2007年5月アーカイブ

2007年05月30日(水)
Nakano Associates シンクタンカー 中野 有
 先月、ワシントンのブルッキングス研究所で開催された中国シンポジウムに参加して、何故か3つのことだけが鮮明に記憶に留まった。

 第一は、ポスト・フージンタオ(コキントウ)の後にどのフー(誰)が来るかとの問題提起で、必ず法律の学位を持ったリーダーになるとのことであった。現 在の中国のリーダーは、エンジニアの学位を持った人物が主流である。ところが、次期のリーダーと予測される何人かの人物は、博士号などの高学歴者である。 彼らは、mid-term careerで、学位を取得しており、ほとんどの場合が自動的に法律・政治関係となるので、法律を知らなくても学位は、法律となるとの話であった。哲学を 勉強してなくても学位はPhDとなるのと同じ論理らしい。

 第二は、中国は非常に雄大で奥が深いとの視点である。基調講演者のSidney Rittenburg氏は、64年間ずっと中国を研究し、遂にあと、1・2年で初歩的な学校を卒業できるようだと語っている。具体的には、中国の歴史、思 想、人民、経済、外交、安全保障のどれをとっても長期的であり、深遠であり、21世紀は、その中国のビジョンが、グローバル社会に大きな影響を与えつつあ ると考えられる。

 第三は、毛沢東の魅力である。毛沢東は、複雑な問題を詩のようなシンプルなフレーズで伝え聴かせる能力に長けており、国民の熱狂的な支持を確かなものに した。毛沢東と比較すると、現在の中国は官僚的であり、人民を魅了する強烈な個性のあるスピーチは聞かれなくなったとの話があった。

 終日のシンポジウムに出て、この3つしか印象的な中国思考を学ぶことができなかったのだが、たぶんこれらは、今後の中国を考察するに実に重要な要素を含んでいると思われる。

とりわけ、毛沢東のプレゼンテーションの能力を我々アジア民は、再考する必要がある。毛沢東の実践論や矛盾論を読み、思想・哲学よりむしろ、そのシンプルさに感銘を受けた。そこにはいかにも中国的な魅力が漂っている。

 アメリカ的なプレゼンでなく、アジア的なプレゼンは、世界を燃え立たせる魅力を秘めていると思う。アジア的なプレゼントは、複雑な問題を詩や俳句のよう に情緒的に語る能力だと思う。闘争争いのためのプレゼンでなく、地球環境問題など地球益につながるアジア的なプレゼン能力を養うことは非常に大切だと思 う。

 毛沢東とオペラが好きの日本の前首相の共通項は、ワンフレーズで時勢を語り伝える能力だと考えられないだろうか。原稿を棒読みするのでなく、複雑な外 交・安保・国際経済などの問題をできる限りシンプルにそして余韻のある講演を行うことが重要だと考えられる。特に、軍事というハードパワーで世界の平和を 構築することができぬ日本には、その能力が期待されている。

 http://mews.halfmoon.jp/nakano/
 中野さんにメール nakanoassociate@yahoo.co.jp
2007年05月20日(日)
早稲田大学アジア太平洋研究センター特別研究員 文 彬
  1987年「......鹿頂山から太湖を望めば心の中まで広くなる」と歌う尾形大作の最大のヒット曲である「無錫旅情」によって日本人の間でも知名度が高くなっ た無錫だが、その地名の由来について聞かれることが多い。無錫は太湖の北辺に面する都会で古く周代より城が築かれ、本来錫を多く産出していた時期があり、 土地の名も「有錫」という名の鉱工業都市であった。しかし長年にわたって掘り過ぎたため、漢の時代(1世紀)になると錫が無くなり、町の名前も「無錫」に 変わったという。今も名ばかりの錫山が残っている。

 無錫は東の大都会上海から128km、西の省都南京から183kmの距離に位置し、人口は約450万人。上海からは鉄道もあるが、浦東国際空港に降り 立った場合、空港から上海駅までのアクセスを考えれば上海~南京間の滬寧(こねい)高速公路を利用する方が便利だと出発前に現地企業の日本駐在員に勧めら れた。4月5日浦東国際空港を出てすぐに事前に予約しておいた旅行社の車に乗り込み無錫へ向かった。この日は24節気の清明(春爛漫、転地万物清新の気が 充満する日)に当たり天気晴朗、中国では墓参りの日でもあったが、時間も正午過ぎだったためか、友人がから警告を受けていた渋滞は特になかった。

 滬寧高速は片道4車線で渋滞もなく道路の舗装状態も極めて良い。制限速度は120kmだから高速道路での走行時間は1時間程度で快適だったが、浦東から 高速に乗り入れるまでは1時間20分もかかった。ただ高速の入り口は主に国内線専用の上海虹橋空港に近いので、すでに日中首脳会談で合意された羽田~虹橋 間の国際シャトル便が就航すれば、無錫へのアクセスに起因するストレスはかなり緩和されるはずである。

 無錫は2004年に科学技術省が認定した国家火炬計画(注1)としてのソフトウエア産業基地である。国家レベルのソフトウエアパークの中でも認定が遅い 方だが、無錫は同時に国家ICデザイン産業化基地(全国7か所)と国家アニメーション・ゲーム産業基地(全国15か所)でもある。2010年までにはIT 関連の企業は300社に、そしてBPOに従事する技術者の数は5万人に達する計画だから、オフショアリング先進都市大連の現在のそれに匹敵する数字でな る。

 《フォーブス》誌の記事によると、インド大手アウトソーサーのインフォシステクノロジーズは2006年1年間で従業員数が2万8500人も増えたとい う。2007年2月末訪印した際、従業員数は6万6000人と聞いた。しかし3月1日現在すでに7万7000人を超えたという報道もあり、通常には考えら れない驚異的な成長振りである。中国はインドと比べると総じて会社が小さく採用人数は少ないものの、採用倍率ではそれ以上に急速で大きい企業もある。

