターミナルを使用し、フルチャージに要する時間は 約10時間。一充電での走行可能距離は180 - 200km、最高速度は100km/h。「Ox」という4人乗りのコンゼプトカーや「シティ」のカブリオレなどバリエーション豊富。
 ノルウエーが発信する電気自動車の新コンセプト

 MINIE
   独BMW グループは10月18日、現行のMINIをベースとした電気自動車「MINI E」500台を、米国市場に投入すると発表した。カリフォルニア州、ニューヨーク州、ニュージャージー州で、個人および企業顧客向けに試験的に販売する。 欧州市場への投入も検討中という。11月19日、20日に開催される「Los Angeles Auto Show」で初披露される。リチウムイオン充電池と150kW(200馬力)の電気モーターで駆動し、ほぼ無音、排気ガスも出ない。1回の充電で 240km以上の走行が可能という。最大トルクは220ニュートンメートル(Nm)で、時速100kmへの加速時間は8.5秒。最高時速は電子制御で 152kmに制限されている。BMWはMINI Eを500台、同社の英オックスフォード工場と独ミュンヘン工場で、年内に製造完了し、年明けにはアメリカ大陸でその雄姿を目にすることができそうだ。

 中国企業が電気自動車を発売へ、価格234万円に

   中国自動車メーカーの比亜迪汽車(BYD)の王伝福董事長は昨年10月、広東省深セン市で2008年に電気自動車を15万元(約234万円)で発売する 意向を示した。1回の充電で最大400kmの走行が可能だという。BYDはそもそもが電池製造。2003年に自動車会社を買収して自動車分野に進出した。 リチウム電池では世界最先端の開発力を持つというからあなどれない。
  米著名投資家ウォーレン・バフェット氏の関連企業であるミッドアメリカン・エナジー・ホールディングスが9月29日、BYDの新株10%を取得すると発表し、話題を呼んでいる。
編集

 明治、大正、昭和の三代を通じて、日本民族に最も大きな影響を与えた人物ベスト・テンを選んだ場合、その中に必ず入るのは賀川豊彦である。ベスト・スリーに入るかも知れない。

 西郷隆盛伊藤博文原敬乃木希典夏目漱石、西田幾太郎、湯川秀樹などと云う名前を思いつくままにあげて見ても、この人達の仕事の範囲はそう広くない。

 そこへ行くと我が賀川豊彦は、その出発点であり、到達点でもある宗教の面はいうまでもなく、現在文化のあらゆる分野に、その影響力が及んでいる。大衆の生活に即した新しい政治運動、社会運動、農民運動、協同組合運動など、およそ運動と名のつくものの大部分は、賀川豊彦に源を発していると云っても、決して云いすぎではない。

 私が初めて先生の門をくぐったのは今から40数年前であるが、今の日本で、先生と正反対のような立場に立っているものの間にも、かつて先生の門をくぐったことのある人が数え切れない程いる。

 近代日本を代表する人物として、自信と誇りをもって世界に推挙しうる者を一人あげよと云うことになれば、私は少しもためらうことなく、賀川豊彦の名をあげるであろう。かつての日本に出たことはないし、今後も再生産不可能と思われる人物――、それは賀川豊彦先生である。

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 大宅壮一賀川豊彦素描 加山久夫

 大宅壮一は少年時代に賀川豊彦と出会い、彼からキリスト教の洗礼を受けている。彼はしかし、『「無思想人」宣言』において、知識人の「帽子」としての思想を捨てるとともに、宗教についても、「無宗教で生きていくつもりである」と宣言し、つぎのように述べている―「宗教の力、信仰の熱度とともに、イントレラント(非寛容)な性格は原則として高められていくものである。それを抑えていくことが〝共存〟の必須条件である。だが、他宗他派に対して極度にトレラント(寛容)な宗教は、もはや宗教でなくなっている場合が多い。そこで〝共存〟のための最上の条件は、宗教そのものをすてることだということにもなるわけだ。」(一三一頁) では、大宅壮一は、いったい賀川豊彦を どう観ていたのであろうか。興味のあるところである。両者は近隣に住み、終生互いに交流があったようであるが、賀川が大宅をどう見ていたのかについては、 これまでのところ記録は見出されていない。しかし、大宅が賀川について書いたものはいくつか残されているので、それらを本稿で紹介することにしたい。

