2008年4月アーカイブ

 どうも腹の虫が収まらない。いよいよ今日、政府・与党はガソリン税の暫定税率維持を盛り込んだ税制改正法案を再議決する。

 新聞などによると石油大手は5月1日から卸価格を30円前後引き上げると発表した。

 ちょっと待て。値下げならともかく「増税」である。周知期間がまったくないまま翌日から増税などあっていいのだろうか。もはやこれは法治国家ではない。

 税制改正法案が3月末までに国会を通過していれば、暫定税率の期間延長で国民にとって何も変わらないのだが、暫定措置がいったん切れた後はたった一カ月とはいえ法的にはガソリン税は本則に戻ったと考えるべきなのだ。

 元に戻す再値上げであってもこれは新たな「増税」なのだ。新たに「暫定措置」として5月1日から税の上乗せが発生する。しかも今回の租税特別措置法は 「当然の間」と言いながら「10年」の長きにわたる「恒久的増税」となる。いままでの2、3年の延長ではない。当然、周知期間を設けるべきなのだ。

 もっとひどいのは石油元売りである。
 共同通信の記事によると、出光興産は今回「1リットル当たり32円10銭引き上げると発表。暫定税率分に加え、原油価格高騰を受けた調達コスト上昇などによる卸価格引き上げ幅を7円とした」。
 4月29日 ガソリン160円突破へ 5月、小売価格が最高値に 【共同通信】
 だが1カ月前の記事では「出荷場所により価格差が出ないように、油槽所の在庫と、4月以降、製油所から出荷するガソリンの税額を合算し、値下げ幅を計算する。4月の卸値は22-23円の引き下げになる」と言っていたのだ。
 3月31日 ガソリン卸値22-23円下げ 出光興産など3社 【共同通信】

 ガソリン税の暫定措置が切れて4月1日からガソリン価格は25円下がることになった。それに対して元売はガソリンの卸値は22-23円しか下げないと言っていた。暫定措置の延長が復活すると元売りは卸値を5月1日から30円アップすると発表している。

 おかしくはないか。

 ガソリン価格の市中価格は競争だから、個別にどれだけ下がって、今回どれだけ上がるのか調べるのは難しい。しかし。石油元売りは数が多くない上、横並びだから分かりやすい。

 この1カ月に原油が上がったのは確かだが、下げるべきときは原油高騰を理由に税金分の値下げをせず、上げるときは税金分に2割も上乗せするとはふとときである。

 数日前から、「5月1日からスタンド30円値上げ説」が流布されていた。実際に店頭でどういう価格が提示されるか分からない。たぶん価格の転嫁は難しいのだろうと思う。

 4月1日の値下げ時に「初日からの値下げは難しい」と言っていたスタンドが少なからずあったが、今回の値上げ時には「初日から値上げ」を宣言しているスタンドがけっこうあるのだから笑ってしまう。

 石油元売りも元売りであるが、スタンド側もスタンド側である。

 それにしてもこの間、メディアは業者の言い分ばかりを記事にし、地方の声と称して自治体よりの主張ばかりを書いてきたのではないか。「混乱」だけを助長して、本気でガソリン税問題の本質に迫ろうとする気概すら感じられなかった。無念である。

 ガソリン税の衆院再議決に大義はあるか 2008年04月28日
 軽油税の方がなぜガソリン税より安いの? 2008年04月27日
 ガソリンは本当に再値上げされるのか 2008年04月24日
 ガソリン値下げに喝采 2008年04月02日
 始まった値下げのスパイラル 2008年04月01日
 アメとムチを織り交ぜた租特法改正法案のずるさ 2008年03月24日
 ガソリンが25円安くなる日はやってくるのか 2008年01月23日

 否定できない国家が権力機構という公理

 「天は人の上に人を作らず」といったのは福沢諭吉である。

 いまの日本人にはすらすら読んで何の抵抗もないだろうが、少し格好をつけすぎてはいないだろうか。聞こえはいいが読み方によっては、リーダーシップ、さらには国家権力の存在そのものを否定するように受けとられる。

 そのことばに耳慣れている普通の日本人にはけっこう、この言葉の暗示にかかっているフシがあるから恐ろしい。

 デモクラシーを民主主義と訳したことも、同じような暗示を与えた。民が主(あるじ)だというなら、主の上に権力があったらおかしい。同じような暗示の危険が「主権在民」ということばにも潜んでいる。