 無錫でもこのように企業の急成長が続くアウトソーサーに出会った。2003年に15人でスタートしたH社は現在550人まで大きくなったが、年内に1000人の大台に乗せたいと創業者兼CEO のW氏が目標を語った。

 私は特にこの会社の人材採用方針に新鮮感を覚えると同時に納得していることがある。W氏は当社は一流大学のエリートではなく、地方大学出身でまじめに勉 強していた新卒者を積極的に採ると言っている。多くの中国系企業は日本のお客さんにアピールする材料として、それまで採用してきた一流大学卒の従業員数を ことさらに見せびらかしているのに対し、W氏の考え方は非常に現実的でかつ実用的だと思っている。H社は業界の中でも離職率が非常に低いという市政府幹部 の評価を聞いてその理由はこの採用方針にもあるのではないかと思っている。

 特にオフショア開発で多いアプリケーションシステム開発の現場では、いわゆる頭脳優秀なエリートも必要ではあるが、単純な重複作業も厭わない勤勉で従順 な技術者がもっと多く必要とされている。日本の大手電機メーカーのシステム部門で6年間実戦での経験を積んできたW氏は人材を活かすための要諦を的確に掴 んでいるに違いない。

 翌朝。南京への出発時刻まで少し時間があったため通勤ラッシュで超満員の市営バスに乗り込んで太湖へ向かった。予定外の行動だったものの、戦国時代(紀 元前5世紀)「商聖」(ビジネスの神様)とも言われる范蠡(はんれい)が隠遁後、傾国の美女「西施(せいし)」と船を浮かべたという漁父島と范蠡の名に因 んだ江南式名園「蠡園」を訪ねることが出来て満足だった。無錫は風景絶佳、観光地としても見るべきところが多い町である。

 注1:「火炬(たいまつ)計画」とは、88年8月にスタートしたハイテクの産業化推進を目的とする国家プロジェクトである。主な分野は新素材、バイオ、 電子・情報、光・機械・電子一体化、新エネルギー、高効率省エネ、環境保全など。「火炬計画」の国策プロジェクトとして、88年北京の「中関村」が中国初 のハイテク産業開発区と認定されて以来、全国53の国家級ハイテク開発区がオープンし、およそ3万社のIT、バイオなどのハイテク企業が入園し、約300 万の人たちが働いている。現在、毎年1000項目以上の国家級たいまつ計画が発表されている。(《新語・流行語から中国の「今」を見る!》より)

 文さんにメール bun008@hotmail.com
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早稲田大学アジア太平洋研究センター日中ビジネス推進フォーラム
http://www.wjcf.net/
 甘利明経済産業相は29日の閣議後の記者会見で、電気用品安全法(電安法)の基準に適合したことを示す「PSEマーク」なしで中古家電を販売できるように制度を見直すことをあきらかにした。

 昨年3月、「PSEマーク」なしで中古家電が販売できないことが分かり、大騒ぎになった。経産省は4月以降、法律の弾力運用で「PSEマーク」なしの中古家電販売を認めてきたが、経産省としてようやく"非"を認めたことになる。

 問題はなぜ、昨年の時点で制度見直しに踏み切れなかったかだ。役人のプライドもあっただろうが、自民党も自民党だ。役人がおかしなことをしようとした時に、政権政党であってもストップをかける厳しさが必要だ。

 電気用品安全法(PSE法)は「漏電・火災・感電などの事故防止と粗悪品を排除してきちんとした電源部品で運用管理する」という目的で2001年4月1 日に施行された。いわば家電製品の「車検」のようなものである。車検のように2年ごとの検査はないが、PSEマークのない家電製品は出荷できないのであ る。

 問題は、この法律の規制対象である。「電源コード「ヒューズ」「ソケット」「スイッチ」「変圧器」「電熱器」の類の安全性に限定されていて、決して家電製品の品質保証ではないのである。

 PSE法は時代錯誤の法律である。

 PSEマークの認定機関は経産省の外郭団体である財団法人電気安全環境研究所(JET)である。1963年にスタートした財団法人日本電気協会電気用品試験所が97年に改組された外郭団体である。試験に合格した製品に〒マークを表示していたのである。

 まだ日本の家電製品は安かろう悪かろうの時代に、旧通産省の外郭団体が安全性の認定を行っていたのは仕方のないことだった。その後、この〒マークは政府 の許可が必要な「甲種 」と企業が安全性を自己確認すればいい「乙種」に分けられ、1995年にはほとんどの家電製品が「乙種」になり、乙種マークも廃止となったという経緯が あった。(代わりにSマークが登場したが任意の制度)

 PSE法がいかがわしいのは、ほとんど規制から事後規制に変わり、任意となった「甲種」と「乙種」マークの義務づけを復活させたことだ。現PSE法に よって「中古家電製品が店舗販売できなくなる」というのもナンセンスな話なのである。そもそも過去の日本の家電製品には「旧電気用品取締法」に基づいた 「甲種」「乙種」マークが付いているのである。家にある家電製品の裏をご覧になるといい。乙種であっても一応、国家の認証を経ているのである。その過去の 認証を否定するような法律はどう考えてもおかしい。見直しではなく即刻廃止すべきなのだ。(紫竹庵人)

 国の文化審議会(石沢良昭会長)は18日、宇和島市遊子の「遊子水荷浦の段畑」(約8・3ヘクタール)を重要文化的景観に選定するよう伊吹文明文部科学相に答申した。8月にも官報告示される見通し。選定は中四国以西では初めてで、全国で3例目。


 段畑は、宇和海に面した標高65―95メートルの半島で、平均こう配約40度の斜面に石を積み、幅約1メートルの畑が幾重にもなっている。近世、近代を通じて、サツマイモやジャガイモ、桑などが栽培され、現在は28世帯が約4ヘクタールで耕作している。