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加藤徹『貝と羊の中国人』(新潮新書、2006年6月20日)

国家は民族の衝突から生まれる。殷と周の衝突から黄河流域に文明が生まれたという。農耕民族の殷は「貝」を通貨にし、西方の遊牧系の周は「羊」を大切にした。だからそれぞれ、貝と羊に関する漢字が多く生まれた。
財、貨、賭、買・・・
義、美、善、養・・・

うーん。

殷人は自らの王朝を「商」呼んだ。周に滅ぼされて、殷人は土地を奪われて亡国の民となり、いわば古代中国版ユダヤ人となった。各地に散っても連絡を取り合い、物財のやりとりを生業とした。「商人」の始まりなのだそうだ。
筆者は中国通を自認していたが、知らなかった。

 紫竹庵日記

 これは天下の公論にして、一人の私言にあらざりるなり。その義たるや天地にわたり、古今をきわむ。微にして顕なりというべし。しかるに古聖賢の言たる。ここに及べるものなし。すなわちこれを知らざるなり。ただ世運未だひらけず、時機至らざるなり。

 今や人文まさに開け、舟車その妙をきわむ。加うるに電気は信を瞬息に通じ、天下至るべからざるの地なく、通ずべからざるの信なし。

 これに以て之をみれば、天下すでに小なりというと雖も可なり。かつさきに万国公法あり。各国これに依って交際す。隠然として一致の形をな す。しかもその実未だあらざるのみ。故にいま救民の術を論ずるに、必ず六合一致を以て首とすべし。みる者諒とせよ。かならず往時に徴して論ずるなくんば可 なり。ここにおいて序とす。

 天の生民を愛育するや、宇内同一、各土彼此の別にあらざるなり。すでにこれに命ずるに相養い相生ずるの道を以てし、これに与うるに自主自由の権を以てす。

 しかしこれに依って生命をたもち、福禄をうけしむ。ああ盛なるかな。天の徳や、これ古今これを仰いでやまざる所以なり。往古の人々相凌辱することなくたがいに保護して以て天徳を仰ぐ。

 人類日にしげく、風俗月に移るにおよんで、はじめて強きは弱きをしのぎ、大は小を辱しむるの弊を生ず。生民これがためにほとんど生命を保ちあたわざるに至る。ここにおいて賢哲の士はじめて政府を建て、強きをこらし弱きをすくい、上下同一、相生じ相養うの道を全うし、自主自由の権を伸ばすを得たり。

 ゆえに人々戸給し家足り。おのおのその所に安んず。かくの如くんば政府たるの肯かずというべし。惜しいかな後世姦雄の徒、政府を以ておのれの肆欲の具となし、生殺与奪その権を専らにして、公儀に出ださず。生命の窮困日一日より甚だし。ただ政府の暴威をおそれ左視右顧し、その忿怒を避くるを知るのみ。

 たまたま良政府と称する者ありといえども、しかも一隅に画す。なお今だ凌辱弱小の弊あるを免れず。宇内の乱従って止むことなし。生民の窮困いつの時にか救われん。いま宇内の生民の計をなすに、一大合衆政府を建て、宇内負望の賢哲を推し、これをして宇内を総理せしむに如くはなし。

 大議事院を置き、各土の秀才を挙げ、公法を確定し、宇内の事務を議して、そのまつりごとを善くする者これをすすめ、そのまつりごとを善くせざる者これをこらす。

 大いに生民教育の道を起して、はじめて宇内の民をあげて相生じ相養うの道を全うし、自主自由の権をのばすを得しむというべきのみ。あに人間の一大楽事にあらざらんや。しかり而してこれを首唱し、これを成就するもの、各土の政府の任なり。願わくは各土の政府、天意を体し、己私を去り、ここに従事せよ。

 いやしくもその民すでに安きを以て、ここに従事せざれば、すなわち天意に背きて生民彼此の別なきを知らざるなり。もし他日強暴の政府ありて外よりこれを凌辱せば、その民の安き、また保つべからざるなり。ああ真に豪傑の士ありて、起てば必ずこれを唱就し、以て斯民を禍乱の中に救うを知らん。宇内同一、天生民を愛育するの意を全うするを得ん。(本文は漢文体 1968年、世界連邦建設同盟発行の小冊子『世界連邦思想の系譜』田中正明「小野梓の世界連邦論」から転載)