 そんな言葉の遊戯とかかわりなく、どんなデモクラシーの国にも国家権力は厳然としてある。国民が選んだ大統領や首相の権力は強大で、立憲君主制下の君主にひけを取らない。権力の行使を分掌する役人の数だって、王制でなくなっただけで半分に減るものではない。

 税務署はどっちの場合だってこわい存在であることに変わりはない。
 それはそうだろう。もともと国家というものは権力機構だからこそ国家なのだ。だからデモクラシー思想もまた、当然のことながら国の統治に権力の不可欠なことを公理として認め、それを基軸に思想が展開されている。

 だが恐ろしいのは、この肝腎かなめののところで、さきほど言ったような暗示にかかってデモクラシーを無政府主義だと錯覚してしまうことである。この暗示 から抜けきらないでいると、デモクラシーそのものが別のものに見え、無政府主義思想特有の観念論が割り込んできて建設的なディベートが"電波障害"を受け る。

 (続く=伴 正一『魁け討論 春夏秋冬』1998年09月01日付コラムから転載)
 27日投開票の衆院山口2区補欠選挙で、自民党は民主党候補に敗れたが、福田政権は30日、揮発油税の暫定税率維持を盛り込んだ税制改正法案を衆院で再議決する方針を撤回していない。

 なぜか民主党は腰が引けている。27日のサンデープロジェクトに出席した鳩山幹事長はほとんどガソリン税問題に言及しなかった。メディアも福田政権に対 して"好意的"論調を崩していない。国民だけがはしごを外されたように1日からのガソリン再値上げの打撃を食らうことになる。

 昨夜の敗北後の福田首相と伊吹幹事長とのやりとりが、この政権の不真面目さを象徴している。

 福田「なかなかうまくいかないようですな」
 伊吹「福田さんのせいではないから気にしないでよいです」
 選挙に敗北したことがまるで他人事のような首相発言に対して、「あんたのせいでない」と幹事長。これまでのパターンなら補選敗北のとたんに、自民党内から福田首相に対する不満が噴出するものが、いまのところ党内は静かだ。

 本来なら選挙の審判を受けた直後に、ガソリン税値上げの再決議などできないはず。国民が自民党に衆院の3分の2の議席を与えたのは、郵貯民営化を断行しようとした小泉さんに対する信任ではないのか。

 衆院の再決議は、昨年11月インド洋に自衛隊艦船を派遣する「テロ対策特別措置法」が失効して、「新テロ特措法」が成立したとき以来である。そのときは日本の国際信義という大義名分があった。

 日本は憲法上、二院制をとっている。参院で否決されるたびに何でも衆院で再議決するのなら、参院はいらない。廃止すればいい。衆院での再議決はそれぐら い重みがあるはず。ガソリン税は国内問題である。軽々に再議決できる問題ではないと思うのに、福田政権は二度も三度も挑戦しようとしている。
20090101_762323.jpg その昔、京都に住んでいたころ、生きつけの「あわじや」といううどん屋さんで「バーモント」が話題になった。筆者にとっては飲み屋なのだが、飲んだくれて いるお客はほとんどいない。赤井博さんという淡路島出身のおやじさんのつくるうどんに舌鼓を打つ店だった。京都産業大学に通うアルバイトのかわいい女の子 がいて週に2、3回は通った。

 最初はフィラデルフィアがアメリカ独立直後の首都だったことって知っているなどと会話を交わしていて、「アメリカを知っているようで、日本人にとって実はニューヨークとかロサンゼルスとかがアメリカで他の所はあまり知らないのだ」という結論になった。

「バーモント・カレーってさ。アメリカのバーモント州と関係あるかな」
「えっ、そんな名前の州があるの」
「あるさ」  ハウスバーモントカレー」は広い年代にわたって知られている食品である。筆者の世代だと西城秀樹がハスキーな 声で「りんごと蜂蜜、トローリ溶けてる、ハウスバーモントカレー!」というコマーシャルソングを歌っていたことで有名なのだが、バーモントの名がアメリカ のひとつの州であることはあまり知られていないだろう。

 なぜ「バーモントカレー」なのか。ハウス食品の広報室に電話を入れた。「創業者の浦上社長が、カレールーを開発中、リンゴとハチミツの健康法がバーモン ト州にあることを知って命名した」そうだ。だがバーモント州の特産物は残念ながら蜂蜜ではなく、メイプルシロップである。