 4年前、友人からよくできた文章があるから読んでほしいとメールがあった。早稲田大学の学生だった藤田圭子さんが書いたレポートだった。「宇和島・遊子 に残したい漁業中心の生活」と題したそのレポートは生まれた故郷の遊子の風景や歴史を紹介してあった。、みずみずしい文体に思わず引き込まれた。


 藤田さんには何度も会った。いまは愛媛新聞の記者をしている。その遊子の談畑が「国の重要文化的景観」に選定されるとくのだから我がことのようにうれしい。そのレポートの一部を紹介したい。(紫竹庵人)


宇和島・遊子に残したい漁業中心の生活

       2003年04月03日(木) 早大政経学部 藤田 圭子


 愛媛県の宇和島市に遊子(ゆす)があります。

 ここは、今でも残る段々畑と海のコントラストが美しく、漁業の盛んなところです。そして私が大学に進学するまで18年間育った場所でもあります。 漁業に頼るここでの生活に最近では陰りが見え初めています。しかし、段々畑の保存活動が盛んに行われるようになった今、保存活動が生活の元気の元になりは しないかと期待しています。段々畑での生産が決して利益を生むものではないことを承知した上ですが・・・

 今から書こうとしている漁業を中心とした遊子の生活は、教養ゼミの論文として書いたものをまとめたものです。

 現在、地方の生活は厳しいものとなってきており遊子の生活も例に漏れません。そんな中で漁協の再建活動を中心とした村作りを調べることで、今に通じるアドバイスがないか?これが、論文を書こうと思ったキッカケです。

 私には「地方、いえ地域で生活することには都会では味わえない素晴らしさがある」という思いがあります。しかし、地域の過疎化は速度を速め、地域 文化の崩壊は急速に進んでいるという現状が確実に存在します。そんな中で警鐘を鳴らす者は数少ないのです。利便性を追い求めるが故、人は地域を捨てコミュ ニティーを捨てていきます。

 自分が生まれ育った地域に愛着と誇りを持っている人はいったいどれくらいいるのでしょう。「地域の良さを伝えたい」「でもどう伝えよう」自問自答の日々です。

2007年05月19日(土)
京都葵の会  世話人
 生育観察地点 京都市北区西賀茂
            京都市上京区堀川寺之内 (気温 ―2~38度)
        
 春先 暖かだと2月頃より新芽が出始めます、一年中で此の時が一番感動の時、スゴイ喜びの瞬間を味わえます。昨年の株の数と比べて如何ですか? 3~5倍に二葉が増えていませんか? そうです葵の株は葉が枯れた秋から冬の間も地下茎、地上茎ともにどんどん成長しています。

 花は全ての株に着くとは限りませんが、二葉の分かれ目に釣鐘型でピンク色の1cm位のものが咲きます。

 気温が17~8度以下の頃までは、お日様をたっぷり浴びせてください。日差しを肌に感じ始めたら朝日だけにしたほうが葉も痛みません。 室内に置く時は 陽の入る所に、室内ばかりに置いておくと段々と弱って来るので、時々は健康の為に2~3日戸外に出しましょう。

 春~梅雨 気温が22~23度を超える頃になると、葉と花の数や大きさが安定します。直射日光は絶対に避けましょう。葵は日陰を好むと考えて頂く時期です。日差しの強い地域だと戸外では簾など日除けの工夫を始めて下さい。

 5月15日は上賀茂の葵祭りで、沿道のお宅では葵の鉢を玄関に出し祝っています。私の店でも葵祭りの頃まで玄関の陽の当たらない所を選んで置き、道行く皆さんにも楽しんでもらっています。

葵は雨降りも好むようですが、何日も雨が続くと鉢植えの場合根腐れす るので土の具合を見て軒下に非難させる事を忘れないで下さい。 また濡れた葉は直射日光にも弱いです。

 初夏~夏 最近は初夏と言う季節が無いようですね。京都の夏はとても暑く我が家では建物の影に移しさらに簾を掛けています、そうしないと秋まで葉は持たないのです。

 お日様に当たる地植えの所は早くも葉が無くなり姿を消しますがご心配なく。翌年もっと沢山の二葉が出てきます。3~4日の旅行も大丈夫ですよ。

 晩夏~初秋 葉は段々と枯れてしまい寂しくなって来ますが、まだまだ元気な株もあり日陰で適度な水遣りを忘れずに。根腐れの元ですので簾も取りましょう。

 秋~冬 もう葵は枯れて終わったと誰もが思う頃です。 でも諦めないで!これからが株の成長の時です。必ず日向に出しましょう。軒の外に出すと夜露で適度な保水があり、水やりが時々で済みます。そして楽しみな春を待ちましょう。

 一年中室内では葉も小さくなり花も着かなく成りますので、出来る限り戸外での生育をお勧めします。

 株分け ポットからは必ず移し替えて下さいね。鉢植えの場合は最低でも直径15~20cm深さ10~15cm位の鉢に。土は普通の園芸用で良いと思いますが、固くならない保水のある物で置肥も。1~2年で土を替え株分けもすると元気です。

 我が家では鉢は直径30~40㎝深さ15~25㎝、土は園芸用、鹿沼、赤玉、腐葉土、山野草、その時家に有る土をブレンドします。葵の根は白い髭のような部分ですが地上茎も埋めてしまう方が安定しますよ。 

 水遣り 気温により異なりますが、目安として・・・
   冬     日向で 週1回
   春先    日向で 1~2回
   春~晩夏 日陰で 3~7回
   初秋~晩秋 日向で 2~3回 程度   
   水のやり過ぎは特に注意してください。

 地植え 環境が合えばお勧め。 直射日光が当たらない日陰が良い。 風通しが有り明るい日陰、難しいですかね?