2008年10月20日(月)
早大4年 小野美由紀
「人生と荷造りは同じ。旅の間にどれだけ要らないものを捨てられるかが、"自分がなんだったか"を決める」

ある韓国人の人類学者の言葉スペイン北部に連綿と続くキリスト教の巡礼路、カミーノ・デ・サンティアゴ。最終地点である聖地サンティアゴ・デ・コンポス テーラを目指し、毎年3万人を超す巡礼者たちが、全長750キロもの道のりを歩く。

冒頭の言葉に出会ったのは、去年この巡礼の旅に参加した時のことだった。当時私は世界中を一人で旅して回っていた。インドからユーラシア大陸を横断しポル トガルへ。その途中、他の旅行者からこの道のことを聞き、単調になってきた旅に変化をつけるため、カミーノに臨んだのだった。

そのときの私は、日本から抱えてきた様々な悩みから逃げるように旅路を急いでいて、自分自身と旅をすることに疲れていた。全てを投げ捨て、歩くという行為 のみに集中し、自分の内面を見つめたかった。だから、毎日毎日、鬱蒼と生い茂る森の中をただひたすら歩き続けた。

しかし、今までのこととこれからの事を考えれば考えるほど、余計な思考が頭の中に散乱し、答えの出ない苦しさから、心は固く閉じていった。

300キロほど歩いた地点で金さんという韓国人の宗教人類学者に出会った。彼は韓国出身で、東大を出て、四万十川をフィールドワークにしていて、今はソウ ルの大学に籍を置きながら、色々な宗教体験を研究している。なぜそんな話になったのか、まったく覚えていないが、ただ

「荷作りと人生は同じ。自分は後長くて20年くらいだけど、その間にどれだけ要らないものを捨てられるかが、"自分がなんだったか"を決めるんですね」

という彼の言葉が、鈍磨し重たく錆びていた頭に、ボディブローのようにガクンっと効いた。

確かにそのとおりだ。確かにそのとおりだ。人間シンプルな方が絶対に強い。余計なものを削ぎ落した時、最後に何が残るかでその人の人生が決まる。私の最後まで捨てられないものってなんだ。それさえあれば、生きていける。

ただひたすら、それだけを磨き上げるために生きるような自分の核を選び出すことができれば、他のことはどうなってもいいんじゃないか。そう思った。

あれから一年、また巡礼の旅に出る。最後まで捨てられないものを探すために。考えてみれば、学生記者として先哲たちのパワーワードを追い求めようと思った のも、それが、彼らが捨てられず最後まで残しておいた彼ら自身の「核」に他ならないからだ。

人生の中で無数のものを得、雨風にさらされて削り取られ、諦めて手放し、それでもなお、捨てられないものが彼らの人生哲学として人に影響を与える言葉になると思ったからだ。

今度の旅の間に、どれだけ余計なものを捨て、他の何にも譲れない自分自身の核を探し出せるか。それだけが、700キロを3週間かけて歩く、今回の旅の目的だ。

 メンターダイヤモンド学生記者クラブ
 http://www.mentor-diamond.jp/blog/student/?p=48
 ダイヤモンド社の友だちの大木由美子さんが社内ベンチャーで「メンターダイヤモンド」を立ち上げた。主に学生向けのサイトで、20代のリーダーマインドを養成するのが目的。

 元商船三井会長で郵政公社初代総裁の生田正治氏をインタビュアラーに経営者の言葉を引き出す「グレートメンター」と、経営者と学生の生の出会いの場をつくる「学生記者クラブ」がサイトの両輪である。 発想が実にユニークで興味もあったので夏から暇を見つけて「メンター」に出入りしている。

 グレートメンターでは 奥田碩前トヨタ自動車会長、孫正義ソフトバンク社長、瀬戸雄三元アサヒビール会長、井上礼之ダイキン会長とそうそうたる経営者のインタビューをすでに終えている。

 学生記者クラブは、東京在住の大学生約10名が参加し、春から月1回の例会を続け、自ら人生の滋養となる「言葉」を求めて活動を開始し、9月からはそれぞれの体験にもとづくブログも始めた。これがけっこうおもしろい。