 筆者はバーモントには行ったことがない。ポピュラーのスタンダードナンバーの「Moonlight in Vermont」で知る限りなくロマンチックなバーモントはメイプルの枯れ葉と雪景色を思い浮かべるだけだ。

 実際のバーモント州はカレーとは縁もゆかりもない。アメリカ東北部のカナダに国境を接する人口がたった58万人の小さな州だ。主力の農産物の75%は牛乳やバターといった乳製品だ。もともとはフランスの植民地で、アメリカ独立時にはイギリス領だった。

 1791年に14番目の州として合衆国に加わった。州を南北に縦断するグリーンマウンテン山脈のフランス語「Les verts monts」がなまって「Vermont」となった。首都の Montpelier もフランス語の「裸の山」から来たという。

 この自然豊かなバーモント州で特徴的なのは都市がないことである。人口の4分の3が田園地帯ないし郊外に住んでいる。州で二番目に大きな首都モンテペ リーの人口はなんと8000人というから日本でいえば村である。だが「全米暮らしやすさ番付け」では「アメリカで一番、空気が新鮮な州」に挙げられている という。

 ただそれだけのことである。
 自民党は衆院山口2区補欠選挙で民主党候補に敗れたが、福田首相は28日、公明党の大田代表と会談し、ガソリ ン税の暫定税率維持を盛り込んだ税制改正法案を30日に再議決することで合意し、道路特定財源を来年度から一般財源化する法案を年内に取りまとめ成立させ ることも確認した。

 10年間のガソリン税収を道路特定財源に充てる道路整備費財源特例法改正法案の衆院再議決の予定日も12日に控えている。自公首脳の合意と矛盾する法律を成立させるというのだ。

 自民党の古賀誠氏は「堂々と粛々と再可決する」と選挙結果などどこ吹く風。
 なぜか民主党は腰が引けている。27日のサンデープロジェクトに出席した鳩山幹事長はほとんどガソリン税問題 に言及しなかった。問責決議案が万能とないえないが、その行方も定まらない。メディアも福田政権に対して"好意的"論調を崩していない。国民だけがはしご を外されたように1日からのガソリン再値上げの打撃を食らうことになる。

 なにかおかしくはないか。

 昨夜の敗北後の福田首相と伊吹幹事長とのやりとりが、この政権の不真面目さを象徴している。

 福田「なかなかうまくいかないようですな」
 伊吹「福田さんのせいではないから気にしないでよいです」

 普通の感覚なら選挙の審判を受けた直後に、ガソリン税値上げの再決議などできないはず。国民が自民党に衆院の3分の2の議席を与えたのは、郵貯民営化を断行しようとした小泉さんに対する信任ではないのか。

 衆院の再決議は、昨年11月インド洋に自衛隊艦船を派遣する「テロ対策特別措置法」が失効して、「新テロ特措法」が成立したとき以来である。そのときは日本の国際信義という大義名分があった。

 日本は憲法上、二院制をとっている。参院で否決されるたびに何でも衆院で再議決するのなら、参院はいらない。廃止すればいい。衆院での再議決はそれぐら い重みがあるはず。ガソリン税は国内問題である。軽々に再議決できる問題ではないと思うのに、福田政権は二度も三度も挑戦しようとしている。
4月18日の東京での「奥山真司さんを囲む会」で
飲み会ではなく、真面目に奥山さんの「地政学」の話を聞こうということになりました。
囲む会では参加者全員が10人ずつ集めることで"合意"したものと理解し、
45人入る会場を赤坂で借りました。
会費は経費を差し引き、奥山先生への謝礼とする考えです。
10日前の連絡となりましたが、
一人でも多くの参加者を集めていただくようお願い申し上げます。

テーマ「2008年の地政学」
日時 5月4日(日)午後2時―4時
場所 赤坂オフィスハイツ(港区赤坂4丁目13番5号)
   http://www.theatres.co.jp/office_heights/map/index.html
会費 1人、2000円
幹事 伴、園田
参加希望は mailto:ugg20017@nifty.com
奥山さんのお話の後、飲み会も準備したいと思います。

財団法人国際平和協会会長 伴 武澄

 【奥村真司さんの話】
 テーマは「2008年の地政学」ということですが、
 まあ基本的に(古典・戦略系)地政学の基本的な考え方などを中心に、
 1、最近訳したウォルトとスピークマンの本
 2、アメリカの大戦略の分析
 などを行ってみたいと思います。
 現在は自分の研究であまり時事ネタは得意じゃないのですが、
 成功法則や哲学面などの関連を基本として、色々と語って行きたいと思います。