 森の中をイメージして下さい。秋から春先までは柔らかなお日様が射し、夏の間は木々に包まれた木漏れ日の森を、葵の葉も落葉と共に落ちて行きます。 自然の中で育てる感覚で。

 昔、二葉葵は上賀茂の境内に緑の絨毯を敷き詰めたようにキラキラと光り輝いていたそうです。5月15日の葵祭。この日は沢山の人に葵を見て貰いましょう。
 筆者も津支局長時代、中古車を買って乗っていたが、5月末の自動車税の納税というのは手元不如意のときがあって困ったことがある。これに車検が重なるマイカー保有者も少なくないはずだ。多分、多くのサラリーマンは同じ悩みを抱えていることだろうと思う。

 5月末にクレジットカードで自動車税を支払えば、実際の引き落としは7月以降となるため、"ボーナス払い"が可能となるのだ。都道府県はカード手数料を取られて少しばかり減収になるが、不払いは圧倒的に減るだろう。ATMの24時間無料化も地方からスタートした。今回も九州からのアイデアである。

 ネットで自動車税納付 県がサービス開始【宮崎日日新聞】
 滞納防止の切り札 自動車税カード払いで 北海道が検討【北海道新聞】

2007年05月10日(木)
Nakano Associates シンクタンカー 中野 有
 日米の両方のシンクタンクに勤務しながら、大きな落差を感じる。そのギャップの本質は、個人に力点を置くか組織を重んずるかに起因するように思われる。本当に日本人はもともと組織を好むのだろうか。ふと次のような疑問が湧いてきた。

 日米のスポーツの特徴から考える

 日本には、古くから伝わるスポーツに組織を重んじるスポーツはほとんど存在しないのに、欧米のスポーツは団体や組織が主流である。剣道、柔道、空手、相 撲など日本の伝統的なスポーツは、個人技を中心にしている。一方、欧米のラグビー、サッカー、野球などは団体・組織のスポーツである。

 ところが、ラグビーを例に取ると「One for All,All for One」という標語を思い出す。日本では組織のために個人があるという考えが強いが、欧米では個人のために組織がある、という考え方が優勢だ。後者の 「All for One」に力点を置いている。

 アメリカで、イチロー、松井、ダイスケなどが大リーグで生き生きとプレーしている姿に接し、明らかに大リーグは、個人の能力を自由に発揮できる環境を提 供しているように感じる。しかし、日本のプロ野球は、勝利のために組織やチームプレーが重んじられ、個人が萎縮しているように思われてならない。

 シンクタンクはペンタゴンである

 ブルッキングス研究所はロバート・ブルッキングスが90年前に設立した世界で最も古く権威のある研究所の一つである。同研究所に勤務したとき教わったのが、「Think, Learn, Lead」という3つの言葉だった。それは、Think(感性で考え)、Learn (理性で学び)、Lead(積極的に世の中に問いかける)である。加えて、Independent Research Shaping the Future (独立した研究で将来の構想を描く)との標語が大会議室の正面に掲げられている。

 ブルッキングス研究所で活動しながら、ふと興味深いことに気がついた。それは、シンクタンクの役割である。日本の社会構造は、政界、財界、官僚機構の鉄 の三角形(トライアングル)で成り立っている。そして新聞、テレビ、書籍、インターネットのメディアの勢力が力を増し、4角形(スクエア)になり、これに アカデミズム、市民団体、NPO,NGO,宗教団体、医者、弁護士などのプロフェッショナルな集団を入れると、5角形(ペンタゴン)や6角形になるとも考 えられる。

 日本ではいまだにシンクタンクは機能していないようだが、アメリカのシンクタンクは、独特な役割を演じている。例えば、ワシントンの著名なシンクタンク の研究員は、政治、官僚、財界、メディア、大学、弁護士、宗教団体、国際NGOなどあらゆる経験をし、それらの世界に精通している人物が多い。いわゆる" 専門馬鹿"ではない。しかし日本の社会でこれらを経験するのは、余程のチャンスに恵まれるか、"異端児"でなければ不可能である。

 世の中を動かすシンクタンク

 政・官・財・メディア・学・市民などのペンタゴンの構図の中心に入り、その調整機能を果すのがシンクタンクの醍醐味であるように思う。
 メディアとは、「真実・うわさ・嘘」の3つしか伝えない。真実をうわさや嘘に変貌させさり、うわさや嘘を真実に変えたりするのも、シンクタンクの力であるように思う。

 日本人のDNAに反する日本型会社組織 

 スポーツから日本の社会に目を向けてみると、日本の会社組織は、世界に稀なほど組織を重んじる社会だと思う。終身雇用や年功序列などは、組織の一員とし て、One for Allとして勤務するのには良いが、組織やチームワークを乱す、革新的、創造的な行動や新構想は排除される。

 日本社会は、農耕社会や村社会に見られるような組織社会だという考え方もある。しかし、日本の伝統的スポーツが個人中心であることを見れば、必ずしも日本人が組織社会に満足しているとは考えられない。
 
 農耕社会が始まり数千年もたっているが、それ以前の何万年前の時代は狩猟時代であり、また、日本人には蒙古斑が存在することから、我々の先祖は、ユーラ シア大陸を遥か太平洋の彼方まで移動してきた民族であり、狩猟遊牧民族的なDNAを備えていると考えることができる。

そう考えると、戦後の個人を生かさない組織の構図は、本来の日本人のあるべき姿ではない。もしも仮に、敗戦国日本の宿命として、明治維新から20世紀初頭 にかけて輩出したような人物を生み出さないように教育したアメリカの対日政策が存在していたとするなら、見事にそれは今日にも機能しているように思われ る。
 
 日本に必要な本格的シンクタンク

 新しい国際秩序の構築が想像以上のスピードで進展している中で、日本にも本格的なシンクタンクが必要である。しかし、それが組織に力点を置くものならば、シンクタンクとしては機能しないと思う。
 