 たまたまなのかもしれない。メンターダイヤモンドに参加する学生と接して思うことは、みなしっかり自分の考えを持っているということである。人生を前向 きに模索しようと生きる若者と過ごす時間は筆者にとってもえ難い経験なのである。(伴 武澄)

 以下、最近のメンターダイヤモンドの井上礼之ダイキン会長の「異質を是とする」というインタビュー記事です。



生田正治 - 井上さんは、多種多様な社員に各々チャンスを与えながら適材適所を考えて才能を引き出していくという、いわばダイバーシティマネジメントを実践されてこられたのではないかと思います。井上流ダイバーシティマネジメントについての考えをお聞かせ願えませんでしょうか。

井上礼之 - ダイバーシティマネジメントというのは、2種類あると思っています。
 1つは、年齢や性別、国籍、身体に障害があるかなど異質な人たちをどうマネジメントしていくかということ.
 もう1つは、昔と違って同じ日本人でも働く価値観が多様化している。その人たちをいかにマネジメントしていくかという問題です。

生田 - 大事な指摘ですね。国籍や性別など、一見して違う人たちに対しては、関心がいきやすいですが、そうではなく「同質」のはずだった日本人そのものも多様化している。それらを踏まえたうえで、マネジメントしていくことが企業力につながる。

井上 - はい。私は日頃から、同じ色の絵具は混ぜても同じ色にしかならない。いろんな色の絵具を混ぜることにより、飛んでもない色が出てくる可能性があるということを言っております。

生田 - そうそう、企業としては、その飛んでもない色こそがイノベーションの起爆剤になる。同質なものと同質なものがぶつかり合っても、同質なものしか出てこない のだけども、異質なもの同士がぶつかり合うことによって、第三の新しいものが創出されると思います。ダイバーシティマネジメントが重視され始めた背景に は、急速な経営環境の変化がありますね。

井上 - は い。国内市場だけ見ても、消費者ニーズは多様化していますし、ましてや海外進出した先では、その国の多様なニーズに合わせていかないといけない。そうい う経営環境にあっては、ダイバーシティマネジメントをいかにうまくやるかということは、非常に重要な経営の要素だと思います。
 そのためには、たとえば買収した国の社員の多様性を大事にすることから始めないといけないと思っています。いいかえれば価値観も、人種、国籍、年齢、性 別も違う人たちの多様性を「是」とするマネジメントをやるということです。
 出る杭を打たないで出る杭を是とする。個性を生かしていくことが大事です。

生田 - 社員の個性を大事にし、動機づけて奮い立たせていくということ。それはタレントマネジメントといういい方もできると思いますが、井上さんのお話を聞いていますと、ダイバーシティマネジメントはタレントマネジメントの前段として必要なことがわかります。

井上 - おっしゃるとおりです。タレントマネジメントと申しますと、特別な才能を持った人材を活用することだと思われがちですが、どんな人であろうが他の人のまね のできない才能を少なくとも1つは持っています。それを生かして、どれだけその人の意欲を向上させて企業の戦力をしていくかということが、真のタレントマ ネジメントの重要なところだと思います。

生田 - 次回(Power Word 08)ではそれをどうやって実践されているのか、お話を聞きたいと思います。

 生田正治商船三井元会長による「グレートメンターインタビュー」
 ダイキン工業会長井上礼之氏
 続きを読む http://www.mentor-diamond.jp/ms/inoue/index.html



 小野梓を知っているだろうか。だれもが早稲田大学の開祖は大隈重信だと思っているが、大隈が夢見た育英事業を実際に実現したのは土佐出身の小野梓という青年だった。

 小野は土佐の西のはずれの宿毛という町の出身。どういうわけか宿毛から多くの民権論者が輩出している。吉田茂の実父である自由党の竹内綱、林有造、岩村通俊、大江卓と続くが、先陣を切ったのは小野梓といっていい。

 ペリーが日本にやってきた嘉永5年(1852)、に生まれ、明治3年7月、18歳の夏、ひとりで上海にわたり、西洋の東洋侵略のありさまをつぶさに見て目を開かされる。上海の宿で世界連邦論ともいえる『救民論』を漢文で書き上げていた。
 翌年、アメリカに遊学し、さらに明治5年には大蔵省派遣の留学生としてロンドンに逗留する。ロンドンでは財政 学を学ぶが、小野の関心はイギリスの政治にあった。英国国会に通い、グラッドストーンとディズレリーの議論を目の当たりにして、非常な感動を覚えたとい う。帰国してさらに著したのが『国憲論網』。日本での立憲政治の実現を訴えた。まさに民権運動の先駆け的存在が小野梓だったといっていい。