【地政学を英国で学ぶ】
奥山氏の著書
『米国世界戦略の核心』 翻訳 amazonで購入する
『地政学―アメリカの世界戦略地図』  amazonで購入する
 ガソリン税が問題なのは「道路特定財源」となっていたり、「暫定税率」が長期化していることばかりではない。そもそもガソリン税は"贅沢税"の一つとして、軽油より高い税率が設定された。ガソリン税と軽油取引税の区別も先の二つに劣らず問題なのである。

 ガソリンがリットル当たり53.8円なのに、なぜ軽油は31.1円と安いのか。またガソリン税が基本的に国税で軽油取引税が地方税なのはどうしてなのか。同じ燃料税であるのにこれほどちがっていいのか。だれもこうした疑問に応えてくれない。

 ガソリン税は1949年に創設され、53年に特定財源化された後の56年に軽油取引税が初めて課税された経緯がある。56年といえば、高度成長の入り口にあたる時期。軽油はディーゼルエンジン向けの燃料だったため、ガソリンより低く抑えられた。

 それから50年以上が経ち、日本経済は産業中心から消費者中心に軸足を移したはずである。そうであるのに、税の哲学が50年前のままではどうしようもない。

 特定財源の問題をどうすればいいか。まずはガソリン税と軽油取引税を同じ水準に置くべきだと考えるがどうだろうか。1リットル当たり税率を軽油の 31.1円にまずあわせるのが第一。次いで暫定税率を廃止してそれぞれの税法の「本則」部分を改定するのが第二。税率つまり税収の予想が確定したところ で、特定財源の指定を廃止すればいい。

 自民党は4月から値下げが始まったガソリンの暫定税率について、30日に衆院で再可決する方針を決めた。

 一カ月前、筆者は思った。ガソリン税を再値上げするために自民党が衆院で再可決を強行すれば、世論が騒ぎ出すだろうし、メディアも黙っていない。自民党内でも若手を中心に造反グループが生まれる。そうなれば福田政権は火だるまとなる。
 各種の世論調査では、過半数がガソリンの再値上げに反対の結果が出ているが、いまのところどこからも火の手が上がらない。

 民主党も「再可決」なら首相に対する問責決議案の提出について、意見が分かれているなど腰が定まらない。特に大手メディアでは"混乱回避"的論調が目立つようだ。

 福田首相は、道路特定財源問題に関しては来年度からの一般財源化を目指して与野党で議論すると明言しているが、肝心の税率については"暫定"上乗せ分を維持する方針だし、向こう10年間、59兆円とする道路整備事業費が見直される保証はない。

 ガソリン税の問題はあまりにも多くある。もちろん道路特定財源は大きな問題だが、道路整備計画で将来の予算まで担保してきた制度も「初めに予算ありき」で無駄な公共事業の温床となってきた。

 暫定税率の長期化は税制の基本的部分で非常識が続いてきたのに、これまで国会で争点になったことはなかった。暫定に関連して租税特別措置法で「日切れ法案」扱いとしてきたことも決して小さい問題ではない。

 そもそも、バス・トラック向けの軽油と乗用車向けのガソリンとで税率が大きく違うのも、消費者中心の社会に転換しているはずの今日において許されるべきことではない。

 とりあえず今年度の税収だけは確保してから議論しようというのでは、本格的税議論はできない。燃料税はどうあるべきなのかというところからスタートして、国民に可能な負担を求める議論を始めるべきだと考えるのだが・・・。
 JALも7月から羽田―香港間に週2便の定期チャーター便を飛ばすのだというニュースが最近報じられた。4月からANAがスタートしたばかり。韓国の金浦空港、中国上海の虹橋空港に続いて3カ所目で、「定期チャーター便」という名称はすっかり日本語として定着した。

 安売りチケット市場では、運賃は成田発より高めだが、便利な分、人気である。いいことづくめのようであるが、日本語が滅茶苦茶である。
 チャーターは「船・飛行機・バスなどを借り切ること」である。そもそも「定期便」と正反対の概念であるのに「定期チャーター便」はおかしい。