 理想は、日本の古来からのスポーツである剣道や柔道などの個人技を重んじながら、大リーグのような個人の能力を十分発揮できる「All for One」のシンクタンクの力量であろう。

 http://mews.halfmoon.jp/nakano/
 友人のフリージャーナリストの宮本惇夫氏から近著である『シャープ 独創の秘密』(実業之日本社)が送られてきた。自慢めいた話になるが、2年ほど前の正月、シャープの三重県亀山市での出来事、つまり液晶事業の急拡大を予想し、「ちまたでは液晶テレビのことを亀山のテレビ」と言い出していることを伝えた。宮本氏が以前、シャープに関する本を書いていたことを思い出して「もう一冊書くべきだ」と薦めた。

 シャープは元々、早川電機といっていたが、その前身は「シャープペンシル」の発明者。家電製造に移行してからは関西家電の御三家の一角を占めていた。とはいうもののガリバー松下、そして三洋電機に次ぐ三番手に甘んじていた。売り上げこそは松下には及ばないものの、液晶事業を中核に「オンリーワン」経営を引っさげた利益率ダントツの企業に成長した。宮本氏の本によれば「世の中にないモノをつくり出す"秘伝のタレ"経営にみそがあるのだそうだ。

 巻末の町田勝彦会長が対談で、太陽電池の発電コストが「3年後には家庭用電力並み」になるとの自信を示していた。新聞記事ではまだ公表されていないすごい見通しだと思うので紹介したい。

「液晶の次は太陽電池と位置づけています。地球に降り注ぐたった一時間の太陽光をエネルギーに変換したとすると、地球上の人間が一年間に使うエネルギーをすべて賄うことができます。こんな有望なエネルギーは他にありません。現在、太陽光発電のコストは家庭用電力の約2倍と少し高いのが課題ですが、これも 2010年には家庭用電力料金並みの1kw時あたり23円、2020年には業務用電力料金並みの14円、2030年には火力電力並みの7円ぐらいになるのではとみています。すでに当社だけではなく、業界全体でこの目標に向けて動き出していますので、太陽電池は、今後たいへん大きな産業に成長するのではと期待しています。そうまると「世界中のビルのカーテンウォールをすべて太陽電池に置き換える」という私の夢も実現できるのではないでしょうか。」 (紫竹庵人)
2007年05月08日(火)
早稲田大学アジア太平洋研究センター特別研究員 文 彬
 ■中国+インド=CHINDIA

 世界の成長センターとして、中国とインドは2006年にそれぞれ2・6兆ドルと0・8兆ドルのGDP(国内総生産)を記録した。経済大国アメリカの 12・33兆ドルや日本の4・5兆ドル(いずれも2005年)と比較すればまだまだ規模が小さいと言わざるを得ないが、ゴールドマン・サックス証券が 2003年に発表したレポート「Dreaming with BRICs: The Path to 2050」では、2050年頃にはGDPの順位が①中国(44兆ドル)、②米国(35兆ドル)、③インド(27・8兆ドル)、④日本(6・6兆ドル)にな ると予測されている。

 一部の国際アナリストやメディアでインドの台頭を、急成長を続けてきた中国をけん制するパワーと考えている気配もある。これはインドと中国との間にある 過去の対立関係や、異なる政治体制を理由にしているようだが、世界経済の融合と連携深化が進むグローバリゼーション時代において、広大の国土と膨大な人口 を擁する二つの国は世界の生産拠点と消費市場として共生できるように思われる。

 インド経済成長の「立役者」とも言われているインド商工大臣のカマル・ナート氏が3月に、フォーブス誌の質問に対して、「『中国対インド』ではなく、 『中国とインド』というとらえ方をしてほしい」と答えたのも同じ考え方を持っているからだろうと思われる。実際、ここ2、3年来、中印の指導者が頻繁に相 互訪問を行っており、貿易規模も年々健康的に拡大している。

 最近、「CHINDIA」(シンディア)という合成語がメディアに頻出している。「CHINA」と「INDIA」を組み合わせたこの新しい言葉を世に送 り出したのは、インドの著名な経済学者であり商業・産業担当国務大臣でもあるジャイラーム・ラメーシュ(Jairam Ramesh)氏である。氏は『Making Sense of Chindia』 という本を書き、政治経済、文化歴史等の多くの角度から世界で最も人口の多い二つの大国を分析し、「世界の工場」の中国と「ソフトウェアとITサービス」 のインドの補完性を力説している。

 実際、中国の情報産業は昔からインドをモデルとしてきた。情報産業省(信息産業部)の確立、ソフトウェアパークの建設等のアイデアにインドの経験が多く 生かされていることは周知の事実である。現在も日本向けオフショアリングで知られている大連のスローガンは「中国のバンガロールを目指そう」である。そし て最近、天津や成都も将来「中国のバンガロール」になると宣言している。成都は昨年4月、バンガロールと姉妹都市の条約を交わし、成都来訪のバンガロール 市長Mumtaz Begum女史よりIT分野の協力を約束してもらった。この領域ではインドは紛れもなく中国の鑑である。

 このようにある種の憧れを抱きつつ、2月25日から6日間インドを訪問した。NHKスペシャル『インドの衝撃』が放送されてから約1カ月後のことだった。

 ■プネー、東方のオックスフォード、第二のバンガロール

 日本航空JL471便が成田空港の滑走路に入ったのは午前11時10分だったが、デリーのインディラー・ガーンディー国際空港に着陸したのは21時30 分だった。それからシャトルバスで6km離れたパーラム国内線空港に移動し、遅刻して夜中2時に出発したキングフィッシャー・エアラインズで、同3時30 分に最初の目的地プネーに到着した。30分後市内のホテルにたどり着いたが、自宅を出たのは7時過ぎだったことを考えるとちょうど16時間を費やしてい た。インドは遠いことを実感した。(時間はすべて日本時間。インドと日本の時差は-3時間30分。)