 明治9年には司法省入りし、民法課副長として民法制定の基礎づくりにあたる。参議だった大隈重信に見いだされたのはこの時だったようだ。その後、元老院書記、会計検査官を歴任し、北海道開拓使官有地払い下げ問題では大隈とともに黒田清隆らを糾弾する先鋒に立った。

 小野は若くして肺結核を病んでいたため、35歳にしてこの世を去ることになる。1887年

 この事件の後、大隈らは明治政府からたもとをわかって下野した。大隈を党首として立憲改進党が誕生したのは明治15年のこと。小野は改進党の最高幹部の一人として活躍する。

 早稲田大学の前身である東京専門学校が生まれたのは改進党創設から半年後のこと。早稲田にあった大隈の所有地に建設された。小野は会計検査官時代から浅 草・橋場に住んでいたが、当時から小野の家は学生のたまり場となっていて、毎夜、天下国家を論じていた。いつのころか「鷗渡会」と呼ばれる集まりとなり、 この若者集団が改進党や東京専門学校設立をバックアップしたのだった。

 小野梓なかりせば、たぶん今の早稲田大学はなかった。

 小野は若いころから肺結核を病んでいて33歳で世を去る。1886年であるから帝国議会の開設を知らない。 

 街でやたらと 「かぼちゃ」が目に付く。
「ちょっと、ハロウィーンっていつだったっけ」
と回りの編集スタッフに聞いたが、誰も答えられない。

 ネットで調べると「10月31日」とあった。読み進むうちにいやはやおもしろいのだ。ハロウィーンはキリスト教の秋の祭りかと思っていたら、キリスト教以前のケルト民族の古い祭りだったのだ。
 平凡社大百科事典によると「古代ケルトのSamhain 祭が起源といわれる。これは死の神サムハインをたたえ,新しい年と冬を迎える祭りで,この日の夜には死者の魂が家に帰ると信じられた」とある。なにやら日本のお盆と重なる。

 古代ケルトでは、11月1日が新年で、その前日が収穫祭だった。古代宗教の司祭たち(キリスト教ではない)はかがり火をたいて、収穫物と犠牲を霊に奉げた。日本の神道で言えば新嘗祭である。火は魔よけである。ケガレから人々をお祓いする役割を果たすに違いない。

 カボチャに奇怪な顔を彫って灯明を入れる風習や子どもたちがお化けに仮装して家々を回ってお菓子をねだるのはその死神サムハインに由来するということに なる。かぼちゃに彫り物をするのはどうやらケルトの子孫たちがアメリカ大陸に渡ってからの風習らしい。これは秋田のナマハゲだ。

 サムハインの祭りはハロウィーン (Halloween)としてカトリックに取り入れられて、諸聖人の日(万聖節)の前晩(10月31日)に行われることになった。英語圏の伝統行事。諸聖 人の日の旧称"All Hallows"のeve(前夜祭)であることから、Halloweenと呼ばれるようになった。アングロサクソン語で「Hallows」は 「Saints」なのだ。

 キリスト教徒たちが、多神教であるケルトの古代宗教に由来する祭りを営々と続けている。このことがおもしろい。(伴武澄)
 リーマン・ブラザーズの破綻から1カ月。世界の株価は乱高下し、先週は売りが売りを呼ぶ急降下、日米とも8000のインデックス割れを覚悟した投資家が多かったはずだ。

 週末、ワシントンでG7が開催され、世界的金融危機に「あらゆる手段」をとることを確認した。金融機関への資本注入を積極的に行うことを宣言したのだ。 G7を受けて、週明けの株式市場は一転、ロンドンもニューヨークも日本も急騰した。過去最大の上げを記録したところもある。
 まずイギリスは主要3行に6兆円の資本注入を発表、ドイツが70兆円(資本注入は14兆円)、フランスは50兆円(同5.6兆円)の支援策を相次いで公表した。