 また「チャーター便」は誰かが違う人や会社から「借りる」行為である。航空会社が自らの機体をチャーターするという表現は本来ありえない。

 ただ旧運輸省がつくった「国際線は成田、羽田は国内線」という憲法があるかぎり、他の表現はありえない。

 おかしいのはおかしいと知っていて、日本全体として受け入れている点である。直そうともしない。

 成田開港から、30年。建設計画はそのずっと前のことである。東京国際空港の開設の提言は1964年だった。現在の半分以上の日本人は生まれてもいない 大昔である。成田はその初期計画すらまだ完成に到っていないのだから、もはや"計画破綻"といっていい。計画は単についていまさら論じても空しいだけであ る。

 日本の航空を取り巻く環境がまったく変わってしまっているのに、破綻した計画のための憲法だけが生き残っているということである。問題はいつまでもその憲法を振りかざす利権集団が日本を牛耳っていることである。

 口ばかりの改革論者が生き残っている時代である。羽田―金浦便が誕生したとき、とりあえず「定期チャーター便」で行こう」とだれから決めたはずである。臨時・暫定主義者とでも呼びたい。

 1978年 成田に新東京国際空港が開港、羽田は名目上国内線専用の空港となった 
       台湾の中華航空だけは羽田に残った。中国民航が発着する成田で「青天白日旗」が
       翻らないための措置である。
 2002年 早朝深夜枠を利用したグアムやアジア各国へのチャーター便の運行が始まる。
       成田のB滑走路の供用開始で、中華航空とエバエアーは成田発着となる。
       サッカーワールドカップ日韓大会で、羽田―金浦チャーター便が発着。
 2003年 羽田―金浦に「定期チャーター便」航路が開設された。
 2007年 羽田―虹橋でも「定期チャーター便」航路が開設。
 今年のサクラにふたつの異変があった。一つは北海道の開花が4月にあったこと。去年より2週間も早い。20度 以上の気温が続いたせいなのだそうだ。もう一つは鹿児島の開花が遅れたこと。冬の寒さが足りなかったそうなのだ。植物の発芽や開花に冬の寒さが不可欠だと いう話は聞いたことがある。

 列島の北端と南端での異変である。片や早まり、片や遅れた。どういうことなのだろうか。温暖化の一言で片付けられることなのだろうか。
 地球温暖化の議論は20年前ごろから始まった。外務省でパリ・サミットを担当していた。サミットの議題として環境問題が取り上げられることは日経新聞の一面で知ることになる。つまり、抜かれたのだ。当時、「環境」という言葉自体が耳慣れなかった。

 ドイツ、シュツットガルトの森が隣国クラコフ発電所からの酸性雨で枯れてしまった。温暖化で水位が上がるとオランダが沈没する。そんなことからドイツやオランダで環境派の政党(みどりの党)が生まれ、議会で無視できない勢力に浮上している。

 そんな説明を聞いたがどうも腑に落ちない。温暖化という言葉はもっと違和感があった。それまで聞き知っていたのは反対の地球が冷え込んでいるという話だったからである。「どうして急に反対になるの」という疑問はいまも解けない。

 そのままサミットに入り、環境問題を放置すると経済成長を阻害しかねないという観点から環境問題への対応が必要とする項目がサミット合意に盛り込まれた。途上国は先進国が享受してきた経済成長の結果であって、その責任を途上国にまでとらせるのかなどと一斉に反発した。

 約10年たった1997年12月、京都で第3回気候変動枠組条約締約国会議(地球温暖化防止京都会議、COP3)という会議が開かれ、温暖化防止のため の二酸化炭素削減目標が国ごとに定められた。いわゆる京都議定書である。その後、環境という言葉はあっという間にそれこそ地球規模で拡散し、政治用語とし てもいまや小学生でも知るところとなった。

 そうなのだ。環境を語らない議員はたぶん選挙にも通らない。これは先進国だけでなく、途上国でも同じである。

 環境という言葉には魔術がある。この言葉には反対できない大きな要素があるからだ。環境が悪いのではないが、地球規模で同じ標語を掲げる傾向にはついて行けない。そんな思いがずっと続いている。
 13日、伊豆の下田市で「伊豆龍馬会」が誕生した。全国で121番目ということらしい。縁があって発足会に出席した。

 伊豆龍馬会が注目されるのは、文久3年1月15日に、この地で土佐藩主の山内容堂公と幕府軍艦並の勝海舟が会談し、龍馬の脱藩が許されたと歴史に記憶されているからである。