 ちなみに、キングフィッシャー(Kingfisher Airlines)は「キングフィッシャー」ブランドのビールで有名なユナイテッドブリュワリーズ財閥(UB)の航空部門である。我々はパーラム空港の同 社専用待合室で初めて、インドで一番有名であり、1994年のストックホルム国際ビールフェスティバルで「最優秀賞(ベストラガー賞)」を受賞したキング フィッシャービールで乾杯した。旅の疲れを忘れさせる味だった。

 プネーは人口488万人でインド8番目の都市である。ムンバイから120km離れた海抜600mの高原に位置しているため、大都市の富裕層の避暑地とし ても名高い。更にここはインド教育や学術研究の中心地として東方のオックスフォード(Oxford of the East)と呼ばれ、インド国内だけでなく、世界の若者が集まってくる憧れの地である。総合大学のプネー大学以外にも17校の工科大学があり、毎年数多く のITエンジニアを世に送り出している。また、インドで最も権威があるIT研究開発機関であるC-DAC (Center for Development of Advanced Computing)の本部もプネー市内にあるため、昔からソフトウェア人材が集中している場所でもある。

 プネーは、「東方のシリコンバレー」とも呼ばれている。郊外にはHinjewadi、Talwade、Kharade、 Pune IT Park、Magarpatta Cityといった、5つのソフトウェアパークが点在し、多くのオフショア・ベンダーがここに開発拠点を持っている。オフショアリングの分野においてはバン ガロール程知名度は高くないが、欧米のエンドユーザの間では第二のバンガロールとも呼ばれている。

 また、プネーはインドで最も日本語教育が早く盛んな町でもある。1971年、プネー印日協会によって日本語教育が始まって以来、約1万人の学生が日本語 を勉強しており、毎年約2000人が日本語能力試験(JLPT)を受けている。このためインドではJLPT受験者数の最も多い都市でもある。

 2月26日、我々は従業員数200人規模のある中堅ベンダーを訪問した。まず驚いたのはこの会社の日本語コミュニケーションスキルの高さである。 2004年から日本よりプロの日本語教師を2名採用し、年間目標を立てて日々の日本語教育プログラムをこなしてきた。プネーにいた2日間に、CEOからプ ログラマーまで同社のスタッフ十数名と会ったが、ほぼ全員が流暢な日本語で応対してくれた。同社CEOは、日本語コミュニケーション力を生かし、インドの ベンダーの中で日本向けオフショア開発のナンバーワンを目指したいと語った。

 ■バンガロール、インドのシリコンバレー

 2月28日、インド時間朝6時30分。Jet Airways社のエアバスでプネー空港を立ち、バンガロールへ向かった。

 ナショナリズムの高揚からだろうか、近年、インドでは地名の変更が相次いでいる。マドラスがチェンナイに、ボンベイがムンバイに、プーナがプネーに、カ ルカッタがコルカタにというふうに、イギリス植民地時代の名前が旧称に戻されていっている。そして昨年11月、カルナータカ州政府はバンガロール (Bangalore)をベンガルール(Bengalooru)に変更すると宣言した。しかし、外国人のみならず、現地人もこの地名変更には馴染めないよ うだ。バンガロールは今、すでにインドのシリコンバレー、世界のオフショアリングセンターとしてのブランド名となっており、安易な名称変更は歓迎されない からである。

 JISAの統計によると、2005年、日本向けオフショア開発の71%は中国で、インドはわずか3%に過ぎない。だが、インドは世界全体のオフショア市 場の80~90%を占めている。2005年のインドのソフトウェア輸出は172億ドルで中国(36億ドル)の約5倍、そしてその輸出額の約半分がバンガ ロールで創出されたと言われている。オフショアベンダー1500社、システム開発技術者15万人を擁するバンガロールは、欧米のIT産業のアウトソーサー やバックオフィスとして大きな役割を果たしている。

 バンガロール近郊にはインフラ整備の行き届いた主なハイテックパークが3つある。インド・ソフトウェア・テクノロジー・パーク(STPI、 Software Technology Parks of India, Bangalore)、インターナショナル・テクノロジー・パーク(ITPL、International Technology Park Ltd.)、エレクトロニクス・シティ(Electronics City)である。今回は時間の関係もあり、中に入ることは出来なかったが、外から眺めていてもこれらのハイテックパークには整備された道路、立派な住宅 や安心できるサービス施設まで揃っていることが伺える。バンガロールの大企業はゲートに自動小銃を手に持った警備員がおり、物々しい雰囲気に最初は違和感 を覚えるものの、一歩中に入れば、学園都市のキャンパスのような綺麗で広々とした敷地が広がっており、快適な空間である。

 バンガロールで現地企業に勤める若い日本人技術者と昼食を取るチャンスがあった。社命によりプネーで研修をしている間に、すっかりインド企業に惹かれ、 研修が終わってからも日本の会社に戻らずそのままバンガロールのIT企業に転職したという。

 ■日・印・中、新たなトライアングル

 3月1日夕方、すべての訪問を終えてインディラー・ガーンディー国際空港の待合室で日本航空JL472便を待っていると、隣の席で学生風の若者4人が中 国語で談笑していた。話しかけると、清華大学電子工学部の学生だと分かった。ホームステとインド大学生との交流を兼ねてデリーやプネー等に1カ月滞在して おり、これからスリランカのコロンボ経由で北京に戻るのだという。

 そういえばバンガロールで聞いた話だったが、中国の若者にも直接中国やアメリカ経由などでインドに来て勉強したり仕事したりする人が増えてきたそうであ る。一方でインフォシスは上海や杭州に、iGATEは無錫や大連にという風に、インドのオフショア・ベンダーも日本だけでなく、中国にも積極的に進出して いるのである。中国市場を狙いながら、日本文化を熟知している中国ベンダーを巻き込んで日本の顧客を獲得するためである。