 極めつけはアメリカ。先に75兆円の支援策を発表していたが、ブッシュ大統領は14日、75兆円のうち25兆円を大手9行に注入すると発表した。欧米で200兆円にも及ぶ資金を金融危機に投入する覚悟をしめしたのだから、市場が反応しないはずがない。

 10年前、日本が金融危機に陥ったとき、政府が準備したのは30兆円。うち11兆円を資本注入のための資金とした。日本の場合、救済策を小出しにしたこ とが批判されたが、今回の欧米の措置はまさに「大盤振る舞い」。だが逆に考えると後がない。これで金融不安を防ぐことができなければ次なる策がないという ことにもなる。

 市場は当面「とりあえず」安堵している様相だが、楽観はできない。昨日のニューヨーク市場は月曜日の勢いを受けて「400ドル」程度上げて始まったが、 勢いが続かず「76ドル安」で終わった。15日の東京市場も早くも息切れ、不安定な動きで推移している。(午前11時現在)

 欧米の巨額の金融支援が実際に始まると起こるのは、不動産価格のさらなる下落である。不良債権の処理により、不良債権が拡大したのは10年前の日本で経験済みである。

 日本の場合、不良債権を手にしたのは金融機関や企業だった。個人の不動産が市場で投売りされることはなかった。多くの不動産取得者はローンを払い続けた のである。しかし、アメリカのプライムローンの場合、ローンの支払いができなくなれば、その家を出るだけで後の負担はない。これからもこうした「損切り」 が続くのだと想像している。そうなれば、不動産市況の危うさは90年代の日本の比ではないことが分かる。

 実体経済への影響はいうまでもないが、欧米政府がこれだけの資金調達をすれば当然起きるのが「金利の高騰」である。10年前の日本の場合は国内の資金で 政府の資金調達が可能だったが、アメリカなどはそれでなくとも日本や中国に国債を買ってもらってきた経緯がある。海外勢からの資金調達であるから、当然そ れなりの金利が必要となる。

 ウォーレン・バフェット氏がゴールドマン・サックス救済で求めた優先株の利回りは10%である。不動産市況の下落が続く中で、二桁の金利が世界経済の負担にならないはずはない。(伴 武澄)
76a41a20.jpg世界連邦建設同盟発行の「世界連邦思想の系譜」1968年発行を、調べ物をしているとき偶然手にした。これは日本における世界連邦思想の系統関係を掲載したものである。対象とされた人物は、小野梓、尾崎行雄、賀川豊彦、下中弥三郎、笠信太郎らであり数名が執筆している。どれも興味深い内容ばかりである。

私 としては当然賀川の記事に注目するのだが、これが面白い。これまでは日米開戦前秘話として、賀川の訪米平和使節団が近衛首相の密命を帯びていたことを明治 学院大学の園部不二夫氏の記述によって伝えられているが、この掲載記事は小塩完次(国際平和協会元理事)によってさらに詳細に、以下のことが描かれてい る。

日米開戦の直前、近衛首相は神経の尖った軍部を避けて、ひそかに賀川と会った。それは戦争回避の和平工作を依頼する目的だったが、こんな緊張時に怪しまれずに出向くには、不信を抱かれないようにしなければならない。そこで足を向けたのは、有馬頼寧私邸であった。

その工作の内容とは、大
伝道者のスタンレージョーンズから持ち込まれた話として、日本にニューギニアを買ってもらって、発展する日本にハケ口(人口の)をひらき、日米戦争を不発に収めようとの計画を「近衛・ルーズベルト会談」として太平洋上でやろうというのが要旨である。

園部説では、日中の泥沼化した戦争状態の解決の手段として、ルーズベルトに両国の仲介をして
もらうという内容であったが、この記述では若干印象が異なる。そして賀川ら平和使節団の訪米となるのである。小塩はここで、「賀川ミッションの大芝居」と表現している。


小 塩の「日米開戦秘史」はさらに続く。この平和使節団の起こりは、世界連邦日本国会委員会の副会長を後につとめる福田篤泰(当時は外務省情報局秘書課長、後 に吉田茂首相秘書官となる)が発意、企画、推進したと述べられている。発案以来深い関係をもった、筧光顕(YMCA元主事、立教大元教授、国際平和協会元 役員)は「最後の日米和平工作」という文でこのことを詳細に述べているとされている。 以下、参照先から引用しよう。
 解散・総選挙が近い。3年前、郵政民営化を問うた小泉首相率いる自民党が未曾有の大勝をした。連立を組む公明党とともに衆院議席の3分の2を確保して、「憲法改正」をも視野に入れた。昨年の参院選では一転、民主党が過半数を獲得し、衆参両院の「ねじれ現象」が生じた。