 龍馬はその前の年3月に脱藩し、勝海舟の門下生となっている。歴史的な薩長同盟を成功させたのは3年後の話であるから、龍馬はまだ無名の存在だった。し かし、晴れて行動の自由を得て、維新回天の大事業に突き進む端緒となったことは確か。伊豆龍馬会は「龍馬、飛翔の地」として下田を売り出そうというわけ だ。
 そもそも、こんなところでなぜ?という疑問があって当然だが、歴史的会談は偶然の産物だった。容堂公を乗せた 大鵬丸が江戸から上方に向かう途中、遠州灘で嵐に遭い下田で風よけをしていた。一方の勝を乗せた幕府の軍艦、順動丸もまた風雨を避けて下田に入った。嵐が なければ、伊豆半島沖で互いにすれ違っていたはずだったが、運命のいたずらが二人を下田に引き寄せたのだった。

 宝福寺に宿をとった容堂公は幕府軍艦の入港を知り、使いを走らせて勝を寺に招いた。勝は配下の脱藩土佐藩士3人を引き連れて宝福寺に乗り込んだ。京都の情勢など意見交換が一通り終わった後、勝が切り出した。

「坂本龍馬ら土佐の脱藩藩士を赦して、私にまかせてほしい」
 容堂公はむっときたが
「まぁ、一杯いこうか」
と大きな杯に酒を注いだ。

 容堂公は「鯨海酔侯」と自ら名乗るだけあって大酒飲み。勝が下戸であるのを知った上のことだった。勝が一気にその杯を飲み干したのを見て、上機嫌となった容堂公は龍馬らの赦免を約束した。

 土佐藩主にとって龍馬ら郷士の処遇など些末なことだったが、勝にとってはかけがえのない門弟であった。勝は酔った上での話とされないようさらに証拠となるものを求めた。

 容堂公は墨と筆を取り寄せ、扇子に「歳酔三百六十回」と書いて、「鯨海酔侯」」と署名した。この経緯は土佐藩の記録にも残っている。2月に正式に脱藩の罪はとかれた。

 その時、下田に龍馬がいたかどうか、龍馬研究では一つの論争になっているが、13日の発会式で会長となった宝福寺の竹岡幸徳住職があいさつの中で新しい"事実"を披露した。

「両雄が下田で会った時、寺の住職をしていたのは祖祖父の竹岡了尊(りょうけん)でして、龍馬は同じ順動丸に乗っていて、町の住吉楼で勝海舟からの吉報を待っていたと話していたというのです」

 下田は和親条約によって開港され、アメリカのハリスが最初に領事館を置いた地。その妾として唐人お吉がかいがいしく世話をしたことで知られる。維新史の中で「龍馬、飛翔の地」としても今後、評判を高めていくことになるのだろうと思う。歴史を知る楽しい一日だった。
 日本のお寺で一番古い飛鳥寺の本尊、飛鳥大仏(金銅丈六釈迦如来像)の開眼1400年を記念した供養が8日行われた。

 飛鳥大仏 歴史見つめ1400年-飛鳥寺で慶讃法要 【奈良新聞】
 
 興福寺博物館にある旧山田寺講堂本尊の「興福寺仏頭」と ともに、日本最古の仏像に属する。筆者が初めて一人旅して拝んだ仏像としてその後も折りに触れて何度も尊顔を拝してきた。

 1400年前ということは、飛鳥寺が創建されたのは西暦609年ということになる。4月8日に開眼供養があったとされる。推古天皇の時代、604 年。まだ朝廷に年号はなかったから、推古17年。前年に聖徳太子が摂政となり、十七カ条の憲法が制定され、607年には小野妹子が遣隋使として派遣され た。日本国家の黎明期である。新しい国家づくりに仏教の教えが積極的に導入された時代でもある。
 飛鳥。白鳳の仏像は威厳のある奈良時代の仏像と違って、どれも童顔である。技術的に荒削りだった時代でもあり、なんとも親しみがある。ヘレニズムの流れを受けた穏やかな笑みを浮かべたアルカイックスマイルがなんとも言えない。

 この時代、仏像といえば青銅や金銅などで鋳造された。木造が主流となるのはずっと後のことである。日本で銅はまだ採掘されていなかったから、銅そのものも舶来品で、はるばる朝鮮半島から運ばれたはずである。貴重な素材でつくられた仏像はそれこそ大事にされたに違いない。