 古代の日本では、仏教は中国を経由してインドより入ってきたため、天竺(インド)、震旦(中国)、日本をあわせて「三国」と呼ぶこともあったそうであ る。これからは仏教ではなく、ITというキーワードで日・印・中は再び新たなトライアングルを構築しても良いのではないかと、4人の若者と話しながら考え ていた。

参考:日本に進出している主なインドアウトソーサー

・インフォシステクノロジーズ- Infosys Technologies Ltd.
社員数:66,000人
<http://www.infosys.com/Japanese/default.htm>

・ウィプロ・テクノロジーズ- Wipro Technologies
社員数: 61,000人
<http://www.wipro.com/japanese/index.htm>

・サティヤムコンピュータサービス- Satyam Computer Services Ltd.
従業員数:38,000人
<http://www.satyam.co.jp/>

・タタコンサルタンシーサービシズ- TATA Consultancy Services
従業員数:32,000人
<http://www.tcs.com/japan/index.htm>

・ポラリスソフトウェア・ラボ- Polaris SOftware Lab
従業員数:6,000人
<http://www.polarissoftware.co.jp/>

・アイゲート・グローバル・ソリューションズ- iGATE Global Solutions Ltd.
従業員数:6,000人
<http://www.igate.com/>

・NIITテクノロジーズ- NIIT Technologies
従業員数:4,600人
<http://www.niit.co.jp/>

・Vertex Software Pvt. Ltd
従業員数:200人
<http://www.vertexsoft.com/>

 文さんにメール bun008@hotmail.com
2007年05月03日(木)
Nakano Associates シンクタンカー 中野 有
 ネオコンのシンクタンクであるAEIのセミナーにて、北朝鮮の強硬派として知られるボルトン元国連大使、AEIの研究員のブレメンタル氏や、エバースタット氏が集い、北朝鮮問題が語られた。

 一番印象的だったのが、日本のメディアが順次、パネルの正面まで出て競うようにテレビカメラを回すシーンであった。スピーカーがそれを意識したかどうか定かでないが、日本に対しエールを送るような発言が繰り返しなされた。

 対北朝鮮強硬派

 米国の対北朝鮮強硬派に共通する考えは、金体制の核の放棄はありえないということである。金体制の生存のために核開発は最重要事項であり、外交交渉は成 立しないとの一貫した姿勢である。このプリンシプルでブッシュ政権の一期目は、北朝鮮と直接交渉を行なうことなしに、六者協議が進められた。換言すると本 音の外交が二国間外交であるとすると、多国間外交は現状維持を建て前としたものであり、北朝鮮を泳がせる政策であった。

 ブッシュ政権の一期目が北朝鮮問題で現状維持政策を実践した背景には、イラク問題に集中しなければならない現実的な理由があった。加えて、冷戦構造が残 存する北東アジアにおいて勢力均衡型の安全保障における北朝鮮の緩衝地帯としての不確実性要因は、必ずしも米国が推進するミサイル防衛の障壁にならないと の軍事産業複合体の考察があったと分析できる。

 北朝鮮への強硬策を主張してきたラムスフェルド長官、ボルトン大使等が見事にブッシュ政権から外されたのである。そしてこの主張を唱えるチェイニー副大統領のパワーにも明らかに陰りが観られる。

 北朝鮮は、国際社会の強い警告にも拘らず、昨年7月にはミサイル実験、10月には核実験を行ったのみならず、米ドルの偽札を製造し、日本人や韓国人を拉致し、それらの問題を反省どころか曖昧にする、ならずもの国家である。

 それにも拘らず、中国、韓国、ロシアは、北朝鮮への宥和政策をとり続けてきた。そして、最近では、米国が北朝鮮への強硬路線から宥和政策に変貌を遂げようとしているのである。北朝鮮を取り巻く5カ国で、日本が唯一の強硬派となってしまった。

 ブッシュ政権を去ったボルトン大使や、AEIのネオコン派は、北朝鮮への強硬政策を続ける日本の姿勢を評価しているのである。この最近の北東アジアを取り巻く情勢の変化を鑑みるに、北朝鮮問題の本質を把握する必要があると思われる。

 米国が宥和政策に変貌した3つの理由

 筆者は、日本一国でも核やミサイルの開発を諦めぬ北朝鮮へ経済制裁を仕掛けると姿勢を続けることは間違った判断でないと考える。何故なら、経済制裁と建 設的関与の程よいバランスが保たれ、封じ込めと関与政策が成り立つからである。同時に、米国がどうして北朝鮮への現状維持政策から宥和政策に変貌したかを 分析する必要があると考察する。概して三つの理由があると思う。

 第一、北朝鮮が核を保有したことで抑止力として日本が独自で核兵器を保有するとの懸念が生み出されたことと、核のドミノ現象の回避のためには、北朝鮮問 題の解決が重要と判断。これは、米中露韓のすべての共通した考えであると思う。特に、未だ米国には、日本とドイツには核兵器を保有させないという安全保障 の大前提がある。

 第二、中国が人工衛星の攻撃用実験を行なったことで、軍事産業複合体のパラダイムが北朝鮮の不確実性要因に依存する姿勢から、宇宙空間への開発にシフト しはじめたことに有る。ポーランドやチェコにミサイル防衛のための建設が行なわれるとのことで、NATOとロシアの対立が際立っているが、北東アジアで は、ミサイル防衛のみならず中国への封じ込め戦略の一環として軍事産業が絡む宇宙産業が展開されると考察する。

 第三、北朝鮮が核を保有し、ミサイル開発も予測以上に進んでいるとの判断で、軍事制裁への可能性が低下したこと。ブッシュ政権の対北朝鮮強硬派が舞台を 去り、ライス国務長官を中心とする実利主義的外交に加えて、ペンタゴンのゲーツ国防長官と中国への経済の相互依存を強調する元ゴールドマンサックス会長の ポールセン財務長官とのトリオが北朝鮮問題を中国問題の一環として考察する包括的戦略を推進していると読む。米中の経済的相互依存関係が、米中の北朝鮮へ の宥和政策に直結しているとも考察できる。