 麻生政権にとって衆院で前回の議席確保は不可能な上、例え過半数を握っても再来年の夏まで参院の「ねじれ」は変わらない。それでも解散・総選挙は避けられない情勢なのだ。
 萬晩報は1988年の創刊以来、政権交代を期待してきた。90年代に一時期、反自民の細川護煕政権が誕生した。55年体制の打破が目的で、小沢一郎氏が自民党を割って出たことから政権樹立が可能となった。

 55年体制は米ソ冷戦構造の上になりたっていた。日本では政官財による合意形成で一国の政治がそこそこ安定していたが、1985年のプラザ合意以降、世 界経済は新たな段階に入っていたし、89年のベルリンの壁崩壊で政治的にも政官財による政治構造にほころびが生じていた。

 新たな時代はグルーバル化と構造改革が合言葉だった。90年代の日本にはバブル崩壊そして金融危機という大きな試練も待ち受けていた。日本の政治経済には構造改革が必要だったが、旧来の政治手法を踏襲する自民党には新しい時代を築く能力に欠けていた。

 そこに登場したのが細川政権だった。自民党の一部で暖めていた衆院選挙改革がこの政権で現実となった。中選挙区から小選挙区制への移行である。小選挙区制の導入によって、選挙ごとに議席の大幅な入れ替えが可能となり、二大政党制を誕生させる素地が生まれた。

 細川政権が打ち出した構造改革路線はやがて、小泉首相に受け継がれてしまった。政策のねじれが生まれた。「自民党をぶっ壊す」というフレーズはまさに政 官財の癒着構造を壊すことを意味していたから、当然ながら自民党内部から反対勢力が生まれた。そうした勢力に小泉首相は「守旧派」というレッテルを貼っ た。党内対立があっても直接国民に「改革の是非」を訴え、政権を維持することができた。

 小泉政権は国民の支持を背景に5年におよぶ長期政権となり、まがりなりにも日本道路公団の民営化と郵政民営化を果たした。この成果についてはまだ結論を出すのは早いと思っているが、筆者が小泉首相を評価する最大の理由は「景気対策」を打たなかったことだった。

 小渕首相は財政そっちのけで、日本を借金漬けにした。自ら「借金王」と名乗ったぐらいであるが、財政の大盤振る舞いにも関わらず、日本経済は浮上しな かった。逆に小泉首相は国民に「我慢」を求めた。日経平均が1万円を切ってもなすがままにまかせた。「日経平均は底をついたら反発する」という確信があっ たかとうかはしらないが、筆者はそう信じていた。

 実際、日経平均は7000円台にまで下落した後、反発を始めた。小泉首相が5年間に大きな借金を背負ったと批判する向きもあるが、5年間という長い年月 で小渕さんのつくった借金よりも少ないはずだ。国債の大量発行は元々、90年代の自民党政権がつみ増してきたもので、その借金体質は一夜にして減らせるも のではない。国債発行を30兆円内に収めることですら大変な議論があったことを忘れてはならない。

 さて今回の総選挙である。麻生首相は「景気対策」第一と考えている。自民党の政官財の元のさやに戻った感がある。小沢代表は「生活者第一」といい、「官僚をぶっ壊す」とも言っている。こちらは細川政権の精神が貫かれている。

 小泉首相は実際に自民党をある程度ぶっ壊した。次なる標的は「官僚」ではないか。失われた10年で格差社会が生まれた。ある程度余儀なくされたという感がなきにしもあらずである。これはグローバルな動きだったからだ。

 その昔、官民格差があった。大手企業サラリーマンの方が、公務員よりいい暮らしができた時代があったが、いまはどうだろうか。官民格差の意味合いが逆転 している。民が困っているときに、公務員だけはのうのうと俸給を貪っている。少なくとも年金問題や教員採用問題のニュースを見聞きするたびに国民の頭をよ ぎる考えではないだろうか。(伴 武澄)

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