 飛鳥大仏は大仏とはいっても、東大寺や鎌倉の大仏のように巨大ではない。小さな堂内にすっぽりおさまる丈六(2・75m)。渡来人の仏師、鞍作鳥(くら つくりのとり)の作と伝えられる。明治の言葉で言えば「お雇い外国人」となるのだろうが、国の枠組み意識が希薄だった時代でもあるからが、百済や新羅は現 在でいう"外国"ではなかったもかもしれない。

 それにしても1400年は長い。源氏物語も古いがそれよりさらに400年前。いまから400年前といえば、徳川家康が幕府を開いた直後のことである。そんなことを考えると、簡単に1400年などとは言えない。

 筆者が最初に訪れたのはたった36年前のことだが、日本はまだまだのんびりしていた。飛鳥寺からたんぼの中の入鹿首塚に出ると、れんげの花じゅうたんが一面に広がっていた。

 ずっと同じ場所に、同じ飛鳥の大仏が座している。それだけで偉大なことではないか。

白旗桜と孫文

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 先週末の昼下がり、文京区の白山神社を訪ねた。白旗桜があると、佐藤俊樹著『桜が創った日本』にあり、ぜひとも満開のとき、自分の目で確かめたかった。

 源氏の棟梁、義家が奥州に向かう途上、白山神社の前でサクラ木を見つけ、源氏の白旗をたてかけて、この地から岩清水八幡宮に戦勝を祈願した。そんな伝説から神社前のサクラ木を白旗桜と呼ぶようになったという。
 現在の白山神社は都営地下鉄「白山駅」を降りてすぐのところにある。昔は奥州街道沿いにあったものだろう。境内には2本の白旗桜が満開だった。サクラの種類はオオシマザクラ。白い花びらに白旗をかけたものだろう。ソメイヨシノばかりの東京にあって一味違う趣きがいい。

 サクラはサクラとしてよかったのだが、実はもっとおもしろい発見をした。

 白山神社の入り口に孫文の碑を発見したのだ。

 なぜ、ここに孫文の碑があるのか。社務所のベルを押した。おかみさんと思われる人が出てきて、なるほどそうだったのか合点した。

 昭和43年度の総代会で総代の中から、「孫文と宮崎滔天の腰掛けた石がある」との話が持ち上がり、翌年、滔天の子息宮崎龍介氏を招いて話を聞いたところ次のような話があったのだそうだ。

「明治43年5月中旬の一夜、孫文は滔天とともに境内の石に腰掛けながら中国の将来、その経綸について幾多の抱負を語り合った。そのとき、夜空に光芒を放つ一條の流星を見て、この時、祖国の革命に心に誓った」

 残念ながらまだ読んではいないが、宮崎滔天全集の中に、孫文は白山神社に近い小石川原町の滔天宅に寄寓していたと書かれている。孫文が滔天と知り合った のは1897年(明治30年)のことだがら、二人は肝胆合い照らす仲だった。孫文が1905年に興中会、光復会、華興会を糾合して中国同盟会を結成したの も東京だった。明治43年は辛亥革命の前の年にあたる。

 奥州の豪族、安倍頼時(頼良)を征伐したとされる「前九年の役」で戦勝を祈願した義家、そして革命を誓った孫文。

 同じ白旗桜の木の下での出来事だったのである。

 由緒
昭和四十三年度総代会に於ける宮総代秋本平十郎及浦部武夫両氏の談話の中に白山神社境内には中国の政治家孫文先生と宮崎滔天寅蔵氏の腰掛けられた石がある との御話がありました依而昭和四十四年度の総代会に故滔天氏の御子息宮崎龍介氏を御招きし其の当時の事をお伺ひ致した処明治四十三年五月中旬の一夜、孫文 先生は滔天氏と共に境内の此の石に腰掛けながら中国の将来及其の経綸について幾多の抱負を語り合わされて居た折たまたま夜空に光芒を放つ一條の流星を見ら れ此の時祖国の革命を心に誓われたと言ふお話をなされました
宮崎滔天全集の中に孫文先生は当神社に程近ひ小石川原町の滔天氏宅に寄寓せられて居た事が記るされております此の歴史上の事実と当社との因縁を後世に伝う べく兼ねてより総代会にて屡々議題に上りましたが此の度宮総代酒井瀧蔵氏の御発案を契機として神社総代各町会総代有志の心からの賛同の結果、此の腰掛石の 記念碑建立の運びと成り之を永代史跡として残す事に成った次第であります。
昭和五十八年六月一日
白山神社 宮司 清水司
2008年04月01日(火)
萬晩報通信員 成田 好三
 内閣総理大臣の記者会見、少なくとも重要事項に関する緊急記者会見は、NHKが万難を排してでも地上波で生中継する。それが、総務省の監督下にある特殊法人であり、国会に予算承認権を握られているNHKと、政府・首相官邸との不文律の了解事項だった。