 大局的交渉

 大局的交渉(グランドバーゲン)として北朝鮮への米国による安全保障の保証と米朝の国交正常化もありうると読む。北朝鮮の核の放棄から核の平和利用とい う、朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)に見られたクリントン政権の末期に逆戻りしたような錯覚さえ感じとれる。しかし、KEDOとの明確な違いは、 13年前の朝鮮半島危機と違い、中ロの勢力が蓄えられたことに加え、中ロが北朝鮮の核開発を懸念している点である。

 従って、米朝が接近し、北朝鮮の暴走を緩和することで、北東アジアの安定と発展が保証されることは、米中露韓の利益に繋がると考えられる。よって、日本 を除く4カ国は実利外交として5万トンの重油提供と、北朝鮮が2月16日に決められた60日以内に北朝鮮の核のリストを提供するという合意を守ることを前 提に、追加として、95万トンの重油提供が示されている。日本だけが、核、ミサイル、拉致、偽札の製造という違法を継ける北朝鮮に対し経済制裁を主張して いる。日本の主張は、拉致問題が解決されるまで北朝鮮に妥協しないことにある。

 従軍慰安婦問題と冷戦の功績

 この日本の一貫した頑なな拉致問題への姿勢を崩す最大の武器は、従軍慰安婦の問題を人権問題の一環としてメディアを通じ、流布することであろうというの が、北朝鮮の融和を急ぐ勢力の戦略であると考えられる。ニューヨークタイムズやワシントンポストが、従軍慰安婦の問題を異常な程にクローズアップする背景 には、日本の北朝鮮への強硬姿勢を緩和するという意図があると考えられる。

 従軍慰安婦の問題に関し、日本の修正主義を支持する国は皆無だと思う。従って、河野談話を守るといういう姿勢が重要である。本当にこの問題がこじれた 時、日本が世界に伝えるべきことは、戦後、日本は一貫して平和主義を貫いてきたこと。並びに、冷戦中、米ロが5万発の核兵器を保有したが、その抑止の要に なったのがヒロシマとナガサキの被爆であり、日本は世界で唯一の核の犠牲になったことで核兵器の恐怖を世界に実感させたことであるという主張である。

 換言すると、冷戦を核戦争へと至らしめなかった最大の功績者が広島と長崎という被爆体験を持った日本であったという明確な意思表示が求められるのであ る。従軍慰安婦に関する日本の主張を世界の大多数が支持しないのと対極的に、核のドミノ現象を食止める最大の求心力は日本にあるとの主張は、世界の大多数 が支持し、そしてとりわけ原爆投下国である米国は、反論を唱える余地がないと考察する。慰安婦問題と日本の冷戦の功績という全く違う要素を組み入れなけれ ば、慰安婦問題はかなり日本の国益を削ぐと思う。

 勢力の調和

 21世紀の今日、地球世界は、ならずもの国家や国際テロ組織による大量破壊兵器の恐怖に直面している。そして、上海協力機構に代表される中国やロシアの 勢力が新たなる国際秩序の構築に拍車をかけている。ユーラシア大陸においては、日米同盟のみならずオーストラリア、ニュージーランド、東南アジア、イン ド、トルコ、EUと大きな勢力の統合と拡張が起こりつつある。その勢力とは、決して冷戦時代のイデオロギーの対立、すなわち上海協力機構を中心とする勢力 と日米同盟を中心とうる勢力の対立を意味するものでなく、勢力の調和(コンサート オフ パワー)でなければいけない。

 では、北東アジアにおいてどのようにして勢力の調和が生み出されるのであろうか。

 朝鮮半島は38度線で分断されている。しかし、それが崩れる兆しは米中露韓の協力で見え朝鮮半島の統一に繋がる可能性も有る。拉致問題で頑なな日本は、 この北東アジアの複雑な構造の中で、北東アジア経済圏が生み出されたらどれ程、大きな平和へのステップになるかとのビジョンとシナリオを描く必要があろ う。

 戦前の日本は、弱肉強食の帝国主義の時代において、エネルギー確保を前提に大東亜共栄圏の構築を行なった。無残にも日本の単独主義による共栄圏構築は、 軍事対立を引き起こした。ならば、21世紀の今日においては、多国間の協調による経済圏構築は、信頼醸成の構築に寄与すると信じたい。

 中国を中心とする勢力は、今後、北東アジアに大きな影響を与えると考えられる。それに伴い米国には、アセアン・プラス3(中国、韓国、日本)の経済の統 合に根強い不信感がある。この不信感を埋める最善策は、ブッシュ政権2期目で目覚め始めた米国の北東アジアに対する建設的関与政策を起爆剤に大きな北東ア ジアの開発ビジョンを提示し、それを実践することである。

 グランドデザイン

 北東アジアの空間に鉄道、道路、石油・天然ガスパイプライン、教育、通信などのインフラ整備が国境を越えて構築されることにより、国を越えた相互依存体 制が生まれる。この北東アジアのグランドデザインの実現が、ひいては、勢力の調和と協調的安全保障の確立と安定と発展への礎になろう。

 要約すると、ミサイル、核開発、拉致に対する反省が見られない北朝鮮に対し、経済制裁を課すという日本の外交政策は正しいと考えられる。しかし、北朝鮮 が4月14日までに核兵器の放棄に繋がるリストを提出し、そして拉致問題でも進展の兆しが見られる状況になれば、日本は、6者協議や国連の舞台を通じ、最 も広大で包括的な平和へのグランドデザインを示す時期に来ているように考察する。安倍総理が米中の首脳と対談される時には、北東アジアの安定と発展に向け たグランドデザインが協議されることを期待する。
http://mews.halfmoon.jp/nakano/

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