 しかし、この不文律の了解事項がついに、NHKによってほごにされる時が来た。3月31日午後6時から始まった、福田康夫首相のガソリン税の暫定税率失効の関するお詫びの記者会見である。

 筆者はたまたま自宅にいて、午後6時からのNHKニュースを見ていた。番組の冒頭で、アナウンサーは首相の会見が6時から始まったと伝えたが、それだけ である。後は、ガソリン税の暫定税率の時間切れ失効に関する国会の動きと、街のガソリンスタンドが困惑する状況を伝えていた。

 NHKは最初10分間の全国枠でもその後の関東枠でも、首相会見を中継しないばかりか、会見の中身にも触れなかった。

 一方、チャンネルを民放に回してみると、面白い現象を確認できた。他の民放各局のニュースは、首相会見をまったく無視していたのに対して、自民党が毛嫌いするテレビ朝日だけが、生中継のテロップ入りで首相会見を流していた。しかし、それも数十秒間だけだった。

 福田首相は27日午後4時の会見以来、それまでのメディアなど相手にせずの態度を一変させ、やたらとインタビューに応じたり、テレビ出演したりしてい た。その圧巻が、30日午後5時から1時間枠で放送された、NHKの「総理に聞く」である。恐らく官邸サイドが指名した、最も「安全パイ」である解説委 員、山本孝氏を相手に、福田首相はあれこれとガソリン税に関する見解を語っていたが、新味のある内容ではなかった。

 とても全部を聞く気にはなれない。前半の30分は我慢して聞いていたが、家人の圧力もあって、後半の30分は、日本テレビの「笑点」にチャンネルを切り替えてしまった。

 NHKが31日の記者会見を生中継しなかった理由は、分かりすぎるほど分かる。事前取材で、会見に新味がないことは承知のことである。しかも、前日には、日曜日の夕方、1時間にもわたって、首相のいわば弁明に貴重な全国枠を提供している。

 しかもである。NHKだけでなく、今年の3月31日は、日本のTV局にとっては新年度のスタートの日である。週単位で番組を編成するTV局にとっては、この日は新番組がスタートする日である。中身の期待できない首相会見になど付き合ってはいられない。

 NHKが31日の会見を生中継しなかったことには、もうひとつ重要な伏線がある。安倍晋三首相時代に政府から送り込まれた、古森重隆経営委員長が3月11日の委員会で、NHKにとっては許し難い圧力をかけていたのである。

 NHKのホームページに掲載されている経営委員会の議事録によると、古森氏はこの日、NHKに対して、国際放送に関して「国益放送」をしろと強い圧力をかけている。

 この議事録はとても面白い。特に古森氏と今井義典副会長、多賀谷一照委員長職務代行者とのやりとりは、一読の価値がる。興味のある方はぜひとも読んでください。以下が、NHK経営委員会のこの日の議事録が掲載されているNHKホームページのアドレスです。

 http://www.nhk.or.jp/keiei-iinkai/giji/giji_new.html
 
 NHKは総務省の監督下にある特殊法人だが、国が金を出して運営する「国営放送」ではない。古森氏は国営放送と公共放送をごっちゃにして考えている御仁のようである。

 一連の不祥事により国民の信頼を著しく失墜させたNHKはその後、政府・自民党の圧力に屈し、平身低頭の様を余儀なくされてきた。しかし、古森氏の理不 尽な圧力は、NHKの報道機関としてのプライドをズタズタに引き裂きさいただけでなく、NHKの我慢の限度を超えるものだった。

 NHKがお手本とする英国の公共放送・BBCならば、直ちにこの件に関する検証番組の制作に立ち上がるところだろうが、それができないのもNHKの現実である。

 福田政権は、もはや風前の灯である。自民・公明の連立政権もこの先どうなるか分からない。政府から送り込まれた経営委員長は、理不尽な要求をする。NHKが首相と官邸、自民党とある一定の距離を取ろうと考えるのは、組織防衛反応としてみれば、当然のことであろう。

 福田首相はとうとうNHKにさえ見捨てられてしまった。(2008年4月1日記)

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